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11.彼女の事情

アクセスありがとうございます。

今回はユージェニーの生い立ち編です。

  彼女の記憶の大半は、水中に浮かぶ藻のように、ただ茫漠として「ある」というだけのものだった。

 日が巡れば暗くなったり明るくなったり、季節が移ろえば暖かくなったり寒くなったり、それだけをなんとなく感じながら悠久の時をただ過ごしていた。


  おぼろげに、我、というものを自覚したのは、見たことのない奇妙な生き物に、いきなり呼びかけられた時だった。

 そいつらは森の獣たちに比べて卑小でひ弱でありながら、明確な望みを持って彼女に相対した。


  おもしろいと思って望みを叶えてやると、そいつらは大喜びして供物やら生贄やらを捧げてきた。それらを受け取るたびに、彼女は内から湧き起こる力が増すのを感じた。


 こうして、泉の精霊コヴェンティナと人間の絆が結ばれ、『泉の民』が生まれた。


  彼女は人間たちから捧げられる祭祀によって得た力を、人間の繁栄のために惜しげもなく与えた。いつしか森の人々は彼女にとって愛し子となり、人は森と共に栄えた。


 だが、四神の使徒がやってくるようになると、安寧に翳りが見えた。四神は土地に縛られずどこまでも布教できた。

 その教えは、人間の集住と耕作を前提としていたので、森と泉の民とは価値観が根本的に異なっていた。

  そうして、精霊コヴェンティナは開墾され侵され続ける森と共に力を失っていった。しかし、彼女はまだ諦めるわけにはいかなかった。未だ彼女に祭祀を捧げ、愛と信頼を示し続ける古き民がいたからだ。



 追い詰められた愛し子たちの切なる願いを聞き届け、彼女は自らの現し身を産み落とした。


 それは、彼女の複製であったが、不可逆的に切り離されたものだった。

 人の身で人ならぬ精神を宿しているものの、肉体が土に返るその時になっても、もはやその精神が彼女本体に合流することはない。彼女の主観で言うならば、それは「出産」に値する行為だった。


 「娘」を産み落とす過程で、彼女は残された力のほとんどを使い果たし、もはや現し世において自我を保てなくなり、魂の深淵で散り散りになって、たゆたう藻のような存在に戻ってしまった。

 再び統合された精神として復活するためには、長い年月を待たねばならない。


 娘は孤児になることを運命付けられた。


 肉体を得て生まれ落ちた精霊の『娘』は、ユージェニーと名付けられた。

 彼女は生を得たその瞬間から、精霊としての自覚と力を自覚し、この力をもって呻吟する民を救おうと決意した。


 しかし事はそう易しいものではなかった。精霊たる彼女には森と心を通わせる力があったが、人々を導くために必要な知識と経験が不足していた。

 火と鉄をもって森に踏み込んでくる四神の手先たちに対してなす術がなく、民を失望させた。


 そうして失意と無力感に囚われた時を無為に過ごしていると、いつの間にか肉体が成長していた。長い時を過ごしてしまった。


 ユージェニーは自分と分かち難く結びついてしまった肉体を厭い、精神の不自由を呪った。こんなことならあのまま霊として森の行く末を見届けるのだったと。



 そんなある時、泉のほとりで無為を囲っていた彼女に声をかけるものがあった。

 

 フィリップだった。


 その年若い男は、ユージェニーと遠からぬ血縁の者だと言った。他の森の民と異なり、彼女を敬遠するでもなくまっすぐに語りかけてきた。


 西の方の法都エリトリアで四神の教えを学んできたといった。

「私は敵のやり方を知っている。彼らの退け方もね。」

 男は自信に満ち溢れた顔でユージェニーに微笑みかけた。

 精霊の娘は、その男にすがった。


 フィリップの策は面白いほどに当たった。どのようにふるまえば四神の民のふりができるのか、民は熱心に学び、村に入り込む術を身につけていった。


 同時に森の眷属を使って、密かに四神の手先を葬っていった。森の民が秘密裏に開拓村を手中に収めるまで、そう長くはかからなかった。


 足場となる拠点を手に入れると、人脈を築きながら少しずつ開拓政策を骨抜きにしていく。領都の役人たち、周囲の村役人、権益を持った商人たち。


 彼らは相手が異教徒だとは欠片も疑わず『アイヒェンヴァルツの妖獣』の襲撃から人間の領土を守り続ける開拓村の心意気をほめそやした。もちろん片手に少なくない『心付け』を握らされて。


 そうして、開拓と布教が表向き強力に推し進められる中、異教中の異教、精霊コヴェンティナの信仰は密かに守られ続けた。


 ユージェニーは、人の心の機微を玩具のように操るフィリップの所業に感心しつつも、同時に戦慄を抱いていた。人でない精神を持つ彼女には、人の心は分からない。とは言えそれが分かりすぎる者もまた、人ではないと言えるのではないだろうか。

 彼女はその疑念を心の奥底にしまいつつ、フィリップに頼りながら、その振る舞い方をそばで見守った。


 信仰と森の安寧は、大いなる秘密が暴かれる危機と常に隣り合わせだった。危うい局面は常にあり、その都度火消しが必要だった。フィリップは組織を強化し、実務能力に長けた人物を民の中から拾い上げ、鍛えた。トマス村長のその中で頭角を表した1人だ。


そうして数年が経った。


ご一読ありがとうございました。

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