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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
後日譚
53/59

03 少年の友情 Side:蘇芳

 一月三十一日、真昼。

 大学内の食堂で、蘇芳の目の前の席に座る浅葱は頭を抱えている。さっきから黙々と食事をする蘇芳とは対称的に、一口も食べずに動かない。

「浅葱、そろそろご飯食べなよ?」

 素っ気なく蘇芳が言った。浅葱は恐る恐る顔を上げ、蘇芳を泣きそうな顔で見つめる。

「俺、チビになにかしたっけ?」

「知らない」

「だよなー。そうだよなー」

 繰り返す浅葱。

 どうして浅葱が落ち込んでいるのか。それは食堂に入る前に説明された。三日ほど前から唐突にランニングが中止になり、メールをしても返事がないそうだ。

 避けられる理由が全く見当も付かないらしく、浅葱はずっと嘆いている。

 蘇芳はお茶を飲み、ひと段落してからも浅葱の戯言を聞く。

「あれか。チビの誕生日プレゼントって言って、ゲーセンで取ったぬいぐるみを渡したのがいけなかったのか。実はそれを怒っていたのか…」

「浅葱、そんなの渡したんだ 」

「え、駄目?」

 ポカンとした顔で、浅葱は言った。

 もう何日も前のことを後悔している浅葱の、蘭への誕生日プレゼントを今更知った。浅葱が蘭にプレゼントを渡しているところを蘇芳は確認していなかったが、それでも何かしら渡したとは思っていた。

 それがまさか、ぬいぐるみだとは思っていなかった。

 興味本位で、問う。

「どんな、ぬいぐるみ?」

「ん?気分転換に入ったゲーセンの両手で持てるくらいの、クマのぬいぐるみ。目元が似てたから」

「へえ」

「因みに去年はうさぎのぬいぐるみだった。女はぬいぐるみが好きって、鴇が――」

「そこまで、聞いてない」

 言葉を遮って、蘇芳は会話を止めた。鴇の変な入れ知恵のせいで、浅葱はこんなにも悩んでいる。

 正直、悩んでいる理由は見当違いで、蘭が浅葱を避ける理由を蘇芳は知っている。それを言うのは蘭に口止めされているので、言えない。

 言えないが、浅葱が可哀想に思えて仕方がない。

「…あと少し、辛抱すればいいと思う」

「少し、て。いつまでだよ?」

 首を傾げた浅葱に、蘇芳は苦笑い。蘇芳からすると、浅葱は間違いなく馬鹿の分類。それは、蘭も一緒。戦闘能力は高いくせに、馬鹿だから基本的なことを忘れがちだ。

 蘭は人の心に鈍感だけれど、浅葱も同レベル。

 馬鹿にするように、蘇芳は言う。

「さて、今日は何の日でしょう?」

「知るか!」

「とりあえず、ご飯を食べたら?」

「気になって、食が進まない」

「子供」

 ムッと頬を膨らました浅葱に、蘇芳は呟いた。

「ちがっ!」

「いい加減、ご飯食べなよ」

 ため息交じりに言われ、仕方なく浅葱はご飯を食べ始める。あまりにも元気がなく、美味しくなさそうに食べる姿。何かあると、すぐにこんな調子になる。そう思った蘇芳は、昔のことを振り返る。




