45 終焉編
ふとした瞬間、希はどうしても懐中時計の存在を思い出す。
柊と洋子、結紀と合流して、今は結紀の車の後部座席の真ん中に座っていた希。両脇は柘榴と洋子で、運転手は結紀、助手席には柊。
早めに高校の入口に行って蘭を待ち伏せしよう、と車は進む。
蘭にも会いたいが、本当は友樹にも会いたい。でも、それをなかなか口には出せない。
終冶と戦う前に洋子に手渡した友樹宛ての封筒の中に、懐中時計と真っ白リボンを入れた。希が最も大切にしていたもの。
それを受け取った友樹は、何を思っただろうか。
ぼんやりと、窓の外に視線を向けた。車は大学内の敷地に入り、駐車場から高校まで歩くことになっている。柘榴を中心に盛り上がっていた車内。
柘榴は腕を組んで、希に真面目な顔で問いかけた。
「やっぱりさ、どうにかして高校に忍び込めないかな?」
「柘榴さん、それは無理ですよ。いい加減、諦めてください」
「ぶー」
「そうだぞ。高校は専用のカードがないと入れないと、経験済みだろう?」
柊に説得されても不貞腐れたままの柘榴。窓の外に視線を移し、楽しそうに景色を眺め始めると興味が一瞬で変わった。
「結紀、結紀!あの建物は何?」
「あれって、どれだよ?」
「真っ白な建物!」
運転している結紀と話し出した柘榴。タイミングを計っていた洋子が、希に小声で尋ねる。
「ねえ、希ちゃん」
「はい、何でしょうか?」
あまりにも小さな声。柘榴と結紀が騒いでいれば、希以外には聞こえない声。洋子は希の様子を伺うように言う。
「希ちゃんから預かっていた封筒。渡しちゃったわよ?」
「あ、はい。ですよね」
分かっていたこと。落ち込む希に、洋子が優しげな笑みを浮かべて問う。
「会いたい?」
会いたい、その言葉で少し頬が熱くなる。
会いたく、ないはずがない。昨日の夜から、心の隅でずっと考えていたこと。例え希にとってはあまり時間が経っていなくても、友樹にとっては二年が経過しているのは事実。
二年、一言で済まされる時間は、大きい。
友樹は希のことを忘れたかもしれない。もう何とも想っていないかもしれない。不安で、答えられない希を見て、洋子は悟ったような顔をして微笑んだ。
それから、すうっと息を吸いこむと叫ぶ。
「結紀、一回停まりなさい!」
「は、何で?」
「いいから、さっさと停まれ!」
問答無用の洋子の言葉に、結記は従うしかなかった。道の端に寄せて、車を停めた。
どうして停めたのか、洋子以外全く理解していない。
洋子は先に車から降りると、希にも降りるように言う。希が車から降りたので柘榴も降りようとして、洋子に止められる。
「あ、希ちゃんだけでいいのよ」
「えっと…」
降りて、どうすればいいのか。助けを求めるように洋子を見れば、にっこりと笑った洋子がすぐ近くにある小道を指差す。
「あの道を真っ直ぐ進むと、大学の工学部があるの。だから、行って」
「どういうことですか?」
首を傾げて問う希の背中を、洋子はぐいぐい押す。
「真っ直ぐ行けば、工学部の建物に辿り着く。五階建ての、焦げ茶の建物。迷うことなく、きっと辿り着ける。そこに、行けば会いたい人に…友樹に会えるから」
その名前を聞いて、ますます驚きが隠せない。
「…友樹さんに?」
「結紀、あんたの友達は今授業中なの?どうなの?」
「ちょ、ちょっと待て。今確認するから」
急いで携帯を操作して、電話を始める結紀。把握しておきなさいよ、とぼやいた洋子が、自分の携帯を希に押し付けた。
「ほら、早く行く!授業中なら待ち伏せしなさい。違う場所にいるなら、すぐに連絡するから」
「で、でも…」
渋ってしまった希が顔を上げると、瞬きを繰り返していた柘榴と目が合う。
柘榴の表情が、笑みに変わった。
「希ちゃん、急げ!走れ!会いに行って来い!」
「は、はい!」
その言葉で希は駆け出した。
会いたい、話したい。傍にいたい。友樹の顔が見たい。
何も言わずに。自分の気持ちさえ伝えきれずに、別れてしまった。友樹が希のことを嫌いになっていても、いい。それでも希の気持ちは、たった一つ。
「会いたい、です!」
全速力で走りながら、願う。もう一度、友樹に会えることを。
希が走り去ってから、結紀が声を上げた。
「あ、友樹の奴。図書館にいるっぽい」
「本当?じゃあ、急いで希ちゃんに変更の連絡を…て、結紀。電話中なら、友樹を機械科の建物に向かわせなさないよ」
未だ発車しない車の中で、洋子は早口で言う。
「いや、待ちなさい。どうせなら感動的な再会をさせたいから、大学で景色のいい場所はどこかしら?やっぱり、屋上?」
「屋上、鍵開いているの?」
隣で聞いていた柘榴が驚きながらも問えば、誰もうんともすんとも言わない。困った結紀が、電話の相手に話を聞かれないようにしつつ言う。
「で、友樹になんて言えばいいんだよ」
「鍵が開いていることに賭けましょう。屋上に向かわせて!あ、希ちゃんが向かっていること、絶対に言うんじゃないわよ」
低い声で言った洋子の口がよく回り、柊の携帯を借りて電話をする。
「あ、希ちゃん。今、どこ?…あ、それならそのまま屋上で待っていて…ええ、そこで。じゃあまた連絡するわね」
洋子の電話が終わると同じくらいに、結紀も電話を切った。疲れたように、結紀は言う。
「すげー、不審がられたんだけど」
「だろうね。洋子くん、携帯返してくれない?」
「はいはい」
柊の携帯を、洋子は素直に返した。一連の様子に、柘榴は素直に感心して言う。
「キャッシー、いい人だよね。意外と」
「柘榴ちゃん、今まで私を何だと思っていたの?」
