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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第7章
43/59

39 最終編02

 真っ黒な空間に、呼び出されるのも何回目だろうか。

 数回瞬きを繰り返し、景色が変わらないことを確認した柘榴は、すうっと息を吸いこんだ。

「おーい!いるなら、さっさと出てこーい」

 何もない空間に、声がよく響く。柘榴の声が消え終わる前に、どこからともなく集まった赤い光は、見慣れたドラゴンの姿へと変わっていく。

【…その呼び方では、出にくい】

 心悲しげなドラゴンの声が、直接頭に響く。何となくドラゴンの表情も悲しそうに見えるが、柘榴は構わず右手を前に差し出し、偉そうに言う。

「力を、下さい」

 一応敬語で、お願いした。ドラゴンの瞳は物珍しそうで、直後に笑い出す。

【ふはは、面白い。人は、なんて面白いのだろう】

 首を傾げ、柘榴はそっと差し出していた右手を引いた。

「…そんなに面白いことかな?」

【お主と我の心は繋がっているのだ。経緯は分かる。それを直接、頼む。うむ、中々に気分がいい】

 ドラゴンはゆっくりと座りこみ、柘榴の方に顔を近づける。手を伸ばせば届く距離で、その瞳は真っ直ぐに柘榴を見ていた。

【我は機嫌がいい。よし、姿を変えるとしよう】

 パッと一瞬、周りが眩しくなって柘榴は腕で目を覆った。

【もう、大丈夫だぞ?】

「…一体何が――」

 言いながら、ドラゴンをもう一度見ようとした。けれども目の前にいたドラゴンの姿はなく、一人の少年が柘榴に笑いかける。

 言葉が出なかった。

 何か言わなくては、と口を開く。

「…柚?どうして?」

【うむ、姿を借りたぞ】

 喋り方が違う、と言う違和感はあるが、紛れもなく柚の姿。白のTシャツに焦げ茶の半ズボン、赤のスニーカーを履いている柚は、柘榴が最後に見た姿と同じ。十一歳の柚。

 まじまじと見て、疑問に思ったことを尋ねる。

「柚、じゃないよね?」

【うむ。そうだな】

「でも、声は最初から柚だった?」

【まあ、借りていたからな】

 当たり前のように言った。柚の姿で、柚の声で、ドラゴンは言葉を続ける。

【こやつとは本契約をしたからの。こんなことも可能なのだ】

 どうだ、と柘榴を見上げるドラゴンの柚。

「柚とそっくり。なのに、ちっさ!柚、ちっさ!」

【小学生の頃はお主も同じ身長だったはずだが?」

「いやいや、いやいや」

 否定しつつも、撫でる手は止まらない。確かな感触、あの頃の柚と変わらなくて懐かしい気持ちが湧き上がる。

 されるがままのドラゴンの柚が、言う。

【お主と同調するまでに時間が掛かってな。ようやく、この姿を取れるようになった】

「へえー」

【本契約者の姿なら、お主の姿も出来るんだがな。て、いい加減に話を聞け】

 にやついていた柘榴の手を振り解き、ドラゴンの柚はムスッとした顔になった。

「だって、柚の姿なんて懐かし過ぎるんだもん」

【お主、外の現状を忘れているな?】

「外?」

 聞き返した柘榴の言葉に、ドラゴンの柚はため息を漏らす。

【鬼に殺されかけているぞ。お主】

「あ、あー…」

 何となく、記憶が戻った。希に気を取られて鬼に捕まり、金棒で頭を殴られた。そこまでは覚えていて、その後は暗闇の中にいた、はずだ。

「私、まだ死んでないよね?」

【まだ、な。まあ、安心しろ。この空間は時間の流れが違うから、もう少しここで話していても問題あるまい】

 時間の流れが違う。その意味を詳しく聞く前にドラゴンの柚が、さて、と話し出す。

【何を話せばいいか、の。本契約者がラティランスを呼び出せる、それはいいか?】

「一応?」

【呼び出されたラティランスと言うのは、原石を得れば自由に動けるようになるんじゃ。本契約者はラティランスを呼び出せば巨大な力を得たことになるが、その代償としていずれは喰われる】