 それは蘇芳が、十歳の頃。

 蘇芳の家は俗に言う、お金持ち。新しい家を建てたから、と言う親の都合で引っ越した。それは表の理由で、もう一つの理由は苛めのせい。

 お金持ち、と理由だけで除け者にされる日々。蘇芳は気にしていなかったが、両親は心配して引っ越しを決めた。その引っ越した先が、浅葱と鴇の住む街だった。

 けれども引っ越した先でも、蘇芳の周りはあまり変わらない。最初の頃はクラスの皆が気にかけてくれたが、無口であまり喋ろうとしなければ、話しかける人はいなくなった。

 それに加え、いつの間にか蘇芳の素性は広まり、避けられる日々が数日。

 一人ぼっちで過ごすのが、寂しいとは思わない。

 別に、友達なんて必要なかった。家に帰れば何でも揃っている。必要なものがあれば、両親が何もかも与えてくれた。

 けれどもある日、小学校の帰り道。

 かつあげ、されそうになった。

 どこからか蘇芳の情報を手に入れた中学生に囲まれて、人通りのない路地に連れ込まれた。いつも人通りの多い道を選び、気を付けていたのに。その日は、運が悪かった。

「ほら、金出せよ」

 ガラの悪い、中学生三人。壁を背に絡まれ、どうしようか、と呑気に蘇芳は考える。

 金持ちだからと言って、何も習っていないわけではない。その気になれば、中学生三人くらい簡単に倒せる。しかし、ここで騒ぐと警察に連絡が行く恐れもある。

 両親に迷惑は掛けたくない。

 大人しくお金を渡した方が、穏便に終わるのではないか。いやでも、一度でもお金を渡せば、何度も繰り返される可能が高くなる。

 さて、どうしよう。と、考え込む蘇芳。

「そこの不良!何してんだよ!」

 路地に、怒声が響いた。聞き慣れない声、蘇芳と同じぐらいの少年の声。蘇芳だけじゃなく、中学生の三人も声のした方へ顔を向ける。 

 ランドセルを背負った、小学生の少年が二人いた。

 二人とも、蘇芳より身長が低い。一人は怒っていて、もう一人は呆れている。呆れていた少年は、肩をすくめながら言う。

「また、厄介なことになった」

「そうか?」

「隣のクラスの転校生だから助けたんだよね?穏便に、済ませるよね?」

「普通に。助けるだろ、鴇」

「浅葱の助けるは、暴力だもんなー」

 浅葱、鴇。それが少年達の名前。ガラは悪そうだけれど、強そうには見えない二人。ランドセルを近くに投げ、浅葱はにやりと笑って一歩前に進む。

「よし、掛かって来やがれ!不良!」

「なんだとっ!」

 中学生の一人が怒りを露わにし、浅葱に襲い掛かる。中学生に向かって、浅葱も駆け出す。殴られそうになった瞬間に、浅葱は迷わず頭を下げた。中学生の懐に滑り込んで、浅葱は引いていた右手をその顎目掛けて振り上げた。

「っ、ナイッシュー!」

「うわー、またやっちゃった」

 少し離れた場所にいた鴇がぼやきながら、ランドセルをおろす。浅葱はよろけた中学生に容赦なく、回し蹴りをして吹き飛ばした。

 残りの中学生を睨んで、浅葱は言う。

「寄って集って、虐めとか馬鹿のすることかよ。格好悪い馬鹿共だな」

「浅葱、相変わらず口が悪いなー」

 鴇は言いつつ、浅葱の横に並ぶ。残りの中学生二人が浅葱と鴇に迫っても、二人とも恐れることはない。中学生の一人が浅葱の顔を狙おうとしたが、難なく止められて反撃を受ける。鴇は中学生の攻撃を受け流すように背に回り、足で思いっきり背中を蹴って転倒させた。

