心霊ナース
居酒屋チェーンのお座敷席、ポスコロ・カルスタ系のいかがわしいカルチャー講座の二次会だった。ちょうど長方形の対角線に当たる席に、僕、そして彼女はいた。二人ともちょっと浮いた感じだった。
受けつけ、資料の配布、講師陣の著作の即売など、僕は一応主催者側の人間だったので、隣りにいた講師の一人の肩を小突きつつ、
「あのひとなんか、退屈しちゃってる感じなんだけど……」
と、彼女に対するなんらかのケアを促したのだが、
「ああ、あの子か……」
と、その講師、文学博士の高橋は、微かに眉を顰めるような素振りを見せた。
どっか翳があるようなところはあったが、視線がシュッとしてて、鼻筋もスッと通り、口もとにもいい感じの緊張感があって、まあかなりの美人といっていい女性だ。そして高橋は、弟子の女子学生とスキャンダルを起こし、いまは野に下ってるような女好き。反応が解せなかった。
「あのひとになんか、問題でも?」
「いやまあ、特に問題ってわけじゃないんだけど、話がちょっと、個性的過ぎるってゆうか……」
僕は彼の猪口に酒を足しつつ、先を促す。
「何か憑いてる、なんてゆうんだよな、この講座の関係者の誰かに……」
「えっ? そりゃやっぱ問題でしょ? 他団体の勝手な宣伝? だよね? まあこのカルチャー、ルドルフ・シュタイナーの講座なんかもあるわけだけどさ、そっち系のひとたちに眼ェつけられるとはなあ……」
「いや一応、宗教とかってわけじゃないんですって、前振りがあっての話だったんだけどさ……」
僕も彼も、なんだか酒が進まなくなってしまった。やがて彼がやや声を潜め……。
「おっ、西角君立ったな。トイレか? 君、彼と入れ替わって、あの子の話、それとなく聴いてみてくれよ」
というわけで僕もトイレに立つ感じで、途中でそのもう一人の講師を捕まえ、彼に席替えをお願いする。彼は一も二もなく「助かったよ」と応じた。
「いやモォ参っちゃったよ。僕か、それとも君か、とにかく二人のうちどっちかが、なんかに呪われてるんだってさ。まだいたんだな、ああゆうのさ」
「ぼっ、僕っ?」
何やら包囲が狭まったような感じがして、さすがに厭な気分になった。ただこれで、彼女から話が聴き易くなったかもしれない。
できるだけ自然な感じを装いつつ、
「ゴメンなさい、西角先生、なんか次回の打ち合わせがあるとかって話で、なんか講師同士で……。換わりにここ、いいっすよね?」
と声をかけたのだが、どこまで自然に話せたかどうかは、はなはだ疑わしい。彼女のほうはなぜか花が綻ぶような表情を見せ、
「よかった。あのひと、西角先生? 全然話聴いてくれないようなんで──」
と、意外と声もはきはきしている。とはいえそのため、僕のキョドッたような態度は、かえって増してしまったかもしれない。
それでもなんとか気持ちを静め、彼女の隣りにチョコッと収まる。まあ脚は崩していたが……。彼女のほうは? 脚、痺れないのだろうか? 実に自然な佇まいで、そんなようすは微塵も感じさせない。
いつの間にか銚子を手に、
「あの、お猪口は?」
などと訊いてくる。
「あ、参ったな。あっちに置いてきちゃったみたい」
「それじゃもし、これでお厭でなかったら……」
「えっ? えっ?」
彼女は一旦銚子を置くと、自分の猪口をキュッと乾し、そしてそれを、こちらに差しだしてきた。なんだか断れない。猪口いっぱいの酒を、こちらもキュッと乾した。彼女がまたパッと微笑む。最初の翳がある感じからすれば、それはギャップ萌えさえ感じさせるほどで……。
「よかった。お酒はお清めになります。応急処置です」
「ハハッ……。通夜なんかでも酒、飲みますもんね……。なんか僕たち、呪われてるとかって……」
単刀直入にいこうと思ったのだが、やはりどうしても、言葉の歯切れが悪くなってしまう。しかし、彼女のほうは──。
「呪われてるってゆうか、ただ単に、誰かがついてきちゃってる感じで──。女性ですよ。そして特に、あなたに憑いてます」
「えっ? えっ?」
こうなるともう、二の句が継げない。
「私、七月にもこの講座、参加させてもらったんですけど、そのときは確かに、生きてる方だなって感じたんですけど──」
再度猪口いっぱいに酒が注がれる。飲んだほうがいい? と眼で伺うと、彼女はコクッと頷く。あまり強いほうではないのだが……。そしてやはり、僕が言葉を見つけらずにいると……。
「あなたと、あちらのお二人の共通のお知り合いで、そうですね、例えば長患いしてて、最近急に亡くなられた方とか……」
「まあ大学のゼミが一緒だったから共通の知り合いは多いんだけど、長患いしてたとか、そうゆうのは、特に……」
沈黙が落ちた。やがて彼女がポツッといった。
「私、看護師なんですよ。それなのにこんな話……」
視線が落ちた。
「ああこの患者さん助からない、とか、この患者さんまだここにいる、とか、いろいろ見えちゃうと、いろいろ辛いんですよね……」
「意外と多いんですよね、そういう看護師さんって……」
今度は自然に言葉がでた。でまかせではない。
「以前宗教のハシゴみたいなことしてて、そんときまあ……。僕はその頃、何かを物凄く信じたくて、でも結局、どれもダメで……。宗教なんてハシゴするようなもんじゃないんだけどね……」
彼女は軽く吹きだしたようだ。そしてまた銚子を手にする。だがそろそろ、こちらは限界っぽい。
「飲まなきゃダメ? 実は僕、酒弱いんだけど……」
「そうですね。お酒のお清めは応急処置です。できればその、ちゃんとさせてもらいたいんですけど……。あの、ここ、でられませんか?」
一体どんな秘儀が施されるのだろう? カーマ・スートラ的妄想が臍の下辺りをざわめかせる。と同時に、手かざしかなんかかなといった現実的な当たりもつけた。結果は?
予想外に生々しい儀式が、僕を待っていた。まず第一に、儀式の場所がラブホだった。彼女のほうがチープな城館風の尖塔を見上げ、
「ここで、どうですか?」
と訊いてきたのだが、僕のほうはとっさには応えられず、
「えっ? あの、その……」
などと口ごもってしまった。かえってかっこ悪かったなと思う。
儀式自体には彼女の黒髪が用いられた。
僕はベッドの端っこに座らされ、彼女がその前に跪く。上目遣いの、チワワのような眼で見つめられる。
「できれば利き手のほうがいいかな。袖を捲くって、こちらに差しだしてください」
そして彼女は自分の髪を一すじ引き抜き、それを口に銜え、スッと滑らせた。その唾液に濡れた髪が、僕の右の手首に結びつけられて……。ひょっとすると、これは結構怖い状況なのかもしれない。