 喰われる、と言う言葉が心にのしかかる。誰に、なんて聞かなくても想像出来て、それ以上は聞きたくはない。でも、と柘榴は強気で言い返す。

「ラティランスを呼び出さなきゃ、今の私じゃ終冶さんには勝てないんだよね」

【うむ】

「グロテスクに食べられるのは嫌だけど、それでもラティランスを呼ばなきゃ駄目だよね」

 柘榴の言葉を、少し考えるドラゴンの柚。

【…お主。少し勘違いしているようだから訂正するが、いずれ、と言うのは本来なら本契約者が死ぬときだ。暴走しなければ、それは今すぐのことじゃない】

「そうなの?」

【そうなのだ。なんで我がわざわざ、まずそうなお主を喰わんといけんのだ。喰いたくなどない】

 心の底から嫌そうな声。はっきりと言い切ったドラゴンの柚の言葉に、ホッとしたのも束の間で、ふと思い出したように言葉を続ける。

【ああ、そう言えば。外の鬼は終冶とか言う男を、さっき喰っていたな】

「まじ?」

【造られた鬼でもそれは一緒だったらしい】

 まるで他人事。興味がない、と言う話しぶりで、柘榴は気になったことを問う。

「造られた、てどういうこと?」

【そのままの意味じゃ。あの男の宝石は偽物みたいなもので、我らのような神聖な存在と対等ではない。詳しいことは、別の奴にでも聞けばいい】

「別の奴、て」

 誰に聞けと言うのか。柘榴が呆れても、ドラゴンの柚は気にしないで説明が続く。

【偽物でもそうでなくても、原石を破壊すればラティランスは消える。お主はさっさと鬼の中に入って、原石を破壊しに行けばよい】

「中に入る、て簡単なことじゃないでしょ?」

【お主も喰われれば、いい】

 数秒、無言の空気になった。ドラゴンの柚の言葉の意味を考えて、柘榴は一言。

「つまり、死ねってこと?」

【違う。中に入れ、と言ったんじゃ。馬鹿たれ】

 ばっさりと反論された。それも段々と口が荒くなったような言い方に、柘榴はそれ以上質問を重ねるのは止めようかとも思ったが止められない。

「じゃあさ。参考までに聞くけど、この力って一体何なの?」

 深い意味などなく、無邪気な質問。けれどもドラゴンの柚は柘榴と目を合わせないように視線を下げ、言葉を選びながら言う。

【お主の、モノではない。だからいつか、お主の元から離れるだろう】

「それって、いつ?」

【遠くない、未来】

「私は…これからも普通の生活が送れる?」

 誰かに聞きたくて、でも聞かなかった質問を思い切って聞いてみた。ドラゴンの柚は悲しそうな表情を浮かべ、肩を下げ申し訳さなそうに言う。

【その力がある限り、お主の思い描く普通はきっと難しい。我とて、どうにかしてやりたいと思うが、お主とその前の適合者だけの情報では、何とも言えぬのだ】

「私も柚も、頭は悪いからね」

【そういうつもりではないのだが…お主、頭残念だのう】

 憐れむ視線に、柘榴の方が頬を膨らます。

「仕方ないでしょ。これが、私なの。とりあえず、終冶さんを止めてから先のことを考えることにするわ。だから私に、力を下さい」

【分かっておる】

 そっとドラゴンの柚が近寄って、柘榴の両手を握りしめた。

 優しく、少し暖かい体温はまるで生きているようだ。けど、違う。目の前にいるのは、柚じゃない。ゆっくりと視線を合わせたドラゴンの柚が、今までで一番優しく微笑む。

【我を呼び出したければ、言葉を紡げ。だがその前に一つだけ、こいつからの伝言を伝えたい】

「伝言?」

 こいつ、と指しているのはおそらく柚本人のことで、柘榴は首を傾げた。

【『怖くない』とか言って鬼に手を伸ばしたこいつがな、最期にお主に伝えたかった言葉だ】

 聞き逃すまい、と柘榴は唇を噛みしめた。何を言われようと、柚の最期を聞きたい。


【『お姉ちゃん、巻き込んでごめん。でも、助けてくれてありがとう』】


【そう、心の中で言っていたぞ】

「…その言葉だけ、柚みたいに話すのは反則だよ」

 柚が目の前にいるのだと、本気で錯覚してしまいそうになる。泣きたくなる気持ちを抑える柘榴を、ドラゴンの柚は黙って見守る。

【…お主は戻るのだ。そして唱えろ。我が名は――】

 ドラゴンの、柚の声に耳を澄ませる柘榴の視界が赤い光で染まっていく。

 言葉を聞き逃しはしない。戦いを終わらせるために、決着を着けるために、柘榴は帰らなくてはいけない。それが柘榴の、進む道。

 目蓋を閉じる。そしてすぐに、意識は遠のいた。



 真っ黒な空間に、一人立ち尽くして希は首を傾げる。

「…また、呼び出されたのでしょうか?」

 先程、確かに鬼に吹っ飛ばされて意識を失った。痛みも覚えている。冷静に分析をしながら、歩き出そうか、止めようか。考えているうちに、目の前に緑の光が集まり、龍の姿へと変わる。

