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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
最終章
48/59

44 邂逅編

 蘭が授業を受けている日中。朝、九時。

 結紀は本部の一室で、眉間に皺を寄せコピー機の目の前に立っていた。

「結紀くん、これのコピーもよろしくね」

「後、こっちにはコーヒーね」

「…それくらい自分でやれよ」

 小さな声で言い返したところで、後ろにいる柊と洋子は聞き入れてくれないだろう。雑務ばかり結紀に頼んで、食堂にいた時の方がましだと思ったのは数回では済まされない。

 柊は面倒くさがりで仕事を押し付け、洋子がわざと仕事を増やす。質が悪い洋子は絶対に自分でコーヒーを入れなくて、従わないと仕事を倍にする。機嫌が悪くなると、最悪である。

 柊より洋子の方が面倒なので、仕方なくコーヒーを入れるためにポットの前に移動する。

 部屋の中には、柊と洋子、結紀の三人しかいない。二年前までは、キャッシーの部屋、と言う看板がドアの前にあったが、今は取り外された。

 部屋の中も随分変わった。

 一番最初は柊と洋子と結紀のために用意されていた部屋だったのだが、柊は放浪するし、結紀は食堂に飛ばされるし、洋子は自由に部屋を改造した。洋子が一人で部屋を使うようになって、ひらひらのレースや、カラフルな布が散乱した部屋だったが、ようやく本来の姿に戻った。

