ダイジェスト乙女ゲーム転生テンプレート
登場人物
私→この物語の語り手
使用人→“私”の使用人
転生した。理由は不明、死因も不明。もしかしたら死んでいないかもしれないが期待は薄い。周りを見ようにも明暗しか分からない低スペック目じゃ何も分からない。
赤ん坊の目は四、五ヶ月経たないときちんと見えるようにならないんだっけ。
不貞寝した。
□
転生のテンプレートに従って人生を楽しもうにも、寝返りすらうてない身体じゃ何もできない。精々、両親が美人で自分も美人であることを願うのみ。ついでにお金があるとなお良い。
赤ん坊の一日は寝て、起きて、時々お腹にものを入れて、出して、の四つで終わるのだ。それしかすることがないとも言えるけど。
■
魔法!
ここは魔法的な何かがある世界らしい。汚い話で申し訳ないが、オムツが布製で出してもすぐさらりと乾いて、さらに臭いも不快感もない時点で察するべきだった。この時点で私がいた日本ではないだろう。異世界転生だ!私も魔法少女になる時が来たかもしれない。
性別は未だ不明だが。
□
(仮称)魔法の練習に関して特に説明することはないだろう。すでに語り尽くされたことだ。魔力(仮)の感知も操作も使い古されたテンプレートよろしく大して難しいことではなかった。
達成感も何もあったもんじゃなかった。けど魔法込みのファンタジー異世界で後々幸せに、そして何より楽に生きていくためには必要なことだろうと不満は飲み込む。
■
そろそろ目がまともに見えるようになってきた。とはいえ、ものの形がぼんやりわかる程度だ。目に魔力(推定)を集めたら早くまともに見えるようにならないだろうか。そして見えるようになったのはぼんやり光る何かである。ちがう、私が見たかったのはこれじゃない。
あ、待って魔力(希望)の操作とか(恐らく)魔法に長けてることが異端だったら排斥待ったなしなのでは。
……不貞寝しよう。
□
子供の脳みそはハイスペックだ。言葉は簡単に覚えたしなんなら書ける。歴史もマナーも算数も一度人生経験済みの私の敵ではない。勉強の仕方を知っているということは一種のチートである。
だんだん薄れていく日本の記憶には些か不安を覚えるものの、そもそも死因も以前の名前も家族構成だって覚えていなかったんだから、困りはしない。
そしてこの世界にだって新しい家族はいる。いつか願ったとおり美人な母親に格好いい兄がいて、どちらも優しい。父親には会ったことがないが別に構わない。習った通りなら身分だって相当に高いようで、それなら忙しくて父親に会えないことも肯ける。
何の憂いもない素晴らしい日々だ。
■
父が隠し子を連れてきた。私とさして変わらぬ年齢の少年を。
母は上品に気絶した。
兄は全寮制の学校に行っていたから後で手紙で知ることだろう。
隠し子は睨むように、怯えたようにこちらを見ていた。
どこかで聞いた話だ、と使用人の影に隠れた私はその新しい家族に声を掛けるでもなく、睨むでもなく、ただその場を無感動に眺めていた。
私が七歳になる、誕生日のことだった。
□
「アルネ、ざまぁ、という言葉はご存知?」
「お嬢様、私の名前はアルネではありません」
「そうね、アートゥーア。少なくとも貴族の間で使われる言葉ではないでしょう」
「お嬢様、私の名前はアートゥーアでもありません」
「あまり品のいい言葉でないことも確かね、ラグンフリズ」
「だからラグンフリズって誰」
お嬢様、と呼ばれるのにも慣れてきた頃に気付いた。
この世界は大層優しくできていて生きやすい。日本人の思う中世ヨーロッパという幻想にぴったり当てはまる世界観。街並みはレンガ。行き交う人は馬を、馬車を駆る。科学に取って代わったファンタジーは衛生面と治安すら日本のそれに迫るものに押し上げた。
まるで作り物だ。ファンタジーの世界に転生したというより、ファンタジーモチーフの物語に迷い込んだという方がしっくりくるほどに。
「お前は使わないでちょうだいね、あんな、人を見下した言葉。お前の品性が下がるわ」
この、私を取り巻く世界が誰かの創作物に見えてしまった時から私は努力を止めてしまった。
これがもし本当に創作物の世界なら、私はどこかにいる主人公のための背景でしかない。仮に主人公のためのものでないとして、私が努力することも、私が怠惰に過ごすことも、母の献身も、兄の親愛も、父の愚行も、すべてシナリオに定められていることなら、それに対して私が意思を持って、感動を持って向き合うことは無駄なこと。それすらも定められているのならば。
「お言葉ですがね、お嬢様。私はお嬢様が思うような育ちではありませんよ。品性だのはここに勤めてから身に付けたように見えるだけで、実際はそんなもの犬にでも食わせてやればいいと思ってますから」
「そうだったかしら」
この使用人はあまり口がよろしくない。あんまりな言葉に思わず目を向けてしまう。
その使用人はいつも通り、お手本のような笑顔を浮かべていた。
