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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第2章
8/59

07 買物編

 希と柘榴が組織に来て、早二週間。

 初日こそ基地内の案内で済んだが、次の日から体育会系の猛特訓が始まった。朝から晩までランニング。学生という性分を忘れないための勉学。

 基本お昼は一時過ぎ。夕食は八時と遅い時間になるのは、柘榴の勉強があまりにも進まないせいかもしれない。能力の上昇のためにと柘榴は素振りをしたり、希はラティランスについて学んだりして過ごす日々はあっという間だった。

「疲れ、限界」

 カウンター席に座って朝食を待ちながら、希の右横にいた柘榴は深いため息をつく。

「大丈夫ですか?柘榴さん」

「…大丈夫に、見える?」

 聞き返された言葉に、希も疲れた顔を浮かべながら首を横に振った。

 今の時刻は朝七時。まだ食堂に人影はなく、いるのは希と柘榴だけ。

 本来なら七時三十分から食堂が開くのだけれど、あまりにも注目を浴びてしまうため、時間をわざとずらした結果がこれである。

 キャサリンの特別配慮により、二人だけの朝食タイム。

「お、今日も疲れた顔してんな」

 わざわざ朝食を持って来てくれた結紀が、二人の顔を見るなり言った。その言葉にいち早く反応を示したのは、柘榴。

「当たり前でしょ!だから、早くご飯頂戴!」

 子供のように手を前に出して、結紀の持っているトレイを奪おうとする。奥のキッチンから出てきた結紀には見えないが、希から見たらその足がブラブラと揺れている。

 今日もとてもお腹が空いているらしい。

「人が持って来てやって、その態度かよ」

「キャサリンに頼まれただけでしょう」

 椅子から立ち上がって、結紀の持っていたトレイを奪い取る。両手に持っていたためか、もう片手に希の分のトレイを持っていたためか、結紀の左手から一瞬でトレイが消える。

「ったく、はい。希ちゃんも朝ご飯、どうぞ」

「ありがとうございます」

 そっとカウンターに置かれた希の分の朝食。柘榴の方は他の人と同じ朝食だけれど、希のご飯だけは朝に弱い希のためにお粥となっている。

「それにしても、隣はいつ見てもいい食べっぷりだよな」

「んぐよぉー」

「お口を空にしてから、話しましょうね」

 すでに口いっぱいに詰め込んでいる柘榴は、頷いても食べる手を止めない。それを横目に確認する希と、呆れてキッチンに戻っていく結紀。

 いただきます、と小さく呟いてから希はお粥を手に取った。

 柘榴は数分で食べ終わる量だけれど、希は時間を掛けないと全て食べることは出来ない。途中まで食べて、残り半分はそっと柘榴に分けた。

「あー、今日もランニングから始まるのか…」

「そうですね」

 残った希の朝食を食べ始める柘榴の横で、希はお茶を啜りながらほっこり落ち着く。

「休みの日が欲しいわぁ」

「そう言えば、ないですね」

 思い出したように言うのは、あまりにも忙し過ぎて考える暇さえなかったから。

「柊さん、忘れているんじゃないかな?」

「その可能性は…ないと思いたいのですが」

「いや、柊さんならあり得る気がする」

 指示だけ出して基本は見ていない上司、寝ているかぼんやりしているか。真面目に働いているところを未だ見たことがない。

 柘榴が真剣に食べ始めた横で、その顔を盗み見る。

 柘榴は本部に来てから希の兄の事を無理やり聞き出そうとはしない。一度聞かれそうになって、すぐに話題を変えたことはあった。

 それ以降は希を気にかけてか、聞いてこない。

 希自身、あまり兄のことを話すと気持ちが落ち込んでしまう。

 だから兄の話をするつもりはないし、きっとこれからも心配を掛けたくはないから言わないのだろう。柘榴は優しいから、きっと親身になって話を聞いてくれる。

 でも、柘榴に心配ばかり掛けたくない。 

「うし、ご馳走様でした」

 その声で、希は考えるのを止めた。ぺろりと食べ終わった柘榴と、目が合う。

「希ちゃん、どうかした?」

「いえ…それでは、行きましょうか」

 いつものように柘榴が食べ終わってから、同じタイミングで立ち上がった。



 基本的には、七時三十分前には食堂を出る。

 柊との待ち合わせは八時なので、それまでは時間を潰すために外を目指して歩く。

「だいたい、なんであんなに体力作りしなくちゃいけないの」

「まあまあ、落ち着いてください」

 柘榴の怒りが分からないわけではないのだけれど、怒ったところで柊には効かない。受け流されてしまうだけで、本人に言っても仕方がない。

 それは柘榴も分かっていることなので、いつも頬を膨らますだけで終わってしまう。

「でもさ…ってあれ?柊さんじゃないかな?」

 廊下で何人かとすれ違って、その奥に見知った顔。

 大きな欠伸をしながら、悠々と歩く柊の姿。

「「柊さん…」」

「なんだ、二人して。寝ていないのか?」

 朝食を食べ終え、目の覚めている希や柘榴と違って、朝から眠そうな顔で呑気な声。

「寝てないじゃなくて、寝れないんですよ!疲れが、溜まりに溜まって…」

 わなわなと震えだした柘榴を早めに止めた方がいいと判断した希は、そっとその肩に手を伸ばす。

「柘榴さん、落ち着いて下さい」

「止めないで!毎日、毎日…休みが欲しいのぉおおお!」

 人通りのある廊下で、叫んだ柘榴にギョッとしたのは柊の方。希も驚いて、ビクッと肩が上がった。

「ちょ、柘榴くん。落ち着こう」

「そうですよ、柘榴さん!」

「ふふふ、休みをくれないなら叫びますよ?やー」

 本気で叫び出しそうな柘榴に、大慌てで柊と希で止めに掛かる。

「叫ばないでくれ!」

「近隣迷惑ですよ!」

 咄嗟に希は柘榴の口を塞ぐ。

「んんん!!!」

 すでに注目を浴びている。朝食の時間のためか、通り過ぎる人の多くが三人を見ながら不思議そうな顔をしていたり、怪しんでいたり。

「分かった…分かったよ」

 周りの視線を一番気にしていたのは柊で、小さいながらも繰り返された言葉。

 諦めたように、柊は肩を竦めた。

「休みならやるから。今日はエントランスではなく訓練室で待っていろ。まずは、飯が食いたい」

「「本当」ですか!」

「それしかなさそうだしな…」

 思わず歓喜の声が出て、柊に詰め寄った。勢いに押されて一歩引きさがった柊は、観念したように息を吐く。

「確かにそろそろ休みは必要かと思っていたしな。ただ、柘榴くんが力を上手くコントロール出来るか、希くんが力を発現出来るまでは特訓して貰おうと――て、聞いてないね」

 一人頷きながら呟いていた言葉は、テンションの上がった柘榴と希には届いていない。

「この近くにお店ってあるのかな?」

「きっとありますよ。私、お洋服と携帯電話が欲しいです」

「じゃあ、早く訓練室で待っていよう」

「はい!」

 うきうき気分の柘榴と希。足取り軽く、笑顔で柊から離れていく。

 廊下にポツンと置いていかれた柊は、ため息を一つ。まずは朝ご飯を食べよう、と少女達とは真逆の方向に歩き出すことにした。


「ということで、今日の午後から休みをやろう。ただし、午前中は勉強な」

「げ」

「仕方がありませんね」

 いつもの如く数枚のプリントを持って現れた柊は、部屋に入るなりさらりと言った。

 朝から休みだと思っていた柘榴は、げっそりとした顔で柊を見つめ、希は仕方がないと笑う。

「上には話をつけたから、その代わり午前中はちゃんと勉強してくれ。特に柘榴くんな」

 訓練室に二つしかない机と椅子の片方に座っていた柘榴は、やる気を失くして足をぶらつかせる。

 数学、英語、古典に現代文。地理と日本史、化学と生物などなど。配られた数十枚のプリントに目を通せば、希はすぐにシャーペンを走らせる。

 効率よくプリントを終わらせる希と違って、柘榴の手は動かない。

 教科書と睨めっこしたまま、数秒してから希の方に笑いかける。

「希ちゃん、やっぱり手伝っては…」

「自力でやらないと意味がありませんよ?」

「ですよねー」

 初日から柊のいないタイミングを見計らって希の答えを写していた柘榴だけれど、流石に丸写しでは柘榴のためにならないので最初の三日目からは厳しくしている。

 それでも、どうしても柘榴が解けない問題に限っては教えることにしているけれど、今柘榴が埋められないのは地理の基本的問題。答えは教科書に載っている。

 ため息をつきながら教科書と睨めっこを始めた柘榴の横で、希はくすりと笑う。

 柘榴の勉強が進まないのは、答えを見つけられないからじゃない。いつも無意識に別のことを考えているからだ。

 今日はプリントの端に買いたい物リストを作っているので、終わるのは当分先かもしれない。

 そんな柘榴の横で、希はさっさと終わらせようと集中することにした。


 予定より早くプリントを終わらせてから、希はいつものように持ってきた数十枚の書類に目を通す。

 『ラティランス』

 五年前に日本を襲った真っ黒な怪物、それを総称する呼び名。ラティランスの共通点は、黒い見た目。人を襲うということ。

 そして、その全てが幻想上の生き物であること。

 柘榴の高校を襲った、狛犬。苺の中学を襲った、獅子。その他にも沢山の幻獣。

 そんなラティランスに対しての対抗武器。

 『ラティフィス』

 世間に公表されることのない、ラティランス対抗の武器の総称。本来はラティランスに対抗するために作られた武器のことを指していたが、近年はラティランスと対抗出来る人間のことも指す。