 龍を見上げて、希は微笑む。

【久しく…ないな】

「そうですね。最近、会いましたから。その節はお世話になりました」

 深々と頭を下げ、お礼を言う。龍は照れたような声で、答える。

【顔をさっさと上げろ。我は何もしておらん】

「いえいえ、本当に助かりましたから」

 中々顔を上げない希に、溜め息が聞こえたかと思うと、また緑の光が辺りを照らす。なんだろう、と気になって顔を上げた。

 そこにいたのは、もうすでにこの世にいない人。

 死んだはずの、歩望。

「…お、にいちゃん?」

【姿だけな。どうだ、懐かしかろう…話し方が違うな。ちょっと、待て】

 腕を組んで考え始めてしまった歩望の姿をした、龍。

 思いついたように、片手を上げて笑う。

【希、元気だったか?】

 目の前にいるのは間違いなく歩望の姿で、中身は違う。歩望、じゃない。それは分かっていても、我慢出来なかった。一歩踏み出して、勢いに任せて龍の歩望に抱き付く。

「お兄ちゃん!」

【うわ!泣くな、希が泣くなら俺も泣いちゃう!】

 歩望の言いそうな台詞。背中を優しく叩く、歩望の温かさ。もう失くしたと思っていた存在に、涙が零れて止まらない。

 抱きついたまま顔を上げようとしない希を、優しく龍の歩望が見下ろす。

【…あー、うん。希、よく聞けよ】

 龍の歩望の声を、黙って聞く。

【今、終冶は鬼に喰われている。終冶を助けてやってくれないか?】

「…どうやって、ですか?あの鬼は何度でも再生してしまうのですが」

 だから何度攻撃しても、倒せなかった。

 希の不安を察して、ゆっくりと龍の歩望が言う。

【俺、を呼べ。そうすれば、助けられる】

「ラティランスを、呼ぶ?」

【そうだ。ラティランスは適合者を喰らうけど、今回は丸飲みされているだけ。俺を呼んで鬼と戦っている間に、君達は終冶を助けるんだ】

「分かりました」

 龍の歩望から一歩離れて、真っ直ぐに見据えて頷く。

【ごめんな。本当ならラティランスは死ぬまで人を喰うことなく、終冶も鬼に喰われることはなかったはずなのに…色々狂い始めているらしい】

「そう、なのですか?」

【うん。鬼だって二人の力で倒せたはずだし、アクアマリンの子の力も、どうしてだか武器が消えてないし】

 どうしてだろうね、と軽く笑う龍の歩望に、何も言い返せない。

【狂うのは仕方がないとして。終冶の原石は、黒い宝石のネックレス。それを破壊すればいい】

「そうしたら、終冶さんはどうなるのですか?」

 原石を破壊した後、どうなるのか希は知らない。大丈夫だと、龍の歩望は希の頭を撫でる。

【自分のラティランスの中だから、原石の力はラティランスに移るはずだ。そうすれば、終冶は何の力も持たないただの人間に戻る】

「よかった」

 もう誰も死んで欲しくない。喜んだ希とは対称的に、龍の歩望は悲しそうに微笑んで言う。

【終冶はその方法で助けられる。けれども君達は…】

「人ではなくなる、のですよね?」

 希の質問に、龍の歩望は微かに頷く。

【徐々に成長しなくなって、長い時間を生きた後に喰われる】

「…はい」

【終冶の力と君達の力は似ているけど、違う。それに狂いは始めているのは確実だし、もしかしたら別の選択肢が生まれたかもしれない】

 真面目に考え始める龍の歩望。

 希のために考えてくれる歩望の姿をまじまじと見ていたら、ふと疑問が湧いた。

「あの、その…」

【何?】

「今はお兄ちゃんの姿ですが、他の姿にもなれるのですか?」

 興味本位で尋ねた希に、にやりと笑う龍の歩望。その姿が瞬く間に緑の光に包まれる。

【どう?歩望の方が契約期間が長かったから、慣れないのよ?】

 見た目と喋り方は美来風で、声が変わっていない。思わず一歩引きながら、希は呟く。

「美来さんの姿で兄の声はきついので、戻って欲しいです」

【そう?つまんなーい】

 最後だけ美来の声だった。姿はまた歩望に戻り、ホッと安心した希。

「まだそっちの方が、落ち着きますね」

【そうかなー?とりあえず、俺が色々考えている間に、希はパパッと終冶を助けて鬼を倒して来なよ。くれぐれも無茶はしないように】

「ふふ、今更それを言いますか?」

 笑って言い返せば、龍の歩望も笑った。無茶なんて沢山してきた。今更だってことぐらい、知らないはずがない。

【話せてよかった。じゃあ、帰ったら名前を呼んでくれ。我が名は――】

 龍の声が頭の中に響く。視界が光で覆われて、ゆっくりと瞳を閉じる。

 希の生きる世界に、戻ろう。

 最後まで、戦おう。

 その前に龍の歩望に言いたいことがあって、今にも消えそうな声で言う。

「ありがとう、ございました」

 聞こえただろうか。歩望の姿をした龍に。わざわざ、希のために姿を変えてくれた心優しき龍に。

 どうか、届いて欲しいと、祈る。

 そうして、意識は遠くなる。




 蘭が目を覚ました時、真正面に映った浅葱の顔があまりにも近かった。起き上がろうとすれば、頭と頭がぶつかった。

「っい、痛いわね」

「それは、こっちの台詞だ。チビ」

 地面に横になっていた蘭が起き上がれば、浅葱はその横にいて蘭の顔を覗き込んでいたらしい。おでこを押さえながら、泣き目で訊ねる。

「意識は、はっきりしているよな?」

「ええ、一応」

 答えてから、先程まで終冶に襲われていたことを思い出す。両腕で自分の身体を抱きしめて、いつもあるはずの宝石の感触がないことに気が付いた。

 地面に座りつつもふらつく蘭の身体を、浅葱が蘭の背中に手を回し支える。

「…戦いは?」

「それが」

 蘭から視線を外し、浅葱の視線は蘭の横に倒れている人物に注がれる。

「…希?」

