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Falcon.  作者: 宝積 佐知
1.序章
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10.最速のヒットマン


 ヒナは携帯を握り締め、一階の非常階段の出口にしゃがみ込んで電話を掛け続けていた。依然として近江が追い付く気配は無く電話も繋がる様子は無い。だが、数十回のコールの後でプツリと音がした。



「はーい、神藤でーす。今、お前に言われた通りワクチン撒いてまーす」



 場違いな程に明るい声がした。



「凄い煙たいんだけど。埃やばいし、スーツ弁償してくれよな」

「あ、あの」

「あれ、テツ? 声可愛くなったね」

「あたしは……」

「冗談だよ、ヒナちゃんでしょ? まあ、待ってて」



 電話は自分勝手に切れてしまった。

 ヒナは静かな音を鳴らす携帯電話を呆然と見詰める。一応、殺し屋である筈の近江が言う仲間だからそれなりに重々しいものかと思っていたのだが、聞いてみれば何処にでもいそうな軽い若い男の声だった。落胆の色は消し切れない。だけど、この『神藤京治』だけが近江へ繋がる唯一の方法なのだ。

 微かに床に振動が伝わり始めた。非常階段にあった微かな闇は濃くなり、周囲を少しずつ侵食して行く。静かに階段の下を覗いて見るが、近江が来る気配は無い。

 無力な自分に対する怒り、期待外れの神藤への絶望。一人きりになってしまったヒナは不安に包まれ脳をグラグラと揺らしている。

 背後で砂利を踏むような音がしたのはその時だった。咄嗟に反応出来ず、体を強張らせる。振り返れずにいると、背後の男は声を掛けた。



「君がヒナちゃんだね?」



 漸く、ヒナは振り返った。

 黒いスーツにワインカラーのシャツを着た金髪の、一見歌舞伎町辺りのホストにも見える若い男がポケットに手を突っ込んだまま立っている。聞き覚えのある軽い声。



「初めまして、俺が神藤京治。テツとは昔からの仕事仲間なんだ」



 ホストのように恭しく礼をして神藤は微笑む。そして、しゃがみ込んだまま動けないヒナに手を差し伸べて立たせると携帯電話を取り出して言った。



「ヒナちゃんがテツの携帯を持ってるって事は、連絡手段は無しか……。脱出しちゃった方がいいかなぁ」

「そんな! だって、テツはあたしを助けてくれたのに! こんな危ないところに置いて行くなんて……」

「いやいや」



 神藤は笑った。



「大丈夫、あいつはハヤブサだよ。隼を知ってる?」

「最速のヒットマンでしょ?」

「まあ、そうなんだけど。鳥の隼は?」



 ヒナは首を振る。



「隼は鷹科の鳥でね、時には時速三百キロも越える最速の鳥なんだ」

「でも、テツは人間よ! 人には翼なんて無い!」

「うん、その通りだ。だから、人は翼の代わりに足があるんだよ。地べたを走り回る為にね」



 神藤が何を言いたいのか解らず、ヒナは苛立ちを抑えながら眉を寄せる。

 酷い崩壊の轟音の中で神藤だけが違う時空の中にいるかのように冷静だった。黙り込んだヒナの隣りで穏やかに問いを重ねる。



「ハヤブサがどうして臆病者って呼ばれてまで爪を隠したか解る?」

「……敵を、油断させる為?」

「鷹はそうだね。でも、ハヤブサ……テツはそうじゃない」

「どうして?」

「あいつは恐かったんだ」



 神藤は言った。



「自分の爪が大切なものまで傷付けるんじゃないかって思ったのさ。あいつは本当に面白いやつだよ、殺し屋の癖に失う事が恐くて必死に守ろうとしてるんだ。馬鹿だよなぁ」

「チキン・テツなんて呼ばれてるんでしょ?」

「ああ。それはまあ、あだ名みたいなもんさ。愛だよ、愛。殺し屋なのにね」



 そう言いながらも、神藤が何処か誇らしげに見えるのは気のせいではないだろう。

 ヒナはそんな言葉を聞きながら近江の到着を待った。やはり、追い付く気配は無い。先刻まで鳴り響いていた銃声は何時の間にか止んでしまったので探すのは至難の技。選択肢は死を覚悟して待ち続けるか、見捨てて置いて行くか。ヒナに迷いは無く、じっと足を止めて近江が来るであろう方向を見詰めている。