心外だと言わんばかりに、柘榴を見て眉を潜める洋子。即座に柘榴は答える。
「え、変人」
「おまっ!それを本人に言うなよ!」
運転席に座っていた結紀が腹を抱えて笑い出し、柊は笑いを耐える。結紀の態度が気に入らなかった洋子は、後ろからその首を掴んだ。にっこりと笑っている笑顔は、怖い。
「結紀。もう一度喋ったら、分かるわよね?」
「キャッシー…それくらいで」
結紀の顔が真っ青になったので、思わず助け舟を出す柘榴。数秒間の静寂の後、洋子はそっと手を離す。
もう怒らせまい、と誓った柘榴は、無難な話を、と思いながら話し出す。
「キャッシーは、どうなの?希ちゃんの恋愛を応援しているけど、希ちゃんが友樹さんの彼女になってもヤキモチ焼かない?」
「当たり前じゃない。私は希ちゃんの幸せを願っているんだから」
「じゃあ、キャッシー自身は彼氏とかいらないの?」
いらないわよ、と軽く返事を返されるかと思いきや、一瞬で真顔になった洋子。何故か柊が前の席でむせる。少し間を置き、微笑んだ洋子は当たり前のことのように言う。
「彼、いるわよ」
「「…え?」」
洋子の口からその言葉を聞くとは思わなかった柘榴と結紀の声が重なった。驚きを隠せなったのは柘榴よりも結記の方が大きくて、後ろの席を振り返り、身を乗り出す勢いで言う。
「誰!俺、聞いてない!」
「なんで、あんたに言わないといけないのよ。それなら、そっちから聞けばいいでしょう」
投げやりの言い方。そっち、と言って指を指したのは助手席に座っていた人物。あからさまに顔を背け、外を見ている男。
まさか、と思いつつ、柘榴が訊ねる。
「…柊、さん?」
「そう」
「「はぁあああああああ!!!!!!」」
肯定したキャッシーの言葉で、柘榴と結紀はこれでもかと言う程、大きな声で叫んだ。柊の照れている顔が気持ち悪いが、それ以上に驚きが増して疑問をひたすら叫ぶことしか出来ない。
その後。洋子に五月蠅い、と怒られるまで、柘榴と結紀は騒ぎ続けるのだった。
『あー、今から工学部の屋上に行ってくれない?』
「なんで?」
『いや、ちょっと理由が言えなくて。行けば分かるから、とりあえず行ってみろ、な』
意味の分からない結紀からの電話を受け取った友樹は、図書館で勉強をしている最中だった。バイブにしていた携帯が鳴り、携帯だけ持って一度は図書館を出た。
話が終わって図書館に戻れば、一緒に勉強していた寛人が椅子に座ったまま問う。
「友樹、誰から?」
「結紀」
「何だって?」
「工学部の屋上に来い、とさ」
答えつつ、広げていた教科書やノートを片付ける。ついでに今は何時か、ポケットに入れていた懐中時計で時間を確認する。
希がいなくなってから、洋子から渡された封筒に入っていた懐中時計。真っ白いリボンは未だ封筒に入れたまま、一人暮らしをしているアパートに置いてある。懐中時計だけは肌身離さず身に付け、いつも時間を確認するたびに希のことを思い出す。
懐中時計を見るたび、悲しげな表情を浮かべる友樹の姿を何度も見てきた寛人。それは今日も変わらず、小さな声で言う。
「…もう、癖だよな」
「何が?」
「それを見るたび、悲しそうな顔になるのがさ」
それ、とは懐中時計のこと。懐中時計を見るたびに悲しそうな顔をしていたことに、言われるまで気付かなかった。寛人に指摘をされても、懐中時計を手放す気にはなれない。いつものようにポケットに入れた。
友樹の隣で、寛人は深いため息をつく。
「俺の親友は、いつまで昔の恋人を引きずるのかね」
「…恋人じゃねーよ」
「でも、両想いだったんだろ?」
問われても、何も言えない。
結局、想いを伝える前に希は姿を消した。付き合っていたわけじゃない。
無言で片付け終わった友樹。何故か寛人も広げていた道具を片づけて、友樹に明るく言う。
「ま、さっさと行こうぜ」
「なんで、お前まで」
「結紀さんなら、俺も会いたいし。あの人、料理旨いからさ。友樹のために教わろうと思って」
彼女か、と思うほど寛人は友樹に構って来る。これが女だったら全力で逃げるが、相手が寛人なのでこういう時は基本無視する。
無視されているのに気が付いていても、いなくても寛人は話し出したら止まらない。機械科の建物を目指して歩き始めても話し続ける。
「折角一人暮らししているんだから、誰か呼べばいいのに。滅多に家に人を入れないだろう、お前。蘇芳が嘆いていたぞ」
「なんで蘇芳?」
昨日も会った人物の名前を出され、首を傾げた友樹。
学部は違えど、蘇芳だけではなく、浅葱も鴇も同じ大学。食堂では毎度顔を合せるし、同じ教養科目もある。顔を合せても、一度だって家に来たい、なんて言っていない。
友樹の家に入ったことがある人間と言えば、家族と寛人。それから結紀ぐらい。
結紀は時々、友樹のアパートで一緒に酒を飲むことがある。時々会うのは、蘭も同じ。ただ会う場所は大学の図書館で、会っても挨拶を交わす程度だが。
物好きな連中との付き合いは、二年経っても続いている。
隣を歩く寛人の話も、まだまだ続く。
「友樹はやれば出来る子なんだから、外食に頼らないで料理も練習すれば上手くなるって、俺が保証する。てか、前にオムライス作ってくれた時、美味かったよな」
「ほら、着いた」
「ちょっとは聞いてくれない?」
嘆きながら言った寛人の言葉を流して、目的地の機械科の建物に入る。平日の授業中で、人はあまりいない。屋上まで上るのが面倒だが、呼ばれたので行くしかない。
三階まで上るまではよかったが、途中で寛人は音を上げた。
「っつ、疲れた!」
「先に行くから」
「おぅー」
