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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第7章
42/59

38 最終編01

 あっという間に時間は流れる。

 今日で今年も終わる。十二月三十一日。午前八時。

 約束の時間まで、あと七時間。

 柘榴は指定席とも言えるカウンター席で時間を潰していた。セルフサービスの水の入った透明なコップを眺めながら、柘榴は一人ぼっちだ。

「あれ?今日は遊ばねーの?」

 ぼんやりしていた柘榴の目の前に、突如結紀が現れた。カウンターに立って、問いかけられた質問に首を縦に振る。

「流石に、今日はね。各々自由行動」

 遊び尽くして疲れた。それに、最後ぐらいゆっくりと過ごしたい。

「ふーん。それで、お前は食堂に来てどうしたんだよ」

「食堂でお菓子を食べに来ました!」

「なるほどな…て、なんでそうなるんだよ!」

 結紀は暇なのか、相手をしてくれる。あはは、と笑っている柘榴に呆れつつ、結紀はカウンター用の椅子に座って、肘をつきながら訊ねる。

「希ちゃんは?」

「キャッシーさん、整備室、などなどとお話しに行きました」

「蘭ちゃんは?」

「訓練」

「今日もかよ…あとは、浅葱達は?」

「構ってくれない」

 誰も柘榴を相手にしてくれない。皆それぞれ行く場所がある。

 どこに行くべきか迷った挙句、柘榴が辿り着いた場所が食堂だった。皆で一緒にご飯を食べたり、結紀やキャサリンとお喋りしたり、大切な時間を過ごした場所。いつもおいしいご飯を作ってくれる、温かい人がいる場所。

 それが、食堂。

「あーあ、皆して私の相手はしてくれないしさ。本当は私だって不安で仕方がないのに!」

「全く、そんな顔してないぞ」

「あ、ばれた?」

 わざとらしく嘆くフリは、結紀には通じない。

 だってさ、と言いながら言葉を続ける。

「実感がないじゃん?殺されますよ、って言われてもさ」

「まあ、なあ」

 それは結紀も同じなのか。頷くかは迷っている。だから柘榴は素直に思ったことを口にする。

「一応、死ぬまでにしたいことはしようと思って色々したよ。蘭ちゃんの誕生日プレゼントはある程度完成させたでしょ。皆で遊んだでしょ。家族に手紙を書いたでしょ――」

 後悔のないように、思いつくことをしようと思っていた。けど時間が近づく度に、もういいいかな、と。

「案外、やりたかったことって沢山あり過ぎて全てなんて出来ないし。きっと何とかなる気がしたから、終わってから考えようかなって」

 それが柘榴の答え。

 いつの間に下がっていた視線を上げれば、少し驚いている結紀と目が合った。

「どうかした?」

「いや、柘榴らしいな、と」

「そう?」

 首を傾げながらも水を飲む。残っていた水を全て飲み干し、ふう、と息を吐く。まじまじと柘榴を見ていた結紀は、その様子を見守ってから言う。

「まあ、ピンチになったら助けに行ってやるよ。気が向いたら」

「どうせ、来ないくせに」

 そう言い返せば、結紀は否定もしない。ただただ、笑っているだけだ。

「で、その最後の戦いのために、衣装もチェンジしたわけか」

「そう。朝一番にキャッシーが部屋に来て、写真もいっぱい撮られた」

 あはは、とから笑いをしつつ椅子から降りて、全身を見せるようにクルリと回る。

「女子組は皆一緒の制服なんだけどね」

 言いながら柘榴は自分の格好を見直す。

 膝上の腰スカートは黒のプリーツスカートで、裾には主張し過ぎない黒いレース。上は黒のブレザーで飾りボタンが二つ、全部で四つのボタン。袖部分にもボタンがそれぞれ二つに、ポケットは内ポケットと合わせれば三つ。

 中に着ている真っ白いブラウスは、レジメンタルストライプ柄。無地のタイだけが、それぞれ赤、緑、青と一人一人違っている。柘榴はニーハイにスニーカー、希は黒タイツに少しヒールの高いローファー。蘭も黒タイツだけれど、靴はスキニーニーハイブーツ。

 全身が基本的に黒くなる戦闘服一式を、キャッシーはわざわざ用意した。

「なんか、今までの中で一番制服っぽいよね?」

「確かにな。で、野郎は?」

「学ラン、かな?」

 答えながら、朝会った時の浅葱達の格好を思い出してみる。

 見慣れたブレザーの制服姿ではなく、学ラン姿だった三人。

 上下とも色は黒で、上の袖口には柘榴達と同じボタンが二つ。浅葱は学ランの上ボタンを二つを開け、中にワイシャツと紺のカーディガン。蘇芳は真面目にボタンを全て閉め、逆に鴇は前を開けたままグレーのパーカーを着ていた。

