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ぴんぽぉぉぉんとチャイムが鳴り、黒うさぎである俺はドアを開けた。
ドアの前にはつるりとした肌の女が立っていた。髪は黒髪のショートカット。ついでに言うと、服装は軽装でわけのわからないイラストの描かれた白Tシャツとジーンズ生地のホットパンツ。
初めて見る顔だが、この系統の顔には見覚えがある。
目を細めて笑顔を見せる女を中に入れた。
「どーも、ごぶさたしています」
「初対面だがな」
「いえ、これは奥さまのお言葉です」
俺は首をひねった。頭を動かすと頭上の大きな耳がワンテンポ遅れて斜めになる。
俺は頭上の感覚を密かに楽しみつつ、女にソファーを薦めた。
ニトリのソファー。それも中古だが、女は気にする様子もなく笑顔のまんまソファーに軽く弾みをつけて座る。
女はものめずらしげに室内を眺めている。俺は一応その方向に耳を向けつつ、コーヒーを淹れに室内の簡単なキッチンコーナーに向かった。
女の前にプラスチック製のインサートカップのコーヒーを置くと、女は一瞬立ち昇る湯気を眺めたのち、自然な動作でカップを持ち上げ、コーヒーを口に含んだ。
ゴクリとそれを飲み干したあと、
「紙製ではないです」
と女が言った。
「あ、そ」
多少は金をかけた使いを送ってきたということだ。
やっかいな依頼だと嫌だなと思いつつ、俺もコーヒーを一口飲んだ。
自分で淹れたコーヒーはやっぱり自分で買った銘柄のインスタントコーヒーの味しかしなかった。
「ところで、『奥さま』って言ってたけど、あいつ結婚したの?」
聞くと、女は小首をかしげ「うーん」とうなったあと、
「わたしの知る限り、『結婚』はしていないと思います」
「まあ、そうだろな」
そんな情報を聞いても、「結婚してなくってよかった」とか正の前向きな感情が生まれて来ないから不思議だ。『あんなやつと結婚するやついんのかな? → やっぱいないよねーーーー』って感じ。
「ただ、呼び名が気になるお年頃のようで」
「はぁ?」
年頃?
あいつ何才なんだ? 普通の人間だったらとっくに死んでる年だってことはわかるんだけど。
「『魔女』とか『炎の王女』とか『けちなオバハン』とか言われると最近は激怒します」
「『けちなオバハン』は普通の人間も言われて嫌な言葉だと思うぞ」
普通に悪口じゃん。
俺は頬杖をつく。
この毛深く、妙に爪の長い手の扱いにも最近は慣れてきた。
今、自然に頬杖をつけたことに、ひそかに感動していた。
が、その感動を隠しつつ、
「じゃあ、なんて呼べばいいの?」
「やはり最近は『奥さま』が一番正しい呼び方かと」
「げーえ」
俺はうさぎ特有の口の形を生かした正しい嫌悪の声を出した。女はそれを気に入ってくれたようで、作り笑いではない笑顔を見せてくれた。
「まあ、会わないからいいけどね」
「そうですか。――奥さまはUさまがお元気かどうか気にしておられました」
「まあ、それなりに元気だよ。昔より野菜が好きになってむしろ健康になったぐらいだ」
強がりではない。
かつては体調面にかなりの不安があったのだが、うさぎになってからはその不安がなくなった。自分が外見にとことん自信の無い人間だったこともたぶんに影響していたのだろう。心因性の不健康だったような気がする。
それが今はこのように人間とはかけ離れた姿になったおかげで、心もすっきり晴れ渡っている。
「セブンのヤツよりはマシだよ。あいつはほら某コンビニのロゴマークにそっくりじゃん。だから、外を歩くと妙に注目されるし、変な機能があるんじゃないかって触られるし、最近じゃその某コンビニの人間に見張られてるらしいよ。倫理に反することをしたらまずいからって」
言うと、女は気の無い笑いをもらした。
そろそろ本題に入るべきか。
「で、依頼は?」
「はい」
女は傍らに置いたショルダーバッグに顔を向け、中から巻物を出した。
げーえ。
俺は内心再度嫌悪の声をもらした。
巻物って……、面倒な依頼であること百パーセントじゃん。最悪。
「ガラスの雨を阻止せよ、とのことです」
ここで「無理」って断ればことは簡単なんだけど……
俺はしぶしぶ、その古めかしい巻物を受け取った。
「で、報酬は?」
「まずはわたしをご自由になさってください。成功報酬はまたのちほど」
女が妖艶な顔を見せる。
その手には編み物に使うかぎ針のような道具。
「あ、そういうこと」
「はい」
言って、近づいてきた女が俺に横顔を見せる。
耳の上に穴があった。
最初から鍵と鍵穴を提示してくれるなんて今回はずいぶん親切だこと。
俺は渡された鍵を女の耳の上の穴に入れ、数回中を探った。女がくふんと声を漏らすのは愛嬌か。
ほどなく女の体が崩れ、大量の金貨が盛大な音を立てて現れた。