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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
後日譚
56/59

06 青年の平穏 Side:友樹

 秋になった。

 優しい風が吹けば、地面は綺麗な紅葉一面になる。色鮮やかな紅葉の絨毯のようで、観光客こそ来ないものの、地元の人間には有名な紅葉スポットがある。

 友樹は実家から一番近い駅で、希を待っていた。

 友樹の実家の近くに、中学生の希は数カ月だけ住んでいたことがあったそうだ。歩望と二人で転々移動して、生活していた時期。二人で暮らしていた場所が、ボロアパートの一階。

 その事実は随分前から知っていたが、夏までは高卒認定試験の勉強で忙しくて来ることが出来なかった。

 無事に試験に合格したので、希は友樹の地元を探検したい、と言い出した。

 前日に、久しぶりに実家に顔を出した友樹。バイクは駅の駐輪場に停め、改札口の前で壁にもたれかかりながらぼんやりと人混みを見る。

 白とキャラメル色のツートンカラーのボストンバッグを持ち、小さめの鞄を斜めに肩に掛けている少女が、友樹を見つけて声を上げる。

「あ、友樹さん!」

 どこにいても目立つ、その容姿。半年以上経ったので、下ろしている髪が少し伸びた。相変わらず後ろ髪の上半分を編みこみ、一つにまとめて白いリボンを結んでいる。

 黒のニーハイに、編み上げのロングブーツ。紺のショートパンツに、白黒チェックのシャツと黒のベスト。それから、ぐるぐると首に巻いているのは真っ白のマフラー。

 すぐさま友樹に駆け寄った希は、上目づかいで見上げて微笑む。

「お待たせしました!」

「時間通りだろ?」

「はい。待ちましたか?」

「そんなに」

 言い返した友樹は、さりげなくボストンバックを奪った。戸惑う希を無視して、ボストンバックを左肩に掛け、空いた希の左手を握って歩き出す。

「友樹さん、自分の荷物は自分で持てますよ?」

「いいから。バイク移動出来ないところは徒歩になるけど、問題ない?」

「えっと、はい。大丈夫です」

 ボストンバックを持ってもらうことに遠慮していた希が、笑みを零す。その顔を見ていると幸せな気持ちになる。微笑み返した友樹と目が合った希は、それ以上何も言わない。

 ただお互い幸せを噛みしめて、ゆっくりと駅を後にした。



 駅を出て商店街に到着すると、希のテンションが一気に上がった。

「あ、ここの本屋さんは覚えています!あ、こっちのお肉屋さんのコロッケが大好きだったのですよ!」

 希の口は止まることなく、歩きながら喋り続ける。商店街の一軒一軒を見ては止まり、懐かしいと喜んでは店の人に話しかける。

 手を握っていてよかった。

 手を離したら、一人でどこかへ行ってしまいそうな勢いのある希は、時々友樹を振り返って笑う。

「友樹さん、楽しいですね!」

「まあ…それより、本当に住んでいたんだな」

「むむ、疑っていましたね。本当ですよ。ずっとはいられませんでしたが、どこに行っても兄の秘密基地があるのです」

 なんだそれは、と聞く前に、希が歓喜の声を上げる。

「友樹さん!友樹さん!こっちに公園があります。行きましょう!」

「はいはい」

 今日は希に思う存分付き合うと決めていたので、友樹は引っ張られながら公園に足を踏み入れる。随分前からあった公園。幼い頃の友樹もよく遊んだ公園を、希は嬉しそうに歩く。

 歩いてすぐの場所に、少し広い噴水がある。

 円の形で、周りのコンクリートの部分は見た目が煉瓦のようで、そこに腰掛ける家族連れやカップルもいる。それを見つけるなり、希はまるで小さな子供のように瞳を輝かせた。

「うわぁ!昔より、立派になっていますよ!」

 紅葉のせいでちらほらと人がいる噴水に駆け寄った希。友樹を置いて、希は両手で水をすくった。寒いはずなのに、水面に映っている希の顔は笑顔だ。

 水をすくったまま、希が振り返る。

「友樹さんも、触りますか?」

「寒いから、いい」

「ですよね」

 友樹の回答を予想していた希がクスクス笑い、水を静かに噴水に戻す。その手から水が滴り、鞄からハンドタオルを取り出した。手を拭き終え、鞄にタオルを戻しながら希は言う。