 組織の中でその存在が認められているのは、十五歳の一人の少女。

 軍の一部、及び組織の人間にのみ公表された存在で、現在は極秘事項として組織が管理している――。

 管理、と言う言葉に希は眉をしかめた。

 蘭の意志を奪うような言葉。操り人形のように自由を奪う言葉に、嫌な気分になる。

 もしかしたら、蘭はずっとそんな気分を味わっていたのかもしれない。そう思えば蘭のあの態度にも納得いく気がした。

 人間不信になりそう、そんな印象を受けた。

 それからも書類は続く。

 ラティランスの被害状況。その動き、詳細が事細かく書かれている。それらの情報を一つでも多く覚えようと、必死に文字を目で追った。

 あっという間に過ぎた時間。眉間に皺を寄せていた希に、柘榴が恐る恐る言う。

「終わった…けど、希ちゃんやっぱり数問分かりません」

「あ、その問題はですね」

 資料から目を外し、柘榴の机に椅子を持って行く。数学、それから英語の問題を教え終わったのは、午後十二時三十分過ぎ。

 そのタイミングを見計らって、柊は戻って来た。

「終わったかい?」

 手ぶらで歩きながら二人の机の上にあったプリントを覗き込む。

 綺麗な希の字とガサツな柘榴の字。性格を表しているのかのような文字。

 一通り目を通した柊は、代わりに封筒を渡す。

「ほら、こずかい」

「ええ!いいんですか!」

「えっと、どうして貰えるのでしょう?」

 お金を貰って大喜びの柘榴と違い、中身を確認すれば一万円札が数枚入っている封筒に戸惑う希。

「いいじゃん、いいじゃん。貰えるものは貰おうよ」

「そういうわけには…」

 全く気にしない柘榴と違い、どうしてもらえるのか、困惑した希に柊は言う。

「希くんは一文無しだろう。給料ってことで、今日は買い物してくればいい」

「あ、ありがとうございます」

 立ち上がって、思いっきり頭を下げる。柘榴もその横で同じように、お礼を言った。

「外に出るときは、必ずエントランスで手続きすること。それから門限は七時だ」

「「はーい」」

 柊の言葉に目を輝かせた二人。元気よく返事をした柘榴と希の姿は、柊からしたらまるでおもちゃを貰った小さな子供のように眩しく見えた。



 町に行く。

 その際に何を着て行くか、ということで希が選べる選択肢は限られている。

 本部に来る時に、柘榴は実家から服や小物を持ってきた。必要最低限のものが揃っている柘榴と違い、希が持っているものはほとんどない。

 着ていた制服、ポケットに入れてあった家の鍵。それから、いつも身に付けていた懐中時計だけ。あとはクローゼットの中に入れてあった組織専用の服と運動服が、今の希の持っている全てだ。