「見事に転んだね、中学生」

「鴇、やってること変わらなくね?」

 呆れるように浅葱は言った。いやいや、と鴇は軽く返す。

「俺のは正当防衛」

「じゃ、俺も正当防衛!」

「いやいや、いやいや。浅葱の場合は違うから」

 楽しそうに話す浅葱と鴇。蘇芳から見るとどっちもどっち。というか、小学生にしては強すぎる二人組。最初に浅葱が吹っ飛ばした中学生の一人が、ゆっくりと立ちあがった。

 すでに蘇芳のことなど眼中にない。近づいて来る浅葱と鴇を見て、戦意消失して言う。

「お、お前ら、あの。浅葱と鴇なのか?」

「あの、てなんだ!あの、って!どんな噂だ!」

「いや、いつもの噂でしょ」

 中学生の胸倉を掴んで脅しているようにしか見えない浅葱と違い、人懐っこい笑みを浮かべた鴇が蘇芳に近づいて問う。

「俺、多分同じ学校の鴇。君は?」

「…蘇芳」

「蘇芳、か。ちなみにあっちで不良みたいなのが、浅葱だから」

「おい!聞こえてんぞ、鴇」

 いつの間にか中学生を気絶させた浅葱が、バシッと鴇の頭を叩いた。怒っている、と言うよりも興味津々な様子で、蘇芳を観察する浅葱。

 見られているのが嫌で、蘇芳は言う。

「何か?」

「いや、別に。鴇、終わったんだから帰ろうぜ」

「それもそうだね。じゃあね、蘇芳」

 ランドセルを拾って、颯爽といなくなった浅葱と鴇。その後ろ姿を、蘇芳は呆然と見送ることしか出来なかった。これが蘇芳の、浅葱と鴇との初めての出逢いだった。



 その次の日から、隣のクラスのはずなのに、浅葱と鴇はちょくちょく蘇芳のクラスに遊びに来た。ガラが悪く、恐れられる存在かと思いきや、二人の周りには沢山の人が集まる。

 蘇芳とは真逆である。

「転校生、もう帰るのか?」

 校門から出る前に、一人で待っていた浅葱が蘇芳の姿を見つけて問う。目が合って話しかけられたので、仕方なく立ち止まった。素っ気なく、頷きながら蘇芳は言う。

「帰る。それじゃあ」

「ちょっと待てよ、転校生。もうすぐ鴇が来るから、一緒に帰ろうぜ」

 言いながら立ち去ろうとしたが、何故か楽しそうな浅葱は蘇芳のランドセルを掴んだ。おかげで前に進めなくなる。

「離して欲しい」

「もうちょっと待てよ。ほら、鴇も来た」

 校舎を振り返れば、全力で走って来る鴇。蘇芳と浅葱の前に立ち止まって、鴇は言う。

「ごめん!浅葱!…て、蘇芳じゃん。一緒に帰るのー?」

「そう、今日は転校生も一緒に帰る」

「いや、浅葱には聞いてないし。それよりさ、名前を呼ぼうよ。蘇芳だよ、蘇芳」

「だって俺、名前覚えるの苦手だし。転校生で通じるだろ?」

 悪気もなく浅葱は言い切った。ここまではっきり言われると、一層清々しい。思いっきり身体を捻り、浅葱から離れる。

「一人で帰れる」

 浅葱と鴇を無視して、蘇芳は一人で歩き出す。出来るだけ早足で歩いているのに、二人分の足音はずっとついて来る。

 五分ほど、無視した。

 なのに浅葱も鴇も、諦めない。バッと振り返り、眉間に皺を寄せながら蘇芳は言う。

「何か、用?」

「いや、別に。お前、いっつも一人でいるから気になっただけ」

「気にしなくてもいいよ」

 堂々と言った浅葱と、笑いながら言った鴇。ムッとして、言い返す。

「付いてこないで欲しい」

「「帰り道だから」」

 同時に言われて、一瞬理解出来なかった。

 どうやら家の方向が一緒らしい。それは知らなかった。

「なら、仕方がない」

「だろう?」

「あ、それでいいんだね。蘇芳」

 苦笑いをしつつ、鴇は蘇芳の左横に移動する。浅葱も蘇芳の横に移動して言う。

「ほら、帰ろうぜ」

「だね。蘇芳のクラスは宿題沢山出た?うちのクラスはね――」

 浅葱と鴇はいつものように、明るく蘇芳に話しかける。不本意極まりないが、立ち止まっているわけにはいかない。浅葱と鴇と共に、蘇芳は歩き出した。


 蘇芳の家。の、真横の家。そこが鴇の家、らしい。

 自分の家にさっさと帰ろうとしたが、鴇の家の前でまたもや浅葱が蘇芳のランドセルを掴んだ。

「よし、転校生。今日はお祝いに、お前も一緒に飯を食べるか!」

「浅葱、それってうちのご飯だよね?」

 言いながら、鴇は自分の家の玄関の鍵を開ける。浅葱は言う。

「いいじゃねーか。減るもんじゃないだろ」

「減るでしょ、色々」

 蘇芳の方など見向きもせず、言葉は続く。

