06 モノローグ翠
希は一人立ち尽くしていた。
見渡す限り荒れ果てた土地に、人の気配はない。
破壊された街は、希が知っている場所ではない。知らない場所のように見えて仕方がない。
「希くん、あっちに避難所があるそうだ。そっちに行くかい?」
「…はい」
気まずそうな柊の声に、希は小さく頷いた。
希の様子を気にしながら、一歩先を歩く柊の後を希は歩く。
歩いている感覚すらなくなりそうな気分の中、それでも進む。
歩きながらも捲れたコンクリートの道、瓦礫の山。倒れた木、ぺしゃんこの車。
沢山の死体。
変り果てた故郷を目の前にしてから、滅多に口を開けない。
何を言えばいいのか。声が出ない。
兄は、生きているのだろうか。笑って希を見つけ出してくれるのだろうか。
会いたい。
その気持ちで、ここまで来た。
ちらほら軍の人間が街の中を捜索し、柊と希の姿を見つけては不思議そうな顔をしている。声を掛けられたのは、最初の一度だけ。
以降は腕に付けている紋章のおかげで、声を掛けられることはない。
避難所に着くなり、希は兄を探して一目散に駆け出した。
本部へ向かうヘリコプターの中で、希は両手を握りしめる。顔を上げることはなく、泣いているわけでもない。
唇を噛みしめて、無言で耐えていた。
そんな様子の希に、掛ける言葉が見つからない柊もただ黙っていた。
「…」
「…」
仕方がないので、外を眺めて考える。
柊は希の隣でどれだけ必死に兄を探していたか、会いたかったのかはひしひしと感じていた。
希の両親は、すでに他界している。その事実は柊が希との約束をしてから、洋子が柊に教えた。
希の血のつながった家族と言えば、年の離れた兄一人。その兄は病院の警備員をしていたそうだ。その病院は避難所に来る前に見てきた。
跡形もなく崩れ落ちた病院を見て、希は泣き叫ぶわけでもなく、ただ呆然と病院を見つめていた。避難所でも随分探してから、希は諦めたように柊の元にやって来た。
『兄は、いませんでした』
そう言って希は悲しそうに微笑んでいた。
時間も時間と言うことで、基地に帰ることになりヘリコプターに乗ったが、おそらくこの場所に戻ることは滅多なことがない限り出来ないだろう。
『柊さん…』
小さいながらもイヤホンから聞こえた声に、希に視線を向ける。
顔を上げた希は泣いてなどいなかった。
悲しんでもいなかった。
ただ真っ直ぐに、柊を見て微笑んだ。あからさまな作り笑いを浮かべていた。
「何、かな?」
『兄は見つかりませんでしたが、私は大丈夫です。明日からよろしくお願いしますね』
それだけ言って、希は軽く頭を下げた。
「あ、ああ」
咄嗟に頷いて、顔を上げた希と目が合う。
やっぱり、泣いてなどいない。少しだけ申し訳なさそうな顔をしているように見えた。
決して泣かない、一人の少女。
たった一人の家族であった兄が生死不明だと言うのに、取り乱すこともない。
強い、のか。感情を消すのが上手いのか。判断しかねる。
それから希は明るい声で柊に色々なことを訪ね始めた。
本部のこと、これから先のこと。
その行為が気を紛らわせる為のことだと言うのは、何となく感じることが出来た。だから、一つ一つ丁寧に説明することにした。
兄はいなかった。
それでも、希のこれから先は変わらない。
ラティランスと戦う。
柘榴や蘭のように勇敢にラティランスに立ち向かうことが出来るのか、そう考え始めると自信がない。
ただ、自分の存在意義がその場所でしか見出せない。
そんな気は、していた。
寮、と言われた建物の廊下を進みながら、希は一人不安な気持ちでいっぱいになっていた。よく分からない球体が部屋まで案内してくれたが、これからのことはやっぱり不安でしかない。
「それでも、私は…」
進むしかない。そう、思いながらドアを開けた。
「あ、希ちゃん。おかえり」
ドアを開けた先、部屋の中で寛いでいる柘榴。あまりにも楽しそうな顔で言われた言葉に驚いて、少し間が空いてから言う。
「…た、ただいま?」
「おかえり!ねえ、お腹減ってない?食堂行こう、食堂!」
ぴょんぴょんベッドの上を飛び跳ねていた柘榴は、希の手を取りにっこりと笑う。
「結紀とキャサリンが食堂でご飯作ってくれるんだってさ。後で、結紀とキャサリンのことを紹介してあげるね。キャサリンは見た目、酷いから最初に見たら驚くよ」
楽しそうに柘榴は希の手を引いて歩き出す。
驚いている希を引っ張って、一歩先を歩く柘榴の楽しそうな横顔。
「キャッシーさんには近づかない方がいいでしょ。蘭ちゃんは、むやみやたらに刺激をしたら、反撃されるから注意でしょ。あとは…」
次々に言葉を紡ぐ柘榴。
その半分も希の耳には届かない。
柘榴の右手が温かい。
生きているんだ、と実感する温かさ。
希の故郷で沢山の死体を見た。知り合いも、沢山いた。
けど、その場で泣けなかったのは、あまりにも現実的じゃない気がして、認めたくなかったから。少し離れて、落ち着いて来るとドッと気持ちが溢れて来る。
会いたかった。
兄に、会いたかった。
今、柘榴と手を繋いでいるように、しっかりとその存在を確認したかった。
「――それでね。寮なんて、ホテルみたいで迷子になりそうだよね…希ちゃん?」
ずっと黙っていた希が、そっと柘榴と繋いでいた手を離した。不思議に思った柘榴が立ち止まって振り返れば、両手で必死に涙を堪えようとしている希の姿。
「の、希ちゃん!?」
「えへへ。大丈夫ですよ、何でも、ないですよ」
慌て出した柘榴に、希は震えた声で言う。床に涙が数滴、落ちた。
なんで泣いているのか分からない柘榴は、アタフタしながら言う。
「あ、手を繋ぐの嫌だった?私、無理やりだった?」
「…ち、ちが――」
「お腹が空いていなかったとか?あとは、あとは――」
希の声を遮ってまで、何かしてしまったと慌てる柘榴の声に耐え切れず、希は小さく笑う。
「希ちゃん?」
もう一度名前を呼ばれた。涙が完全に止まったわけではないけれど、それでも顔を上げた。
「大丈夫です。心配ありません」
「嘘―」
「それより、ほら。ご飯食べに行きましょ、ね」
信じていない柘榴の背中を押しながら、希は一歩を踏み出した。
大丈夫、その言葉は自分自身への言葉。
これからのこと、不安しかないけれど、それでも何度でも心の中で繰り返す。
大丈夫、そう言ってこれから何度も笑うのだろう。
そんな、気がした。