「お待たせして、すみません」

「いや、別に」

「まずは公園を一周して、それからですね――」

 友樹の顔を見ながら、嬉しそうに話していた希の言葉が途中で止まった。希は友樹の後ろを凝視している。何かあるのか、と振り返った友樹の瞳に、後ろにいた老夫婦と小さな男の子の姿が映った。

 緑色の風船を持っていた小さな男の子が老夫婦の一人にぶつかり、手に持っていた風船が離れる。

 誰も怪我をした様子はない。ただ、男の子の持っていた風船が希と友樹のいる方向の上空に飛んで来た、それだけのこと。

 風船にいち早く気が付いた希が、即座に噴水の周りの部分に上った。

 希の頭上、数十センチを飛ぶ風船。タイミングを見計らった希は、飛んでいた緑の風船を軽やかにジャンプして掴んだ。それは友樹が止める暇もないないほど、短い時間の出来事。

「やりましたっ――あ!」

 トンッと着地したかと思ったら、足を滑らせて希の身体が傾く。友樹が手を伸ばしたが、ほんの少し遅かった。背中から倒れこむように、噴水に落ちる。

 バシャン、と音が辺りに響いた。

 噴水に落ちた希は尻餅をついて、何度も瞬きを繰り返す。

 深さのあまりない噴水と言えども、希がずぶ濡れになるには十分だった。右手にある風船だけはしっかり握りしめている希に、駆け寄った男の子が心配そうに問う。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

「あはは、濡れちゃいました。風船が濡れなくてよかったですね。はい、どうぞ」

 笑いながら立ち上がって風船を手渡した希に、友樹は心底呆れた。

「…何をやっているんだよ」

 風船を受け取った男の子の方が未だに戸惑っていて、希は笑顔を絶やさない。老夫婦や周りにいた人に心配される始末。本人は平気そうに笑っているが、大丈夫には見えない。

 それより何より、いい加減に噴水から出て欲しい。

 深いため息を零した友樹は、笑っている希に手を差し出す。

「ほら、笑っていないで。早く出る」

「そうですね。でも、友樹さんも濡れてしまいますよ?」

「いいから」

 遠慮している希がそっと手を重ねた。その手を引っ張って、噴水から出させる。

 まさか、噴水に落ちるなんて予想出来なかった。

 視線が集まるのを普段なら気にしない友樹だが、噴水に落ちた希に集まる視線の数が多い。この場で脱げとは言えないので、一刻も早く服を乾かせる場所に行かなければならない。

「くしゅん!」

 ある程度の水を絞った希が、両手で顔を隠すようにしてくしゃみをした。風邪を引かれては困るので、友樹は無言で希の手を掴んで歩き出す。驚いている希が口を開く前に、友樹は言う。

