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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
後日譚
59/59

09 ダンケ シェーン 

 本日は結婚式である。

 空は晴天。季節は、六月。ジューンブライド。

 結婚式に呼ばれている柘榴は前日のうちに近くのホテルに泊まり、昨日の夜に掛けた目覚まし音で目を覚ました。結婚式自体は午後からだけど、着替えやらメイクやらで早く起きる予定だ。

「…朝だ。起きなきゃ」

 そう言って、目を擦りながら起き上がると外は明るい。

 昨日の夜は中々眠れなくて、希と一緒に夜遅くまで喋っていた記憶がある。お互い途中で寝たはずだが、何時に寝たのかは覚えていない。

 隣のベッドですやすやと眠っている希の顔を見て、柘榴はフッと笑った。

 相変わらずの寝顔である。気持ちよさそうに眠っている希は、頭上で鳴っている携帯のアラームの音でも起きる気配がない。仕方がないのでベッドから起き、柘榴は希の身体を揺する。

「希ちゃん。朝だよ」

「…うー…うん?…」

 ゆっくりと瞼を開け、その瞳に柘榴の顔が映った。

 映ったはずなのに、希はもう一度寝ようとした。起こす以外の選択が思い浮かばない柘榴は、迷うことなく布団を剥ぎ取った。

「…寒いですぅ」

 身体を丸めた希は、それでもまだ寝ようとする。

「いい加減、起きようよ。希ちゃん」

 名前を呼ばれたからか、柘榴の方に顔を向けた希。数秒ジッと柘榴を見つめ、それからハッとしたように起き上がった。

「お、おはようございます!柘榴さん」

「おはよう、希ちゃん。先月二十三歳になったとは思えないぐらいの寝顔だったよ」

「何ですか、それ?」

 意味が分からない、と言わんばかりに首を傾げた希。

 何年経っても、希は希である。その姿は二十三歳には見えず、柘榴にも言えることが未成年によく間違えられる。成長していないわけじゃないが、若く見られることが多い。

 柘榴は写真系の、希は保育の専門学校に二年通った。おかげで四月からはお互い就職して、一緒にいる時間は減った。だからと言って蘇芳の別宅から離れたわけでもなく、希との二人暮らしは続いている。

 柘榴が実家に戻ると言う話も出たが、蘇芳の別宅の方が職場に近かった。

 月に一度は実家に顔を出すし、電話やメールも頻繁に行う。時々希と一緒に実家に帰ると、何故か母親が希を実の娘以上に可愛がる。祖父も希のことを気に入っている。

 まずは顔を洗うために、洗面所に向かう柘榴。あーあ、と本音を話し出す。

「結婚式、羨ましいなー」

「そうですね。きっと素敵な花嫁姿でしょうね」

 希も洗面所にやって来て、その姿を想像して微笑みながら言った。

「でも遅刻すると、こんな日でも蘭ちゃんは大激怒するんだろうなー」

「そうですね」

 クスクス笑った希。

 お互い笑いながら、部屋に戻って着替え始める。

 希は薄いピンクのふんわりとしたパーティードレス。裾には薔薇があしらわれ、基本レースのドレスは洋子の手作り。濃いピンクのリボンベルトで、細いウエストラインがはっきり分かる。パールのネックレスと小振りのパーティーバックを身に付け、白いカーディガンを羽織って、後でカチューシャを付ければ完成。

 柘榴はオレンジ色のパーティードレスで、これも洋子の手作り。希とお揃いに見えるが、裾の模様は桜をイメージしてあり、ウエストリボンとボレロは黒。母親から白いパールのネックレスを借りて、ついでに黒いビーズのクラッチバックも借りた。

