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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第1章
6/59

05 出発編02

 ヘリコプターの旅を終えて、柘榴が降り立った先は海近くの広い、広い敷地。

「でかっ!」

 柘榴の高校より何倍も広い敷地。グラウンドや滑走路、プールなどなど色々な施設。どこに何があるのか、さっぱり分からない。

「それじゃあ、柘榴くん。案内役が来るからここで、待機で」

「ええ!置いて行くの!」

 柘榴の呼び止める声も空しく、希と柊を乗せたヘリコプターはまた空へと飛び立つ。

「置いてかれたぁ…」

 柘榴と鞄、ポツンと立ち尽くすしかない。

 滑走路の端っこでも、数人の人が柘榴を見ては不思議そうな顔をしていた。

「おー、いたいた。置いてけぼりの柘榴」

「んな!」

 呼ばれて振り返った先に、見知った顔。馴れ馴れしい、と思ったが、それは柘榴も同じかもしれない。最初に会った時はスーツ姿で次は私服で、今度は。

「どこぞの、コックですか?」

「これが俺の今の仕事なんだよ!」

 コック服を身に纏った結紀。その姿を見ていると、笑いが止まらない。

「似合ってなーい!」

「お前、失礼な奴だな」

 口元が引きつっていた結紀が、柘榴の持っていた鞄をひょいっと奪う。

「ああ、私の鞄―」

「持ってやるって、てか重!何入ってるんだよ!」

「服に、小物に、お菓子に。あと、うちの自慢の野菜!南瓜とかナスとか、トマトとかキュウリとか?」

「後半の野菜、絶対必要ないよな」

 呆れている結紀の声。持ってくれたので、素直に甘えることにした。荷物がなくなり軽くなったし、全く知らない人の案内ではないことに安心する。

 結紀より先に歩き出して、振り返った柘榴はにっこり笑った。

「さて、どこから行く?」

「先に行くなよ…」

 満面の笑みの柘榴を見て、結紀は深いため息をつく。

 希と一緒に行けなかったことが少し悲しかったのだけれど、これはこれで楽しいかもしれない。と、前向きに考えて、柘榴は軽い足取りで一歩踏み出すのだった。

 


 先にエントランスで柘榴の荷物を預けてから、身軽になった柘榴と結紀は本部の基地の中を歩くことにした。勿論、結紀の案内で。

「私ってさぁ…これから何するのかな?」

 左隣を歩く結紀を少し見上げながら訊ねる。結紀は、そうだな、と少し考える。

「力の特訓じゃないか。てか、俺が知るかよ」

「…役に立たないとは」

 聞こえないように小声で呟く。

「案内始めるぞ。お前は、今日から柊さんの部下になったわけだが――」

「ええー、柊さんの部下なの?」

「そうだよ。そこで悲しそうな声を出すな」

 柊さんが可哀想、と言う結紀が泣くフリ。柘榴はそんな結紀を、冷ややかに見ながら歩く。

 泣いているフリのコック、それから泣かせた女子高生を周りは不審そうに見ている。それを気にしない結紀と、鈍感だから気が付かない柘榴。

 自然とこの基地に不似合な二人に注目が集まるが気にせず廊下を進む。

「それで、案内は?」

「そうだな…」

 廊下を曲がった先、タイミングよく顔を合わせることになったのは、真っ白な制服姿の少女。

「げ」

「柘榴の先輩」

 笑顔で紹介した結紀と対照的に、不機嫌の塊で立ち止まった蘭。すぐさま踵を返した蘭に聞こえる程度の声で、結紀の説明が入る。

「ツンデレ、デレデレ蘭ちゃんです」

「ふざけんな」

 腹の底から出たと思われる、蘭の怒りの声。

 同時に、どこから出たのか分からない水鉄砲をくらった結紀は反射的にしゃがみ込む。濡れてしまってはしゃがんでも同じことだけれど、とは言えない。結紀の横にしゃがみ込んだ柘榴は、憐みの視線を向けながら一言。