 今では物が少なく、書類やファイルの多い部屋。

 二年経ってもこの状態に慣れない。と言う結紀の本音は、ずっと隠している。

 洋子のコーヒーを入れながら、随分前に訊ねたことがある。

『どうして柘榴達の戦闘服は、あんな格好だったんだ?スカートとかレースとかは、不自然だろう?』

 浅葱達の戦闘服と見比べたことがあり、どうしても気になっていたことを問いかけた。何気なく聞いた質問に、洋子は珍しく笑顔を見せて笑った。

『だって皆、ただの女の子じゃない?例え、ラティランスと戦おうが、女の子は女の子。おしゃれさせてあげたいじゃない』

 最期はドヤ顔で言い切った。結紀は今でもはっきりと覚えているし、きっとこれから先も忘れない。

 出来上がったコーヒーを、結紀はすぐに持って行く。

「ほら、入れた」

「うん?そこらへんにでも、置いといて」

「結紀くん。コピー」

「今から、しますって」

 待ちくたびれている柊から、紙を受け取る。柊はそれを渡すと、腕を伸ばして椅子にもたれかかった。

「あー、今日も寒いな」

「でも節約よ」

「分かっているって。冬だし、今日の夜は鍋がいいなー」

「蘭ちゃんが来る日だし、後でキャサリンに頼んだら?」

 確かに、と頷く柊と素っ気なく相手をする洋子の会話を、コピーを取りながら黙って聞く。

「キムチ鍋がいいか、しゃぶしゃぶがいいか。あ、すき焼きも美味しいよね?」

 柊の戯言には、誰も頷かない。

「ちょっとは返事しようよ、二人とも」

「そんな時間があるなら、仕事をしなさいよ」

 ばっさりとキャッシーに見放され、柊は情けないほど悲しそうな顔になる。

「柘榴くんや希くんなら、絶対に盛り上がる話なのに」

 小さく呟かれた柊の言葉を洋子は聞き流すが、結紀の身体は一瞬だけ固まった。それはほんの一瞬のことで、悟られないように黙り込む。

 いつだって、結紀は二人の名前を忘れられない。

 そして、ふとした瞬間に思い出す。

 柘榴と希が消えた、その瞬間を。伸ばした手が届かなかった、過去を。

 香代子の言った言葉を。

『最期は、見たでしょ?』

 その言葉が、頭から離れない。

 きっと帰って来ると信じているのは、蘭だけではない。結紀だって必死に探したし、今だって探している途中である。

 それでも挫けそうになるのは、時折悪夢を見るせいだ。

 結紀が知っている柘榴と言う少女は、毎日を笑って楽しそうで、美味しそうにご飯を食べる少女。そんな少女が夢の中では、全く違う別人となって現れる。

 死んだように意識を失った希を抱きしめて、柘榴は泣き叫ぶ。

 夢だから、何も出来ない。

 夢だから、目を覚ませばそれで悪夢が終わる。

 ぼんやりと柘榴のことを思い出していると、柊が声を上げた。

「結紀くん、コピーまだ?」

「あ、はい。すぐに」

 ハッとして、コピーした紙を柊の所に持っていく。書類に目を通していた洋子が口パクで、ばーか、と言ったのを見逃さずに睨む。

 平和、なのだろう。

 食堂にいた時と同じようにこき使われ、事務関係を処理する毎日。柊にこき使われ、洋子と喧嘩をすることもある毎日。

 例え、椅子に座って同じような仕事を繰り返す日々で、傍に柘榴と希がいなくても。

 平和な、二年が過ぎたのだ。


 時計の針が十時を過ぎる前、電話の音が部屋に鳴り響く。

 部屋の中に設置されている電話は、部屋に二つ。一つは少し離れた場所の柊の机の上、もう一つは向かい合うようにくっつけてある結紀と洋子の机の真ん中。

 柊は全く出る様子を見せないし、洋子も書類から目を離さない。

 いつも通り、最初に電話を取るのは結紀しかいない。

 この部屋の電話が鳴るということは、大半が柊に対しての呼び出しだったり、連絡だったりするわけで、結紀宛ての電話は基本ない。

 それでも受話器を取るのは、結紀の仕事。

「こちら結紀です。はい、あーちょっと待って下さい」

 今回も柊宛ての電話。結紀は保留を押して、やる気のない姿で椅子に座っている柊を見た。

「柊さん。一般回線から電話です。柘榴の妹さんからって…出ます?」

「柘榴くんの妹さん?確か、名前は…」

「苺だって言っていましたよ?」

 柊は思い出したと言わんばかりに手を叩き、自分の机の受話器を取った。

 柘榴の妹、苺と言う名前。その言葉に反応して洋子は顔を上げた。興味があるのは結紀も同じで、話し出す柊の様子を伺う。

 一体何の用だろうか。気になって、仕事どころではない。

 柘榴と希がいなくなって二年が過ぎ、一度だって苺からの連絡はなかった。一度だけ、結紀と柊の二人で柘榴の実家を訪れたことがある。

 それは柘榴と希がいなくなってから初めて訪れた、春。

 三月の終わりのこと。

 柘榴と希は、生死不明。

 戦いの最中に、姿を消して消息不明である。そう家族には伝えた。まさか、ラティランスと共にいなくなったとは言えずに、柊は嘘を真実のように告げた。

 柘榴の母親はそれを冷静に受け止め、泣き喚くことも、取り乱すこともなかった。柊が淡々と説明をするのを横で聞いていた結紀が驚くほど、素直に受け止めお礼を言われた。

『柘榴のこと、面倒を見てくださり、本当にありがとうございました』

 礼を言われることは何もしていない結紀と柊に、深々と頭を下げた母親の姿。

 そして帰り際に、家の中から聞こえてきた少女の泣き声はおそらく苺の泣き声だった。柘榴の妹の苺とは、顔を合わせたことはない。泣き叫んだ声を、家の外から聞いて逃げるように帰った記憶しかない。

 蘭経由で、苺の情報は度々耳に入る。蘭の後輩として、今年の春に高校二年になった少女。写真では数回見たことがあるが、面影が柘榴と似ている。そんな印象を受けた記憶はある。

 会えば柘榴を思い出すのは確実で、結紀は会いたいとは思えなかった。

 結紀も洋子も耳を澄ませて、会話を待つ。

「はい、代わりました。柊です…ああ、お久しぶりです。こちらこそ、柘榴さんには大変お世話になりましたから」

 黙ったままその様子を見守る。

「今日学校は…ああ、それで。失礼しました」

 学校ではない場所から、電話を掛けている様子。

 洋子は余程内容が気になったのか、目の前にあった受話器を柊と同じように耳に当てた。そのまま右手で電話のボタンを何個か押す。

 満足した顔になり、結紀の方を見て小声で叫ぶ。

「結紀、顔出しなさい!」

「は?」

「いいから!」

 早くしろ、と命令され、結紀はしぶしぶ従う。

 一つの受話器に一緒に耳を当て、黙っていれば柘榴の声とそっくりの少女の声が聞こえた。あまりにも声がそっくりで、柘榴の声だと錯覚してしまいそうになる。

 姉妹なのだから、と自身に言い聞かせて結紀と洋子は盗み聞きを続ける。

『やっぱり、迷惑ですよね?突然、こんなことをお願いして』

「いえ、ただ今日の昼からとなると。急すぎて――」

『でも、どうしても見て欲しいものがあるんです。お時間もお掛けしませんし、少しだけでもお会いできませんか?』

「今日の午後、ですよね?ちょっとだけ、待っていただけますか?」

 柊は自分の予定を把握していないので、洋子の方に目配せした。近くにあった手帳を捲った洋子が、すぐにオッケーのサインを出す。

「あー。何とかなりそうなので、大丈夫です。時間と場所はどこにしましょうか?」

『高校の近くの喫茶店でもいいですか?確か、さくらって言う喫茶店がありましたよね?三時に待ち合わせ、でいいですか?』

「さくら、三時…と」

 繰り返した柊の言葉を、メモするのは洋子の仕事。喫茶店の詳しい場所を苺が説明し終わって、会話は終わる。ゆっくりと受話器を置いた柊は、肩の力が抜けたように息を吐いた。

「びっくりした」

「見て欲しいもの、ってなんですかね?」

 言いながら、結紀は自分の椅子に座る。洋子も受話器を置き、腕を組んで考え始める。

 柘榴の使っていたもの、それらは全て実家に送った。服も小物も、柘榴に関係のあるものはほとんど送ったはずだ。反対に希の持ち物は段ボールに詰めて、未だ本部の寮で保管している。

 柘榴の荷物に、組織の何かが混ざっていたなら納得できる。物凄く気になって柊の顔をチラ見したら、目が合った。

「結紀くんも気になる?一緒に行くかい?」

「仕事は?」

 冷ややかな洋子の声に、結紀も柊も顔を逸らして黙り込んだ。行きたい、と言う前でよかった。洋子の一言の効果は絶大で、数秒無言の空気が漂う。

 深いため息が部屋に響いたのはすぐ後で、洋子が言う。

「昼飯抜きで、仕事終わらせるのよ」

 怒ってはない。呆れて仕事をし始める洋子に、結紀も柊も肩の力を抜く。

「よし、じゃあ午後は結紀くんと一緒にお出かけだね!」

「あ、三時に喫茶店で待っていますよ」

「そんなこと言わないでさ。早めに行って、たまには外でランチでもしようよ」

「柊さんと二人はちょっと…」

「というか、私も行くけど?」

 能天気な柊、ふざけつつも嬉しそうな結紀。その会話に、さらりと洋子が入って、結紀と柊の顔が固まった。その意味を解こうと、柊が尋ねる。

「ま、まさか…一緒に?」

「当たり前でしょ。私だってたまには外でランチしたいから。あと三時間以内に仕事を終わらせて、三人で遅めのランチ。安心していいわよ、柊。来客中は結紀と二人で、すぐ傍で待機して見守っていてあげる」