途中で上るのを止め、立ち止まった寛人を置いて友樹は先に行く。あと少しで屋上なので、早足で屋上に向かう。
あとは階段を数十段、踊り場を過ぎてまた数十段。
階段を上ると、時々思い出す。
希と二度目に再会した時。急いで階段から駆け下りて、ぶつかった時のこと。もう二度と、あんな風に出会うことはないだろうが、それでも信じている。
いつか、きっと。
希が笑顔で帰って来る日が、来る。
とりあえず今は、なんで呼び出されたのか。考えていたせいで下を向いていた。踊り場を過ぎた頃、屋上の方で誰かが立ち上がった。
結紀だろう、と顔を上げる。
階段に座りこんでいた少女がスカートの埃を払い、顔を上げた。友樹と目が合う。まるで友樹が来ることを予測していたように、少女は微笑んだ。
「友樹、さん?」
「なん、で?」
声が掠れた。階段を上ろうとしていたが、右足を掛けたまま動けない。手摺を握っていた左手が微かに震えていた。
見間違い、ではない。
希は一歩ずつ、階段を降りて来る。
手を伸ばせば届く距離。三段上の階段で、希は立ち止まった。
「友樹さん。ただいま」
今にも泣きそうで、でも嬉しそうに希は笑った。もう一歩降りようと、足を踏み出した希。友樹も一歩踏み出すと、同時に希の右手を掴んで引き寄せた。
夢ではない、と確認するために。小さな希の身体を思いっきり抱きしめた。
「…え?あの」
友樹に抱きしめられて、動けない。最初に目が合った時から驚いた顔で希を見て、動かなかったから近づいた。それなのに、今は抱きしめられていて、友樹の顔が見えない。
前より、少し大人っぽくなった。
でも、会えば分かる。
抱きしめられたままお互い座りこむが、背中に回った友樹の腕は希を離してくれる気配がない。おずおずと希の方も、友樹の背中に腕を回す。
じっと動かない友樹の胸に顔を埋めた状態。友樹がどんな顔をしているのか、希は考えながら問う。
「友樹さん。大丈夫ですか?」
「…もう帰って来ないかと、思った」
耳元で聞こえた、震えた声。友樹らしくない程、感傷的な声だった。安心させるように、優しく言う。
「帰って、きましたよ?」
「っ!」
希の声でますます強く抱きしめられる。少し、苦しいけど。これくらいなら我慢出来る。もう一度、自分にも言い聞かせる。
「ちゃんと、帰りました。私は、ここにいます」
言いながら、嬉しさがこみ上げてきた。不安なんかいつの間にかなくなって、嬉しさと恥ずかしさと、それから生きている実感。
言いたいことは沢山ある。
泣き出しそうな気持ちで、希は言う。
「会い、たかっ―」
「希」
初めて、名前を呼ばれた気がする。嬉しくて、一粒の涙が零れる。嬉しい、幸せだと、希は顔を押し付けた。
カシャ、と音がした。
友樹はすぐさま顔を上げた。
「あ、やばい。無音にしとけばよかった」
踊り場で携帯を構えていた寛人が、悔しそうに言った。抱き合っていた友樹と希を見て、ニヤニヤした顔の寛人。そのせいで今までの雰囲気は、一瞬で壊された。
思いっきり睨むが、少し涙目だった友樹の顔を見て、寛人は嬉しそうな笑顔を浮かべた。希に顔を見られなくてよかった、と友樹は思った。
声を聞くまで、存在をすっかり忘れていた。寛人の存在。
「…なんで、いるわけ?」
「後から行く、て言ったじゃん」
その通りなのだけれど、こういう時はそっといなくなって欲しかった。友樹はそっと希を放すが、希は一切動かなくなり、固まっている。
「う…あ。えっと…」
希は何か言おうとしているが、全く文章になる気配がない。それよりも一気に顔がリンゴのように真っ赤になっている。耳まで真っ赤だ。
あわあわし出した希は、パクパクと口を開いては閉じる繰り返し。
「寛人、どけ」
冷静になった友樹の一言。先に立ち上がって、希に手を差し伸べて立たせる。無意識に掴んだ友樹の手を、希は離さず掴んだまま。顔を上げられないのか、下を向いた。
あからさまに恥ずかしがっている希に、寛人は楽しそうに話しかける。
「希ちゃんでしょ?前に会ったよね?久しぶり」
「そ、そうです、ね」
声が裏返り、動揺している姿は可愛いが、楽しんでいる寛人には苛立つ。
「寛人、帰れ」
「えー、俺。希ちゃんとお話したいし、ねえ?」
同意を求められていることにすら気が付かない希は、精一杯何かを考えている。
運よく、希の携帯が鳴った。
「え、あの。私は電話してきます!」
希は逃げるように屋上への階段を上り、友樹が動かなくても見える場所に立ち止まった。真っ赤な顔のまま、早口で誰かと会話を始める。
それを見ていた友樹、を見ていた寛人は嬉しそうに言う。
「親友、よかったな」
「親友、やめていいか?」
本気の真顔で言った言葉を、寛人は全く気にしない。携帯を操作して、さっき撮った写真を見せる。
「お前の、スキャンダルはばっちりだぜ」
その画面に映っていたのは、友樹が希を抱きしめている画像。怒りの言葉が出てくるより前に、友樹はその携帯を奪って画像を消去する。
「俺の携帯!」
「あ、そう」
興味がない、と言わんばかりに言って投げて返す。床に落ちる直前に、携帯を見事にキャッチした寛人は安心した顔をした。
懲りずに、言う。
「友樹の写真なら、どんな写真でも一部ファンに売れるのに」
「今からお前の携帯、壊そうか?」
にっこりと笑うが、本心は怒っているのを悟った寛人は、勢いよく首を横に振った。
「あの、友樹さん、寛人さん」
顔の赤みが引いた希は落ち着いたのか、携帯を握りしめて言う。
「私、蘭さんに会いに、高等部に行きますね」
「俺も行く」