「乾かせる場所に行くから」

「どこに、ですか?」

 希の疑問に答えず、友樹は人通りの少ない道まで進んだ。すれ違う人達が何事かと友樹や希を振り返るが気にせず進む。

 人通りがなくなってから立ち止まり、不貞腐れて振り返る。

「これからうちに行くから」

「え…?」

「兄二人と妹は家にいないはずだし、ボストンバックの中に着替えあるんだろ?」

「一応。今日の夜は柘榴さんの実家に行く予定でしたから。着替えはありますけど…うう、友樹さん怒っていますぅー」

 びくびくしながら、視線を外した希。本心は行きたくないのか、心なしか友樹の手を離そうとするが、逆に友樹は強く握り返した。

 実際怒り気味なのは、折角のデートが台無しになったと言っても過言ではないからだ。

 言いにくそうに、希が話し出す。

「あの、私。すごく濡れていますから。この格好で行くのは、その、ちょっと…」

「だから、行くんだろ」

「うぅー…」

 もう言い返す言葉はない様子。時間が経てば身体も冷えるだろうから、友樹は早足で歩き出す。必然的に手を繋いでいた希も歩き出したが、その足取りは重い。

「…友樹さん、やっぱり公衆トイレで着替えるとかでは――」

「駄目」

 即座に言い返した。希はがっくしと肩を落としたのだった。



 友樹の家までは、ほんの数分。

 小路の奥。時計店と書かれた古びた看板のある、年季の入った建物の前で友樹と希は立ち止まった。二階建ての一階に店があり、一階の半分と二階は自宅。

 今朝まで過ごした実家に戻って来た友樹は、隣にいる希を振り返らずに言う。

「ここ」

「時計屋さん、ですよね?」

「まあ」

「ドキドキしますね」

 しますね、と言われても、同意は出来ない。希は緊張しているかもしれないが、友樹にとっては実家であり、希がやって来ても驚くような家族ではないと知っている。ずぶ濡れの状態には驚かれるだろうが、そこまで緊張しなくてもいいはずだ。

 立ち止まっているわけにもいかないので、早々に手を引っ張って、店のドアを開けた。堂々と店に入る友樹とは対称的に、希は恐る恐る足を踏み入れる。

「ただいま」

「お、お邪魔します…」

 ドアを開けた時に鈴が鳴った。それが合図となって、奥から出てきたのは友樹の父親と母親。友樹の顔は母親似で、父親は一言で言えば職人の顔。どっしりと構えているのが似合う父親と、その横でいつも笑顔を浮かべてお客の相手をするのが母親である。

 二人とも帰って来た友樹の顔を見て、少し驚いて言う。

「友樹か。なんだ、今日は帰って来ないって言ってなかったか?」

「おかえり、友樹…どちら様?」

 友樹の母親が見ているのは、間違いなく希。希が慌てて口を開く前に、友樹は淡々と言う。

「彼女、希。さっき公園の噴水に落ちたから、風呂貸して」

「は、はじめましてっ!希と言います」

 声の裏返った希が、慌てて頭を下げた。驚いて言葉を失っている父親と母親。もう少し説明した方がいいのか、と考えて口を開こうとした。

 と、その前に。母親が嬉しそうな悲鳴を上げて、希に駆け寄る。

「きゃー!可愛い、可愛い!何、何!?本当に友樹の彼女!?いたの、言わなかったじゃない!」

「…聞かれなかったから」

 あまりのテンションの高さに、友樹は若干引く。前に兄が彼女を連れて来た時など。全く驚きはしなかった母親だから、友樹が彼女を連れて来ても驚かないと思っていたが、見当違いだったらしい。

 それでも希を上から下までじっくり見つめる母親に、友樹は言わずにはいられない。

「兄さんが彼女を連れて来た時はそんなに驚かなかったくせに、なんで驚くわけ?」

「彼女の気配がある息子と、ない息子なら驚きぐらいが変わるでしょうが!?」

 バッと振り返った母親に睨まれたので、視線を外す。

 一部始終を見ていた父親は何も言わずに、友樹と目が合えば微笑んだだけ。仕方がない、と友樹は肩の力を抜いて、さっきから希を質問攻めにしている母親に言う。

「母さん。とりあえず、落ち着いてくれない?」

「えー」

「えー、じゃなくて。そのままだと風邪を引くから」

 友樹に言われて、ようやく希が濡れた服を着ていることに気が付いた顔をした。

「それも…そうね。さあ、上がって、上がって」

「あ、はい…」

 圧倒されていた希が曖昧に頷いて、母親がその手を引いて家の中に連れて行く。さっさとしてくれ、と思って見送った友樹を振り返った母親が、ニヤッと笑みを浮かべていた。

「後で皆に連絡しておくわね」

「…止めてくれ」

 皆、それはおそらく兄二人と妹のこと。心底嫌で言った言葉を、母親は聞いてはくれない。さっさと背を向けて、いなくなる。父親と二人で残された空間で、友樹は深いため息をつくことしか出来なかった。


