05 少年の本音 Side:鴇
混乱して、頭が回らない。
どうしてこうなった、と言う言葉を、鴇は呑み込んだ。隣で笑みを浮かべている少女は、離さない、と言わんばかりに鴇の腕を掴んでいる。
見た目は美少女に分類されるであろう、少女。
奈々(なな)。
鴇の一つ年下で、蘇芳の家に遊びに行った時に一緒に遊んだ、瑠璃の友達。長い髪の色は明るい茶色で、腰まで伸びている。毛先の方がカールしていて綺麗な髪だと、誰もが言っていた。スタイルも悪くないし、見た目だけなら鴇の好きなタイプ。
本当に見た目だけなら、鴇が一目惚れをした少女だった。
何度か遊んだうちに、無理やり遊ばされるようになった。鴇の気持ちを考えもしないで、永遠とお茶会に付き合わされた。
正直、鴇の中での奈々の記憶は、悲惨。
金持ちのお嬢様だから、一時期は毎日のようにお茶会に誘われた。それが嫌で、鴇は逃げ出した。勘違いが激しく、人の話を全く聞かないくせによく喋り、自分に都合のいい解釈しかしない。
鴇が逃げたのは照れているからに違いない、と本人は思っているらしい。
嬉しくないことに奈々は鴇に好意を寄せ、会えば第一声が必ず『結婚しましょう』と抱きつかれる。何度断っても懲りない。
そんな奈々が、何故隣にいるのか。
さっきまでの記憶では、鴇は大学にいた。浅葱と蘇芳、蘭と一緒に苺と待ち合わせをしていた記憶はあるが、その記憶が途中で途切れている。
考え込んだ鴇に、奈々が微笑む。
「鴇様。如何いたしましたか?」
「…ごめん。俺、今夢みているんだよね?」
それ以外思い浮かばない。顔を引きつりながら言った鴇に、奈々はにっこりと笑った。そうですよ、と肯定してくれるはずの希望は、すぐに消える。
「鴇様、今日は私達の結婚式です。待ちに待った日ですから、素敵な日にしましょうね」
「うっわー。俺の言葉は無視ー」
流されるのはいつものこと。
夢、なのは間違いがないはずだ。現実のはずがない、と思いこむ。
純白の高そうな、ウエディングドレスを着ている奈々。対する鴇の服装はタキシードに変わっていた。奈々の我が儘で、本当に夢ではなく現実のことのような錯覚を受ける。
騙されるな、と言い聞かす。
こんなことはあり得ない、と。
何より鴇は奈々のことなど好きではなく、鴇の好きな人は苺。相手にされないし、何度も告白をしては振られてはいるが、その想いは変わらない。
変わらないはずなのに、と周りを見渡す。
鴇と奈々がいる場所は、広い庭。綺麗な花が咲き誇る、ガーデンウエディングの中心。周りにいる人達はパーティードレスやらスーツを着て、誰もが楽しそうに鴇と奈々を祝福する。
その中にはいつものように喧嘩腰で言い合う、浅葱や蘭。近くにある食べ物を美味しそうに食べる柘榴やその隣で呆れている結紀。安定の幸せオーラを放っているように見える友樹や希。などなど。
淡いピンクのパーティードレス姿で祝う、苺の姿まである。
絶望、を感じる。
泣きたくなった鴇に、一人で近づいて来たのは蘇芳。微笑みながら言う。
「鴇、おめでとう」
「蘇芳…いや、何言ってんの?」
蘇芳はこの状況を喜んでいるように見えるが、鴇は全然喜べない。絶対におかしい、この状況。そもそも奈々と付き合う予定も、結婚する予定もない。
あれか。これは、皆でドッキリでも仕組んでいるのか。これは本当に現実で起こっていることで、実は鴇を気絶させ、勝手に結婚式を行おうとしているのか。
ここにいては危険だ、と本能が告げる。
