15.哄笑
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そこかしこで熾火のような炎が燃え、横たわる死者たちの横顔を照らし出している。炎の舌が夜の闇を舐め、そのゆらめきが周囲の闇をより濃く深くする。
今、その闇を巨大な翼が横切った。その不快な風切り音は不吉そのもの。街の住民たちは得体のしれない恐怖に怯えている。
さっきまで彼らを恐慌に突き落とした魔物はどこかへ行ったようであった。半信半疑ながらも自分の身が助かったことに安堵しかけた人々は、再び襲いかかってきた恐怖に耐えることができなかった。街全体が恐慌に叩き落とされた。
ハーピーの群れは、今や相当な数を持って町の上空を覆っている。そうして家々の屋根や煙突に取りつき、やりたい放題を始めた。
窓から飛び込んで殺戮を働くもの、煙突から火を投げ込むもの、逃げ惑う住民を攫って上空から落とすもの。
弱き者は身を縮め、暴力の嵐が過ぎ去るのを祈るしかない。
一方で武器を持つ者や多少腕に覚えのある者は、手に手に剣や弓を持って忌々しい鳥人間に対抗しようとし、虚しく返り討ちに遭うだけでなく、流れ矢が別の住民を傷つける事態を招いたりした。
喧騒と混乱が街全体に広がる頃、ようやく領主軍が砦から出陣してきた。
揃いの甲冑を身につけた精鋭部隊を中心に、クロスボウや長弓を握りしめた傭兵たちの部隊がそれを補強する。
しかしその戦力も、空から攻め立ててくる敵には決め手を欠く。
ヒット・アンド・アウェイで投げ槍を投げ込み、高速で離脱していく敵に矢が当たるわけがない。
領主軍は多少のまとまったハーピーの群れを引きつけてくれてはいたが、それだけのことだった。人々はその有様を見て失望し、我が身を救う術がないことを思い知るしかなかった。
「ハーピーは闇の眷属。冥界の使いなのだよ。」
フィリップはうっとりとそう言い放った。リアとルネ、ユージェニーは男の様子がいつもよりさらにおかしいことに気づいている。
「村を襲ったハーピーもあなたが呼んだの。」
ユージェニーが確かめるように尋ねた。
「ふん、あの時は色々やることがあって中途半端な儀式しかできなかったから、あんなことになった。下手な偽装をしたもんだ。そこの彼にも見破られてつまらんことになった。」
「儀式。」
「闇から魔を呼び出すにはそれ相応の贄を捧げなきゃね。あの時は裏切り者の首しかなかったが。」
フィリップの自己顕示欲のおかげで疑念が氷解していく。工房の親方の死体、落とされた首、荷馬車の上の、首のつながった別人の死体、に見えたもの。
「あなたは我が民ではないのね。」
ユージェニーは、ずっと胸の中で燻っていた疑念に終止符を打った。ずっとこの男に頼って民を導いてきたけれど、それが嘘に塗り固められた幻影だったことに気づいた。
「まあ、それも半分は嘘ではない。」
「半分・・・。」
「この森の一族の血を引いていることは確かさ。いまいましいことにね。」
フィリップは整った顔立ちをゆがませて言った。
「だがね、私はあんたなぞに心を捧げてはいない。私の信仰は一片の曇りもなく冥界神アエイヌース様に捧げているのだから!」
フィリップの挙動が芝居気たっぷりになっていくにつれ、ユージェニーの態度は冷たくそっけなくなっていく。
「修羅場の夫婦喧嘩に見えなくもないわね・・・。」
リアが耳元で囁いてきた。
「それ聞こえたら絶対怒られるよ!」
あまりにも空気を読まない従姉に小声で釘を刺す。
フィリップとユージェニーの宗教的論争は置いておいても、今彼らを取り巻く状況は危機的と言えた。
周りは敵だらけ。こちらは消耗していて武器も防具もない。
ルネは意識の奥に目を向けてみた。白い靄は跡形もない。それに加えて、中層から深層まですっきり見通せる。そしてその向こうに・・・。
「これって・・・。」
(なんかさっきので色々吹っ切れちゃったみたいね。)
リアが意識の中から語りかけてきた。
目の前にいるリア。
精神の中にいるリア。
姿形は全く違うが、その2つが完全に同時に動いていて・・・。
「夢と現実を同時に見させられてるみたいじゃない?」
(なんか気持ち悪い・・・。)今度はルネが心の声で答えた。
これまでは、喩えていえば、ヘドロまみれで視界ゼロの淵に潜っているような感覚だった。それが今は、深層までくっきり見える。もちろんそこにいる馴染み深い存在さえも。
(なんかえらく機嫌がよさそう・・・。)
「さっきいっぱい遊んだから満足したんじゃない? 」リアが肉声で返してきた。
「で、他に気づいたことは?」
そう言われてもう一度観察する。禍々しい姿は相変わらずだか、そこに・・・。
「これは・・・。」
「あなたの目的は何? 」
ユージェニーの冷ややかな声。にらみ合いから進展があったようだ。いけない。こっちも集中しなくては。
「くくく。」
フィリップが可笑しそうに体をひねった。それに合わせて周囲のハーピーたちも哄笑する。本当に三文芝居じみてきている。
「愚かな片田舎のダメ精霊ごときには分からないだろうがね。わが人類世界は危機的状況に瀕しているのさ。南には黒曜人諸派、北東からは野蛮な白毛人どもがかさにかかって攻めたててきた。」
「それと何の関係が?」
「これでも分からないとは鈍臭いにも程がある!」
フィリップが大音声で宣言すると、ハーピーたちも笑い転げる。中には地面にひっくり返ってひくひく痙攣しているものもいる。
そのまま死んでくれたら手間が省けるのに、とルネは思った。
黒曜人と白毛人。
それぞれ強力な文明と勢力を持つ異人種だ。ルネも見たことはないが、人間とは似て非なる生き物だという。
「人類世界が危機なのだ。強力な敵に立ち向かうのに、木っ端精霊なんぞをバラバラに祀っていてはどうにもならんじゃないか。四神の教えのもと団結してこそ我らの生きる道があるのだ。自明ではないか。」
フィリップの言にも理はある。とはいえ・・・。
「それならどうして何年も嘘をつき続ける必要があったの。 」
ユージェニーの問いに、我が意を得たりと微笑むフィリップ。
「おまえが殊の外強力だったからさ。」
「強力?」
「たがだか精霊風情が森の力と根強い信仰をがっちり掌握してやがった。その両方から引き剥がさないことには、手が出せなかったのさ。忌々しいことに。」
そう言いながらフィリップの口元が歪む。
「だが今のお前にはそのどちらもない。森から離れた森の精霊なんて裸同然もいいところだ。」
フィリップは周囲のハーピーたちを差し向けてきた。
「お前を取り込んで冥界神の供物にしてやる。そっちの汚物もついでだ。」
「失礼ね。」
ついで扱いにリアが立腹しているが、ルネはそれに構っている余裕がない。
武器がない今、ハーピーの包囲攻撃にさらされるのは非常にまずい。もう一度、先ほど覗いた意識の奥の光景を思い出す。あれが思った通りなら、あるいは・・・。