 希を母親に任せた後は、一人でリビングでコーヒーを飲んでいた。リビング、と言っても狭く、真ん中にあるテーブルには四人分の椅子しかないので、家族でご飯を一緒に食べることは出来ない。小さなカウンターを挟んで台所で、リビングの隣は小さな和室。

 何故か母親は買い物に行ってくる、と早々に家を出て行き、父親は店から出て来る気配がない。

 静かなのは喜ばしいことだけれど、ドタバタと玄関のドアが開いた音が微かに聞こえて嫌な予感がした。母親が帰って来るには早すぎるし、父親は玄関からは来ないし、あんなに五月蠅くしない。

 それからすぐにリビングのドアを蹴飛ばす勢いで開けたのは、友樹の妹。

「お兄ちゃんの彼女さん!こんにちは!…て、あれ?」

 元気に挨拶をしたはいいが、希の姿がないのを確認して首を傾げた妹、友紀ゆき。あれれ、と部屋を見渡す。呆れながら、友樹は言う。

「お前、学校は?」

「早退したよ。どうせ、大した授業じゃないし」

 けろりと言ってのけた友紀。友樹と顔は似ている方だが、身長は低いし、髪は明るい茶色に染めて腰まで伸ばしている。制服のブレザーの前は開けたままで、スカートは常に短い。性格はハイテンションで、五月蠅いくらい騒がしい高校二年。

 希がいなかったので残念そうな顔になり、冷蔵庫から牛乳を取り出す。それを一気飲みする様子は、もはやただのおっさんにしか見えない。

「――っぷは、うま。で、お兄ちゃんの彼女さんはー?」

「もうすぐ来ると思うけど。お前、変なこと言うなよ」

 睨んで忠告しても、友紀は笑って聞き流す。しないよ、と言った言葉が軽すぎて信用できない。希を待つため、友紀は斜め向かいに座った。

 それにしてもさ、と友紀が話し出す。

「お兄ちゃん、彼女いたんだ」

「まあ」

「あー、全然分からなかったな。たかにいとか、あきにいなら絶対に分かったのに」

 友紀の言葉に何も言わずに、友樹はコーヒーを口に運んだ。

 孝にい、は一番上の兄の友孝ともたか。章にい、は次男の友章ともあき。二人とも社会人なので、友紀みたいにすぐには帰って来ない。

 友孝の方ががっしりとした体型で長身。友章の方はひょろりとしていて、案外根は真面目な性格をしている。どちらも見た目は父親そっくりなので、友樹と兄弟だと言っても似ていない。

 用心をして、兄二人が帰って来るまでに。希を連れて家を出たい。

 友紀と母親がいるだけでも面倒で、兄二人が加わればそれは倍になる。兄二人の性格が父親似だったらよかったのに、と今更ながら思った。

 ブラブラと足を動かしている友紀は携帯をいじって、希を待つ。

 カチャ、とドアが開く音がして、希がゆっくりとドアを開ける。

「あ、あの。お風呂ありがとうございました」

「ひゃー!!!お兄ちゃんの彼女さん!こんにちは!」

 奇声と共に駆け寄って、希の顔を覗き込んだ友紀。呆気に取られた希はドアの前で動けなくなって、何度も瞬きを繰り返す。

「こ…こんにちはです?」

「可愛い!顔ちっちゃ、身長もちっちゃ!もう何もかも可愛いじゃん」

「お前より年上で、身長も標準の方だろ」

 ボソッと呟けば、振り返った友紀に睨まれた。希より友紀の方が身長が十センチ以上高いので、傍から見れば年齢が逆転して見える。コーヒーを飲み終えたので、まずは台所にカップを置きに行く。

 その隙に、友紀は遠慮せず希を質問攻めにする。逃がさないとばかりに、いつの間にか手を握って問う。

「お兄ちゃんとはどこで知り合ったんですか?」

「えっと…それは、その」

「じゃあ、どこが好きなんですか?」

「う…え、えーと…えーと」

 どう答えればいいのか分からず、希の顔が真っ赤になっていた。友紀は楽しそうに、動けない希の返答を待っている。友樹の存在を無視して、根掘り葉掘り聞き出そうとする友紀に近づき、近くにあった雑誌で思いっきり頭を叩いた。