「ツンしかなくない?」

「あんたも、何言っているのよ」

 いつの間にか後ろに立っていた蘭の背後に、見えないオーラが見えそうだ。

 真っ青になったのは振り返った柘榴だけでなく、結紀も同じ。心なしか、周りの温度が下がったような気がして、鳥肌が立つ。

「頭を冷やしなさい」

 冷たい蘭の声と共に降り注いだ大量の水。

 全身びしょびしょ、廊下を水浸しにして、蘭は満足そうに立ち去る。

 その場に残された柘榴と結紀は顔を合わせて、大きくため息をついた。

「服から、水が滴るぅ」

「はいはい、さっさと絞って掃除するぞ」

 スカートから大量の水が絞れる。絞っても、絞っても水が出てくるのは面白いような、悲しいような。柘榴の後ろで上を脱いで絞り始めた結紀の潔さを羨ましく思いながら、柘榴は小さく呟く。

「一応、女の子の前ですよ?」

「あれ、女なんかいたっけ?」

 ムカついた。無性にムカついたので、振り返ると同時に左足を軸に右足を回す。

「っぐ!」

「必殺、回し蹴り」

 柘榴の踵は、見事に結紀の背中に当たった。蹲った結紀を見下ろして、柘榴は腕を組む。

「ざまー」

「…無念」

 わざと倒れこんだ結紀に、片膝をついて結紀の肩を叩く柘榴。

「精進せよ」

 思わず結紀の小芝居に付き合ってしまった。無駄な小芝居のせいで、人が集まって来る。

 水で濡れて制服が透けているのに気が付いていない柘榴は気にせず掃除を始めるが、結紀はその様子を瞳の片隅で確認する。女がいない場所ではないけれど、通り過ぎるのは男の方が多いわけで、柘榴の姿はすごく目立つ。

 結紀は少し考えて、絞った上着を柘榴の頭に投げつけた。

「ちょ、今。掃除中!」

 雑巾で水を絞っていた柘榴は、投げられた上着を見て首を傾げる。

「なぜに?」

「着とけよ。透けてんぞ」

 呆れた結紀の言葉を考えて、制服を見下ろす。お気に入りの下着は紺のレースで、それが薄い夏服のせいではっきり透けている状態のわけで。

 状況を理解した途端に、顔が赤く染まった。

「早く言ってよ!」

「気づけよ…」

 サイズの合わない結紀の上着に腕を通してから、前までしっかりとボタンを留める。恥ずかしくなったせいで、結紀の方を見ることが出来ない。

 結紀の上着は大きすぎて、ぶかぶかだ。動きにくいけれど、そのまま掃除に集中することにした。


 ある程度の掃除が終わった。

 エントランスまで戻っても荷物はすでに寮に運ばれているらしいので、着替えがない。ということで、結紀のコック服の予備を借りた。

 ズボンを数回折って、丁度いい長さになる。

 夏でよかった。冬だったら風邪を引いていたに違いない。

 近くにあった女子更衣室で着替えた柘榴は、借りたタオルを肩に掛けながらドアを開ける。

「着替えたよ」

「よーし。案内戻るぞ」

 結紀も予備の服に着替えたようだが、全く服装は変わらない。

「ここが、更衣室。それでこっちが機械室、訓練室に…」

 歩きながら結紀は次々と説明をしてくれるのだが、それらを一気に覚えられるほど柘榴の頭は正直良くない。途中から説明を聞き流している柘榴に結紀は気が付いていたようで、大きなドアのまで立ち止まった。

「で、ここがお昼の食堂。はい、休憩」

 問答無用で食堂に入った結紀の後ろを追ってドアをくぐる。

 百人以上は座ることの出来る椅子と机。真っ白な壁に、グレーの床。椅子と机は基本的に黒で統一されていた。人影はない。食堂の端っこ、一角にあるのはカウンターを目指して歩くと、カウンターの上には茶菓子が置いてある。

「今、何か飲み物持ってくるから、カウンター席に座って待っていろよ」

 そう言いながら、結紀はカウンターの中に入り、奥のキッチンに行った。

 残された柘榴は、言われた通りにカウンター席に座る。

 疲れた。

 外から見ても建物が大きいと思っていたが、中に入って歩いてみるとその広さを嫌でも実感させられる。歩いても歩いても、終わりが見えない。本部の全部を覚えるのに、相当な時間が掛かりそうだ。

