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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第7章
44/59

40 逃避編01

 地上へと戻った柘榴と希。巨大な龍、スマラグドスが近寄って来て、柘榴も希もその身体に乗り移った。スマラグドスは空を優雅に飛び、鬼の上空をゆっくりと回る。

【ほら、燃えつくせ。アントラクス!!】

【スマラグドス…お主は、戦わんのか】

【任せるよ。鬼ぐらい、お前の業火で燃やしつくせばすぐ消えるだろう】 

 箒に乗ったせいで酔った柘榴は、ドラゴンのアントラクスとスマラグドスの会話をぐったりとした状態のまま聞いていた。

 翼を広げたアントラクスが、火を噴き鬼を燃やす。

 燃やしては再生し、燃やしては再生することの繰り返し。その再生する力は段々と遅くなり、鬼が消えていく様子を柘榴は無言で見守った。

 おそらく時間にして、数十分の出来事。

 鬼が消えた後、アントラクスもスマラグドスも何も言わずに姿を消した。


 砂浜にいるのは、立ちつくす柘榴と希。

 目の前の海は波が寄せては返し、その音が響く。二人ぼっちの砂浜で、ぼんやりと前を見据えていた柘榴は、隣にいる希の方を向かずに小さく呟く。

「…終わったんだよね?」

「はい。終わりました」

 あっさりと認めた希の言葉に、柘榴は眉間に皺を寄せて疑問を口にする。

「最後…全然戦ってないよ!?ゲームで言うラスボスの鬼がいたのに、戦ったのは結局アントラクスだよ!どうなの!ねえ、これでいいの!?」

 希の肩を軽く前後に揺さぶりながら、柘榴は問いかける。

「どうしたのですか?終冶さんも助けて、鬼も倒して、平和に一件落着です」

「鬼を倒したかったぁ!」

 空に向けて、本音を叫んだ。どうせなら自分の手で終わらせて、終わった、と言う実感が欲しかった。それなのに何もしていない。

 柘榴が休んでいる間にアントラクスに手柄を横取りされた気分である。

「解せぬ!」

「もう、終わったことに何を言っているのですか?」

 困ったような顔で、希は言った。そのまま一人で海に向かって歩き出した希を追い、海に入る一歩手前で止まった柘榴。

 希は気にせず、ローファーを履いたまま海に入った。

「うわー。やっぱり冷たいですね」

「冬だから当たり前」

「ですよね」

 スカートを濡らさないようにして海水をすくった希は、笑顔で柘榴を振り返る。

 嫌な予感。

「えい!」

 と、柘榴の顔に海水がかかった。予想内の出来事だけれど、問わずにはいられない。

「…希ちゃん?え、私に恨みでもあるの?」

「柘榴さんの目を覚まそうと思いまして。終冶さんは助けました。鬼も倒しました。もう戦わなくていいのです。素直に喜びませんか?」

 顔から滴る海水を拭いつつ、笑顔の希を見つめる。

 希の言う通りで、もう戦わなくていい。冷たい水のおかげで、目が覚めた。柘榴は微かに微笑んで、そうだね、と呟く。

 同時に柘榴も海に飛び込む。

「っ冷たい!めっちゃ、冷たい!」

「あはは。楽しいですね」

「ですね――って、言うけどやられたら、やり返すからね!」

 希の顔に水をかける。希は予想外の出来事だったようで、驚いた顔で何度も瞬きを繰り返す。その顔は驚きから、笑顔に変わる。

「…やりましたね。えい!やあ!」

「って、手加減なしね!」

 海水が傷口に触れる度に、少し痛い。痛いけど、それ以上に楽しい。希の身体だって、沢山の傷がある。打撲だったり、切り傷だったりするが、それは柘榴も一緒。

 流石に膝上以上、海に入るのは避けようとしているのに希は気にしない。

「柘榴さん、逃げないで下さいよ!」

「傷が染みて痛いの!希ちゃんだって、そうでしょ!?」

「それ以上に楽しいのです」

 希が満面の笑みを浮かべ、答える。その通りなので、柘榴は笑顔で頷く。

 戦闘服は綺麗ではなくなったけど、でもまだ着れる。遊んでいるうちに、半分くらい濡れてしまった。風邪を引く前に、希と一緒に砂浜に戻る。

「柘榴!希!」

 砂浜で服を絞っていた柘榴と希が、ほぼ同時に声のした方を振り返る。

「蘭ちゃん…」「蘭さん…」

 蘭が走って駆け寄ってくる。その顔は嬉しさと喜びに満ちていて、思わず柘榴も希も駆け寄ろうとした。

「――って、終わったら無事の連絡入れなさいよ!!!」

 蘭の怒声。蘭の顔がみるみる怒りに変わり、駆け出そうとした足が止まった。

 本能で悟る。今の蘭に捕まったら怒られる。

「希ちゃん、パスしていい?」

「今日は疲れているので、私もちょっと…」

 希も柘榴と同じ、身の危険を感じている。無意識に一歩ずつ後退する。こんな時まで蘭に怒られたくない。あと数秒で、蘭に捕まる。

 その前に。

「せーの、で行こうか」

「はい。そうしましょう」

 柘榴と希。考えていることは、一つ。

「「せーの!」」

 声を合わせて、一気に方向転換。蘭とは真逆、蘭に背を向けて走り出す。柘榴も希も、疲労が溜まっているはずなのに、その顔に浮かぶのは焦り。

「ちょっと!なんで逃げるのよ!」

「だって蘭ちゃん!追いかけてくるんだもん!」

「蘭さん、落ちついて下さい!」

