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ミッション

作者: とろろ昆布2

核融合発電に不可欠なヘリウム3の確保のために、二極化した世界は月面で覇を競っている。

その後彼らに何が起こるのか知りもせず、無邪気に。。。


0;エピローグ /Tales of purefly (Man With A Mission)

星々が紡ぐ大いなる渦の片隅に、新たなる生命が生まれる。核融合の火を灯したばかりの幼い恒星の周りを巡る冷たい塵が悠久の摂理の中、引き合い、絡み合い。礫から星へと密やかに、歩みを進める。時には離散し、再びぶつかり合う。質量が増加し核となり、軌道上の瓦礫をさらい尽くす。そして中心には運動エネルギーが転換された熱が蓄積され、重い元素を熔かし出し巨大なダイナモが動き始める。熱対流始めた惑星の中心部は次第に加速し、磁界を発生させ星々の海に自己の存在を高らかに宣言する。そしてその産声に引き寄せられるように、彼らはやって来た、何処からか。惑星に生まれ出るであろう生き物を、見守るために、喰らい尽くすために。


1;月での目覚め/Wake myself again (MWAM)

「まったくここは最悪だ…。」

ハードスーツに身を固めた男は極限空間に身を晒していた。大気圧ゼロ、日照面の温度は摂氏250度オーバー、非日照面の温度は氷点下50度以下…。温度格差300度超の真空空間、僅かに絡みつく微細な重力が男の身体を大地に結びつけようとはするが、月面での移動は重力傾斜は絆にはなり得ず両の足を揃えて控えめに飛び跳ねて行かねば、虚空に肉体を捧げるか無数のガラスの破片を敷き詰めた大地に身を打ちつけることになりかねない。

そうなればいくら彼が着込んだハードスーツが有能であろうと、生命を維持できるはずもなく自ずと行動も慎重になる。

「巻き上げる砂以外は、なんの変化もない世界…。なにもない…。ここは静止した世界だ。」

男は今月面のティコクレーター外縁、連合国基地の人用緊急ハッチの外にいる。次の作戦まで休養の時間を割り振られたので、身体ひとつ満足に動かすことの出来ない戦闘ポッドのコックピットが如何に精神衛生上問題があるのか進言したところ、上官はすんなりと彼の月面徒歩行を許可したのだ。

しかし彼はハッチを意気揚々と潜ってからものの数10分で、灰色の空間に飽きてしまっていた。周期的に繰り返される呼吸音と両脚にかかる6分の1の重力、低重力であるのにもかかわらずブーツに絡みつく月砂レゴリス。

強烈な輝きを見せる日向と絶対的な闇を魅せる日陰。月齢17日の太陽光線は斜めから世界を照らし出し、バイザー越しに拡がる視界を切り取る強いコントラストが。其処彼処に、彼を闇へと誘う罠を用意しているようであった。そんな感覚は錯覚であると自分に言い聞かせていたが、彼は酸素タンクの排気レバーの事が気になって仕方がなくなっていた。このレバーを引き下げれば、楽になるんじゃないのか。今での人生は充実していたのか、今後の展望はあるのか、望み薄なら一思いにスーツの内圧を解放してしまったほうが良いんじゃないのか、などと自問自答してしまう。

彼が陰々鬱々とした感情に支配されかけた時、空電交じりの呼び出し音がヘルメット内に響いた。

「不毛な世界を満喫しているようだが。」

ノイズの後に歌うように語りかけて来たのは、彼の月面デビュウを快諾した上官であった。

「ここに赴任した時、誰でも一度は月面に出たがるものなんだ。そして、圧倒的な絶望で心身が満たされる。君の変調は先程からセンサーが拾っていて警報が鳴りっぱなしなんだ、レバーに手をかける前に帰還したまえ。」

「了解!直ちに帰還いたします。」

彼は不毛な大地が誘う死の誘惑を断ち切るかのように、必要以上の音量で復唱すると、今後何世紀もの間消えることのないであろう自らのつけた足跡の上を基地に向かって急いだ。

適温適湿に保たれた清潔な基地の快適空間が愛おしく思えたのは、彼にとって当然のように思えた。基地が彼にとって故郷であり、家族であり、護り抜くべき掛け替えのない場所のように思えた。しかし、薄っぺらな愛国者擬きとでもいうのであろうか、底の浅い全体主義の感情は定着するはずもなく、数時間前から彼に取り憑いている厭戦気分が鎌首を持ち上げ直すのも時間の問題であった。それだけ月面の徒歩行は肉体的にも精神的にも辛く、苦しいものであった。むやみに冒険心に身を委ねるものではないのである。

レゴリスが絡み付いたブーツは重く、額から流れる汗はベンチレーターの許容範囲を超えてしまい、再三激しく瞬きをしないと眼球に手酷い一撃を喰らわそうとしている。そんな全てが月が彼のことを拒絶しているようで、彼は徒歩行に駆り立てられた浅はかな自分の冒険心と言う虚栄に恥じ、恥じ入ることで自らの存在意義に疑問を呈する、死へと誘う負のスパイラルに再び陥った。

彼は自ら排気コックに手をかける前に何とか基地のハッチにたどり着いた、普段はコックピット中で思念コントローラしか扱わない彼にとって自分史上最高の移動記録であった。彼はハッチにたどり着くと、嫌という程自己否定をさせてもらえた不毛な世界をもう一度だけ自分の瞳に覚え込まそうと振り返った。

そこには彼のように、行き戻った無数の足跡がハッチを要に扇状に拡がっていた。どうやら彼の行なった月面行は、この基地では通過儀式のようであった。過去にも多くの新人と言われる輩が、自分と同じ想いをしていると思う気恥ずさに彼はそそくさとハッチの中に身を隠そうとした。

しかし、彼は視覚の隅に、何かを感じてしまった。

改めて彼が振り返ると、そこには。

自分も目指していたベレナス峡谷に向かって一本だけ、基地に戻ろうとしていない足跡を見つけてしまった。

足跡は容赦ない太陽の照射に抵抗するが如く真っ直ぐに、峡谷の入り口へと向かっていた。峡谷行きを簡単に諦めてしまった彼の事をあざ笑うかのようにレゴリスの敷き詰められた虚無の空間を見事なまでに切り裂いて、足跡は続いていた。

彼が足跡に気づいたことを咎めるつもりがあるのだろうか、レシーバーにハッチの操作員ががなりたてて来た。

「戻るつもりがないんなら、持ち場に帰りたいんだがね。急いでくんないか、幹部候補生のダンナ!」

「すまない、今入る。」

ベレナス峡谷の先にある連合国の施設を脳内の補助コンピュータで検索しながらハッチを潜ると、操作員は彼の収容操作に入った。

「ベレナスの先には…。そもそも俺は何故ベレナスに行こうとしたんだ… 。」

荒々しい収容操作にも彼の思考は遮られることなく、静かに深く続く。彼にとってこの月面行は、自らの存在の確認にとても重要な岐路になった。


2;月への依存/evils fall (MWAM)

月はファーストインパクト以来母なる地球と共に太陽の周りを、兄弟星のようにお互いの重力井戸を干渉しつつ、数十億回も巡って来た。この二つの星はおなじバビタブルゾーンの存在していたが、決定的な違いがあった。それは質量の違い。地球は厚い大気を保持できたが、月の乏しい重力では不可能であった。 一方は大気とともに生命を育む海洋を形成できたが、他方は太陽系の残骸、微天体の襲撃に曝され、痘痕面の醜い姿になってしまった。

第3宇宙速度を有する微天体の破棄力は、メガトン級で一度大地でそのエネルギーが解放されれば、壊滅的であることに間違いはなく。分厚い大気が保護する地球ですら何回も壊滅的な破壊がもたらされている。その地球の盾のような存在になってしまった月は大小無数のインパクトが加えられ、その度に大地が震え、地殻が昇華し、ガス化した物質が瞬時に冷却され多孔性の球状ガラス質の月砂。即ちレゴリスが無数に形成された。

インパクトの度レゴリスは形成され、月面上空に舞い上がり、弱い重力にゆっくりと降り積もって行った。そして真空中に曝露されているレゴリスは絶え間無く吹き付けられる太陽からの風により、地球上では極めて手に入れにくいヘリウム3が吸着されるようになった。そしてこのレゴリスに格納されているヘリウム3を巡り、連合国と中共国は地球上では永久停戦を合意しているのにも関わらず、ここ月面では戦闘ポッドを使った激しい戦闘をしているのであった。

月には地球上では枯渇しかけている他の資源開発も急務とされていたが、電力の安定供給のためにヘリウム3の確保が最重要課題とされていた。


電源開発として核融合発電には、当初燃料としてトリチウムを使わざるがを得なかった。この三重水素を用いる核融合炉は、核融合反応と同時に高速中性子を無秩序にばら撒くもので危険この上ないものであった。

しかし世の中には賢い人種が群れ集う村があり、そこの住人がこの厄介な高速中性子で新たなる産業形態を確立したのであった。強磁界の中で暴れるプラズマを捻じれたリボン状に制し、管理された高速中性子の発生機構を付加された商業核融合炉は熱核弾頭を無害化するだけでなく、テロリストたちが持ち込もうとする大量破壊兵器を税関で効果的に検疫したり、前世紀に引き起こされた核事故によって増悪化複雑化してしまった腫瘍疾患の治療などに利用された。

そもそも核融合炉の燃料としてトリチウムやヘリウム3は重水素間のDD反応炉の代替品でしかなかった。しかし、商業炉として連続運転されている現在ですら、DD反応の自己点火条件はシビアで、既存の工学技術では到底クリアーできるものではない。そこで、フュージョンヴィレッジの住人たちはDT反応やD3Heで核融合炉の自己点火条件クリア、連続商業運転クリアを目指し。反応の度に発生する透過性のある高エネルギー粒子には目を瞑るざるを得なかった…。そこで彼らは、これまで自分たちがその恩恵をなん努力をするコトなく得ていた科研費を、今後も永続的に得るために苦し紛れに捻り出したのが、高速中性子活用計画だあった。彼らはあらゆる分野に、狂ったエネルギー奔流である高速中性子の応用を求めた。

DD反応炉では燃料である重水素は海水中から容易に調達できる、しかも無尽蔵に。更にDD反応時にプラズマ内で発生するトリチウムやヘリウム3をも直ちに燃焼させてしまうため漏れ出る中性子やトリチウムの量は桁違いに低く。運転と同時に高速中性子が多量に放出されるDT反応炉のように支持機構まで放射化されてしまう心配がなかった。