言いながら、階段を降りてきた希に左手を差し出す。少しだけ驚いて、すぐに嬉しそうに笑った希と手を繋ぎ一緒に歩き出す。歩き出した二人の後ろで、思いっきり右手を上げた寛人が叫ぶ。
「んじゃ、俺も!」
「来るな」
振り返ると同時に、辞書の入っていた鞄を投げた。その角が見事に寛人の頭に当たり、蹲った。
念を押すように、言う。
「ついて来るなよ」
「二回、言わなくても…」
「大丈夫ですか?寛人さん」
「あいつ、頑丈だから」
心配する希の瞳に映った寛人は何とかピースサインを掲げて、友樹の鞄を投げ返した。
「後で連絡するからな」
「はいはい」
恨めしそうに言いつつも、友樹と目が合った寛人は笑みを浮かべた。近くまで返って来た鞄を拾った友樹は、呆れつつ歩き出す。
繋いだ手を離さないと言わんばかりに、少しだけ力を込めて階段を降りた。
柘榴は結紀から借りた携帯を返して、問う。
「希ちゃん、呼び出したけど。よかったよね?」
「問題ないだろう?」
首を傾げた柘榴を真似して、結紀も首を傾げながら言った。
高等部の入口である建物の近くの、大学の駐車場。柘榴と結紀は車から降りて話しているが、車の中では柊が正座して洋子に謝る、と言う不思議な光景が繰り広げられている。
途中から痴話げんかが始まったので、巻き込まれないように逃げた。
「まさか…柊さんとキャッシーが付き合う、とか」
「俺、聞かなきゃよかった。働きにくいだけじゃねーか」
はあ、とため息をついて、結紀は頭を抱える。
「そう言えば、車の中でキャッシーが言ってたけど。彼女と別れたんでしょ?ドンマイ」
柘榴の言葉に、結紀は不機嫌な顔になって小さく呟く。
「…お前のせいだよ」
「え?なんて言った?」
「いや、別にー」
小さすぎる結紀の言葉は聞き取れなかった。それより、と話題を変えるように結紀が問う。
「お前もさ、帰って来たんだから。彼氏くらい作る予定あるんだろ?」
「うん?別にいらないけど?」
はっきりとした返答に、結紀は深いため息を漏らした。
「柘榴…それはさ。どうなの」
「だって、前に一回だけ付き合ったことがあるんだけど。高校一年の時、三週間ぐらい、かな?」
その時のことを思い出しながら、柘榴は語り出す。
「クリスマス直前に告白されたのが、悪かったのかもね。家族行事のクリスマスと正月で盛り上がって、彼氏と言う存在を忘れていたもん」
「なんか、そいつ可愛そうな気がしてきたぞ…」
「結構かっこよかったんだけど、誰にでも優しすぎて。なんで私に告白したのかは、不明だし。正直途中からテンションが、合わないな、と」
一方的に別れを告げた過去は、今では懐かしい。嫌いではなかったのだと、思う。柘榴だって少しくらいは好きだったが、残念ながらその彼氏より、趣味の写真の方が大切だった。
憐みの視線を向け、ぼそりと結紀が呟く。
「お前、しっかり捕まえときゃよかったのに」
「どういう意味よ」
それはあれか。他に柘榴に告白する奴はいないという意味だろうか、と解釈して頬を膨らませる。
「そう言う結紀は今まで何人と付き合ったわけ?」
「俺?最初に付き合ったのが、中学生の時で友美ちゃんだろ。二人目が恵美ちゃんで、三人目が麻友ちゃん。最近は愛子ちゃん、だったかな?」
指を折り、数え始めた結紀の姿。うわー、と小さく言う。
「だったかな、て名前ぐらい憶えているでしょ?普通」
「いやー。今回の子は、ちょっとな」
言葉を濁す結紀の顔を、信じられない、とまじまじ見た。結紀の彼女、その言葉に心なしか感じた痛み。それは気のせいだろう。一応何か言ってあげようと、少し考えて言う。
「まあ、今度彼女を作る時は。長く続くようにね」
「お前、棒読みもいいところだな」
結紀が誰と付き合っていたとしても柘榴とは関係がないので、精一杯の言葉を言ったつもりだった。あ、と声を上げたのは、遠くからやって来る希と友樹の姿を見つけたから。
手を繋いで、希も友樹も幸せそうな笑みを浮かべている姿に、柘榴の口角が自然と上がった。
「希ちゃん!」
「柘榴さん!」
最後の数メートル、友樹を引っ張るように希が走る。
嬉しそうな笑顔の希を見ていると、柘榴も嬉しくなる。柚の意志を継いで戦い抜けて、希を守れて、本当によかった。
そう、心から思った。
柘榴と希が二人で話し出したので、車に背を預けた結紀の隣に来た友樹は不機嫌そうに言った。
「心臓、止まるかと思った」
「でも、会えてよかっただろ?」
「まあ、な」
素直に答えた友樹。結紀の視線は少女二人に戻り、微笑ましい気持ちになった。
「帰って来たんだよな」
しみじみと言う結紀の言葉に、友樹も頷く。
「二年も、経ったけどな」
「ああ、でも帰って来たんだよ」
帰って来た、その言葉を噛みしめる。柘榴も希もすぐ目の前に、手の届く場所で笑っている。例えどれだけ時間が掛かろうと、帰って来てくれてよかった。それが結紀の本心である。
時間が止まっていた、と柘榴と希は言った。二年が経ったにも関わらず、二人の姿は全く変わらない。二年前の記憶と、今の柘榴と希の姿は同じ。
腕や足の怪我が完全に治った、と笑っていた。
変わらない柘榴と希は、徐々に二年間の違和感を感じていくことになるのだろう。それでも今は、素直に喜び、笑っている。
突然、携帯が鳴った。
急いで見ると、電話で相手は鴇。
「もしもし、鴇?授業終わったか?」
『終わりましたよー。どうかしましたー?』
何も知らない鴇の、能天気な声。
「浅葱と蘇芳をつれて、今すぐ高校の方に来れるか?」
『行けますよ?急いだ方がいいっすか?』
「ああ、早めにな」