 にっこりと笑顔を浮かべた洋子に、結紀も柊も恐怖しか感じなかった。


 一時まで、ほとんど喋ることなく、静かな部屋で仕事をした。

 三人ともそれぞれ私服に着替え、本部を出る。

 真面目に仕事をしただけでも疲れたのに、結紀の車で目的地に行くことになった。買ったばかりの新車の助手席に最初に乗ったのが柊で、軽くダメージを負いつつ、着いたのは指定された喫茶店。

 こじんまりとした喫茶店は、室内に四人掛けのテーブル席が三つとカウンター席があった。テーブル席からなら通りの様子がよく見え、カウンター席からは見えない。

 平日だから人通りは少なく、一時半を過ぎていたせいか、お客は結紀達以外に二組だけ。

 まずは三人でランチを取るため、テーブル席に座る。結紀の目の前が柊で、柊の隣に洋子が座った。一緒にランチ、なんてこと今までに一度もなかっただけに、目の前の二人を観察してしまう。

 柊と洋子は一緒に至って普通にメニューを見ているので、違和感を感じているのは結紀だけ。

「…帰りてぇ」

「何言っているの、結紀。何食べる?」

「…ランチセットのハンバーグ。飲み物コーヒー、ホットで」

 小さく言った結紀の言葉を聞き逃すことなく、洋子は注文をした。ランチセット三つを頼み終え、それで、と洋子が結紀の顔を見た。

「今日の夕飯に蘭ちゃん達来るけど、あんたも勿論来るわよね?」

「毎回無理やり呼ぶくせに」

「あんた最近まで彼女いたでしょう?一応確認してあげようと思ったんじゃない」

 ニヤニヤと笑う洋子は、悪びれもなく言い切った。彼女がいたのは事実で、別れたのは最近のこと。彼女のことは一切話していないのに、洋子だけではく柊も知っている顔をしている。

 その話はしたくない、と表情で訴えても二人には通じない。

 洋子は楽しそうに言う。

「確か陽太と合コンに行った時の彼女よね。一か月も経たない内に振られるなんて、可哀想に」

「ほらでも。結紀くんならまたすぐに彼女出来るって」

「それ以上言わないで下さいよー」

 段々と声が小さくなって、頭を抱えた結紀。マジで勘弁、と小さくぼやいた言葉は、聞き入れてもらえない。それから洋子の質問攻めが始まる。

 言いたくないので言葉を濁していると、料理を持って来た店員が会話を遮ってくれた。

「ほら、結紀くん。落ち込んでないで、お昼食べるよ」

「そうよ。あ、それから忘れないうちに言っておくわ。先日友樹と二人で飲み行って奢ったらしいから、私達にも奢りなさい」

「だから、なんで知っているんだよ!」

 大声で言って立ち上がってしまい、注目を集めたことに気付いて慌てて座る。

 本当に早く帰りたい、と思いながら、結紀は黙って食べることに集中することにした。


「あと、十五分くらいね」

 腕時計で時間を確認した洋子は、ボソッと呟いた。

 食後のコーヒーを飲んでいた洋子はカップを置いて、鞄の中から小型の機械を取り出す。それを一目で見抜いた結紀は、ぼそりと呟く。

「盗聴器かよ」

「…会話は筒抜けなんだね」

 呆れた結紀と柊の言葉を気にせず、洋子はそれを結紀のジャケットに忍ばせた。満足そうな顔をしたかと思うと、すぐに立ち上がる。

「それじゃあ、柊。私達は外にいるから。行くわよ、結紀」

「はいはい」

 首根っこを捕まれて、結紀は無理やり連れて行かれる。外からでも店の中はよく見えるので、問題はないが外は寒い。一月の晴れた日とは言え、空気は冷たい。

 電柱の横で、結紀と洋子はカップルを偽装して苺を待つ。洋子から手渡されたイヤホンを、耳に付ける。先に付け終えた洋子は、ふと結紀に問う。

「結紀は苺ちゃん、会ったことないの?」

「ない、けど?」

「写真あるから見ておきなさいよ」

 鞄から取り出した一枚の写真を、洋子は結紀に見せる。写真を受け取って、それをまじまじと見る。写真に写っている少女は、柘榴に似ている。

 姉妹だから、その一言を呑み込む。

「…覚えた、から返す」

「そう?やっぱり姉妹だから、似ているのよね。まあ、蘭ちゃんの情報から性格は真逆だそうだけれど…柘榴ちゃんとは全然違うわよ」

 洋子の最後の方の言葉は、わざと聞き流す。

 通りの奥からやって来る人の顔を見逃さないように、目立たないように視線を巡らせる。行き交う人達のほとんどは大人で、高校生一人ぐらいなら間違いなく見つける自信がある。

 洋子は結紀とは反対側を見張る。本来なら見張る必要なんてないし、柊一人でも問題はない。それでも警戒してしまうのは、苺が言っていた見て欲しいものが気になるから。

 もしかしたらそれが、行方不明の柘榴と希を探す手がかりになるかもしれない。

 緊張しているのは結紀だけでなく、洋子も同じ。

 緊張を解そうと肩の力を抜いた途端、聞き慣れた声が耳に響いた。


「柊さんなら、時間通りじゃないと来ないでしょ」

「そうですね。蘭さんだったら絶対に先に来て、待っていてくれそうですけど」

「わっかる!」


 久しぶりに聞いた声。見知った顔の少女達が遠くから歩いて来る。

 驚いて声が出ないが、目は離せない。

 薄い赤のマフラーを首にぐるぐる巻いて、顔の半分を隠した柘榴。黒のコートにグレーのキュロット、黒いタイツに黒いショートブーツ。まるで二年前のような格好で、柘榴は結紀を見つけて笑顔で手を振った。