 ようやく気が付いた。蘭の隣には、全身が赤く血で染まった希が気を失っている。服が所々敗れ、綺麗な肌には鋭い傷ばかり。

 希の傍で友樹が出来る限りの治療をするが、巻いた包帯はすぐに赤くなる。

「っくそ!」

 友樹の治療はあまり意味をなさないが、止めようとはしない。

 顔色が悪く、青白い希。目を覚ます気配もなく、微かに息をしているが今にも死にそうに見える。

 蘭が希に出来ることはなく、ただ震える両手を合わせて祈るだけ。死なないで、と言う言葉さえ言える雰囲気ではない。

 祈り、そして立ち上がる。

 このまま何もしないで終わるつもりはない。希の分も戦わないといけない、と意気込んで蘭は浅葱と一緒に車の前に出た。

 鬼がいた。

 巨大な鬼が狙うのは、頭から血を流して気を失っている柘榴と、そんな柘榴に必死に呼びかける結紀。二人に近づく鬼を見て、そこから起こる未来を予測して、辺りを見渡す。

 何かないか。

 瞬時に見渡した蘭の目に入ったのは、いつの間にか浅葱が手にしていたライフル銃。蘭はもうアクアマリンを持っていない。撃てる力があるかどうか、分からない。

 でも、それでも戦いたい。

「…浅葱、その武器を貸して」

「あ、ああ」

 少し驚いた浅葱は、素直に蘭にライフル銃を手渡した。いつもより重いが、問題ない。

 膝を突き、鬼の瞳に狙いを定めようとするが、怪我のせいか焦点が合わない。撃てるのはおそらく一発だけで、失敗は許されないのだと思うと呼吸が乱れる。

 徐々に力を溜める蘭の傍に、浅葱も膝をついた。

「おい」

 浅葱に肩を叩かれて、意識がクリアになった。蘭の目を見て、浅葱は真剣な顔で言う。

「しっかりしろ。絶対に外すなよ」

「分かっているわよ」

 言いながら、鬼に視線を戻す。浅葱に言われなくても、それくらい分かっている。絶対に、絶対に外さない、と鬼を睨む。

『結紀くん、早く逃げるんだ!!!』

 柊の叫んだ声が、通信機から聞こえた。

 鬼が金棒を真上に上げる。それが振り下ろされる、その前に。

 蘭は、迷うことなくライフル銃の引き金を引いた。



 意識が戻る。

 目を閉じていても、すぐ近くで大きな音がして、身体が振動した。

 誰かが、柘榴の名前を呼んでいる。

 目を開けて、瞳に映った必死な青年の顔に思わず問う。

「…なんで、いるの?」

「気が向いたら、助けに行ってやるって、言っただろうが…」

 安堵した結紀の顔が間抜けすぎて、微笑む柘榴は思わず言い返す。

「忘れてなかったんだ」

「馬鹿にすんなよな。それより、間一髪だったんだぜ」

 結紀に支えられて起き上がり、柘榴は今の状況を考える。金棒が真横の砂に埋まっていて、手を伸ばせば届く距離にある。

 鬼は、真上。

「わぁお。何で私はこんな場所に?」

 鬼は右目を押さえ、喚いている。ドタバタと騒ぎ出しそうなので、柘榴は早々に砂を払って立ち上がる。結紀が支えようとしてくれるが、生憎そこまで弱ってはいない。

 立ち上がったついでに、全身を確認してみる。

 流れていたはずの血は止まり、身体は余裕で動く。何も問題がないし、意識を失う前より力が湧いてくる気さえする。

「よし、結紀!とりあえず鬼から離れよう!」

「…そうだな、て。何する気だよ!」

 頷く前に、結紀をお姫様だっこで抱えた柘榴は、笑いを耐えようと試みながら言う。

「こっちのほうが早く離れられ――ぶはっ、駄目だ。笑っちゃう!」

「ふざけんな!下ろせ!」

 少女に抱きかかえられる青年。普通立場的には逆で、それでも抱えられるよりも抱えたい柘榴は、間を置かずに飛び跳ねた。

 身体が軽い。

 今までの比ではない程、軽い。

「っちょ、柘榴!?」

 声が裏返った結紀がしがみつくのも無理はない。鬼の上空まで飛んだ柘榴は、そのまま鬼の眉間を目掛けて踵を落とす。

 ドスンっと音を立てて、鬼は盛大に前のめりに倒れた。

 いい気味だ、と思いながら、鬼から離れた砂浜まで行き、足を止めた。流石に可哀想なので、結紀を下ろす。

「ほら、もう大丈夫」

「ほら…じゃねーよ!罰ゲームかよ!」

 騒ぐ結紀を無視して、柘榴は鬼を振り返る。

「さあ、反撃いたしましょうか」

 まるで、悪役のような顔の柘榴。その顔を見た結紀は、聞こえぬように溜め息をついたのだった。



 友樹の声が聞こえた。

 いるはずがないのに、と思いつつ瞼を開けた希。

「…友樹、さん?」

 すごく心配している顔、また怒られるな、と呑気に考えた。怒られる覚悟をして黙って起き上がると、友樹は希の腕を引っ張った。

 友樹の心臓の音が、耳元で聞こえる。

 希の身を案じて、優しく抱きしめる友樹が、消えそうなくらい小さな声で問う。

「…無事、か?」

「はい、大丈夫ですよ」

 頷きながら、希も抱きしめ返す。

「もう、大丈夫です。大丈夫なのです」

「死んだかと、思った」

「そんなに簡単に死にませんよ。私は」

 出来るだけ明るく言って、友樹の身体が震えていたことに気が付いた。本当に死にそうだったのだ、と思う。けど帰って来た。

 友樹の隣に、戻って来た。

 それが素直に嬉しくて、泣きそうだ。

 今の希は全身に傷を負ってはいるものの、痛みはない。かすり傷さえ、流れていた血が止まった。包帯が赤く染まっていたり、服が破けていたりするが、まだ戦える。

 右手をギュッと握って、どうするべきかを決めた。

「友樹さん、そろそろ」

 抱きしめられている状況が、今になって恥ずかしくなってきた。近くに誰もいないから見られていないだろうが、柘榴辺りに見られたらネタにされそうな状況である。

 希の意志を読み取ったのか、友樹はあっさりと離してくれた。

「…本当に、大丈夫か?」