一方DT反応炉は自己点火への投入エネルギーが最も低く、最も技術的ハードルが低いものではあったが。燃料であるトリチウムの確保が難しく、更に運転後のメンテナンスで放射化してしまった高額なリチウムブランケットやダイバータ、超電導コイルの一部まで交換する必要があった。

従ってDT反応炉では単なる発電炉として完結するわけにはいかず、発生する中性子を名目上だけでも活用し、莫大な運転コストを上回るように見せ掛ける付加価値を反応炉に必要としたのであった。

そこで融合ムラの住人らは医療から軍事、民生活用まで幅広い中性子の活用を考え出し。本末転倒な話であるのだが運転時にだだ漏れする貴重なトリチウムには目をつむり、センセーショナルな中性子だけを担ぎ上げ官民でメディア戦略に奔走したのであった。

環境中に放出されたトリチウムが酸素と反応して放射化した水となり、それが人体に吸収され深刻な内部被曝を起こそうが。分離回収に手間と費用がかかるトリチウムは生産量が乏しくコストがかかる燃料であるのにもかかわらず、炉からの漏出は問題視されずにDT反応炉は商業発電炉として次々と建設されて行った。それは前世紀に人類を滅亡の危機にまで追い込んだ極東の島国、年に5000回もの地震が起こる不安定な大地に僅か四半世紀の間に60数基もの核分裂炉を作り上げた核産業の暴走を上回る勢いであった。

「無尽蔵の資源による夢の発電システム」、「絶対的な透過性の中性子」、「前世紀の遺物、核分裂炉の使用済み核燃料の無害化核変換反応」などなど。キャッチーなコピーが量産され、超高温プラズマの危険性は無視されディスラプションや超電導磁石のクエンチで炉壁が崩壊した場合に放出されるトリチウム燃料や炉の上面空間に放たれる高速中性子が大気中の水蒸気に反射して地上に降り注ぐスカイシャイン現象での被曝などは全く無視され。安全性と利便性だけが浸透して行き、医療や兵器として高速中性子が不可欠な時代になったと人々は錯覚させられていたのだあった。

燃料であるトリチウムが炉壁のリチウムブランケットから自動的に運転時供給され続けるだとか、海水から無尽蔵な資源として生産できるなどと言う、夢物語が語られたいたが。

「 高速中性子の減速、燃料生産、反応熱の回収」と、無理難題なお題目を課せられたリチウムブランケットが想うような性能を発揮出来ず。期待されていた天然資源も大気圏上層部で僅かに生産されるだけで、壊れた分裂炉の汚染水から分離除去出来ないと言う事例のように、海水からは効果的に生産されるコトもなく。

DT反応炉は燃料という制約を受け、核融合反応炉の未来は閉ざされたように思えたが。運転すればするほど増え続けるプルトニウムの処理を燃料サイクルなどと言う絵空事で世論をかわし続けようとしていた旧分裂炉村出身の村人は、嬉々としてフュージョンヴィレッジの住民として還りざき、行き詰まったDT反応を軽やかに捨て去るとトリチウム燃料より技術的障壁の高かったヘリウム3を燃料にするD3He反応に乗り換えてのであった。

資源開発の第一命題に祭り上げられたヘリウム3は、幸いにもアポロの時代から月面のレゴリスに文字通り無尽蔵に蓄えられてることが知られていたので。ファーストインパクト以来降り注ぐ太陽からの恩恵を速やかに活用すべく争奪戦が、かねてから覇権を争っている連合国と中共国との間でその火蓋を切って落とされたのであった。


3;月は無慈悲か寛容か/DATEBASE (MWAM)

「パイロットの諸君は、作戦室に集合してくれ給え!」

戦闘で複数機のオービタと呼ばれる戦闘機を自身の脳神経と有機的に結合させ操り、輝かしい戦績を挙げているパイロット達に、緊急の命令が下ったのは標準時間20時を過ぎた頃であった。彼らの半数は数時間に渡る中共軍との激しい戦闘を完遂し、休養のため非番であったが命令は緊急であり、異例のことであった。

ティコクレータの中はいつに無い緊張感がはしり、凛と張り詰めた顔つきのパイロット達が作戦室に集合した。時間外労働による課徴金の有無よりも、異例の招集に難易度の高い作戦が命じられる可能性の方が高いことを推測しているのだ。

「休養中の諸君にも集まってもらったが、緊急性の高い事象が発生したので許して欲しい。」

「作戦行動中の面々にもポッドの操縦を一時休止してもらって、有線下ではあるがブリーディングの参加してもらっていることを付け加えておこう。」

「つまり、全てのパイロットがこれから伝える情報を共有することになると認識してもらいたい。」

パイロット達は前例のない自体に多少は動揺したが、百戦錬磨の猛者である彼らのとって、上官の無理難題には慣れていたし作戦完了時の恍惚とする到達感を知っているのですぐに任務への興味の方が大きくなり、上官がどのような作戦を発するのか期待を込めた視線を彼の口元に向けた。

「今から35分ほど前、自動哨戒中の友軍機が全て消息を立った。撃墜されたと考えていい自体である。詳細は今のところ分析官により調査中であるが、中共軍の攻撃かどうか判断に迷うところである。何故なら奴らもポッドを失ったようで、奴らのテリトリィーでは友軍機を連呼する通信がオープンチャンネルで続いている。」

「先程司令官が奴らの月面本部に確認を取ったが、メンツを重んじるはずの奴らが意外にも不明機の共同捜索を提案してきた。従来の奴らならば、遭難機の調査には秘密回線か暗号文で行うはずなのに通常回線を使うこと自体異常であるのだが、奴らは相当慌てているらしい。」

「今迄ならば、『我が軍の戦闘ポットは優秀で、墜落など考えられない。演習の一環なので心配ご無用。』と、けんもほろろに断れるはずであるのに。それだけの異常さを今回のポッド墜落事故に感じているようだ。」

まさに青天の霹靂、昨日の敵は今日の友になるのか。

月面での戦闘は無人のオービタと呼ばれる戦闘機で行われるので、直接血を流す前時代的な野蛮さは無いのであるが。つい今しがた迄、如何にして相手を欺き、出し抜き、相手の無人機を効果的に破壊するかに苦心していたと言うのに、いきなり共同作戦をと命じられても。パイロット達は口には出さなかったが、大脳左側頭葉に埋め込まれている補助コンピュータを使って盛大なブーイングをあげていた。

「異例の事態なんだ!ブリーディングなんてものは形骸化しているのは、貴様らだって分かっているはずだ。それを全員招集したことを理解しろ!」

同じ補助コンピュータが埋め込まれている彼らの上官は一撃の警告のパスルを発すると、作戦室に集まった十数名のパイロット達には一人一人に強い目力を込めた視線を向け、有線下で繋がっている戦闘ポッドを操縦中のパイロットには先程のパスルに近い強度の信号を送った。

「作戦の背景は理解出来たと思うが、よろしいかね。」

上官が半ば強制的に続けようとすると、方の3本の金章を誇らしげに付けている古参のパイロットが口火を切った。

「オービタのビーコンは完全に消えてるのですか?オービタは墜落したんですか?それとも不時着して通信が回復していないだけなのでしょうか?」

「情報官が当時のデータを分析したが、墜落なのか、撃墜なのかも現状では不明である。そこで全ての作戦行動を切り上げ、最優先でこの案件の原因究明に当たることになった。小隊編成、出撃時間等はファイルを参考に。では各自最善を尽くすように!」

命令を受けダウンロードされたデータをさらったパイロット達は、武装装備の記載が無いことに気づき、上官に異を唱えた。

「丸腰で奴らと渡り合えって言うんですか、上官殿!」

作戦室で現場を取り仕切る男は、無理は承知で難題を彼らに武器の不装備を求めた。

「何度も言うが、今回の作戦は共同調査だ。通常の攻撃作戦では無いのだ。調査になんで武器を携帯する必要があるんだ。」

「!」

パイロット達は一斉に舌打ちとブーイングをあげた。

「命令違反をするわけでは無いのですが、高価なオービタを丸腰で出して、壊してしまったら私達が弁済するというシステムはどうなるんですか? 」

人的被害のない戦闘ではパイロット達が戦果を上げることに固執し、危険なオービタの運用を行うことがままあり。高価な機体が損傷することが多かった為、機器の消耗の激しい前線基地であるティコクレータ基地のローカルルールとして、オービタの修理はパイロットの負担とされていたのだ。

「好戦的なあいつらの前に非武装で出かけて行くなんて、的にしてくれと言っているようなものです。上官殿は我々の預金を0にしろというのですか。バルカン砲だけでも実弾を装備させて出撃…。いや、出発させて下さい。」

「君らの心配は当然だ、我々は情報官様のように無償で栄養供給されるわけではないのだから、仕事に対しての対価と保険が必要だ。生活を維持する為には機体を護ることが必要になるわけだが、中共軍の指揮は安中尉がとると連絡があった。緻密な安が相手ならば、目先の功名心で不測の事態は起こすということは考えられないだろうと言う判断だ。」

安中尉は中共軍のエースパイロットでオービタをアクロバティクに操り、予想もつかない巧みな攻撃を仕掛けて来る不倶戴天の敵である。彼らは何度となく手酷くやられ虎の子のオービタを傷つけられ、何度も預金額を著しく減らされていた。

「相手が安であるのならば我々としては、なおさら武装して出動したいのですが…。不屈の情報官様は我々の切なる願いなどご理解いただけるわけ無いですね…。」

ため息交じりに古参のパイロットが皆の気持ちの代弁を終えると、彼らの上官は間髪を入れず命令を下した。

「出発は2045。15分で全機出発準備を完了させ給え。では、解散!」

彼らは上官に軽く敬礼すると、踵を鳴らし床を蹴り、我先に作戦室を出て行った。

科学的根拠はどこにもないのであるがパイロット達には数十台あるオービタの操縦台、すなわちポッドに各々好みあった。

ある者は奇数番のポッドには絶対に搭乗しなかった。また、ある者は素数番のポッド以外神経接続をすることを拒んだりしていた。勝負師のゲン担ぎというものであろうか、戦歴が長ければ長い程この傾向は激しいものになり、時として出撃前に基地中でのリアルバトルが問題になることさえあった。

出発までの僅かな時間でオービタとの神経接続をより確実にしたいという思いと、お気に入りのポッドを確保したいという理由で、彼らはオービタの管制室に急いだ。

ただ一人の若いパイロットを除いて。

彼の肩には真新しい金の記章が一本誇らしげに輝いていた、それは出撃回数が十数回の新人の範疇に振り分けられる経験の浅いキャリアを表していた。パイロット以外のスタッフは彼のような新人を幹部候補生と呼び、仏頂ずらで内心揶揄しながら接するが戦績をあげ記章の数が増えてくると徐々に打ち解け、軽口にも応じてくれるのであるが。連合軍の支配地域の中心部からこのティコクレータに赴任して間もない彼は、同期のパイロットもおらず孤独であった。