「ごめんねー。蘇芳。浅葱は一人ぼっちを放っておけない。ただの馬鹿だから」

「おい、鴇。聞こえてんぞ」

「浅葱は、馬鹿だから」

「なんで二回も言うんだよ!」

 怒り出した浅葱から逃げるように、鴇は家の中に入った。浅葱が睨んでも、鴇は気にしていない。早く早く、と手を招く。

 無茶苦茶な理由を断りたいのに、ランドセルを引っ張られて逃げられない。

「ほら、行くぞ」

「でも…迷惑に、なる」

「ああ、それは大丈夫。浅葱なんてほぼ毎日家で食べているし」

 気にしないで、と優しく鴇が言った。誰かの家に行くのは初めて、断り方が分からない。緊張しながら靴を脱ぎ、周りを見渡す。

 蘇芳の家より狭いが、温かな雰囲気の家。

 浅葱は当たり前のように、廊下を進む。その後に、蘇芳も続いた。すっかり浅葱のペースに流されていると、浅葱と鴇が勢いよくキッチンのドアを開けた。

「「ただいまー」」

 我が家のように言った浅葱と鴇の声が重なった。鴇の家ではあるが、浅葱の家ではないはずだ。

 夕食を作っていた女性、鴇の顔と似ている女性が蘇芳達の方を見た。

「おかえり。二人とも、手をちゃんと洗いなさい。あら?今日は一人多いのね」

「友達連れて来た」

「うん、浅葱が無理やりだけど。蘇芳、て名前だよ」

「無理やりじゃねーし!」

 騒ぎだす浅葱と鴇について行けない。野菜を切っていた鴇の母親は手を止め、にっこりと笑顔を浮かべたまま近づく。笑顔のまま、なのに騒いでいた浅葱と鴇の頭に、容赦なく拳を落とす。

「話を聞きなさい。手を洗いなさい。手を!」

「「はい」」

「それから、五月蠅くしたら夕飯抜きよ」

「「…はい」」

 あれだけ騒がしかった浅葱も鴇も素直に頷いている。蘇芳の母親とは全く違う。蘇芳の母親は基本的に怒ることはないし、殴ることもない。鴇の母親の視線が、蘇芳に移る。

「君も、一緒に手を洗って来なさい」

「…はい」

 笑顔を浮かべている鴇の母親に、恐怖を覚えた。

 一応、そのことを両親に電話すると喜んでいたし、後で迎えに行くと言われた。数十分後には夕食がテーブルに並び、蘇芳は並んでいる料理に驚く。

 家で食べている料理とは、違う。

 見たことがない料理だけれど、どれも美味しかった。静かに黙々と食べる蘇芳と違い、浅葱と鴇は楽しそうに話し出す。

「でね、浅葱と最初に会ったのは保育園の時」

「一緒に敵を倒したんだよな」

「いや、敵じゃなくて、クラスの女の子を苛めていた奴ね。それも最初に手を出したのは浅葱だから」

「そうだっけか?」

 浅葱は覚えていないのか、首を傾げる。浅葱と一緒にいたら、鴇は相当苦労したに違いない。

 楽しいな、と思った。誰かと一緒に学校から帰って、一緒に夕食を食べて。そんな当たり前の時間に浅葱と鴇がいる。それだけのことが、心から楽しくて嬉しい。

 ご飯を食べながら、蘇芳の表情は笑みへと変わるのだった。



 浅葱と鴇と関わる、騒がしい日々。

 それは突然始まって、突然終わりを告げた。学校の校門、いつもなら浅葱か鴇が先に蘇芳のことを待っているが、今日はいない。

 不思議に思いつつも、蘇芳は一人で歩き出す。

 浅葱と鴇と一緒にいるのが当たり前の日々になっていたが、本来なら蘇芳は一人だった。二人が蘇芳に構っていたのは気まぐれだったのかもしれない。

 悲しくない、と言い聞かせて蘇芳は顔を伏せながら歩く。

 まるでタイミングを計ったように、人気の少ない道で中学生八人に囲まれた。そのうち三人は見知った顔で、手に持っているナイフをチラつかせている。

「ちょっと付き合えよ」

「…」

 嫌だ、と思いながらも言えない。下手に動いて大怪我をしたくもないので、小さく頷く。

 連れて行かれたのは、人気のない廃棄されてしまった工場跡地。無理やりランドセルを剥ぎ取られ、中に入っていた携帯を取り上げられる。

 どうするのか、と見守れば、中学生の一人が携帯の電話帳を探る。

「あった。浅葱の方は番号ないけど、鴇の方の連絡先は入っているみたいだ」

「早く呼び出せよ」

 げらげら笑っている中学生たちの会話。

 蘇芳が狙われることは多々あった。金持ち、それだけの理由で絡まれることがあった。距離を取るように人を避けていたはずなのに、浅葱と鴇に対してだけはその境界線がいつの間にかなくなっていた。