 叫んで、追われて。とんでもない一日。それでも、そろそろ日が落ちる。辺りは少し暗くなり始めた。

 今日が終わる。十二月三十一日があと少しで、幕を閉じる。

 柘榴も希も笑みを浮かべつつ、蘭から必死に逃げるのだった。


 砂浜に止めた一台のワゴン車に寄りかかり、タバコを吸っている柊は走り回る少女達を眺めていた。あれだけ派手な戦いをしたはずなのに、少女達は元気いっぱいだ。

「…若いなあ」

「馬鹿言ってないで、止めて来なさいよ」

 呟いた柊のすぐ横に、同じように車に背を預け少女達を見る洋子。呆れた声で、言葉を続ける。

「あの子達、相当怪我しているのよ。誰かが止めなきゃ倒れるわ」

「そう言う人が、止めて来てくれよ」

「嫌」

 洋子の視線の先にも、楽しそうに笑い合う少女達の姿が映っている。その瞳は優しく、見守るように少女達を見つめる。

 柊と洋子の傍に、少年三人がやって来る。

「アクアマリンを回収して来ました」

「お、御苦労さま、浅葱くん。蘇芳くんも鴇くんも。本当にお疲れ様だったな」

 浅葱が抱えるように持っているのは、厳重に布に包まれたアクアマリン。終冶の車の中にあったアクアマリンは回収できても、真っ黒に輝くオブシディアンは見つからなかった。

 見つからなくても仕方がない。オリジナルではないのだから、と言う言葉を心の中にだけに秘めておく。

 アクアマリンは決して誰も触れることのないように、適合することがないように。十分な注意をして、浅葱達が車に乗せる。

「…それにしても、元気だね。希ちゃん達」

「理解不能」

 鴇も蘇芳も、純粋に尊敬するような眼差しで、海辺を走る回る少女達を見た。

「ただの馬鹿だろ」

「その言葉は蘭ちゃんに直接言いなよ、浅葱」

「言えるか!」

 鴇にすぐさま言い返した浅葱は、頬を膨らませてそっぽを向いた。浅葱の様子に、蘇芳と鴇は笑う。

 少女達を見ている人間は、あと二人。すでに運転席に座っている結紀、その隣の助手席には友樹。

「あー、早く帰ろうぜ」

「そう思うなら、早く連れ戻してくればいい」

 腕を組み穏やかな表情を浮かべていた友樹が、表情とは裏腹に冷たく言い切った。それもそうだな、と疲れて深く座っていた結紀は、開いていた窓から身を乗り出して思いっきり叫ぶ。

「柘榴!飯、食べね―のか!帰らね―と食えないぞ!」

「え、食べる!帰る!」

 数十メートル先を走っていた柘榴の耳に、しっかりその言葉は届いた。即座に向きを変えて車に向かって駆け出した柘榴の姿に、傍にいた柊が呟く。

「いやー、結紀くん。お見事」

「まあ、柘榴の場合。食い意地が人一倍なんで」

 柘榴が嬉しそうに走って、希と蘭は走らずに談笑しながら車に帰って来る。

「ご飯!ご飯!」

 誰よりも嬉しそうな声は、柘榴。

「お腹が空きましたね」

「本当よ。さっさと帰りたいわ」

 希の横で疲れた顔をしている蘭の顔色は、柘榴と希が砂浜に戻って来る前より随分良くなった。希は微笑みながら、足取り軽く歩く。

 戦っていた時と、雰囲気は全く違う。

 傍から見たらどこにでもいそうな普通の少女達が車に乗り込もうとして、希だけが車に乗る前に首を傾げながら柊を見た。

「あの…柊さん。お尋ねしてもよろしいですか?」

「ん?どうした?」

 希はぐるんと周りを見渡す。

 運転席には結紀、その隣の助手席には友樹。浅葱と蘇芳と鴇が一番後ろに乗り込んでいて、柘榴と蘭も車に乗った。柊と洋子だけが、まだ車に乗っていない。

 言いにくそうに、希が問う。

「この車だと、全員乗れませんよね?」

「ああ、それなら心配しなくて――」

「いいのよ。キャサリンが迎えに来てくれるから。希ちゃん達は先に戻っていてね」

 柊の言葉を途中で遮って、ウインクをした洋子が希に言った。安心した希はすぐに車に乗り込むが、柊は納得できない。

「わざわざ遮らなくても」

「五月蠅いわ、柊。結紀、ちゃんと皆を飛行船まで連れて行くのよ!」

「はいはい」

 洋子の命令に曖昧に頷いた結紀は、それからすぐに車を発車させた。

 残されたのは柊と洋子、それから離れた場所で気を失っている終冶。終冶は浜辺に倒れていたので、動けないように手足を縛ってある。

 おそらく、もう少しすれば終冶は目を覚ますだろう。

 その後は終冶に話を聞かなければいけない、と柊は思いながら、悲しそうな顔で意識を失っている終冶の顔を眺めた。



 飛行船に着き、全員が医務室に向かった。

 一番酷かったのはもちろん柘榴と希だったわけで、最後は蘭から逃げ回るほど駆け回っていたのに、疲れた、と言ってそれぞれ奥の部屋のベッドに倒れ込んだ。

 医務室で怪我を診てくれる人は香代子しかいない。

 柘榴と希が早々に奥の部屋に向かったので、蘭も付き添って奥の部屋に入った。

「大丈夫なの?」

 心配そうに、蘭は尋ねる。

 柘榴はうつ伏せに倒れ、希は仰向けになって寝ている。

「大丈夫、大丈夫。まあ、全身が筋肉痛みたいだけど」

「頑張りましたからね」

「私は掠り傷ばっかだけど、希ちゃんは?」

「私もそんな感じです」

 柘榴も希も問題ない、と言わんばかりの声で言った。近くの椅子に座りつつ、二人の様子を蘭は観察する。柘榴と希は鬼を相手に戦って、それから終冶まで助けて、鬼を倒して。相当疲れているのは当たり前で、途中から戦闘をしていない蘭よりずっと頑張っていた。