ラジャー、と言った鴇との電話が終わる。話を聞いていた友樹は、呆れながら言う。
「用件、言えよ」
「だってさ。会った方が早いだろ」
まあな、と同意しつつも、友樹は微笑んでいる。希がいなくなってから、そんな風に優しい笑みを見せたことはなかった。
時々、友樹と二人で飲みに行けば、決まって会話は柘榴と希のこと。いつも言っていた。
いつか帰って来る、と。
信じよう、と。
そんな幸せな未来を、二人で願っていた。それがようやく、叶ったのだ。
それから数十分後。
浅葱と蘇芳と鴇がやって来た。
「赤いの!なんでいるんだよ!」
「よかった。二人とも無事で」
「希ちゃん!無事でよかった…て、友樹先輩?」
柘榴と希を見つけた浅葱が叫び、蘇芳が素直に喜び、鴇が希に抱き付こうとして友樹に遮られる。そんな一部始終を、結紀は楽しく見守る。
三者三様の驚き方に、柘榴は爆笑。腹を抱えて笑い出して、希は困ったように笑みを浮かべた。見た目が変わっても、三人の性格は変わっていない。
希の方に蘇芳と鴇が行ったので、余った浅葱は結紀と柘榴の方に来た。
「浅葱、久しぶりー?」
「久しぶりー、じゃねーよ。チビにはもう会ったのかよ」
喧嘩腰で話す浅葱。真っ先に蘭のことを考える浅葱に、にやついた柘榴は言う。
「これからお出迎え。浅葱は蘭ちゃんと進展したの?」
「な、バ…するわけねーだろ!」
一気に真っ赤になった浅葱。結紀は笑うのを耐えたが、柘榴は声を上げて笑い出す。
「告白ぐらいしなよ!」
「出来るか!」
「いや、出来るだろ」
軽く結紀に言われた浅葱は、黙り込む。だいたいさ、と柘榴は話し出す。
「二年もあったんでしょ?その間に色々あったんじゃないの?図書館で一緒に勉強したり、訓練部で一緒に過ごしたりしたくせに」
「なんで知っているんだよ!」
「苺から聞いちゃいました」
テヘ、と言った柘榴は、結紀からしたら可愛くもなんともない。呆れた結紀は、軽く柘榴の頭を叩いた。
「それくらいでいいだろ?そろそろ場所移動して、蘭ちゃん迎えに行くぞ」
「おー」
元気よく柘榴が返事をした。歩き出した結紀の隣を、柘榴は楽しそうに歩く。
「おい!赤いの!妹から何を聞いたんだよ!」
「教えませーん」
追いかけっこが始まって、騒ぎ出した柘榴と浅葱に周りの視線が集まる。希や友樹とも目が合ったので、結紀は叫ぶ。
「そろそろ蘭ちゃんを迎えに行く人ー?」
「「「はーい!」」」
すぐさま手を上げたのは柘榴と希、それから鴇。傍にいた蘇芳は小さく手を上げ、友樹はため息。浅葱は未だ、柘榴を追う。
車に乗っていた柊と洋子を置いて、騒がしいメンバーでの蘭へのお迎えになるのだった。
授業が終わった蘭は、一人で待ち合わせ場所まで歩いていた。
苺に会おう、と昼休みに教室まで向かったが、本人はいなかった。メールの返事は返って来ていたので、待ち合わせ通りに苺に会いに行く。
授業が終わったら、高校の入口。
入口の先には、苺が待っていると思っていた。
ガラス張りの二階建ての建物。自動ドアの入口から中に入れば、並んでいる改札機数台。カードを通して、改札機を過ぎる。
もう一度。ガラス張りの自動ドアの前で、蘭の足が止まる。
ガラスの向こう側で、蘭の姿を見つけて笑っている少女が二人。
せーの、と声を揃えた少女が叫ぶ。
「蘭ちゃん!」「蘭さん!」
ガラス越しでも聞こえた。蘭の名前を呼ぶ、柘榴と希の声。
一歩ずつ、前に進んで自動ドアが開く。目の前にいる柘榴と希は満面の笑みを浮かべ、蘭の方へ一歩踏み出そうとした。
「あ」
「っあ!」
ほぼ同時に、足を踏み出した柘榴と希。希の方が凍っていた地面で滑って、転びそうになった。近くにいた柘榴の服を掴んだせいで、柘榴と一緒に頭から大きな音を立て転ぶ。
「っってぇ!!!」
「…痛い、です」
咄嗟に腕で庇った希と違って、誰から見ても頭をぶつけた柘榴。のっそりと起き上がった希と違い、瞬く間に起き上がった柘榴は頭を擦りながら、座り込んでいた希の肩を思いっきり揺さぶる。
「のーぞーみーちゃん!!!」
「わ、わざとじゃないのです!ごめんなさーい!」
謝りながら揺らされている希。途中で揺らしている柘榴の方が疲れて、パッと手放した。座りこんでいる柘榴と希の目の前まで進み、足の力が抜けて座り込む。
「…何、しているの?」
ようやく出た声は、情けないほど小さかった。
ずっと、会いたくて。でも、会えなくて。
探し続けて。でも、見つけられなかった。
最後に会ったのは二年も前のことで、その時のことを忘れた日などなかった。蘭は変わった。見た目も、おそらく性格も。柘榴と希がいた頃より、世渡りは上手くなったはずだ。
それなのに、柘榴と希は何一つ変わっていない。
目の前にいる柘榴と希が、数秒ポカンとした顔で蘭を見た。それから、微笑む。
「蘭さんに会いに来ました」
「蘭ちゃん、これから一緒に買い物でもどう?」
それぞれ思い思いのことを言った。いつだって、柘榴と希は自由。
安心して、嬉しくて、腰が抜けて。両手を伸ばして、柘榴と希を抱きしめる。ずっとずっと、待っていた。いなくなった日から、いつもどこでもその姿を無意識に探してしまうほど。
会いたかった。
嬉しくて、涙が静かに零れ落ちた。
「蘭ちゃん?」「蘭さん?」
名前を呼ばれて、ますます涙が止まらない。声を上げて泣く蘭を、柘榴も希も優しく受け止める。
「蘭ちゃん、泣かないで。あ、髪の毛伸びた?」
「そうですね、蘭さん。大人っぽくなりましたよ」
柘榴は言いながら、蘭の髪を撫でる。希は蘭の背中に腕を回し、抱きしめ返す。柘榴と希に何を言われても、反応できない。涙が止まらないのだから仕方がない。