「差し出がましいことを申し上げますがね、私はお嬢様がそんな言葉どこで覚えてきたのかの方が気になりますし、そもそも、気に入らない言葉なら品性なんて言葉は使わずに『不愉快だから使うな』と命じればよろしい。そしてそんなことよりいい加減私の名前を覚えていただきたいです」
「お前は本当に口が減らない……」
「差し出がましいことを申し上げますが、と先に断りましたから。……それで、お嬢様。そのような言葉どこで?」
「……どこだったかしらね」
まさか前世の記憶がなどと言えるはずがない。前世だけならまだしも、この世界が創作物でどこかの主人公のためにお膳立てされたもので、私もこの使用人もそいつのための舞台装置かもしれない、なんてどうして言えよう。
「まあ、使わないならなんでもいいわ。仕事に戻りなさいローレンツ」
「一文字も合ってねえです、お嬢様」
「わたくしがお前をクビにする手間に比べたら些細なことだわ。お前もそう思うでしょう、ヴィクトル」
「大問題だよ」
口の減らない使用人ではあるものの、こいつをからかうのは悪くない。名前がわからなければクビにすることもできないだろうにそれに思い至らないとは。
それに、品性なんて持っていないと言うけれど、品性はその人の性質であって騙るようなものではない。それに思い至らないのが少しおかしくて笑ってしまう。
「楽しそうですね、お嬢様」
なんにせよ、私がここまでに積み上げてきた魔力だの知識だのは消えてしまうものではない。どうしようもなくなったら逃げてしまえばいい。なんの根拠もないけどそう思えた。
「ええ、いざとなったらお前も連れて逃げようと思って」
「犯罪には巻き込まれるのはごめんですよ」
「安心なさい、この世の大半は暴力と権力と財力でどうとでもなるのよ」
「金貨で殴る気だこの人」
例えば、そう。この世界が乙女ゲームだったり少女漫画が下敷きならすごくしっくりくるでしょ、ストーリー進行の邪魔になるものを極力廃した、中世ヨーロッパの皮を被った文化水準とか、生活環境とか。
それなら私に配された役はきっと背景の貴族ってところでは、とちょっと不穏なことを考えてしまった。縁起でもない。
■
私はもうすぐ学園に入学するらしい。以前兄が通っていたあれだ。魔力を持った子供が身分を問わず一律に集められるテンプレートなあれともいう。正式には王立なんとか学院。
ところで現在、両親の仲は少し不穏で、父は最近家に寄り付かない。兄は学校を卒業後、家を避けるように国に仕える道を選び、父が連れてきた少年は数年たった今でも居心地が悪そうだ。
ここまで来れば以前冗談まじりに乙女ゲーム、あるいは少女漫画のようだと思ったことが俄かに現実味を帯びてくる。間違いなく義弟がヒーローかそれに準ずる立場で、私たちはそれを虐める悪役か何かってところでは。
洒落にならねえ。
□
入学した。
新入生の挨拶をしたのはこの国の第二王子。黄色(金ではない)の髪が目に眩しい。
在学生代表の挨拶をしたやつは青色の髪が目に眩しい。
その後ろには赤と紫と、とにかく目に優しくない鮮やかな色だ。
揃いも揃ってペンキでも被ったような色合いだ。顔はともかく色で判別は出来そうで少し安心する。
■
自称転生者なご令嬢に会った。
正式なお茶会に呼ばれたと思ったのに。
曰く、この世界は乙女ゲームの世界であると。彼女の知っている“私”と行動があまりにも違ったために声をかけたらしい。あなたも転生者なのではないか、と。
ここはゲームの方だったらしい。知らないタイトルだけど。
なお、それらを教えてくれた彼女には否定も肯定もせず曖昧に微笑んでおいた。私は保身を忘れない女。
彼女は公爵令嬢で私より身分が高いし。
□
時折その自称転生者な令嬢に絡まれたり、その令嬢がきらきらペンキヘッド共と絡んだりしているのを眺めているうちに一年生が終わった。
特筆すべき点もない、いわゆる本編が始まる前の平穏な一年と言ってもいいだろう。
しかし彼女の知っているシナリオの“私”と今の私の行動の差は何に起因するものなのか。やはり虫食いだらけとはいえ前世の記憶とやらのせいか。
■
二年生になった。義弟が入学してきた。頭の色は目に優しくないメタリックかつネオンな緑。母に似ていないのは当然だが父のそれにすら似てもつかない色だ。
そろそろ本編でも始まりそうな予感。
□
「ざまぁが現実味を帯びてきたわ、アルブレクト」
「その言葉はお嫌いなのでは?それから私はアルブレクトではありません」
「エンドレ殿下とベアトリクス嬢の仲は随分良いみたい。卒業と同時に婚約発表してもわたくし驚かないわ」
「もしかしてデジェー殿下とエリカ様のことですか?名前、かすりもしていませんが」
「人目は考えるべきだったわね。アラダール公爵のところのギゼラ嬢は後ろ盾として十分すぎるでしょう?ヘンリク殿下が王位を狙っていると言われてもおかしくないわ」
「もしかしてわざとですか?」
「なにが?」