「ほら、ジュース」

 奥から出てきた結紀の手にはグラスに入ったオレンジジュース。

「ありがとう」

 素直に受け取る。喉が渇いていたこともあって、ジュースを飲もうと口に運んだ瞬間。

「っんぶ!」

 奥から出てきたもう一人の登場によって、ジュースを吹き出しそうになった。

 現れたのは男性で、結紀と同じコック服なのは問題ない。

 問題は服装ではないのだ。顔の濃さ、も含まれるけれど。ばっちりと上にカールされたまつ毛、白に近いファンデーション。真っ赤なリップと、頬にはピンクのチーク。

 のくせに、がっしりとした筋肉の持ち主の、男性。

 違和感の塊でしかない。

 強烈なインパクトに押された柘榴は、本能的に目を逸らしてはいけないと悟る。

「あら、可愛い子が来たのね」

 太くて低い声で、喋り方は女性のようだった。

 いや、どう見ても男にしか見えない外見。

 言葉を失い、今にも気を失いそうな雰囲気の柘榴は、見なかったことにしてしまいたいくらいだった。結紀が顔色一つ変えずに柘榴の紹介をする。

「今日から柊さんの部下で、蘭ちゃんの後輩の柘榴」

「この子がそうなのね。私はキャサリンって言うのよ、よろしくね」

 語尾にハートマークがつきそうな言葉。

 笑顔で柘榴に差し出された手を握り返すのには、勇気がいる。

「よ、よろしくお願いします」

 裏返りそうになった声は、無事に発せられた。精神的疲労が襲っているが、考えないようにしている柘榴の瞳に、キャサリンの後ろで大爆笑している結紀の姿が映る。

 それはもう、声を出さないように必死に笑っている。

「柘榴ちゃんは、高校生?」

 カウンターの向かいに座ったキャサリンの質問。にこにこ笑っているから、機嫌がいいのかもしれない。緊張しないのは無理だけれど、出来るだけ顔が引きつらないように答える。

