遺言
いつも通りの時間に起きた。
というかお母さんが起こしに来た。
やっぱり朝は眠い。早起きは嫌い。
一階に降りる。顔を洗ってから、朝ごはんとする。
私は最近はグラノーラだ。いつもはパンだけど。
牛乳をなみなみと注ぐ。グラノーラを食べるのは家族で私だけ。中身を見てみると、もうすぐで無くなりそうだった。でも今全部食べるのには多すぎる。仕方ないから中途半端に残す。
歯磨きをしたら、ヘアアイロンをONにして、自分の部屋に戻って制服に着替える。また洗面所に行くと、ヘアアイロンが丁度温まったところだった。
外に跳ねている髪を内巻きにしていく。私の髪は多いくせに剛毛で、真っ黒だ。柔らかくて細い髪に憧れる。
いつも通り、テキストが詰まったリュックを取る。それから、解約済みのスマホとお小遣い用の財布も詰める。これはいつも通りじゃない。スマホは二台ある。解約済みの方は親に隠れて遊ぶ用のもの。財布も二つあって、学校や塾に食費として持っていくものと、お小遣いが入っているもの。スマホも財布も二つずつ持っていく。
親に、塾は二学期からどうするかと聞かれた。
いつものように、分からないと答えた。
どっちでもいいよ、と付け加えた。
それじゃ困ると返ってきた。
本当は行きたくない。二学期からは忙しいし。
でもそう言ったらガッカリされそうだから、曖昧にした。
結局、様子を見ることになった。
ペットの犬を撫で、いつものように、かわいいねと声をかけた。本当にかわいい。この子に出会えて良かったと思う。
時間が来た。
私はリュックと弁当箱を持って、玄関に向かう。
今日は家族みんながリビングに集まっていた。
いつもなら誰かが寝ていたり、仕事に出ていたりで欠けているけど。今日は何かといつも通りじゃない。
いってきます、と言った。
たぶん、これで最後かな。
塾のバスが、バス停に止まるんだけど、私はあえて遠回りをして乗らなかった。代わりに、そのあとに来る市営バスに乗った。
行先は最寄り駅。
いつも学校に行く時に使う。
馴染み深い。
改修工事が進んでいて、完成系がとても楽しみだと思った。
音楽をイヤホンで流しながら、スマホ上で指を滑らせる。しばらくすると、画面に女の子の線画が出来上がる。1年前からデジタルで絵を描いているけど、だいぶ上達してきたかな。まだまだだけど。
バス停に止まる。降りると目の前にはコンビニがあった。
好きなものを手に取り、レジに持っていく。どれも美味しそう。
駅のホームにつく。
電車が来るまで作業を続ける。
いつもの列に並んで待った。
電車の中は涼しかった。でも座ることはできなかった。
いつも電車で立っているから慣れていた。
いつも通りの風景が横切っていく。
目的の駅に着く。
そこは学校の最寄り駅で。
その駅もいつも利用していた。
まるで登校するみたいだ。
私はそのまま、反対側のホームに移動する。
この駅は小さいから、二つしかホームがない。
でも嫌いじゃない。
いつもの椅子に座る。
そこで、線画の色塗りを仕上げた。
音楽を聴きながらだと、周りが気にならないから時間の経過が速い。
仕上がった絵は、何というか見ていて悲しくなるような絵だった。
私の心情を表しているみたいだった。
スマホをなおすと、弁当を広げた。少し早めの昼食。
お母さんがいつも作ってくれる弁当。
今日も美味しかった。
卵焼きは甘くしてある。私は甘党だから。
梅干しおにぎりも二つ入っている。大好きな梅干しの味は、最近鬱陶しかった口内炎に染みた。それでも美味しい。
ちょっと泣きそうになった。でもこらえる。
デザートもある。もう一つの弁当箱に、桃が入っていた。
塾のみんなと分け合って食べることになっていたものだ。一人で食べるには少し多かったけれど、桃は好きだ。お母さんに嘘をついたことを少し悪く思いながら、全部食べた。
ごちそうさま、と呟くと、次はコンビニで買ったお菓子を取り出す。
まだ食べる気にはならなかった。
これを食べたら、もう終わってしまうから。
膝にお菓子の袋を乗せたまま、またスマホを取り出す。
そのまま何気なく、友人にメールをする。
今日私がもともと、塾にいく予定だったことは知らないはず。
連絡がとれると、何となく安心した。いつも通り、って感じがしたから。
言っちゃおっかな、と思った。
でもやめといた。心配はかけたくなかった。
お母さんからメールは届いていない。
塾は午前中は自習だから、まだ先生に気づかれていないのかもしれない。でも気づいたら、対応が速いからすぐに親に伝わるだろう。
迷惑をかけてばかりだった、最後まで。
反抗期の時とか、大変だったって親が言ってた。
中学受験をしたから、お金だってたくさんかかったし、塾に送り迎えしてもらうのも。
中学に入ってからはもっとたいへん。
どこを間違えたんだろう。
どうすれば普通に生きられたのだろう。
せっかく受験をしたのに、中学生になってから、ボロボロだ。
親友だって言い合ったあの子。困ったら相談してって言ってたあの子。大好きだと言ってくれたあの子。
全員ダメだった。
何でだろ。
私は頑張ったのに。
何がいけなかったんだろう。
周囲の期待に応えられるよう、自分なりに頑張ってきたつもり、だった。
私だって、自分がウザイことくらい知ってたし。だから、なるべく、気分を害さないように、気を遣った。
人一倍に思いやったつもり、なのに。
全部仇となった。
なら、どうすればよかった。
ダメだ、何も考えられない。
最近、何もする気が無くなる日が増えた。
宿題が終わらないのに、机に向き合うことができない。
堕落した生活を送っていた。
面白そうなものを見つけては、それに縋る毎日だった。
でもそれも、全部飽きてしまったら。
その時は終わりだと思っていた。
案外その時は早くて。
何か、全部面倒くさくなった。
もう無理だと思う、私は。
この先、生きていても意味ないし。
したいこともないし。
いや、違うかも。
この「私」の人生で、したいことがもうないんだ。
もし生まれ変われたら、その時は、
自分の好きなことをできるかな。
したいことを見つけられるかな。
私は失敗したんだ。この人生において。
やり直さなくちゃ。
トイレの個室に籠る。
ここは人が少ないから、あまり迷惑にもならない。
スマホのカメラを見ながら、ミディアムロングの髪をハサミで切っていく。
たまにこれをやる。結構ストレス発散にいい。
でも今日はストレス発散が目的じゃない。
ボブになった髪を揺らし、少しだけ、笑った。
私は泣きそうな顔をしていた。
ホームに戻る。
アナウンスが鳴る。
小さな駅は、通過列車が多い。
最後にまた、笑った。
ふわりと飛んだ瞬間、
翼が生えたみたいだった。
迫ってくる轟音を聴きながら、心の中で呟く。
私の生まれ変わりへ。
幸せに、自由に、楽しく生きてください。