乙女ゲームへの転生とざまぁは双子の兄弟と言っても過言ではない。シンデレラに代表される成り上がりのラブロマンスにも見られるように、恋は障害があってこそ燃え上がるもの。そしてその障害を乗り越える様が読者に爽快感をもたらす。その障害を乗り越える、あるいはその障害が這いつくばる様をざまぁと呼ぶのだろう。勧善懲悪と道徳教育の賜物で、大概の日本人に刷り込まれたざまぁが乙女ゲームやらにシナリオとして組み込まれていることは別に驚くべきことではない。
ただ、それが現実になってしまった私からすればろくでもない話だ。
ここは日本ではないのに日本の価値観が根付いている。勧善懲悪が根付くのは構わないけれど、何を悪とするのかは日本とは異なる。当然政治形態も環境も身分制度だってそう。なのに日本で考えられている中世ヨーロッパ的ファンタジーを持ち込むものだから、現実と妄想が入り混じった非常に不安定な世界になろうものだ。
ゲームだけならなんの問題もないんだろう。都合の悪い部分は作らなければ良い。例えラプンツェルの原典で貞淑さを説くための失明が、今では閉じ込めていた魔女へのざまぁにとって代わろうと、そちらのほうが都合が良いのだから仕方ないというがごとく。
美しい容姿を持った男女が恋に落ちるだけなら政治も合理性も何もいらないのだ。必要なものは分かりやすい爽快感だけ。
おかげでゲームで語られることのない隙間が現実の欠落を埋めようと、大変歪な形になってしまったこの国はもう、ボロボロだ。
「確かにフランツィシュカ妃殿下のガスパル伯爵家は第一王子の後ろ盾としては弱いわ。だからこそミクシヤ公爵のジェシカ様が婚約者として定められたのよ。ベーラ殿下もそのことはご存知のはず。その上でジャネット嬢を、となれば、」
「お嬢様、わざとですね?お妃様の名前も公爵家のご令嬢の名前も、そもそも家名は間違えないのに第二王子殿下とエリカ様の名前はかすりもしない」
「わたくし、話を遮られるのは嫌いよ」
「それは申し訳ありません。……それから、それらの王家にまつわるドロドロ話は使用人に対して愚痴のように話すべきではないかと」
「ドロドロ話?まさか。これは醜聞よ」
「なおさらだよ」
正直、私が話すまでもないと思っていた。もうあの二人の関係に関しては学校中に知れているのではなかろうか。特に使用人の間での情報伝達速度は目を見張るものがある。その正確性もさることながら拡散力が洒落にならない。当然、ゴミのような内容も多く出回るが。
「それから、アルベール子爵家のカロリーヌ嬢も愉快よ」
「誰です、それ」
「デボラ嬢だったかしら、エミリー嬢だったかもしれないわ、フランセットかもしれないしガブリエル、エロイーズ、イローナ、ジョアンヌジュリージュディットカリーヌレティシア……まあなんでもいいわ、アルベール子爵家のご令嬢よ」
「お嬢様が名前を覚えていないということはよく、わかりました」
「そう、彼女は今外見が良くて、かつ実家の身分が高い男性方とか、別の言い方をするなら将来の身分が約束されている方々に言い寄っているの」
「……子爵家のご令嬢なんですよね?」
「そしてことごとく相手にされていないわ」
「目も当てられねえ」
まさに乙女ゲームを舞台にしたweb小説のテンプレートそのまま。子爵家のご令嬢が原作のヒロインで公爵家の自称転生者の彼女が悪役令嬢といったところか。
「ちなみに言い寄られている中には義弟もいるわ」
「えぇ……。ちなみにお嬢様、義弟どののお名前は覚えていますか?」
「当然。エリアスでしょう?」
「マティアス様です」
頭を抱えてしまった使用人に目をやる。どうしてそんなに嘆くのか私には理解できない。私が人の名前を覚えていないなんて今に始まったことじゃないのに。
「……ところでお嬢様、ざまぁが現実味を帯びてきたとはどういう意味でしょう?」
「露骨に話を変えてきたわね。まず、ざまぁというのは勧善懲悪の物語に、」
「その説明は要りません」
「わたくし、話を遮られるのは、」
「それも先ほど伺いました」
あんまりな態度だ。思わす睨みつける。
「……さあ。上から圧力をかけられるかもしれない。適当な都合をつけて冤罪でも吹っ掛けられても驚かないわ」
「なんです、それ。そんな横暴通るとでも?」
横暴だ。わかっている。でも絶対ないと言い切れるものか。ここがゲームの世界だと、そうでなくともそれに準じた世界であると、どこかのご令嬢は私に講釈垂れた。私だけなら妄想で済んだものを。
……などと言えるはずもない私は使用人から目を逸らした。
■
義弟が落ちた。儚い抵抗だった。
□
宰相家の青髪が落ちた。まさかの自称転生者公爵令嬢に。
■
将軍家の赤髪が落ちた。まあ健闘した方だろう。
□
特待生の紫髪が落ちた。公爵令嬢の方に心酔している模様。
■
自称転生者公爵令嬢がちらちらこちらを見てくる。
不愉快だったのでその日は不貞寝した。
□
今をときめくご令嬢に会った。
まさか歩いてるところを呼び止められるとは思ってなかったよ子爵令嬢さん。なるほど確かに彼女は可愛らしい。次々男を落とす手管はぜひご教授願いたいものだ。
彼女は私に会うなり会えて光栄だの将来はよろしくお願いしますだのを、絶妙に品のない笑顔で媚びるように言ってそのままどこかへ去っていった。