 メイクと髪は美容室を予約してあるので、後で髪をアップしてもらってひとまとめにする予定。小さなコサージュと、それから結婚式に必要なものを確認する。

 お祝儀、携帯、それから送られてきた結婚式の招待状などなど。

 それらを確認して、柘榴と希は笑顔で部屋を飛び出した。


 美容室で支度を終えると、外の駐車場には結紀の車が停まっていた。その助手席には友樹が座っていたが、柘榴と希の姿を見つけて友樹だけ車から降りる。

 友樹の姿を見るなり、希は一足先に駆け寄って微笑む。

「友樹さん、お待たせしました!」

「そんなに待ってない。似合っている」

「本当ですか?よかったです」

 はにかむ希を見つめる友樹の瞳はとても優しい。勝手にいちゃつき始めた二人の傍を通り過ぎ、柘榴はさっさと友樹の乗っていた助手席に座った。

「やっほー、結紀。もう少し時間が掛かりそうだよ?」

「まあ、それは仕方ないだろ。よ、馬子にも衣装」

「馬鹿にしてるでしょ?」

 冗談を言い合い、目が合って笑いあう。折角のパーティードレス姿を褒めてもらおうなんて、期待していない。希と友樹が車に乗り込むまで、車の中で他愛のない話をすることにした。



 待ち合わせをしていた結婚式場の入り口で、言いあいをしている二人組。とそれを見守る三人を見つけた柘榴は、一瞬近寄るのを躊躇った。

 紺のパーティードレスを着ている蘭が、スーツの似合わない浅葱に突っかかって叫ぶ。

「何よ!そっちが悪いんでしょう!?」

「んだと、チビ!」

 結婚式という雰囲気をぶち壊しそうな、雰囲気。それを悟った鴇が、はいはい、と言いながら二人の間に入った。

「浅葱も蘭ちゃんもそこまで」

「そうですよ。こんな素敵な日に喧嘩なんて、勿体ないです」

 ニコニコと笑みを浮かべている苺に言われて、蘭も浅葱も気まずそうに視線を下げた。柘榴達の気配を感じた蘇芳が、あ、と声を上げて言う。

「来た」

「そうみたいですね。お姉ちゃん!希さん!」

 嬉しそうに右手を振って、柘榴を呼ぶ苺。 

 その姿は、柘榴より年上に見える。大人っぽい、とも言う。黄色いパーティードレスも蘭のパーティードレスも、どちらも洋子の手作りだ。柘榴と希のように、作りが似ている。

 手を振り返した柘榴と、その横にいた希。後ろに歩いていた結紀と友樹のことは眼中にない蘭が、嬉しそうに笑って名前を呼ぶ。

「柘榴、希!」

「蘭ちゃん、お待たせ」

「そんなに待っていないわ」

「蘭さん、可愛いですね。とても、似合っています」

「そうかしら?」

 言いながら首を傾げた蘭の頬は、少し照れたように赤かった。近づいた柘榴と希に対しては、始終笑みを見せる。その後ろにいる浅葱の肩を蘇芳と鴇が叩くのを、柘榴は瞳の片隅で確認した。