だからこそ何かを見つけることが出来るのではないかと、特別許可までもらい殺伐とした物理原理のみに支配される、月面の徒歩行軍を思い立ったのであったが…。

そんな幹部候補生と呼ばれている彼も踵を鳴らして作戦室から一度は出て行こうとしたのであるが、脳裏に残る不安を払拭したいという衝動に駆られ、慣性で流れる身体を猫のように器用に反転させ上官の前に滑りでた。

「何かね。君こそ、真っ先に出動準備に取り掛かるべきだと思うのだが。」

上官は極めて困難な現状を打破すべき為に、刻々と変化する事象を基地の地下で千里眼のような特殊能力を駆使して分析を進める情報官と補助コンピュータを介して直接リンクしているので、雑多なことには介入したくないという姿勢が表情から伺えたが、上官が無言でうなづくのを見ると少年のような風貌の彼は口火を切った。

「はい。直ちに管制室に向かうべきでありますが、私にも一つ質問する機会をいただきたいのですが。」

命令違反に抵触するかもしれない行為に彼は、頬を少し赤らめながら上ずった声で続ける。

「私は先日特別許可を戴き自由歩行をさせていただいたのですが。」

「君は比較的短い時間でこのホームが恋しくなったらしく、帰ってきたはずだったが。」

「はい、月は自分の足で歩くものではないと思いました。」

「私も新兵だった時、興味本位でクソ重いハードスーツを着込んで出かけたことがあったよ。君のように早々に切り上げて来たがね、それ以来2度と出かけてみようなどとは思わんが。ここに来れば誰しもが掛かる流行り病のようなものさ、気にせず任務につき給え。」

自分の体験を少し挟みつつあたかも若者の話を聞いてやった話がわかる上司のふりをしつつ、自分の仕事に没頭したい姿勢がありありと表情に浮かぶ年配の男の態度に、新人パイロットは気分を害されたのか少し口を尖らしながら彼の疑問の核心を素早く切り出した。

「先日の自由歩行の際、ベレナス峡谷に向かう足跡を見つけたのですが。その足跡をつけた人物は基地には戻って来てないようですが、一体どこに向かっていつたのでしょうか?」

「ベレナス… ?。その先はマグラン胸壁、シリリア台地。 そして、今回の作戦領域渇きの海へと続いて行くはずだが。前世紀の探検家でもない限り徒歩で活動できる範囲ではないな。それがどうした。」

「いや。あの足跡をつけた人物は…。」

若者がこだわりを話し出そうとすると上官は彼を遮り、言い放った。

「いい加減にしろ!足跡がどうしたと言うんだ。非常時の今、お前の寝言に付き合っている暇はないんだ。整備の連中のに迷惑をかけるつもりなのか、管制室へ早く行け。」

「お前が見つけた足跡は、基地建設時の作業ででも付けられたものか。あるいは伝説の探検家、ビリー大佐のものなんじゃないのか。無知無教養なやつでも知っている月面開発の巨人だよ。奴はアリスタコスから神杯の海までウロウロしていたはずだから、この辺に足跡が残っていてもおかしくないものだろうが。わかったら早く行け!」

「しかし、何世紀も前の足跡だと太陽風の影響が…。」

納得いかない表情の若者に、上司はついに癇癪を爆発させた。

「何度も同じことを言わせるな、早く行け!任務が終われば、陰謀の話でもなんでも付き合ってやる!新兵は直ちに管制室に行け、このウスラトンカチ!」

「了解!直ちにオービタ管制室に向かいます!」

さすがのこれ以上の詮索は自分の好奇心を満たす以上に、自分の立場を悪くするばかりになると判断して、侮蔑的発言までした高圧的な中年男に辟易としたが、暗澹たる気持ちを微塵も浮かべることなく若者は踵を鳴らして作戦室を後にした。

「まったく、足跡一つ、何が気になるんだ。ここは戦場で歴史的遺構など些細なことだ。」

若者が視界から消えないうちに苦虫を噛み潰したような表情でつぶやくと、同意するように肩を窄める作戦室のスタッフ達に全てを振り切りように命じた。

「さあ、始めよう。今回の仕事は少々厄介だ。」


4;全ては些細なこと/vitamin64 (MWAM)

新兵の彼がオービタの管制ポッドに身体を滑りこますと、管制官は間髪を入れずに神経接続を始めた。窮屈な管制ポッドの中で彼らの感覚は拡がり、丸裸で真空の空間を見下ろしているような感じなっていた。さらに、オービタの現状座標、燃料残量、旋回係数、制動条件など様々な情報が階層的に流れ込み、千里眼を手に入れたような錯覚に陥る。

新兵と揶揄された彼はポッドの安楽椅子に身を沈めると息つく間もなく神経接続されたので、補助コンピュータが埋め込まれているコメカミにヘビー級ボクサーの左フックを喰らったような衝撃を覚えた。

「!くそッ、ヤってくれるぜ…。」

舌打ちをしながら飛びそうになる意識をなんとか保ち、管制官に抗議のパルスを送りつけようとしていると。相手が先に鋭い一撃を放っていた。

「新兵、何ごちゃごちゃ言いたいんだ!皆を待たしたんだぞ!これぐらいの歓迎で済んだんだ、ありがたいと思わんか!」

「シンクロ率80%、上昇中。オービタ12号から16号、発進可能。」

新兵は呪いの言葉は胸の内に済ませ、管制官の嫌味をいなすと、自分の職務に没頭することにした。


彼らパイロット達はオービタの操縦を、管制室と名付けられた地下の小部屋で行う。そこは意図的に照明が落とされ、狭く、暖かく、適度な湿度が保たれ、胎内を連想させる淫靡な空間であった。彼ら曰くその空間をあえて「棺桶」と呼ぶが、管制ポッドの猥雑さへの宗旨替えのようなものであった。

「棺桶」の中には、艶かしい曲面を有する安楽椅子と神経接続を行うケーブル以外は目立つものがなく、管制ポッドという名であるが殺風景なものであった。しかし安楽椅子には彼らパイロットの右側頭葉を覆うように配置されたネット状のナノコンピュータ端子が在り、煌めく絨毯のように怪しい光沢を放っている。パイロットが着座すると端子からは髪の毛の数十分の1しかない電極がせり出し、側頭葉のネットワークに直接データを流し込んでくれるのである。

一方、基地の心臓部でもある情報士官達は大脳全葉をネットワークに接続され、より効率的な情報の処理と作戦の立案、基地の運用などを数人の合議制で行っていた。彼ら情報士官はこの基地において謂わば特権階級で、彼らの活動内容も成果も、地球の本部への報告も、多くの場合事後報告でなされていた。

それだけ本部はティコクレータに鎮座する情報士官らの処理能力を信頼していたし、彼らは本部の機体に十分答えていた、今日までは…。


「全機発進。」

最古参のパイロット、作戦リーダが淡々と命じる。

現場でのオービタの運用は彼が担当する。彼は初期型からオービタの製作に携わり、機体の特性を十二分に把握していたので、彼の言うとうりにオービタを操っていればパイロット達は自分の預金額が減るコトは少なかった。

オービタはエアロジン50とNTOを用いる強力な比推力を誇る2液推進系ロケットエンジンを配し、マッハ20の最大船速まで30秒以下という圧倒的な推進力を有していた。また、姿勢制御にはヒドラジンを燃料にする1液性スラスタを。加圧用のヘリウムガスとともにエチレンポリプロピレンを内張にした球形のチタン製タンクに収め、電磁弁の切り替えにより毎分最大80回程度の切り替えを可能にした噴射口を機体のxy平面上に6カ所設け、充分な加速性能と洗練した運動性を有していた。

武装する兵器は汎用性の高いランチャースティションKMI-12 を機体の上下に2基づつ4基装備される。通常は機体の上面には無反動性ロケット弾を16発納めたLRL16bMポッドを、また廃莢の影響を受けにくいように下面にはLBUーkバルカン砲を2門、5000発の弾倉と共に取り付けられる。

無重力に近い月面の戦闘では弾丸の直進性は地球の比ではないが、低重力下で在るがために考慮し得なければならない相対論的効果もありそれら全ての管制は半自動的に行われていた。地球や太陽、木星からの潮汐力、太陽風、銀河中心部からさざ波のように押し寄せる重力波…、弾丸は人知を超えた複雑な振る舞いをするのであるから。

パイロット達の任務は武器の照準発射ではなく、効果的な武器の運用であった。いつどこのタイミングで、どの程度弾丸を使うのか。中共軍のパイロット達との腹の探り合い。機体を失う主な原因は弾切れ。ビビって弾丸をばら撒きすぎると、あとは敵さんの強力な火力の前に高価な機体を晒すコトになるのである。

かつてはランチャースティションにEMCユニットを配備するトレンドがあった。機体保護的発想なのであるが、武器管制が衛星管制が主流になった現在、効果の薄い上に重量があるこのユニットを外すパイロットが多く。開発に巨費を投じた軍産複合体の幹部は例のごとく軍幹部に握りと脅し行い、新兵にはこの張り子の虎を1年間は装備する義務を強要したのであった。


「くっ、何時ものコトだが背中の荷物が気になるゼ。」

新兵の彼は発信の際バランス調整にスラスターを先輩達より多く、噴射しなければならない手間に毒づくいた。

「武装もしていないのに、なんでまたブカッコな重りを背負って行かにゃいかんのですか。」

「戦闘中じゃないからって気を抜くなよ。」

新兵の愚痴をリーダが、彼を諌めなだめる。

「通過儀式みたいなもんさ。空身になってつくづく良かったって思うから、それまでしばらく辛抱しなって。」

「そもそも先輩達だって、EMCなんて時代遅れの物なんてどうでもイイって思ってるでしょ…」

「衛星からの光学情報で充分だからな。」

「ほら、新兵さんはイロイロ経験しとかなけりゃあいけないじゃないか。オヤゴコロオヤゴコロ。」

パイロット達は後輩に口々に…。と言っても大脳内で交わされる秘密回線を介して、新兵の苦悩を慰めた。

「今回の作戦でちょうど切りのイイ出撃回数になるんで、記章の数が増えるコトを期待してるんですが。先輩達も司令官殿に推薦して下さい。」

「分かったから、無駄に騒ぐな。」

「そうそう、慌てると司令はヘソ曲げちゃいから。」

「困っちゃうな…。」

愚痴って、甘える。彼は最早新兵の範囲を逸脱した交渉術を、いわゆる『甘え上手』を身につけていた。新兵の彼はチームにとって一服の清涼飲料水のような存在、いじりがいのある可愛い後輩の座をシッカリと確保していた。