昨今の淑女教育の内容について深く考えさせられた。
■
私の使用人が色目を使われているらしい。相手は自称公爵令嬢のあの人。王子はどうした。
まあなんにせよ面白がるように教えてくれたメイドの子にはお礼を用意しておかないと。
□
「お前、近頃アラダール公爵のところのご令嬢と噂になってるわよ」
「なっ、お嬢様、なんてこと言うんですか益体もない。冗談でも首が飛びかねないんですけど」
「火遊びもそこそこになさい。わたくし、お前のしでかしたことの責任を取らされるのはごめんよ」
「火遊びも何も身に覚えがありませんが」
「それが事実かどうかなんてどうだっていい。ただ、噂になってるという事実があるだけよ。噂が事実よりまことしやかに語られることくらいお前もよく、知っているでしょう」
理解を示すように使用人は俯いた。この世界では少し珍しい黒髪が揺れる。
「わかったなら、いいわ。下がりなさい」
彼は動かない。
「下がりなさい、とわたくしは言っているのよ」
「お嬢様は、」
被せるように彼は言った。
「私の名前を覚えていらっしゃいますか」
少し困ったような、見慣れない顔だった。使用人としては間違いなく駄目出しをされるだろう。いつものお手本のような笑顔はどこに行ったんだろう。
さて困った。
ビレ、バグセッジ、カール。どれも違う気がする。けれどここで間違えたら何かまずいことが起きる気がする。
クリステン、クラウス、クリストファ。これも違うな、だからといって覚えている、と適当に濁すわけにもいかないだろう。
エイナル、フィーリプ、エマヌエル。覚えていると言ったって、では名前を、と言われたら困るし。
そもそも主人に対して何かをせびるような使用人が許されていいはずがない。もうなんでも良くないか?
「ディーデリク」
そいつは困った顔を変えないまま頭を下げた。
そして顔を上げていつも通りのお手本のような笑顔で私に問いかける。
「ところでお嬢様、最後に一つだけお伺いしてもよろしいでしょうか」
「許す」
「なぜアラダール公爵令嬢は自らの評判にそこまで無頓着でいられるのでしょうか」
「ああ、それは簡単なことよ。彼女は無頓着なのではなく理解していないだけ」
彼女は日本人としての記憶とか常識とか、そういうものがまだ抜け切っていないのだろう。私だって全て無くしてしまったわけではないけれど。
そして彼女は使用人に対して無関心なのだろう。もちろん前世のあれこれだけが理由ではないと思う。もしかしたら使用人を友人のように扱っているのかもしれないし、それは使用人を人とも思わず虐げる貴族よりはずっと素敵なことだろう。人道的にもね。
だが、
「きっと、身分が高すぎたのね」
まともな人間がまともな貴族に仕えていたなら、主人に対して下手に口答えなどしないだろうし、汚い部分は極力隠すだろう。仕える方だってわざわざ主人に嫌われたくもないだろうから。むしろ、気に入られていた方が過ごしやすかろう。そこに本当に好意があるかなど、些細な問題でしかない。
そして、そういう物語では説明されないことを教えるのは親の仕事だし、教わらずとも自ら学ぶ必要があることだ。例えば、使用人はあることないこと面白いおかしく吹聴することがある、とか。例えば、相手の弱みを握るために誰かが送り込んだ使用人の可能性がある、とか。それらを含めた使用人の扱いかた、とか。
彼女はそういうことを知らないのだろう。そういうことがあると思いもしないのだろう。そういう考え方自体は使用人を家具としか思っていない、そこにものを考える頭がついていると考えもしない典型的な貴族とよく似ている。
まあ、そういう貴族は大概使用人の扱いの上手い貴族に足元掬われて落ちぶれるんですけど。
「お嬢様は、私と彼女が懇意になることはいかがお考えですか?」
「一つ、とお前は言ったでしょう?」
なんにせよ欲をかいてはロクな目に遭わない。
よく知っているはずなのに、見慣れたはずの真意の読めない上手な笑顔が少し不愉快だった。
■
もう直ぐ一年が終わる。この学園には年度の終わりに例のごとくパーティーがある。ゲームや巷で流行の乙女ゲーム転生系の小説で愛されるあれ。みんな大好き断罪の場。
略奪愛をよしとしなかったのかこの世界、というか元になったゲームでは婚約破棄はない。そもそも攻略対象と思しき彼らに婚約者がいないのだから。それでざまぁしようとしたらやっぱりいじめとか?もしかしてざまぁない?それならそれで良いけれど。
こんなことならあの自称転生者にシナリオについて詳しく聞いておけばよかった。
□
間違いなくあの自称転生者に避けられてる。
私が何をしたってんだ。
■
今をときめいていた子爵令嬢がいつの間にか退場していた。彼女に落ちたはずの赤髪と緑髪は公爵令嬢に乗り換えたらしい。この尻軽め。
というかあの緑は義弟じゃないか。
□
例えば、なんらかの物語の登場人物に転生したとしよう。言うまでもなく私の現状なのだが。
