チュートリアル1
(げッ!? ここ、理事長室じゃん!?)
ホームルームの後、ちょっと話があるということで千晶先生についてきた俺達だが、先生が向かった先は職員室ではなく、学校経営のトップである理事長の部屋だった。
「佐藤です。失礼します」
先生はノックをして中へ入る。
俺と紅坂も緊張しながら、その後に続いた。
「申し訳ありません。少々、遅れました」
先生は入るなり、部屋の中に待っていた三人に頭を下げる。
一人は皇高校の理事長である佐藤理事長。
若い頃ラグビーでもやっていたのではないかと思うほど、ガッチリとした貫禄ある体型をしている。
入学式の挨拶のときに壇上へ上がったのを見たくらいで、特に面識はなく、こうして間近でお会いするのは今回が初めてだ。
残りの二人だが、一人は頭の禿げが目立ち始めた田中校長先生。
そして、もう一人は理事長の秘書である女性だ。名前は知らない。
「ホームルームが長引いたのだろう。一向に構わん。まぁ、掛けなさい」
「失礼します。それじゃあ、二人とも」
理事長に促され、先生は応接用のソファに腰を下ろすと、俺達にも座るように促した。
長机を挟み、俺達は理事長と対面する形となる。
「いつも娘が世話になっているね」
俺達がソファへ座ると、理事長は優しげな顔で俺達に話しかけてきた。
はて、娘?
クラスに理事長と同じ姓の奴って、先生しか……
俺が千晶先生の方を向くと、先生は珍しくクールな表情を崩している。
もしかしなくても、そうなのか。
日本で一番多い名字だから、名字が同じだけの赤の他人だろうと、まったく気にもしてなかった。
「あら、千晶ちゃん。生徒達に自分が理事長の娘だって、言ってないの?」
秘書の女性のこの言い方には、少し悪意を感じる。
千晶先生が理事長の娘なら、コネで採用されたのでは? という偏見を持たれないわけがない。
そうした偏見は一番本人が気にしているはずなのに、平気で口にしたこの人の心理。
ただの天然か。それとも……
「理事長」
先生はここで毅然と話の腰を折ると「今は仕事中です。公私のけじめはつけていただきたい」ときっぱり言った。
「そうだったな。では、さっそく仕事の話をしよう。千晶先生。例の話だが、この二人を連れてきたという事は、我々に協力してもらえるという意思表示と捉えて良いかね?」
「私はこの学校に雇われている身ですので、御命令とあれば、当然それに従います」
千晶先生の言葉に、理事長と校長は顔を見合わせ満足そうに頷いた。
秘書の女性も、ほくそ笑む。
俺と紅坂だけ、何の事やらサッパリだった。
「ただし、理事長も私からの要望は呑んでいただけると捉えてよろしいでしょうか?」
「無論だ。モデルクラスとしてやってもらう以上、生徒達への報酬はもとより、万が一の保証やアフターケアについても当然責任を持たせてもらうつもりだ。もちろん、千晶。お前へのサポートも全力でやらせてもらう。なぁ、田中君」
「はい、理事長。もちろんであります。千晶先生、頑張ってください」
この会話から察するに、どうやらウチのクラスで何か新しい学校の教育的な施策を実験するのだろう。
そして報酬だとか、責任だとか、そんな言葉が出る事から、恐らく他に例がないほどの凄い事に挑戦をしようとしているとみた。
「では、さっそくこの二人にも説明していただけますか。あくまで彼らが主役ですので」
「そうだな。月島君、例の物を」
「かしこまりました」
月島と名乗る理事長秘書は俺と紅坂の前にカラー刷りの冊子を置いた。
表紙には『ヴァーチャル教育実践プログラム』という表題がつけられていた。
「二人は聞いたことないかな。VRMMOって」
「VRMMO!?」
二人揃って、大きな声をあげてしまった。
その言葉を知らないはずがない。今、世界的に注目されている最先端技術だ。
VRMMO―――バーチャル・リアリティ・マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン。
VRはコンピュータが創り出す仮想現実の事であり、小説や漫画の世界においては、この仮想世界は現実世界と寸分違わぬ未知の世界として確立され、MMOすなわち大規模多人数が同時にその世界へアクセスし、共有して、交流する中で物語が展開される。
そして、その究極こそ、ネットオンラインゲームのようなファンタジー世界を通じて交流できるVRMMORPG《仮想大規模オンラインロールプレイングゲーム》という形態だ。
この世界初のVRMMORPGを公に発表したのは、日本のゲーム開発会社『アルバス』だ。
それこそ、今、アルバスの株は過去に例を見ないほど急騰していると言う。
「ゲームデバッグ、当たったんですかッ!?」
俺はつい身を乗り出してしまった。
アルバスは2年間という期間を設けて、VR技術の実験やゲームの試験運用等を行い、それに参加するデバッガーを一般人より公募している。
募集人員は1000人。
これを今年度5月、6月、9月、3月と四回に分けて抽選し、当選者をゲームデバッガーとしてVR世界へ送り込んでいる。