 靴は蘇芳だけが革靴、浅葱と鴇はお揃いのスニーカーだったはずだ。

「いつ作ったんだろうね?」

「俺が知るかよ」

 キャッシーの話題だと、いつも結紀は嫌そうな顔になる。これ以上不機嫌にしたくないので、だよね、と肯定だけして椅子に座り直す。

 話題を変えようかな、と思ったところで運よく奥からキャサリンが現れた。

「あら?柘榴ちゃん、どうしたの?」

「あ、キャサリン!お菓子、頂戴!!」

 両手を差し出す柘榴は、即座にねだる。お菓子はいつでも別腹、と言う柘榴の言い分は随分前に口論になった。懐かしむ柘榴に気付かず、結紀は呟く。

「…俺の記憶だと、さっき朝食を食べたはずなんだけどな」

「小さいこと気にしないでよ」

「小さくなくね?」

 柘榴と結紀の口論を、キャサリンが微笑ましい表情で見守る。

「大体、もっと上手になりなよね。結紀の料理、キャサリンに追いついてないよ」

「素人のお前には言われたくねーよ。それくらい分かっているっての。てか、俺の本職違うの忘れているだろう!」

「「ああ」」

 何故か、キャサリンと重なった声。

「マジで、忘れていたな。こいつら…」

 本当のことだから、申し訳ないが否定出来ない。キャサリンが空気を変えるように手を叩く。

「さーて、何のお菓子が食べたいの?柘榴ちゃん」

「そうだねー。ケーキがいいな。ケーキ!」

「おい、無視すんなや」

 笑いながら椅子から立ち上がって、柘榴はキャサリンとキッチンへと向かう。その後ろを、しぶしぶ歩く結紀の姿を振り返った柘榴は、微かに笑うのだった。



 午前中にキャッシーの部屋を訪れた希は、封筒を一つ。キャッシーに預けて来た。

 もしも、なんて考えたくはないが、万が一で希が死んだ時に友樹に届けてもらえるように頼んだ。死ぬ気なんてさらさらないが、それでも託した一つの封筒。

 中に入っているのは懐中時計と、いつも身に付けていた白いリボン。

 二つに結んでいた髪型を止め、今は後ろ髪の上半分を編みこみながら一つにまとめた。真後ろで結んだ髪に二本あったうちの片方のリボンを巻いて、雰囲気を変えてみた。

 少し大人っぽくなった髪型で、希は黙々と廊下を歩く。

 まるで形見を残してきたような気持ちで、封筒をキャッシーに預けようと考えたのは昨日の夜のこと。最悪の場合なんて今までだって沢山あったのに、それでも今回は何かを残したくなった。

 何かを残さなくてはいけない、気がした。

 ずっと付きまとうような不安が、消えない。

 暗い気持ちになって、自己嫌悪。

「…マイナス思考は駄目ですね」

 すでにキャッシーに預けたわけだし、帰って来たら取りに来る、とも言った。友樹に渡る可能性はゼロではないが、絶対ではない。

 可能性の一つでも、死ぬことを考えてはいけない。友樹にこんなことを言ったら、怒られるに違いない。

 だから、と思って両手で思いっきり頬を叩く。

「もう、考えるのは止めにしましょう」

 よし、と考えをリセットして、整備部の面々がいるであろう部屋を目指すことにする。

 今日は絶対に整備部の人達の、友樹の顔を見ておきたいと思った。友樹と会えば、大丈夫だと言う気持ちが湧く。勇気を貰うために、必ず帰って来るという意志を固めるために、希は歩き続ける。

 歩きながら思い出す。

 柘榴や蘭と出逢ったこと。街で友樹に助けられたこと。海で遊んだこと。合宿で浅葱と蘇芳、鴇と協力して戦ったこと。歩望と美来、柚のことを思い出したこと。ハロウィンで仮装をしたこと。クリスマスに皆でパーティーをしたこと。

 そして、今日まで戦い抜いたこと。

 随分と遠くまで来た。

 辛い日もあった、泣きたい日もあった。でもそれ以上にかけがえのない時間があるから、生きていたい。

 曲がり角を曲がる手前で、遠くから足音が聞こえた。近づいて来る足音は、希の行く先から聞こえる。

「あ…希ちゃん」

「鴇さん、こんにちは」

 曲がった途端に鴇とぶつかりそうになって、お互い距離を取る。微笑んだ希の顔を見るなり、鴇は対照的に気まずそうな顔になった。

 鴇はここ数日、希を避けている。前ほど話しかけて来ないし、よそよそしい態度を取る。皆がいてもそれは同じで、鴇の異変に気が付いているのはきっと浅葱と蘇芳ぐらいだ。

 二人きりになったら居心地が悪いのは、予想出来たこと。

 鴇がその場から去る前に、今度は希の方から鴇の腕を掴んだ。

 後悔をしないように、鴇にもはっきりと告げなければならない。

 希の気持ちを、嘘偽りなく。

「少し…よろしいですか?」

 真っ直ぐに見つめる希の視線を受けて、鴇は観念したように静かに頷いた。



 皆で昼飯を食べ終わった後も、蘭と浅葱は外で訓練を続けていた。

 身体を動かしていた方が、気が紛れる。蘭と浅葱の心情は、同じだったのか。浅葱はずっと蘭の訓練に付き合ってくれた。

 午後になっても練習用の竹刀で模擬戦をして、疲れたので休憩を取ることにした。

「あと、一時間後には出発しなきゃね」

「そうだな」

 時刻は午後一時。

 飛行船から車で五分の場所をわざわざ歩いて行こうといったのは、柘榴だった。

『気分転換になるじゃん』

 それだけの理由で歩いて行くことが決定してしまった。勘弁してほしい。

 さっきから浅葱は蘭の隣に一人分の距離を置いて座り、黙ったまま何も言わない。蘭は膝を抱えたまま、浅葱と同じように真っ青な空を見上げた。

 あと数時間後には死んでいるかもしれないのに、平和な一日。

「…怖い、わ」

 小さく零れた本音は、浅葱に届いた。

「何がだよ」

 浅葱の口調は心なしか優しい。蘭も浅葱も視線は変わらず空を見て、お互いの顔を見ずに会話が続く。

「戦うのが、怖い。戦って死ぬのも、戦って傷つくのも。柘榴と希がいなくなるかもしれない未来も」

 怖い、と呟いた声はとても小さかった。言いながら膝を抱えて頭を下げた。微かに震える身体を押さえようにも収まらず、一度話し出せば気持ちが止まらない。

「前はこんな風に怖くなんてなかったわ。戦うのは当たり前で、勝つのも当然。でも、今回だけは別なの。相手は強敵で、勝てる見込みなんてない。最悪、誰かが死ぬこともあり得るし、勝っても柘榴と希が殺されるかもしれない未来を回避出来るわけじゃない」