一歩、下がりながら鴇は叫ぶ。
「ごめん。俺、本当に…本当に無理です!逃げさせていただきます!!!」
「鴇様!?」
引き止めようとする奈々の手を振り払い、人の少ないところを目指して鴇は駆け出した。怖くて後ろを振り返れない。
考える暇もなく、逃げる選択肢以外思い浮かばなかった。
絶対に、奈々との結婚は嫌だ。
長い長い廊下を、無我夢中で走り抜ける。
「おかしい、絶対におかしい、って!」
走りながら、そう叫ぶしかない。結婚もおかしいが、走っている廊下の様子も変だ。どれだけ走っても出口がない。人がいない。
誰も追いかけては来ないので、走り続けていた鴇は途中で立ち止まった。
「疲れた…」
「鴇様!」
「え、えぇええ!!!なんで、いるわけ!?」
いつの間にか目の前に、奈々がいた。後ろに手を回し、上目づかいで鴇を見つめて言う。
「鴇様…やはり私を試しているのですね。いいでしょう!これは愛の試練なのですね!!!」
「いや、違うから」
じりじりと距離を取りつつ、言わずにはいられなかった。いつもいつも、奈々は鴇を置いて暴走する。置いてけぼりは勘弁頂きたい。
試すとか、愛の試練とか。もう、どこから突っ込めばいいのか分からない。
夢なら覚めて欲しい。
一刻も早く、目が覚めて欲しい。
逃げ腰の鴇とは違い、奈々は、そうだ、と明るく話し出す。
「ゲームをしましょう!」
「ゲーム?」
嫌な予感、しかしない。けれども、一応最後まで説明を聞く。
「今から五分後、私は鴇様を追いかけますわ。鴇様は逃げながら、三人の少女を見つけ出し、三つの鍵を譲り受けて下さいな。三つの鍵のうち、どれか一つが出口の扉へ繋がる本物の鍵です。もし、鍵を手に入れられずに私に捕まったら、鴇様の負け…大人しく皆様の元に戻って、結婚してくださいませ」
「出口はどこにあるの?」
「鍵を手に入れれば分かりますわ」
「じゃあ、鍵を手に入れて出口に辿り着けたら、結婚しなくていいんだよね?」
確認を込めて、問う。いいえ、と奈々は首を横に振った。
「マリッジブルーになっている鴇様の心情を考慮して、結婚を先延ばしにしますわ。そうですね、あとひと月ぐらいでいかがでしょう?」
「わぁーお。結婚は決まっているんだ…」
「当たり前ではありませんか」
当たり前じゃない。けど、それしか方法がないのなら受けて立つ。
引き下がっていた鴇は、一歩踏み出す。
「分かった。絶対に勝つ!!!」
宣言して、即座に身を翻した鴇は全速力で駆け出す。結婚を掛けたゲームは、始まったばかりだった。
奈々から離れ、さっきまでいた会場に戻った鴇。
鴇の頭に浮かんだ三人の少女と言えば、柘榴に希、それから蘭の三人。三人を探すが、その姿が見当たらない。そう簡単にゲームは終わらないと思いつつ、近くにいた蘇芳を見つけた。
「蘇芳!柘榴ちゃんと希ちゃんと蘭ちゃんは!!!」
何故か鴇の母親と談笑していた蘇芳に駆け寄り、詰め寄るように尋ねた。蘇芳は迷うことなく答える。
「食堂と整備室と訓練室」
「なんで、そんな場所があるわけ?」
「因みに、会場を出て右手の階段を上った。二階と三階と五階」
「ツッコミたいことは多々あるけど。サンキュー、蘇芳!」
バシッと背中を叩いてから、鴇は走り出す。走り出した鴇を見送った蘇芳の隣には、一言も言葉を発していない蘇芳の婚約者の瑠璃が微笑んでいた。
