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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第1章
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04 出発編01

 柊に追い出されたのは、苺だけ。部屋に残っているのは話を聞く姿勢を見せた柘榴と、その右隣で未だ呆然としている希。

 その目の前に座って、眉間に皺が寄せながら睨む蘭と一人だけにこやかな笑みを浮かべた柊。

「まず、自己紹介しようか。俺は柊、それで俺の部下の蘭ちゃん」

 隣にいた蘭の肩を叩けば、その瞬間に冷ややかな目線を送られる。ほんの少し、柊は蘭の視線から逃げるように距離を取る。

「君たちは、柘榴くんと希くんで間違いないかい?」

「まあ」

「そう、ですが…」

 曖昧な返事で返した柘榴と希。希の方をちらっと見ると、柘榴より不審な視線で二人を見ている。

「どうして私達のことを知っているのですか?」

 希の素朴な疑問に、答えたのは蘭だった。

「貴方達が、ラティフィスの可能性があるからよ」

「だから、ラティフィスって何?それから、ラティランスについても説明が欲しいんだけど…」

 さっきから話に出てくる単語、ラティフィス。意味が分からないから、柘榴が訊ねる。一瞬目が合った蘭はすぐに目を逸らし、不機嫌そうな顔で説明してくれる雰囲気は一切ない。

「まずは、最初に確認させてほしい。君達は宝石を持っているかい?」

 柊の言葉にいち早く反応を示したのは柘榴だった。少し身体を震わせた柘榴の左手が、右わき腹を押さえる。一瞬だけ、顔が固まってしまったが、誰もそれには気が付かない。

 全く意味が分からない希だけが、首を傾げて悩む。

「宝石、って何ですか?」

「貴方も持っているはずよ。さっき力を見せたじゃない」

 当たり前のように蘭に言われても、希は先程の現象が何故起こったのかよく分からない。柘榴にも蘭の剣を見えない何かが阻んでいたことしか、分からなかった。

「それと、関係しているの?」

 ギュッと右わき腹を押さえて、その感触を確認した柘榴は問う。

 柊に目配せをした蘭が着ていた上着を脱ぐ。真っ白なワンピース姿の蘭は、半袖を捲った。その左腕に付けていたリボンを取る。

 そこに現れた宝石、アクアマリン。

「あ、宝石」

「綺麗ですね」

 思い思いの感想を述べた柘榴と希は、アクアマリンに目を奪われる。

「宝石を持っている人間を、組織の中ではラティフィスと呼ぶわ。ラティランスを倒す力を持っているのよ」

 事務的な説明をした蘭は、アクアマリンを隠すようにリボンを付け直す。蘭の話を引き継ぐように、柊が話し出す。

「ラティランスと言うのは、柘榴くんが倒した黒い怪物のことだ。黒い瞳の宝石を持った怪物で、今回は狛犬や獅子のような姿だったが。五年前の時は、鬼。それから、他にも様々なラティランスが目撃されている。柘榴くんは結紀くんと共に、他のも見たことがあるよね?」

 結紀、と聞き慣れない名前の人物を、ああ、と思い出す。

 神社で襲ってきた黒いウサギ、普通ではなかったあのウサギもラティランスだったのだと認識する。

「あのウサギも?」

「ラティランスだよ。結紀くんから報告は受けている。今までは小動物が暴れる程度のものだったが、今回のことは正直予想外の出来事だった」

 隣に座っている希はよく分かっていない様子で柘榴の方を見ているが、柘榴はそれすら気が付かずに質問を繰り返す。

「五年前から変わらずに、日本は破壊され続けていたっていうこと、ですか?」

「そうじゃない。五年前の鬼以来、人が死ぬほどの大きな被害は起きていなかったんだ。五年経った今、またラティランスの活動が活発して来たかもしれない」

 重みのある言葉に、部屋の空気も重くなる。

 その空気を破ったのは、希だった。

「それで、組織ってなんですか?」

「ああ、それも説明しなきゃだったな」

 ポンと手を叩いた柊が、鞄の中から紙を取り出す。

 数枚綴りの様子の表題には【組織】と堂々と書かれていた。それを柘榴と希に差し出し、その中身を確認する。

「通称、組織。ラティランスを倒すために五年前に出来た組織だ。ラティランスの存在自体が世間には知られないように配慮されているからさ。組織の存在も一般人は知らないのが当たり前」