 徐々に小さくなっていった言葉。

 柘榴や希だけじゃない。一緒に戦う浅葱達だって同じくらい危険で、誰もが怪我なく戦いを終えることなんて出来るとは思えない。

 でもね、と不安を振り払うように言う。

「理不尽な運命から抗うって決めたから、怖くてもやっぱり私は戦うわ」

 そう言って、浅葱の方を見て微笑んだ。いつの間にか蘭の方に顔を向けていた浅葱と目が合って、すぐに顔を背けられる。

 それから深いため息が聞こえた。

「チビ、なんで今日はそんなに素直なんだよ」

「何よ。浅葱が前に言ったんじゃない。悩むより誰かに吐き出せ、て」

「言ったけどさ。なんか、違うんだよ」

 ばーか、と浅葱は続けて言った。浅葱の耳が少し赤くなっていて、照れている。何だかんだ言っても、浅葱は蘭の傍にいて話を聞いてくれた。それが嬉しくて、あのね、と明るく言う。

「浅葱。私、貴方のこと好きよ」

「はあ!?おまっ!はあぁああ!!!」

 これでもかと言うほど顔を真っ赤にして、浅葱がおののく。

 驚く理由が分からなくて、蘭は首を傾げた。

「だから、これからも良き友達でいたいわね…て、言おうと思っていたのに。どうして、慌てるの?」

「ああ、そっち」

 そっち、の意味が分からない。人の真剣な告白で浅葱の顔色はすぐに赤みがひいて、悲しそうな表情になった。慌てた意味は全く理解出来ないし、どうして悲しそうな顔になったのかも理解不能。

「…私、変なこと言ったかしら?」

「いや、別に。あー、あれだな。最後くらい、お前のことは俺、が守ってやるよ」

 何故か途切れ途切れで、頬を赤らめながら言った浅葱の言葉に、蘭は思わず言い返す。

「貴方に守られるほど、弱くないわよ」

「たまには守られろよ!」

「嫌よ、なんで浅葱なんかに」

 戦いでは勝てないくせに、と言う前に浅葱が勢いよく立ち上がった。

「ああ、もう!だよな、お前はそういう奴だよな!ちょっと、そこで休憩してろ!」

「どこ行くの?」

 勝手に怒って歩き出した浅葱の背中に叫ぶ。立ち止まって振り返った浅葱は、いつの間にか蘭より少しだけ背が高くなった気がする。

「飲みもの買ってくる!チビ、そこから絶対動くなよ!」

「何よそれ」

 何故命令されなければいけないのか。それでも動くな、と言われたので大人しく待つ。待ちながら、もう一度空を見上げた。

 空が青い。綺麗な空、この空を忘れまいと、目に焼き付けた。




 終冶の指定した場所は、海が広がる砂浜。

 その近くに家も店もない。あるのは、目の前に広がるただただ青い海と白い砂浜。冬の海は寒い。

「こんな時じゃなきゃ。海に入るのに」

「そうですね。ここの海は透き通っていて綺麗ですからね」

「柘榴も希も、緊張感を持ちなさい」

 海を眺めて蹲っていた柘榴と希は、真後ろに鬼のような形相を浮かべ見下ろす蘭に言われて背筋が凍った。その奥には浅葱も蘇芳も鴇もいる。振り返らなくても、三人とも呆れているに違いない。

 恐る恐る振り返りながら、柘榴は言う。

「だってぇー、時間までまだあるしー」

「待っているだけでは、疲れますよね」

 希の気持ちも柘榴と一緒。遅れては悪い、と思い早く飛行船を出たが、早すぎた。

 時間までまだ余裕があるし、海に入りたいのが本音。

「「――っ!」」

 ふと感じた異質な力に、柘榴と希は同時に同じ方向を見据えた。

 車のエンジン音が近づいて来る。一台の車が、砂浜までやって来る。黒い普通自動車、運転しているのは見知った顔の男。

 その男が数メートル離れた場所に車を停め、優雅に降りる。

「おや、もういたのかい?」

 ちょっと寄ってみた感覚でやって来た終冶に、緊張感の欠片もない。柘榴が前回会った時と変わらない。真っ黒なコートに、真っ黒なスーツ姿。グレーのネクタイとハット帽。

 今回は顔を隠していない。

 余裕の笑みを浮かべて、感じるのは圧倒的な力の差。

 それでも引くわけにはいかない。先に立ち上がって前に出た柘榴の右横に、唇を噛みしめた希も立つ。お互いに武器を出してはいない。希は深く息を吸い、一呼吸置いてから言う。