 神藤は唇が白くなる程噛み締めているヒナの頭を撫でた。



「大丈夫だって。ハヤブサは最速のヒットマンって知ってる癖に」

「この中で最速のヒットマンって言っても……」



 神藤は目を丸くして首を傾げた。



「ハヤブサが何故最速なのか知らないんだ?」



 まるで信じられないとでも言う様子だった。その時だ。

 カツン……カツン……カツン……。

 硬い音が響く。二人は揃って顔を向け、酷い砂埃の中に浮ぶ影を見詰めた。

 カツン……カツ、ン……カツン……。

 奇妙な足音だった。二人はそこに現れる姿に全神経を向ける。黄土色の中から姿を現したのは、黒い髪とスーツを灰色に染めてしまっている近江哲哉だった。

 ヒナは大きく安堵の息を吐いて座り込んでしまう。近江は首を傾げた。



「何だ、まだいたのか」

「置いて行こうと思ったけどさ、ヒナちゃんが待っててくれたんだよ」

「神藤、お前先に来たなら連れて行けよな」



 近江は笑った。目黒の銃弾が掠めた頬からは血が滲んでいる。既に満身創痍にも見えるのに、どれも掠り傷程度のもので怪我という怪我は無い。

 「行こうぜ」と近江が言い掛けた時、低い音がした。見れば巨大な瓦礫が出口を塞いでしまっている。三人は顔を見合わせ、近江は走り出した。



「こっちだ」



 ヒナと神藤もその後を追う。先を行く近江はすいすい道を進み、所々で二人の到着を待つ。一種の化物染みた脚力に追い付ける訳も無い。

 崩壊を続ける建物は既に原型を失おうとしている。出口が解っているらしい近江はぐんぐん先を行く。ヒナはその無責任な背中に向かって叫んだ。



「出口が解ってるの!?」



 近江は振り返り、笑う。



「当ったり前だろ!」



 ヒナの隣りで神藤が無表情に言った。



「こいつは逃げのプロだぜ?」

「ハヤブサは最速のヒットマン。何が最速って……」



 角を曲がった瞬間、言葉を切って近江は足を止めた。追い付いたヒナは溢れる橙色の光の眩しさに目を細める。慣れたところで目を開けると、続いている筈の廊下が無く先は夕空に向かって伸びているようだった。

 ヒナは途切れた廊下の先を眺め、近江の背中を小突く。



「行き止まりじゃない。どうするのよ」

「よく見ろ、お前の出口だ」

「え……?」



 肩越しに覗き込むと、橙に染まる路上に警察やパトカーが所狭しと並んでいる。近江はヒナの肩に手を乗せて引っ込む。ヒナは振り返ったが、近江と神藤は真っ直ぐと見詰めて来た。

 近江は言う。



「ここでお別れだよ。お疲れ、裏の世界はここでお終いだ」

「そんな」

「お前の世界は表だろ?」



 ヒナは息を呑む。外野にも等しい警察が何か喧しく喋っているが、全て耳を通り抜けてしまう。近江は笑って見せた。



「何迷ってんだ」

「テツ、あたし……」

「おい、そろそろ行こうぜ」



 神藤が急かすので近江は軽く返事をする。そして、ヒナの腕を掴み、反対を神藤が持つ。ヒナは訳が解らず二人の顔を交互に見遣った。

 近江はタイミングを計るようにゆっくりと息をする。後ろから崩壊の音が聞こえるが、神藤も忘れたようにゆっくりと呼吸を合わせていた。



「行くか!」



 二人は声を合わせ、一斉に走り出した。ヒナは間で宙ぶらりんになったままだが、二人は行き止まりの筈の廊下の先から一気に空へ向かって飛び出した。

 酷い浮遊感、警察のざわめきが聞こえる。だが、その中でヒナは近江の声を聞いた気がした。



「ハヤブサは最速のヒットマン。早撃ちも苦手じゃないけどさ」



 ヒナは、警察の群がる路上に落下した。足から落ちたが、そのまま尻餅を着いてしまう。正面で動揺する警察が駆け寄り、ヒナは顔を上げて辺りを見回した。二人の姿は何処にも無かった――。



――ハヤブサは最速のヒットマン。何が速いって……



 ヒナは二人の消えた夕陽を眺める。警察も動揺し、二人の後を追うように四方八方闇雲に分かれて走って行く。まるで統率されない動きを見る限り、二人が捕まる事は無いだろう。ヒナは少し離れた先のマンホールの蓋を何となく見詰め、思った。ハヤブサは最速の――。



「まさか、逃げ足……?」



 何処か遠くで近江が笑っているような気がした。

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