 その隣で笑っている希は、雪みたいな真っ白なロングコートで、焦げ茶のタイツと編み上げのロングブーツ。長いコートのせいで、赤いミニスカートがよく見えない。

 少し離れた場所から、柘榴が叫ぶ。

「結紀!何やってんの!?」

「あ、キャッシーさんもいるみたいですよ」

「あれ、柊さんはいないの?」

 いつの間にか振り返っていた洋子も、柘榴と希の姿を見つけて驚く。何も言わず、両手を口に当てる。

 やって来たのは、苺じゃなかった。

 二年間、ずっとずっと探していた柘榴と希が結紀達の目の前にやって来て立ち止まる。

「二人とも、柊さんの代役?それにしても、少し雰囲気変わった?」

 そう言った柘榴は、にっこりと笑った。




 それは遡ること、十二時時間以上前。

 昨晩、夜十時を過ぎた頃。

 とある県のとある田舎。四方を山に囲まれた盆地。けれども周りが山だらけのせいか、田んぼや畑が多く。どこに行っても緑色が目につく、そんな土地。

 山の麓にある小さな神社で、柘榴は目を覚ました。

「…あれ、ここって?」

 起き上がって周りを見渡す。破壊されたままの神社の跡地。近くで金木犀の葉が揺れ、地面は雪が積もって冷たい。

 電灯がないので真っ暗なはずが、月明かりが反射して明るい。

 ぼんやりとした頭のまま、柘榴は全身を確認する。

 全身傷だらけだったはずだが、特に痛みはない。戦闘服がボロボロなのは、どうしようもない。

 さっきまでの記憶を思い出そうと、考える。希と一緒に飛行船から身を投げ出し、スマラグドスに飛び込んだ記憶はある。それ以降の記憶は、ない。

 ハッとして、服を捲った。

 脇腹に、赤いガーネットの宝石が。

「…ない」

【まあ、我らと意識は繋がったままだがな】

 頭に響く声。

 馬鹿にするようなアントラクスの声に、柘榴は思わず周りを見渡す。その姿はどこにもない。

 立ち上がって、柘榴は声に出して言う。

「どういうこと?あれからどれくらい時間が流れたの?それに、希ちゃんは?」

 どこにもない希の姿。いるのは柘榴一人だけ。不安になって、言葉は怒るような言い方になった。

【質問ばかりするな。エメラルドの娘は無事だ。まだ眠っているから、先にお主と話そうと思ってな】

「よかった」

【それから、どれくらい時間が経ったからはお主が確認した方がいい】

「あ、教えてくれないのね」

 希の無事にホッとして、アントラクスの投げやりな回答に呆れた。

【…一応お主の身体を心配していたが、問題はないようじゃな】

「私?全然平気だよ?」

【だろうな。ガーネットの力の影響を、お主はいい意味で受けやすい体質じゃ】

「え、褒めてる?」

【褒めとらん】

 バッサリと言い返され、柘榴は肩を落とす。

「あ、そう。ねえ、どうして姿を見せてくれないの?」

 実は目が覚めた時から、疑問に思っていたこと。アントラクスは少し考え、言葉を選びながら言う。

【今のお主はもう殆ど力のない、ただの人間だ。戦う力はないし、我を呼び出すことは出来ない。それに何より、我らはもう人に姿を見せたくない。例え、どんな理由であろうとな】

「…そう、なんだ」

 もう会えないのは寂しい。姿を見られないのも寂しいが、もしも誰かに見られたら大騒ぎになるのは確実なので、会いたい、とは言えない。

 無言の空気になると、唐突に明るい声のスマラグドスが会話に混ざる。

【そんなことよりさー。そろそろ希を目覚めさせてよ。俺も希と話がしたい!】

【自分勝手な…】

「スマラグドスの言う通り、私も希ちゃんに会いたいけど?」

 仕方がない、とアントラクスがぼやく。その途端に赤い光がどこからともなく集まって、その光が人の形になる。

 光が収まると、そこには希がいた。

 雪の上に猫のように丸まって、寝ている。

「うわーお。気持ち良さそうだね、希ちゃん」

【うむ。だからもう少し寝させたかったんじゃが…】

【起きろ!希、起きるんだ!】

「【五月蠅い】」

 柘榴とアントラクスの声が重なった。頭の中でガンガン響くスマラグドスの声が大きすぎて、耳を塞ぐ。楽しそうに希に呼びかけるスマラグドスの声に、威厳と言うものが感じられない。