「当たり前じゃないですか」

 顔が熱くて、真っ赤な希。友樹が平然としているから、ますます一人でテンパって勢いよく立ち上がった。

「そ、それでは――」

『ほら、もう大丈夫』

『ほら…じゃねーよ!罰ゲームかよ!』

 戦いに戻ります、と言おうとして、柘榴と結紀の会話のせいで言葉が止まった。二人の会話は、ずっと通信機から聞こえていた。楽しそうな柘榴の声からして、無事なのだろう。

 柘榴にばかり任せてられない。

 座り込んだままの友樹を振り返って、希は満面の笑みを浮かべる。

「友樹さん、私戦いますね。戦って、勝って来ますね」

 希の笑顔を見た友樹は少し驚き、それから微笑んで頷いた。


 柘榴に声が聞こえるように、通信機を調節する。鬼に投げられた時に壊れた気がしたが、車でぶつかった衝撃で上手く繋がらなかっただけのようだ。

「柘榴さん。今、鬼は?」

『お、希ちゃん?今は、私と遊んでいるよ』

 通信機越しの柘榴の声は楽しそうで、元気いっぱいだ。状況を確認するため、車の前に行けば力尽きたように座り込む蘭と浅葱が、ほぼ同時に振り返った。

「…無事なの?」

「はい。蘭さんも浅葱さんも、無事ですね」

「一応な」

 怪我は酷いのかもしれない。それでも、蘭も浅葱も生きている。蘇芳も鴇も、柊も洋子も、誰も死んではいない。蘭さん、と出来るだけ優しく名前を呼び、希はしゃがみ込む。

 通信機を付けている全員に聞こえるように、はっきりと言う。

「出来るだけ早く、この場から避難して下さい。ラティランスを呼び出します」

「そんなの駄目よ!そんなことをしなくても鬼は――」

「鬼は倒せても、終冶さんを助け出したいのです」

 蘭の声を遮って、言い切った希。たじろぐ蘭を追い込むように、希は言葉を続ける。

「終冶さんはまだ、生きています。そして助けられるのは、きっと私と柘榴さんの力だけです。蘭さんはもう十分戦いました。だから、この場は任せてもらえませんか?」

「でも…私だって…」

 まだ納得できない蘭。両手をギュッと握りしめ、悔しそうに顔を下げた。

『希ちゃーん。私もラティランスを呼び出せるのを、忘れないでね!』

『マジかよ…お前、いつの間に』

『えへへ。ちょっと、ねっ!』

 鬼に攻撃を繰り返す柘榴と呆れた結紀の会話が、緊張感を失くしてしまう。

「…喰われる、かもしれないのよ。そうしたら、貴方達は」

 それ以上何も言えなくなって、震えた蘭の声。大丈夫、それを伝えたくて、希は蘭の手に自分の手を重ねた。

「それは今じゃないのです。確かにいずれ喰われるかもしれません。でもそれは、今、じゃない」

 繰り返して言った。

 泣き崩れる蘭を、浅葱が支える。

 蘭は喰われることを知っていた。そして、おそらくそれ以上のことも何か知っている。蘭は希と柘榴のこと心配して、言わないことが多いのは柊と同じだ。

 隠し事をされても、嫌な気分にはならない。希と柘榴のことを心配して、目の前で泣いている蘭が、希達のことを大切に想っていないはずがない。

 そっと蘭から手を離し、落ち着いている浅葱の方に顔を向ける。

「浅葱さん、蘭さんをお願いします」

「それで、本当にいいのか?」

 はい、と頷いて希は立ち上がる。守る、そのために希は背を向けて歩き出した。



 泣き崩れた蘭に、浅葱は出来るだけ優しく言う。

「ほら、チビ。行くぞ」

 嫌だ、と言う風に蘭は首を横に振った。動きたくないのかと思いきや、小さな声で蘭は言う。

「動けない、わ…」

「お前なあ…」

 泣いたせいだけじゃなく、心なしか顔色の悪い蘭。希にあれだけ言っておいて、本人は戦える力がない。

「あー、反論なしな!絶対、後で反論するなよ!」

 浅葱が蘭の前に背中を差し出す。

「早く、乗れ」

 蘭はしぶしぶその背中に乗る。反論なしに、無言で浅葱を頼るのは、想像以上に弱っている証拠。

 蘭を担いだはいいが、それから柊の方に行けばいいのかと顔を上げれば、友樹が傍に駆け寄って言う。

「とりあえず、車まで行けるか?」

「当たり前じゃないですか」

 そうか、と呟いた友樹が、先に歩き出す。その後を、浅葱もゆっくりと追いかけた。


 蘭が浅葱の背中で弱っているのを、実はしっかり見ていた柘榴。

 あの蘭が、浅葱を頼っている。と一人で、盛り上がっている柘榴は、本音を隠せなかった。

「変わったよなー」

『何がだよ』

 基本通信機の送信音を下げない柘榴。希のようにいちいち下げるのが面倒なだけであるが、そうなると柘榴が呟いた言葉は基本全員に聞こえている。

 未だ柘榴の近くの砂浜で突っ立っているのは結紀くらいで、柘榴の言葉に反応してくれるのも結紀だけ。

 大した内容でもないので、他の人に聞こえないように音量を下げ結紀の傍に行く。

「さっきの見た?蘭ちゃんが素直に浅葱を頼っているところ!」

「…見てねーよ。てか、鬼に攻撃しながらどこを見ているんだよ」

 結紀が溜め息をつく。

【タノシイ、モット。遊ブ】

「あ、ほら。また来た」

「ああ、もう!海に沈んでろ!!」

 鬼の腹ど真ん中に蹴りを入れて、海へ突き飛ばす。転ばせると、少し時間稼ぎが出来る。蹴飛ばされるのさえ楽しそうな鬼はまるで小さな子供ようだ。

「というかさ、結紀も早く行きなよね。こんな場所にいないでさ」

『結紀くん、早くこっちにおいで』

 タイミングよく柊の声も続いて、結紀は肩を竦める。

「柊さんに呼び出されたら、行かないわけにはいかねーな」

 ようやく動き出すとは、呑気なものだ。結紀以外が車の近くにすでにいる。じゃあな、と歩き出そうとした結紀の背中に、柘榴はふと思いついたことを叫ぶ。

「結紀!帰ったら美味しいお蕎麦よろしくね」