蘇芳の幼馴染であり、婚約者。奈々の友達で、どこぞの社長の一人娘。イギリス人とのハーフで、真っ白の肌に灰色の瞳。茶色の肩より長い髪が、いつも綿菓子みたいにふわふわしている。お嬢様と言う雰囲気を醸し出す、正真正銘のお嬢様。
奈々とは正反対の性格をしている、瑠璃。性格が違っていれば、奈々とも仲良くなれたかもしれない。恋愛感情として好きになるかは、また別だけれど。
考え事をしながら走っているうちに階段を見つけた。
絶対に鍵を手に入れてやる、と意気込んだ鴇は階段を上るのだった。
まずは二階の食堂を発見した。
何故食堂があるのか。と言う疑問は心の隅に置いておき、見つけたのはカウンターにいる柘榴と結紀。
淡いオレンジのパーティードレスの柘榴はカウンターの椅子に座り、美味しそうにシャンパンを飲んでいた。カウンターに立っている結紀はバーの店員の如く、自分用のカクテルを作っている最中。
結紀が、入口で立ち尽くす鴇を見つけて言う。
「あれ、鴇?何してんだ?」
「その台詞…そっくりそのままお返ししますよ」
人の結婚式に呼ばれて、食堂で何勝手に飲んでいるんだ。言いたい台詞を呑み込んで、鴇は柘榴に近づき問う。
「柘榴ちゃん、鍵。持ってない?」
「持っているけど…ただでは渡せないかな」
鴇を振り返り、意地悪そうに笑った柘榴。そう簡単にはいかないらしい。グイッとシャンパンを飲み終わった柘榴は、静かにグラスをカウンターに置いた。
待っていても話は進まない。鴇は唾を呑み込んでから、尋ねる。
「…どうやったら、貰えるの?」
ニヤッと笑った柘榴が、どこからともなく鍵を取り出す。鍵をチラつかせながら言う。
「さて、問題です!『奈々ちゃんが、鴇に惚れている理由はなんでしょう』」
「え…そう言う系の質問なの?」
「ほら、早く答えた方がいいよ」
「ちょっと、待って。それは確か…『最初に会った時に木から落ちた奈々ちゃんを助けた姿が、王子様みたいだったから』?」
「…お前、そんな理由で惚れられたの?」
真面目に答えた鴇に、結紀が憐れみの視線を送る。
結紀の言葉に、鴇は小さく頷いた。最初に会った時に、何故か木の上にいた奈々。落ちそうになって、反射的に助けたら惚れられてしまった。それから奈々との悲惨な日々が始まった。
柘榴は満足そうに微笑み、手に持っていた鍵を投げた。
「正解だよ、鴇。早く、捕まるといいね」
「縁起でもないこと、言わないで!!!」
鍵を見事キャッチした鴇は、泣きそうな顔になりながら叫んだ。柘榴も結紀も、笑っているだけでそれ以上は何も言わない。
目的は果たした。もうここには用がないので、鴇はすぐさま食堂を後にすることにした。
次に辿り着いたのは、三階の整備室。
やけに長い階段だった気がするが、気にしている暇はない。見つけた整備室のドアを、ノックもせずに鴇は勢いよく開けた。
開けて、一回出直そうか、と本気で考えた。
「ですよね。やっぱ、そうなりますよね…」
ドアを開けた先で、苺のショートケーキを食べている希と友樹。仲がいいのは羨ましいし、整備室のはずなのに淡いピンクのパーティードレス姿の希と、その横でコーヒーを飲む友樹の姿が様になっている。
「あら、鴇さん。いかがしましたか?」
希は微笑んでいるが、友樹は邪魔をされたからなのか、すごく不機嫌そうな顔になってしまった。
「えっと…希ちゃん、鍵持ってない?」
「ありますよ。さて、問題です『奈々さんの、将来の夢はなんでしょう』」
答えたくない。答えたくないけど、答えないと鍵は手に入らない。
「…お嫁さん」
「誰のですか?」