 本部の中では運動服で過ごすことが多い。基本的にはそれで済ませているわけだが、流石に町に行く時まで着ていけない。

 ということで必然的に着ていく服装は一つしかない。

「希ちゃん、私の服を貸すって言ったのに」

「いえいえ、そういうわけにはいきませんから」

 訓練室から出て、混んでいる食堂を避けるために先に着替えた希と柘榴は、空き始めた食堂のいつものカウンターでお昼を食べていた。

 デニムのショートパンツ、うさぎの絵が描かれたTシャツ。サンダルというラフな格好の柘榴の隣で、セーラー服を着た希はゆっくりとお茶を飲む。

「それよりも、柘榴さん。どうやって町まで行きますか?」

「どうしよっかー?」

「やっぱり、バスでしょうか?」

 柘榴のトレイの上の食器も希と同じく空っぽ。残っているのはお茶だけで、カウンターに腕をつきながら考える。

 柊はそんなに遠くない、とは言っていたが、歩いていくのも大変だとは言っていた。

 うーんと考え込む柘榴と希を見かねて、ひょっこり顔を出したのはキャサリン。

「何、町に行くの?貴方たち」

「そうなの。午後から休んでいい、って言われたんだけど。どうやって町まで行ったらいいのか分からないんだよ」

 今日も厚化粧をしているキャサリン。それを全く気にしない柘榴がキャサリンに言い返せば、キャサリンは少し考える。

「そうねぇ…丁度欲しい食材があるし、結紀を運転手に連れて行っていいわよ」

「え、本当!」

 大喜びで立ち上がった柘榴に対して、おそるおそる希は確認する。

「結紀さんに、承諾をもらわなくてよろしいのですか?」

「大丈夫よ。今から呼んで来るから、ちょっと待っていてね。結紀!」

 大声で名前を叫びながら、キャサリンが結紀を呼びに行く。キッチンの奥の方から聞こえてくるのは、穏便な話し声ではなく、喧嘩腰で言い争う声。

「なんだよ。今、洗い物の最中だってのに」

「いいから、来なさい」

「手ぐらい洗わせろ!」

 騒ぎながら連れて来られた結紀は、まさに洗い物の最中だったのか手は泡だらけ。それでもお構いなしに、キャサリンに首元を掴まれて引きずられていた。

 その光景に、思わず笑いそうになった柘榴の口から一言。

「ドンマイ」

「そう言うなら、呼ぶなよな」

 疲れている結紀をカウンターまで連れ出したキャサリンは、満足した笑みを浮かべながら言う。

「あんた今から、町まで買い物行ってきなさい。ついでに、柘榴ちゃんと希ちゃんのことも連れて行ってあげるのよ」

「はあ、今からって。今、洗い物の最中だって――」

「それなら、柊ちゃんに変わってもらうから大丈夫よ」

「「「え」」」

 希と柘榴、結紀の驚きの声が重なり、キャサリンが指し示した方向は食堂の入り口。丁度お昼を食べに来た柊が、何も知らずに歩いている、その姿。

 キャサリンが大きく手を振れば、諦めたように手を振り返した柊。

 お昼を持ってからカウンターに来るようで、まだ来ないことをいいことにキャサリンが悪戯を企むようにこっそりと話す。

「仕事は、柊ちゃんに変わってもらうから。貴方たち三人は町に行ってきなさい」

「それって、俺は今から休みってこと?」

「そうね。夕食の後片付けはあんたの仕事よ」

 嬉しいような、悲しいような、何とも言えない表情を浮かべ結紀とは違い、大喜びではしゃぐ柘榴。

「やった!これで、町に行ける。結紀も早く着替えてきなよ、そして私に奢りなよ」

「柘榴、なんでお前は上から目線なんだよ…」

「え、いいじゃん。町には美味しいものあるかな?」

「そりゃあ、色々あるだろ」

「奢ってくれるでしょ、嬉しいな」

「誰も奢るとは言ってねーよ!」

 盛り上がる柘榴と結紀の横で、穏やかな気持ちになっていた希はキャサリンに笑いかける。

「ありがとうございます。キャサリンさん」

「いいのよ。それより、時間も少ないんだから、貴方たちは先にエントランスで待っていなさい。ほら、いい加減盛り上がってばかりいないで、支度しなさいよ」

 言いながらキャサリンに思いっきり、背中を叩かれた結紀。相当力が強かったのか、少し涙目になったように見えた。

 柘榴から憐みの視線を受けた結紀は、よろよろとキッチンに戻っていく。

 まずは、手を洗いたいのだろう。

 結紀と入れ替わるように昼食の入ったトレイを持った柊がカウンターにやって来て、キャサリンに捕まったのは言うまでもない。



 結局、町に到着したのは午後二時を過ぎていた。

 食堂でゆっくりしていたのが悪かったのかもしれない。本部からは結紀の運転する車で、およそ十分で到着。

 大きなビルの立ち並び、沢山の人が行き交う町。車の通りも多ければ、歩道橋を歩く人も多いので、はぐれたら迷子になってしまいそう。

「ありがとうございました。結紀さん」

 立体駐車場に車を止めて、最初に降りた希がお礼を言う。