 忘れていた。自分から一人を選んで過ごしていたことを。

 本当は友達が欲しかったくせに、心を欺いていたことを。

 浅葱と鴇はようやく出来た、大切な友達。友達だからこそ、蘇芳のせいで二人が危険な目に遭って欲しくない。遠い昔、近所の女の子を巻き込んでしまったことがあるからこそ、その想いは強い。

 浅葱と鴇をこの場に呼んではいけない、と本能が告げた。

 蘇芳は中学生を見上げてキッと睨んで、呟く。

「返せ」

「今、何か言ったか?」

「返せ!」

 中学生の方が身長が高い。それでも負けじと携帯を奪い返そうとする。手が、届かない。コール音が、なり続けている。

 いつもは冷静なはずなのに、蘇芳は感情を抑えきれず叫ぶ。

「あいつらなんて、友達じゃない!俺とは関係ない!だから、それを返せ!」

「なんだと?」

 携帯を取り返すのに夢中で、他の中学生の動きが見えてなかった。傍にいた一人が、隙を見て蘇芳の腹を殴った。突然の攻撃に何も反応できず、あまりの痛さに腹を抱えて蹲る。

 痛い。けど、どうしても携帯を取り戻したい。

 電話をかけていた一人が、鳴り続けるコール音に飽きて電話を切った。

「ったく、出ねーし」

 言いながら、携帯を近くに投げ捨てる。

「まあ、いいじゃん。こいつも生意気だし、遊ぼうぜ」

 別の中学生が笑いながら言った。手を伸ばせば届く距離で囲まれて、蘇芳は唇を噛みしめて睨みつける。

 怖くない。怖くない、と自分に言い聞かす。蘇芳一人ぐらいなら、大人相手でもそれなりに戦えるように鍛えている。本当は人に暴力はするな、と言われているし、暴力は好きじゃない。

 緊急事態、でなければ蘇芳は戦わない。

 ゆっくりと戦闘態勢になった蘇芳を見ても、中学生達は余裕の顔を崩さない。一対八、で負けると思っていない中学生から、蘇芳は視線を外さない。

 誰か一人が動けば、その瞬間に殴り合いが始まる。緊迫した空気が流れて、背中を冷たい汗が流れた。

 ごくりと唾を呑み込んだ。中学生の一人が蘇芳に一歩近づく、その瞬間。

 金属のぶつかる音が、響いた。

 蘇芳を囲んでいる中学生達の後ろ、近づいて来る足音が二人分。中学生の何人かは振り返る。

 すうっと息を吸いこんだ浅葱が、金属バットを持って叫ぶ。

「馬鹿蘇芳!誰が関係なくて、友達じゃないだよ!七十八パーセントくらいは俺が確かに無理やり誘ったけどな!お前だって、楽しそうに飯食っていただろうが!んでもって、あんなに仲良くなって、今更友達じゃねーとか言うんじゃねーよ!!!」

「浅葱、どっからその変な数字を出したんだか」

 浅葱の隣に、呆れた顔の鴇もいる。同じく金属バットを持って、中学生達に笑みを見せる。

 どうして、ここにいる。

 いつから、傍にいた。

 驚いている蘇芳の頭は真っ白で、何も考えられない。中学生達も驚いているので、鴇が笑顔で話し出す。

「いやー、皆さん。馬鹿な中学生達みたいで、俺は心底安心しました。跡を付けても気が付かないし、蘇芳を囮にするとか、浅知恵過ぎですよ。たまにいますけどね、俺らと関わった人の逆恨み、とか」