 あのね、と浅葱の喧嘩のことなど頭にない蘭が話し出す。

「洋子が、二人が来たら早く会いたい、と言っていたの。だから会いに行きましょう」

「はい。そうしましょう」

「了解でーす」

「洋子が待ちくたびれていないといいわね」

 蘭は話の途中で、柘榴と希の手を掴んで歩き出す。引っ張る蘭が先頭を切って、その他大勢は結婚式場へと足を踏み入れるのだった。



「キャッシー!」「キャッシーさん!」「洋子、入るわよ」

 三者三様の挨拶をして、新婦控室のドアを開ける。

 部屋に入るなり、真っ白が目に入った。沢山のレースに包まれた純白のウエディングドレス、椅子に座っていた洋子が静かに立ち上がり、振り返る。

 誰よりも綺麗で、美しい姿に柘榴を含む三人は息をのんだ。

「「「綺麗」」」

「ありがとう。三人とも来てくれて」

 にっこりと笑った洋子は、今日と言う日で一番幸せな女性だろう。

 そんな洋子の花婿となる相手の方が、柘榴は心配だ。

「キャッシーは綺麗だけど…柊さんは結婚式の途中でなんか失敗しそうな気がするかも」

「柘榴さん、本音が漏れています」

「ええ、嘘!」

「もう、遅いわよ」

 呆れている希と蘭。口を塞いだところで、すでに遅かった。そんな様子を楽しそうに見守る洋子が、言う。

「本当に、変わらないわね。三人とも」

「そうかな?」「そうですか?」

「…自覚は全くないわね」

 柘榴と希の声は重なった。蘭の一言だけ遅れ、洋子は、全く、と言葉を続ける。

「出会った時はただの女の子達だったのに、少しづつ大人になって。いつか皆結婚しちゃうのよね。どうするの?誰から結婚するの?まさか、まさかで蘭ちゃんが最初かしら?」

「それはないわよ」

 早口の洋子に、ばっさりと言い切った蘭。笑い出したのは誰が早かっただろうか。部屋の中に全員の笑い声が響き、その中でも一番楽しそうな洋子を見て柘榴は思った。

 本当に、柊さんに勿体ない花嫁だ、と。

 そして幸せになって欲しい、と願った。



 結婚式場は洋風で、誓いの言葉は教会の中。

 結婚式自体が柊の願望で、どうせなら洋子の綺麗なウエディングドレス姿を見たかったそうだ。そんな結婚式は早々に終わり、全員で移動した先はガーデンパーティーの出来る広めなレストラン。