「いい加減にしろ」

「痛い…」

 頭を両手で押さえて蹲る友紀に、容赦などしなかった。解放された途端に、ホッと安心した希の顔を見逃さずに、友樹は優しく言う。

「大丈夫?」

 無言で小さく首を縦に振った希の顔は、まだ少し赤い。

 落ち着いたので希の格好をよく見れば、服装ががらりと変わった。焦げ茶のタイツに、クリーム色のワンピースの所々には茶色のレース。珍しく、リボンを付けずに髪を下ろしている。

 目が合った希は、はにかみながら笑った。自然と微笑んだ友樹は言う。

「まだ昼飯食べてないし、行く?」

「はい」

「え!駄目!絶対に、駄目!」

「なんでだよ」

 ドアの前まで一目散に行き、両手を広げて行く手を阻んだ友紀に、友樹は淡々と尋ねた。だって、と友紀が大きな声で言う。

「お母さんがお昼を買いに行ったんだよ!お兄ちゃん達の分も一緒に!だから、行っちゃ駄目!」

「は?」

 意味が分からない、と言いたげな友樹の声が部屋に響いた。数秒無言の空間になり、驚いている友樹も希も何も言えない。友紀だけが、ドヤ顔で笑っている。

 それから間を置かずに、またドタバタと足音が家に響いた。

 家に帰ったばかりの人物は、リビングのドアを勢いよく開けた途端に言う。

「ただいま!お寿司買って来たわよ!」

「お母さん、お帰りなさい!」

 キャーキャー言いながら騒いでいる母親と友紀の様子に、友樹は言葉を失う。どうやら皆でお昼を食べるために、わざわざ買い出しに行ったようだ。

 呆然としている友樹と希を置いて、テーブルには寿司以外にも厚焼き玉子と母親特製の漬物がずらりと並ぶ。手際よく友紀が四人分のコップまで用意して、冷蔵庫にあったジュースを注ぐ。

「さぁ、さぁ。お二人さん、座ってね」

 笑顔の母親に言われて、友樹は希の顔を伺う。友樹の視線に気付いた希と目が合った。

「どうすれば、よろしいでしょうか?」

「諦めて…一緒に食べるか」

 それしかない、と友樹は肩を落として言った。


 仕方なく始まった食事で、母親も友紀も遠慮なく希に問う。

「彼女さん、お名前はなんて言うの?」

「希、って呼んでいるの。お母さん聞いちゃった!」

「きゃー、本当!?」

 騒がしい。もう何も突っ込めないので、友樹は黙る。黙って無表情の友樹とは対称的に、希は始終笑みを絶やさない。内心困っているのだろうが、隣に座っている希はそんな顔を見せない。

 あのさ、と素っ気なく友樹は話し出す。

「勝手に盛り上がってないで。自己紹介しろよ、友紀」

「あれ?まだだった?」

 寿司を頬張りながら、友紀は首を傾げた。一応、友樹は希に問う。

「こいつらに自己紹介させていい?」

「は、はい。頑張ります」

 頑張ることはないのだけれど、意気込んでいる希に友樹は何も言わない。代わりに、はいはーい、と元気よく手を上げて話し出したのは、母親。

「友樹の母の、美和みわです。お母様、て呼んでね」

「母さん、自己紹介がおかしい」

 真顔で突っ込んだ友樹の言葉は、誰も聞いてはくれない。母親は戸惑う希に手を差し出し、握手を交わした。それを友紀は微笑ましげに見守り、続けて言う。

「で、私は妹の友紀。高校二年生。好きなものは、強い人とわたあめ。嫌いなものは、馬鹿とニンジン。兄三人のうち、お兄ちゃんが一番強いので尊敬しているし。まさかこんな可愛い彼女を連れて来るとは思いませんでした!」