 紙を捲れば、組織の存在意義。目的、などがずらりと書かれていた。

 全部を読むのには時間が掛かりそうだ。

「結論をまとめるとさ…」

 紙に目を通していた柘榴と希が顔を上げる。にんまりと笑った柊と目が合う。

「君達を組織にスカウトしたいんだ。ラティランスと戦う、戦力としてさ」

 サラッと言ってのけた事実は衝撃的過ぎて、柘榴と希はポカンと口を開けてしまう。

 それは柘榴と希だけじゃなくて、それ以上に衝撃を受けていたのは蘭だった。

「何、言っているのよ…」

 絶句した蘭が、ようやく絞り出した声は掠れていた。

 柊は飄々と言葉を続ける。

「君達がラティフィスとして組織に来るのなら、必要なものは全て支給する。権限も与えるし、基地では快適な暮らしが出来るように保障する」

「命の保証が出来ないでしょうが!」

 バンッと机を叩いた音が部屋に響く。

 誰よりも早く、怒った蘭の顔は怒り狂い、今まで見た顔で一番怖かった。

「まあ、そうだな。戦える力がつくまでは後方支援になるかもしれん。だが、勿体ないとは思わないかい?人を助けられる力を、ラティランスと戦える力を君達は持っているんだ」

 柊の声は真剣そのもので、柘榴はその力を持っていることも自覚している。自惚れかもしれないが、戦えないことはない、と思う。

 恐る恐る希が手を上げる。

「あの…。私にそのような力があるとはどうしても思えないのですが。それに宝石と聞いてもやはりピンときませんし…」

 先程、確実に蘭の剣を止めた希は、それを自分の力だとは思っていない。実際にラティランスを倒している柘榴と違って、実感がない。

 蘭の苛立ちが増える。希にその気がなくても、ラティフィスであることは間違いないのは柘榴だけが知っている。何より柘榴は希の宝石をすでに見ている。

 そして、宝石を持っているのは柘榴も同じ。

 柘榴が五年前から隠していた事実は、もう隠さなくてもいいのかもしれない。

「確認しましょう。宝石、持っているの?」

 睨みを効かせた蘭の眼差し。さっさと帰りたいのか、この話をはっきりさせたいのか。蘭の口調は鋭い。

 唇を噛みしめて、柘榴は服の下に手を伸ばし、貼っていた絆創膏の上からその存在を確認する。

 言わなければ分からないかもしれないけど、それでも柘榴は知りたい。自分のこと、宝石のことを、だから言うべき言葉は自然と出た。

「私は…赤い宝石を持っています」

 静かに響いた言葉に、柘榴は真っ直ぐに柊と蘭を見据えて言う。

 立ち膝になると同時に、蘭と柊に見せるように制服を捲り上げた。

「これ、ですよね?」

 柘榴の右わき腹に、赤い宝石。柚の心臓と柘榴の右わき腹を貫いたラティランスの攻撃の後に現れた、燃えるような赤の透き通った宝石。

「…本当に持っていたのね」

「これで、柘榴くんの方は確定か」

 悔しそうに顔を歪ませた蘭、少し驚いた柊。

 誰にも言わず、知っているのは母親だけ。

 隣に座っていた希の瞳にも、その宝石が映る。

 蘭の澄んだ青の宝石とは違い、深紅と言う言葉が似合う柘榴の宝石。傷を埋め、半径五センチの宝石が、埋め込まれた身体。

 それが、柘榴。

「柘榴さん…その宝石は?」