「そう、です。本当なら、もうすぐ夏休みなんですけど…」

「夏休みとか、懐かしいな」

 笑うのを止めた結紀が、さも当たり前のように柘榴の席の隣に座る。

「結紀とキャ…キャサリン、さんはいつからここにいるんですか?」

「そうねえ…数年前かしら?」

 上機嫌なキャサリンは聞けば色々なことを教えてくれた。

 自分自身のこと、基地のこと。結紀も説明をしてくれたり、答えてくれたりして、あっという間に時間が流れるのだった。



 一時間近く食堂で会話をしていた。

 満面の笑みを浮かべたキャサリンに見送られて、柘榴は同じように手を振りながら別れる。

「暇な時に遊びに来なさいね」

「うん。またね、キャサリン!」

 一時間近くも話していればキャサリンの見た目は気にならなくなり、キャサリンの作ったお菓子に釣られて柘榴の警戒心はなくなってしまった。

 餌付けされた、とも言える。

 すっかり仲良くなれた柘榴は、上機嫌で廊下を進む。その様子を面白そうに見ていた結紀は、柘榴の横を並んで歩きながら言う。

「さっきの場所が昼の食堂で、朝と夜は寮の食堂だ。キャサリンは変わらない。それから、一応教えておく。キャサリンの本名は大輔。これは覚えなくてもいいけどな」

「…妙に男らしい名前だね」

「そうなんだよ」

「それで、次はどこ?」

「キャサリンの次は…あの女のところか」

 乗り気じゃない結紀の声に、柘榴は首を傾げて尋ねる。

「あの女?」

「キャサリンの妹」

 間を置かれずに答えた結紀。その言葉で咄嗟に浮かんだのは、キャサリンの女バージョン。瓜二つの顔だったらどうしよう、と不安になる。

「普通の人?」

「お前、キャサリンの妹だぞ」

 そう言われると不安が増す。隣を歩く結紀の進む速さが心なしか遅くなった気がする。顔色も少し青白い、ような。

「その人のところにどうしても行かなきゃいけないの?」

「まあな。ほら、蘭ちゃんが着ていた制服。あんな感じで、柘榴の分の戦闘服を作りたいんだとさ」

 戦闘服が、何故制服なのか。不思議で仕方がない。

 それを結紀に聞いたところで、知らない、と言われそうなので柘榴は黙っていることにした。それから結紀も黙ってしまい、時々唸り声を出す結紀と一緒に歩くしかなかった。


 それからすぐに着いた部屋。

 白い紙に『キャッシーの部屋 男性立ち入り禁止』と赤字で大きく書かれた部屋。怪しそうに見える、その部屋の近くで結紀は立ち止まる。

「よし。行って来い」

「え、結紀は?」

「無理無理!絶対、入れない」

 力一杯否定され、心細い気持ちになる。それ以上に、部屋のドアにさえ近づかないで離れようとする結紀の姿には呆れてしまう。だから思わず柘榴は尋ねた。

「案内役じゃなかったの?」

「この部屋に入ったら、俺は生きて帰れない」

 真顔で言った結紀。もう言い返す言葉もなく、柘榴は仕方がない、と肩を竦めた。柘榴が納得したような雰囲気を感じ取ったのか、結紀が数メートル離れた場所から叫ぶ。

「終わったら迎えに来るからな!」

「遠いわ」

 柘榴の呟きは結紀には届かない。

 部屋の中の人物がどんな人なのかも想像出来ないまま、入るしかない柘榴。よし、と気合を入れてから部屋の中に足を踏み入れることにした。

 二回、まずはドアをノックしてみる。

「はーい、女性ならどうぞ」

 微かに部屋の中から聞こえた言葉。声だけ聞いたら、普通の女性の声。

「失礼します」

 恐る恐る、ドアを開ける。

 ドアを開けた途端、目に入ったのは大量の布。部屋の中いっぱいに、色とりどりの生地からレース、進むにつれ沢山のぬいぐるみ達。

 ぶつからないように気を付けながら、部屋の中を進む。

「ちょっと、待っていてね。あと少しだから」

 部屋の中心、ギリギリ外の光が入るたった一つの机には、三台のパソコンが並んでいた。パソコンに向かって座り、先程からハイスピードで操作を続ける女性。

 横から見れば、普通の人にしか見えない。片方で無造作に縛った金髪の髪の毛が印象的だ。

 キャサリンのようにインパクトのある印象もなければ、兄妹と言われても似てない容姿。どちらかと言えば可愛らしい高めの声で、綺麗な女性。

 結紀があれほど恐れていたのが拍子抜けするくらい、普通の女性に思える。