「年越し蕎麦かよ…。仕方ねーな、頑張った柘榴のために作ってやるよ」

「約束だからね!」

 了解、と右手を上げてからいなくなった結紀を見送って、入れ替わりに希がやって来た。

「柘榴さん。音量下げたのですか?」

「うん?ああ、下げたままだ」

 忘れっぽいから、音量を調節しない方がやっぱりいいのかもしれない。元に戻しつつ、柘榴は言う。

「よく、気が付いたね」

「先程、結紀さんに何か叫んでいるのがよく聞こえませんでしたので」

 そういうところで判断されている、ということを初めて知った。そうそう、と柘榴は先程の約束を話す。

「年越し蕎麦、作ってもらおうと思って。希ちゃんも一緒にいかが?」

「いいですね。私、いつも起きていられないので起こして下さいね」

 可愛くお願いされたら断れない。飛行船に戻ったら、一緒に結紀の作ったお蕎麦を食べて、そして笑って思い出話が出来るように。

 柘榴は楽しそうな希に笑いかける。

 そんな二人の真上に、影が覆う。鬼の金棒が、柘榴と希に向かって振り下りる前に、同時に地面を蹴った。左右に分かれてしまったが、問題ない。

 希は攻撃を避けるだけで、自分から攻撃しない。柘榴も同じように避けるだけに徹して、どれだけ金棒が迫ろうと器用に攻撃を避ける。

「それで?どうやって終冶さんを助ける?」

『終冶さんの持っているネックレスを破壊すれば、助けられます』

「ほう」

 ドラゴンの柚は、そんなこと教えてくれなかった。喰われろ、と無謀なことを言っても具体的な解決策を提示していなかった。

 紙一重で攻撃を避ける柘榴と軽々と宙を浮いた希は、お互い全員が乗っているはずの車を探す。もう砂浜に車がなく、避難をしたことを確認して通信機に言う。

「と言うことで、蘭ちゃん。ちょっと私達、ラティランスを呼んだら鬼に喰われて来るね」

『ちょっと、柘榴!何する気よ!!!』

 五月蠅いくらいの蘭の叫び声に、耳が痛い。よかった、蘭と一緒の車の中にいなくて。と、関係ないことを思いつつ、希が説明をする。

『ラティランスを呼べば、鬼の相手はラティランスがしてくれます。その間に、私達は鬼の中で囚われている終冶さんを助け出すのです』

「そうそう。仕方がないって」

『柘榴!返事が軽すぎるわよ!!!』

 あはは、と笑ってしまうのは、絶対に大丈夫だと言う確信があるからだ。

「まあ、ちょっと見ててよ。今からラティランス、呼ぶからさ。いいよね、希ちゃん」

 希を見れば、その表情が答えを物語っている。

『はい。皆さん避難しましたから。思う存分、どうぞ』

「いや、別に思う存分することもないけど?」

 思わず言い返した柘榴の言葉を、鬼の足を蹴り飛ばした希は無視した。蹴り飛ばして、そのまま宙を舞った希が、ストン、と柘榴の横に降り立つ。

 それが、合図。

 ほぼ同時に、柘榴は右手を、希は左手を上げる。笑顔で、口を開く。

「来い、アントラクス!!!」

「力を貸して、スマラグドス!!!」

 願いを、想いを乗せて叫んだ。

 赤い光は全てを燃やすように、焔の赤。緑の光は吹き荒れる突風のように、風の緑。

 二つの光が生まれ、そして、その姿を現す。



 車から降りた蘭は、先程までいた浜辺を見て言葉を失った。

 眩しすぎる赤と緑。お互いに打ち消すことなく、輝く二つの光。柘榴と希の姿が、豆粒の大きさで見える場所から、戦いを見守ることしか出来ない蘭。

「…何が、起ころうとしているの?」

 光が徐々に収まり、上空に姿を現したのは真っ赤な焔を纏った真っ赤なドラゴンと風を纏った緑の龍。鬼よりも一回りは大きいであろう、そのラティランスに息を呑む。

「あれが、柘榴くんと希くんのラティランス…」

 蘭の隣にいた柊だけじゃない。誰もが驚き、呆然と見守る。耳に付けた通信機から聞こえるのは、柘榴と希の賑やかな声。

『よーし!後は任せるよ、アントラクス!』

『柘榴さん。せめて、もう少し明確な指示をお願いします。スマラグドス、動きを止めて頂けませんか?』

 黙っていると、柘榴と希が真面目に戦っているようには聞こえない。

 ドラゴンも龍も、希の指示に従って素早く動く。鬼の手足の動きを止めた龍と、顔を業火で燃やすドラゴン。ドラゴンは地上にいた柘榴をくわえ、希も箒に跨って宙に浮く。

『えっと…まさか、まさかで?』

 嫌な予感がする、と言いたげな柘榴の声が聞こえ、その後すぐにドラゴンが柘榴を鬼の口に放り投げた。驚いたのは蘭だけじゃなく、希も同じ。

『柘榴さん!?』

「柘榴!希!」

 叫んだ蘭の声は、届いたかどうか分からない。間を置かずに希も一緒に、鬼の口へと姿を消した。

 プツン、と切れたように通信機の音が途切れる。

 柘榴と希の声が、聞こえない。何も、音がしない。

 無事で帰って来て、とひたすらに祈ることしか蘭には出来なかった。



 柘榴のドラゴン、アントラクス。希の龍、スマラグドス。鬼の相手はドラゴンと龍がしてくれるとして、唐突に鬼の中に放り込まれた柘榴は悲鳴を上げながら、落下する。

 真っ暗な何も見えない空間を、ただただ真っ直ぐ落ちる。

「っい、やぁあああーーー!!!」

「柘榴さんっ!」

 ガシッと右腕を掴まれて、徐々にスピードが減速する。心臓が五月蠅いくらい脈打って、ゆっくりと顔を上げた。

「のぞみちゃーん」

「もう大丈夫ですから、安心してください」

 情けない柘榴の顔に、希が微笑む。

 真っ暗な空間で、足が地面と思われる安定した場所に着地した。座りこんで、柘榴は一言。

「マジで死ぬかと思ったわ」

「アントラクスさん、容赦ありませんでしたからね」

「こんなことで死ぬのは、流石に予想外でしょ?」

 あー、と唸りながら立ち上がった。

