プロローグ
無機質なアスファルトの上に打ち付ける夜の雨。
その雨は静かに、寝静まった暗い街に、優しく降り注いでいる。
ーこの雨は、せめてもの慈悲なのだろうかと《その》光景を空から眺めている傍観者は思う。
人通りの少ない道、夜になると、誰も通らなくなるようなそんな裏路地に、一人の幼女が倒れている。
歳は10歳前後だろうか、雨に濡れた金髪の下に覗く眼からは生気が失われ、ボロボロになったその衣服からは、生々しい傷跡がその姿を現していた。
ーこれは時間の問題だな、と、傍観者は考える。
どんな事情でここに一人で倒れているのかは、彼にとってはどうでもいい事だったが、
目の前の幼き子が死にかけているこの状況を、見つけてしまったのもまた縁なのではないか。
そう彼は思い、ふっと笑みを浮かべ、傍観者であることをやめた。
そして彼は静かに、音も無く彼女に近づく。
「よぉ、こんなところで死にかけて、何があったんだいお嬢ちゃん。」
幼女から応答はない。彼がよく彼女の体を観察すると、どうやらもう喋ることもできないほど、彼女は弱りきっていた。
「全く仕方ねぇな、まぁ、ここで唐突に現れたチャンスを捨てるわけにもいかねぇしなぁ…。」
彼はそう呟き、小声で短い呪文のようなものを詠唱する。
幼女の体は光に包まれ、その眼に、ほんの少しだけ、生気が戻る。
「よぉし、これで喋れるようになっただろぉ?質問だ、何故こんなところで死にかけている?」
「う…あ…?え……なに……?だ、だれ…?」
幼女は意識が戻った瞬間、驚きの声を上げる。
「ん?ああ、俺様のことが怪しいってかぁ?今のお前の状況を考えろよぉ?自分の人生を左右するんだ《人じゃないモノ》に怯えている暇なんて、ねぇだろうがよぉ。」
彼女の目に写っている《ソレ》は、真っ黒な球体に、蝙蝠の羽のようなものを生やした異質な生物だった。
だが彼女は、《ソレ》の言葉に耳を傾けたのか、それとも余裕がなかったのか、怯えるのをすぐにやめた。
そして《ソレ》は、満足気に彼女の目を見つめ、また口を開く。
「よしよし。それでいい、今の時間であらかた事情は理解したぜぇ。」
そこで《ソレ》は一旦言葉を切り、一呼吸置いてから、声色を数秒前までの軽薄な一変させ、その真っ黒な体の中心から、巨大な眼を覗かせ、幼女に告げる
「貴様の本能に問う。全てをゼロに還し、ヒトでないものに成ってでも生きたいか。それとも、この場で、決して穏やかとは言えない死を迎えるか、貴様はどちらを選ぶ。我は貴様の選択に対し、一切の口出しはしない。」
《ソレ》は、表層的にはこう言ったが、彼女の選ぶ答えを最初から知っていた。
そして、やはり彼の予想どおり、幼女は小さいその首を縦に振った。
「よし!いいだろう、いい返事だ!お前の儚い命、存分に世界の為に利用させて貰うぞ!!」
こうして、終わりを迎えようとしていた小さな命は、唐突に現れた謎の生物によって救われた。
だが、これから自身に降り注ぐ戦いに塗れた残酷な未来を、彼女はまだ知らない。