 頑張っていた、なんて一言で済ませられない。

 もう血は止まっているが、柘榴は頭から血を流していたし、希は背中から車に衝突していた。大きな怪我はすでにふさがっているらしいが、心配でたまらない。

 もっと力があれば、と蘭は両手を握りしめて目を伏せる。

 柘榴と希は蘭の心情を知らず、陽気に話し出す。

「でもさ、柊さんとキャッシー、まだ帰って来ないのかな?」

「どうでしょうか?そろそろ帰って来たのでは?」

「そうなのかな?蘭ちゃんは、どう思う?」

 不意に問われて、驚いて顔を上げた蘭。

「え、そうね…。もう帰ってきているかもしれないから、私が少し見て来るわ」

 言いながら、椅子から立ち上がる。この場にいると心が苦しくて、逃げ出すように医務室のドアを開けた。

 医務室は、人が多くて狭い。

 香代子の目の前には傷の手当てを受け、痛さに耐えている浅葱。その後ろで浅葱を押さえているのは蘇芳で、その様子を鴇が面白がっている。香代子は最低限の応急処置を施しているだけで、すでに蘇芳と鴇の手当ては終わっている。

 誰もが重症という重症を負わなかったのは、終冶が手加減してくれていれたのかもしれない。

 怪我をしていない結紀と友樹はベッドに座り、まるで保護者のように浅葱達の様子を見守っていた。

 蘭を見つけた鴇が、あ、と声を上げた。

「蘭ちゃん!柘榴ちゃんと希ちゃんの具合はどう?」

「大丈夫みたいよ。とりあえず、横にはなっているわ」

「それなら、次は蘭ちゃんの手当てをするから。こっちで待っていてね」

 手際よく手当てをしながら、香代子が蘭を見ずに言った。ドアの前で立ち止まっていた蘭は頷いて、空いているベッドの端、結紀の横に腰をかける。

「おお、痛そう」

「他人事ね、結紀」

「だって俺、怪我してね―もん」

 蘭の隣で結紀は笑っている。痛がる浅葱に、香代子が手加減をすることはない。そして、おそらくこの部屋の中で怪我が一番酷かったのは浅葱だ。

 蘭は砂浜ですでに手当てをしてもらったので、残りの掠り傷を消毒するくらいだろう。

 浅葱の手当てを終え、香代子が改まって蘭の方に目を向けた。

 タイミング悪く、香代子が口を開く前に医務室のドアが開く。

「どう?皆手当て終わったかい?」

「ドア、ノックしてから普通入るでしょ」

 元気よく医務室に入って来た柊の後ろから、呆れた洋子が医務室へと足を踏み入れた。香代子がキッと睨むが、柊は笑って流す。

「手当てが終わった人を呼びに来たよ。今日はこれから食堂で年越しパーティーだってさ」

「柘榴企画のあれな」

 結紀が思い出したように、笑った。

「そう、あれ。と言うことで結紀くんはキャサリンが呼んでいるし、友樹くんも整備部の面々が呼んでいたよ。浅葱くん達も早めに食堂に移動して準備を手伝ってもらえるかな?」

 柊の言葉で、それぞれが動き出す。

 浅葱と蘇芳、鴇の三人は素直に出て行き、結紀が友樹に話しかけながら出て行った。手を振りながら五人を見送った柊に、洋子が言う。

「で、なんであんたも残っているのよ。怪我してないでしょうが」

「ほら、部下の無事を確認してから戻ろうと思ってだな」

「柘榴ちゃんと希ちゃんの様子は私が見ておくわ。さっさと部屋から出て行け、この変態」

 脅すような声で洋子がバッサリと言い、柊が落ち込む。とぼとぼと肩を落としながら、柊は医務室から出て行った。半分以上人数がいなくなった医務室は、とても広く感じられる。

 真顔だった洋子は柊がいなくなった途端に、深いため息をつく。

 香代子が困ったような顔をしながら、洋子に言う。

「あいかわらず、仲がいいのか。悪いのか」

「香代子。悪いのよ、仲はすこぶる悪いのよ」

 友人のように話す香代子と洋子。

「とりあえず、ちょっと柘榴ちゃんと希ちゃんの様子を見て来るから。蘭ちゃん、手当てしてもらってね」

「ええ」

 素直に肯定して、蘭は香代子の目の前の椅子に座る。

 掠り傷の消毒が終わった後、包帯が巻いてあった左腕、アクアマリンがあったはずの腕の怪我を見た香代子が静かに言う。

「宝石、本当になくなったのね」

「そうよ…傷跡は残ったままかしら?」

「時間が経てばきっと薄れて行くわよ」

 言いながら、香代子が優しく包帯を巻き直す。

 宝石が、もうない。残ったのは、血の止まった傷跡だけ。

 悲しいと言うより、本当は少しホッとした。もう戦わなくていい、と安心している気持ちが少しだけある。そんな気持ちを持つのが柘榴と希に対して悪い気がして、罪悪感が消えない。