「終冶さん、本当に戦わなければいけないのですか?」

「…希ちゃんにそれを聞かれるとは思わなかったな 」

 終冶は頭を掻きながら、柘榴達を見渡した。誰の目にも逃げる意志はない。終冶の瞳に映るのは、戦う意志のある六人の若者達の姿。

「僕の意志は変わらない。こちらからも聞くよ。蘭ちゃん、君は戦うのかい?」

 何故か蘭にだけ問う終冶。それを受けて蘭は宣言する。

「当たり前よ!私達は貴方に負けない!」

 柘榴の後ろから、迷うことない蘭の言葉が聞こえた。その返答に、終冶は肩を落とす。

 このまま無言の空気になるのが耐え切れず、もう一歩前に踏み出した柘榴は終冶を指差して叫ぶ。

「貴方を止めて、こんな戦い終わりにするの!覚悟しなさい!」

「そうですね。それが一番だと思います。終冶さん、手加減なしで倒します」

 戦いの場に似合わない笑顔を浮かべた希が、柘榴の横に並ぶ。

「全く。柘榴のせいで、雰囲気台無しね」

 そう言いつつ、柘榴の左隣に並んで微笑む蘭。その顔に、迷いはない。

「ほんと、馬鹿ばっかだな」

「まあ、柘榴ちゃんらしいよね」

 空いていた蘭の横には浅葱が、希の横には鴇が移動して持っていた日本刀を構える。

「早く、終わらせる」

 そして最後に鴇の横に蘇芳が並び、銃の狙いを終冶に合わせる。

 一人一人を眺めた後、終冶が愉快そうに笑う。

「それでは、始めようか」

 その声を合図に、柘榴もにやりと笑った。


「我が身に宿りし力、赤く燃える焔は我が化身、我を燃やせ―――グラナート!」

 柘榴の両手に輝くは、二本の焔を纏う日本刀。

「我が身に宿りし力、緑の風となりし我が身体、我を運びたまえ―――スマラクト!」

 希の右手には箒。

「我が身に宿りし力、全てを飲み込む青き水、その力を我に示せ―――エグマリヌ!」

 蘭の目の前にライフル銃。浅葱の目の前には短剣。

「…さあ、おいで。ブラックベルベット」

 不気味な笑みを浮かべた終冶は、両手を広げた。その両手に、黒い光が集まり出す。


 最初に動いたのは、すでに武器を持っていた蘇芳と鴇。

 先手を取って斬りかかった鴇の攻撃を、終冶は容易くかわす。そのままの勢いで身体を捻り、右足で鴇を蹴ろうとした瞬間を狙って、少し離れた場所にいた蘇芳が銃を撃つ。

 頭を狙ったのに、終冶の右手に現れた武器で弾かれる。

「そう簡単には、当たらないよ」

「ですよねー」

 距離を取った鴇が、日本刀を構えつつ呟く。

 終冶の右手にあるのは、黒い光が形を変えた武器。右手の黒い光は、細長く真っ黒な杖に変わった。L型の大きめな握る部分は銀製で果実の模様と黒い宝石が埋め込まれ、支柱は漆黒。

 背丈の半分ほど頑丈な杖を、終冶はクルリと回した。回した反動でそのまま地面に突き刺した途端、突如地面と杖の間から現れた小さな雷が鴇に迫る。

 反射的に目の前に迫った雷を振り払えば、それは呆気なく消えた。

「…電気系?」

「そう、だよっ――!」

 問われた鴇の質問に答える途中で終冶は振り返って、後ろに回り込んだ浅葱の攻撃を防ぐ。終冶の頭を狙い上から振り下ろそうとしていた短剣と、両手で端を支えた杖が交差して金属音が響く。

「っち、当たれよ」

「それなら、殺気ぐらい消しなよ」

 お互いの武器を離すタイミングを見計らって、体勢を立て直そうと一歩引いた浅葱の懐に、終冶は素早く滑り込む。

 浅葱の目に残像が残る、その次の瞬間。

 杖の底の部分、三角の形の鋭く尖った部分が、浅葱の心臓目掛けて迫る。

「っぶね!」

「…よく、防いだね」

 心臓と杖の先、その間に滑り込ませた短剣で致命傷を防ぐことは出来ても、終冶の力が強くて押される。奥歯を噛みしめて、負けじと押し返そうとする浅葱の瞳に、不気味な笑みを浮かべている終冶の顔が映る。