突然いなくなったから。
帰って来たら真っ先に怒ろう、と思っていた。
それなのに、それ以上に心を埋め尽くしたのは喜び。
「おかえり、おかえりなさい!」
小さな子供のように泣いて叫んで、二人にしがみついた。
少女達の感動の再会を、少し遠く離れた場所から見ていたのは浅葱を含めた五人。浅葱と蘇芳、鴇と友樹、そして結紀。
どれだけ時間が経っていても。
どれだけ遠く離れたとしても。
会って話せば、以前のように笑いあう少女達の姿。
穏やかな気持ちで三人を見守っていた浅葱は、よかった、と心の底から述べた。蘭達三人の空間に、誰かが入ることなど出来ない。黙ってその光景を見守るだけ。
蘭が泣き喚く姿を見るのは、いつぶりだろうか。と、浅葱は考える。
高校に入って、普通に生活を送っているように見えても。蘭はいつだって柘榴と希の姿を探していた。その様子をずっと傍で見てきた。
「あ、浅葱。蘭ちゃんが笑ってくれて嬉しいからって、にやにやしているー」
「気持ち悪い」
「…にやけてねーよ」
両隣の鴇と蘇芳の言葉に、浅葱は表情を不機嫌に変えた。
「でも、あの三人の再会で一番喜んでいるのは浅葱だろうな」
「俺もそう思う」
後ろで立っていた結紀と友樹にまで言われ、思わず振り返った。結紀も友樹も、腕を組んで嬉しそうだ。浅葱が何かを言えば、いつだって誰かに言い返される。
からかわれるネタにされるのは嫌で、浅葱は思いっきり音を立てながら蘭達の方へと歩き出す。
下校時間だから、周りの生徒も何事かと蘭達を遠巻きに見ている。その中心へ迷うことなく進んだ。
「おい、チビ!いい加減、泣き止め!」
偉そうに見下ろして言った。顔を上げた蘭が浅葱を睨むが、泣き顔は全く怖くない。
「っ、邪魔しないでよ!浅葱!」
「いつまでも泣いてんじゃねーよ!チービ!」
「だったら、浅葱!どういうことか、説明しなさいよ!」
「なんで、俺なんだよ!!!知るか!!!」
言い合いが止まらない。涙を拭った蘭が、ようやく柘榴と希を離した。先に楽しそうに笑い出した柘榴と希が立ち上がり、蘭もふらつきながら立ち上がる。
ひたすらに笑って。
皆で笑顔になって。
それからいつもの日々が戻って来た、と誰もが実感した瞬間だった。
蘭と再会した後。
全員が本部へ行くことになったが、問題が一つ。結紀の車では五人しか乗れない。友樹は自分のバイクで行くと言い、浅葱と蘇芳と鴇はタクシーで行くと言った。
蘭も残ると言っていたが、結紀に無理やり連れて行かれた。
本部までの道のりを交通機関を利用して帰って来い、と言われた柘榴と希。連絡が取れるように、結紀の携帯を預かって、まずはバス停まで歩いた。
車で一時間の距離を、交通機関を使って二時間。バス、電車、バスの順に乗り継いで、最後のバス停に着くと、結紀が迎えに来てくれた。
少し懐かしい、組織の本部。
皆が待つ、と言う食堂のドアを開ける。
「「「おかえりなさい!!!」」」
食堂に着くなり、盛大にクラッカーの音が鳴り響きって耳を塞いだ。
「へ?」
「びっくり、しました…」
驚いたのは隣にいた希も同じ。何事かと驚いた顔をすれば、美味しそうな匂いが届く。
「キャサリンのご飯だ!」
嬉しくなった柘榴はカウンターに駆け出す。キャサリン、こと大輔よりもご飯に目が行ってしまった。カウンターの奥にいた大輔は、相変わらずのコック服の姿なのに化粧が濃い。二年経っても一番変わっていない人が誰か、と問われれば、キャサリンと答えるだろう。
柘榴を見て嬉しそうな大輔と目が合って、言う。
「キャサリン元気だったよね?ご飯食べてもいーい?」
「ちょっと、柘榴ちゃん。感動の抱擁はなし?」
「うん。なし!」
「あ、そう…もう食べていいわよ。期待した私が悪かったわ」
「やったー!」
誰もが柘榴の行動に呆れる。柘榴は持っていた鞄を床に投げ出し、希は食堂で待っていてくれた親方と陽太に駆け寄った。
「親方さん、陽太さん!」
「おかえり、希ちゃん」
両手を広げていた親方に向かって、希は親方に抱き付いた。陽太はその傍に立ち希の頭を撫で、優しく微笑む。
「友樹から連絡があった時、嘘かと思った。でも本当に帰って来て、よかった」
「私も、皆さんが無事でよかったです」
素直に言った希の髪を、陽太はぐしゃぐしゃにした。希の笑みは消えず、嫌だとは言わない。陽太の隣に友樹が近寄り、バシッと陽太の頭を叩く。
「いい加減にしろよ」
「友樹!顔こわっ!」
じゃれ合う陽太と友樹の姿を見て、親方から離れた希がクスクス笑う。
そんな和む光景を食べながら見ていた柘榴は、ジュースを飲んでから大輔に言う。
「あれが、感動の抱擁か。やっぱり私には無理だね、キャサリン」
「…なんで、この子はわざわざそういうことを言うのかしら」
眉を顰めながら、次々と料理を並べる大輔。いつ食べても美味しい料理の数々。希の周りには整備の面々、それから鴇や蘇芳が傍に集まって、柘榴の隣に蘭とその奥に浅葱が座った。一席空けて、柊と洋子も座る。
反対側の席は結紀が座りながら、柘榴の目の前の唐揚げを取る。
「あ、私の!」
「お前の、じゃねーだろ?」
そう言いながら他の料理も食べ始める。ムキになって勢いよく食べ始めた柘榴に、蘭も浅葱も呆れる。
「ゆっくり食べなさいよ」
「急がなくてもいいだろ」
蘭と浅葱に言われても、食べる手は早くなる一方で食べるのを止めない。満足いくまで早食いをし、柘榴は落ち着いて辺りを見渡す。