「ちょっと、ね。隠していても仕方のないことだから」

 力を発現させた時点で、もうこうなる運命だったのかもしれない。

 今日まで誰にもばれなかったのは、ある意味奇跡だった。

 希の宝石のことを言うか、迷ったのは一瞬だけ。言わなかったから、それで希が戦いに巻き込まれないわけがない。

 ここまで蘭と柊から説明を聞いてしまえば、巻き込まれているのだ。

 それなら、と柘榴はそのまま言葉を続ける。

「希ちゃんも宝石あるよ。首近くの背中辺りに」

 ここ、と言って希の宝石が見えた個所を指し示す。髪の毛をずらして、希自身が右手でその宝石の感触を確かめる。

 肌ではなく、温かいのに固い感触。希が触れると、少しだけ緑の光を放つ。淡い緑の宝石。

「…本当に、何かありますね」

「まあ、そんな場所にあったら気が付かないよね」

 あはは、と笑う柘榴。困惑し始めた希を他所に、蘭は深くため息をついた。

「なんで、本人が知らないことを赤の他人が知っているのよ」

 無断で入った部屋で見つけた、と言うのは勇気がいるので、笑って誤魔化す。

 声がひっくり返らないように、希の方は見ることが出来ないまま柘榴は言う。

「…ぐ、偶然?気が付いた、だけだよ?」

 全く説得力のない柘榴の言葉に、希は首を傾げるばかりである。

 そうか、と小さく呟いた柊の言葉は蘭にしか聞こえなかった。少し悲しそうな顔をした柊の表情に気が付いたのは隣に座っていた蘭だけ。

「希くんも、ラティフィス確定だな。ということで、二人とも組織に来てくれないかい?」

 何としてでも来てほしい、と言う柊の言葉。

 顔を合わせた柘榴と希は、どう言えばいいのか回答に困って口を閉ざす。

「断りなさい」

 蘭の声が部屋に響く。

「組織に入る必要なんてない。貴方たちは、いらない」

 揺るぎない決意。要件を言い終えた蘭は、一足先に部屋から出て行く。

 残された柊が、やってしまったという顔になる。

「ごめんね。気まずい雰囲気にしてさ。とりあえず、考えてくれないか?」

 そう言いながら、テーブルの上に置かれた一枚の紙。柊が殴り書きで書いた、一枚の紙きれ。

「一応、連絡先は置いて行く。気持ちが固まったら、連絡をくれ」

 それじゃあ、と言って柊は立ち上がる。柊は一度も振り返ることなく、部屋からいなくなってしまう。

 何も言い返せない柘榴と希は、その後ろ姿を見送る事も出来なかった。


 柊がいなくなってから、そのあとすぐに希も席を立った。

 一人で考えたいと言った希が部屋から出て行って、残された柘榴は畳の上に寝っ転がる。何をするわけでもなく、横になって考える。

「組織に、か…」

 どうしたいか。

 どうするのが正しいのだろうか。

「おねえ?」

 そっと襖を開けた苺の呼ぶ声に、首を回す。部屋に入っていいのか迷っている顔。

「あ、苺。どうかした?」

「お話終わったみたいだから、もういいかなって」

「いいよー」

 返事をしながら、起き上がって座り直す。どうやらお茶を持って来てくれたようで、お盆の中には四つの麦茶。グラスの周りは水滴が零れ落ち、底に水が溜まっていた。氷は半分以上溶けてしまっている。

