プロローグ前
よろしくお願いします。
ゴブリンと言えば、数多のファンタジー作品に登場する架空の種族だ。
その多くは最弱の敵キャラクターとして登場する。
身体は小柄で、緑色の肌を特徴とする醜悪な外見。
知能はあるものの子ども並みで、悪戯好き。
作品によっては、女を襲って種を増やすという特性もある。
今、米村洋史達の視線の先にいるゴブリン達も、まさにその例に漏れずであった。
奴らは、今、戦利品とも言うべき一人の少女を襲っていた。
黒髪黒眼で、化粧っ気のかけらもない地味な面立ちの少女だが、そこらの町娘とは違う。
略式ではあるが甲冑を身に着け、剣を手にほんの少し前までゴブリンの集団と勇敢に交戦していた。
しかし、洋史達は助太刀することなく、100メートルちょっと離れた草むらの茂みに身を隠して、事の成り行きを見守っていた。
少女は頑張った。一人で5体は斬り捨てたし、随分長い時間よく耐えていた。
しかし、多勢に無勢。次々と仲間を呼ばれ最終的に50体くらいに包囲されると、剣を奪われ、ついにはゴブリン達に押さえつけられてしまった。
しかし、洋史は動かなかった。
「くっそ、ゴブリンが多すぎる。邪魔で、よく見えねぇな」
洋史の悪友・岡部恭祐が不満を口にする。
すると、隣でこれまた悪友の猿川哲嗣が眼鏡を光らせる。
「どうだろう。僕の索敵スキルで角度を変えてみては?」
「それだ!? 天才だよ。猿川」
岡部は猿川の肩をポンとたたいた。
猿川はフッと笑い、眼鏡を得意気にクイッと押し上げる。
バリバリの体育会系キャラである岡部と、オタクキャラである猿川
この異色のコンビに、洋史は苦笑いした。
三人は同じ高校の野球部に所属するチームメイトだ。
1年生ながらすでに洋史はエースの座を勝ち取っており、岡部、猿川も将来はレギュラーになる実力は十分にある。岡部は三人の中で一番体格が良く、将来のクリーンナップ候補だ。猿川は小柄だがトリッキーなプレイが光る二塁手。
しかし、彼らの今の格好は野球部のユニフォーム姿でも、高校の制服姿でもなかった。
彼らはそれこそゴブリン達と同じ西洋ファンタジー世界の戦士や魔術師のような格好している。
背が高く体格が良い洋史と恭祐はそれぞれ戦士のような鎧を身に着け、小柄な猿川は魔術師の様な装束に身を包んでいる。
まるで、小説や漫画でよくある異世界転移でもしたかのように。
程なくして猿川の索敵スキルが発動され、A3サイズほどの半透明画面が出現する。
三人は食い入るように、その画面を覗きこむ。
タブレットでアダルト動画を見る様な格好だが、その画面には上空からの視点で映像が映っており、少女の置かれている状況がはっきりと見てとれた。
すでに甲冑はなく、下に着こんでいた衣服は見るも無残に破り捨てられ、彼女のスレンダーな裸体が一部露わになっていた。
洋史は出ていくタイミングを計っていた。
「岡部、猿川。良いな。青山裕子ちゃんが、全裸にされた瞬間、助けに行くぞ」
洋史はゲス顔で二人にそう告げる。
脱がしたのはゴブリンであって、自分達ではない。
そして、そのゲスな認識は岡部、猿川も共通していた。
「おうよ」
「もちろんだ。米村氏」
屈辱に歪むクラスメイトの少女の顔が写っているにも関わらず、三人は武器さえ手に取らず、随分と楽観的だった。
(まぁ、アイツだしな。それに実際、安心だからな。これ)
洋史は思った。
洋史達はけっして小説や漫画でよくある、現代日本に暮らす高校生が異世界に集団転移して(いわゆるクラス転移)……なんて、テンプレ的な状況に置かれているわけではない。
VR技術によって確立された最先端のオンラインゲーム、いわゆるVRMMORPGの世界にいた。そう。この世界はゲームなのである。
VRとは、コンピュータが作り出す仮想現実の事である。
今、洋史達の実際の肉体は現実世界において催眠状態に置かれており、どんなに叩いても眼を覚ます事はない。
代わりに、装着しているヘッドギアと呼ばれる機器によって、脳波を信号化して仮想空間に送っている。
信号を受けている体は、彼らの現実の肉体をスキャニングして、デジタルデータ化しているもので、生身の肉体ではない。
しかし、この世界においては生身の肉体である。
五感はもちろん、体温、額から流れる汗、そして女の子の裸に対する男性特有の反応……細部に至るまで、すべてが現実世界においてある自分の体と何ら相違ない。
少なくとも今日まで洋史が遊んできた上で、現実の身体との差異を挙げるとすれば、排泄要素や流血表現など、人によっては気分を悪くするであろうリアリティのみが都合よく排除されているくらいだった。
ちなみに、このゲーム。まだタイトルが決まっていない。
何故なら、まだ発売されていないからだ。
発売時期は未定だが、予定としては洋史達が大学生になる年の発売を目指し、今はゲームデバッグ―――いわゆるテストプレイの段階にある。
(とはいえ、本当に大丈夫か。このゲーム……)
どのような経緯があったのかは知らないが、洋史達のクラスはそのゲームデバッグへの参加を要請され、それぞれ学校生活と両立させながらこの企画に参加していた。