 奥の部屋に入っていた洋子は、それからすぐに戻って来た。

 蘭に微笑みながら言う。

「蘭ちゃん、手当ては終わった?」

「終わったわ。洋子は、年越しパーティーのこと知っていたの?」

 香代子に聞いたら、今日の午後に聞いた、と答えてくれたので洋子にも尋ねる。洋子はにんまり笑いながら、首を縦に振った。

「一応、ね。そのおかげでキャサリンは朝から大忙しだったみたいだから。夜の九時から開始で、もう何人かは集まっているわよ」

 戦いの前に何を計画していたんだ、と言いたくもなるが、柘榴らしいと言えばらしい。

 蘭は近くの時計を見る。

 時刻は七時三十分過ぎ。いつの間にか、時間はあっという間に過ぎていた。

「本当、馬鹿げた計画を考えたわね」

「そう言わないの、蘭ちゃん。ほら、蘭ちゃんも行きましょ」

 洋子が蘭の右腕を引っ張る。驚きつつ、香代子の方を振り返る。蘭の言いたいことが伝わったのか、香代子が先に口を開いた。

「先に行っていて。柘榴ちゃん達と後から行くから」

「でも…」

「ほら、香代子もそう言っているんだし。香代子に任せるのは一番よ」

 無理やりでも蘭を連れて行こうとする洋子。確かに残っていても何も出来ないし、としぶしぶ蘭は医務室から出て行くことにする。

 香代子に任せるのが一番、それを分かっているからこそ笑顔の香代子に見送られドアを閉めた。



 洋子が柘榴と希の様子を見に来た後、すぐに香代子がやって来て手当てをしてくれた。九時には食堂に一緒に行こう、と言う話をしていたが、香代子の携帯が鳴ったので部屋からいなくなった。

 後で食堂でね、と念を押されたので、香代子は医務室には戻らず食堂に直接向かうのだろう。

 奥の部屋にいるのは柘榴と希の二人。

 お互いベッドに寝っ転がりながら、無言で休息を取る。

 近くに誰もいないのを確認して、香代子はすぐには帰って来ないのを確認して、柘榴の方を向いた希は問いかける。

「柘榴さん。本当に、具合は大丈夫ですか?」

「あは、実はちょっと頭がズキズキしている…そういう希ちゃんは?」

「私も、実は肋骨が痛いのですよ」

 他の人には心配をかけると思い、言えなかった。柘榴に何とか笑いかければ、柘榴の表情も元気とは言えない。並んだベッドで顔を合わせ、希はようやく落ち着いて話が出来る、と深呼吸をする。

 言わなければ、いけないことがある。

「柘榴さん。私のお話聞いてくれます?」

「うん?」

 ゆっくりと話し出した希の真面目な声に、柘榴が続きを待つ。

 何だろう、と待っていてくれる柘榴の顔を見て、それから視線を下げて話し出す。

「私、スマラグドスときちんとお話ししました」

「うん。それで何かを掴んだの?」

 真っ直ぐに希を見つめた柘榴と目が合って、微かに頷く。

「鬼の中にいた時に、力を奪われていました。それは少しだけれど、でも奪われていた事実が気になってスマラグドスに尋ねてみたのです」

 うん、と相槌を打つ柘榴。

「私達は原石の力を宿しているから、奪われたのだろう、と。原石の力を宿している私達は、本契約者の私達は、徐々に成長しなくなって、長い時間を生きた後に喰われる。そんな私達は――」

 人ではないから、と言葉が響いた。

「その最期は、アントラクスに私も聞いた」

「そうでしたか」

「うん。それから、アントラクスが変なことを言っていたな。終冶さんの宝石は、造られた偽物だって」

「造られた、偽物?」

 柘榴の言葉を繰り返して、その意味を考える。

 その答えは出ない。あ、と思い出したように柘榴は言う。

「あと、『お主の、モノではない。だからいつか、お主の元から離れるだろう』とも言っていた気がする」

「いつか、離れる」

 呟いた希に、柘榴が頷く。

「『遠くない、未来』に」

「でもそれは、いつか定かではないのですね」

 泣きそうになる気持ちを押さえて、唇を噛みしめる。

 まだ、柘榴に言ってないことがある。言うか、言わないか、正直迷っていた。でも最善策がそれしか思い浮かばない。他が思い浮かばないから、言うしかない。

「柘榴さんは、鬼の中にいた時間がどれくらいだったか知っていますか?」

「数十分?」

「いえ、私達が体感している時間より長い時間が経っていたそうです。スマラグドスが教えてくれました。あちらとこちらは時間の流れが違う。けど」

 意を決して、言う。

「ラティランスの中なら、力を失くせるかもしれません。鬼の中で力が奪われたように、徐々にかもしれませんが。どれくらいの時間がかかるかは分かりませんが。何年という月日を費やすかもしれません、が」

 徐々に小さくなっていく声。

 それでも、と希は呟く。 

「私は力を失くしたいです。徐々に成長しなくなるなら、人でないなら。私は人に戻って生きて、いたい…」

 泣きそうになって、両手で顔を隠した。

 もしも片方だけでも助かって、確実に生きていける道があるなら希はその方法を選びたかった。柘榴が望まずとも、最後くらいは希が柘榴を救う道を選ぶつもりだった。

 でも、そんな選択肢はない。

 ラティランスを呼び出した柘榴と希は、もう戻れない。

「お、お互いのラティランスの中で過ごせば、いつか力がなくなる日が来るかもしれません。でもそれは絶対と言える確証はありませんし、もしかしたら一生そこで暮らす可能性だってないとは言い切れません」

 泣きそうで最初の声がつっかえた。それでも最後まで言いたかったことを言った。

 それが怖い。戻れないかもしれない、その可能性が何よりも怖い。

 最初から巻き込まれただけの柘榴を、いつでも希を助けてくれた柘榴を救いたかった。一人だけでも、救いたかったのに、結局最後まで一緒にいてもらうことになってしまった。

 それぞれのラティランスの中に入るには、一人じゃ出来ない。

 柘榴は黙って話を聞いていてくれた。起き上がって、結局泣き出してしまった希のベッドに腰掛けた柘榴が、希の頭を撫でながら優しく言う。

「ねえ、希ちゃん。泣かないで」

「ざく、ろ、さん…」

 泣き顔で不細工になった希。その顔を見た柘榴が微笑む。

「大丈夫、根拠なんてないけど、大丈夫だよ」

 確信があるように、柘榴は言う。

「このままここにいたら、きっとまた誰かが原石の力を利用として私達は巻き込まれる。そんなの、私は嫌。もうこれ以上、宝石の力が戦いを起こしてはいけないと思うんだ。希ちゃんがその方法が最善策だと言うなら、私はそれを信じるし、私は最後まで希ちゃんを守るよ。一人にしない、傍にいるから、ね」