実は俺も応募していた。すでに3回行われた抽選はすべて外れている。
募集人員の10倍を超える人数が応募している様なので、ほぼ諦めていたのだが……
「君の言うアルバスの一般募集枠とは違うのだが、研究機関に伝手があってね」
結果、今回の話に繋がったという。
「さすがに全校生徒全員分のハードを用意するのは難しいが、一クラス分なら可能だそうだ。今の3年2年には受験の方を頑張ってもらわなくてはならないし、来年入ってくる新入生にいきなりというのも大変だろう。丁度、良い時期にあたるのが、君達1年生だ」
期間はアルバスのデバックと同じ来年度の3月末。
そうなると、確かに今の俺達1年が良い時期にいる。
「それで、わたし達のクラスが選ばれたってことですね」
一応、A~H組まで8クラスを公平に抽選したようだが、実際はどうだか。
でも、もし千晶先生のおかげだとすれば、先生には感謝しかない。
俺、先生の頼みならもう文句は言わず、何でもやりますよ。ほんと、マジで。
ただ理事長の話によると、これから1年半、自由にゲームをさせてもらえるそうだが、まったく制約がないわけではなかった。
「将来的には学校の新しい教育システムとしても検討している案件だから、それを含めてやってもらうことになるがね」
「と、言いますと?」
「VR世界は私達がいるこの現実世界の3倍の速度で時間が進んでいるそうよ。現実世界の24時間の経過は、向こうの世界で3日すなわち72時間に換算されるとして、勉強時間の確保という観点から考えれば、VR世界の方がはるかに勉強には適しているかもね」
千晶先生の言葉に、俺と紅坂は顔が引きつった。
確かに効率とか、学習効果とか、そうしたものを度外視して単純に勉強時間だけ見れば、VRを導入するメリットは大きいし、受験生ならこの上なく有り難い話だ。
だが、まだ1年生である俺らにしてみれば、ゲームに普段の勉強も兼ねられるとげんなりする。
(まぁ、ウチは進学校だし、仕方がないか……)
それにゲームデバッグという立場上、自分達は自由なプレイヤーではない。
プレイに様々な制約がつくのは、当然である。
自分の好きな様にゲームをしたければ、実際に発売されるのを待つしかない。
ちなみに、発売されるまでのスケジュールを言えば、俺達が高校3年の期間で今回のデバッグのデータを基に、市場へ出すための最終調整を行い、そして大学生になる年に満を持して発売するというスケジュールで話が進んでいるそうだ。
「あと、研究機関の方々がサポートスタッフとして協力してくれるそうだ。なんでも、学校の一クラスを丸ごとゲームデバッガーにするという私の企画に随分と興味を持ってくれたようで、ぜひデータをとりたいそうでね」
理事長は自慢げに話をした。
どうも学校も多額の報酬やヴァーチャル教育実践プログラムの導入にも協力が得られると良い事尽くしのようだ。ただ聞いていると、旨い話過ぎて少々胡散臭くも感じたのは、俺だけだろうか。
その後、理事長は一通りの説明を終えると、何か質問があるか聞いてこられた。
ここで、紅坂は迷わず手を挙げた。
「わたしから一つ良いですか?」
「どうぞ、紅坂さん」
「ありがとうございます。では、先ほどわたし達F組がモデルクラスということで選ばれたと仰いましたが、みんな様々な事情があると思います。青山君みたいに帰宅部なら暇でしょうし、好きにできるとおもうのですが」
「おい!」
「ですが、運動部の人達は大変かと思いますし、塾へ行っている子もいるはずです。そうなってくると、まとまってプレイするのは難しいかと」
お前もそんなに忙しい部活やってないだろ、というツッコみはひとまず置いておき、紅坂の質問は聞いておかなくてはならないことだった。
「その点は心配いらないよ。これまで通り生活を送ってもらえればよい」
「つまり、1時間でも2時間でも、各々の空いた時間で自由に参加して良いということですね? スケジュールが忙しくて参加できない日があっても構わない。強制ではなく、可能な限りの自主参加という解釈でよろしいですか?」
紅坂は念押しするように確認した。
普段はどこか飄々としたところのある女だけど、しっかりするところは、ちゃんとしっかりしているよな、紅坂って。
「もちろんだ。部活でも、バイトでも、デートでも大いにしてくれ。ごく普通の皇高生としての日常を送ってもらうからこそ、このテストの意味がある」
「ありがとうございます」
「青山君の方は何かあるかね?」
「自分の思った事は今、紅坂が聞いてくれたので、今のところ特に……」
実際に聞いてみたいことがないわけではないが、細かなところをこの場で聞いても仕方がない。
それよりも……
「その。今日、少しやらせてもらうことって可能ですか?」
「あら? 珍しく積極的ね。青山君」
そりゃあ、千晶先生。やりたいからですよ。
「もちろんだよ。ぜひ、やってみてくれたまえ」
理事長は快諾してくれた。
そして、月島さんにこう言った。
「月島君。これから彼らを野球部寮へ案内してやってくれ」
野球部寮?