 真っ黒で真っ暗な空間はアントラクスと出会った場所と同じなのに、この場所はすこぶる居心地が悪い。呼吸が苦しくなりそうな空間は、出来るだけ早く帰りたくなる。

 本当に終冶がいるのか、不安な柘榴に希が問う。

「なんか、肌寒くありませんか?」

「あー、確かに」

 柘榴も同意しつつ、希は箒を消した。

「箒、片付けちゃうの?」

「はい。なんか調子が悪い気がして」

 ふーん、と言いながら柘榴が歩き出したので、希も黙って隣を歩く。二人で周りを見渡しながら歩くが、目印も何もないので行く当てがない。

「希ちゃんさ。あの龍と会った時も、こんな感じの空間だった?」

「そうですね。でも、何か違う気がします」

 それをさっきから柘榴も考えていた。

「さっき肌寒い、て言っていたけど。それじゃない?私も足元から冷えてきた気が…」

 言いながら立ち止まって、地面を見た。真っ黒な地面の奥、キラリと何かが光った気がして、膝をついて地面に触れる。

「柘榴さん?」

 名前を呼びながら、希もその横にしゃがみ込む。氷のように冷たい地面を見つめる柘榴は、問う。

「今、何か光った?」

「いえ、私は何も」

 柘榴を真似して、希も地面に触れた。

「冷たい、ですね」

「うん。アントラクスと会った空間では、寒いなんて思わなかった。けど、ここは寒いし冷たい」

 コンコンと地面を叩くと、軽やかな音が返って来た。割れそうな、音。

「希ちゃん、前には何もないよね?」

「はい」

「後ろにも何もない」

「そうですね」

 希の同意を聞いて、柘榴は日本刀、と念じた。スマラグドスを呼んだ後の希もそうだったが、もう叫ぶ必要もなく武器がすぐに現れるようになってしまった。

 誰に言われたわけでもなく、当たり前のように一本の日本刀を両手で持ち、地面に剣先を当てる。

「上にも何もないし、後は?」

「下、て言わせたいのですよね」

 そう言った希は、柘榴のしようとしたことを悟って箒を出現させた。

「また下に落ちたら、柘榴さんさっきの二の舞ですよ?」

「あ、そこまでは考えてなかった」

 素直に認めた柘榴に対してため息をつきつつ、希は箒と柘榴を見比べた。

「どうします?落ちたらまた、拾えばいいですか?」

「なんか投げやりだけど、それで」

 下手に希の武器に触れて、とんでもない所に吹き飛ばされたら、たまったものではない。でもと少し楽しんでいる柘榴は、ニヤリと笑った。

「ここから先は、何があるか分からないね」

「でも二人だから大丈夫ですね」

「だね」

 頷いて、柘榴は日本刀を少し地面から離す。

「行くよっ!!!」

 希の返事を待たずに、柘榴は思いっきり日本刀を地面に突き刺した。地面にひびが入り、黒い光が漏れ出す。ひびから焔が溢れんばかり燃え、段々と広がっていく。

 パキン、と音が聞こえた途端、柘榴のいた地面は崩れて消えた。


 流石に二度目。

 希が柘榴の腕を掴むスピードは速く、騒ぐ前にふわふわと宙に浮いていた。

「さて、降りましょうか?」

「うん。でも、私も箒に乗りたいわー」

 思わず本音が漏れた。希は箒を立てるようにして足を掛け、柘榴の腕を掴んでいる。乗り方が普通じゃないが、柘榴が触れないようにと配慮している。

「確認を込めて、触ってみますか?」

「いや、こんな場所で試さなくても」

 と、言いつつも興味があるのはある。後で試そう、と思っていれば、また地面に足が着いた。

「着いたみたい」

「分かりました」

 ふわりと着地して、箒を手放した希も柘榴の横で辺りを見渡す。

 ここも暗闇。ずっと真っ暗で真っ黒。

 首を傾げながら、柘榴は尋ねる。

「どうする?また何もなくて、もっと下だったりして?」

「いえ、その必要はないみたいですよ?」

 希がそう言って、柘榴の後ろを指差した。指差した先に、倒れている一人の男性、終冶の姿がある。動かないので、気を失っているに違いない。

 ゆっくりと近づいて、終冶を見下ろす。

「…生きているんだよね?」

「はい。呼吸はあります」

 迷うことなく膝をつき、終冶の左手の脈を測った希。そのまま、容赦なく終冶の服を探る。

「ちょ、希ちゃん?」

「ネックレスを破壊しないといけませんから。仕方がありません」

 仕方がない、とか言いつつも、ポケットから財布やら鍵やら取り出す。柘榴の方が唖然として、何も出来ずに立ち尽くす。

「あ、胸ポケットにありましたよ」

「うわぉ!素敵な笑顔」

 黒い宝石が光ったネックレスを、希が振り返って見せてくれた。素敵な笑顔の前に、柘榴が呟いた声は本当に小さくて届かなかった。

「それを、破壊すればいいんだよね?」

「はい。この宝石を破壊すれば、ラティランスも倒せるはずです」

「ラスボスが気を失っていると、戦う気が失せるけどね」

 苦笑いを浮かべる希が柘榴の元へと、ネックレスを持って来た。十円玉くらいの黒く光っている宝石を受け取って、柘榴は終冶から少し離れた地面にネックレスを置いた。

「それでは今から破壊します」

「はい、お願いします」

 手伝う気がない希の台詞に、柘榴は不満そうな顔で言う。

「手伝ってよ」

「だって、その刀に触れたら燃えるじゃないですか」

 困ったように言われて、それが事実で言い返せない。日本刀を出現させ、ネックレスの真上に日本刀を構えた時、柘榴の頭に声が響いた。

【エメラルドの娘も、その武器を使えるぞ】

「…はい?」

「どういう意味でしょうか?」

 アントラクスの声は希にも聞こえたようで、同時に顔を合わせて首を傾げる。

【その言葉の通りだよ。因みに希の武器でも同じ。まあ、他の人だとそんなこと出来ないだろうけどね】