 一日レストランを貸切に出来たのは、蘭の家のおかげとも言える。

 ガーデンパーティーの途中で、少し席を外した希。会場に戻る途中で、小さな庭を見つけた。思わず立ち止まって庭を見つめていた希の耳に、近づいて来る足音が聞こえた。

 振り返った希の瞳に、歩いて来る友樹の姿が映る。

「こんな場所にいた」

「友樹さんも休憩中ですか?」

「まあ、そんなところ」

 素っ気なく言いつつも、友樹は希の隣に来て庭を見つめる。紫、ピンク、青、白。咲き乱れていた紫陽花があまりにも綺麗で、目を奪われる。

「紫陽花、綺麗ですね」

「ああ」

 パーティー会場は賑やかだったので、二人きりでいるととても静かな時間が流れる。

 綺麗な光景だったから友樹と一緒に見たいな、と思っていただけに、希は嬉しさを隠せない。嬉しくて、この時間はずっと続けばいいのに、そう思った。


 先程から友樹の隣にいる希は静かで、ただ微笑みながら庭を眺めている。

 その顔を盗み見た友樹は、ポケットの中にしまってあった存在を確認して、どうしようか、と悩む。わざわざ持って来た小さな箱。

 その中には、エメラルドの宝石の付いた指輪。

 本当は先月の希の誕生日に渡そうと思っていたが間に合わず、別の誕生日プレゼントを渡すことになった。それはそれでもよかったが、それでも早めに渡したい指輪。

 希に渡さないと意味がない。

「希」

「はい。なんでしょうか?」

 名前を呼べば、いつだって無邪気に笑う。

 何度もその笑顔を見て、救われた。何度も友樹に笑いかけてくれて、傍に居てくれた。自分がどんな目に合おうと、他人を無意識に優先してしまう女の子。

 これからも傍にいて欲しい希に、友樹はポケットから取り出した箱を差し出す。

「はい、どうぞ」

「はい?」

 あまりにも素っ気なかったかもしれない。それでも、友樹にはこれが精一杯なのだから仕方がない。

 何だろう、と受け取った希がゆっくりと箱を開ける。箱の中身を確認した途端に驚いて、顔を赤くして友樹と箱を交互に何度も見る。

 その意味を分かっているのか、分かっていないのか。

 それはどっちでもよくて、友樹は何度も心の中で練習した台詞を言う。

「『結婚して下さい』」

「え?」

「今すぐは、無理だけど。左手薬指に予約、てことで」

 ポカンとした顔で、友樹を見つめていた希。でもすぐに唇を噛みしめたかと思うと、その瞳から涙が溢れて床に落ちた。

 ギョッとしたのは友樹の方で、希は泣きながら箱を抱きしめた。

「うぅー」

「そんなに泣かなくても」

「だって…だって、嬉し過ぎてぇ」

 涙のせいでメイクが落ちてしまいそうな程、希は泣く。そっと引き寄せれば、希の身体はすっぽりと友樹の腕の中に納まる。

「で、返事は?」

「決まっています。『よろしくお願いします』ですぅ」

 よかった、と小さく零せば、希も友樹に身体を預けるように寄りかかった。

 幸せにする、そう誓った。



 中々パーティー会場に戻って来ない希を探しに、柘榴は廊下を歩いていた。

 すると希と友樹が仲良く手を繋いで戻ってくるところを発見したので、思わず駆け寄る。

「希ちゃん」

「はい。どうかしましたか?」

 友樹の横で首を傾げた希。友樹も何事かと首を傾げる。なんとなく似ているように見えるのは、元々似ていたのか。それとも、似てきたのか。

 と言う問題はさておき、柘榴が希を探していたのには立派な理由がある。

 ニヤッと笑みを浮かべて、柘榴は言う。

「キャッシーからの伝言で、二人で中庭に行って欲しいんだって。友樹さん、希ちゃんを借りてもいいですか?」

「いいけど?」

「よし!行こう、希ちゃん!」

「え?え?」

 友樹の許可だけ取って、さっさと希を連れ出すことにした。いつ行って欲しいとか、具体的なことを聞いてはいない。ただ、中庭で見守って欲しいものがある、と言われただけだ。

 それも何故か希と二人で。

 何が起こるかは分からないが、内心楽しんでいる柘榴に希が不思議そうに問う。

「柘榴さん、何があるのですか?」

「さあ?行けば分かるんじゃない?」

 正直、楽しい。スキップしそうな勢いで言った柘榴の言葉に、希の疑問はますます増えるのだった。



 洋子に中庭に行って来て、と言われた蘭は歩きながら何事かと考える。

『待っている人がいるのよ。蘭ちゃんを。だから、絶対に一人で行ってね』

 そう言われて、蘭は一人中庭を目指していた。蘭を待っている人がいるのか、半信半疑で向かった先には確かに誰かいた。

 と言うより、浅葱が一人で中庭の中心に立って空を見上げていた。

 何故かその手に結婚式で洋子が持っていたブーケを持って、入口に背を向ける形で立っている。まるで決意を決めたような顔をしている浅葱の横顔は、廊下を曲がるときに窓ガラス越しに見えた。