 お盆をテーブルに置いて、苺は柘榴の向かいに座るとグラスの一つを差し出す。

「はい」

「ありがと」

 何か言いたそうな苺は、視線を泳がせながら麦茶を口に含む。

 柘榴は手渡された麦茶を半分ぐらいまで一気に飲み干してしまった。

「うま」

 案外喉が渇いていたのだと認識する。

 残りの麦茶も飲み干してしまった柘榴を見ていた苺が、小さく呟いた。

「…おねえ、いなくなるの?」

 真っ直ぐに、今にも泣きそうな瞳で見つめられて、うっと言葉に詰まる。

「苺、話聞いていたの?」

 グラスをテーブルに置いてから、柘榴は質問には答えずに尋ねる。

 目を伏せた苺は、一度確かに首を縦に振った。

「悪いことだってのは、分かっていたよ。でも、話の内容が気になって…」

「そっか…最初から聞いていたわけじゃないよね?」

「…誘われているところあたりから」

 その話は後半だったはずだと、曖昧な記憶で確認する。

 苺はずっと不安そうな顔をしていて、どうにかしなきゃと思うのに言葉が出てこない。こういう時、どう言えばいいのか、分からない。

「その、まだ決まったわけじゃないんだよ?」

「それでも、おねえの気持ちは決まっているんじゃないの?」

「え?」

 中々鋭いことを言われて、顔が引きつる。

「その顔…やっぱり」

 諦めたように、苺は顔を伏せた。泣いているのか、と思うと申し訳ない気持ちになる。泣かせた気分だ。悪いことをしたわけではないが、泣かせると思わなかった。

 右手を頭に当てて、考える。ふりだけしてみる。

 それから、本音がサラリと口から滑った。

「いや、だって特別な力があるとか言われたら行きたくなるじゃん?」

「ならないよ!」

 叫んだ苺はすでに目が真っ赤で、止めどなく流れる涙を拭わない。

 適当に答えたつもりはない。嘘を言っても仕方がないことだから、諭すように大真面目な顔で柘榴は言う。

「昨日みたいなことをさ、知らないからで何もしないは間違っていると思うんだ。苺だって、誰かが助けを求めていて、手を差し伸べない人じゃないでしょ?」

 柘榴の言葉に唇を噛みしめて、必死に涙を止めようとしている苺の顔を見て笑いかける。

 苺なら、分かってくれると信じて言葉を続ける。

「大丈夫だよ。私は帰って来る。何があっても、絶対に帰って来るからさ…柚やお父さんみたいにはならないよ」

「っ!」

 最後に小さく呟いた言葉が合図になったように、声を上げて泣き出してしまった。 

 よしよし、と腕を伸ばして苺の頭を撫でる。嫌がる素振りを見せずに、撫でられるままの苺。泣かせるつもりはなかったけれど、やっぱり泣かせることになってしまった。

 それでも、行かなければいけないと決意は固まる一方だった。



 部屋から出る時に、希は置いて行かれた紙切れをそっとポケットに突っこんでから部屋を出た。

 柘榴は気が付いていなかったのか、気が付いて何も言わなかったのか。それは分からないが、その紙きれを持って真っ直ぐに目指した場所は借りている一室。

 その一室に置かれている子機の電話。

「…よし」 

 正座をしたまま深呼吸を繰り返してから、意を決して電話番号を押していく。

 ゆっくり、一回一回確認しながら電話番号を押す。

 数回のコールの後で、電話の相手の呑気な声が聞こえた。

『もしもーし、どちら様ですか?』

 その声があまりにも陽気そうなので、申し訳ない気持ちになる。

「すみません、先程の希ですが…」

『え…連絡早くない!』

 電話越しでも相手の驚いている顔が思い浮かべられる。

 気持ちが決まったわけではなく、用件を聞きたかっただけなので誤解を解かなければならない。

「先程、聞けなかったことを聞きたくて…」

『ああ、そういうこと…何かな?』

「あの…」

 喉が乾燥して、声が一瞬詰まる。それでも、どうしても聞きたかったことがある。

 どうしても確認しなければならないことがある。

「さい、しょの街も、ラティランスに関係していますか?」

 その答えを聞くのが怖い。怖いけど、聞かないと話が進まない。希の心情を知らない柊は、あっさりと答えてくれる。

『最初の街?…ああ、昨日の被害地区かい?今、軍の方で生存者確認を行っているところだが…被害が大きくてな。もしかして、知り合いがいるのか?』

 知り合い、ではない。

 あの街は希の住んでいた場所だから、知り合いだけじゃない。家族も家もあの場所にあったのだから。

 落ち着け、と言う言葉を何度も心の中で繰り返す。

 間を置いて、希は尋ねる。

「知り合い、もいます。あの街に行くことはできますか?」

『街に、かい?それは…少し難しいかもな。あそこは軍の管轄だから、一般人があの場所に足を踏み入れるのは…組織に入れば一回くらいなら行けるかもしれないが。なんて言って、君を誘うのはルール違反かな?』