「ふう、よしっと」

 ようやく手の動きが止まった女性が、ゆっくりと振り返る。

 モデル並みに小さな小顔。よく見れば手足も細くて、一言で言えば華奢な、抜群のスタイルを持つ女性は、柘榴を見るなり固まる。

 ハッとした表情をしたのは一瞬で、椅子から立ち上がると同時に呟いた一文字。

「か」

「か?」

「可愛い!!!」

 猪の如く柘榴の方へ駆け寄って、そのまま抱き付く。逃げ場もなければ、何が起こったのかも理解出来ないまま思いっきり押し倒す。

「やだ、凄く可愛い子ね。もう想像以上で、お姉さん困っちゃう」

 やたら早口でそこまで言い切ると、女性は上に乗ったまま顔を近づけようとするので、柘榴は必死に逃げようとする。

 けれど、意外と力があって逃げられない。

「降りて欲しいんですけど…」

「今日来た子よね。名前は?年齢は?スリーサイズは?」

 全く人の話を聞かない女性に、困惑しながら言う。

「あの。その前に、降りて――」

「とりあえず、胸のサイズは…」

「わぁあああ!どこ触ろうとしてんですか!!!」

 丁寧に接しようと思っていたが、無理だった。柘榴の胸のサイズを見定めようとする女性を押しのけ、無理やり脱出して、そのまま壁まで逃げる。

 見た目が普通じゃなかったキャサリンの時より、警戒心が増した柘榴は小さな声で言う。

「変態…」

「あら、怖がる姿も可愛い」

 座り込んで怯えている柘榴、ない胸を隠そうと腕をクロスさせて本気で警戒する瞳を向ける。

 女性は楽しそうな笑みを浮かべながら、柘榴に手を差し伸べた。

「うふふ、はじめまして。キャッシーよ」

 語尾にハートマークが付きそうな話し方が、キャサリンとすごく似ている。

 差し出された手を、おずおずと握り返す。

「柘榴、です。よろしくお願い…したくない、です」

 正直に答えてしまった柘榴。真っ直ぐに目を見ることが出来ない柘榴の不審な態度にも関わらず、キャッシーは満面の笑みを絶やさない。

 始終楽しそうに笑っている。

 正直、少し上から柘榴を見下ろす瞳が怖い。

 それから、離してくれない右手の汗が尋常でない。

「じゃあ、さっそく採寸しましょうか!」

 活き活きとした声で、輝いているように見えるキャッシーに思わず逃げ出したくなる柘榴。きっと採寸が終わるまで解放されないのだと悟る。

 引きつりそうな顔の柘榴と目が合ったキャッシーは、ますます嬉しそうに笑った。


 採寸が全部終わったのは、随分経ってからだった。採寸途中でキャッシーがやたら近くに寄るので、逃げようとすれば採寸が終わらないという悪循環である。

 ゆっくりと部屋のドアを閉めた柘榴は、盛大にため息を吐いた。

「疲れた…」

 キャッシーの終わりの合図と共に部屋を飛び出した柘榴は、廊下の壁にへばりつきながら感情を隠せない。キャサリンより、何か色々と酷かった。

「おー、終わったかー?」

 廊下の奥から歩いて来たのは間違いなく結紀で、片手をポケットに突っこんだまま悠々と歩いて来た。

「…結紀はまだ普通だよね」

 何かを諦めたかのような柘榴の声。精神的に追いやられてストレスが溜まる一方だった。そんなストレスを発揮する相手が結紀しかいない。

 心なしか低い柘榴の声を全く気にせず、結紀は言う。

「無事終わったならいいじゃねーか。あの兄弟、ちょっと個性が強いだけだろ?」

「ちょっと…?」

 頷くことが出来ない柘榴に、結紀は当たり前のように言う。

「ほら、最初にダメージを負っておけば、後は楽になるさ」

 前向きなのかよく分からない言葉に、呆れるだけ。

 それでもキャッシーから解放されたことは今の柘榴にとっては、幸せなことだ。早く休みたい。疲れ果てた柘榴の声も出ない様子を見た結紀は、さて、と先に歩き出す。

「んじゃ、最後に寮行くぞ」

「おー」

 力のない掛け声と共に、柘榴は結紀の後を追って歩き出すことにした。



 木造建ての三階。ヨーロッパをイメージした洋館のような建物。赤い煉瓦に、白い入口が印象的な建物の前で柘榴と結紀は立ち止まる。

「ここが…?」

「ここが女子寮。もう一カ所、ここから見えるあの建物が、男子寮。入口の色が違うから、間違えることはないと思う。それから柊さんからの伝言で、明日は動きやすい格好でエントランスに八時集合らしい」