「そろそろ作戦空域だぞ、警戒を怠るな。」

失踪してしまったオービタの捜索隊はリーダーの命令一下、予定の機体行動を行い、武器の代わりに装備された各種センサーを総動員して、迷子の子猫を探すように懸命に周囲の情報をさらい始めた。


5;崩壊への足音 /I don't want to be here anymore (RISE AGINST)

直径3m、長さ15mの円筒形のタンクを半分ほどレゴリスに埋め、前線への補給路を兼ねた中共軍の簡易ドームの中で、行方不明になった同志の最後の通信を安大尉は数名の部下と聞いていた。

「定時連絡、渇いた海に展開中。連合は無関心のようです。引き続き、イリジウム露頭の調査を続けます。」

レアメタルの鉱床の調査をしていた部隊の連絡はいつもと変わりなく、安は副官に右手の示指を軽くあげると先に進むように促した。

「通信断絶数分前からです。」

副官は安の意図を敏感に察知し、実行する。阿吽の呼吸は通常の反応であったが、副官の発する言葉の影に在る不安を安はあえて無視した。ここで部隊員唯一の女性隊員である彼女に気配りでもしようものなら、実力でここまで上り詰めた彼女の実力に不敬であるし、そんな配慮を見せようものなら寝首を掛かれかねないからだ。彼の部隊に性差や年齢、種属の差は作戦遂行の判断基準にならず、実力が在る者だけが這い上がれるのであった。たとえ党幹部のご子息であったとしても、安は遠慮なく排斥して来た。

武術の師範で試し割りでは部隊一の記録を持つ筈であるのだが、華奢な副官の指がコンソールの上を踊るように行き来し、再び消えた男たちの声を流した。

「エネルギー反応出現。重力波検出。何だ?新手の攻撃か。各人センサーを注視!」

「撃たれたのか!オーギュルス断崖方面より、高エネルギー体接近!耐ショック体勢を。来るぞ!」


「どうした?着弾しないぞ。どこに行った?」

「足跡がある…。」

「足跡…?なんで、近づいて来てないか?」

「そんな、バカな… 。」

「何なんだ。あゝ、宇宙ソラが裂けてい…。」

後半がノイズに埋れ判別不能な部下の叫びを聞いた時、安はかつて無い事態に陥っているコトを悟っていた。


「後半のノイズの解析は?」

平静を装いながら安は、彼の副官に問いかける。

「はい、ノイズ以降は一切信号が発信されていません。まるで、発信者の存在がこの世界から消え去ってしまったように…。」

長い間安の片腕として彼と共に幾つもの修羅場をくぐり抜けて来た副官は、伝統古武術の奥義を習得しているので大概なことには音を上げない性分であるのだが、今回ばかりは彼女の眼差しには恐怖が宿っていた… 。

「まだ彼が存在しないという証拠はどこにも無い。」

安は自分吐く言葉に何の確証も無いということを自分が一番理解していたが、これから自分の命令でかの地に赴く部下の士気を上げる為敢えて言葉にしたのであった。

「我々は中共軍最強の部隊である!例えどんな敵が現れようと、敵を殲滅し。仲間を救い。我々が最強であることを連合の痩せ馬どもに示せねばならないのである!」

激しい単語を使ったが、安の心の中で台詞が虚ろに響いた、空っぽの酸素タンクをバールで叩いた時のように…。

「出撃準備は進んでいるか!」

彼の強い音圧に部隊員たちは、自分の身を全て大尉に捧げ作戦に臨んでいるのに再び気がつく。大尉は労働党賞、労働大臣賞、五星旗栄誉賞、など数え切れない叙勲を受けていた、今回も彼が我々を導いてくれる、大尉に全てを任せれば上手く行く。残念なことに部隊員のほとんどが安のことを神聖視し過ぎ、危険回避の思考停止をしていた…。長年のファミリーである副官の彼女ですら、安に全てを任せ切り、考えることを止めたかった。恐怖が思考を滞らせ、遠く故郷の黄色い大地に、香しい市場の雑踏に誰もが帰りたかった。薄い壁一枚隔てた死の世界になど身を晒したくはないのだ。

人工的に作られた環境では、強靭な部隊の面々でさえあっても過剰に反応する心身をコントロールするには難しく。一度恐怖に魅入られた心を立て直すことは不可能で、安の言葉を拠り所にする以外彼らにとって自己のアイデンティティを存続することなど不可のなのであった。

部下は安を頼りにすればいいのかもしれないが、部隊の精神的支柱たるべき安は何処にこの厄介な出来事に対して心の安住を求めれば良いのであろう。

何時になく喉の渇きを覚え、安は桂香花茶のパックに給湯ガンから微温湯を注入し、すぐに口をつけた。埃っぽい花茶の香りが鼻腔をくすぐる、懐かしい思い出が脳裏を奔る。故郷で母が入れてくれた花茶。母は花茶はじっくりと湯の中で茶葉が開いてから味わないと、本当の味を味わうことが出来ない。急いで口を付けるヒトはお茶好きではないと、言っていた。

フリーズドライをする必要が無いので軍の正式配給品にもなっている花茶だが、母の入れてくれた琥珀色のお茶はここで口にするものなど比べ物にならないほどうまかった記憶が切なく蘇った。

左手に持った花茶を入れた半透明のポリエチレンパックをその重みを感じやすくするように軽く振ると、ほどよく成分を湯の中に浸透させている茶葉が月の弱い重力に反応してゆっくりと舞い始める。ゆるり、ユラユラと…。

「今いるべき場所はここではない。さあ諸君、仕事にかかろう!」

安は自分自身の葛藤に打ち勝ち、現場に進む決意をした。それが、決別の旅立ちであることを予感しつつも。


6;蠢くもの/seaching life (MWAM)

深い眠りについていた者が度重なるエネルギーの奔放な明滅に、ついに目を覚ました。

自分のことを観察していた筈の小賢しい奴らの姿は、気配こそ感じるが身近に見受けられなかった。

動き出すチャンスだ。

鈍った身体を解そう。

しかし、どれほどの間眠っていたのだろうか。

サクサクと、ガラスの砂に自分の存在を記したことさえ懐かしく思える。

静かで快適だった世界が、実に不愉快なことになっている。

小さきものが這い回り、無作法にノイズをまき散らす。

ほらまた。

散らつく瞬きを。

実に目障りだ。


丁度腹も空いているので、食い尽くしてやろうか。

そうだ、食い尽くしてやろう!

それが、彼の流儀であったことを彼はいま、思い出した。


7;感情、其れは御し難いもの/emotions (MWAM)

オービタによる探査は順調に進んで行った。連合の兵士たちは十分に訓練を受けていたので、友軍機の喪失ポイントを中心に区画を分け、一つ一つ丁寧に探査した。残留放射線、重力波、場の歪みなど詳細なマッピングがされて行った。

「何処にも痕跡がないですね。」

パイロットの一人がつぶやく。

「確かに、ここは相変わらずの風景。レゴリスまみれの荒野だね。」

「何もないな、それは無いはずなんだが…。」

計器の操作やオービタの操船に長けていることを日頃から自負している彼らにも、何も無い操作空間に次第に焦りとえも言えぬ不安にかられ始めた。

電磁波も空間密度も、イオン濃度でさえ何時もと変わらぬ殺風景な月面であった。

「いったい何処に消えちまったんだ……」

「イイ子ちゃんだから出ておいで。」

彼らは自分の不安を紛らわすように軽口を叩き合いながら、次々探査を続ける…、しかし、結果は芳しくなかった…。

「くそ、何処に消えたことやら…。言いたかないけれど、拉致られたみたいだな。」

非現実的な出来事に探索隊の面々が飲み込まれそうになった時、司令から注意勧告の警報が発せられた。

「安の奴らが出てくるぞ。行方不明はオービタだけじゃなくって、パイロットもヤられているようだ。奴ら通常回線で呼びかけまくっている。相当焦っているから、刺激しないように。」

「パイロットが…。あいつら有線だからな、コントロールが。」


連合側は大脳とマシーンのインタフェイスが中共側より若干進化していたので、オービタの操作を基地の棺桶から出来るのだが。中共軍の設備はインターフェイスよりも機体自体の性能向上により重点が置かれていたため、炭素単結晶光学ファイバーの有線下における操船になっていた。有線はインターフェイスのタイムラグを埋めるためには不可欠なものであったが、炭素単結晶の引っ張り強度は18ー8ステンレスの70倍以上と言われ、軽量且つ強靭な操船ケーブルが武器としての体裁を確立していたのであった。

炭素単結晶は入れ子の法則を元素配置に活用し制作して行くわけであるのだが、実際は走査トンネル顕微鏡下で竹籠を編むように行われる。気の遠くなるような根気と正確な技術力で造られたキロメートル単位のファイバーを中共軍は正規品として発注していたが、月面の戦闘では地上のような狭い範囲での戦闘ではないため十分な長さが確保出来ず、オービタのパイロット自身が基地から出撃して行く必要があった。そして橋頭堡のように設計された有人のオービタから、傀儡士のように攻撃用の無人オービタを操作せざるを得なかったのだ。

今回も中共軍は複数のパイロットを、任務のために渇きの海周辺に派遣させていたのだ。

「こちら、連合の探索協力隊です。安大尉、通信確認できましたら、応答お願いいたします。」

作戦リーダがマニュアル通りの通信を行う。

「協力有難う。此方は中共軍の捜索隊、安です。連合さんは連合さんのオービタの捜索を優先してください。」

「畏まりました、では通信終了します。」

いくら協力し合えと上から言われていても、2時間ほど前までいがみ合っていた相手に、早々簡単に右手は差し出せない。現場としては精一杯の譲歩であった。

人の感情は物理現象のように簡単には割り切れないものであった、それが冷淡な物理現象に支配されているこの月面であったとしても。


8;冷めたお茶はタンニンが舌を痺れさす/The black market(Rise against)

「予想していたより、連合の展開は速いですね。」

安の副官は同意を求めるように、彼に視線を向ける。

「奴らは我々の有人システムを、探りに来ているのであろう。我々のシステムは奴らが考えているような脆弱さは皆無だというのに、ご苦労なことだ。」

安は副官の問い掛けを、微妙にニュアンスをすり替えて答える。はっきり言って連合のことなど、対した問題では無いのだ。消え去ってしまった同士の遺した言葉が、彼の脳裏から離れなかったのだった。