 迷惑だ、と言わんばかりに鴇は言った。

 蘇芳に対して怒っていたはずの浅葱は、叫んで落ち着いたのか。でもさ、と言う。

「蘇芳が巻き込まれた原因の一つに、鴇が日直だったことも含まれるよな」

「え?いや、俺のせいじゃないでしょ。それ、違うでしょ!?」

「鴇のせいだろ?」

「ちーがーいーまーすー!」

 馬鹿な話で盛り上がる浅葱と鴇。呆気に取られた蘇芳を置いて、中学生の一人が浅葱に向かって走り出す。それを合図に、会話が途切れた。

 浅葱は迷うことなく、持っていたバットを振った。

「話の途中なんだよ!!!」

「相変わらず、理不尽だね」

 怒る浅葱と笑う鴇。動かなかった蘇芳と目が合った浅葱が、思いっきり息を吸いこんだ。

「ってかな!戦えるなら戦え、蘇芳!」

「…なんで」

 そんなことを言う、と訊ねることを浅葱は許さない。

「いつも見ているだけじゃなくて!一緒に戦いやがれ!お前なら出来るだろ!」

 出来ない、とは言わせない。浅葱は蘇芳が戦えることを知っているのだと、確信して言った。八人なんて敵ではない、と言わんばかりに浅葱も鴇は戦い始める。

 誰も蘇芳の相手をしない。

 二対八なのに、圧倒する強さで戦う二人。鴇は器用に金属バットを振り回すが、浅葱は途中で投げ出して殴り出す。

 中学生の一人が、隠し持っていたナイフを取り出した。

 その前に、蘇芳の身体は勝手に動いた。後ろからナイフを持っていた右手首を締め上げ、そのまま地面に押し倒す。中学生の悲鳴が、その場に響く。

 浅葱の言う通り、別に勝てない相手ではない。

 不思議なのは蘇芳のことを知っているような口ぶりと、その浅葱と鴇の得体の知れない強さ。

 少し仲良くなったぐらいじゃ、二人のことはよく分からない。分からないから、二人のことを知りたい。まずは中学生達を倒してから、話をしよう。そう、思って二人に加勢するのだった。


 ボロボロになった蘇芳は、問答無用で鴇の家に連行された。

 浅葱は何故か蘇芳と一緒だと居心地が悪そうで、鴇はそんな浅葱と家に帰ろうとしていた蘇芳を引っ張って家に連れて帰った。

 鴇の家にやって来て、鴇の母親に雷が落ちたような勢いで怒られた。正座をさせられ、仁王立ちになった鴇の母親に怒られている間は、誰もが頭を上げられなかった。

 感情に任せて怒った鴇の母親は、蘇芳達三人を置いて、近所まで買い物に行ってしまった。

 残ったのは正座のままの浅葱と鴇と蘇芳。それから、蘇芳達のために用意されていた夕食。

「…とりあえずさ、ご飯食べる?」

 気まずい雰囲気を壊そうと、鴇が提案した。蘇芳は小さく頷くが、浅葱は何も言わずに席に座る。

 頬を膨らませ、怒っているようにも見える浅葱は、さっきから蘇芳に対して何も言わない。浅葱の目の前に鴇が座り、その隣に蘇芳も座った。

 いただきます、と食べ始めたのは蘇芳と鴇で、浅葱は腕を組んで料理を睨みつける。

 浅葱の態度を見た鴇は、呆れたように言う。

「浅葱、いい加減ご飯食べなよ」

「…食が進まない」

「あのね。蘇芳に言いたいことがあるんだろうから、さっさと言えばいいでしょ」

「…分かっているけど」

 不貞腐れている浅葱。蘇芳の食欲もなくなって、箸を止めた。

 浅葱と気まずいままは嫌で、蘇芳は小さく、ごめん、と呟く。

「俺が巻き込んだから、怒っているんでしょ?」

 蘇芳の言葉に浅葱は顔を上げた。その顔は少し驚いていて、それから唸りながら言う。

「あー、もうー…ちげーよ!さっきも言ったけどな。七十八パーセントぐらい、俺が巻き込んだと思うし、悪いと思っているんだよ!でもな、友達でもないとか言われたから…徐々に落ち込み始めたと言うか。俺だけが勝手に友達だとか勘違いしていた、と言うか」