 その隙に鴇が斬りかかろうと、真後ろから近づく。

 気配を感じた終冶はひとまず距離を置くべく、二人から離れた。

 離れた瞬間を狙って撃った蘭の攻撃、終冶の頭を狙った銃弾は数センチの差で避けられる。眉間に皺を寄せた蘭の方を振り返って微笑む終冶は、周りを見渡して言う。

「ああ、水の檻か」

「そうよ。水に触れた途端に貴方を捕らえる、檻よ」

 浅葱達が戦っている間に仕上げた、水の檻。半径二十メートルの円形の檻の中には、蘭と浅葱、蘇芳と鴇、それから終冶の五人と一台の車。

 終冶の目の前には武器を構えた浅葱と鴇、その後ろにライフル銃を構えた蘭。

 次の銃声は、終冶の後ろから鳴った。 

 振り向きもしないで、首を傾げただけで銃弾を避けられた蘇芳。銃弾はそのまま蘭の真横を通り過ぎて、水の檻に吸収された。

「四人で勝てると思っているわけ?」

「当たり前じゃない。勝つわよ」

 断言した蘭の言葉に、浅葱達も頷く。そうか、と呟き、終冶は一人納得したように蘭の奥、檻の外の様子がまるで見えているように言う。

「希ちゃんと柘榴ちゃんは、鬼の方で忙しいみたいだね」

「そうかもしれないわね。だから悪いけど、こっちはさっさと倒させてもらうわよ」

「そう簡単に終わるかな?」

 憐れむように、終冶は言った。たった四人で止められるはずはない、と言う絶対的な確信を含む問いかけを肯定も否定もしない。

 蘭は無意識に銃を強く握り、終冶を睨む。浅葱も鴇も蘇芳も、隙を狙って攻撃を仕掛けようとする。

「少し、遊ぼうか」

 柘榴や希、蘭のように力を扱えるのは終冶も同じ。どこからともなく集まった黒い光は全身を覆い、真っ黒なマントに変わって終冶を包み込んだ。



 終冶の左手にあった黒い光は、真上に上がって消えた。

 その直後に海の上から鬼が現れたのだから、柘榴と希は迷うことなく鬼へと向かって駆け出した。

 戦う前に、蘭達と事前に打ち合わせをしていた。もしもラティランスが現れたら、その対処は柘榴と希で行う。蘭は浅葱達と一緒に終冶を止める。

『でも蘭ちゃん、終冶さん強いけど大丈夫なの?』

『四人いるし、何とかするわ』

 そんな会話をしたのは数分前の出来事なのに、柘榴は遠い昔の記憶のように感じてしまう。

 巨大な鬼。五年前に各地を襲い、柘榴と柚を襲った鬼を見上げて、柘榴は言う。

「来ちゃったよ」

「そうですね。やっぱり、鬼なのですね」

 悲しそうに希は言った。

 終冶のラティランス。その大きさは、建物三階分の高さ。真っ黒な肌、ボロボロの着物を着て、頭に生えた二本の尖った角。そして、鬼の表情は怒りに満ちている。尖った耳に、鋭い歯、全てを恨んだその表情。

 鬼が金棒を持ち、ゆっくりと柘榴と希を視野に入れた。

 近づいて来ても、柘榴の心に恐怖はない。

「悲しいね」

 ぼそりと鬼から目を逸らさずに呟いた言葉は、波の音で掻き消される前に希に届いた。そうですね、と希が言う。

「あの顔は、般若の面のようです」

「般若の面?」

「能面です。嫉妬や恨みのある女性の顔を露わした、狂言に使われるお面のことです」

 柘榴には分からないが、希がそう言うならそうなのかもしれない。

 鬼の動きは速くない。倒せないわけがない、と柘榴は息を吸った。

「よし。さっさと終わらせて、年越し蕎麦でも食べますか」

 二本の日本刀を構えながら、柘榴が言った。

「ええ、私も早く帰ってゆっくりしたいです」

 希も箒を構え、鬼を見つめる。 

「それじゃあ…行くよ!!!」

 全てを終わらせるために。死ぬためじゃない、生きるために柘榴と希は駆け出した。



 攻撃が当たらない。

 その苛立ちが蘭の心に積もる。

 どれだけ近くまで行っても、不意打ちを仕掛けても。終冶に攻撃が当たることはない。蘭達の体力が失われる一方で、余裕の笑みを絶やさない。

「…邪魔ね。黒いの」

 終冶を包みこんだマント。それが攻撃を吸収している。

 そのくせ、動きが鈍いわけでもなく。こっちにまで、攻撃を仕掛けてくるのだから厄介極まりない。

「そろそろ、終わりにするかい?」

 誰もが息を上げ、その表情は疲労している。でも、と蘭は揺るがぬ意志で終冶を見据えた。

「まだよ」

「そう?」

 話の途中で、浅葱が短剣片手に突っ込む。それを受け流し、背中を蹴り飛ばされた浅葱は地面に倒れた。

「――ってぇ」

「「「浅葱!」」」

 誰もが叫び、一番近くにいた鴇が駆け寄る。その様子を見守って、終冶は言う。

「段々、ワンパターンになって来ているよ。それに…」

 それに、と言った言葉の時には終冶の瞳に映ったのは、ライフル銃を構えた蘭の姿。

 目の前にいたはずの終冶の姿が、消えた。

 目を凝らした途端、目の前が黒で染まる。

 鴇に支えられ、起き上がった浅葱が叫ぶ。 

「チビ!」

 声が届いているのに、返事が出来ない。左手で首を掴まれ押し倒され、力が抜けてライフル銃が手から離れた。右手は蘭の右手を押さえ、武器を持たせてくれない。

 背中を地面に打った痛さより、首を絞められている苦しさに蘭の顔が歪む。

「――っ!」

「いい加減、飽きたしね。大人しく協力してくれるなら、見逃してあげてもよかったんだけど。君には退場してもらうよ」

 首を絞める力が強くなる。左手だけなのに、力が強くて息が出来ない。

 苦しくて涙が滲んで、睨み返したいのに視界が歪んでよく見えない。

 銃声が何発も鳴っても終冶のマントがそれを許さず、浅葱と鴇が近づこうとしても、その直後に電気の檻が終冶と蘭を覆った。

 二人だけの空間で、終冶は小さな声で言う。

「目が覚めた頃には、きっと全てが終わっているよ」

 どうしてか、悲しそうに聞こえた。

 動けない蘭の右手を離し、代わりに地面に置いていた杖を握る。

「ばいばい」

 言い終わると同時に、感じた痛さ。全身を貫くような痛みに、声にならない悲鳴が上がった。

 終冶が狙ったのは蘭の心臓ではなかった。蘭の持つ、宝石。淡く光るアクアマリンが砕かれようとして、比例するように痛さが増す。

「ってめぇえ!」

 浅葱が助けに来てくれるのだろうか。

 浅葱の声が聞こえた気がした。電気の檻を破って、終冶に斬りかかろうとする姿が目の隅に映った気がした。目を閉じるなと自分に言い聞かせても、駄目だ。

 周りの声が遠くなる。痛みで麻痺した身体は、もう動けない。

 どうして終冶は蘭を殺さなかったのか。

 どうして最後の言葉が悲しそうだったのか。

 分からないことだらけのまま、意識が途切れた。 


 蘭の宝石が砕かれた。

 それを証明するかのように、五人を閉じ込めていた水の檻は消えた。それでも浅葱の短剣は消えない。ぐったりと倒れ、青ざめた表情の蘭から離れて立ち上がった終冶に向かって、浅葱は問答無用で斬りかかる。