「そう言えば、希ちゃんと柊さんはまだ帰って来てないの?」

 別れてからもう何時間も経った。それなのに、帰って来ない二人。

「そろそろ帰るって連絡あったから、帰って来るんじゃないか?」

「ふうん」

 結紀も詳しいことは分からない様子。これ以上聞いても、分かることはなさそうだ。

「まあ、帰ってきたらお前の部屋に行くだろ。ここの寮は基本二人一部屋だし。同じ日に入った奴らは同じ部屋になりやすいから、多分同室だろ」

 うんうん、と頷く結紀の言葉を信じていいのか。どうなのか。

 女子寮の前にはあまり、というより人がいない。寮の前で喋っていても誰かと会うこともなければ、人が通る気配もない。結紀の説明は続く。

「寮の中に入れば案内があるし、迷うことなく部屋に行けるはずだ。俺はこのまま男子寮から寮の食堂に行くから、また質問があったらそこで聞けよ」

「わかった」

「それにしても。あー、疲れた」

 腕を上に伸ばして身体を解す結紀は、軽くストレッチをする。

 随分結紀を振り回した気がする。

「今日は、ありがとね」

 素直に出た感謝の言葉。笑顔で結紀に笑いかければ、少し驚いた顔をされた。

「素直に言われると、気持ち悪…」

「この野郎…」

 右手を握りしめて殴るポーズを取れば、危険を察した結紀は一歩引き下がる。

「んじゃ、これから頑張れよ」 

「あ、逃げんな!」

 柘榴が踏み出すよりも先に、結紀は一目散に逃げ出した。本当に感謝はしていたのだけれど、もうこれ以上追いかける気力はない。

 結紀の背中を見送ってから、寮に踏み込むことにした。


 何段かある階段を上って、建物の入り口に立ってみれば趣があるというか、本当に寮なのかと疑ってしまいそうになる。

 恐る恐る、ドアを開け一歩踏み込む。

「わあ」

 綺麗。

 ホテルか、と思うほど開放感のあるエントランス。吹き抜け式なのか、天井の透明なガラスから空が見える。

 立ち止まってしまった柘榴の傍に、やって来たのは丸い白い球体。バスケットボールくらいの大きさの球体に、二つ光る赤い光は目のようだった。

『承認シマシタ。オ部屋ニ、ゴ案内致シマス』

 その球体から声が聞こえたのだと、理解するのに数秒掛かる。

「…喋った?」

 独り言をボソボソ言う柘榴は挙動不審そのものだ。

 蹲ってその球体に触ろうとすれば、スッと動く。進む先にあるのはエレベーター。

『アト、三五秒デ、エレベーターガ来マス。乗リマスカ、乗リマセンカ?』

 一定の距離を保って、球体に尋ねられるのは不思議な感覚で仕方がない。

「乗ります?」

 疑問形の答えに、球体は素早く反応した。

『エレベーターニ、案内シマス』

 無駄のない動きで真っ直ぐにエレベーターを目指す球体を追いかける。面白い体験に、心が躍る。

 エレベーターに乗り込んだのは柘榴と球体だけ。密室された空間で、説明が始まる。

『オ部屋ハ、三階ノ七号室デス。鍵ハ、部屋ノ中ニアリマス。外出スル際ハ、キーボックスニ、オ入レ下サイ。尚、初回以降ハ、エントランス右デ、名前ト指紋認証ヲオ願イシマス』