「俺の、て言わないと、鍵くれないんだよね?」
にっこりと、希は笑った。どうぞ、とケーキの横に置いてあった鍵を差し出す。
「正解です。こちらをお持ちになって、五階へお進み下さい」
鍵を受け取りつつ、考える。さっきから繰り返される問題は、一体何なのだろうか、と。
柘榴の質問も、希の質問も、会うたびに散々言われた言葉。鴇の意志など聞いてももらえず、最終的には一緒にハワイに住もう、とまで言われた。
逆玉の輿、は嬉しくない。
鍵を見つめ物思いにふけていた鴇に、友樹が言う。
「鴇、本物の鍵は五階だから」
「…さらりと、何を言っているんですか?友樹先輩」
「本当のことですよ。ですから、早く行った方がいいと思います」
希と友樹は基本的に嘘をつくような人間ではない。おそらく真実を述べたのだろうが、柘榴と希の鍵を探しに来た意味がない。
質問に答えた意味も、全くない。
友樹はコーヒーを飲んで、落ち込んでいる鴇のことなどまるで気にしてない。希は残っているショートケーキを口に運び、嬉しそうな顔をした。
二人の間に入る余裕も、隙もない。
鴇がしなければいけないことは、一つだけ。肩を落としながら、二人に背を向けた。
「…五階行ってきまーす」
「「いってらっしゃい」」
明るい希の声と棒読みの友樹の声が、後ろから聞こえた。二人を振り返らないまま、鴇は駆け出した。
五階、訓練室。本当にあった。
あったことにも驚いたが、それ以上にドアを開けた先の光景に、数秒言葉を失った。
「鴇、遅かったわね」
「待ちくたびれた」
「…なんでさ。君達の頭の中には、そんなことしかないの?」
何とか口から発せられた言葉に、浅葱も蘭も首を傾げる。
木刀を持って、素ぶりの練習していた浅葱。水色のパーティードレス着たまま、ストレッチしていた蘭。二人とも本当に頭がおかしい、と思う。
これが夢ではなかったら、発狂しそうだ。
何とか発狂せずに、鴇は蘭に言う。
「すみません。時間がないので、鍵下さい」
「嫌よ。質問に答えなさい」
「ですよね」
予想していたことなので、驚きはしない。驚かないが、精神的に疲れた。
さて、とストレッチを止め、立ち上がった蘭が話し出す。
「『奈々に捕まるのと、私達にここから投げ出されるのどっちがいい?』」
「ちょっと、待ったぁあああ!!!何その究極の二択!!!どっちにしても待つのは地獄だよね!!!そうだよね!!!」
「鴇、早く決めろよ」
浅葱は投げ出す気があるのか、窓を開けた。蘭はただただ鴇の回答を待つ素振りで、言う。
「鴇、早く決めた方がいいわよ。そうこうしていうるうちに――」
「うち、に?」
奈々が来る、そう言いたいのだと思った。
足音が近づいて来る。でも、何故か足音が多い気がする。答えられないまま、奈々に捕まってゲームオーバーなのか。そうなってしまうのか、緊張の瞬間だった。
訓練室の手前で、足音が止まった。
誰かが、開いていたドアからひょっこりと顔を覗かせる。
「あれ?希ちゃんはいないのかな?」
「鴇先輩、奈々さんが探していますよ?」
「…なんで?」
二人を指差して、もう一度、なんで、と繰り返す。
やって来たのは、終冶と苺。予想外の人物の登場で思ったことは一つだけ。緊張が解け座りこむ、床を叩きながら叫ぶ。
「俺のさっきまでの恐怖、返してよ!!!」
「何を言っているのですか?」
部屋に入って来た苺が、鴇の顔を覗き込むようにして言った。
近い、ので顔が赤くなった鴇。咄嗟に後ろに下がれば、誰かにぶつかった。ぶつかったのは、呆れている浅葱だった。