 冗談交じりの柊の声。

 でも、希は冗談に聞こえなかった。

 街に、家に行ける。それが叶うのならば、今なら何でも条件を飲むだろう。

「分かりました」

『…え?』

「私は組織に行くことになっても構いません。私に出来る限りの力はお貸しします。ですから、一度街に行かせてください。お願いします」

 電話の相手に希の姿など見えないけれど、頭を下げてお願いする。

『え、いいのかい?』

「お願いします」

 柊に聞き返された言葉に、有無を言わせない口調ですぐさま言い返す。

『まあ、君がそれでいいなら俺は何も言わないが…』

 蹲った状態で、電話は続く。迎えに来る日時と最後にもう一度意志を確認されて、電話は呆気なく終わった。



 客間の襖をノックする。

 中に希がいると思ったのに、返事がないのでもう一度ノックしてみてから部屋の中を覗き込んでみた。

 部屋の片隅で蹲った希の姿。そのすぐそばに電話の子機が置いてあり、希は膝を抱えていた。

「…希ちゃん?夕飯出来たから、呼びに来たんだけど…」

 少し大きめな声で、柘榴は言う。

 柘榴の声に一瞬、ビクッと身体を震わせた希は顔を上げないままボソボソと呟いた。

「お腹、減っていませんので」

「それ、身体に悪いよ」

 思わず言い返した柘榴の声に、反応はなく。動こうとしない希。

 何かあったのかな、と部屋の中に足を踏み入れる。希の横に座り込んでみるが、希は何も言わない。数センチ離れた距離、希の方は見ないようにして柘榴は言葉を選びながら言う。

「何か、あった?」

「…いえ」

 希の一言で嘘だと確信する。近くで聞けば、希の声が涙声だとはっきり分かった。

「私じゃ頼りないけどさ、力になるよ?」

 笑顔で笑いかけてみるが、全く反応なし。見てもくれない事実に、悲しくなる。

 柘榴の方も膝を抱えて、泣きたくなった時に小さな声が柘榴の耳に届く。

「最初に、ラティランスに襲われた街が…」

 希の声に柘榴は考える。

 最初、テレビで何度も流れた破壊された街。ここからそう遠くない場所にある、街。

「そこに、私は兄と一緒に住んでいて。街に連れて行ってもらう代わりに、組織に行くと言う交換条件で、明日近くの学校にヘリコプターで迎えに来てもらうことになって、それで…」