確か、ウチの野球部って10年くらい前に寮制が廃止されて、全員自宅から通っている。
そのため建物自体は残っているが、今は利用されていないはずだ。
「そうだ。一つ言い忘れていた。ゲームは野球部寮でやってもらい、外への持ち出しは禁止だ」
「自宅でもダメということですか?」
俺が尋ねると、理事長は頷く。
「無論だ。また期間内に知り得た情報も口外することは禁ずる。もちろん、学校としてヴァーチャル教育についての公表はするが、あくまで運営会社アルバスが公表を許可したものに限りだ。君達も公表された情報以外、機密になりそうな情報はむやみ他のクラスの友達に話さない様に。場合によっては損害責任等が問われてしまう案件にもなりかねない」
なるほど。それは困る。
「それでは、月島君。頼むよ」
「はい。理事長。しかし、その前に千晶ちゃん。お願いしていた物はできているかしら?」
「ええ。もちろん。どうぞ、月島さん」
そう言って、千晶は胸ポケットから四つ折りにした紙を取出し、月島に渡した。
月島は受け取って、中を一瞥する。
「青山君はload。紅坂さんはknightね」
そう言って、紙をそのまま机のど真ん中に広げた。
千晶先生が渡したのは1年F組の名簿用紙だった。
――――――
1年F組 名簿
1 青山裕一郎、男、load
2 伊東梓、女、normal
3 江夏和海、女、knight
4 岡部恭祐、男、knight
5 小俣佳奈、女、normal
6 柿下麻衣、女、normal
7 景浦隼人、男、normal
8 唐木田幸子、女、normal
9 久保田未貴、女、normal
10 紅坂刹那、女、knight
11 佐々木雄一、男、normal
12 猿川哲嗣、男、normal
13 三之宮ティアラ、女、magicus
14 白崎奈津美、女、magicus
15 鈴本晃秀、男、normal
16 関島樹、男、normal
17 高井慎太郎、男、normal
18 龍岡海斗、男、knight
19 津田美由紀、女、normal
20 寺原良、男、normal
21 時又ヒカリ、女、normal
22 中村美穂、女、normal
23 中森大知、男、normal
24 成瀬茉実、女、normal
25 錦山光成、男、magicus
27 野沢光晴、男、normal
28 花咲花子、女、normal
29 林啓太、男、normal
30 飛崎優、女、normal
31 福島翔、男、knight
32 藤之宮里美、女、normal
33 真中はるな、女、magicus
34 御剣光輝、男、knight
35 宮下嵐、男、knight
36 村田雄二、男、normal
37 森口加奈子 女 normal
38 山城和音、男、magicus
39 米村洋史、男、knight
40 和地麻里奈、女、normal
―――――
名簿番号、氏名、性別の横に千晶先生の達筆な字でload、normal、magicus 、knightと書かれていた。
ちなみに、これは俺達が高校へ入学してからの半年間に対する千晶先生個人の評価だそうだ。
紅坂は「?」だったが、俺はその意味が分かった。
ただ一点。自分の横に書かれていたloadを除いて。
normal、magicus 、knightはこの場の話題にあがっているゲームをプレイするために必要なゲームハードだ。
一番の大きな違いは、それぞれに搭載されている機能がまったく異なっている点だ。これはゲーム上大きくプレイヤーに大きく影響する。どのメイルコアを選択するかによって、プレイヤーのゲーム上における生き方の半分が決まってしまうといっても過言ではないそうだ。
normalは誰でも扱えるが他の二つは、上級者用というか、少し適性が求められるそうだ。
もちろん、その適性を誤って購入してしまったプレイヤーを助けるための機能も設けられているそうだが、それくらいコンピュータの処理に違いがあるのだろう。
ただ、俺の名前の欄に書かれているloadというタイプのメイルコアは初めて聞いた。
アルバスが公募しているゲームデバッグには、先の3つしかないはずだ。
「青木君のメイルコアは法人専用に作られているのよ」
「法人専用?」
「そう。このゲームに出資してくれている企業に与え、VR世界で新しいビジネスを展開してもらおうという考えよ」
月島さんはそう教えてくれた。
そして、俺と紅坂の二人は皇高校野球部寮へ移動する。
次回からVR世界へ入ります。