 何度聞いても、スマラグドスの喋り方はラティランスっぽくない。

 五月蠅いスマラグドスに起こされ、希はゆっくりと目を開けた。

「…おにい、ちゃん?」

【残念、スマラグドスの方でした!】

「…五月蠅いです。静かにしていただけませんか?」

 眉間に皺を寄せ、淡々と述べた希。スマラグドスはすぐさま黙った。ふらつきながらも起き上がろうとした希の身体を、柘榴はすかさず支える。

「大丈夫?希ちゃん」

「はい。私達…生きているのですよね?」

「生きてなきゃ、目の前にいないでしょ?」

 目覚めたばかりで頭の回らない希に笑いかければ、希も笑った。嬉しくて、柘榴は力いっぱい抱きしめる。希は訳の分からぬまま、首を傾げる。

「それで、どうしてこんな場所に私達はいるのでしょうか?」

【それはここには人が来ないから。さて、二人が目を覚ましたところで。お願いが、一つ】

「お願い?」

「何ですか?」

 スマラグドスが言葉を続ける。

【君達はもうほぼ人間なので。無茶な戦いには巻き込まれないこと】

「いや、好きで巻き込まれているわけじゃないし」

【君達の身体は俺らの中で過ごしたから、成長はしていないけど怪我は治っている。今度大怪我をしても、今までのようにはならないからね】

 柘榴のツッコミを無視して、満足そうに言い切った。

 希が、不思議そうに問う。

「私達はこれから普通の日々を送れるのですよね?」

【うん?】

「お二人はどうするのですか?」

 希の質問に、アントラクスもスマラグドスも黙る。誰も口を開こうとしないので、アントラクスがため息交じりに言う。

【そんなことは気にするでない。時間が勿体ないんじゃ、さっさと家に帰ればいい】

【そうそう。俺らは姿が見えなくても、いつだって傍にいるからさ】

 ばいばい、またね、元気でね。一方的なスマラグドスの声が徐々に消えていく。

 それ以降、アントラクスとスマラグドスの声はしない。

「…アントラクス、もういない?」

 返事は、ない。

 おそらく、さっきの会話が最後の言葉だったに違いない。あまりにも呆気なくて、柘榴は呟く。

「行っちゃった、の?」

「お礼も、お別れも、言えませんでしたね」

 隣に座っている希も、呟く。急展開に頭がついて行かないのは柘榴だけではないが、よし、と気合を入れて立ち上がる。

 柘榴は勢いのまま振り返って、希に右手を差し出す。

「帰ろっか」

「はい」

 笑顔の希の温かい右手が重なった。


 山を下り、砂利道を歩いて、真っ赤な屋根の家が見えた。畑に囲まれた一軒家がポツンと建っている。懐かしい我が家に、自然と柘榴は笑みを隠せない。

 黄色い軽自動車が一台停まっていて、家の中の電気が点いている。

「さーて、どれくらい時間は経っているのかな?」

「どうしますか?全然違う人が住んでいたら」

「いや、車変わってないから。大丈夫だと思うけど?」

 不安になりつつも、柘榴は自宅のインターホンを押す。

 押した後に、柘榴は話し出す。

「…今更ながら、こんな格好で家に帰るのも、酷いよね?」

「そうですね。夜だから人に会わなくてよかったのですが、確かに酷い格好です」

 苦笑いをして、全身を見下ろした希。柘榴は言う。

「時間が止まっていたから、仕方がないのかな?でも、それなら服も直して欲しかったね――」

 話していた柘榴の言葉が途中で消えて行った。

 ガチャ、と鍵が開く音がして、たった数か月ぶりの感覚で柘榴は目の前の母親に笑いかける。

「お母さん、ただいま」

「ざく、ろ?」

 呆然として立ち尽くす母親に、柘榴の方が不思議になって首を傾げた。

「うん、柘榴だけど。どうしたの?」

 まるで死んだ人間にでも会ったような顔で、叫ぶ。

「お父さん、早く玄関に来て下さい!お父さん!」

 ドタバタと家の中に駆け戻って、祖父を呼びに行く母親。置いて行かれて、柘榴は不満な声を漏らす。

「なんで、放置?」

「さあ、どうしてでしょうか?」

 希が柘榴の母親の心情を理解出来るはずもない。我が家に帰って来たはずなのに、家に入っていいのか分からない。

 柘榴は玄関の前で希と一緒に靴を脱げない状態で、この先の展開を待つ。

 それからすぐに祖父も玄関に出てきた。

 柘榴と希の顔を見て、よかった、と言って泣き崩れる祖父。そんな祖父を支える柘榴の母親も、嬉し涙を流す。そんな二人の様子に照れながら、そっと柘榴は近寄った。



 夜、十一時前。

 寮の自室で勉強をしていた苺は、突然鳴った携帯のバイブに驚いた。

「…お母さん?」

 夜遅くに連絡があることなんて、初めてのこと。嫌な予感を感じつつも、電話に出る。

「もしもし?」

『苺?今すぐ家に帰って来れる?』

「え?私、明日学校が――」

 ある、と言う前に母親が遮る。

『いいから、今すぐ準備をして!タクシーで家に帰って来なさい!寮の人には今すぐお母さんが連絡するから。いいわね?』

 問答無用で、母親は電話を切った。あまりにも必死な声だったので、何も聞けなかった。

 不安だ、家で何か起こったことは確実で、それが何かも分からない。

 それからすぐに必要最低限の物だけ持って、部屋を飛び出した。寮の入口で管理人に呼び止められ、タクシーを待ってすぐに寮を出た。

 

 タクシーで家に着いた頃、日付はすでに変わっていた。

 駆けこむように玄関のドアを開ければ、玄関で二人の少女が笑っていた。

「え?」

 驚いて、動きが止まる。玄関のドアを開けたまま、苺を見るなり右手を上げ、柘榴は微笑む。柘榴は中学時代のジャージを着ていて、希はだぼだぼのパーカーとズボンを履いていた。希の服は、上下とも柘榴の私物。