「いやいや、これくらい大したことじゃないし。若干一名なんて、何も言わずに走って行ったしな」

 結紀の振り向いた方向、大通りへ向かうエレベーターまで走って行った柘榴が、大きく手を振る。

「希ちゃん!結紀、早く!」

 楽しそうな満面の笑みを浮かべて、待っている柘榴の姿を見ると、その楽しさが希にまで伝染してしまいそうだった。


「まずは、希ちゃんの携帯からにしよう!」

 柘榴の提案により、真っ先に携帯ショップを目指すことになった。

 店に着くや否や柘榴は一人で携帯を見ては盛り上がっている。そんな柘榴を無視して、希と結紀は店内を歩き出す。

「どの携帯にする?」

「そうですね…」

 店に着くなり沢山の携帯を見比べながら、結紀が問いかける。特に欲しい機種があるわけでもないが、以前使っていた携帯に自然と目が行ってしまった。思わずそれを手に取って、眺める。

 結紀が、希の手の中の携帯を覗き込んだ。

「それ、にする?」

 希が手に取った携帯電話。

 真っ白な携帯は馴染みがあって、使いやすい。

「はい。これにしようと思います」

「案外あっさり決まったな。じゃあ、契約とか諸々して。待っている時間で他の買い物をしようか。若干一名は…なんで寛いでいるんだよ」

 呆れた結紀の視線の先。

 ソファに座り、お菓子を食べ、セルフのコーヒーを飲みながら携帯のパンフレットを眺めている柘榴。

向けられた視線に気が付いたのか、にっこり笑って手を振った。

 柘榴の近くまで行けば、開いていたパンフレットを閉じて立ち上がる。

「終わった?」

「はい。ですが、今から契約などしますので、もう少しお待ちください」

「じゃあ、もう少し寛いでいよっと」

 バフンッとソファに座り込んだ柘榴。

「お前、暇そうだな」

「携帯じゃなくて電気屋だったら、一日中過ごせる自信があるんだけど」

「真顔で何言ってるんだよ」

 頭にチョップを入れられて、柘榴は笑ってそれを受け流してしまう。

 そんな二人を他所に、希は一人でさっさと契約を始めることにした。



 携帯の契約に時間が掛かるということで、帰りにもう一度立ち寄ることにした。

 とりあえず、何がどこにあるのかさっぱり分からない希と柘榴なので、案内役は結紀に任せてブラブラと歩く。

 目的もなく散策しながら、気になったお店に入ることの繰り返し。

 絶対に買わないお店だと分かっていても、加湿器や食器を見ては盛り上がる。

 柘榴に至っては、美味しそうなのを見つけるたびに、食べたいと言う始末。それを結紀が止めながら歩いて一時間ほど経った頃。

 休憩という名目で、出店でフルーツジュースを買った希と柘榴。それからアイスコーヒーを買った結紀の三人は小さな公園のベンチに座って休憩する。

「けっこう歩きましたね」

 冷たくて甘い、リンゴジュースを飲みながら、希は率直な感想を述べた。

「だね。というか、希ちゃん、全然服買ってないよね」

「あ、服買うの?俺、可愛い店知っているよ」

 すでに空になったグレープフルーツジュースの容器を潰した柘榴の横で、一人だけ立っていた結紀が陽気に言う。

「歩いてすぐのビルにお店いっぱいあるから。そこ行く?」

「そうですね…」

 まだ町を散策してもいいか、今のうちに買ってしまうか。少し迷う。

「先に買いに行こうか。私も買いたいしさ」

 悩んだ希を見た柘榴が言い、先にベンチから立ち上がる。置いて行かれないように希も立ち上がれば、何となく歩き出すことになる。


 ビルの三階、レディースファッションの揃うフロアに色々なジャンルの服を取り扱うお店が立ち並ぶ。

「あ、このお店見たいな」

「可愛いですね」

 立ち止まり始めた希と柘榴の様子に、結紀の判断は早かった。

「よし、俺は今のうちに食料買いに一階行くから。買い物終わったら、このエレベーターで下りて来い」

 服を見てもつまらない結紀は、それだけ言うとさっさと一人エレベーターに乗ってしまう。結紀がいなくなった三階で、顔を合わせた二人は元気よく歩きだした。

「この服はどう?」

「うーん、少しシンプル過ぎではありませんか?」

 希はそこまでセンスに自信がないので、柘榴に任せていたのだけれど、先程から勧めてくるのは見た目より機能性を重視した服ばかり。柘榴の趣味ばかりだ。

「そうかな?動きやすそうじゃない?」

 明らかに柘榴の好みの問題で、そもそもそんなに短いショートパンツは希には似合わない。希がさっきから手にとっては悩んでいるのは紺のキュロットとプリッツスカート。

「どっちがいいですか?」

「こっち」

 紺のキュロットの方を指されたので、これにしようとレジに向かう。さっきからこんな感じで希の服選びは進む。二択まで絞り込んだ服のどちらかを、柘榴に選んでもらって一方を買う。