「離れろぉおおお!!!」

 叫びながら迫る浅葱に、終冶は驚くこともなくすぐさま身を翻した。杖で浅葱の短剣を弾く、短剣は宙を舞って地面に突き刺さるが、浅葱はそのまま武器を手放した。蘭を守るように傍にしゃがみ込んで、その頭をそっと抱きかかえる。

 気を失った蘭は動かず、その左腕にあったはずの宝石は砕かれた。砕けた宝石は地面に散らばり、僅かに光ったまま地面に転がっていた。

 宝石があったはずの肌から止まることなく血が流れ、地面が赤く染まる。

 止血しなくては、と傷を塞ぐ浅葱の手も赤く染まった。

「おい!チビ!目を覚ませ!」

 生きていることを確認したくて、何度も呼びかける。

 目を覚ます気配はない。息はかろうじて聞こえる。

「チビ!」

「彼女はもう戦えない。そして、君も――」

 浅葱の後ろに立っていた終冶が杖を振り上げる。武器がない浅葱にはなす術もなく、ただ蘭を守るように抱きしめた。

「――っく!」

 右肩に深く食い込む杖。痛さを感じるまで、少し時間が掛かった。痛くても、蘭の傍から離れるつもりはこれっぽっちもない。

 まるで何かを見極めようとするかのように、終冶は黙って浅葱と蘭の様子を見ていた。

 そのうち僅かに光っていた宝石の青い光が一つに集まり、終冶は浅葱の肩から杖を抜く。終冶の興味は青い光に映り、その光は真っ直ぐに終冶の車の方へ消えた。

 もう浅葱と蘭には興味はないような顔で、車に向かって歩き出した終冶の前に立ち塞がったのは、満身創痍の鴇と蘇芳。

「さっきはしびれて動けなかったけど。浅葱にばっかりいいとこ譲れないしね」

「ああ」

 電気の檻を破る際に被害を受けた鴇と、その傍に駆け寄った蘇芳。

 力の差は歴然としているのに、引く気がない二人。

「君たちじゃ、役不足だってなんで分かんない――」

 終冶の言葉が途中で止まる。ふと、終冶の視線が蘇芳と鴇の奥、数メートル先にある車の方に向いた。


 近づいて来る車のエンジン音。終冶の車からではなく、突然現われた別の車が終冶の車の脇に止まる。ワゴン車は馴染みのある車。

 振り返った鴇と蘇芳、それから浅葱も予想外の出来事に言葉を失った。

 最初に車の後ろから降りた男性が、頭を掻きながら面倒くさそうに言う。

「あー、嫌な予感がしたんだよね」

「うっさいわよ、柊。アクアマリン、早く奪還するんでしょ」

 鴇と同じような日本刀を持った柊に続いて、洋子も車の後ろから降りた。

「運転粗すぎ」

「着いて行くとか言わなきゃよかっただろうが」

 助手席に乗っていた友樹と、運転席にいた結紀も文句を言いつつ車から降りる。

 どうして、ここにいるのか。

 なぜ、やって来たのか。

 それは誰の心にも浮かんだ疑問。

 怒りを隠さず、苛立つ終冶は四人に怒鳴る。

「関係のない奴は、早々に消えろ!」

「するする。君が飛行船の中から勝手に奪ったアクアマリンを返して貰ったら、すぐいなくなるって」

 軽い口調で柊が答えた。その隣にいる洋子はため息をつきながら、戦闘員に支給される銃を構えて狙いを定める。

 結紀と友樹が目配せをして、静かに車の後ろに回った。終冶の車を勝手に探る結紀と友樹の姿が見えなくなって、同時に通信機から声が聞こえた。

『浅葱、聞こえるか?結紀だけど、蘭ちゃんの様子は?』

 どうして状況を把握しているのかは、この際何も言わない。姿の見えない結紀の問いかけに、浅葱は自分の不甲斐なさを噛みしめながら言う。

「息はしている。けど目を覚まさない」

『分かった。ちょっと待っていろよ』

 それっきり、通信は途絶えた。

 守ろうとした存在を守れなかった事実が、心を締め付ける。蘭をギュッと抱きかかえることしか出来ない浅葱は、顔を上げ現状を見つめる。

 終冶は突然現れた柊達を警戒しているのか。杖を持ったまま、その場からは動かない。

 柊は軽やかな足取りで蘇芳と鴇の傍まで行き、とりあえず鴇の肩を優しく叩く。

「終冶くん、だっけ?うちの研究員にまで、手を出さないで欲しかったかな」

「へえ、中々早く気が付いたものだよ。カメラ、壊しておいたのに」

「馬鹿でも気が付くと思うよ」

 話しながら、洋子が蘇芳と鴇に下がるように指示を出す。

 一対一で向き合う終冶と柊の異様な空気。両者譲らない空気で、どちらも笑っていることが異常に見える。柊が終冶の気を引いているうちに、今度は友樹の声が通信機から聞こえた。

『浅葱、今からそっちに行くから。一歩も動くなよ』

 いつの間にか終冶の車の運転席で不気味な笑みを浮かべている結紀がいる。その助手席には友樹がいて、車のつり革をしっかり握っていた。

『柊さん、適当に避けて下さい、よっ!!!』

 結紀の声が消えると同時に、車が急発進する。車は蘇芳と鴇、洋子の脇を通り過ぎ、驚いて振り返った柊は車にひかれないように真横に避けた。

 ほんの少し呆気に取られた終冶を、結紀の運転する車は迷うことなくひこうとした。

 それは叶わず終冶は避けるが、車は猛スピードのまま浅葱と蘭の真横をスピンして止まる。ひくギリギリ手前の運転をしでかした本人は悪気もなく、車から降りて浅葱に笑いかける。