「おかえり、苺」

「こんばんは、苺さん」

 見間違えるはずがない。

 目の前にいるのは大好きな姉で、姉に少しでも近づきたくて高校まで遠くを選んで。ずっとずっと帰って来ると信じていた、柘榴の姿。

 その隣にいるのは、出会った時から憧れていた姉の友達。可愛くて、優しそうな雰囲気を持つ希の姿。

「おねえ、ちゃん?希、さん?」

 疑問形で訊ねて、そのままずるりと座りこむ。

 座り込んだ苺の傍に、柘榴は駆け寄って抱きしめる。

「ただいま、苺。高校生になったんでしょ?可愛くなったねー」

「本当に、お姉ちゃんなんだよね?帰って来たん、だよね?」

 うん、と柘榴が静かに頷いた。目頭が熱くなって、ぽろぽろと涙が溢れて止まらない。柘榴にしがみつけば、実感が湧く。

 その感触、柘榴の懐かしい匂い。嘘じゃない、夢じゃない。

「おねっちゃ…ん…。おねえ、ちゃんっ!」

 声を上げて泣き出した苺を、優しく受け止める柘榴。希は二人の様子を、黙って嬉しそうに見守った。

 苺にとって、柘榴はたった一人の姉。兄である柚が、お姉ちゃんと呼んでいたから。柚と同じように呼ぶと柘榴が思い出すと思い、意識的に柘榴の前では『おねえ』と呼んでいた。