 そんな風に買い物をしていたら、あっという間にお金がなくなってしまった。

 柘榴の方も希の買い物に付き合いつつ、自分の欲しい服はちゃっかり買っていた。希に比べれば少ないが、それでもそこそこの買い物はしていた。

 久しぶりの買い物。

 希にとってはこんなにたくさんの服を買うことが滅多にないから、心が弾んで仕方がない。それは柘榴も同じようで、笑顔が絶えないまま二人は思う存分買い物を楽しんだ。



 買い物に満足した希と柘榴。

 時間も結構経ってしまったので、結紀も待っているに違いない。と言うことで、一階に行くべくエレベーターに乗り込んだ。

「結紀は…と」

「見当たりませんね」

 一階に着いたはいいが、結紀の姿はない。少し待ってみるが、来ない。不満そうに口を尖らせた柘榴は、壁におっかかって荷物を下ろす。

「どこ行ったのよ、全く。希ちゃん、私少し見てくるよ」

「え、柘榴さん?」

 頷く前に、柘榴は人ごみに紛れてしまった。柘榴は自分の買った袋を置いて行ってしまうし、あっという間のことに希が追いつけるわけもない。

「…いっちゃいました」

 訓練のおかげか、というほど見えなくなるのが早かった。両手に持っていた紙袋を下ろし、大きく息を吐く。買い物は楽しいけれど、少し疲れた。

「早く戻って来てくれるといいんですけど」

 エレベーターの脇、その壁に一人寄りかかって希は帰って来るはずの二人を待つ。

 下手に移動したら、携帯のない希は連絡が取れなくなってしまう。動かない、が一番正しい選択肢だと思いながら、ぼんやりと目の前の光景を眺める。

 ふと、遠くから誰かが叫ぶ声が聞こえた気がした。知っている声ではないけれど、何事かと荷物を置いて少し様子を見ようと前に出る。

 人ごみから走って来る人。真っ黒な服装で、帽子を被った―――

「きゃあ!」

 希のすぐ横を通りすぎたその人はいかにも怪しかった。通り過ぎる間際、希の鞄を奪って、出口から出て行ってしまう。

「ま、待って下さい!」

 その鞄の中には、希の全財産と家の鍵が入っている。

 他にもラティランンス用の拳銃を柊から預かっているのだ。あれを他の人に手渡すわけにはいかない。何が何でも取り返さなくてはいけない。

 迷いなどなかった。

 ただ一目散に、鞄を奪った人が見えなくなる前に、希はその人を追いかけた。



「だ、誰か!その人を!」

 追いかけながら希は叫ぶ。

 でも、いくら叫んでも道行く人がすぐに対応してくれるわけもない。泣きだしそうになるが、ここで泣くわけにもいかず歯をくいしばる。

 希が追っているのに気がついた男が、後ろを振り返る。焦った顔、その途端に誰かにぶつかって転ぶ。

「うわぁあ!」

 希の追っていた男の悲鳴が聞こえた。

 このチャンスを見逃せない。

「その人捕まえて下さい!」

 希はこれでもかというほど、叫んだ。

 行き交う人たちが、何事かと騒ぎ出す。その中の一人と男はぶつかった。

 男がぶつかった人、少年はすぐに立ちあがろうとした男の腹を目掛けて、思いっきり蹴りを入れた。あまりの痛さに、男は転げまわる。ようやく男の手から鞄が離れた。

 その光景に、ホッと安心感が生まれた。

 少年は悠々と鞄を拾うと、走って来た希と鞄を見る。

「これ、あんたの?」

「は、はい」

 息切れ切れに答える希。全力疾走をしすぎて、うまく呼吸が出来ない。

 少年が希に鞄を手渡す。鞄を取り戻して、中身を確認して、それからようやく落ち着くと少年の顔を軽く確認することが出来た。

 第一印象は、かっこいい人。

 多分、同い年ぐらいの少年をまじまじと見る暇もなく、それから何だか恥ずかしくなって顔を下げた。

「あ、ありがと――」

 お礼を言ってさっさとこの場を後にしたかった希は、もう大丈夫だと勝手に勘違いしていた。男のことは眼中になく安心していたが、少年の後ろで男が勢いよく飛び起きると、懐から小刀を取り出す。

「そ、そこを退け!」

 希の声を遮った男の怒声で、ハッと身体が固まる。

 なりふり構っていられないのか、希と少年に向かって一直線に走ってくる男。たった三メートルほどの距離。けれども小刀を突き出してくる男に、恐怖で足が動けない。

「っひ!」

 思わず目を閉じてしまう。

 けれど、何も起こらない。聞こえたのは誰かが地面に叩きつけられた音だけ。

 希はそっと目を開け、男が先程までいたであろう方向を見る。

 男はいた。けれども、苦痛そうに顔をしかめ、少年によって取り押さえられたみじめな男の姿が希の瞳に映る。あの一瞬で何があったのか、そう思うほど呆気なく少年が男を倒していた。