 友紀のマシンガントークに友樹は呆れた。最後の余計な一言に、希が微かに照れて視線を下げる。友紀と母親にばかり話をさせてばかりではいられないので、友樹が説明を付け足す。

「因みに、あと二人の兄のことは知っていると思うけど。長男の友孝と次男の友章。二人とも社会人だから、今回は会うことはないと思う」

「はい。以前に話してくれましたよね」

 微笑みながら、希が言った。それからね、と友紀が言う。

「孝にいは元暴走族総長で、ここら辺一帯の不良とかにも名は知られているから!」

「それこそ、余計な一言だろ」

 ボソッと呟いたのは、その言葉で希を不安にさせたかもしれない、と思ったからだ。横目で希の様子を盗み見すれば、その顔はむしろ嬉々としていた。

 両手を合わせて、目を輝かせた希は言う。

「総長さんなら、さぞかしお強いのですね」

「うん。めっちゃ強いよ!基本負け知らずだったらしいからね」

「凄いです」

 感動している希には悪いが、そんなに凄いことではない。そんな兄だから関わらせたくなかったのに、さっきから友紀は余計なことしか言わない。

 友紀が友孝の武勇伝を語り出す。母親と希は楽しそうに話を聞いている。

 一人蚊帳の外扱いにされた友樹は、もう何を言うまい、と寿司に手を伸ばした。



 結局、実家を出たのは午後二時過ぎ。

 希と二人で家を出るはずだったのに、何故か笑顔で友樹の横にいる友紀。バイクは公園近くの駐輪場に置いて来てしまったので、歩いて戻るしかない。数分の距離を、友樹を真ん中に三人で歩く。

 歩きながら、友樹はぼやく。

「なんで、こんなことに」

「でも、楽しいですよ」

「だよね。お兄ちゃんだって、こんな可愛い女の子二人に囲まれて内心嬉しいくせに」

 嬉しくない、と睨むが友紀は笑って受け流す。左隣にいた希は、友樹と友紀の様子を見てクスクスと笑い出した。

「仲の良い兄妹なのですね。羨ましいです」

「五月蠅いだけだけど」

「酷いっ!」

 希の速度に合わせて歩く友樹なので、必然的に友紀もゆっくり歩いていた。けれども数メートル先の道端で、ガラの悪い集団を見つけた友紀の足が止まった。

 あからさまに顔をしかめた友紀。

 仕方がないので友樹と希も立ち止まり、一歩後ろにいる友紀を振り返る。

「友紀さん?」

 希が不思議そうに名前を呼べば、友紀は唸りながら言う。

「前にいるのは、多分私の知り合いなんだけど。ちょっと前に喧嘩した奴なんだよねー」

「仲直りした方がいいですよ?」

「いやー。そういうレベルじゃない、て言うか――」

 段々と小さくなっていった声。どこか笑いを堪えた顔に変わって、友紀は小さく言葉を続ける。

「孝にいの敵の不良、て言うか。最近私も喧嘩を買った相手、て言うか」

「喧嘩は勝ったんですか?」

「そりゃー、勿論。圧勝だったんだけどね。なんせ小さい時から空手を習っていたし。か弱い女の子だと思って油断していた奴らを一網打尽にしてやったんだから」

 希の問いに得意げに答えた友紀。話がずれたので、ため息交じりに友樹は言う。

「それで、あいつらの前を通るのは嫌だと?」

「そう」

「…もう遅いと思いますよ?」

 視線を不良の集団に向けていた希がさも当たり前のように言った。不良の集団がゆっくりと近づいて来る。希と一緒に逃げ出す暇もなく、友樹と友紀も不良の集団を見た。

 金髪の男がおそらくリーダーで先頭を歩き、その後ろには四人の男。全員学ランを着崩していて、髪の毛の色が明るい。中でも金髪の男の態度がでかくて、友紀を睨んでいる。サッと友樹の背に希を隠して、友紀と一緒に不良を睨む。