「お、無事だな」

「無事、じゃねーよ」

 不機嫌そうな友樹も助手席から降りて、言った。呆然としている浅葱の横に、救急セットを持って近寄る。友樹は蘭の怪我を見るなり、手際よく治療を開始した。

「俺は前にいるからさ。そっち頼むな」

「ああ」

「それから浅葱、武器借りるぞ」

 浅葱が頷く前に、投げ出されていた短剣を持った結紀がいなくなる。スピンして止まった車のせいで、座ったままの浅葱の状況では終冶達の様子は見えなくなった。

 どうして、と掠れた声が浅葱の口から漏れる。

「何が?」

「どうして、ここに?」

 驚いている浅葱の言葉に、友樹がさも当然のように答える。

「飛行船の中で研究員が襲われていて、アクアマリンがなくなっていた。それを奪還しに来た」

 それだけ、と友樹が口を閉ざす。

 ある程度の治療を終え、顔を上げた友樹の目の前にいる浅葱の顔は、まだ思考が追いつかないのか、始終泣きそうな顔だった。安心しろ、と言わんばかりに友樹が浅葱の頭に手を置く。

「意識を失っているだけだ。いつまでも泣きそうな顔をするな」

「分かって、ますよ」

 腕で目を擦った浅葱が小さく言い返す。

 このまま蘭が死んだらどうしようと、怖くて堪らなかった。

 そんな不安が、消えて行く。

 終冶を相手に一緒に戦ってくれる人がいる。それが素直に嬉しくて、早く目を覚ますように祈りながら、浅葱は蘭の右手を握りしめた。



 蘭の力の気配が消えた。

 水の檻がなくなったのを、箒に跨った希は上空から見ていた。

 助けに行くべきか考えて、止めた。見知った一台の車がやって来たことは確認したし、正直鬼の相手で手一杯だ。助けに行く余裕が、ない。

「もう、しぶとい!!!」

 地上で日本刀を構えている柘榴が叫ぶのも、無理はない。何度腕を斬り落そうが、足を失くそうが。鬼の再生能力が高すぎる。

 破壊したとしても、すぐに再生されたのでは倒せない。

 何度か瞳を破壊したが、それだけでは今までのように倒せない。宙に浮くのを止め、柘榴の近くに降り立った希は、一人頭を捻って考える。

「やはり、別の場所に核となる力があるのでしょうか?」

「まじっすか!?」

「終冶さんがその力を持っているとしたら、厄介ですね」

 鬼は足の半分ほどが海に入ったまま、浜辺に上がって来ることは滅多にない。

 鬼と戦いながら、希の心には引っ掛かっていることがある。

 終冶と言う存在を介して生まれた、鬼。それはつまり、本契約者としてラティランスを呼び出した、ということ。もしかしたら本契約者を殺さない限り、鬼は存在するのかもしれない、ということ。

 柘榴から聞いた可子の話を踏まえて、考える。

 歩望が本契約した力を希が受け継いだのなら、希もその力を受け継いでいるに違いない。それなら、希にだってラティランスを呼び出せるはずだ。そうすれば、鬼にだって勝てる。

 もう、人ではない。

 それを認めるのが嫌で、後戻りできないことが嫌で考えないようにしていた。

 でも希がラティランスを呼び出し鬼を押さえれば、一気に形勢が逆転できるかもしれない。蘭が倒され、助けが増えても、終冶はきっと倒せない。

 それは、確信。

 柘榴と希が加われば、終冶を倒せる確率が上がるはずだ。

 結晶化、と言う最悪の死を迎える前に戦いを終わらせる、それが希の願い。

 けど、どうやってラティランスを呼び出せばいいのか。考え込んでいた希の耳に、柘榴の焦った声が響く。

『来るよ!希ちゃん!』

「は、はい!スマラクト!」

 動きが鈍い。そう思っていた鬼は、時々目で追えない速さで動く。海から一歩だけ砂浜へ足を踏み出し、固まっていた柘榴と希を目掛けて金棒が振り落とされる。

 足を斬りかかった柘榴に続いて、箒の代わりに弓を出現させて希も避ける。避けたと同時に、弓を構えて鬼の瞳を狙った。弓は弾かれて、宙で光となって消える。

【チカ…ラ、モッ…ト】

 ふと、心に響いた声に動きが止まる。

【チ…カラ、ホ…シイ。ホシイィィ!!】

 空耳のように聞こえた声が、頭の中で響く。響く声と比例して頭痛がして、頭を押さえた希。それは柘榴も同じで、何が起こったのか希に問う。

『何、今の?』

「…分かりません。柘榴さんにも聞こえましたか?」

 うん、と答えつつ、柘榴は攻撃を繰り返す。弓を構えて力を込めながら、鬼の頭、眉間の間に焦点を合わせる。

 鬼、の声のように聞こえた。

「一体――」

 何が、と言おうとした途端、鬼の腕が希の方に伸びた。

「――っく!」

 矢は何もない空に消えた。

 箒を、と思ったのに地上で弓を構えていたせいで、箒がない。危ない、と思った途端に伸びた鬼の腕が、希の身体を捕らえた。

『希ちゃん!!!』

 柘榴の悲鳴が通信機から聞こえても、希は返事が出来ない。

 痛い、離して、と叫ぶ声が出ないまま、希の身体は無造作に投げ飛ばされる。あまりの速さで目を瞑った。真っ直ぐに、終冶の乗って来た車に衝突した身体。

 車内の中に突っ込んで、ようやく止まった。

 風で速さを弱めたはずなのに、あまり意味がない。

 車の後部座席の窓ガラスを割って、車内が希の血で赤く染まる。背中からぶつかったせいか、ガラスの破片が背中に刺さり、手足も傷だらけだ。

 骨の何本かは折れた気がする。容赦なく吹き飛ばされた。

 車の近くに誰かいたのは分かったが、その人を巻き込まなくてよかった。

 すぐに動かないと、柘榴のところに行かないと。そう思うのに身体は随分重い。少しくらい休んでもいいだろうか。駄目だ、戻らなきゃと思う半面、逆らえない力で瞼が閉じられた。