「あのさ、見てないでなんか紐とか持ってない?」

「え、はい。ひ、紐ですね、紐は」

 希は紐など鞄に入れているわけがないのだけれど、気が動転していたためか必死に鞄の中を探す。探す手が震える。恐怖で、怖くて泣きそうな気持ちになる。それを見かねてか、近くの店から紐を持った人がやって来て、男は両手をしっかりと絞められた。

 今度こそ、大丈夫なのだろう。

 少年は男を近くの大人に引き渡し、何も言わずにそのまま立ち去ろうとする。

「あ、あの!」

 一言でいいから、きちんとお礼を言わなければと希が少年に向けて声を出す。希の声に気がついた少年が振り返る。無表情の少年が振り返って、それから驚いた顔になったことには気付かず希は言う。

「先程は―」

「上!」

「――え?」

 希の声を遮って、少年の声がその場に響く。何事かと希の近くにいた人達も少年の視線の先、上の方を見上げた。


「ラティ…ランス…」

 希の口から、掠れた声が出た。

 それから広がったのは、恐怖という名の人々の悲鳴。

 希の振り返った先。四階建ての建物、その上にいるのは、見間違えるはずがない真っ黒な怪物、ラティランス。大きな狐のような、怪物。

 ラティランスが地上に向かって、飛び降りる。

 咄嗟に判断が出来ず、希は上を見たまま固まってしまっていた。動きたい、逃げなきゃいけないのに、動けない。どこに行けばいいのか、分からない。

 ビルの破片が頭上に降り注ぐ。

「あ…」

 誰かが希を引っ張ると同時に、抱きしめて一緒に転がった。すれすれの位置にビルの破片が落ちて、希は一瞬声が出なかった。

「…あ、あの」

「何、やっているんだよ。ラティフィスのくせに」

 鞄を取り返してくれた少年に、間一髪のところを助けられたのも束の間。ラティランスは地上に降り立った。

 平和な町が一変する。

 聞こえるのは人々が逃げまとう音と、泣き叫ぶ声。

 押し倒す形になっていた希が先に起き上がり、少年も起き上がる。ラティランスの姿が、くっきりと瞳に映った。大きな狐は尻尾を九本持ち、それらを器用に振りまわしては、辺りの建物をいとも簡単に破壊していく。

 座り込んでいた希の腕を誰かが引っ張る。誰かなんて、希の近くには一人しかいない。

「行くぞ、力が無いやつがここにいても仕方がない」

 少年が当たり前のことを言う。少年の言うことはもっともだ。正しいと分かっているのに、希は動けなかった。

 ふと、ラティランスの瞳に希が映った気がする。目が離せない。

「希ちゃん!早く逃げて!」

 聞きなれた声が後ろから聞こえた。希の名前を呼んだ少女が、希を追い越してラティランスに向かって走る。今、この場でラティランスに唯一抵抗を出来る力を持つ、少女。

「柘榴さん!」

 柘榴はそのまま真っ直ぐにラティランスに向かった。けれども、そう簡単に近づけるはずもなく、狐の尻尾がそれを許さない。

 建物を拾い上げては、柘榴に向かって投げつける。飛び散る破片が柘榴の身体を傷つける。

「希ちゃん!とりあえず、私が何とかするから周りの人を!」

「は、はい」

 離れた場所で攻撃を回避しながら柘榴は叫んだ。柘榴の声で、今何をしなくてはいけないのか。バッと首を回して、希は周りを見渡した。

 逃げ遅れた人、怪我をした人。見渡せば、まだこんなにも人がいる。

「動けるなら、俺は救助の手伝いするから」

 少年の声が聞こえて、すぐにその場からいなくなる。少年を悠長に見送っている暇はない。自分に出来ることをしなければ、と視線を巡らせる。

 動き出そうとした希に騒音の中で届いた、小さな女の子の声。

「うわぁああん!」

 一度聞こえてしまえば、その声を無視することが出来なかった。狐が飛び降りたビルの真下。親とはぐれた一人の女の子が泣いている。

 その真上、ガラスの破片が降り注ごうとしていた。ほんの少しの衝撃で、窓ガラスが落ちてきそう。

「助けなきゃ…」

 考えるより先に身体が動いていた。希よりうんと小さい女の子。ピンクのワンピースを着て、くまのぬいぐるみを抱いている姿が、幼かった自分と重なる。

 