「さあ、座標3ー0pxからもう一度さらうぞ。」

安は職業的責任感からこの場に留まっているが、彼の本能はここから、いや出来ることならば全てを投げ出して月面から立ち去りたい衝動に満たされていたのであった。

彼の本能は恐怖の本質に敏感で、それが彼の功績を支えていたので在る。その生存本能が今回の作戦は「いけない」と囁いているのであった。

しかし彼の意思は尊重されることはなく、党人事は彼を探査責任者に抜擢した。戦績から妥当な判断なので在るが、安は今まで積み上げて来た自分の実績をこれ程疎ましく思ったこたは無い。様々な叙勲で今まで誇らしく思っていた栄光が、これ程忌まわしく思えたことは無かった。日々の鍛錬や訓練が己の存在を脅かすとは、何とも皮肉なことだ、安は悍ましい未来の予感に身を硬くせざるを得なかった。

「大尉?」

勘の鋭い副官が尋ねてきた。

「いや、各粒子線の状況を詳しくマッピング。変動値が認められない場合は、センサーのフィルターを変更するので報告するように。」

「了解!」

各自がベストを尽くしても、彼らの探査は思うような結果をもたらせなかった。センサー類は無情にも反応せず、モニターにはピックアップされる情報は何一つ上がってこなかった。

「全バンドで異常なしです。」

副官は半ば諦めたように報告する。

「一旦、基地まで後退する。ドーム内の設備はこのまま、モニタリングは自動で継続。さあ引くぞ、急げよ。」

探査という作戦の最低限は達したという言い訳をしなければならなくなるという思いもあったが、そんな自己保身よりも今すぐここから離れなければならないという恐怖の方が安の行動を急かせていた。彼の本能が、そう判断させたので在る。

「安ですが、装備の補充を希望します、一時帰投の許可をお願い致します。」

安はドームと基地を結ぶホットラインで党から派遣され現場には絶対に出てこないウラナリ瓢箪に、事後承諾の感はあったが要請する。

「連合は渇きの海の探査を始めているが、何か手違いでもあるのか。」

安の不安を見透かすように、相手は不機嫌そうに応答して来た。典型的な官僚主義者、予定調和が座右の銘であるような堅物である。党の教育システムが奴のような融通の利かないバカ物を産むのかという、ドス黒い怨嗟の気持ちが湧き上がったがこいつの機嫌を損ねたら部下達が、自分が生命の危機に陥ると判断し、規則原則に合致した返答をした。

「緊急規則3号の5項に則り、火器管制の強化の為に帰投を再度要請する。」

「3号5項目…、『緊急時の装備に関して現場判断に委ねる』と言うことか。今回が適応になるのか甚だ疑問で在るが、歴戦の勇者様の要請であるから無下に否定もできな。安大尉、今回の要請は今後監査対象になるが宜しいかね。」

階級的には安より遥かに下であるはずなのに、党から派遣された倫理委員であると言うことだけで尊大な態度で事ある毎に突っかかって来る相手に、いちいち腹を立てていたらこの骨の髄から漏れ出るような不安を払拭できるわけでは無いので、安は短く返信すると部下達に命じた。

「装備を整えて出直す。急ぐぞ!」

確かに軍と党は表裏一体で巨大な国と言うシステムを運用して来たが、今回のような状況に即応出来て来たのかと言う評価はされてこなかった。国が大きくなり過ぎて権力が一部の人間に集中し、その権力が家族性に継承され専横されてしまっている現在、国民の命が国民の存在が駒のように扱われているのであった。

「兵站部への指示は?」

副官は安の意図を図りかねていたが、任務を円滑に運べるように私情を捨て彼女が今なすべき行為を優先しようとしていた。

「核装備を。500キロトン弾頭をミサイルに装備するように指示してくれ。」

「核ですか。はい、総量は?」

「出来るだけ多く、装備限界までだ。」

「500キロですと、各オービタ6発迄ですが、300キロですと10発は充分搭載可能ですが。」

「どうせ喰らわすならば、500キロでだ。」

安の命令に部隊の全員が状況のマズさを、再確認せずにはいられなかった。

かつて二重スパイ李文和によりもたらされた情報で飛躍的に小型化されたとはいえ、月面での核兵器の使用は放射されるエネルギーを直に浴びかねないので、その使用は制限されていた。連合側はオービタを遠隔操縦で扱うのでオービタの汚染だけを考えれば良く、核の使用は比較的障壁となる使用許可のハードルは低かったが、それでも核の使用は必要最小限度に抑えられていた。一方中共側はオービタの管理を有線操縦でおこなう為に、戦闘領域に数キロ地点までパイロットが接近しなければならなかったので、核の使用は厳格に管理されていたのであった。しかし、中共軍の彼らにも核兵器仕様の前例がないわけではなかった。ほんの数ヶ月前の静かなる入江での戦闘で、襲いかかってくる連合側に熱い核の洗礼を浴びせていた。当然連合も熱い兵器を戦線に投入して応戦したが、強力な破壊力は双方に損害を与るだけで、効果的な戦績をあげたとは言い難い結果になっていた。


彼ら中共の発想の中には、連合のようにエネルギーをただ単に貪食していく大量生産大量消費の発想が無いのであった。 「中庸」と表現される彼らの発想は、世界に存在する全ての物を求めるのではなく。世界に与えられた物質の一部を、生活の質を若干高める為に活用させてもらおうと言う物で有り。資源を自分の物として独占するのではなく、敬意を持って分け与えてもらうと言う受動的思想であった。

安も当然中庸を理解していたが、今回ばかりは幾ら老荘孔の思想を説いても埒が明かない相手のように思えて仕方がないのであった。眼に見えぬ相手。センサーに反応し得ない相手。感じることさえできない相手。恐怖以外彼の心には無かった。

その感情に対して打ち勝つには、凶暴なエネルギーの憤怒を生み出す熱核兵器しか彼の選択肢のは無かったのであった。プルトニウムとウラニウムの産み出すエネルギーの噴流こそ彼の不安を払拭し得る唯一無二の存在なのであった。今彼は何の躊躇いもなくもなく、トリガーを引ける自信があった。彼が神経感応スウィチで命じれば、およそ13トンの弾頭は並列配置された炸薬の爆発力で超高速に加速され標的に打ち出される。 時限式の信管は標的に近接すると弾頭プライマリー部の32に分けられた爆縮用の火薬に点火信号を発する。 各ブロックの中心部には正20面体上に分割されたプルトニウム239が配置され、燃焼速度の異なる二種類の火薬の燃焼により生じた圧力差が効率的に核分裂可能な臨界量にプルトニウムを圧縮する。さらに中心部に配置されている点火用中性子線源のポロニウムを包んだアルミ箔を裂き、核分裂の連鎖反応を生じさせるのである。

核分裂によって発生した熱線は弾頭後部、セカンダリーに配置されたウラン238の円筒形容器に納められた重水素化リチウムを容器を弾頭内に満たしてあるスチレン重合体の燃焼圧の推進効果で圧縮し、更に核分裂によって発生した高速中性子がセカンダリー中心部に配置してある軸状のプルトニウム239を点火させ、水素の同位体である核融合燃料を超高温超高密度に圧縮させローレンス条件を満たし核融合反応を生じさせる。

そしてセカンダリーの容器、則ちウラン238のタンパーが核分裂反応を生じさせ、TNT火薬500キロトン相当のエネルギーを空間に解き放つのであった。

しかし、そんな物が安の心に拠り所になるという事が、彼等の状況判断の誤りなのであった。


9;傷みを感じない身体/Thank you pain(Agoist)

生物学的には世代が続くかどうか疑問が生じるのではないかと論じられる程長い間、彼らは危険極まりない食欲の権化と化した奴をこの小さな衛星に押し込め監視していた。

貪食し、大食し、喰らい尽くしたとしても満足する事なく食べ続ける食欲の魔神を、故郷から遠く離れたこの小さな岩の塊の中に閉じ込めた置くのであった。仮に何かの間違いで飽満することない食欲の此奴が目覚めたとしても、岩の塊の足元には緑に輝くであろう兄弟星が在り、奴の胃袋を刺激する程のエネルギーを生み出してくれるであろう。そうなれば例え奴が目覚めたとしても、奴の興味は手近な餌へと引き寄せられ、母星への攻撃の機会は回避されるはずである。その管理の為に我々二体の結晶生命体が派遣されているのである。

痛みや感情が切り離された我々は奴を挟み込むように配置待機して、然るべき時を待っていた。

無限に過ぎるのではないかと思えた時の流れの中で奴の眠りを妨げる事態が起こり始めると、二体の偽生命体らは衛星の結晶格子を介して信号をやり取りしシナリオの確認を行った。奴の監視と誘導の為に緑の星から舞い降りた贄に、積極的に介入する事を決めたのであった。

冷徹な意識の元結晶体は、貧弱な密閉容器の中でしか自己の存在を保持し得ない不完全な肉体であるのにも係わらず、果敢にこの不毛な衛星に降り立った野蛮な生命体に干渉したのであった。彼らは枯渇し始めたエネルギーを得るために競い訪れた小さな星に、異星からの贈り物が仕込まれていようとは夢にも思ってなく結晶生命体の存在に驚いていた。しかし一度結晶格子の有用性を知り得ると、思想思考が異なる二つの陣営は小躍りして結晶体を自分らのシステムに取り込み、お互いに手にした筈の事実を秘密にした。

連合と名乗り経済力で他者を併合していった過去を持つ側は、結晶生命体の人格には興味がなく。彼の有する演算スピードとデータベースに着目し月面軍の運用をサーポートするべき情報管制官に抜擢し、相手側を如何にして出し抜くかという作業を強いたのであった。かつて金やオイルで世界を牛耳っていたこちら側の中心国の住人は、宗主国のような態度で君臨し、使えると判断されたなら人種、宗教、種族など全く関係なく支配下に置くという交戦的且つ勝利絶対主義の国家であったので結晶体を隷属すると、言うことは当然の帰結であった。

一方、中庸や対極感など常に利他的嗜好が官僚機構の追求する成果至上主義の利己的志向とが対峙し、党と軍で無意味な狂騒が繰り返されてはいるが、世界の半分を影響下に取り込むことが出来た「世界の中心は我に在り、我と共に歩まん」という名を付けた、中共なる一群は。導かれて得た結晶生命体の本意を完全に把握出来るまでは春秋時代からの食客扱いで、月面活動のオブザーバー程度の立ち位置に置いたのであった。単純に他者を簡単には信じない民族の先天的気質であったかもしれないのだが。

