12.彼女の事情 その2
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ユージェニーの生い立ち編その2です。
その時も、あと一歩のところで全てを失う瀬戸際だった。村の幹部である鍛冶工房の親方が、領主側に寝返って村から逃亡したのだ。
村の幹部はすぐさま街道沿いに追っ手を指し向け、フィリップとユージェニーは森を捜索することにした。
ユージェニーにとって森は自分の体に等しい。眷属たちが動き回れる範囲は広く、彼らを通して彼女は森の異常を察知できるのだ。
彼女はすぐさま親方の処刑を命じた。フィリップにそう言い含められたからだ。
そうしてまっすぐにその場所に着くと、そこにはすでに死体になったイェルセン親方と、領主側に潜ませていた間諜がいたのだった。
「おや、あんた方か。」
間諜、ヨーナスは言った。
「相変わらずおっかないお嬢さんだね。狼どもを操って人殺しも朝飯前だ。」
「今頃森に何の用だ。お前は領主に張り付いているはず。」
フィリップが不機嫌そうに尋ねた。
彼は、間諜の有用性を認めつつも、間諜という存在そのものを毛嫌いしていた。
フィリップはそういった矛盾の集積のような男だった。1人の人間の内にこれだけの矛盾を抱えてよく人格が破綻しないものだと、ユージェニーは感心していた。
フィリップの殺気を感じ取って、ヨーナスは慌てて取り繕った。
「いやね、伯爵様は最近とみに『妖獣』退治にご執心でさ。今日も流れ者を取っ捕まえて森に放り込んだってわけで。」
「ほう。」
フィリップは死体には目もくれずに訊いた。
「どんなやつだ。」
「若い男と女でさ。おれが見るかぎり結構腕は立つね。」
「ふむ。」顎に手を当てて一考している。軽い企み事をしているときの仕草だ。
「ちょうどいい。今回の件の犯人が必要だ。恩を着せて油断させよう。」そうしてユージェニーを見る。
「狼を借りるぞ。」
ユージェニーは嫌とは言えない。
眷属を何頭も失って、2人の若者と知り合った。使い捨てにされた獣たちを憐れみつつ、その魂の転生をひそかに見守った。
命が巡るのは彼女にとって必然であり、霊的存在であったときには、生き物の死は望ましいことですらあった。一方で肉体を得て生の歓びを知り、命が消えゆくことを惜しむ気持ちも芽生えた。今の彼女の中には相反する感情が同居している。
とはいえ、知り合ったばかりの2人もまた、ユージェニーの興味を惹きつける存在だった。
彼らの魂の歪みは尋常ではない。2人の魂は、境界が曖昧になるほど混ざりあっているだけでなく、その底にはこの世ならぬ存在が横たわり、2人の魂に触手を絡ませていたのだ。
ユージェニーは目を凝らしてそれを見つめた。それは彼女にとてもよく似た性質の精神だったが、汚穢に落とされていた。
まじまじと見つめていると、向こうも彼女に気づいたようで、目が合った。
(いったいどうしてそんなことになっているの。)
彼女は音のない声で尋ねた。
(四神だ。かつて我は西の方の大河にたゆたう者であった。多くの生き物を従え崇められていた。だが四神が現れた。)
(彼らはあなたを汚穢に落としたの。)
(そうだ。四神は恐ろしい。葦原が切り開かれ湿地が埋められ、石と死んだ木が我がほとりを埋め尽くした。我は容易く手足をもがれ生き物を統べる地位を奪われた。)
(なぜこの2人と一緒にいるの。)
聞くと黒い存在は愉悦の声をあげた。
(これらの魂を見よ。しらしらと瀬を打つ波のようではないか。居心地が良いのだ。この長い苦しみの中でこんなに安らげたことはない。)
要するに波長が合うということね。ユージェニーは思った。
この存在は彼女の未来の姿だった。四神の軍門に降れば、汚濁と苦しみにまみれた存在になり果てる。
彼女は戦慄した。
フィリップは、極めて自然に2人を死体のところに誘導した。罪をなすりつけるためには必要なのかも知れないが、首を切り落としてぶら下げたり持たせたりと、鬼畜とも言える悪ふざけには閉口した。
そのまま村に連れて行って村長に引き合わせ、翌日死体まで案内させて、あとは周りで一芝居打って衆人環視の前でお縄にしてしまえば終わりだ。
その展開が読めたけれど、ユージェニーはただ傍観していた。自分だけの力では民を守れない。であれば、民を守れる力を持った存在に従うべきだ。
ところが翌朝、村は見たことのない魔物の襲撃を受けた。
若者、ルネはハーピーだと言った。ハーピーは闇の眷属ではなかったか。
ユージェニーはそういう存在と相まみえたことがなかった。
フィリップが不在だった。そのことが彼女を、ことのほか動揺させた。これまで彼がこういう形で彼女を置き去りにしたことはなかったからだ。
2人が黒い存在の力を借りてそれらを打ち倒すのを見て、彼女はさらに動揺した。
彼らの見せた力は言うまでもなかったが、血と勝利に酔って歓喜に打ち震える黒い影を目の当たりにして、自らの未来の姿を見せつけられた気がした。
それはまるで、
「悪魔憑き・・・。」
ユージェニーは青ざめた。
その日の夜、寝床の中で眷属たちからの報告を聞いた。
リアとルネの2人が森に侵入したのだった。
昼の一件以来、なんとなくフィリップに近づきにくさを感じていたが、こういう時は彼の判断を仰ぐべきだと感じた。
「ひねりつぶせ。」
一言、命じられるままに、最強の手駒をぶつけた。
しかしその意図は挫かれた。
汚穢にまみれた黒い存在は、圧倒的な力を見せて、彼女の眷属をまたも蹂躙した。
彼女の四肢に響き渡る断末魔は彼女の精神を蝕んだが、そのことを聞いたフィリップもまた、ことのほか動転していたようだった。
「どうしてこうも当てが外れる。」
舌打ちして彼は雨の中に出て行った。
フィリップが捕らえた2人には意識がなく、村に着くやいなや、すぐさま聖会堂(に偽装した精霊廟)に収監された。
黒い存在は炎のように2人の間にまたがって身悶えていた。2人の人間との魂の混ざり具合が、わずかに変わっているように見える。混ざり合わない水と油でも、何度も振り混ぜれば溶け合うように。目を覚ました2人にそのことを告げようかとも思ったが、矢継ぎ早に質問されたので言われるがままそれに答えた。
紆余曲折はあったものの、当初のフィリップの計略通り、2人は諸々の罪を着せられて処断されることになる。憐れみや痛みといった情が彼女の内部で沸き起こったが、これまで何度となく眷属が犠牲になった時と同じく、それらを飲み込んでしまおうとした。
だが、ルネが発しフィリップが答えたある問答が、彼女を捕らえて離さなかった。ある可能性が彼女の中で沸き上がり、それが火花となって彼女の思考を加速させた。
確信が深まるたび、もともと豊かとは言えない彼女の表情は、ますます変化を失っていくのだった。
読んでいただきありがとうございました。