「鴇、頭大丈夫か?」
「浅葱にだけは言われたくない…けど、この状況は何なの?」
問わずにはいられない。
浅葱もよく分かっていない、と言う顔で終冶と苺に問う。
「二人はどうしてここに?」
「うん?鍵を手に入れたら、願いが叶うと言われてね。もう一度美来と歩望と会える、と思って」
「私は、奈々さんに頼まれただけです」
笑顔の終冶。奈々と知り合いになっている、苺の発言。もう、本当に付いていけない。
「終冶さん、その話は本当なのですか?」
「いや、嘘だろ」
瞳をキラキラさせて終冶を見つめる希と、冷静に判断して言った友樹。いつの間にか、ドア付近に立っていた。その後ろにはちゃっかり柘榴と結紀までいる。
「希ちゃん、信じちゃ駄目だよ」
「と言う、柘榴。お前も少し信じただろう?」
結紀に言われて、柘榴はあからさまに視線を外した。
鴇のことなんてお構いなしで、騒ぎだす一同。いてはいけない人まで夢の中に現れて、混乱する。誰もが楽しそうに会話して、鴇だけ置いて行かれている気分。
カオス。
なんて、カオス。
「で、鴇。どっちか、選んだか?」
呆然としている鴇に、浅葱は言った。
「なんで、浅葱はこういう空気の中でも、それ聞くの?」
「そろそろ、時間だからな」
何の、と聞く前に、何の時間だか分かった。一人分の足音が近づいて来る。同時に、鴇の名前を呼ぶ声も聞こえて来た。
奈々に捕まるのは嫌だ。でも、わざわざ浅葱と蘭に投げられるのも、嫌だ。
「もう、どうにでもなれぇええ!!!」
言いながら窓に足を掛けて、飛び出した。
どうせこれは夢だ。夢なら絶対に覚めるはずだ、と思う。
身体が宙を舞う。飛び降りたと思われる窓から、苺が驚いた顔で鴇を見ていた。とても驚いた顔で、心配している声で、何度も鴇の名前を呼ぶ。
どうして苺のことを好きになったのか。ふと、考える。
苺は基本的には優しい女の子。困っている人がいれば助けるし、放っておけない。そんな苺だから、ついでに色々なものを拾って来る。
例えばそれは捨てられた動物だったり、誰かの落し物だったりするわけで。そういうものを見つけた時の笑顔を、いつの間にか可愛いと思うようになった。
可愛くて、一緒にいるのが楽しくて。それはいつしか恋になった。
「俺…やっぱり苺ちゃんのこと好きだな――」
苺を想いながら、身体が真下に落ちていく。窓から飛び出す勢いで、鴇を見つめて叫ぶ苺の姿が遠くに消えてしまう。その前に、目蓋を閉じた。
呟いた言葉が苺に届いたかどうかは、分からない。分からないはずなのに、閉じていた目蓋を開けた。鴇の瞳に最初に映ったのは驚いた顔の苺。その顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「…え?」
唇を噛みしめて、真っ赤に頬を染めた苺が、無言で鴇から離れる。数歩離れた場所で、鴇を凝視して何か言おうとしては口を閉ざして、両手で顔を隠した。
夢から覚めれば、鴇が寝ていたのは中庭のベンチ。頭には、冷たくて濡れたタオル。起き上がって、今の状況を理解しようとするが出来ない。
ポカン、としている鴇は動けない。呆然としている鴇に、最初に声を掛けたのは一部始終を見ていた蘭。
「鴇、恥ずかしいわね」
「本当に」
「…ちょっと、羨ましい」
蘭と蘇芳、それから小さくも聞こえた浅葱の声に、鴇は振り返る。ベンチの後ろに立っている三人。その真ん中で呆れている蘭が、説明を始める。