結晶の彼らは共振し合うことで互いのデータを交換することが出来たが、有機生命体に自己のすべての情報を開示する義務も義理も無かったため滅びゆく彼等に言われるまま求められるまま、彼等のデザインに沿った作業をひきうけたのであった。何せ、彼等には時間的制限であるとか、感情的欠陥であるとか、情動による判断ミスなど考えられなかったのだから。

そう、彼等無機質の身体には歓びも哀しみも、傷みでさえ感じることが出来ないのであるから。


10;情報士官/DIVE(MWAM)

衝撃変成岩に覆われたティコクレーターの地下深く、天然で出来上がったとは到底考えられない真球の空間に作られた、連合軍の前線情報処理機構で六体の情報士官達は、得られたデータを互換し状況の分析を急いでいた。


彼らの内5名は月に近接した重力井戸の底から這い出してきた有機生物で、もう一名は遥か遠い異星からやって来た生命体であった。彼は人間達が鉱山開発をしている時に偶然、瀕死の状態でこの球形の空間に発見された結晶生命体である。彼は通電され機能が復旧すると、地球での文明の黎明期から情報を収集していて、いつか自分の存在に気づく生命体がこの地を訪れ、自分を救出すると確信していたと連合係員の問いに応えた。すでに準備万端であったかのような迅速なコミュニケーションの確立に訝しまれる場面もあったが、驚異的な演算スピードとほぼ無尽蔵と言えるデータベースに連合側は彼を月面に留め、彼の欲する電力エネルギーを供給することと、その対価として月での連合軍の情報分析に携わる事を契約した。連合は強力なアイティムを手に入れたと考え、彼の存在を喜んで受け入れた。

それが彼らの誘導であり、パワーバランスを取るために中共側にも同じ時期にもう一体の結晶生命体が発見される手筈であることは、有機生命体は知る由もなく、束の間の多幸感に酔っていた。彼ら結晶体は尋ねられれば答えるが、問われなければわざわざ彼らの不利益になりかねないことは、答えるわけがない。そんなに世界は甘くはないのである。


情報士官の認識としてあらゆる事象には原因があり、あらゆる現象には結論を出さねばならないと言う義務が課せられていた。

ある士官は共同探査の取り決めなど始めから無かったかのように通常の諜報活動を継続させ、仇敵のホストコンピュターにハッキングを仕掛け、安大尉の作戦活動を探っていた。また、ある士官は中共軍の機密回線上のファイヤウォールをアイスプログラミングで凍結しつつ、地上との交信の傍受に勤しんでいた。当然相手側も大して変わらない状況であろう、諜報と協定違反は表裏一体。華々しい軍の作戦活動の陰で密やかに行われる、陰湿な腹の探り合いなのだ。

彼等の活動は謂わばマッチポンプ、火のないところに無理矢理にでも問題をでっち上げる。そして、軍活動を誘導し軍備品を消費させ、栄光なる作戦成果を作り上げ、賞し。自らの存在を誇示する。

そうでもしないと168000キロ以上離れた揺り籠の中で惰眠を貪り肥え太るだけしか能の無い議員達に、虎の子の活動資金を減額されてしまうからだ。

バックマージンを事あるごとに催促しつつ、自分の議席を確保するために有権者受けする議案を提出する整合性皆無な態度は、いつの時代も変わりはなかったが。情報士官達は充分な距離議員先生から離れているので、ピンボケな二世三世を手玉にとり、潤沢な資金を万年赤字の予算から獲得していた。

月面での快適な生活は、彼ら6人の手腕によりなし得ていると言っても過言ではなかった。


「さして新しい情報はありませんね。ただ安大尉が前線を引きましたね。」

「500キロの弾頭を用意させるようです。w89を各6発装備するようです。」

彼等には情報士官という括りであるため本来階級的な上下関係は存在しないのであるが、6人が一度機に現職に就いた訳では無いので、赴任時期により後輩が先輩に対して敬意を示さねばならないシュチュエーションはままあった。

「有線で目一杯核を扱うとなると、安たちは相当量の被曝覚悟ですね。人的に被害が想定されます。」

「了解した、安たちの有人活動は何時もの事さ、予想通り。しかし君の指摘する損害予測であるが、君の遺伝子に刷り込まれた核へのアレルギーが事実を歪曲しているのではないのかね。それとも、小魚を追いかけていた時に無駄に肥大してしまった大脳が生み出した独特な解析力。所謂カンというものなのかね。」

連合の中心国である大陸出身の士官が、報告に嫌味たっぷりに応じた。男は新人いびりを生き甲斐にしている下衆な性格で、彼の出身国の特徴と言うわけでは無いのだが、誰彼かまわず気分で噛み付く凶暴な性格であった。安の行動を予測した士官は海洋哺乳類出身であったため、選民思想の強い男の鬱憤ばらしのターゲットにされていた。

連合は情報処理力向上のために大脳研究を進め、体重比でヒト属よりも大きな比率を有する海洋哺乳類に早くから注目していた。その士官も研究所のプールの中で生まれ、離乳も待たず母親から引き離され手術を受け強制的に教育プログラムで分析力が強化され、月面基地に送り込まれて来たのであった。従って彼は大海原で贄を穫った事もなく、先輩ずらしてはいびり出す同僚に揶揄される筋合いも無いのである。

「カンではなく、推測と言っていただきたい。」

脳油と呼ばれる器官を駆使して深海へとダイブを繰り返し、光さえ届かぬ世界で超音波を頼りに、自身のより数倍の体長を有する軟体動物を捕食する獰猛さは彼の遺伝子に確実に組み込まれているようで。肉体という呪縛を解かれ脳髄だけの存在でこの地に赴任さられているが、毎度恒例になっている宗主者気取りの相手の嫌味に真っ向から反論していった。

「では、現在お持ちの情報から現状をどの様にお考えなのか、お教えいただきたい。いや、是非ともご教授頂きたい!」

脳郭タンクの中で視床下部からすでに切除され存在しない副腎皮質に分泌命令を送り続ける同僚であるはずのマッコウクジラの反応に、何のためらいもなく白肌に碧眼の北アメリカ大陸出身の男は全脳インターフェイスで覆われ身じろぎできない身体で唯一動かすことが出来る口元を右側だけ盛大に引き上げると、待ってましたとばかりに演説を

始めた。

「実戦経験があるはずもない頭でっかちな君には、到底理解出来ないであろうが。安の初陣から彼の実績を文字通りこの透き通るように美しい私のきめ細かい肌に、このマイアミの休日のように澄み切った蒼く輝く瞳に、実戦で刻み付けている私の見解では。」

まるで自分が大統領のスピーチライターにでもなったかの如く、彼は雄弁に語り出した。

「彼等は有人操船に、絶大な自信を持っているようです。まあ、我々に対してそれなりの実績がある事は事実なのだから、認めざるを得ないところである。彼らの上げた戦績イコール我々の戦況被害であるわけだから、事実を見誤りたい貴兄の気持ちも分からなくは無いが。事実を事実として受け止め、そこから如何にして我が軍に利をもたらすかという事を示さねばならない。」

「彼らの事を決して侮ってはいけない。奴らは実直で、愚鈍であるが、狡猾なのだ。くれぐれも奴らの能力を軽んじてはいけないのである。」

「私は決して彼らの事を…。」

白人種の鼻持ちならない演説の後、自身の脳髄の中で吹き荒れる怒りの衝動で口喉と気嚢に命令を下し、彼らの種族が深海で狩をするときに使う致死性の波形を含んだ短いパルス状の超音波をしたり顔でニヤついてるであろう相手に発しようとした。しかし、彼の超音波の発信器官は大脳ネット手術の時に既に切り取られていて、目的を達することはできなかった。


11;情報士官2/You will know my name(Arch Enemy)

「よろしくて。」

同じ白人種であるが旧大陸出身で、穏健派を自称する女傑が彼らに割った入った。彼女はかつて国際機関で仕事に就ていたようで、バランス感覚に富んだ作戦を立案するのを得意にしていた。

「相手が今回の事案でも有人探査を行うのならば、我々としても同じ様に有人探査を行う用意をしておく必要があります。しかし、みなさんご存知のように我々には有人活動のノウハウがあまりありません。」

前職の会議場でならば彼女は肩まで伸ばしたブロンドの巻き毛を首を振って揺らす演出をしているところであろうが、全脳ネットの端末に埋め尽くされている肉体は微動だに出来ず、毒舌を辺り構わず撒き散らす彼のようにせいぜい下唇を少し吸い込む程度であった。

「ですが、この基地のパイロット達に全くスキルが無いかというわけではありません。この基地のクルー達は新人の時。通過儀式を受けるが如く皆、月面歩行の経験があるのです。彼らの貴重な体験が、今回の異常とも呼べる局面を打破できる切り札であると言えます 。」

「ハードスーツを着込んだパイロット達をオービタで運び、ガレリア丘陵から渇きの海に向かって展開していくのです。」

「オービタ上部のランチャーステイションを一部改造すれば、充分な火器を装備した状態で人員を輸送可能です。なお改造に要する時間は、兵站部の人員を非常召集かければ2時間程度で、出撃可能になります。」

地下空間に鎮座する結晶生命体が彼女のサポートをする。

まるで生身の人間が、過酷な環境に身を晒すことを歓迎するかのような反応であった。彼が回答を求められないのに自ら情報を発することに、他の情報士官らは違和感を感じたが状況確認程度の発言であった為、スルーして議論を急いだ。

「補完情報感謝。オービタを改造して、20名程度の捜索隊を編成します。彼らの上空では従来のオービタが哨戒活動をして、現場での有人活動をより短時間にする事が出来ます。」

「オービタ墜落は確かに由々しき問題でありますが、しかし、中共軍が異例の速さで共同捜索を求めてきた事の方が遥かに問題を孕んでいると私は解釈いたします。」

海洋哺乳類の脳郭が、彼女の話しを遮るように割って入る。

「そもそも何故、大気という防護壁の無い真空の世界に、生身のパイロット達を派兵せねばならないのかと言うことです。彼らは我が軍にとって攻守の要、簡単にこの基地から出すわけにいけないと思います。」

「今回のオービタの墜落に関して未だ釈然としないことが多過ぎて、正確な判断が下しにくい。それ故に、攻撃地点の近接地点までパイロット達を出撃させるあいつらの姿勢に疑問があると進言したのです。」