「わぁぁあ、ちょっと待って!話が飛び過ぎて追いつけないから!」

 大慌てで希の話を中断させる。少しだけ顔を上げた希の顔は、涙が頬を伝っていて、それでも泣かないように堪えた表情。

 希を落ち着かせようと言うよりも、柘榴が落ち着くために一つずつ確認をする。

「えっと…希ちゃんは襲われた街に住んでいたんだよね?」

「…はい」

「それで、なんでそこから組織に行くことに?」

「あの街は一般人じゃ入れないので、組織に入れば行けると言われたので」

 納得出来るような、出来ないような理由で柘榴は唸りながら話を続けることにした。

「それで、明日?」

「貰った連絡先に電話をしましたら、明日と言う話に落ち着きました」

 そう言う希の顔も随分落ち着いたようで、深く呼吸を繰り返して張りつめていた肩の力を抜いた希。

「…なるほど。じゃあ、私もそれに便乗しようかな」

「え?」

 簡単に言ってのけた柘榴の言葉に、今度は希が驚く番。何を言っているのだと、その表情は物語っている。驚いた顔の希が言う。

「柘榴さんには、行く理由は…」

「だって、戦う理由はあるでしょう。皆を守りたい、それだけだよ」

 揺るぎない意志をはっきりと示されて、でも、と希は言葉が詰まる。

「…ここには、柘榴さんのご家族が――」

「大丈夫、大丈夫。何とかなるって」

 よし、と言いながら立ち上がった柘榴の表情は晴れ晴れしていて、すでに行く気満々。希の手を掴んで立ち上がらせる。

「んじゃ、まずは夕飯で。夜は私の部屋で作戦会議をしよう」

「え、え?」

「今日の夕飯はハンバーグだよ」

「柘榴さん!?」

 楽しげな柘榴は、戸惑う希を引きつれてキッチンに向かうのだった。



 夕飯を食べ終え、希を部屋に招待した柘榴。希の布団を持って来て、お互い布団の中に入ったところまではよかった。

「なんで、今日に限って苺まで私の部屋に来るのよ」

「だって、明日には希さんは軍に保護されてこの家を出て行くんでしょう?おねえばっかり一緒に寝るなんてずるい」

 可愛く言っている苺は、柘榴のベッドも壁側でそんなことを言いながらすでに寝る体制。

 柘榴と苺の会話が可笑しくて、希はクスクス笑う。仕方がないなあ、と言いながら布団をかけてあげる柘榴の優しさに希は温かな気持ちになる。

 希は明日の朝、保護と言う理由でこの家を出て行く。

 柘榴は自分も行くとは言えずに、夜になってしまった。

 柘榴の部屋でくだらない会話をしていると、いつの間にか寝てしまった苺の寝息を確認してから、柘榴はベッドから抜け出した。

「…柘榴さん?」

「まさか苺が部屋に来るとは思わなかったからさ。明日の準備を」

 音を立てないように、こっそりと鞄に詰め込み始める柘榴。起き上がった希が、その様子を目で追って、じっと見ていたのだけれど。

 もう一人、その様子を見ていた。

「おねえ、何やっているの?」

「げ」「あ」

 柘榴の声と希の声が重なる。二人が振り返った先に、頬を膨らませて、ベッドから出ないで頭から毛布を被っている苺の姿。

 確実に怒っているその顔に、柘榴の手が止まる。

「お、おはよう、苺。まだ…深夜二時だよ」

「そんな時間に、なんで荷物を詰めているの?」

 服を詰めていた柘榴は、詰めていた服をそっと取り出す。

「…違うよ。片付け?」

「こんな時間に?」

「うん!」

 満面の笑みで言ってのけた柘榴の反論は、即座に冷ややかな視線で返される。柘榴が希に助けを求めてみるが、希は気まずそうに目を伏せて合わせてくれない。

「おねえ、まさか…」

 ジッと見つめられて言い逃れできない。冷や汗を流しながら、柘榴は勢いよく頭を下げる。

「ごめんなさい。明日希ちゃんと一緒に行こうと思います!」

「聞いてない!」

「言ってないもん!」

 一方的のまくら投げ、ぬいぐるみ投げが始まった。苺が適当に近くにあるものを投げるので、柘榴はそれを必死に受け止める。

 被害に遭わないようにそっと壁際に逃げた希にまで、時々飛んで来るぬいぐるみ。

「…五月蠅くすると、皆さん起きてしまいますよ?」

 そっと呟かれた希の言葉に、ようやく苺の動きが止まる。

 悔しそうに顔を歪めて、苺の標的が変わる。

「希さんも酷いです!どうして、保護なんて嘘をついたんですか!」

 一気にベッドから抜け出して、希の目の前に移動した苺。希の両手を握りしめて、さっきよりは小声で言い寄る。

「組織に行ったら戦うことになるんですよ!馬鹿なおねえはともかく、希さんまで行かなくても!」

「…柘榴さんはいいのですか?」