 浅葱が蘭を待っていたのだろうか。でも、それなら会場で言えばいいのに。と、思ってしまった。

 そもそも、最近の浅葱はよく分からない。前から口を開けば喧嘩が絶えないが、妙によそよそしい。時々顔を赤くし、口を開こうとして黙り込むこともある。

 別に蘭を嫌っているわけではないことは、知っている。

 蘭だって浅葱のことは嫌いじゃないし、柘榴や希とは違う安心感を感じることもある。

 だからと言って、呼び出された理由は皆目見当も付かないので、中庭へと続く扉を開けた。扉の音で浅葱は蘭の方を振り返った。

「何しているのよ、浅葱?」

「え、あ。チビ…」

 また、だ。何か言おうとして、口を閉ざして下を向いた浅葱。蘭はいつものように近づく。

「そんな場所で何をしているの?」

「え…いや…」

「何よ。言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ」

 強気で出た蘭とは対称的に、浅葱は蘭の顔すら見ない。文句の一つでも言ってやろうとか、口を開く前に微かに浅葱の声が耳に響く。

「け…こん……く……さい」

「え…?」

 結婚して下さい、と聞こえた。まさか、と思いつつ聞き返そうとしたら、耳まで真っ赤になっていた浅葱と目が合った。

 呆然として、何も言えなかった蘭を見るなり、浅葱が叫ぶ。

「あぁああああ―――!!!」

「あ、浅葱!?」

 名前を呼んでも振り返ることなく、浅葱は逃げ去ってしまった。どうしたらいいのか、分からなくて。なんて答えればいいのか、分からなくて。

 心臓が五月蝿い。

「蘭ちゃん」

「柘榴、希…いつからいたの?」

 いつの間にか、柘榴と希が傍にいた。全然気づかなかった蘭に、希が問う。

「さっき来たばかりですけど。浅葱さんと何かありましたか?」

 浅葱が逃げていく様子だけは、柘榴と希にも見られたらしい。蘭だって、今がどんな状況なのか。未だ理解出来ずに、小さく話し出す。

「中庭に来たら、洋子のブーケを持った浅葱がいて――」

 そこまではいい。問題は、その後に言われた言葉。

「『結婚してください』、て言われたわ」

「え、まさかのプロポーズ!?告白通り越して!?」

 柘榴に何も言い返せない。

 あれは本当にプロポーズと言うものだったのだろうか。そもそも好きだって言われたことがない。聞き間違いだったのではないか、と自分自身を疑ってしまう。

 無意識に両手を握りしめ、俯いた蘭。

 柘榴が驚きを隠せず、希にどういうことか尋ねる。希が答えられるわけもないのは分かっている。分かっているはずなのに、希はもしかして、と優しく言う。

「浅葱さん。自分の気持ちと一緒に、ブーケを蘭さんに渡そうと思っていたのかもしれませんね」

「浅葱が、私に?」

 情けない声で、蘭は言った。ああ、と納得したように柘榴も言う。

「それでキャッシーも協力したのかな?それなら納得できるし、キャッシーが見守って欲しかったものって、きっと蘭ちゃんと浅葱のことだったんだね」

「私と浅葱?」

 駄目だ。頭が回らない。

 柘榴と希が何を言いたいのか、伝わらない。顔を合わせた柘榴と希が、こそこそ内緒話を始める。それはすぐに終わり、柘榴が蘭に差し出したのはコンパクトミラー。

「蘭ちゃん、自分の顔を見て見たら?」

「え、何言って…」

 戸惑う蘭の目の前に、柘榴はコンパクトミラーを開けた。

 鏡に映った蘭の頬は、少し赤い。それはメイクのせいなんかじゃない。そんなこと、蘭が一番よく分かっている。蘭さん、と優しく名前を呼ばれて、鏡から視線を希に向けた。

 微笑んでいる希が言う。

「もう一度、浅葱さんに会えば何か分かるのではないですか?」

「そう、かしら?」

「そうかもね。もし会ってまた逃げられたら、殴る勢いで捕まえればいいと思うよ」

「柘榴さん、たら」

 柘榴の冗談に、希は呆れた顔をした。

 柘榴と希はいつだって蘭の道標だった。今までも、これからも二人の言葉に動かされ、生きていく。そんな風に蘭を動かす存在は二人だけじゃない。色んな人と関わったからこそ、今の蘭がいる。

 そして今、蘭自身がしたいことはただ一つ。

 浅葱に、会いたい。

「――っ、ちょっと行ってくるわ!」

「「いってらっしゃい」」

 同時に言われた言葉を背中越しに聞いて、蘭は駆け出した。



 結紀が柘榴を探しに出ると、蹲っている浅葱を廊下に並んでいるソファーの間で発見した。何故かその手に持っているブーケが萎れて、可哀想に見えたので、結紀はそっと近づいて言う。

「…何してんだよ」

 声を掛けても、浅葱が微動だにしない。耳まで真っ赤の浅葱に何があったのかは分からないが、何かあったのは本当のことだろう。見なかったことにしてもいいが、置いて行くのは気が引けて結紀はため息を漏らす。

 さてどうするか、と考えていたら、蘭が浅葱の名前を呼んでいるのが聞こえた。

 それは浅葱にも聞こえたようで、一瞬だけその身体が動いた。

「浅葱…とりあえず、ここから逃げた方が良くないか?」

「どこにですか?」

 すごく弱々しい声が聞こえて、結紀は考える。

 今の状態の浅葱がパーティー会場に戻るとは思えない。おそらく人が少ない場所を選んだ結果、ソファーの間の隙間に隠れていたに違いない。

 そう言えば、と思い出したのは柘榴を探している途中で見つけた紫陽花の咲いていた庭。

 さっき庭に入って確認したが、人はいなかったはずだ。勿論柘榴もそこにはいなかった。

「浅葱、この廊下の奥の小さな庭なら。誰もいなかったはずだけど――て、最後まで人の話を聞けよ!」

 話の途中で一目散に駆け出した浅葱。

 おそらく小さな庭を目指して駆け出したのだろうが、その後すぐに息を切らした蘭が廊下の奥からやって来た。それは浅葱が向かった先とは逆の方向で、蘭は息絶え絶えに結紀を見つけるなり叫ぶ。