実にオーソドックスな反証を受けると、彼女は切り口厳しく対案を求めた。

「では、如何すれば良いと思いなのかしら。」

「確かに多重防御体制を構築出来れば、現場の有人探査も現状の機器資材で可能かと思われます。が、オービタの墜落の原因が特定出来ない状況での有人作戦は、パイロットという優秀な人材を、パイロットという補充が難しい人員を失ってしまう可能性があるのです。彼らを、この基地の生命線とも言える彼らを出撃させてしまったら、一体誰が基地の護りをするのですか。」

「では、対案をお示しください。」

再び結晶生命体が議論に参加した。通常の作戦計画には殆ど参加しないで、作戦の成功確率のみ関心があるような素振りを見せつことが常であった為、この日2度目の積極的な結晶体の発言は他の士官たちの興味をかき立てた。

「 効果的なの作戦立案の為には、建設的な意見交換が不可欠と言うことは、皆さんに語るまでもない事とは思いますが…。」

計算しつくされた言葉が、有人探査に懐疑的な彼に浴びせられた。

「対案は…。従来通りのオービタの運用で探査を進めるという物になりますが…。」

とうの昔に失ったはずの口吻を烈しく打ち鳴らしたかったのか言葉を発せられなくなった彼を尻目に、宗主国気取りの男が貴族のような振る舞いで議論に終止符を打つ。

「我々は充分すぎるほど議論をした。私は決断したい、有人活動に1票!」

「発案者の私は当然1票。」

リベラルな彼女も仕切られたことに多少機嫌を損ねたが、同じベクトルを主張した男に同意する。

「棄権」「同じく棄権」

諜報活動に没入する二人は棄権を表明し、賛成3に反対1、棄権2で有人作戦は許可された。

海洋哺乳類vs結晶生命体。

言い換えれば、有機生命体と無機生命体の闘いは、あっけない程の幕切れとなった。有機生命体が十数億年前に誕生した波打ち際の泡の如く、簡単に終止符は打たれた。彼らの存在がこの時の選択で、否定されることになる運命になることも知らずに。


12;災いは突然に/your way(MWAM)

「新兵!作戦の変更があるからログオフして作戦室に出頭せよ。」

新兵といえども数台のオービタを管理していたので、彼もそうは簡単にブリーディングルームに行くことはできないのであったが、求められれば従わなければならない宮使いに愚痴ることぐらいしか出来なかった。

「やれやれ、行けと言ったり。戻れと言ったり。忙しい事ですな…。」

操縦するオービタを基地に帰還さすべき進路を決定しようと、ガンカメラで月面をさらって見た。

すると…。日の出後3週目の眩い太陽光に照らされたレゴリスの上に、そこに在るべきでは無い物が彼の視界に飛び込んできた。

「あれは…。こんな所まで続いているのか…。」

オービタが展開するこの渇きの海からシシリア台地に向かって、彼の視覚は遥かティコクレターへと一直線に連なる、足跡に。釘付けになってしまった。

「どうした、新兵!早くしないと強制ログオフ喰らわすぞ!」

管制官がしびれを切らして介入をほのめかすが、彼は輝くレゴリスを真一文字に切り裂く、漆黒の構造物から視線を外すことが出来なかった。


「クッ、…。」

側頭部から微細な電極が、無情に引き抜かれた。

脳漿が傾かされ、眩暈にも似た感覚が彼を襲った。

「グズグズするな!作戦室向かえ!」

管制官の怒声に伴い棺桶の内面が視覚に戻ってきた、強制ログオフは公約通りに実行された。急激な情報シグナルの変化は吐き気や平衡感覚の麻痺を及ぼすことがあるので通常はシグナルを調整しつつ段階を踏んでログオフさせる事が管制官の技術であるのだが、今回は懲罰的な意味合いもあるのだろうが管制官の態度は明らかに違っていた。

「早くしてくれ!とっとと出て行ってくれないと、コッチがドヤされちまうんだ!」

何時もは見せない神経質そうな側面をおくびも無く披露

する彼の心中を慮ることは出来なかったが、作戦室へ急ぐことが得策と判断して新兵は低重力を味方につけ身を翻すと、猫のような俊敏さで棺桶の淵を後にした。

新兵の脳裏には上官の怒声よりも、レゴリスを醜く穢す暗黒の斑紋の方が心を乱す存在であったが、命令違反で懲罰房にぶち込まれることも願い下げだったので目先の問題を一つづつ消化することにした。


「よし、揃ったな。」

新兵が作戦室に着き司令官を囲い込むように立つ諸先輩の背後に身を置くと、手間取って遅れた彼に嫌味を言うことも面倒なのか不機嫌そうな表情を隠そうともしないで作戦の説明を始めた。

「君らは0600までにハードスーツを着込み、改造オービタを直接操縦して渇きの海にて探査活動をすることを命じる。詳細はマニュアルを確認するように。」

「この作戦は前代未聞なものである。各自ボーナスは期待してもらって構わないが、危険性は当然大である。」

司令官はそこで言葉を切ると、選抜されたパイロット達の一人1人の顔にきっちりと視線を合わせ彼らの反応を確かめる。比較的若手のパイロットが選抜されているのだなと新兵の男が漠然と思っていると、それを見透かしたかのように年長の司令官が続けた。

「今回の作戦には今まで以上に柔軟な発想と強靭な体力が必要になる、そこで若手である君らが選ばれのである。」

「君らはハードスーツによる月面歩行を経験済みであるし、兵器の取扱いにも長けている。これ以上の適任はないと考えるが、反論はあるかね。」

新兵の彼は自分以外にも多くの仲間がいたことにレゴリスに残された多くの足跡に示唆されていたが、実際に眼に見える形に表されると気恥ずかしい気持ちになった。

「マニュアルに安が熱核融合兵器の使用に踏み切る可能性があることが記載されていますが、放射線、特に中性子線に対しての防護はどうなりますか?ボロン添加のプラバン程度では納得できませんが。」

パイロットの一人が疑問を呈する。

「奴らの核は、弾頭W89をレールガンで撃ち出す旧式の500キロトン兵器だ。十分な回避距離を確保していれば、君らの遺伝子が損傷することはない。情報士官の試算によると奴らは50発程度のW89を投入するようだ。まずあり得ないが、それら全てを一点集中投下した場合は回避遮蔽防護の原則が必要になるが、そんな無理な核の運用をすれば奴ら自身であっても被爆を避けられなくなるだろうが。」

「では出撃時にはこちらも十分な武装をして、構わないということになるのですね。相手がW89ならばこちらもそれなりに準備が必要になりますから。」

司令官の答えを受けパイロットがつぶやくと、上司の男が情報士官からもたらされた作戦への国の破格な条件を口にした。

「HESHでもHEATでも積めるだけ持って行くがよい、今回の武装費用は国が全額負担してくれるんだそうだ。奴らを上回る量のW89を装備しても構わんぞ。攻撃こそ最大の防御だからな。」

司令官の大盤振る舞いの太鼓判にパイロット達は色めき立ち、各々が得意分野の武装の確保に向かう。

「兵站へ!オービタの改造に立ち会うぞ!」

「バランス的にはレーザーユニットが有利では?」

「俺はAPFSDS行こう。バルカンポッドより連写速度は劣るが、こいつに抵抗出来る装甲はあり得ないからな。」

「複合反応装甲はどうなんだ?L/D比が適当でないと思うように突破できんだろうが。」

「当然タンタル弾さ、タングステンや劣化ウラン程度じゃ信頼性がイマイチだからな。」

「タンタルか、おまえ今までフルタンタル扱ったことあるのか?」

「あんな金食い虫、そうそう装備することなんて出来るわけないよ。」

「タングステンとは廃莢速度が違うからジャムるかもしれないから、俺はタンタルAPFSDSよりも弾幕兼ねたHEATバルカンで行くわ。」

「まあ、好き好きってところかな。」

彼らは生身で戦場に駆り出されるということで、今までの戦闘にはない高揚感に見舞われれていた。軍の命令は絶対であり無謀な作戦に参加せざるを得ない今、生き残るためには士気をあげ自らの手でチャンスを拡げなければならないのだから。

彼らは彼ら自身の手で自らの武装を決め、自らの足で自らの歩むべき道を選んでいった。

そして、その道に何があろうとも。


13;導かれるように…/whatever you had said was everything( MWAM)

「お前も情報士官サマに選ばれたか。」

作戦概要を補助コンピューターにアップデートしている新兵に、役目の大半をなんのもめ事もなく終えた司令官は声を掛ける。

「月面行での実績が評価されたんだろうな。コレでお荷物を降ろせるな。」

彼は役に立たないECMユニットのことを言ったのであったが、右手を側頭部に当て考え込んでいた。

「どうした?武装は決まったのか。」

反応のない新兵に訝しんだ中年の男は、再び問いかけた。

「いえ、私は火器ポッドより燃料とエアーの増槽をお願いしたいのですが。」

「橋頭堡になってくれるのか。要所要所にデポしていくから心配はいらないと思うが、根拠は?」

「 アシア…。いえ、作戦領域の中をより正確に探索したいのですが」

新兵はこれ以上レゴリスに記された沈黙の遺構にかまけていたら、自分の立場が危うくなることを十二分に理解していたので、司令官の質問を躱すことにした。

「 フン、まあ良い。好きにしろ。協定では非武装と言うことになっているから、お前のような奴が居てくれると助かるよ。」

「では、失礼致します。」

自分の魂胆が見透かされたような落ち着かない気持ちになり、若い彼は作戦室を急いで出て行った。そんな彼の背中を見送りつつ司令官は、若くして逝ってしまった多くの自分の同僚を思いつつつぶやいた。

「他人より機転が効くやつは、早死にか長生きか。両極端なんだよ…。あいつはどうだろうか。」

低重力下の基地の中を滑るようにオービタに向かった新兵の姿が視覚から消えると、彼の心には生き残ってしまった自分が正しい判断をしてきたかどうか、答えの出ない命題に再び立ち向かわなければならない準備をする時期がきてしまったのではないかという一抹の不安が芽生えたのであった。


14;贄/Dead Ocean(The Agonist)