もし、その物語のことが大好きで登場人物を愛していたならこの世界は天国だったのかもしれない。そこで自由に行動できて、かつて愛したキャラクターになんらかの影響を与えて、あわよくば侍らせちゃったりして!それを目的に生きる転生者もいるのではないか、なんて自称転生者な彼女を見ていたら気づいた。
まあ、大体の人間が記号にしか見えない私からしたら、気づくだけ無駄な話ですが。
ただ、私以外の転生者にとって、この世界はどう見えているのかが少し気になっただけだ。
■
城に呼び出された。そして第一王子妃(内定)の公爵令嬢にこってり絞られた。
曰く、噂の管理はきちんと行うように。
曰く、殿下と公爵令嬢をきちんと諫めるように。
曰く、彼らの振る舞いの後始末はきちんと行うように。
全く、この人は私にどんな期待をしてるのか。私はいずれ国母となられるであろう公爵令嬢様の家に比べれば吹けば飛ぶような取り巻き貴族の末端令嬢なのに。そんな木端貴族が公爵令嬢やら王族の方をご意見申し上げろって?冗談も休み休み言って欲しい。自分の家はとびきり身分の高くて全て思うがままと思っていたあの頃の自分を張っ倒したくなる。
しかしこの公爵令嬢とあの公爵令嬢の違いはどこから来るんだろう。
だからってこの人みたいにサイボーグ化されても困るわけですが。
□
使用人に避けられてる気がする。
甘やかしすぎたかもしれない。人は甘やかすとつけ上がるということを忘れていた私の失態か。
■
待ちに待った年度末のパーティーである。期待したようなざまぁパーティーはなかった。
しかし子爵令嬢が退場してて公爵令嬢の方がイケメンを侍らせている現状を見ると、ヒロインが失敗しただけなのか、web小説じみたざまぁがされた後なのかいまいち判別がつかないな。
ところでどうして彼女は私の使用人を連れているのだろう。
□
年度が終わればまとまった休みがあるのはこの世界でも同じらしい。その休みが始まってすぐ私は学校に召喚された。できればしばらく会いたくなかった次期第一王子妃に呼び出されて。
向き合った彼女の表情からはなんの感情も読み取れない。いつも通りだ。しかしなぜわざわざ彼女がこんなところまで来ているのか。私に用があるならいつも通り城なり公爵家の屋敷に召喚すれば良いものを。
「なぜ、という顔をしていますね」
なぜ分かった。
「あなたはいつも分かり易い。与し易いわけではないのが救いですね」
分かりやすいなんてこの方にしか言われたことないが?
しかしそんなことをわざわざわざわざ口に出すこともない。不興は買いたくない。何をさせられるか分かったものじゃない。
「さて、本題に入りましょう」
彼女は音を立てて扇を開いた。
「あなたには隣国に行ってもらおうと思っています」
「……はぃ?」
はい?
「間抜けな返事ですね」
「いえ、わたくしは……、わたくしは放逐されるような失態は犯していないと存じ上げますが」
「ええ。あなたは何も。そう、何もしておりません。ですからちょっと、隣国で働いていただこうかと」
わたくし、あなたには期待しておりましたのよ。きちんと第二王子を御し、学園を整え、噂を管理し、有事には後始末をすることを、と彼女は平坦な口調で顔色一つ変えないまま嘯いた。
この人は本当に私に何を期待しているのだろう。この甘やかされて育っただけのやる気もない貴族の令嬢に。もっと有能で美しく、彼女に心酔する令嬢なんて他にいただろうに。それこそ、私と同じ年齢にだって思い当たる節は何人もいる。
そもそも、自分にできることは他人にもできて当然だと思わないでほしい。私はあなたほど有能じゃない。
「婚姻などと勿体ないことは言いません。名目としては交換留学です。本来であればエリカ・アラダールを送り込む手筈でしたが……今の彼女は国外どころか、外に出せる状態ではありませんので」
少なくともこの休みは謹慎ですね、そう言う彼女がうっすら笑っていた。見下した笑みだった。他者に向けられたものと分かっていても背筋が凍る。
それと勿体ないってなんですか。
「……お嫌いですか、ジェシカ様」
「わたくしは身の程を弁えないものより、自分の行動の及ぼす範囲を知らぬものの方が嫌いです。あなたはよくご存知でしょう」
さて、と彼女はいつもの能面に戻った。
「あなたの家にも話は通してあります。まあ別の仕事も回していますけれど、」口調だけは悩ましく、口元に扇を添え、けれど無表情に「ああ、体裁としては勅令の形を取っておりますがお断りいただいても構いませんよ」
断らせる気などさらさらないくせによく言う。
差し出された紙には交換留学の文字と私の名前、それから当然のように国王の名が連ねてある。もうこの国を動かしているのは目の前のこの人ってことで良いのではなかろうか。
「……謹んで、拝命いたします」
「そう、それは良かったです。では、すぐに発つように」
「すぐ」
「はい、すぐに。……馬車はすでに学園の前につけてあります」
「謀りましたか」
「まさか。餞別と言ってほしいくらいです。向こうでの暮らしもこちらで支度しておりますので。……後はあなたが到着すれば完成です」
いつから支度してたんだ。この人やっぱりちょっと怖い。