 どれだけの時間が掛かるかも分からない。不確かな未来なのに、柘榴は恐れることを知らない。

 柘榴の選択が嬉しいのに、選ばせてしまった選択は悲しい。

 勢いよく起き上がって、希は柘榴にしがみついた。

「ごめん、なさい。ごめんなさい、柘榴さん!」

「もう、泣かないでよ。それならそれで、やらなきゃいけないことはあるんだからね」

「やらねきゃ、いけないこと?」

 しがみついたまま、泣き声で問う。柘榴が明るく言う。

「そう。皆に説明して、私達が集めた宝石の原石を破壊しよう。宝石は、ここにあっちゃいけない」

 その言葉に頷く。

「それで、最後にちゃんと…お別れ、してから行かなきゃ」

 後悔のないように、と小さく続けた。

 終冶と戦う前は、後悔をしないように過ごしたと思っていた。思っていたのに、死ぬわけでもなくいつ帰れるか分からない時間を過ごす方が怖くて、やっぱり後悔は増えるだけ。

 大切な人達が沢山いる。

 そんな人達とのお別れが辛くて、悲しい。

 もっと遊びたかった。もっと一緒にいたかった。もっと、大切な人達と同じ時間を過ごしたかった。

「っう、うわぁぁぁああん!」

「よしよし、泣け。いっぱい泣いちゃえ」

 柘榴だって辛くないはずがないのに、それでも希を気遣って慰めてくれる。

 優しさに甘えちゃいけないのに、涙が止まらなかった。小さな子供のように泣きじゃくる希の傍に、柘榴はずっといてくれた。




 洋子と一緒に食堂に辿り着いた蘭は、その盛り上がりに引きそうになった。

 まるでクリスマスパーティーの再来で、誰もが楽しそうに騒ぎ、食べ、飲んでいる。よくよく見ればクリスマスパーティーより、すでに酔っぱらっている人が多い。

 いつもは食堂で酒なんて飲ませないのに、今日だけは許している。

 洋子に手を引かれたまま蘭もその中に紛れ、いつものメンバーがいるカウンター席に座る。蘭と洋子が近づけば、二人が座る席を空けてくれた。

「チビ、遅い!」

「…なんで、浅葱に怒られるのよ」

「洋子、ここ空いてるぞ」

「嫌よ、柊の隣に座るとでも思っているわけ?」

 蘭は文句を言いつつ浅葱の左隣に座り、浅葱の奥には蘇芳と蘇芳に捕まって動けない友樹。その隣で陽太と鴇と親方が座り、鴇が酒を飲まされそうになって必死に遠慮していた。

 洋子は柊を嫌がりつつも、空いている席が蘭と柊の間しかないので仕方なく座った。洋子と柊にはカウンターに立っているキャサリンがお酒を注ぎ、結紀は蘭と浅葱の方にやって来た。

「蘭ちゃん、何飲む?」

「何でもいいわ」

「んじゃ、浅葱と一緒のオレンジな」

 ちょっと待ってろよ、と言いつつ結紀が姿を消す。

「チビは赤いのとかと一緒に来なかったんだな」

「ええ、香代子と一緒に来るそうよ」

 言いつつ、興味本位で後ろを振り返った。誰もが笑って、宴を楽しむ。

 食堂にいる人数は多いが、まだ全員ではない。おそらく九時になる前には飛行船の全員が揃うのだろう。カウンターには数々の料理や飲み物、部署関係なく騒いでいる。

 唐揚げ、フライドポテト、サラダ、野菜スティック、鍋、プチケーキ、フルーツに、なぜか、おせちやお餅まで。それ以外にもたくさんの料理。

「…料理のバランス悪いわね」

「柘榴のリクエストだから、それは仕方ねーよ」

 ほら、と言いながら蘭のオレンジジュースを持って来た結紀が答えた。結紀は蘭と浅葱の前のカウンターの中の椅子に座り、浅葱が問う。

「なんで、鍋とおせち?」

「忘年会と新年会の融合、だってさ。とりあえずパーティーメニューを考えたらしい」

「あれ?パーティーメニュー?」

 違うものが混じっている気がする。蘭の問いに、結紀は肩をすくめるだけで何も言わない。仕方がないので、頬杖をつきながら別の質問をすることにした。

「じゃあ、いつからこんな計画していたわけ?」

「今朝、食堂に来てから。思い付いたようにこのメニュー表書いて行ったんだよ」

 どこからともなく取り出した一枚の紙を、蘭と浅葱に見せた。笑いの止まらない結紀の意味は、紙の内容を読んだら分かった。

「納豆は…ないわね」

「ゴーヤチャンプルもねーよ」

 紙に書かれている文字は、間違いなく柘榴の文字。書ききれるだけの料理名を書いただけのように見えなくもないのは、博多ラーメンやらわんこそば、無理難題まで書いてあるからだ。