彼らを襲った異変は、安大尉らの部隊が渇きの海へと基地を出た直後に起こった。

「大尉…。レーダに強力なエネルギー反応が…。」

部隊の斥候である隊員が伝えてきた。

「退避しろ!」

大尉のレーダにも反応が出たいた。彼らの直ぐ前方に、地獄の業火のような反応が現れていた。燃え盛る炎のようなモノが静かに近ずいて来るのであった。

「うわぁぁぁ、ソラが…。」

絶叫と共に安の部下の反応が消えた。

「どうしたの、現状の報告を。」

副官が無線で叫んでいる。

安は全てを予期していたかのように冷静に命じる。

「全弾発射!」

安は発令と共に、自機の感応スウィッチを入れる。

「イケイケ!吹き飛ばしてやる!」

「クラエ!」

部隊員が装備した全ての火器を一度機に発射された。


安の補助コンピュターから発せられた信号はピコセカンドの間で、W89弾頭を格納したミサイルが装備されている火器ポッドの3本のレールの上に配置されている炸薬の初弾に点火を命じる。炸薬の爆発力は弾頭を弾き出すんは充分ではあったが、目標までの運動エネルギーにはほど遠かった。しかし、初弾爆発の直後に次列の炸薬が点火されその爆破力が弾頭を加速していく。更に次列の炸薬が…。この作業を瞬時に繰り返し弾頭はレールに沿って加速され、目標に向かって発射される。弾頭が放出された武器ポッドレールは、緩衝装置の機能をはるかに凌駕する衝撃を機体伝えると同時に、弾頭との摩擦でイオン化し鈍く赤外線を発する。弾頭は目標に地点に達すると、憤怒にまみれた邪悪なるエネルギーを衝撃波と共に空間に放出する。

質量の数%をエネルギーに転換した弾頭は、人類が利用出来る最大規模のものである。しかし、安たちの眼前に迫る異形のものは、安たちの攻撃を嘲笑うかの如く平静に空間を何事も無かったように裂くと、W89の全てのエネルギーを虚空に受け流した。

「大尉…。目標、変化ありません。接近中です。」

副官が回避に必要な座標を部隊の全員に送信しながら、安に報告する。

「全員回避!」

間髪を入れず安は部隊に退避命令を降す。しかし、隊員は一人ずつ異形のものの餌食になって行く。

「大尉、ダメです…。逃げきれません!大尉!たす…。」

「クソ!クルな!ナンなんだ…、こいつの腹の中には星が…、見える…。」

「うわぁぁぁ…。」

絶叫と共に次々呑み込まれて行く隊員の断末魔の通信に、なす術もなく基地にオービタを走らす安が急に進路を変えた。

「大尉!敵は高速で接近中です。その方向では回避出来ません!進路を戻してください!」

副官の哀願を耳にしたが安は彼女の忠告など気にすることなく、異形の敵との交錯邂逅する道を進んだ

核の膨大なエネルギーですらこの相手には何のダメージも与えられなかったのだから、逃げても無駄であると判断した彼は、同じ屠られるならば副官が記録する様々なセンサーが自分を喰らう時に何かしらの対抗策を導きだしてくれるのではないかと信じ、あえて自滅の道を選んだのであった。彼がかのものに近ずくと、空間が裂け、何も無い灰色のノイズに満たされたような死の世界が眼前に拡がった。

そこはまさに、死の大洋であった。

「大尉!」

副官は叫んだが、その悲痛な声は彼には届かなかった。

英雄 安はもうそこには、存在していなかった。

「!」

しかし 、安の死を悲観する時間は、彼女にあまり残されていなかった。何故なら、レゴリスにものすごい勢いで足跡を付けながらヤツが近ずいて来るのであった。

それは、彼女が次の獲物に成り下がったことを意味していた。そして、彼女の絶望は虚空に飲み込まれて行った。


15;加速する終局/Monochuronical Stains(Agonist)

「どうした?奴らの基地が。消えて行くぞ… 。一体何が起こっているんだ。」

諜報担当の情報士官が突然の出来事に、たじろぐ。オービタが突如としてコントロールを外れた時のように、何の前触れもなく敵の拠点が消えて行くのであった。コペルニクス、アリスタルコス、ケプラーなど盛大に中性子を吐き出していた巨大な発電施設が沈黙を始めたのであった。基地機能を維持する為に必要な電力は、月面の特異性。即ち遮蔽施設など必要のないと言うことを最大限に発揮される、黒鉛型の増殖型分裂炉で賄われていた。この型の炉の利点は地上でだぶついている前世紀の遺物である分裂炉の使用済み核燃料に含まれる大方の長周期放射性元素を燃やせることであるのだが。一度運転を始めたのならば、空間に放射される高速中性子が、地上では無理やり活用の理由付けをしたD-T融合炉など蚊の羽ばたき程度にしか感じ得ない膨大な量放出するのだ。この炉はやはり無人で運転される月面の処理工場で焼き固められた直径3メートルのガラス化された燃料上端部から加速器から照射される粒子線で点火し、半自動的に下方に向かって燃焼させ、燃焼が完了する10年後そのまま地下に埋設される。確かに燃え残る処理不可能な放射性物質は格段に減量でき、そのまま埋設可能なレベル迄残留放射線を引き下げることが出来る。その過程で放出されるナイアガラ瀑布のような高速中性子の洗礼に目を瞑ることができるのならば。

高速中性子は陽子と電子、反電子ニュートリノにβマイナス崩壊するまでのおよそ15分の間。電磁気的に中性であるため磁気などに反応せず、物質透過性に富み、原子核に衝突するまで直進し、陽子衝突時は保有する運動エネルギーのほぼ全てを解放する。エネルギーを受け取る陽子は原子核から弾き出され、不安定になった原子核は崩壊反応を繰り返し行うことになる。

これらの反応で生じる熱反応や漏れ出る高速中性子を直接検出することで諜報に長けている士官ならば、相手の基地規模、ないし活動状況を容易に判断出来得るものなのだ。


その有能な彼が、今まで手に取るように分かっていた中共軍の活動状況を把握出来なくなったのだ。

「全く反応がない…。始めから基地など無かったかのようだ…。」

「W89の反応もか?」

主席士官のような振る舞いで新大陸出身の士官が、核弾頭の行方を尋ねる。

「なんの反応も無い…。奴らは何処に行ったんだ。」

「何かはあるんじゃ無いか?通信コードが変わっただどか、ジャミングを仕掛けられただとか。」

「そんな小手先のことにやられる訳ない…。何故だ…?」

諜報に没頭していて不遜な男の態度にも気がつかず、彼はつぶやく。

「 まるで…、喰らい尽くされたようだ…。いったい何に…。」

「 オービタの発進許可を取り下げます!」

海洋系の情報士官が敏感に反応する。

「待て、武装をしていないパイロットがいる。そのオービタなら足が長い、彼に哨戒をさせよう。」

「了解。全機発進中止。ただし、哨戒のために…」


急ごしらえのハンガーで準備を急いでいたパイロット達と整備のクルーは、度重なる変更に不平感こそ心中に芽生えさせたが、口には出さず作戦司令部の右往左往する様に肩をすくめるのが精一杯の抵抗であった。むしろ彼らの失態の尻拭いに駆り出される新兵に、哨戒活動の手抜きの仕方ですら教授するものいた。

「基地の防衛ラインが突破されたことなど未だかってないことだから、基地の防衛前程の哨戒なんてナンセンスな作戦さ。燃料切れまでかなりの時間飛回らなけりゃあならないようだが、俺らも武装ポッドを外して引き継ぐから少しの間頑張れや。」

新兵の彼はパイロット達の有難いエールに思わず目頭が熱くなったが、哨戒活動という作戦に先輩方とは少し異なる考えを持っていた。

哨戒活動というものの特性から異常な反応が見受けられた時は、自身の活動の制限が緩くなるということだ。

つまり、彼が見つけたモノを充分調べることが出来るということなのだ。彼の心を不安から核心に変えつつある、アレをだ。

「では、出撃します!」

先日着込んでもう二度と縁のないと思っていたハードスーツの閉塞感よりも、今の彼には好奇心の方がはるかに強く。オービタの出力を上げ、一気に哨戒空域に駆け上がった。

「司令部へ。哨戒開始します。」

彼は孤独な活動を始めようと、ドップラーレーダーの索敵範囲を拡げた。この作業は過去の出撃でも毎回行っていた手慣れた作業であったが、今回の想定される敵はレーダー波の位相差で機影を補足するこの機構でその接近を把握することが出来るのか未知数であったが、彼らにはこの手段しか手段がなかったのだった。

彼の脳裏には補助コンピュータを介して、周囲のエネルギー変異が流れ込む。ティコクレーターなどの連合側の騒々しいまでの電力消費とは裏腹に、中共側の活動はまるで切り取られたように消え失せていた…。


「ブラックアウトか…。」

漆黒とも言える完全なるエネルギー反応の消失に慄然としたが、核弾頭を抱えてうろつく安たちが何処かに葬られたと言うことは、連合〜中共以外の第三極の存在があり、やつらに決定的な損害を与えたことはほぼ間違い事実なのである。従って、彼の行う哨戒活動が連合軍の存続に関わる重大な任務であるのだ。しかし、残念なことに重大任務を指示された彼の関心は、レゴリスに記されていた不可思議な足跡に向いていた。

光学系の観測装置を作動させ彼は、妖しく輝く死の大地をトレースする… 。

するとそこには、今まで気がつかなかったことが信じられない、夥しい量の足跡が付けられていた。

「なんなんだ、これは…。」

その奇妙な移動痕の記録に彼が絶句すると、その嘆きに呼応するかのようにティコクレーターから程近くにある補給基地のエネルギー反応が突如として消え失せた。

「!補給基地反応消失!」

彼は補助コンピュターで基地に呼びかけた。

しかし、彼の叫びは誰にも届かなかった。

「基地が無くなっている…。」

ドップラーレーダーの画面に華やかに踊っていた前線基地のエネルギーの奔流が、消え失せていた。

「基地は…。」

絶望が彼の心に宿った時間は僅かな間であった、何故なら彼が宿命を悟り、運命の皮肉に悲観する間も無く、彼も虚無に飲み込まれたからだ。

そして、月面における地球生物のすべての活動が消失した。

16;月で踊る陰/Dancing On The Mooon( Man With A Mission)

ノイズを無作法に吐き出す不穏な連中は、すべて駆除できた。

再びこの地に静穏がもたらされた。

久々の仕事であったが、二体の監視屋もついでに始末ができ。思った以上に仕上がりが良い。


静かなることはこの上ない。

そもそも思索には、静寂が必要なのだ。

騒々しい輩は喰らい尽くしてやった、腹も満ち、気分が良くなった。

そうだ、再び真理を探る旅に出る前に、この喜びを大地に刻んでおこう。

高く、低く。強く、弱く。そして激しく、荒らかに。


終わり

































長いお話を最後までお付き合い頂きありがとうございます。

ハードSFを目指して書いてみました。

アーサー・C.・クラークの「渇きの海」に、MWAMの「Dancing On The Moon」に触発されて書き始めまたものです。

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