 本当は『お姉ちゃん』って、呼びたかった。

 柚のように、『お姉ちゃん』って。

 ようやく、呼ぶことが出来た。嬉しくて、幸せで、苺は暫く泣き続けたのだった。



 泣いていた苺と一緒に、柘榴は久しぶりに自分の家のベッドで横になる。最初に希が柘榴の家に泊まった時のように、柘榴の隣で苺はベッドの半分を占領して眠る。

 タクシー移動に疲れたのか。夜遅かったからか。

 柘榴と希より先に寝てしまった苺は、ぐっすりと寝息を立てて眠る。

 前の時は柘榴が途中で起こしてしまったが、今回はそんなことはないだろう。

 安らかな寝顔で、その手はしっかりと柘榴の服を掴んでいた。

「苺さん、気持ちよさそうに寝ていますね」

 ベッドの横に布団を敷いて、希は素直に感想を述べた。何となく恥ずかしくなり、少し赤らめて頬を膨らませつつ毛布を苺に掛け直す。

「もう、高校二年なのに泣き過ぎ。お母さん達もだけど」

「嬉しいのですよ。私達、死んだみたいなものでしたから」

 生死不明、と伝えられていた家族の帰還に喜ぶ気持ちが分からなくもないが、希に見られていた事実が、恥ずかしい。クスクス笑う希に、柘榴は言う。

「とりあえず、明日からどうする?」

「そう、ですね」

 少し考えてから、希は呟く。

「…皆さんに、会いたいです」

「友樹さんに会いたい?」

「もうっ!」

 近くにあった枕を、希は顔を赤くしながら投げた。苺に当たりそうになったので、慌てて枕を掴んでホッと息を吐く。

 苺を起こさないように、声を潜めて言う。

「ちょっと、希ちゃん…」

「ごめんなさい。つい」

 柘榴にも非があるので、それ以上は言わない。希はバツが悪そうに黙って顔を下げたので、まずは話題を変えるため明るく話し出す。

「そう言えばさ。夕飯の時の苺の話、覚えている?」

「苺さんの話、ですか?」

「苺を含めた五人で訓練部、の話。めっちゃ楽しそうだったね」

「そうですね。ネーミングセンスが、気になりますが」

 そうかな、と首を傾げれば、希は苦笑い。柘榴は、言う。

「苺の言う通り、目立つよね。あの四人。それでも真面目に訓練をする、蘭ちゃんと浅葱。巻き込まれる蘇芳と鴇。ウケるんですけど」

「笑いすぎでは、ありませんか?」

「だって、さ」

 その姿は容易に想像出来る。いつまでも訓練好きな二人で何より、と思うべきか。他のことに目を向けろ、と言うべきか。

 蘭が変わっていない様子に喜ぶべきか、嘆くべきか。

 笑っている柘榴に、希は瞳を伏せて静かに言う。

「皆さん、元気そうで何よりだと思うのです。でも、駄目ですね。皆、前に進んでいるのに。二年と言う月日が流れたことが、やっぱり…」

「悲しい?後悔、している?」

 途中で言うのを止めた希の言葉を引き継ぐように、柘榴は問う。

 いいえ、と首を横に振った希。

「確かに悲しいですが、後悔はしていません。私が選んだことですから。ちょっと、信じられない。という言葉が浮かんだだけなのです。柘榴さんは?」

「うん。私も、後悔はしていないよ。でもまあ…力をなくした実感も、二年と言う月日が流れた実感も、今の私にはない、かな?」

 本当に、実感はない。

 どれだけ周りが喜んでも、嬉し泣きをされても。実感が湧かない。ほんの数時間前には終冶と戦って、飛行船で香代子から逃げて。気がついたら、神社にいた。

 それが柘榴にとっての、真実。

 家族には二年間の記憶がない、と言ったが、まさにその通りだ。二年、と言う月日を柘榴は過ごしていない。周りにとっての二年が、柘榴にはない。

 でも、と言う。

「会いたいね。皆に、会いたい」

 しみじみと言いながら思い出すのは、飛行船から飛び降りた時のこと。柘榴と希に向かって、必死に手を伸ばそうとしていた結紀と友樹。その奥にいた蘭と浅葱。

「大好きな人達がいる、会いたい人がいる。それが私にとっての幸せなんだって、今だから言えることだと思うんだ」

「…はい。そうですね、今の私達は幸せ、なのですね」

 微笑む柘榴と目が合った希が、ぎこちなく笑う。その頬を、涙が流れた。

「本当に、本当に幸せなのです。生きていて、帰って来れて…」

 段々と小さくなった声。欠伸をした希は、そのまま顔を枕に押し付けた。夜遅くに喋っていて、眠くなったに違いない。

 すでに眠っている苺が、寝返りを打ってから呟く。

「おか、えり…」

 何度も何度も寝言を言う苺。柘榴は優しげな笑みを浮かべて、ずれてしまった毛布を掛ける。

「ただいま、苺」

 小さく呟いた柘榴の声が聞こえていたのか、苺は嬉しそうな顔で眠っている。

「それから、おやすみ。希ちゃん」

 小さく希は頷いた。それからすぐに希の寝息が聞こえた。

 明日になれば、皆に会える、蘭に浅葱、蘇芳や鴇。柊、キャッシー、キャサリン。それから、結紀。

「お蕎麦の約束は、まだ有効かなー?」

 ぼそりと呟いて、柘榴は目を閉じた。



 夜遅くに寝たはずなのに、朝七時前に目が覚めてしまった。

 最初に起きたのは柘榴で、近くにあった携帯を操作して時間を確認する。

「…六時四十五分?」

 時間を確認した後、ぼんやりとした頭でメールを作る。確か昨日、苺は学校の後なら蘭に会える、と言っていた。それなら、と文字を打つ。

「『蘭ちゃんへ。今日の放課後に一緒に買い物に行こう!』…で、いいかな?」

 自分の携帯ではなく、苺の携帯を操作していたことに、柘榴は未だ気付かない。似ている携帯の機種。寝ぼけたままの状態の柘榴は、ベッドから降りて希を揺さぶりながら言う。

「希ちゃん、これでいーい?」

「うーん…?」

 同じく寝ぼけた希が布団から顔を出し、携帯の画面を見る。柘榴の手から携帯を受け取り、文字の修正をして柘榴に返す。

「…これで問題、ないれすよ?」

 呂律の回らない希が言い終わると同時に、布団に戻る。

「分かった。じゃあ、送っておくね」

 言いながら、もう一度文章を読む。

 最後の文が、変わっていた。言いたいことは変わらないし、問題ないだろう、と迷わず送信ボタンを押した。

「これで、後は――」

 話している途中で、ベッドに戻る。まだ眠い。そのまま瞳を閉じれば、また眠気が襲ってきた。



 九時半過ぎ。

 どうして朝から蘭にメールを送ったのか、寝ぼけていた柘榴には分からない。

「…お姉ちゃん、勝手に私の携帯を使わないでよ」

「いや。なんか送らなくては、と言う使命感が?」

「何それ?」

 遅めの朝食を食べながら、苺は不満げに柘榴に言った。柘榴は味噌汁を飲みながら、希に問う。

「私、希ちゃんに確認とか…したよね?」

「そうでしたっけ?」

 さっぱり覚えていない希が、お茶を飲みながら首を傾げる。おかしいな、確認をしたような気がするが、柘榴も覚えているわけじゃないのでそれ以上追及できない。

「まあ、いいじゃん。どうせ蘭ちゃんにも会いに行くつもりだったから。待ち合わせ場所とか集合時間とか、後で連絡しておいてね」

「そんなー」

 苺の携帯には、蘭からの返信が来ていた。蘭自身、苺からのメールを不審には思っていない様子だったので、そのまま苺としてメールして蘭を驚かすことにしよう。

 一人納得して、柘榴は言う。

「苺、どうせ今日は学校休むんでしょ?買い物行かない?」

「え、でも…」