 そのうちの数個を丸で囲み、それらが食堂に並べられた今日のご馳走。

 呆れている蘭と浅葱のカウンターの横では、無理にでも鴇に酒を飲まそうとする、すでに酔っている陽太と親方が絡んで盛り上がる。

「ほら、さっさと飲めって。どうせ、希ちゃんに振られたんだろう」

「ちょ、陽太さん!どこからそんな情報を仕入れたんですか!」

「すまん、目撃したのは俺だ」

「て、親方がぁ!?」

 鴇の肩に腕を回していた陽太が大笑いして、親方は申し訳なさそうな顔をしつつも鴇に状況を追及する。鴇に逃げる道はなく、喚くだけ。

 そのまた横で、蘇芳は目を輝かせて友樹と話す。

「友樹先輩、今度一緒に組み手しましょう」

「もう、無理だろ」

「いえ、友樹先輩なら出来ます」

 捕まっている友樹はその勢いに押されて、頷いてしまいそうな雰囲気である。それでも何とか断ろうとするが、蘇芳が引く様子もない。

 食堂に流れるのは、穏やかな時間。誰もが楽しんでいる、幸せな時間。

 もう少しで、今年が終わる。

 柘榴と希がやって来るまで肩の力を抜いて待とう、と蘭はオレンジジュースを口に含み、微笑んだ。



 誰が予想出来るだろうか。

 こんな幸せな空間に邪魔者が現われるなんて。



 それは突然。九時になる、直前の出来事。

「全員!動くな!」

 突如食堂に現われた侵入者達は、怪しい仮面を付け顔を隠していた。ただ醸し出す雰囲気は異様で、この賑やかな雰囲気にそぐわない。

 誰もが呆気に取られ、動けなかった。

「何?」

 驚きの声が、蘭の口から漏れた。

 食堂の入口で銃を持った人間が六人いて、賑やかだった食堂が静まり返る。ほんの数秒前まで騒がしかった空気が、一気に冷めて誰もが口を閉ざす。

 この食堂に、武器を持っている人なんていない。

 戦いは終わった。そう、思っていたのは蘭だけじゃない。

「動くな!一歩でも動けば、殺す!」

 まるで、強盗のようなやり方。その手にあるのは、対ラティランス用の兵器を構えた人間。本部の人間ではないのは蘭の直感で、でも武器の扱い方から組織の人間であることは予想出来た。

 本部の人間がこんなことをするはずがない。

 でも誰が、なんて考える暇もなく、侵入者の二人がカウンターまでやって来た。

 その侵入者は蘭を見た。蘭を確認したのに、視線はすぐに柊に移る。柊を確認すると拳銃を突き付けて、低い声で問う。

「貴様が、柊だな?」

「そうだけど…俺は君を知らないよ?」

 酔いが覚めた柊がおもむろに言いながら、目の前で銃を向けている侵入者を睨んだ。普段の柊が見せることのない、その表情。蘭の方がぞっとするほど、怖い顔。

 柊の機嫌が悪いなんてものじゃない。心の底から怒っている顔に侵入者の方が押されそうになり、銃を突きつけながら叫ぶ。

「吐け!原石はどこにある!」

「さあ、何を言っているんだか」

 とぼけようとすれば、銃の向きが変わった。柊ではなく洋子の頭を狙った侵入者の行動に、ほんの少しだけ柊の表情が変わった。落ち着いているように見せるが、内心焦った顔を一瞬だけ見せ、すぐにポーカーフェースに戻る。

 侵入者は優位に立ったと言わんばかりに言う。

「ここの人間は殺してもいい、と言われている。この女の命が惜しくないのか?」

「卑怯だね」

 ボソッと呟いて、柊はお手上げと言う風に両手を上げた。誰の命も奪わせまいと、降参するスピードは早い。洋子が何か言いたそうに柊を見つめるが、目が合っても柊は軽く微笑んだだけで、侵入者に向かって笑みを見せる。

「君達、原石を探しもしないで人に聞くのかい?」

「黙れ」

「それじゃあ、気分転換に空中庭園に行ってみたらどうかな?」

 ちょっと散歩に、とでも言いたそうな柊の言葉で、侵入者の二人の標的が柊に変わった。どちらも怒っているような殺気を醸し出すが、柊は気にしない。

 殺されてもおかしくない状況なのに、余裕である。

「いい加減に――」

「もう居場所は言ったのに、まだ脅すんだ」

 ハッとした顔になった侵入者が、急いで耳に付けていた通信機に小さく叫ぶ。その一瞬を、柊は見逃さない。誰よりも早く動いたのは勿論柊で、一番近くにいた一人の腕を捻って押し倒す。