食堂で騒いでも、注意する人はいない。それは柘榴と希と親しかった人以外、柘榴を含んだ十三人しかいないからだ。食堂にいるのは柘榴と希と蘭、浅葱と蘇芳と鴇、結紀と柊と洋子、友樹と陽太と親方、と大輔。
少し離れたカウンターで、静かにお酒を飲んで乾杯をした柊と洋子。二人の傍に大輔と親方が加わって、お酒を注ぎ合う。カウンターの近くのテーブルに座った希を囲って、友樹と陽太、蘇芳と鴇が盛り上がる。
人が少なすぎるので、柘榴は問う。
「他の人は?」
「寮の食堂」
「なるほど」
結紀の回答に、納得。結紀はお酒を飲んでいるが、顔色は変わらない。
「それよりこれから、お前らどうするの?高校通うわけ?」
「あー、まだ考え中。もう二年も経っているんだもんねー」
ちびちびジュースを飲みながら、答えた。実感がないから、先のことはまだ考えていなかった。考えないようにしていた、と言う方が正しいかもしれない。
「二年、て案外長いよね。色々変わっていて、結構驚いているし」
「例えば何に驚いたわけ?」
「うーん…皆の成長?」
少し考えて答えた。
友達だから、会えば一目で分かる。けど、それでも柘榴の記憶とはズレが生じている。
そのズレは、辛い。ゆっくりと、言葉を続ける。
「本当はもっと長い時間帰って来れなかったかもしれない。もっと皆を悲しませたかもしれない。それでも…皆にまた会えたことが、心から嬉しい」
しみじみと、言った。
そうか、と優しく結紀は相槌を打つが、蘭と浅葱がさっきから静かだ。そっと、横を確認する。
「…寝てるし」
いつの間にか、カウンターにうつ伏すように寝ている蘭と浅葱。結紀は気が付いていたのか、カウンターに入ってどこからともなく取り出した毛布を二人に掛ける。
「いつから寝てたんだろ?」
「ごめんね。お酒、混ぜちゃった」
不意に会話に入り込んだ大輔のお茶目をしました、の顔は可愛くない。顔が赤いのはチークを塗っているからではなく、お酒のせいだろう。カウンターの隅で飲んでいた大人四人の顔が、全員赤い。
「未成年に酒なんて飲ませるなよ」
柘榴の隣に座り直した結紀に言われても、大輔は気にしない。
「えー。ブランデーを数滴、入れただけよ」
「普通、それだけで酔わないよね」
柘榴の言葉に、呆れている結紀と楽しそうな大輔は同時に頷く。大輔が帰って来たので、結紀は今思い出したように話し出す。
「俺さ、来年の正月。短期でいいから食堂勤務してもいい?」
「え?もうあんたの使っていた厨房用の服を処分したわよ?」
「もう、処分したんかい!」
カウンターを叩きながら立ち上がった結紀。大輔は、うん、と首を縦に振った。
柘榴との約束を守るために言った結紀の言葉に、嬉しくてニヤニヤと笑う。その視線を受け、結紀は気まずそうに酒を飲む。
ドンっと誰かが柘榴の背中に抱き付いた。
誰だ、と振り返れば、抱き付いたのは酔っぱらった洋子。
「柘榴ちゃんだ―。夢じゃないんだよねー」
「うわー。酒臭い」
離そうとするが、案外力が強くて離れてくれない。うへうへ、とずっと笑う洋子。どうしよう、と結紀に助けを求めるが、笑っているだけである。
離れてくれないので、気になったことを訊ねる。
「と言うかさ、なんで私の所に来るのさ。希ちゃんの方に行かないの?」
「だってぇー。希ちゃんの近くには番犬がー」
話す度に語尾が伸びていく。番犬、と言って指差したのは友樹で、結紀は口元を押さえて笑い出す。
「番犬、とか。ウケる」
「だってそうでしょー。希ちゃんのこと、守るみたいにずっと傍にいるしー。羨ましいしぃー」
「キャッシー、最後のが本音だね」
希の傍に行けなくて、代わりに柘榴の傍に来たらしい。そうよぉー、と素直に認めた洋子の肩を、近寄った柊が優しく叩く。
「洋子、いい加減…酒止めないかい?」
「柊のくせに、五月蠅―い!」
酔っぱらった洋子は誰にも止められそうにない。大輔と親方まで洋子を止める係になり、引きずられるようにして柘榴から離れて行く。
洋子に絡まれて、疲れた。
「…キャッシー、酒癖悪いの?」
「見て分かるだろ?」
確かに見て、分かる。入れ替わるように、今度は友樹と希がやって来た。不思議そうな顔をして、結紀の隣に座った希が問う。
「キャッシーさん、どうかしましたか?」
「いや、ただの酔っ払い」
「友樹、お前は番犬なんだとさ」
「なんだ、それ?」
意味が分からない、と言う顔で友樹はただの水を飲む。
希と話していたはずの蘇芳と鴇は寝ている浅葱で遊び始め、陽太は酔っ払い集団に混ざって飲み始める。乾杯、と何回目か分からない盛り上がりで、食堂は騒がしくなる。
柘榴と希は酒を飲めないので、ジュースを飲みながら会話が続く。まずは結紀が希に訊ねる。
「希ちゃん、ご飯食べた?」
「はい。一応」
結紀の質問に、希は頷く。
「それならデザート持って来ようか?」
「「是非!」」
瞳を輝かせて即座に返答した柘榴と希。二人の様子を見て、結紀は笑いを堪えつつ、カウンターの奥に颯爽と消えた。結紀の席が空いたので、柘榴は席を移動する。
希と友樹があまりにも幸せそうなので、柘榴は聞きたかったことがある。
「結局さ、希ちゃんと友樹さんは付き合っているの?」
「え?」
ポカンとした顔の希の顔が、一気に真っ赤に変わった。
直球過ぎたか、と思ったが、言った言葉は消すことは出来ない。友樹の方は全く聞いていない素振りを見せるので、希に追求するしかない。
「で、どうなの?」
「えっと…その…」
動揺して、両手で持っているコップを今にも落としそうになる。柘榴の方を見向きもせず、顔を隠す希の代わりに、友樹が仕方なく呟く。