「安心してください。あなたのいなくなった学園には別の手駒を送り込みますし、エリカ・アルダールはきちんと片付けておきます」
彼女はにっこりとお手本のような笑顔で言った。
何をどう片付けておくのか。家の位で言うならアラダール公爵家もミクシヤ公爵家も同じはずなのに。この人の笑顔は本当に怖い。
「ですから、あなたは……休暇とでも思って楽しんできてくださいね」
そもそもまだ仕事とか考えたくもない学生の身分のはずなんですけどね。
■
「……さま、……!……、……様!」
どこかで聞いた声だと思ったら私を避けていたはずのテンプレート公爵令嬢が私を引き止めている。これはどうした心境の変化か。
「あの……、隣国へついほ……いえ、この国を出られると聞きましたの」
「ええ、アラダール様におかれましては大変お世話になったので……ご挨拶にも伺うことができず申し訳なく思っておりました」
追放って言いかけたなこいつ。
「そんな、わたくし……寂しいですわ」
私は全くもって寂しくない。
「アルベール子爵令嬢が退学したのはあなたのせいとかいう噂もありますし……家の方も大変と聞きましたわ」
そういうことになっているのか。
「あ、でも噂ですのよ」
そこまでいうと彼女は声を潜めて話し始める。
「ところで、やはりこれは断罪イベントと思いますの」
「断罪?わたくし、断罪されるようなことはしておりませんが」
「アルベール子爵令嬢を退学させたと聞きましたし……マティアスを虐めたとか家が傾いて良くないところからお金を、という話もゲーム内では理由として挙げられていましたわ。……それに、」
誰だマティアス。
さて、なるほどゲームの私はジェシカ様の手下ではなかったのかもしれない。そして我が家も王家の忠実な僕ではなかったのかもしれない。
これは今の私たちとゲームの間の明らかな差異だ。少なくとも怪しいところからお金を借りるような真似はしていない、はずだし、私はジェシカ様の使い勝手の微妙な手駒だ。取り巻きの悪役令嬢って言うなら可能性はあるけれど、彼女の話を聞く限りゲーム内の私はただの単独犯だ。しかも義弟を虐めだけとか身分(言うほど高くない)を傘に着て偉そうに振る舞うとか、そんな使い勝手の悪そうな駒、あの次期第一王子妃が使うとは考えにくい。
こんなところでゲームとの差異を実感するなんて。
今更、とは言わないけれど。
「ですから、もしかしたらわたくしがあなたを、わたくしが辿るべき“ざまぁ”に追いやってしまったのではないかと思っていますの」
何やら話し続けていたらしいけれど何を言っているのかよくわからない。じゃあ変わってくれますかって言ったら変わってくれる訳でもなかろうに。
……そういえば本来、目の前のこの人が隣国にはいくはずだったんだっけ。
「えっと、アルベール様がおっしゃる“ざまぁ”というものはわたくしが隣国に行くことですか?」
「ええ。嫁いで行かれるのでしょう?侍女や護衛なども連れて行くことが許されないなんて人質のようですわ。おかわいそう。しかも冷遇されるとゲームでは、」
なるほどそうなればそれは紛うことなく“悪役令嬢”の“ざまぁ”である“追放”の一種であろう。しかしなあ、
「えっと、アラダール様、」
「最後ですもの、エリカとお呼びください」
勝手に最後にしないでほしい。
「アラダール様、わたくしは交換留学で隣国へ参ります」
「……交換留学」
「恐らく一年でこの国に帰ってくる予定です」
「……帰って、くる?」
「はい」
理解できない、と言った顔で首を傾げる自称転生者。顔は悪くない。美しい容姿の血を取り込んできたのだろうと分かる顔立ちに、湯水のように金銭をかけて手入れされたであろうその髪も、肌も、さらに愛されて育ったのだとわかる表情まで加わればそれは当然美しいだろう。
けれどそれだけなのだ。その程度の美貌、ちょっと古くてお金のある貴族を見ればいくらでもいる。
本当に、将来有望な青少年がどうしてこの人にわざわざ入れあげるんだか理解できない。
うっかりフリーズさせてしまったけれどそういえば私は馬車を待たせていたはずだ。それも偉い人がわざわざ用意したものである。そう思うと一分一秒が惜しい。
「そういえばアラダール様、最後に一つだけお伺いしたいことがございます」
私だってジェシカ様と使用人としか喋っていないわけではない。腐っても貴族の娘、表情を作るのは得意だ。
「わたくしの使用人、お気に召しました?」
□
なるほど確かに良い馬車である。あの人が用意するだけある。恐らく御者も良いだろう。
しかし理解できないことがある。
「……なぜ、お前はここにいるのかしら、ユリウス」
「生憎、俺はユリウスって名前のではありませんから分かりかねますね」
「ヨーウェン、」
「誰です?それは」
「……ニコライ、」
「存じ上げませんね」
「イェスタ、いい加減に、」
「ところでお嬢様、きちんとご挨拶は済ませてきましたか?旦那様とか、奥様とか、兄君とか、……義弟君とか」
俺は済ませましたよ、と指折り数えるその顔は見慣れた物だ。比喩でなく親の顔より見た顔だ。だからこそ不愉快だ。付け上がった使用人の態度、では説明のつかない何やら言いようのない不快感が湧き上がる。