「だめぇええ!」


 走り出した希が女の子を抱きしめるのと同時に、ガラスが降り注ぐことを覚悟していた。

 身体の中で何かが疼く。少し背中が熱い。

 時間が止まったように、周りを纏っていた空気が、変わる。

 希の周りに突風が吹き荒れた。

 その突風はその上に降り注いでいたガラスも、散らばっていた建物の破片も巻き込んで吹き荒れ全てを粉々に破壊する。

 意志を持つかのように、人を包む風は優しく。危険と判断したものは、砂と化す。

 希が瞳を開いた先に見えた―――緑。

 目の前に現われたのはラティランスなのだと、瞬時に理解する。

 でも、危険な存在ではない。大きくて、温かくて、優しい存在。瞳に緑の宝石を持ち、巨大な緑の身体は龍のようだ。

【呼べ、我が名を…】

 希の心に直接声が響く。どうしてか、懐かしさを含んだその声。

 その姿は霧のようにぼんやりと消え失せていくというのに、響いた声だけは確かに希の心に残った。


 それは一瞬の出来事。

 風が弱まって、目の前がクリアになっていく。

 柘榴が戦っている。全身に傷を負いながらも皆を守ろうと一生懸命戦っている。

 少し遠くで少年が希を見て、少しだけホッとしたような顔をした。少年の身体だって破片が飛んでいたせいか、擦り傷があるのが分かった。

 それ以外の人だって、皆怪我をしている。

 傷つき、悲しみ。嘆く声をこれ以上無視することなんて出来ない。

 ふと、少年の言葉を思い出す。力が無いやつがここにいても仕方がない、そんなことは分かっている。

「それでも、私は―――」

 誰に言うでもなく呟いて、目を閉じた。女の子は希の言葉に意味が分からないのか、首を傾げている。

「無事か?」

 なかなか立ち上がらない希を気に掛けた少年が、傍までやって来た。何も言わず、女の子が希の腕の中で泣くのを止めて、少年の言葉に頷いている。

「この子をお願いします」

 小さく呟いた声は女の子にしっかりと届き、少年には中途半端にしか聞こえなかった声に首を傾げた。

顔を上げて立ち上がった希は、真っ直ぐに少年を見てもう一度言う。

「この子をお願いします。私は、行かなければ」

 少年の瞳に、決意を決めた希の姿が映る。女の子は希の服をギュッと握りしめていたが、その手を上から優しく包み離す。それから、にっこりと笑った。

「おねえ、ちゃん?」

 女の子が何か言いたそうな顔で、希を見ていた。女の子の背中をそっと押して、少年の方へ。

 立ち上がって、足を一歩踏み出して、希は言う。

「なんとか、して来ますね」

 すれ違い様に少年に向けられたのは、この場にそぐわないくらい自然な笑み。

「何、言っているんだ。まだ覚醒も…」

 少年は何かを知っているような口ぶりだった。

 それどもそれを気にする暇はない。一歩一歩、進みながら深呼吸を繰り返す。

 大丈夫。絶対に、大丈夫。

 自分に言い聞かせる。それから、一気に駆け出した。


 呆然とする少年と女の子を置いて、希は異常な速さで狐へ急接近した。

 何かが違う。勝手に足が動く、走れる。戦える。身体がいつもより軽くて、風のようだ。

「私は、守れるはずです――」

 女の子を、少年を、町の人を、柘榴を。

 もう誰にも傷ついて欲しくない。見て見ぬフリはしない。

 希は迷うことなく、柘榴のすぐ傍まで駆け寄る。

「希ちゃん!ここは危ないから!」

 希の接近に気が付いた柘榴の声は、希には届いてなどいなかった。

 思い出すのは先程の声。希の心に直接届いた声、呼べと言ったその言葉を紡ぐ。

「スマラクト…」

 急ブレーキを掛けて立ち止まった希の前に風が、緑の光が集まる。手を伸ばせば届きそうな光を、希は見つめて叫ぶ。

「お願い…私に力を貸して!」

 希の願いに答えるように、光の輝きは増していった。

 その中に現われた―――弓。

 年季の入った木から作られたように、ずっしりと重そうな見た目と反して、希が軽々と持つことの出来る弓。大きくて頑丈で、少しくらいでは壊れそうもない、弓の下方にはまるで柘榴とお揃いの様に紐で括られた緑の宝石が輝いていた。

 これが武器なのだと、希は握りしめる。弓を引いた経験はもちろんない。それに、弓だけが現われて矢はない。矢がなくても、柘榴が何度も何度も体当たりをしているのを見て、その力になりたかった。どうすればいいのか、身体は勝手に動いてくれる。

 狐の尻尾が器用に動いて、希に向かって建物の破片を投げる。

 その破片がぶつかってくる前に。矢を持っていると思い込めば、瞬く間に光が集まって右手に現れたのは一本の光の矢。その矢を、思いっきり引く。

 そして、射た。

 

 希が放った光の矢は、狐の攻撃すら巻き込んでラティランスの片眼を潰す。

「柘榴さん、大丈夫ですか?」

 矢を射た後、戦っていた柘榴の横に並び顔を見つめた。

「希ちゃん、今のって」

 突如現れた光の矢に、柘榴は驚きを隠せず攻撃の手を止めた。その隙に尻尾が迫るが、柘榴に当たる前に風がそれを阻む。

 風の守りの中で、柘榴と希は顔を合わせた。

 どうやら風は自動で希と柘榴を守ってくれるらしい。丁寧に説明している暇がないので、希は早口で言う。

「柘榴さん、話は後で。とりあえず、目の前の敵を倒さなければいけませんから」

 自信のある希の瞳、その手にある弓を確認した柘榴は安心したように微笑んだ。

「…そうだね。それじゃあ、反撃と行きますか」

 柘榴の想いに答えるように、さっきまで弱まっていた焔の威力が増す。消えかけていた焔の力が戻る。

「私が囮で走り回るよ。その隙に、もう片目を壊して!」

「分かりました」

 柘榴が笑顔で微笑んだ。ラティランスは片眼を失い、暴走しかけている。その前に倒す。柘榴と希を守っていた風、狐の直接攻撃すら通すことはない。

「行こうか!」

「はい!」

 希の風が一瞬でなくなったと同時に、柘榴は囮になるべく走り出す。九本の尻尾を器用に避け、柘榴は駆け回る。

 希は未だ風に守られたまま、少し距離を取るため駆け出した。

 攻撃範囲から外れ、少し離れた場所から弓を引き力を溜める。

 もっと、もっと強く、一撃で全てを倒せる力。希の想いに答えるように、光が増していく。今出来る希の限界、それを外さないようにジッと耐えて。

 最大限の力を込めた瞬間に、射た。


 希の光の矢が、真っ直ぐに狐の瞳を射た。宝石が割れる。狐が、瞬く間に砂と化す。

 風が吹けば、狐だったはずの身体は砂として空へと舞い上がっていく。狐のいた場所に、残されたのは大きめな、綺麗な赤い宝石だった。透明度が高くて、やや青みがかった深紅の宝石。