 もう一人が柊に向かって銃の引き金を引く、その前に銃声が響いた。

「ったく、柊さんも無茶しないで下さいよ」

「ナイスフォロー、結紀くんと陽太くん」

 カウンターに隠してあった拳銃で、見事にもう一人の肩を撃ち抜いた結紀はホッと息を吐く。撃たれた男は銃を落とし、陽太がその銃を男の頭に突き付ける。

 入口にいた四人は慌て出す前に、近くにいた本部の人間が取り押さえた。

 形勢逆転と言わんばかりに、柊は問答無用で男の仮面を剥ぎ取った。

「――っく!」

「その顔、どこかで?」

「支部の奴ですよ。俺、そいつの顔見たことありますから」

 柊が思い出す前に、結紀が軽蔑した瞳をその男に向けて言った。結紀ははっきりとその男の顔を覚えていたのだろう。ボソッと、男の名前を呟いた。

「どうするの、柊」

 洋子が問う。

「そうだね。取り押さえた侵入者は一カ所に集めろ!それから各部署のリーダーは集合!作戦を伝える!」

 柊が声を上げて、本部の人間は指示に従う。

 咄嗟の出来事過ぎて、震えて動けなかった。今の蘭にはアクアマリンの力はないし、武器もない。素手で戦えないことはなくても、前よりは弱くなった。

 宝石の原石を望んでいる侵入者を目の前にして、蘭は考える。

 次に狙われるのは。

「柘榴と希が危ない?」

 呟いた途端に、それは確信に変わる。

「柘榴!希!聞こえる!」

 通信機に向かって蘭は叫ぶ。

「待て、チビ!あいつらの通信機は壊れて――」

「柘榴!希!」

「聞けよ、人の話を!」

 浅葱の声なんて無視する。無視して、駆け出そうとした蘭を引き留めたのは、洋子。

「待って、蘭ちゃん」

「離して!」

「貴方一人で武器も持たずにどうするの」

 真っ直ぐに蘭を見つめ、腕を掴んでいる洋子の冷たい一言。

「じゃあ、どうすればいいの!」

 洋子の腕を振り解くことしか出来なくて、無力な自分自身に苛立つ。

 侵入者があと何人いるのかも分からない。武器も持っているに違いない。それでも柘榴と希の無事を確かめに今すぐに食堂を飛び出したい。

 飛び出したいのに、洋子の言っていることが正しくて動けない。

 動かない蘭の右手を、洋子は優しく掴んだ。行かせない、と無言で訴える洋子の元に柊が戻って来て、その肩を叩く。

 各部署のリーダーとして柊と一緒に席を外していた親方は元の席に戻り、皆の視線は柊に集まる。

「皆聞いてくれ。ここにいるメンバーはこれから、俺の指示に従ってもらう」

「整備部もっすか?」

「ああ、陽太も友樹も俺じゃなくて、柊の指示に従ってくれ」

 陽太の質問に、親方が即答した。真面目な顔の柊は、全員に聞こえるように告げる。

「この飛行船には、爆弾が仕掛けられているそうだ」

「爆弾、ですか?」

 浅葱の呟きに、柊が頷く。

「爆弾は飛行船の中に二カ所。制限時間はあと、一時間。威力は未知数。各部署は最低三人で一チームとして必ず移動し、未だ安否が確認できていない人間の安否確認を。その後は速やかに爆弾の捜索に移ってもらう」

 全員が無言で頷いた。

「そのため親方と陽太くんには、食堂で待機。爆弾を見つけ次第、その処理に向かってもらう」

 陽太と親方、洋子や結紀は納得しているが、他は納得できずに首を傾げる。その顔を見て、付け加えるように親方が言う。

「俺と陽太は、爆弾処理に関しての責任者みたいなものだ。爆弾さえ見つければ、その後は任せろ」

「まあ、友樹にも言ってなかったけどな」

 陽太の軽い言葉に、本当だよ、と友樹が小さく呟いた。そうは言っても友樹は気にしていない。それで、と柊は言う。

「安否確認しなければいけないのは、医務室にいる柘榴くんと希くん、香代子くんの三人と船長室にいるはずの蘭くんの父親。二手に分かれて行動してもらう」

 柊は蘭の様子を伺う。

 二手に分かれる。その言葉で、迷いが生じた。

 柘榴と希と香代子、それか父親。どっちを助けに行くべきか、目を伏せて考える。考える暇を、柊は与えてくれない。

「一チームは結紀くんと友樹くん、蘇芳くんの三人。もう一チームは蘭ちゃんと浅葱くん、鴇くんの三人」

 一人一人の顔を見た後、顔を上げない蘭の方を真っ直ぐに見据えて、柊は口を開く。

「蘭ちゃん、どっちを助けに行きたい?」

「どっち…?」

「君が選んでいい」

 柊が優しく言った。どっち、なんて選べないのに、選ばないといけない。痛いほど両手を握りしめ、必死に考える。

 時間は待ってくれない。危険は去っていない。

「…お父様を助けたいけど」

 けど、と小さく言った声が止まる。

 その続きは決まっている。だから、顔を上げた。

「ずっとずっと守ってくれた柘榴と希を、私は助けに行きたい!絶対に、二人を死なせたくない!」

「了解。それじゃあ、俺達はさっさと船長助けて、そっちの援護に行くか」

 いいだろ、と友樹と蘇芳の方を振り返った結紀。

「それが命令だしな」

「俺は友樹先輩に付いて行くだけですけどね」

「お前らなぁー」

 友樹も蘇芳も素っ気なく言い返して、結紀の元に集まる。柘榴と希を心配しているのは蘭だけじゃないのに、医務室へ行くのは任せてくれた。

 浅葱が蘭の背中を叩く。

「チビ、俺らは医務室だ。さっさと行くぞ」

「ええ。しくじらないでよ」

「お二人さん、俺がいるのを忘れないでね」

 戦う気満々の浅葱の命令に言い返し、鴇はボソッと呟いて蘭と浅葱の横に並んだ。

 戦う意志を見せた子供姿に、柊は肩の力を抜いて話し出す。

「上司から言えることは―」

「ないわね。柊さんはどうせ食堂で、本部の人間全員への指示出しでしょ?」

 柊の言葉を遮って、蘭は笑った。呆れた顔になった柊は、さっさと行けと言わんばかりに手を振る。

「全員無事に、ここに帰って来るんだよ」

「「「「「「はい」」」」」」

 柊の指示に誰もが頷き、一斉に食堂から駆け出した。



 六人がいなくなった食堂で、残された柊に洋子が問う。

「武器も持たせずに行かせてよかったの?」

「それなら結紀くんがいるから平気だろう。飛行船の至るところに武器が隠してあることを結紀くんなら把握しているし、各部署のリーダーにはそれをさっき伝えた。だから、こっちはこっちで別の仕事をしよう」