「……なぜ、お前がここにいるの」
「簡単な話です、クビになったんです俺」
「クビになったのなら、わたくしとお前は他人ね?今すぐ降りなさい」
「お嬢様は走っている馬車から飛び降りろと?」
「わたくしはお前のお嬢様ではなくなったわ、お前がクビになった時にね」
「では、ディテ様。ことのあらましを説明させていただきます。ことの発端は、」
「待って。お前、今、わたくしをなんて?……、いえ、何でもないわ。お嬢様のままで良いから続けなさい」
「はい、やはりアラダール公爵令嬢とのことが噂になっていたようで、そのまま流れるようにクビです。向こうが一方的に仕事の邪魔をしてきただけなんですけど権力って怖いですね。ミクシヤ公爵令嬢は物理的に首が繋がっていただけ幸運と言っていましたが」
いったいあの人とこいつにどんな接点が。
「それから職を失った俺はお嬢様に雇いなおしてもらおうと思ったんですけど、どの面下げて、とミクシヤ家の当主様に罵られお嬢様のお父様にも罵られ、」
「ミクシヤ公爵にまでお前迷惑をかけたの……」
「そして大変傷ついた俺がそのままいくらでも甘やかしてくれるアラダール公爵令嬢に流れても何ら不思議なことはないと思いませんか」
「今からでも遅くないから一緒にジェシカ様に謝りに行きましょう。ついて行ってあげるから」
頭が痛い。これは間違いなく酔いではない。
これ以上あの人に借りは作りたくないのに。後でなんと言われるか。いっそ家に帰りたくない。隣国にずっと居るべきなのではなかろうか。いや、しかし。
そもそもこの目の前で自慢げな顔をしているこいつは何を考えているのか。年度末のパーティーで自称転生者の彼女のそばにいた理由こそ分かったものの、いま私と同じ馬車に乗っている理由にはなるまい。
一人称が俺になったことも気になるし。
いや、聞きなれないだけだが。
とにかく比喩でなく親の顔より見た顔のそいつが急に知らない人間になったような、この言葉にできない不愉快な気分をなんとする。
「それで?お前はどうしてここにいるのかしら?いっそそのままマーリア嬢の世話になっていれば良かったものを……」
頭が痛い。
「だってお嬢様、放っておけませんから」
どこか自慢げな使用人が私を苛立たせる。捕まえた虫を自慢する子供みたいな顔しやがって。お手本みたいなあの笑顔はどこに置いてきた。
「お嬢様は人の名前は間違えるし、そもそも覚える気がありません。外面はそこそこ良くできるのに実際はやる気のかけらもありませんし、ミクシヤ公爵令嬢に睨まれないとろくに令嬢らしいこともしません。人に甘やかされることは当然の権利として享受するくせに、甘えることがびっくりするくらい下手で、だからといって手を伸ばしもしない」
「ろくでもない人間ね」
「大事にしてた物を取り上げられたところでろくに抗議もしませんし、とにかく物に、人に、執着もありません。かといって寛容なわけではなく、むしろ無駄に傲慢で怠惰で……」
「そうかしら」
「そのくせ、下手に有能なものだから仕事は押し付けられるし妙な期待はかけられるし要らない苦労を背負い込んで」
「随分知ったようなことを言う」
「見てましたからね、ずっと」
言わせておけば。
ずっと見てたなどと言わせてなるものか。私じゃないくせに。私の家族じゃないくせに。使用人のくせに。何を知ったようなことを。
他人のくせに。
お手本のような笑顔はいつまで留守にしているのか。知識をひけらかすように滔々と語る不愉快な顔を見ていられない。特に話の内容が自分のことだと思うと不愉快さが増す。
「そして、お嬢様は人が駒か記号でしかないと、そう思っていることを知っています」
だから人の名前が覚えられないんですよね、少し呆れたようにそいつは言った。思わず目をやると困ったように、少し眉を下げて口角はゆるく上がって、目尻は下がって、……いや、違う。私はこの表情を知っている。困っている顔ではない。これは、
「どうせ、私の顔なんて認識してないんだろうと思ってたんですよ。名前なんてもってのほか。適当に軽口を叩いてちょっと構って、でも簡単に切り捨てられる。そういう使用人として雇われているって感覚でしかありませんでしたからね」でも、とさらに目尻が下がる。思い出すように目を動かして「肝心なときには絶対間違えないんです、あなたは」
実際そのつもりだ。都合が変われば解雇する。今だってその考えは変わらない。契約に基づく関係は契約の破棄で白紙に戻って然るべきだから、その契約に勝手になんらかの感情を託して誰かに愛着を持つなんて馬鹿馬鹿しいでしょう。
それなのにどうしてそんな、感情の滲む声で、顔で、語るのか。そんなこと正しくない。私は認めない。
「ディテ様、きっとあなたには分からないでしょう。あなたは俺じゃありませんし。俺がどうして、どんな考えでここにいるかなんて。でもそれで良いじゃないですか。ずっと一緒だったんだからこれからもそうあるのが正しいと思いませんか?」
