14.暴発
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足元で燃え盛る赤い舌を感じる。
凄まじい痛みが襲った。
もう、全て吹っ切れた。
なにもかも。
ルネは意識の潜航を始めた。
あの白い靄に阻まれている今、親愛なる悪魔殿にお出まし願うにはこれしかなかった。
さっきリアの言っていたのもこれのことだろうと思った。
忌々しい靄の手前で目を凝らすと、いた。
リアがそこで待っていた。
1人では振り払えない雲も2人でやれば必ず破れる。
ただ、その結果がどうなるかまるで分からなかった。
これまで、内なる怪物に身を任せる時、必ず1人がその場に残り、正気に帰す役目を負った。 それが今回はない。最悪、街ひとつ皆殺しにしてしまうかもしれない。そのことをずっと悩んでいたのだが、もう覚悟を決めてしまった。
それこそ悪魔の所業なのだろうが、リアもルネも生きたかったし、他に選択肢はない。
ルネが靄を抑え、リアが黒い存在にたどり着いた。
そいつはいつもより嬉しそうだった。リアは躊躇うことなく全ての縛めを解き放った。
ユージェニーがその場にたどり着いた時、すでに炎が放たれていた。
「間に合わなかった。」
ユージェニーの視界は炎に巻かれる2人から、巨大な波動が発せられるのを捉えた。
次の瞬間、雷鳴のような音が轟いて、十字架が破裂した。
焼け落ちたのではなく、まるで内側から巨大な力で引き裂かれたように、バラバラに四散したのだった。
その余波で炎と熱波が周囲にばら撒かれ、周囲にいた人々に降り注いだ。
人々はそれを避けようと逃げ惑ったが、人混みで身動きが取れない。
服に燃え移ってのたうち回る者が出て、混乱に拍車がかかった。
だが、本当の惨劇はそこからだった。
どこかから聞いたことのないほどの恐ろしい咆哮が轟き、夜の闇よりなお黒い存在が現れると、混乱が頂点に達した。恐慌がその場を支配した。
とにかくその恐ろしいものから少しでも逃れようとめちゃくちゃに動こうとして、群衆は自らを阿鼻叫喚の地獄に落とした。
武器を持って周囲に斬りかかる者、踏み潰される者、あちこちで理不尽な死が量産された。
現れた黒い存在はむしろ静かにその場に佇み、愚かな生き物の狂態を睥睨していた。
時折恐慌にかられ、やぶれかぶれに挑んでいく者もあったが、どんな力が働いているのか、触れることもできず血だるまになって吹き飛んだ。
そうして、聖会堂前の広場に動くものがなくなった頃、ユージェニーは動いた。
遠目には分からなかったが、それらは紛れもなくリアとルネだった。
ただそれらが纏う瘴気があまりにも禍々しく、とてもではないが人に見えない。
表情はなく目は見開かれ、眦から黒々とした血をとめどなく流している。
2人の前に進み出た時、敵意も殺気も感じないことに気づいた。
2人の中にいる存在は、汚穢にまみれながらも、ユージェニーを同類として認めてくれている。彼女は先だって交わした会話を思い出す。
この存在は、死を撒き散らす悪魔でありながら、彼女にとっては恐るべき者ではなかった。
彼女は泉の精霊コヴェンティナとして、大河の精霊エペーに語りかける。
「汝も我も愛し子を育て愛し子に生かされる者。」
今はもう僅かになってしまったが、この地の全ての生きとし生けるものに惜しげもなく恩寵を与え、尊崇を受け取っていた幸福を思い出す。
いかに超常的な霊だったとしても、それらがなければ虚しいだけ。
「汝の喜びは汝の元にあるその愛し子を慰撫することにあり。」
これまでユージェニーを支配していたのは自らを汚穢に落とさんとする四神への恐れだった。
だが目の前の者は、変わり果てた姿になりながら、このように人の子と絆を結んでいるではないか。
「ならば何を恐れることがあろう。」
精霊エペーだった存在は、彼女の呼びかけに応えた。
ラニエの街は夜更けの闇にあって奇妙な静寂に包まれている。
惨劇のあった聖会堂の高台にはもはや動くものの気配はない。
幸運にも無事に家に辿り着けた者、懸命にも火刑に立ち会わなかった者は、息を潜めて閉じこもっている。次に何が起こるか、固唾を飲んで見守っている。
ユージェニーはリアとルネの介抱をしていた。
2人は彼女の膝に頭を乗せて眠っている。
元精霊エペーの力によるものか、2人には傷も火傷もなく、穏やかに眠っている。
周囲には無残な死体が散乱している。それは凄惨な光景だが今のところ彼らを害するものはいない。
ただそれは時間の問題だった。ユージェニーは1人でここに来た。新たな敵、たとえば領主の手勢などが現れる前にこの場を離れたいが、意識のない2人の人間を運べるほどの膂力はない。
ユージェニーの逡巡を感じ取ってくれたのか、時を置かずに2人は目覚めた。
最初はユージェニーの顔を見て驚き身構えたが、何かを悟ったのかすぐに警戒を解いた。
「あなたが助けてくれたのね。」
「・・・そうとも言えるし、そうでないとも言える。」
正直な答えにリアは怪訝な顔をしたが、何かを思ったのかそれ以上訊かなかった。
「それはそうと、この厄介な白いののお陰で難儀したわ。」
2人の意識の中層にあった封印のことだ。それはもう跡形もなく掻き消えている。
「それは私ではない。」ユージェニーがすぐさま答える。
「じゃあ誰が・・。」
「それはルネが教えてくれた。」
ルネは一瞬驚いた顔をし、すぐに何かを納得したようにうなずいた。
「やっぱり。」
その声にかぶさるように、上空から聞き覚えのある耳障りな金切り声。
「いけないな。お人形さんはずっとお人形でいてくれないと。」
その男は三度そういう現れ方をするのだった。
「フィリップ。」
ユージェニーが振り返って、自分の有能な補佐役を見た。