「希が嫌じゃないなら、彼氏になるけど?」
「嫌じゃないです!」
即座に友樹を振り返った希が、自分で言った言葉にハッとした。微笑んでいる友樹と目が合い、途端に恥ずかしくなった希がカウンターにうつ伏した。
小さな声で希は言う。
「…二人して仕組んだのですか?」
「いやいや、そんなことしてないよ」
にやつきそうな顔を押さえて、柘榴は優しい笑みを浮かべていた友樹にも言う。
「それが聞けてよかったです。友樹さん、希ちゃんのことをよろしくお願いします」
「ああ」
「乾杯、します?」
柘榴はジュース、友樹は水。二人の間の希は顔を下げたままなので、その上で乾杯をした。
「何?なんか面白い話でもしていたわけ?」
結紀の邪魔により、話は中断。ううん、と首を横に振って言う。
「ひーみつ!」
人差し指を口に当てて、柘榴は笑った。
「何だよそれ?ほら、デザート持って来たぞ。希ちゃん、大丈夫?」
「うぅー、大丈夫ですぅー」
答えつつも、顔を上げた希の頬は少し赤い。
結紀の持って来た大皿の上には、小さなデザートが沢山。ミニシュークリームにショートケーキ、ティラミスにプリンなど。数十種類のデザート。
その大皿を、結紀は柘榴と希の間に置く。
結紀の席は柘榴が取ってしまったので、結紀は柘榴の座っていた席に大人しく座る。 希はチビチビとデザートを食べ始めるが、柘榴は一口でデザートを口に放り込む。
結紀が戻って来た頃を見計らい、今度は陽太がやって来た。
「友樹!結紀!お前らも酒飲むか!」
「「いや、いい」」
平然と断った結紀と友樹にめげず、友樹の肩に腕を回した陽太は冗談交じりに話し出す。その顔は、誰よりも赤い。
「なんでだよ。あれか?友樹の本心はもっと希ちゃんといちゃいちゃ――」
「くたばれ」
近くにあったコップを持ち言葉を遮った友樹は、容赦なく冷たい水を陽太の顔にぶちまけた。びしょ濡れになった陽太を軽蔑するように見た柘榴と結紀。
美味しいデザートを堪能している希だけは、陽太の話をよく聞いていない。
結紀が、ため息をついてから言う。
「陽太、お前馬鹿だろ?」
「いや、これでも頭は悪くは――」
ない、と最後まで言う前に、後ろに現れた親方がバシッと陽太の頭を叩いた。
「悪い、邪魔したな」
豪快に笑いながら、親方は陽太の首を掴んで酔っ払い集団の元に連れて行く。友樹にちょっかいを出した罰なのか、酔った勢いで親方が酒を陽太の頭にぶちまける。
陽太自身も酔っているので、笑って受け入れていた。
呆然と見ていただけだった柘榴は、一言。
「あんな大人にはなりたくないなー」
「柘榴さんったら」
クスクスと希が笑うので、柘榴もつられて笑みを零す。
笑っている途中で、鴇が呼ぶ。
「見て見て、希ちゃん。柘榴ちゃん」
名前を呼ばれて振り返る。珍しく笑いを耐えている蘇芳と、携帯を片手にニヤニヤ笑う鴇の指し示す先。
結紀の隣の席で寝てしまった蘭と浅葱の髪は、お揃いのツインテール。顔にペンで落書きをしていないだけマシかもしれないが、それでも起きたら怒られるのは確実。
柘榴の本音が漏れる。
「うわー…可愛いな、二人とも」
言いつつも、ポケットに入れてあったデジカメで数枚写真を撮った。鴇と目が合って、にやりと笑う。
「後で鴇の写真見せてね!」
「任された!」
「柘榴さんも鴇さんも、後で怒られても知りませんよ」
ボソッと呟いた希の言葉は、聞き流す。鴇がカメラを連写しても、全く蘭と浅葱は起きる気配がない。興味本位で、何枚か写真を撮った結紀。柘榴の方を振り返って、そう言えば、と話し出す。
「柘榴。これなーんだ」
「何?」
差し出されたのは一冊のノート。なんだ、と考えたのは一瞬で、それが何か悟るや否や柘榴は叫ぶ。
「あぁあ!」
真っ赤になって、急いでそれを奪おうとするが、結紀の方が背が高い。取り返したいのに、奪えない。尋常ではない柘榴の様子に、周りの視線が集まる。
「ちょっと!早く返してよ!と言うか、どこで見つけた!?」
「いや、普通に。お前の鞄から落ちたから拾っただけだけど…何が書いてあるんだよ」
柘榴の慌てぶりに、結紀は意地悪な笑みを浮かべた。
「中身見てないよね!?」
「まあ、今は。中身は…なんだ写真じゃん」
頭の上でノートを広げた結紀が中身を確認してしまう。その通りなのだけれど、他人が見たら大半が写真を貼っただけのただのノートなのだけれど。
問題は挿んであった、一枚の作文用紙。
あ、と気が付いた時にはすでに遅く。作文用紙を見つけた結紀が、面白がって文章を読み始める。
「『私の将来の夢は――』」
「ああぁああーー!」
「『弟の柚と一緒に、世界中を旅することです。一人だと寂しいので、弟の柚と一緒に、世界を旅したいです。柚はたくさんの写真を撮ると言っています。私は、世界中のご飯を食べてみたいです』…お前、どんだけ食い意地があるんだよ!」
「五月蠅―い!」
それはずっとずっと昔、柚と交わした約束だった。
小学生らしく、何々になりたいなんて書かないで、柚と一緒に書き上げた将来の夢が表題の作文。柚と一緒に頭を悩ませながら書き上げた、夏休みの宿題。
因みに柚の作文は、内容がほぼ同じで後で怒られたと言う過去がある。
大爆笑で読み上げた結紀は、逃げるように椅子から立ち上がり食堂を駆け回る。作文用紙を取り戻そうとする柘榴も食堂を走り出す。
「ばかー!結紀の馬鹿野郎!!!」
「お前よりは馬鹿じゃねーし」
怒っている柘榴に対して、結紀は余裕の笑顔で言い返す。
のちに結紀共々大輔に怒られることになるまで、柘榴は走り続けることになるのだった。