「そう、ね。キャサリン、予備のパソコン、隠してあったわよね?」

「勿論よ。ちょっと待っていなさい。ついでに親方、食堂に隠してある武器を一緒に取りに来てくれかしら?」

「分かった」

 キャサリンと親方が奥の調理場に消える。タイミングを見計らって、陽太が柊と洋子に問う。

「あの、お二人さん。侵入者が空中庭園に行った件は誰も行かなくていいんすか?」

「そっちなら問題ない。行くだけじゃ、宝石は手に入らないから」

「誰でもそう簡単に宝石を手に入れられるはずがないじゃない」

「そうっすか」

 二人同時に言われて、陽太は潔く引き下がって食堂を見渡した。食堂に集まっていたはずの人達はいなくなり、それぞれ飛行船の中を走り回っている。

 柊は腕を組んで何か考え、洋子もその横で両手を合わせて真剣な表情で前を見据えていた。

 柊は考える。

 この騒動の黒幕を。終冶も言っていた、あの人、と言う存在。誰かがずっと柘榴と希を狙っていたのを知っていたのに、こうしてタイミングよく襲われると嫌な予感しかしない。

 キャサリンが洋子にパソコンを手渡し、すぐさま立ち上げる。

 キャサリンと陽太はそれぞれ武器を手に持ち、ちょっと脅してくる、と言って捕らえた侵入者たちの方へ笑いながら歩き出す。

 洋子の隣に親方が座り、洋子に言う。

「球体のパスワードを教える。そうすれば戦力になるはずだ」

「了解。その前に、飛行船の中の隠し監視カメラで現状を把握しましょう。そうすれば黒幕の顔も拝めるかもしれないわ」

 ハイスピードで操作し、画面を十六等分した映像が映し出される。

 その画面を柊も覗き込んだ。

 怪しい仮面の男達との戦闘が始まり、どこもかしこも戦いが始まった。誰もが飛行船の中を駆け回り、いつもの平穏さの欠片もない。

「医務室の今の状況はこれね」

 そう言って、少し大きくした映像を三人で眺める。左上に映し出されたのは香代子のいない、普段使用する医務室。何人もの侵入者が奥の部屋への扉の前で銃を構え、今にもドアを蹴飛ばしそうな勢いがある。

 柘榴と希、香代子の姿はない。

 心を占めるのは、焦りと後悔ばかりだ。

 間に合え、と思うのに、無情にも一人の人間がドアの前に進み出る。侵入者の男たちは道を開け、その人間を通す。

 黒いマントを頭まで被り、マントのせいで体型も分からない人物。

 監視カメラを振り返りながら、頭のマントを取った。

「何で」

「まさか」

「おいおい」

 洋子、柊、親方の驚きの声が重なった。信じられない、と誰もが思った。

 監視カメラに向かって微笑む人物。その人は迷うことなく、持っていた拳銃を監視カメラに向けた。

 画面の映像が途切れたのは、それからすぐのことだった。



 食堂を襲った侵入者が医務室に到着する、少し前。

 医務室の奥の部屋で、柘榴と希は仮眠を取っていた。九時には食堂に行くとしても疲れはピークに達していて、先に起きた柘榴は壁の時計で時間を確認する。

「もうすぐで、九時になるのか」

 思いっきり腕を上に上げ、身体を伸ばす。

 よく寝たおかげで、随分と回復した柘榴は隣のベッドで未だ気持ちよさそうに寝ている希を眺める。

「変わらないなー、希ちゃん」

 普通の音量で言っても、寝ている希には届かない。

 最初に柘榴の家に泊まった時、ぐっすりと寝ていた姿と今の姿が重なる。毛布に丸まって、ぐっすり眠る希の寝顔を見て、微笑ましい気持ちにさえなる。

 そろそろ起こさないと、九時になってしまう。

「希ちゃん、起きて」

「…うーん、ん?」

「ほら、もう時間になるよ」

 薄っすらと瞳を開けた希に言う。ぼんやりとした顔の希は、少し考えてまた布団に潜ろうとした。

「え、ちょっと!起きて!そろそろ遅れちゃうから!」

「あと、少し」

「はいはい。起きて、起きて」

 言いながら、布団を無理やり剥ぎ取った。不満そうに、希は起き上がる。

「まだ、大丈夫ではないのれすかー?」

「口が回ってないし」

 大きな欠伸をして、希は何度も目をこする。

 ベッドの脇にポットと紅茶のカップが二つ。おそらく香代子が用意してくれた紅茶のセット。お湯を注ぎ、希にカップの一つを差し出す。

「飲む?」

「いただきます」

「火傷しないでね」

 手渡したカップを冷ましながら、希はそっと口へ運ぶ。一応柘榴の分も紅茶を入れたが、一口だけ飲んでそれ以上は飲むのを止めた。

 ちびちび紅茶を飲む希に、柘榴は問う。

「希ちゃん、目が覚めた?」

「少しは、ですが」

「じゃあ、上に気配感じる?」

 訊ねた柘榴の質問に、希は肯定して首を縦に振る。

「原石の気配、ですよね?なんか、目が覚めてから鮮明な気配を感じます」

「だよね」

 目が覚めてから、上の方で何かが呼んでいる気がした。それが原石なのか、確証はなくて希に聞いてみたら同じ意見。

 呼ばれている、のだと思う。

 年越しパーティーに行く為に目を覚ましたのに、その前に行かなくてはいけない場所があるのかもしれない。どうしようかな、と柘榴が考えていると医務室に誰かが近づいて来る気配を感じた。

 数人の微かな足音。

 音を立てないようにしているが、医務室のドアが開いた音と誰かが話している声。柘榴も音を立てないように立ち上がり、ドアに耳を当てて声を拾おうとする。話している内容は聞こえない。

 柘榴の行動を不審に思い、希も紅茶のカップを置いてベッドから下りる。

 バンッと拳銃の音が聞こえた。

 すぐさまドアから離れ、希の傍に駆け寄った。その背に希を隠すようにして立ち、右手に日本刀を出現させる。念じただけで出てくる武器は便利で、希も箒を片手にドアが開く瞬間を待つ。

 すぐにはドアが開かない。小さな声で柘榴は言う。

「希ちゃん、風で守ってくれる?」

「はい。当たり前です」

 言いながら、お互い武器を強く握りしめる。

 ドアが開く。

 その瞬間、銃声が鳴り響いた。 

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