 思わず尋ねた希の言葉に、だって、と言葉を詰める。

「もう、私にはおねえは止められなかったんです」

 あはは、と呑気な声で笑う柘榴。話の途中から鞄に服を詰める作業を再開している。

 苺はそんな柘榴を一回睨みつけたが、柘榴は全然気にしていない。

「大丈夫だって、希ちゃんのことは私が守るから」

「そういう問題じゃないの!もう、知らない!」

 怒った苺は希から離れてベッドに戻る。布団の中に潜って、丸まった。

 姿を隠した苺に、柘榴は仕方がないと言う顔で希に笑いかける。希は困っている様子だけれど、そんな希に話しかけながら服以外の小物類を鞄に詰める。

「希ちゃん、ドライヤーとかいるかな?」

「必要ないのではないですか?」

 目が覚めてしまった希が、柘榴の荷造りを手伝う。


 あれやこれやと話していると、小さな声が届く。

「おねえ。希さん」

 布団に顔を埋めながら、聞こえた声に柘榴と希は首を傾げながら続きを待つ。

「どうしたの?」

 優しく柘榴が問いかければ、壁を向いたままの苺が泣きそうな声で言う。

「…絶対、死なないで。生きて帰って来て」

 苺は、それ以上言わない。ただ、約束だからね、と続きを言って黙った。柘榴と希は顔を合わせて、それからお互いにっこりと笑った。

「私は世界を救う!」

 ダンと片膝を立てて宣言する柘榴。そんな柘榴を希は微笑ましく、手を叩いて応援する。

「ふふ、柘榴さんかっこいいですね」

「希ちゃんのことも守るよ?」

「では、私は柘榴さんを守りますよ。まあ、今は荷造りが先ですが。このままでは、明日起きることが出来なくなりそうですし」

 ものすごく眠たそうな希の顔。目を擦りながら手伝ってくれる希に申し訳ない気持ちになる。

「希ちゃんも寝ていいよ?」

「いえ、お手伝いします。お手伝いしないと終わらなそうですから」

 そう言われると言い返せず、柘榴も終わらせられる自信がない。苺は寝たふりを続けて、それから暫くすると部屋に寝息が響いた。

 希に手伝ってもらって、無事に荷造りが済んだのはそれから二時間後だった。



 朝方五時まで起きていた柘榴と希。

「朝ですよ!希さん、約束の時間まであと三十分ですよ!」

 苺の声で起きたのは柘榴の方だった。ぼんやりする頭で、柘榴はゆっくりと身体を起こす。

「いちご?今、なんじ?」

「九時半!約束の時間は十時でしょ!」

「寝過ごした!!!」

 布団を投げ捨てて部屋の中を駆け回る。クローゼットを開ける、と。

「服がない!」

「…昨日鞄に詰めてたんじゃないの?」

「あ、そっか。とりあえず、制服でいいや」

 壁に掛けてあった制服を手に取って、着替えながら希の様子を確認する。

 寝ている。物凄く気持ちよく寝ていて、起こすのが申し訳ないほど素敵な寝顔の希。

 それでも布団を勢いよく剥ぎ取って、希を起こすしかない。

「起きろ!希ちゃん!」

「あと、ごふん、だけぇ」

「遅刻するよ!!!」

「おねえ、容赦ない…」

 寝起きの希を無理やり立たせ、希の制服を前に差し出す。

「ほら、これに着替えて」

「はぁい…」

 何度も目を擦りながら、希はゆっくりと着替えを始める。テキパキと行動し始める柘榴と対照的に寝ぼけた希の様子を、苺は驚きながら眺めていた。

 昨日の荷造りの声からして希の方がしっかりしていたのに、形勢が逆転している。

「苺、あと何分!」

「えっと、あと二十分くらい?」

 柘榴の部屋に掛かっている時計の時刻は、九時四十分。

「家から学校までチャリで十五分。朝ご飯を食べる時間はないから――あー、でも!希ちゃんはチャリがないから倍の時間がぁああ!」

 部屋の中で叫び出す柘榴。苺は呆然とその様子を見ながら、苦笑いを浮かべていた。

「お母さんが、車で送ってくれるって言っていたよ?」

「ナイス!じゃあ、朝ご飯を食べられる!けど、そうしたら鞄はどうやって運べばぁああ!?」

「…その大声で、下まで響いているんだけど」

 呆れた苺の声は、大慌ての柘榴と希には聞こえていなかった。


 車の中は何とも言えない空気で、柘榴は身体を小さくしていた。

「それで、柘榴。お母さんとおじいちゃんに言いたいことはないかしら?」

 氷点下の声で車を運転する母親の声。

 助手席に座って無言の祖父よりも、運転しながら話しかけてくる母親の方が、数倍怖い。柘榴の隣の希も、居心地悪そうに顔を伏せている。

「希ちゃん、貴方に保護されに行くのよね?」

「は、はい?」

 裏返った声の希。高すぎる声は不自然すぎる。