「結紀!浅葱見なかった?」

「…紫陽花のある方」

「ありがとっ!!!」

 反射的に答えてしまった。走り去りながら礼を言って、蘭は風のように去って行った。

「何なんだよ、本当に」

 一人ぼっちになった廊下で呟いた声は、誰にも届かない。

 わざわざ蘭と浅葱を追いかける理由もない。柘榴を探しに戻ろうと足を踏み出した途端に、清掃員の人間とぶつかった。

「すみません」

「いえ、こちらの不注意ですから」

 軽く頭を下げ、立ち去ろうと思った。

 そう思って、あれ、と違和感に気が付く。この会場で清掃員を見たのは初めてのことで、この時間に会うのはおかしい。それにその声は、どこかで聞いたことがある。

 バッと振り返ったれば、清掃員の格好をした女性はニヤニヤとした笑みを浮かべて結紀を見ていた。

 顔を見て納得はしたが、どうしてこの場にいるのか分からない女性に結紀は言う。

「なんでいるんですか?華子さん」

「陽くんが、今日は皆が揃うから面白いよ、て」

「普通、それで来ますか?」

 人と感覚がずれている気がしてならない。

 そもそも華子自身、謎が多い女性だ。陽太に飲みに誘われれば大抵華子も一緒なので、ちょくちょく顔は合わせているが、華子は柘榴には会おうとしない。見て見たい、とはしゃぐだけはしゃぎ、結局会う話はいつも笑って流されてしまう。