 一歩前に出た友紀は、金髪の男を見上げながら臆することなく低い声で言う。

「なんか用?」

「ちょっと遊んでやろうかと思っただけだよ」

 ニヤニヤと笑っている金髪の男が言った。

「またコテンパンにされたい?」

 馬鹿にするように、友紀は言い返す。火に油を注いでいるようにしか見えない。

 希がいるので、下手に動くわけにもいかず友樹は様子を伺う。友紀に至ってはこの状況を楽しんでおり、金髪の男は復讐出来ることに喜んでいるように見える。

 どちらかが動けば、すぐに喧嘩を始める雰囲気。

 一刻も早くこの場を去りたいが、友紀を一人で置いて行くわけにもいかない。

 誰も何も言わない静かな空間を破ったのは、遠慮がちに友樹の背中から顔を覗かせた希。

「あの」

 小さな声が辺りに響いて、全員の視線が希に集まる。

 何故かまじまじと金髪の男を見た希は、やっぱり、と言いながら場違いな笑みを零した。

夢人ゆめとさんですよね?」

 ポカンとした金髪の男。間抜けなぐらい驚いている金髪の男は、希を凝視した。

 それからすぐに、ハッとしたような顔になって恐る恐る尋ねる。

「え、あ…まさか…希さん?」

「覚えていてくれましたか!夢人さん、変わっていませんね。お兄さんそっくりです」

 嬉しそうに言った希が前に出る。驚いている友樹や友紀、その他の不良を無視して金髪の男、夢人が驚きつつも話し出す。

「希さんこそ、変わっていませんね。それこそ、俺の方が年下なのにいつも敬語でしたし」

「それは癖でしたから。あ、これから秘密基地に行こうと思っていたのですよ?あの場所も昔と変わりはありませんか?」

「はい。兄貴達がいた頃と、全く変わっていないです」

 楽しそうな談笑に、誰も会話に入れない。誰、と友樹が希に問う暇さえなかった。

 一部始終を見ていた友紀が、そっと友樹に近寄って言う。

「お兄ちゃんの彼女さん、何者?」

「…さあ?」

 それこそ友樹が聞きたい。ふと、振り返った希が友樹と友紀を振り返った。

「あ、友樹さん、友紀さん。こちら、兄経由で知り合った友達の夢人さんです。私が中学生の時に一緒に遊んでいたのです」

 どうも、と言いながら夢人は友樹に対して軽く頭を下げた。

 最初の印象が変わりつつあるので、友樹も軽くお辞儀を返す。機嫌が悪い時の夢人は悪人顔だが、希と話して幾分優しい雰囲気を醸し出すと、ただの高校生に見える。

 友紀は夢人の変わりように怪しんでいる様子だが、何も言わない。ただ不機嫌なだけで、腕を組む。

 夢人も夢人で、友紀のことは完全に無視することにして友樹に言う。

「あの。間違っていたら、あれなんですけど。希さんの彼氏ですか?」

「まあ」

「やっぱりそうなんですか?よく歩望さんの許可が取れましたね」

 尊敬するような眼差しで言われて、友樹の方がたじろぐ。少しお話ししてもいいですか、と言われて嫌とは言えない。目線だけ友紀と会話し、軽く頷いた友紀は希の横に行った。

 夢人と並ぶような形で希達から少し離れ、あのさ、と夢人に訊ねる。

「どういう経由で友達になったわけ?」

 夢人は学ラン姿なのだから、まだ高校生。希より年下の希と歩望経由で知り合った経緯が知りたくて友樹が問えば、夢人は素直に答える。

「昔、不良だった兄貴のせいで喧嘩に巻き込まれた俺を、近くのコンビニで働いていた歩望さんが助けてくれて。それから俺と兄貴は歩望さんとは関わるようになって…俺ら兄弟に喧嘩を教えてくれたり、希さんには怪我の手当てをよくしてもらいました」