 段々と声が小さくなっていった。

 怒っていたわけではなかった。拗ねていたのだと、ようやく気が付いて蘇芳は恐る恐る訊ねる。

「友達で、いいの?迷惑じゃない?」

「迷惑だったら、最初から関わったりしないよ」

 軽く言い返した鴇は、優しげな笑みを浮かべていた。鴇から視線を浅葱に移せば、バツが悪そうな顔になって言う。

「俺、最初から友達だと思っていたし」

「浅葱はいっつも、優しい言葉の一つも言えないよね」

「うっせ」

 ぶっきらぼうに言って、浅葱が料理を食べ始める。食べているうちに、いつものような笑みに変わった。

「あー、やっぱ。飯上手いよな」

「浅葱ってさ、ちょっとしたことでいつも食欲失くすから。分かりやすいよね」

「うるせーな、鴇。蘇芳、お前も小言言われる前に早く食べた方がいいぞ」

 蘇芳を認めてくれる友達。明るくて、幸せな空間。

 ここにいていい、そう言われた気がした。だから、自然と言葉が口から漏れる。

「ありがとう。浅葱、鴇」

「「どういたしまして」」

 重なった声に、泣きそうになった。涙を耐え、蘇芳はゆっくりと食事を再開するのだった。



 その日を境に、浅葱と鴇とよく話すようになったし、蘇芳の方からも話しかけるようになった。いつものように三人で帰りながら、ずっと気になっていたことを訊ねる。

「どうして二人は喧嘩が強いわけ?」

「一言で言うと、浅葱のお母さんの趣味のプロレス。その実験体で色々身に付けた、かな」

「お前はまだマシだろうが、俺なんか未だに実験体なんだぜ」

「へ、へえ」

 予想外過ぎる回答に、少し引く。じゃあ、ともう一つ質問を続ける。

「浅葱は何で、俺が戦える、て気が付いたの?」

「最初の時から、怖がってなかったじゃねーか」

「でも、戦えるかまでは分からないと思う。普通」

「蘇芳の場合、妙に落ち着いていたから。あとは、ただの感」

 素っ気なく、言った。ふーん、と相槌を打つ。蘇芳と浅葱の会話を聞いていた鴇が、にやにやとした顔になって言う。

「それにしても、浅葱。蘇芳を助け出しに行ったあたりから、ちゃんと名前を呼ぶようになったよね」

「あー…そうかもな。気にしてなかったけど」

「いやー、浅葱がちゃんと名前呼ぶとか。ようやく二人目。泣けるわ」

 言いながら、頬から流れない涙を拭うフリをする鴇。

 二人目、と言うことは。もう一人は、蘇芳の隣にいる人物で間違いない。

「…なんで、名前を呼ばないの?」

「「覚えてないから」」

 浅葱と鴇が同時に言った。

「あ、そう」

 おかしい、絶対におかしい。と思うのに、それは言ってはいけない気がする。そもそも浅葱と鴇にとって何が普通で、何がおかしいのか。二人といれば徐々に感覚が麻痺して、日々が過ぎていくに違いない。

 とりあえず、確実に言えることは一つ。

 人の名前を覚えない浅葱は、相当馬鹿なのだろう。そう思って、蘇芳は心の中で笑った。 




 そんな浅葱と鴇と一緒に過ごすようになって、突然浅葱が地元の中学には行かない、と言い出した。鴇は何故か浅葱について行く、と言った。そんな二人と離れるのが嫌で、必然的に蘇芳も同じ道に進むことになったのが、訓練生の学校に入るきっかけ。

 訓練生として入学した学校で、強そうな人間を直感的に感じた浅葱センサーのせいで、蘭とも知り合うことになる。

 それから随分時間が過ぎたというのに、根本的な浅葱の性格はちっとも変わらない。

 ちょっとしたことで、食欲を失くす。それはいつものことで、蘇芳は目の前の浅葱に言う。

「浅葱、早く食べ終われば」

「いや…だってさ」

「言い訳はいいから。俺、先に図書館で勉強している鴇のところに行くから」

 もう放っておこう、と蘇芳は席を立つ。

 悩んでいる浅葱には悪いが、蘭が浅葱を避ける理由を蘇芳は知っている。

『あのね、蘇芳。浅葱の誕生日を盛大に盛り上げようと思うのだけれど、どうかしら?』

 そう言って、心底楽しそうに笑っていた蘭を見たのは数日前のこと。

 本人曰く、浅葱に会うとサプライズがばれてしまいそうだから、会わない。と、柘榴や希、ほか多数の人間に手伝ってもらって、本部では着々とパーティーの準備が進んでいるはずだ。

 浅葱は今日が自分の誕生日だと気が付いていない。普通、自分の誕生日を忘れるだろうか。

 本当に昔から、浅葱は馬鹿だな、と再確認した。そんな馬鹿な友人のことを思いながら、蘇芳は軽い足取りで歩き出すのだった。


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