「そういうことは早く教えてくださいよ。スマラグドス」

 軽い口調の青年の声が、スマラグドスの声。呆れたように言った希は、おずおずと日本刀に触れる。

 希の右手が燃え上がることはない。思い切って日本刀をギュッと握っても、痛くも痒くもない希。柘榴も希も少し黙ったままで、先に口を開いたのはため息を漏らした柘榴。

「もう少し早く言ってくれてれば、私も箒に乗ることが出来たのに」

「まあ、いいではありませんか。ネックレスは一緒に、破壊しますから」

 一緒に、を強調した。にっこり笑った希が、日本刀の標準をネックレスに合わせる。柘榴は宝石を見つめ、息を吸い込む。

「行くよ?」

「はい」

 希と一緒に、一気に日本刀を突き刺す。ネックレスから、黒い光が溢れだす。

 さっき、地面が割れた時の比ではない。柘榴と希の身体をも飲みこもうとする、黒い光。

「う、固い」

「頑張って下さい!破壊しないと、いけないのです!」

 黒い光が肌に触れて、痛い。

 痛くて、悲しくて、苦しい。そんな感情を含んだ光。それが心に直接響いて、手を離しそうになる希を見て、唇を噛みしめた柘榴は腹の底から叫ぶ。

「帰るよ!!!」

「ざく、ろさん?」

「一緒に帰るんだから!!!」

 負けない。手を離せば今の状況から解放されるとしても、柘榴は手離す気はない。むしろ握る両手の力を強めて、気合を入れる。

「終冶さんを助けて、鬼を倒して、結紀の作ったお蕎麦を食べて!これからも笑って楽しく過ごすの!そのために、壊すんだ!!!」

「柘榴さん…」

 ハッとした表情を浮かべた希は、ギュッと日本刀を握り直す。

 全ての力を注いで、宝石を壊す。ピキッと小さな音が聞こえて、宝石にひびが入った。ひびが入れば、そこからは力を注ぎこむ。壊す、絶対に壊して見せる。

「行っけぇええ!!!」

「壊れて下さい!!!」

 柘榴と希の声が重なった。

 ひびが入る程、黒い光は輝きを増す。精神的にも疲労する。それでも、止めるわけにはいけない。 

 唇を噛みしめて、柘榴は力の限り叫んだ。

「壊れろぉぉおおお!!!」

 柘榴の叫び声を合図に、宝石が粉々に砕け散った。

 キラキラと砕けた宝石の欠片が宙に舞い、地面に落ちる。砕けた宝石の欠片は、白い宝石の欠片に変わり地面が明るくなっていく。

「綺麗、です」

「だね」

 あっという間に、真っ暗な空間が真っ白で温かい空間に変わっていく。

「柘榴さん!終冶さんの身体が」

 上を見上げた柘榴は、希の言葉で終冶の方を振り返る。終冶の身体が、淡く白い光に包まれていた。

「…消えてる?」

 終冶の姿が、透ける。消えて、いなくなる。

「…希ちゃん?」

「はい。何でしょうか?」

 呆然としている希に、柘榴は静かに問う。

「終わり?」

「おそらく」

 宝石を失くした終冶が、この空間から消えた。それは、いい。無事だと思っているから、そこは問題ではない。

 柘榴は希の顔を見ながら、必要以上の瞬きを繰り返して言う。

「帰り方は?」

「…どうしましょうか?」

「やっぱり!!!」

 考えていなかった。柘榴と希は鬼の中で、取り残されたままだ。

 てっきり終冶と戦い、勝ったら宝石を破壊して。すぐに元の世界に戻る、みたいなものを予想していた。実際は終冶は気を失っているし、宝石を破壊しても帰れない。

「早く、出た方がいいですよね」

「うん。疲れたし、早く帰ろう」

 ほんの少しずつ、持っていた日本刀の焔が弱くなる。微弱だけれど、力を奪われるような感覚を覚えて柘榴は戸惑う。

【主よ。終わったようだな】

 どこからともなく聞こえた、アントラクスの声。さっきから声だけで、姿は見えない。

【早く、そこから抜け出せ。お主らの力を奪われておるようだ】

「何それ?」

「もしも、このままここにいたら。私達は力を失うのですか?」

 アントラクスの声に耳を疑う柘榴とは違い、希は真面目な顔で尋ねた。

【その前に、鬼と一緒に消滅してしまうぞ?】

「やばいでしょ!早くここから出るよ、希ちゃん!」

 早く、帰らなければいけないと、柘榴は慌て出す。周りに何もなく、出口もない。

【希、聞こえてるかい?】

 今度はスマラグドスの陽気な声だ。

「…さっきから気になっていたのですが。気にいったのですか、兄の喋り方」

 アントラクスとは全く違う印象を受けるスマラグドスは、希の言葉に笑い出す。笑って、話が進まないと困った希が問いかける。

「帰り方、分かりますか?」

【真上を飛べば、入口があると思うよ。そっから、外に出られるはずだ。頑張って飛ぶんだよ、希】

 適当な回答であるが、ようやく帰れる道が分かってホッとした柘榴。地面は真っ白で明るいが、上に広がる真っ黒な空間を見つめた希。

「箒で戻ればいいのですね?」

【そうそう、早くね】

「そうと決まったら、さっさと行こう!」

 箒、と念じた希。希が日本刀に触れても燃えなかったのだから、と柘榴は怖がることもなく希の後ろに跨った。

「おお!箒だ!魔法使いみたい!」

「急いで戻りますので、掴まっていて下さいよっ!」

 言い終わると同時に、希は思いっきり地面を蹴った。柘榴の頬を風が撫でる。

「って、早っ!スピード早っ!!!」

 柘榴の声は、風の音で掻き消されてしまう。落ちないように希の腰に抱き付いて、振り返る白い地面が遠くなる。

 外から見れば、速いな、程度の上昇も体験すると分かる。

 速い、なんて軽いものではない。速すぎて、風が頬を掠めて痛い。

 それでも希は後ろを振り返ることなく、真上に向かって真っ直ぐに舞い上がった。


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