「じゃあ、なんで柘榴まで荷造りしていたのかしら?知っているかしら?」

「ぞ、存じ上げません」

 バックミラー越しに見つめられた希は、精一杯答える。

「そう、柘榴。言いたいことは?」

「…えっと」

「貴方まで行って、何するの?」

 正直に答えるべきか、嘘を貫くべきか。頭の回らない柘榴は、視線を泳がせながら顔を外に向けていた。上手く答えられる自信がない。

 車に乗って数分。ここまで追い詰められるとは思っていなかった。

 逃げ出したいのに逃げ出せない状況。あと数分はこの状況だと思うと、心臓が痛い。

 静まり返った車の中、今まで黙っていた祖父が口を開く。

「柘榴、お前はなんで戦うのじゃ?」

 全てを悟ったような祖父の声。前方を見据えて、尋ねたその声に驚きが隠せない。

「え、私。戦うなんて一言も…」

「なんでじゃ?」

 もう一度尋ねられて、祖父は質問には答えてくれない。祖父が何かを知っているのだと、それは母親も同じなのだと、何となく思えた。

 柘榴ははっきりと真っ直ぐと答える。

「私にしか出来ないことをするため、皆を守りたいから」

 柘榴の決意は車の中に響く。

 柘榴の答えに、満足そうに祖父は小さく頷いた。母親は呆れたように、それ以上は柘榴に問い質そうとはしなかった。

 よかったね、と左隣に座っていた苺に言われて柘榴は笑みを零した。右隣に座っていた希も安心した表情になる。ようやく車の中の空気が、少しだけ居心地の良いものになった。



 約束の場所は破壊された高校のグラウンド。

 学校に人はいない。駐車場に車を止めると、降りたのは柘榴と希、それから母親と苺の四人だけ。降りようとしない祖父に、柘榴は声を掛ける。

「あれ、おじいちゃんは?」

「わしは行かん」

 腕を組んだまま祖父は言って、柘榴から顔を背けた。

 見納め、と思いじっくりと祖父の顔を眺めてから、柘榴は祖父に背を向ける。

 母親と苺は柘榴の荷物を持って先に行ってしまう。希もその後を追って歩く。その後を追おうと思ってから、やっぱりと踵を返す。

「おじいちゃん、さっきはありがとう」

 窓越しに笑いかける。一瞬だけ目が合って、祖父はすぐに目を逸らした。

 窓越しだから声がきちんと届いたかは分からない。届いていなくても仕方がない、と思いながら踵を返そうと思ったが、その前に窓ガラスが下がった。

 柘榴と祖父の間にあった隔たりがなくなった。

「…柘榴、これを持って行け」

「何?」

 無表情の祖父が差し出している紙袋。それを恐る恐る受け取る。

「お年玉?」

「馬鹿者。今開けるな」

 早速開けようとしていた柘榴に、祖父の厳しい一言。中身は片手で持つことが出来るくらいの箱で、そんなに重くもない。中身が気になる柘榴に、祖父が言う。

「それより、置いて行かれるぞ」

「ああ!それじゃあ、行って来まーす」

 笑顔で手を振って、今度こそ柘榴は駆け出す。祖父から何かを貰うのはいつ振りだろう、そう思うとにやにやした気持ちが止まらなくて、顔が緩んだ。



 母親と苺に見送られてヘリコプターは上空に飛び立った。

 どんどん小さくなるその姿を見下ろしてから、柘榴は目の前に座った柊と希に声を掛ける。

「柊さん、どれくらいヘリに乗るの?」

 ヘリコプターの中では直接声が届かない。耳に付けたヘッドフォンから柊の声が聞こえる。

『そうだな。四十分くらいかな。着いたら案内役がいるから、先にブラブラしていてくれ』

 何とも適当なことを言われて柘榴は頷く。

「あれ?希ちゃんは?」

『私は、少し行くところがあるので。先に行っていて下さい』

 微笑んでいる希の顔。それでも、少し震えているように見えた身体。

 昨日言っていた。交換条件で、破壊された希の街に行く、と。

「…私も一緒に行こうか?」

『いえ、先に行ってください。お願いします』

 それだけ言って、希は顔を外に向ける。言葉が続く。

『少しだけでも寝ますね。さすがに、昨日の夜は疲れましたから』

 聞く耳持たず、希は顔を下げて瞳を閉じてしまった。大きな欠伸をした柊は、眠たそうな顔で窓の外をぼんやりと眺めている。

 一緒に行く、とは言えない空気。会話をするような雰囲気でもないことを感じ取った柘榴は、やることもなく窓の外の空を見つめた。

 窓の外は真っ青な空で綺麗な風景だけれど、ヘリコプターの中は少し空気が重い。

 希が会いたい人に会えるように、と祈ることしか出来なかった。 

 



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