「……理論の飛躍だわ。そんなよく分からない理由で納得など、」
「別に納得なんてしなくても良いんじゃないですか?とりあえずディテ様は気心の知れた使い勝手の良い使用人が隣国でも手元にあると思えば良いと思います」
「使い勝手が良いだの気心のしれた、だの自分でよく言えたこと、図々しい。知ったようなことを言わないでちょうだい。不愉快よ」
「でも、俺はお嬢様が実は人を甘やかしがちなのを知っています。お嬢様が真剣にものを頼まれたら断れないことも知っています。面倒くさがりのくせに完璧主義で苦労するのを知っています。あと案外素直じゃない」
彼はいつになく饒舌だ。どこか楽しそうにすら見える。
私はもう疲れた。もうどうとでもなれ。
「クビにされた元使用人がよく喋るものだわ」
「照れ隠しですか?」
「それと私はディテとかいう名前じゃない。勝手な愛称を付けないで」
「かしこまりました、ディテお嬢様。ところで些か口調が崩れていますがお疲れですか?」
「……誰のせいだと?」
「俺がお嬢様の感情をどうこうできていると思うと何やら背徳感すらありますね」
「口を慎め。それから一人称は直しなさい」
「俺もうクビになったのでこの口調崩したって誰も文句は言えないと思うんですけど」
「言い方を変えるわ、このままついてくる気なら最低限取り繕いなさい。さもなくば今すぐ降りろ」
調子が出てきましたね、と少し細くなる灰色の目は見慣れた色をしている。機嫌が良くなると細くなる目は猫に似ていて、光の具合で銀に光るのだ。
気づけば嫌な気分になるあの表情は引っ込んで、すっかりいつも通りの笑顔だ。身近な人間の知らない表情を見て、新しい一面を知ったと素直に喜べたならもっと私も楽に生きられただろうに。それでも私は見慣れた表情の方がずっと良い。
「仕方がありません。一人称を正すかお嬢様をディテ様とお呼びするかどっちかお好きな方をお選び下さい」
「なんでお前が折れてやったみたいな形になっているの。どちらも当然お前の果たすべき義務の、……、あっ」
「かしこまりました、ディテ様の仰る通りにいたしましょう」
「ディーデリク!」
「はい」
そいつは良い笑顔で笑っている。
「あなたがそうやって俺を呼ぶ限り、俺はきっとあなたについて行くんですよ、ドロテア様」
■
かくして、私の乙女ゲーム転生は学園からの追放という形で一旦の区切りをつけた。特筆すべき点も特にない、どこかで聞いたような話は悪役令嬢が逆ハーレムを築くという何番煎じかも分からない結末を迎えて、私は帳尻を合わせるように馬車に乗っている。
こんなありきたりで使い古されたテンプレートを成立させるために十数年も人生を消耗していたと思うと寒気がする。控えめに言って人生無駄にしすぎだろう。
けれど、ここからはきっと自由だ。他人の書いた筋書きはもうないのだ。そう考えると少し愉快な気持ちすら湧いてくる。
なんなら最初からシナリオなどぶち壊してやると行動してもよかったのかも知れない。所詮自分も誰かの作ったキャラクターに過ぎないから、と虚無主義者を気取るなんて痛い。痛すぎる。厨二病もびっくり。少なくとも悪役令嬢のざまぁの物語はお約束への反逆の上に成り立っているし、この世界の彼女だってそうしたから、こういう結末を迎えたはずなのに。
「ねえ、お前」
「なんでしょうディテ様」
それに、いくら人が記号にしか見えないと言ったところで私にだって情はある。
「さっきの話、どこまで本当だったのかしらね?」
目の前のこの使用人は本当にずっと、私に仕えていた。覚えている記憶にはこいつが居ないことの方が少ないし、考えうる限りこれからの人生においてもそばに居ないなど、想像もできない。
だから、私はこいつのこのお手本のような笑顔を信じている。感情をこちらに悟らせないことを認めている。
私に真実を話さないことを許容している。
「さあ。何を言っているのか理解しかねますね。私はいつだってお嬢様に対して誠実であらんとしておりますので」
「そう。なら別に良いのよイブ」
私は私なりのやり方で目の前の彼を特別に思っているのだから。
だって、ずっとそばに置いていて一切の情が湧かないなんてことがあろうか。名前を覚えずにいられようか。目で追わずにいられようか。
はじめは本当に名前だって覚えていなかったし、顔だって他の人との区別なんてついてなかったけれど。
けれどどうして、彼は私にとって記号でない人間になってしまったのだから仕方ない。これを特別と呼ばずしてなんと呼ぼう。今では私が彼の名前を間違って見せることすら、ほんの遊びで、それから少しの意趣返しに過ぎないというのに。
「ディテ様、私の名前はイブではありません」
「そうだったかしら」
だから、彼が理由は分からないけれど私たちの関係を変えようとしたことだって許してあげる。
つまるところ、私たちはどちらもきっと、本心を晒すのが怖くてしょうがない臆病者で、そして嘘つきなのだから。
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