運命神論
彼女の綴る世界は完璧に成立しつつ、完全に破綻している。全てが予定調和でありながら、何処かで一歩間違えれば決められた結末に辿りつけない。そして、酷く病的で、混沌としている。
まあ、そもそも、彼女の物語は現実を模倣した虚構にすぎないのだから、彼女には元の世界がそう見えているということだろう。そういう色眼鏡を通して世界を見ている、と。
かの存在を"彼女"と表記したが実際の所それが女性なのかは不明だ。俺が男だから彼女と表記したに過ぎない。もし、仮に、万が一、俺がそれと対峙した時に表記に困らないようにそうしただけだ。彼と彼女と、俺とそれが別の存在であると明確に表記できるようにしただけだ。
もしかすると"彼女"は男性体を取っているものかもしれないし、性別がなかったり、両性具有だったり、第三の性別だったりするかもしれない。そもそも生き物ではない形をしているかもしれない。確かなのは、彼女が物語を綴る事の出来る存在だということだけだ。だから、そう…例えば、巨大な量子コンピューター様だとか、そういう可能性もなくはない。
そもそも、この世界においては、割と何でもありだ。創造神の発想が追い付けば何でも存在しうるし、重要でない設定は後から書き換えられる可能性もある。まあ、裏設定が書き換えられたところで、オレたちは知覚出来ないし表面上の変化はない。寧ろ設定の書き換えというのはより合理的で論理の破綻がないものが出来たからこそ行われるものだ。つまり、書き換えによる破綻は起こり得ない。答えから式を逆算しているようなものだ。答えから式を逆算しておいて、いざ式を解いたら答えが間違っていた、などというのはただの馬鹿だろう。逆算出来てないだけじゃないか。
何の話だっけか。…ああ、そうだ、彼女の話だった。彼女と彼女の綴る世界の話だった。といっても、俺が彼女について語れる事等そうない。彼女は作者であり、彼女は演出家であり、彼女は脚本家であり、彼女は指揮者であり、彼女は監督である。彼女は物語を綴る存在である。それだけが確かだ。そして、全ての世界の彼女が同一であるとは必ずしも言い切れない。彼女は複数存在するかもしれないし、単一の存在であるかもしれない。まあ、俺の知覚できる彼女は今の所一人だけなのだが…。
彼女が、人の運命を左右できる存在が複数存在するなど、ぞっとしない話だから勘弁してほしい。ただでさえ彼女は無慈悲だ。物語のためなら何人でも殺す。モブでも重要人物でも容赦なく殺す。殺す為に生みだし、殺す為に殺す。もしもの道を掲示しながらも冷酷に殺す。
幾ら生きているものはいずれ死ぬのだと、そういう設定があるのだとしても、態々切り取った場面の中で殺さなくてもいいじゃないか。結末のついた後、エピローグとして語られる全ての死に絶えた後の時系列で昔この人は何らかの自然の摂理で安らかに死にましたよ、と伝えてくれれば十分じゃないか。
動機づけなら別に殺さなくたっていいだろう?わかりやすい悲劇がなくたって俺達は壊れるべくして壊れる。何故なら、俺たちは"そういうもの"だからだ。悲劇があろうとなかろうと、俺たちは己の狂気を見つけ、なるべくしてなるべきものになる。きっかけさえあれば、そのきっかけが何であろうとそんなものは味付けみたいなものだ。だったら、物語の中でぐらい、馬鹿みたいな理由で馬鹿みたいなことをしたっていいじゃないか。悲劇の欠片もない喜劇だけで作られた世界だっていいはずじゃないか。それなのに、彼女は、彼女ときたら、ああ!
何処かの世界には、底抜けに馬鹿で、とてつもなくやさしい、誰も不幸にならない、そんな幸福な世界を描く彼女もいるのだろうか。そんな幸福な彼女が、やさしい神様が、存在するとしたら、それはきっと(汚れて読めなくなっている)
…いや、そんなのは机上の空論、愚かな空想、神への冒涜といったところか。不幸な彼女には幸福がわからない。誰も救えない。そして俺も、彼女の操り人形たる俺も誰も救えない。ああ、これじゃあただの(文章は此処で途切れている)