そして、プレイしていて思ったのが、このゲームは先に述べたようにひどくリアリティがあり過ぎると言う事だ。
とは言え、市販されるゲームである以上、公序良俗に反するような仕様にはなっていないと洋史は元より、岡部や猿川もその煩悩に塗れた頭の中でちゃんと理解はしていた。
だから、少なくともクラスメイトの少女があのゴブリン共の慰み者になることはないだろう。
特にVRMMOは実体験型のゲームだけに、18禁行為に対しては従来のゲームの比ではないとゲームデバッグ開始前に説明も受けていた。
基本、18禁に抵触する行為はシステム上禁止されており、それらの行為をした場合、警告後、問答無用で強制ログアウトになる仕様となっているとも教えられた。
運営会社は、これに現実的なアカウントの凍結やブラックリストの作成・公開、他、罰金制度等を設けることを検討中であり、これらを含めて抑止力とする予定だそうだ。
これが果たしてどれだけの効果を生むのかは、実際に発売されなくては分からないが。
しかし、そのような事情を知っていながら、それでもルールの抜け穴を探そうとするのが、男子の性だ。
18禁行為は禁止というルールの中で、洋史達はどこまでのエロが許されるのか、粛々と調べていた。
現状、洋史達が掴んだ強制ログアウトされない行為は、次の3点だ。
・着ている物を全て脱いで全裸になること。
・同性に裸を見られたり・見せたり、直接触ったりする分には問題はないこと。
・異性の水着姿を見ることや手を握ったりなどのプラトニックな接触は問題ないこと。
これは、この世界で川遊びや入浴といった娯楽を楽しむために仕方ない部分でもある。
また同性ならば、仮に性器に触ったとしても違反にならない事も実証した。
もちろん、この三バカトリオは大の女好きで同性愛などコレっぽっちも興味はない。
そして、本日。満を持して彼らは異性の裸を見ることや、直接のお触りは可能かを確認しようとしていた。洋史がクラスメイトの少女を助けない理由の半分である。
(まぁ、もう半分は見ていて面白いからなんだけどなぁ)
そうこうしている内に、クラスメイトの少女はブラを剥ぎ取られていた。
(((あと一枚、あと一枚)))
心の中で手を叩きながら、三人が固唾を飲んで、待っていた。
ゴブリン共がクラスメイトの少女を素っ裸にひん剥いてくれる、その時を。
そう。まさに、その時であった。
「何してんのよ、アンタら?」
「おわぁ!?」
後ろからの声に、洋史は思わず反応する。
振り向くと、いつの間に一人の少女が三人のすぐ後ろに立っていた。
一本結の艶やかな黒髪。凛とした瞳と端正な顔立ち。
女子としては背が高く、モデルのように均整のとれた抜群のプロポーション。
もし、三人が今日初めて彼女会ったとしたら、その押しも押されもせぬ正統派の美麗に魅了され、ゴブリンに襲われている少女のことなど、どうでもよくなったことだろう。
彼女の名前は藤之宮里美。
洋史達と同じ学校に通うクラスメイトであり、洋史とは幼馴染の間柄である。
彼女もまた普段の制服姿ではなく、略式の簡易な鎧を内に着こみ、紫色の外套ローブを纏っていた。弓道部に所属しているだけあって、メインの武器は手にする弓。腰には細剣を携えている。
「さ、里美。お、お前、ど、どうしてここに?」
今日この時間ログインしているのは、自分達野球部三人組と襲われている少女だけのはず。
「どうしてって? 明日はお休みだから、刹那が泊まりでやろうって……なに? 何かまずかった?」
「こ、紅坂だと……」
すると、里美の後ろから真紅の重厚な鎧で全身を固めた重装騎士がカチャ、カチャと音を鳴らしながら、彼らの側へやってくる。
兜までしっかり装着しているため容姿がまったく見えないが、現実の彼女は黒髪ショートのスレンダーな美少女である。
そんな細身の彼女がこれだけの重装備で自由に動き回っていることに、クラスみんな驚いている。
兜の奥にあるその顔を笑わせながら、紅坂は言った。
「ごめんね。米村君達が信用できないから、こっそり助けに来てって。青山裕一郎君に頼まれちゃって……くくく」
「さ、左様で、ございますか。は、ははっ……」
どうやら、紅坂は全てを把握しているようだった。
同時に洋史はゴブリンに襲われている少女の方を睨む。
あの野郎ぅ。ちゃんと手を打ってあるじゃねぇか。
「裕一郎と言えば、さっき裕一郎の声聞こえなかった? あの女の子の声、多分そうだったと思うんだけど?」
里美はどうやらまだ事の全体像を把握していないようだ。
ならば。次の瞬間、洋史は置きっぱなしの槍を拾い上げ、茂みを抜けた先、ゴブリン達に襲われている少女の方を指さした。
「あそこだ! 行くぞっ、里美!」
洋史は言うや否や、草むらから勢いよく飛び出した。
「ちょっと、洋史待って!」
里美は一本結びの髪を慌てて解いて、手際よくポニーテールに縛り直した。
そして、洋史に続いて茂みを飛び出していく。
そんな様子を紅坂刹那は、可笑しそうに眺めていた。