 その宝石を、柘榴は大切そうに拾った。

 そんな柘榴にすぐさま駆け寄ると、笑顔で希の方に振り返る柘榴。

「ふう、終わったね」

「はい…て、柘榴さん怪我が!」

「えへへ…疲れちゃった」

 そう言った途端に、片膝をついた。柘榴の服のところどころが破れていて、至るところから血が流れている。一つ一つは小さな傷、けれどもその数が多い。

 戦いが終わったと思った瞬間、風のように武器が消えた希とは違い、柘榴は刀を出現させたまま刀で身体を支えていた。笑って、大丈夫と繰り返す柘榴が大丈夫だとは思えない。

 笑顔を絶やさないが、その額に汗が滲んでいる。

 刀の焔は消えていたが、その刃は輝いたまま存在している。

 柘榴の傍に片膝をついた希は、慌てて言う。

「急いで治療してもらわないと!」

「本当に大丈夫だよ。それに、ほら」

 柘榴が指し示した先。軍の人間が救護活動を始める姿と、青い剣を持ち、唇を噛みしめた一人の少女。

「もう何が起こっても大丈夫そうじゃない?」

「確かに…そうですが」

 なぜか恨めしそうな顔をしている蘭は、希達の姿を見るなり一睨みして踵を返す。確かに今ラティランスが現われても、蘭が一撃で倒しそうなくらいの怖さがあった。

 丁度到着したばかりの様子で、蘭以外の人達が一目散に救助活動を始める。

 それとは別の方向から、足音が近づいて来た。

「お、いたいた…て、柘榴お前大丈夫か?」

 柘榴の血の量を見るなり、両手に大荷物を持った結紀が心配そうにしゃがみこむ。本気で心配そうな顔をしている結紀にも、柘榴はへらへら笑って言う。

「大丈夫。見た目ほどではないから」

「でも、早く見てもらった方がいいですよ」

「それは、希ちゃんも一緒でしょ」

 柘榴が笑おうとするが、笑った拍子にどこか痛んだらしい。少しだけ、顔が歪んだ。あきれ顔の結紀は持っていた荷物を地面に置くと、背中を柘榴に向ける。

「ほら、早く乗れ」

「いやいや、大丈夫だって」

 必死に柘榴がそう言っても結紀も動かない。段々と結紀の眉間に皺が寄っていくので、柘榴が必死に視線を合わせないようにする。

 どうすれば逃げられるのか、困った柘榴と目が合った。結記の意志は変わらなそうなので、希にっこり笑って言う。

「柘榴さん、意地を張っちゃダメですよ」

「いや、意地なんて…」

「柘榴さん」

「…はい」

 有無を言わせぬ希の声に柘榴はしぶしぶだが、小さく頷いた。嬉しそうに笑う希に、柘榴は諦めたような顔になって結紀の背中に乗る。

 柘榴の持っていた深紅の宝石の塊は、しっかりと希が引き受けた。

「重くても知らないから」

「はいはい。あ、希ちゃん悪いけど荷物半分持ってもらっていいかな?」

 柘榴を軽々とおんぶした結紀は、自分の買った食料以外を希に差し出す。それは希と柘榴の買った買い物袋で、それほど重くはない。

「はい、他のも…持ちましょうか?」

「いやいや、大丈夫」

「そうですか?じゃあ、あの…先に戻っていてもらってもいいですか?さっき助けてくれた方にお礼が言いたくて…」

「それは構わないよ。でも、早めにね」

「はい。その、柘榴さんが寝ているみたいなので、よろしくお願いします」

 結紀におぶられた柘榴が不貞腐れた声で希の言葉を否定する前に、一礼した希は急いで駆け出した。



 希はすぐに少年を探した。たった一言でも、きちんとお礼を言いたかったのだけれど、周りを見渡してもすでにその姿がない。

「もう帰ってしまわれたのでしょうか」

 こんなことなら、はっきりと顔を見ておけばよかった、と今更ながら後悔。顔を覚えようなんて思っていなかった。何度も気にかけてくれたのに、お礼も何も言えなかった。

 それにあの時、少年は確かに言ったはずだ。

「『ラティフィスのくせに』とか、『覚醒』とかって、あの時、聞こえた気がしたのですけど…どうして知っていたのでしょうか」

 希がラティフィスだって、そんなことは一言も言っていない。

 それに一般の人がその存在を知っているものだろうか。

 いや、確か本部で読んだ書類にはそんなこと書いていなかった。軍の一部、及び組織の人間にのみ公表された存在のはずだ。

 ということはまたどこかで、あの少年に出会えるだろうか。

「…会えるといいのですが」

 そっと首元から取りだしたのは、懐中時計。

 兄が希の誕生日に買ってくれた、大切な宝物。身に付けていたおかげで、男に取られなかった唯一のもの。それを握りしめて、少年にもう一度出会えることを願う。

 戦いが起こったなんて考えられない程、澄んだ空の下。

 これ以上ここで気にしていても仕方がない。最期にもう一度だけ周りを見渡してから、柘榴と結紀の待つ場所へ駆け出した。

 


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