「あ、はい」

 片言の機械音に、思わず敬語で頷く。

 説明が終わるとほぼ同時に、エレベーターのドアが開き、球体は再び動き始める。

 真っ白な壁が続く廊下に、所々花が飾られていたり、絵が掛かっていたり。

『何カアリマシタラ、備エ付キノ電話デ質問下サイ』

 言い終わった球体の着いた先は【Ⅲ・七】と書かれたグレーのドア。

 カチャ、と音が聞こえて球体は廊下の端へ消えていく。

「はいてく、のろじー?」

 柘榴には理解出来ないロボットの構造なのだろう。部屋は間違いなくこの部屋だと思い、柘榴はギュッとドアノブを握った。

 銀色のドアノブ。金属がひんやりしていて冷たい。それをゆっくり、右に回して部屋の中に入る。

「おぉ!」

 ドアを開けた先、部屋の中を見て感嘆の声が漏れる。

「広いし、本当に高級ホテルの中みたい!」

 まず目に付いたのは、ふかふかのベッドが二つ。最新のパソコンが備えられた机が二つ。柘榴の荷物はすでに、ベッドの脇にある。

 白を基調とした部屋は、所々女の子らしく赤やピンクの装飾品が置かれている。

 ドアと言うドアを開けて、確認したのちに目指したのは真正面のベランダ。

「海だ!」

 ベランダから外へ飛び出せば、真っ青な青い海。

 少し海の匂いもする。二畳以上のスペースがありそうなベランダに備え付けの小さなテーブルと簡易式の椅子二つまで用意されていて、致せり尽くせりだ。

「うっみ、海!うっみ、み!」

 あまりの嬉しさに、変な歌を上機嫌で歌い出す柘榴。

「嬉しい、楽しい!さいこ――」

 飛び跳ねて喜びを表現していた柘榴の頭に、一滴の水滴が落ちる。

「へ?」

 それを合図に、大量の水が頭上から降り注いだ。一瞬でベランダが水浸しになる。

「…なぜに?」

 昼間も同じような境遇に遭った。

 存在するはずのない、大量の水の出現。そんな芸当を出来る人物は、柘榴の知る限り一人しかいない。

「五月蠅いのよ」

 隣ベランダで背を向けて椅子に座っていた少女の声が、柘榴の耳にはっきりと届いた。

 蘭は顔だけを柘榴の方に向け、心底迷惑そうな表情で言った。それから持っていた本を静かに閉じると、深いため息。

 いつからいたのか。

 全く知らなかった柘榴は、言葉も出ずに瞬きを繰り返す。

 怒っているような顔の蘭は、椅子から立ち上がるとそのまま部屋の中に戻ってしまった。柘榴は見送っていただけ。

 蘭は、柘榴のことなど一度も見向きしなかった。

「えぇー…」

 理不尽な行動。柘榴が騒げば、毎度蘭の攻撃を受けるのだろうか。

 そんなことをぼんやり考えながら、髪の毛を絞ってみた。



 結紀から借りた服はびしょ濡れ。

 全身水浸しになったので、部屋に備え付けのシャワーを浴びた。ジャージ姿に着替えて、すでに部屋に運ばれていた鞄を整理し始める。

「希ちゃん来たら、一緒にご飯食べに行けばいいのかな」

 荷物をベッドに広げながら、独り言。

 大切なデジカメは当分使えないので机の上に飾っておく。小物は机の引き出しにしまった。クローゼットの中には運動服や基地の中ですれ違った人たちが着ていた服などがすでに入っていて、その中に持って来た服も混ぜる。必要なものは揃っている。

「そういえば…」

 片付けの途中で思い出す。

 祖父から貰った、紙袋の中身は一体なんだったのか。まさか食べ物ではないだろう、と思いつつ紙袋を引き寄せる。

「何だろう?」

 プレゼント用に包装された箱が入っている。

 ベッドに正座して、白い紙をゆっくりと開いていく。白い紙を捲れば、古い箱が出てきた。正方形の箱、黄ばんだ箱。

 恐る恐る、箱をゆっくり開けた。

「…っあ」

 手が震えた。

 箱から出てきた黒い物体。固くて冷たい金属が現れて、柘榴は驚きつつも目が離せない。

 懐かしい。失くしてしまったはずの、大切な思い出の品。

「柚、のカメラ…」

 失った、はずだった。

 森で失くして、もう無理だと。見つかるはずがないと思って諦めた。

 柚の形見が、こんな形で戻って来るなんて想像できるはずがなかった。

 嬉しい。

 すごく、嬉しい。

 嬉しくて、少し目頭が熱くなった。

 一眼レフを両手でそっと持ち上げる。まるで新品のように、綺麗に整備されている一眼レフをそっと持ち上げれば、すっぽりと両手に収まる。

「信じられない…」

 思わず色んな角度から一眼レフを眺めてしまう。それから、改めて箱の方に視線を戻す。

「あれ?」

 箱の下、一眼レフの下に置いてあったと思われる一枚の紙きれがあった。柘榴はそれをゆっくりと手に取って、畳んであった紙切れを開いた。

『頑張れ』

 たった一言。

 そこに書かれた字は祖父の字。間違えるはずがない。少し癖のある文字、たった一言なのにどうしようもなく泣きたい気持ちになる言葉。

「っ!」

 泣くまい、と唇を噛みしめながら書かれた言葉をジッと見つめた。

 素直じゃない。こんな遠回しでしか、応援できない祖父がなんだか可愛く思えて思わず笑みが零れた。紙切れと一眼レフを持ったまま、柘榴はベッドに倒れこむ。

「へへ、えへへ」

 笑いが止まらない。

 嬉しくて、嬉しくて堪らない。

 本当なら、今すぐ家に電話して『ありがとう』と伝えるべきなのかもしれない。柚のカメラを探し出してくれて、見つけ出してくれて『ありがとう』て、伝えたい。

 でもきっと、今すぐに電話でもしたら家に帰りたくなる。会いたくなる。

「すぐには帰れないけど…」 

 戦う、と決めたから。

 守る、と決めたから。

 それでも、また必ず家に帰る。そうしたら、ちゃんと目を合わせて感謝を伝えよう。

「おじいちゃん…本当にありがとう…」

 絶対に壊さない、失くさない。そう誓って、柘榴は一眼レフをギュッと抱きしめた。








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