 希が吹っ飛ばされる。

「希ちゃん!!!」

 止めて、と言う声は届かず、希の身体は吹き飛ばされた。意識は希に集中して、鬼の動きを見ていなかった。間を置かずに、柘榴の身体も動きを封じられてしまう。

 鬼の左手で締め上げられ、手足を必死に動かそうとしても動けない。

 痛いし苦しいし、放して欲しい。鬼の声が聞こえた後から、鬼の動きが活発になった。鬼の力は弱まることなく、柘榴を握ったままゆっくりと歩き出す。

 戦っている時に出来た、数々の怪我が痛い。

「はな――!」

 せ、と言い終わる前に、思いっきり頭を何かで殴られた。殴った何かはきっと金棒で、あまりの衝撃に意識が遠のく。

「…だ、め」

 頭から血が流れて、目に入る前に柘榴は意識を手放した。



 ふと、柊と一対一で戦っていた終冶は鬼の方を見た。

 驚くような顔の終冶の視線が気になって、掠り傷の目立つ柊は距離を置いてから鬼の方を見る。

 先程まで柊と戦っていた終冶は楽しそうで、殺すと言うよりも戦う気力だけ奪う戦い方をしていた。その終冶が、柊に背を向けて鬼の方を振り返る。

 警戒は怠らない。けれども、何かが起こりそうな嫌な予感はした。

 鬼が何かを投げ吹き飛ばした。

 一直線に吹き飛ばされた何かは人の姿で、誰の助けも間に合わない。

 誰かは終冶の車にぶつかり、嫌な衝撃音が辺りに響いた。

「…希、ちゃん?」

 後ろにいた洋子が口に手を当てて、信じられないと言いたげな声で呟く。その微かな呟きは、柊の耳に届いた。まさか、と柊が驚く暇もなく、今度は鬼が気を失った柘榴を手に持って、近づいて来る。

 意識を失い、頭から血を流した柘榴。

 ポタポタと赤い血が、砂浜に落ちる。

 鬼の大きさ、圧倒的な力に誰もが押される。よく、柘榴と希だけで戦おうとしたものだ。こんな怪物、勝てるはずがない、と柊の本能が告げる。

「希ちゃん!返事をして、希ちゃん!!」

『柘榴、目を覚ませ!柘榴!!』

 洋子と結紀が必死に通信機に呼びかけるも返事が返って来ない。希の姿は全く見えないし、鬼に捕まっている柘榴は身動き一つせず動かない。

「どうした…ブラックベルベット」

 戸惑いの含まれた終冶の声。予想外のことなのだろうか、柊は黙って終冶を観察する。

 鬼に圧倒されている終冶以外の面々。膝をついて何とか日本刀で身体を支えている鴇、その横で鴇を支えている蘇芳。終冶の車から狙いを定めていた結紀、口元を押さえ柊の後ろで怯えている洋子。

 誰もがその圧倒的な力に、足がすくんだ。

【チカラ、ホシイ。お前、イラナイ】

 片言の言葉、それを発しているのが鬼であると気が付いたのは、一体誰が早かったのだろうか。

 終冶の数メートル先まで近づいた鬼が、立ち止まって見下ろす。持っていた柘榴の身体は後ろに放り投げ出され、円を描くように宙を舞う。

『柘榴!』

 結紀が武器を投げ捨てて、柘榴の落ちて来る場所に駆け寄る。両手を上に上げ、ギリギリの所で柘榴を抱き抱えた結紀がホッと一息をつく。

 安心したのも束の間、鬼は目の前にいた終冶を無理やり掴んだ。

「放せ!どうするつもりなんだ!」

 終冶が暴れても、鬼の方が力が強い。されるがままで、終冶は叫ぶ。

「止めろ!離せぇ!」

 まるで小さなお人形を持ち上げる子供のように、鬼は終冶に言う。

【お前、イルト。面倒、イラナイ】

「何を馬鹿な!!」

 終冶を高く持ち上げ、頭の上の高さまで持って行く。その口が大きく開く。

【バイ、バイ】

「止めろぉおおおお!!!」

 終冶の叫び声、それは鬼の口に吸い込まれる。

 一瞬だった。

 どうして、こうなったのか。どうして、終冶は鬼に喰われることになった。分からない。分からないことばかりで、頭は真っ白だ。

【ウン、食べた】

 鬼は満足したように、周りを見渡す。

【誰と、アソブ?誰が、アソブ?】

 子供のような無邪気な言葉。でも、そこにあるのは、紛れもない鬼の姿。

 誰もが動けないでいた空気を破ったのは、結紀の呼び声。鬼など無視して、結紀は叫ぶ。

「柘榴、おい!目を覚ませ!」

 結紀が柘榴に必死に呼びかける。それでも、柘榴は目を覚ます気配がない。

「結紀くん、早く逃げるんだ!!!」

 柊の声は意味をなさない。鬼が標的を定め、結紀と柘榴の方にゆっくりと歩き始める。

 結紀と柘榴を助けに行こうとした柊だが、終冶に負わされた傷が今になって開く。洋子に支えられて、見ていることしか出来ない。

 鬼が柘榴と結紀の真上に、金棒を持ち上げる。

 言葉を、失った。


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