 本人曰く、職業柄。

 その意味が分からないが、答えてくれたことはない。

 陽太は未だ彼女がいることをあまり口外せず、華子を知る人物はあまりいない。華子のことを結紀から言ってしまう方法もあるのだが、何となく言いにくい。

 軽い口調で、華子は話し出す。

「柘榴ちゃん、やっぱり可愛い子よね。誰かさんには勿体ないくらい」

「それ、俺のことですか?」

「それ以外、誰がいるのよ」

 馬鹿にするように言われて、そうですか、と棒読みで返す。物好きな華子は、楽しそうに笑った。

「そうそう、大事なことを言い忘れていたんだった。ちゃんとこの目で、柘榴ちゃんを確認してから言いたかった一言があるの。この、ロリコン野郎」

「っはぁあ!いきなり何ですか!」

 ロリコン、と言われる覚えはない。と言うより、結紀は決してロリコンではない。

 結紀の反応が面白くて、腹を抱えて笑い出した華子。

「だって柘榴ちゃんて。見た目若いから。思わずそう言いたくて、言ってみた」

 なんて、楽しそうに笑うのだろうか。

 やっぱり華子は柘榴に会わせない方がいいのかもしれない。会せたら、よからぬことしか言わなそうだ。まあ、と笑い終えた華子が言う。

「何にせよ。今日は皆さんが幸せであるように、陰ながら祈っているわ」

「…そうですか」

「じゃあね」

 と、言った華子は、颯爽といなくなった。本当に自由な人だ。

 結紀は今でも十分幸せで、それはこれからも変わらないと信じている。出来るなら先程駆けて行った浅葱と蘭も幸せになって欲しい。

 そう願いながら、結紀は柘榴を探しに別の場所に移動することにした。



 蘭に見つかって、それでも浅葱は必死に逃げていた。

 逃げながら思い出すのは、先日一人で洋子に会いに言った時のこと。

 わざわざ結婚式の前に会いに行ったのは、洋子にどうしても頼みたいことがあったからだ。本当は苦手で、相手にされないことが多い。

 それでも会いに行って、浅葱は正座をした状態で頭を上げられずに言った。

『…それで、お知恵を伺いたいのですが』

『すごく不本意そうにしか聞こえないわよ』

 深いため息をついた洋子は、本部のいつもの部屋で椅子に座っていた。柊と結紀がいないタイミングを見計らってやって来たので、部屋の中には洋子しかいない。

 どうやって蘭に告白するのがいいのか。 

 誰に相談しても浅葱の納得できる回答を得ることが出来ず、藁にも縋る思いで洋子の元を訪れた。相談しに来たはいいが、相談しているうちに後悔し始めていた。

 なんで、この人の所に来たんだろう、と。

 顔を上げない浅葱に、足と腕を組んでいる洋子は容赦なく言う。

『結局、あんたに告白する勇気がないだけでしょ?』

 はっきり言われると、言い返せない。その通りである。洋子の言葉が続く。

『人に相談する前に、自分でどうにかする努力をしてみなさいよ。まあ、でも。その結果が今の状況に繋がっているのだろうけど』

 分かっていることをわざわざ言う洋子は、決して優しくはない。

 ずっと黙っている浅葱を見かねて、仕方がない、と洋子が言った。その言葉に、浅葱はゆっくりと顔を上げる。滅多に浅葱には見せない、優しい笑みを浮かべた洋子が言う。

『結婚式の日、私のブーケをあんたにあげるわ。それでもお守りにして、蘭ちゃんに告白すればいいじゃない』

『そんなに…上手くいきますかね?』

『ダメで元々。結婚式の最中は無理だろうけど、その後にレストランを貸し切る予定だから、そこで告白でもしたらどう?中庭もある、綺麗な場所なのよ』

 その場所を思い出しながら話している洋子の横顔はとても幸せそうで、そうですか、と視線を外して浅葱は言った。今目の前にいる洋子のように、蘭を幸せにする自信がどうしても湧かない。

 でもこれ以上、今のままの関係を続けるのは限界だ。

『…俺、告白成功させられますかね?』

『そんなの私が知るわけがないじゃない。蘭ちゃんなんて、鈍感なんて一言で済ませられる女の子じゃないじゃない。告白の成功より、告白の認識されるかどうかの方でしょう?それで、蘭ちゃんを呼び出す係は私がしても、問題はないのよね?』

 ボソッと呟いた弱気の質問に、洋子は何か企んでいそうな笑みを浮かべて問う。

『…ない、けど。なんか企んでません?』

『さあ、どうかしらね』

 肯定も否定もしない。洋子にしつこく聞く勇気はない浅葱なので、大人しく引き下がるしかなかった。

 こうしてレストランで、こっそり洋子からブーケを受け取ったのが数分前の出来事。

【好きです。結婚を前提にお付き合いしてください】

 と言うはずが、言う言葉を間違えて、恥ずかしくなって逃げ出した。結紀のアドバイス通りに逃げ込んだ先の小さな庭には、確かに人はいない。

 どこかに隠れようと思って、辺りを見渡す。隠れられる場所を探しているうちに、聞こえたのは一人分の足音。

「浅葱っ!」

 怒声と共に蘭に名前を呼ばれ、反射的に振り返った。

 唇を噛みしめて、悔しそうに浅葱を見つめる蘭の顔は、怒っているように見える。むしろ泣くのを耐えているような顔にも見えなくはないので、浅葱の方が戸惑って無意識に一歩引き下がる。

 もう一度逃げ出そうにも入口が塞がれ、混乱している頭の中は真っ白になった。

「浅葱の馬鹿!なんで逃げるのよ!!!」

「うっせ、チービ!!!」

 顔が赤くなった浅葱が言い返す。もう逃げ出せない。少しグシャグシャになったブーケを握りしめたまま、浅葱は顔を下げる。

 蘭は何か言おうと口を開いたが、言うのを止めて浅葱に近づく。

 今、蘭がどんな顔をしているのか。浅葱には見当も付かない。それでも視線を下げていた浅葱の瞳に、蘭の足元が映る。目の前まで来られて、もうどうにでもなれ、と言う気持ちで顔を上げた。