 行きたい、と目を輝かせつつ、苺は母親の顔色を伺った。仕方がない、と言う顔で台所にいた母親は笑いながら、言う。

「いいわよ。折角だから、五人で外食に行く?苺を高校に送るついでに。どうですか?お父さん」

「ああ」

 素直に祖父が頷く。本心はすごく嬉しいのだと言う気持ちが、見て分かってしまうので柘榴はにやついてしまう。

 よし、と柘榴の母親が明るく言う。

「あと、三十分以内に出発ね。全員、さっさと支度をすること」

「「「はーい」」」

 柘榴と希、苺の三人は声を揃えて、頷いた。


 支度をしている途中で、思い出したように希が言う。

「柘榴さん、柊さんに連絡をしませんか?」

「それも、そうだね。それじゃあ、苺の声真似して電話をしよーっと」

「楽しそうですね、柘榴さん」

 柘榴の私服を借りて着替えた希が、呆れながら言った。隣の部屋で支度をしていた苺の携帯を拝借して、さて、と柘榴は言う。

「三時頃なら、会えるよね?」

「おそらく?」

「苺に喫茶店がないか聞いたら、『さくら』って言う素敵な喫茶店があるらしいよ」

 用意周到ですね、と呟いた希の言葉は聞き流す。ベッドに腰掛けた柘榴の横に、希も座る。苺の携帯で連絡先を探すが、見つからない。

「…どうしよう?柊さんの連絡先がない」

「組織の電話番号なら覚えていますよ?」

「マジ?」

 希の記憶力に素直に驚くが、希はさも当たり前のように電話番号を述べる。番号を打って、コール音を聞きながら、柘榴は声を潜めて言う。

「普通、覚えてないよね?」

「えへへ」

「えへへ、じゃなくて……あ、もしもし、突然すみません。以前そちらでお世話になった柘榴の妹の、苺と言います。柊さんはいますか?」

 若い女性の対応に、平然と嘘を言う柘榴。

 今度は希が驚く。

「あ、そうです。その柊さんいますか?」

『少々、お待ちください』

 軽やかなメロディー音。ホッと一息をつく間もなく、メロディー音が切れた。

『はい、代わりました。柊です』

「あ、こんにちわ。苺です。えっと…二年ぐらい前は、姉が大変お世話になりました」

「二年ぐらい前は、て…おかしくありませんか?」

 柘榴の言葉に、希が笑いを耐えようとしている。キッと睨むが、希は声を出さないように口を押さえるだけである。

『ああ、お久しぶりです。こちらこそ、柘榴さんには大変お世話になりましたから。今日学校は?』

「えっと…体調を崩して、今は実家にいます」

『ああ、それで。失礼しました』

 苺だと信じて、真面目に答える柊に笑いそうになる。

「それで、突然ですが。どうしても見て欲しいものがありまして、今日の昼過ぎに会うことは出来ませんか?…て、やっぱり、迷惑ですよね?突然、こんなことをお願いして」

 流石に無理かな、と思いつつ最後は早口で言い切る。

 柊なら大丈夫だろう、と思っていたが、柊は困ったような返事を返す。

『いえ、ただ今日の昼からとなると。急すぎて――』

 柊の話の途中で、隣の希は、頑張って下さい、と繰り返す。そう言われたら、頑張るしかない。柘榴は必死を装って話す。

「でも、どうしても見て欲しいものがあるんです。お時間もお掛けしませんし、少しだけでもお会いできませんか?」

『今日の午後、ですよね?ちょっとだけ、待っていただけますか?』

 少し、間があく。

『あー。何とかなりそうなので、大丈夫です。時間と場所はどこにしましょうか?』

「高校の近くの喫茶店でもいいですか?確か、さくらって言う喫茶店がありましたよね?三時に待ち合わせ、でいいですか?」

『さくら、三時…と』

「はい。詳しい場所ですが――」

 苺からの説明を懸命に思い出して、場所を教えた。説明し終わると、またね、と言いそうな勢いで電話を切る。終わった直後に、希は腹を抱えて楽しそうに笑い出した。

「凄いです。なんか、柘榴さんと苺さんを足して、二で割ったような話し方でした」

「それ、酷くない?元々声が似ているから、ちょっと話し方をおしとやかにすれば苺みたいだと、思ったんだけどなー」

「それは違いますよ」

 バッサリと否定され、柘榴は頬を膨らませた。

「そんなこと言っていると、置いてくよ」

「えー、それは嫌ですぅー」

 コロコロ笑いながら、希と一緒に立ち上がる。それから柘榴と希は一緒に、部屋を後にしたのだった。


 


 柘榴の母親と祖父は、三時を過ぎる前に車に乗って家に帰った。苺は顔を合せるのは遠慮する、と言って寮へと戻った。

 柊と三時に待ち合わせがあったので、柘榴と希は二人で喫茶店へと向かう。

「柘榴さん、後で絶対にお金返しますからね」

「はいはい。それ、もう何回目かな?」

 喫茶店に向かう前に、買い物を済ませて来た。

 新しい服一式を揃えて、人通りの少ない道をゆっくりと歩く。二年も経てば、街はある程度元通り。平和な日常を噛みしめながら、柘榴は言う。

「時間まで、もう少しだっけ?」

「はい」

「柊さんなら、時間通りじゃないと来ないでしょ」

「そうですね。蘭さんだったら絶対に先に来て、待っていてくれそうですけど」

「わっかる!」

 即座に、柘榴は同意した。ふと、顔を上げた先に見知った青年を見つける。

 手を振って、叫ぶ。

「結紀!何やってんの!?」

 柘榴の声が通りに響いた。結紀は心底驚いた顔で、柘榴と希を凝視する。

「あ、キャッシーさんもいるみたいですよ」

「あれ、柊さんはいないの?」

 おかしいな、と首を傾げた柘榴。結紀の隣にいた洋子も、振り返って柘榴と希の方を向いた。何も言わず、両手を口に当てる。

 ゆっくり歩いて、二人の目の前に行く。

「二人とも、柊さんの代役?それにしても、少し雰囲気変わった?」

 にっこり笑って、柘榴は言った。柘榴と一緒に来た希も、嬉しそうに洋子に駆け寄る。

「キャッシーさん?」

「希ちゃん…柘榴ちゃん?」

 信じられないと言う顔で、洋子がそっと希の頬に触れた。生きている温かさ、感触がそこにいるのだと実感して、力いっぱい抱きしめた。

「希ちゃん!本当に、希ちゃんなのね!」

「は、はい!」

 元気よく返事をすれば、ますます希を強く抱きしめた。

 洋子と違って、結紀は静かだ。柘榴と目が合って、何か言おうとして、それでも口を閉ざしてしまう結紀。感動の再会、にはならないので、柘榴は頬を膨らませて言う。

「今年は年越し蕎麦を作ってくれるでしょ?」

「あ、ああ」

 その言葉を聞けただけでも、嬉しくて喜びを隠せない。約束を覚えているのは柘榴だけじゃない。戸惑っていた結紀が微かに笑って、柘榴の頭に手を置いた。

「…本当だ、本当に柘榴だ」

「髪の毛ぐじゃぐじゃにしないでよぉ!」

 止めて、と騒いでも結紀は中々止めてくれない。笑顔に変わって頭を撫でているので、途中から仕方がない、と思ってしまった。

 通りの真ん中で騒いでいた四人。

 その四人に、ひっそりと近づく一人の人物。

「仲間外れは、止めてくれない?」

 悲しそうな声が聞こえて、振り返る。肩を落として、お手上げ状態を示した柊が傍にいた。

「「いたの?」ですか?」

 驚いた顔の柘榴と希が同時に言った。柊は泣きそうな顔になって、一人いじけ始めてしまうのだった。


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