「鴇、さっきまで何が起こったか…覚えてないわよね?」
「う、うん?」
「苺を待っていたら、飛んできたサッカーボールが鴇の頭に激突したのよ。それで気絶するなんて、誰も予想していなかったわ」
「…嘘?」
覚えていない。
気絶していたのなら、さっきまでは夢を見ていたのだと思う。夢を見ていただけのはずなのに、目を覚ました途端に苺に避けられた。
「そ、それで…なんで、苺ちゃんはそんなに俺から離れているの?」
まさか、と思う。動揺しながら訊ねれば、浅葱が意地悪な笑みを浮かべた。
「『やっぱり、俺。苺ちゃんのこと好きだな』、なんだろ?」
「それ、夢の話でしょう?」
信じたくないが、聞かれていた。夢の中の出来事のはずなのに、最後の言葉だけ苺に届いてしまった。
おそるおそる、苺を振り返る。
「…苺ちゃん?」
傍に寄ろうと立ち上がれば、名前を呼ばれて顔を上げた苺と目が合った。ぎこちなく笑いかけようとしたら、次の瞬間には苺は鴇に背を向けて一目散に逃げ出す。
「――っちょっと、待って!」
気絶していたと言うのに、逃げ出す苺を追わずにはいられない。浅葱と蘇芳、蘭を置いて、鴇は無我夢中で走り出した。
「待って…苺ちゃん!」
逃がさないように、後ろから抱き付いてしまった。その途端、振り返ろうとした苺の肘が、見事に鴇の腹に当たった。痛さで苺を離した鴇は蹲る。
そんな鴇を見下ろして、顔の真っ赤な苺は言う。
「後ろから抱き付かないでください!」
「いや、それはごめん。謝るけど…いつの間に格闘技なんて習ったの?」
「それは…お姉ちゃんが、非常時はこうすればいいって」
段々と声が小さくなった苺。妹に何を教えているのだと、言いたいが言えない。
中々立ち上がろうとしない鴇を心配して、苺はしゃがみ込んで鴇の顔を覗き込んだ。
「大丈夫、ですか?」
「一応」
言いながら、顔を上げた。数センチの距離に、苺がいる。
ハッと気が付いた苺が逃げ出そうとする前に、咄嗟に鴇は苺の右手首を掴んだ。ジッと瞳を見つめて、真剣な表情で小さく問う。
「そんなに…俺のこと嫌い?」
「嫌いじゃないですけど…」
けど、の後の言葉が続かない。苺が視線を下げたが、鴇は苺から目を逸らさない。言葉を続ける。
「じゃあ、好き?付き合ってくれる?」
「…うーん?」
本気で考え始める苺。いつもならこの質問に、即答で拒否される。期待して待っている鴇に、苺は小声で言う。
「…ちゃんと、考えてみます。それじゃあ、駄目ですか?」
上目づかいで頼まれたら、嫌とは言えない。いいよ、と言いながら、頬が緩んで笑みを零す。
「今までの返答に比べたら、前進した答えだし。気長に待つから」
「待たれるのは…ちょっと」
「え!?何でそんなこと言うの!」
焦り出す鴇の姿を見て、苺は微かに笑った。先に立ち上がった苺の顔はまだ少し赤いが、それは鴇も同じに違いない。
「とりあえず、皆さんのところに戻りませんか?」
「そうだね」
苺の提案に、鴇は素直に立ち上がる。一人分の距離を置いて、鴇と苺は並んで歩き出す。
手を繋ぐことは出来ない。そんなことでもしたら、また避けられてしまう。けど、ほんの少し心の距離は縮まった気がした。
今は苺の傍にいることが出来たら満足で、他愛のない会話をしながら浅葱達の待つ場所に戻る。
散々な夢を見たことなんて、もう忘れかけていた。
因みにその次の日。
奈々が大学にやって来たので、鴇は見つかると同時に全速力で逃げ出した。