 浅葱と蘭が小さな庭にいる頃。柘榴は結紀と共に、パーティー会場の片隅にいた。その手に持っているのは配られたグラスだけで、賑やかな光景を眺めていた柘榴は言う。

「多分、私が結婚するのは結紀なんだろうな」

「さらりと言うなよ」

 そう言われても、そう思ったのだから仕方がない。まあでも、と結紀はまんざらでもないように言葉を続ける。

「柘榴達って、三人で一緒に結婚しそうだよな」

「それ、面白そうだね」

 結紀は冗談で言ったつもりだったかもしれないが、中々にいい案かもしれない、と柘榴は笑う。

「後で、希ちゃんと蘭ちゃんにも聞いてみよっと!浅葱は蘭ちゃんにプロポーズしていたわけだし、希ちゃんはいつの間にか左手の薬指に指輪をはめていたわけだし」

「よく見ているよな、意外と」

「意外と、て失礼な」

 頬を膨らませて結紀の顔を覗き込めば、どちらかともなく笑い出す。笑っている途中で、瞳の片隅に洋子と柊が映った。今更かもしれないが、と柘榴は口を開く。

「キャッシーは、旧姓【上原うえはら】だったんだっけ?呼んだことないけど」

「ああ。柊さんと結婚したから、【月見里やまなし洋子】に変わったけどな」

 結紀の回答に納得しつつ、柘榴は笑いを堪えながら言う。

「基本名前を呼んでいる感覚はあったけどさ。私、柊さんだけは名字で呼んでいるんだと、最初の頃はずっと信じていたよ」

「お前な…わざわざ一人だけ名字呼びはしないだろ」

 少し呆れ果てている結紀は言った。まあね、と明るく言って、視線を少し遠くの場所にいる希と友樹に向ける。近い将来、希の名字も変わるに違いない。

 もしもの話を考えて、柘榴は言う。

「結婚したら名字が変わるよね。希ちゃんの場合は、【志岐しき希】から【雪本ゆきもと希】かな?」

「多分、そうだろうな。逆の場合も考えると。例えば、浅葱が婿入りして、【千草ちぐさ浅葱】から【和泉いずみ浅葱】に変わったり」

「確かに。蘭ちゃんと浅葱の場合は、そうなる確率もあるよね。それなら、【百瀬ももせ蘇芳】はそのままの可能性が高い?」

「だろうな。鴇と柘榴の妹は、付き合っているんだっけ?」

「カッコ仮、らしいよ」

「何だよ、それ」

「なんか、二年付き合えたらカッコを外すらしい。でも二人が結婚したら、苺の名字は【寺崎てらざき】に変わるのか」

 それは少し悲しいかも、と呟いた。首を傾げた結紀が、そうか、と問う。

「柘榴もそのうち【佐鞍さくら柘榴】から【高瀬たかせ柘榴】になる予定だろ?」

「えー。自分の名字好きだから。結紀が【佐鞍 結紀】になればいいじゃん」

「好き嫌いの問題かよ」

 うん、と満面の笑みで頷いた。仕方がない、と言わんばかりの顔の結紀。

 その顔を見て、柘榴はふと蘭から教わった言葉を思い出した。いつもいつもお世話になっている結紀に、言おうと思って忘れていた言葉。思い出してしまったので、言わずにはいられない。

「結紀」

「何?」

 名前を呼ばれた結紀は、優しい笑みを浮かべている。すうっと息を吸ってから、柘榴は言う。


「ダンケ シェーン!」


 笑顔で言った。一瞬ポカンとした結紀が、すぐに腹を抱えて笑い出す。

 感謝を述べたはずなのに笑われるなんて、意味が分からない。

「ちょっと!なんで笑うの!?」

「発音間違っているんだよっ――あ、腹いてぇ」

 爆笑する結紀の横で、柘榴の顔は恥ずかしさで赤く染まる。唸る柘榴の方など見向きもしない結紀に、怒りが込み上げたのはほんの少し。

 怒りはすぐに収まり、結紀の方を見るのを止めて視線を空へと向けた。

 忘れない。

 誰もが幸せそうに笑い、語る。この瞬間を。

 今日まで柘榴を支えてくれた人達がいて、その人達に心から感謝していることを。


 絶対に忘れない――。


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