 昔を思い出しながら話す夢人は、少し照れながら言葉を続ける。

「歩望さんと希さんがいなかったら、今の俺はいないんすよ。歩望さんなんか、俺ら兄弟だけじゃなくて他の連中にも優しくしてくれて。時々、不良の溜まり場に希さんを連れて来て、『秘密基地』て教えて大勢でどんちゃん騒ぎしたんです。一緒に朝までゲームしたり、勉強を教えてもくれました」

 余程楽しかった思い出なのか、友樹が相槌を打つ暇さえなかった。

 嬉しそうに語っていた夢人は、でも、と少し声を落として言う。

「ある日突然。お二人が俺らの前からいなくなったんです。兄貴経由でお二人の安否は知っていたんですけど、それも二年以上前にプツリと途絶えて。俺だけじゃなくて、兄貴とか当時の世話になった連中はずっと心配していたんです」

 言いながら、夢人の視線が友樹に映る。真実を探るかのように、小さな声で言う。

「…歩望さんは、お元気ですか?」

 おそらく夢人は、そのことを聞くために友樹と話がしたかったのだろう。いずれ知る事実を隠す必要はないだろうし、希から言わせることを避けるために友樹に聞いている。

 ジッと見つめる夢人から視線を外し、希達の方を見る。いつの間にか他の不良と仲良くなって、楽しそうに話している希。その横には友紀がいて、必要以上に希と仲良くなろうとする不良達を睨んでいる。

 希には幸せそうに笑っていて欲しいからこそ、友樹は声を潜めて言う。

「俺は、希の兄には会ったことがない。もう、二年以上前に――」

 亡くなった、と言う言葉を、夢人は黙って聞いていた。

 それから間を置いて、そうですか、と呟いた。あまり驚きもせずに受け止め、友樹と同じように希に視線を向けた夢人は、静かに言う。

「正直、予想はしていたんです。兄貴と歩望さんの連絡が途絶えた時に、嫌な予感がしてました…」

 段々と声が小さくなっていく。夢人は泣いていない。ただ少し悲しげな顔をしている。黙って、友樹は言葉の続きを待つ。

「歩望さんのことだから、ひょっこり希さんと一緒に帰って来るんじゃないか。なんて、思っていた日もありました。でもやっぱり現実は…現実、なんすね」

 弱々しく消えていった夢人の声。

 真実は時として残酷で、でもそれを受け止めなければ前には進めない。唇を無意識に噛みしめていた夢人は、今までの悲しさを振り切るように明るい声を出す。

「そう言えば、希さんが秘密基地に行きたい、と言っていましたが。来ますか?」

「…秘密基地、て不良の溜まり場?」

 遠慮せずに尋ねれば、夢人は困ったような笑みを浮かべて頷いた。

「まあ、そういう連中の集まる場所ですけど。少しぐらいなら人払い出来ますんで」

 夢人は友樹に対して、敬意を払っている。どう見ても不良だけれど、希には危害を加えるようには見えない。それに、希が行きたい、と言っているのだから行かないわけにはいかない。

 仕方がない、と思いながら友樹は言う。

「友紀を離してから、希をその場所に連れて行く」

「そうしてくれると、助かります。連絡先、一応聞いてもいいですか?」

 ポケットからお互い携帯を取り出し、素早く連絡先を交換する。それが終わるとすぐに、夢人は希達の方を向いて叫ぶ。

「お前ら!希さんに変なこと言ってないだろうな!」

「言ってないっすよー」

 不良の一人が笑いながら言った。夢人と目が合った友紀は不機嫌な顔になったが、隣にいる希は笑っている。穏やかな空気が流れている空間に、夢人も混ざる。

 夢人と話をしたおかげで、昔の希がどんな風に過ごしていたのか。少しだけ分かった気がした。

 それから目の前で繰り広げられる光景を見れば、希と言う存在がよく分かる。

「友樹さん!」

 笑顔の希に呼ばれて、友樹は微笑む。

 戦いが終わって平穏な日々が続くと思っていたが、希と一緒にいると平穏では終わらない。いつだって振り回されることが多くて、でも幸せ日々が過ぎていく。

 これから先も一緒にいられる未来を願い、友樹は一歩踏み出した。


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