03 蒼
五年前。日本を襲った怪物。
それを一部の人間は、こう呼んでいる。
【ラティランス】
その名前を付けたのは、とある研究をしていた研究者だった。
見た目が黒くて、人を襲う怪物。それらを総称する呼び名。ラティランスは真っ黒な瞳を破壊すれば、倒すことが出来る。倒した後に残るのは、色とりどりの宝石の欠片。
それを倒すための、ラティランスを倒すための組織が作られたのも五年前のこと。
組織の名前は特にない。
組織には身体能力や学力が高い人物、何らかの才能がある人物であることが必須条件。普通の一般人が入ることは許されない。
そんな組織の中には、特別な訓練を受け、ラティランスと戦う人達がいる。
【戦闘員】
と、組織の中で呼ばれる人達。組織の中でもエリートに分類される人達。
ラティランスに対抗出来ると立証された武器【ラティフィス】を持つことが許され、ラティランスと戦うために日々努力している人達でもある。その多くが二十代中心の若者で成り立っている事実は、組織の人間なら誰でも知っていることだ。
【ラティフィス】とは、武器名。
五年前にラティランスが現れた同時期に、秘密裏に開発されていた武器。その力の源がラティランスの持つ黒い宝石のような、禍々しい雰囲気を醸し出す黒い力とは正反対の力。
青く、澄んだ色の宝石、【アクアマリン】の欠片が埋め込まれた武器。
不思議な力を秘めたアクアマリンは、少女、蘭の左腕にも存在している。取って付けたように、腕に埋め込まれている宝石。
その力を借りることで、蘭は戦闘員以上の実力を発揮して戦うことが出来る。
そのせいで、いつの間には武器名だったはずの【ラティフィス】と言う言葉は、蘭にまで適応されるようになってしまった。
生きている、武器として。
ラティランスと戦うための人間として。
蘭だけの力。他の戦闘員とは違う。蘭以外にラティフィスと呼ばれる人間はいない。
蘭だけが、普通じゃない。
「らーん、ちゃん!」
名前を呼ばれて、嫌そうに顔を上げた。整理していた思考が一気にどこかへ行ってしまった。大したことは考えてなかったので、そのことは忘れる。
ここは組織の本部。組織の基地は全部で五カ所あるのだけれど、一カ所が本部として中心にあり、残りの四カ所は地方支部として各地方に散らばっている。
二階の訓練室と書かれた部屋に一人で待っていた蘭は、待ち人の登場により近くに置いてあった机を思いっきり蹴った。
蹴られた机は見事に倒れた。蘭は相手の顔も見ずに、腕を組んで壁に寄りかかったまま低い声を出す。
「三十歳近い男が気持ち悪いのよ、柊さん。殴られたい?」
氷点下並の冷たい声。蘭の待ち人、柊は首を必死に横に振る。
三十歳近い。というより今年で二十九歳になる男性は、ひょろりとしていて掴みどころがない。
わざと生やしているひげのせいで、実年齢より老けて見える。それに加え、組織で統一された服を着崩して着るから、何ともダサく見える。
一応これでも、蘭の上司。
これ以上関係ない話でもしたものなら、机を壊すだけでは済まされないと感じた柊は、急いで持っていた紙を蘭に差し出す。
「ほら、洋子がまとめた資料だ。それっぽい子をピックアップしてある。ただ、【のぞみ】ちゃん?は、全国に名前が多すぎる」
最初にあった用紙に書かれた名前。【柘榴】と【苺】は間違いない。けれども、その後に続いている【のぞみ】という少女、印刷された用紙には何人分もの顔と名前だけが載っていた。
「柘榴と苺はこれで合っているみたいね。のぞみの方は、セーラー服の学生で。もっと絞れないかしら?」
「…それを先に言ってくれないかい?それでも、多いけど」
あまりにも多い情報を絞り込むことは困難なので、手渡された用紙を柊に返す。柊は大きくため息をついて、問いかける。
「でも、蘭ちゃんが他人に興味を持つなんて珍しいじゃないか。この三人と何かあったか?」
柊は興味本位で聞いただけであるが、一気に蘭の表情が変わる。
怒っているような、イラついているような、制御できない感情を持て余した蘭。唇を噛みしめてから、意を決したように口を開いた。
「私の他に、ラティフィスはいると思う?」
「いやいや、それはないだろう」
即座に否定された言葉。窓の外に顔を向け、夕焼けを見ながら蘭は呟いた。
「そうよね。本来ならあり得ないのよ…」
いつものような自信満々な態度の蘭はそこにはいなく、ひどく困惑した表情の蘭に柊は首を傾げた。
「それ、結紀くんも言っていたな」
ふと思い出したように、柊は言葉を続ける。
「他にラティフィスはいるのか、とか。まあ、その前に戦闘員になれそうな、面白い女の子を見つけたとは聞いていたけど。君達、何を見たんだい?」
柊の言葉に蘭は答えるべきかどうか考える。それでも、上司であるわけだし、相談する相手と言ったら柊しかいない。
深く息を吐く。それからゆっくりと、蘭は直に見た今日の出来事を話すことにした。
蘭は淡々と今日の出来事を話した。一通りの説明をした後に、自分自身に確認するように問う。
「普通の人間が、焔を操る日本刀を振るうことは出来るのかしら?」
「…それは、ないだろうね?」
突拍子もない蘭の言葉に、律儀に答えた柊。蘭は、そのまま続ける。
「赤い光、それに緑の光は風の力で主を守っていた…?」
思い出す。
柘榴の方は、名前を呼んで武器を出現させて見せた。のぞみか苺の方にも力はあるのかもしれない。緑の光が、通常では有り得ない風の現象を蘭はその目で見たのだから。
「…エグマリヌ」
呟かれた蘭の声に反応して、淡い青い光が集まる。
光の周りに水が生じ、形を変えていく。銀色の刃は夕焼けの光を反射し、青い紐に括り付けられた宝石は、青く澄んだ青のアクアマリン。
現れた剣を右手で持ち、蘭は自身の武器を確認する。
柘榴のように焔に包まれた武器ではない。出現した時こそ水に包まれていたが、蘭が手にすると同時に水は蒸発するかの如く消えてしまった。
「おいおい、蘭ちゃん。こんなところで武器を出さなくてもよくないかい?」
驚いた顔をした柊を気にせず、剣を見つめながら自身に問う。
「同じ現象を起こす少女がいたのよ。それも二人、つまりそれは…私の他にもラティフィスとして存在する人間がいることではないの?」
答えの出ない問いを抱えている蘭に、柊までその答えを探して黙るしかない。
蘭の他にラティフィスがいる。
蘭の中では紛れもない事実。
本来なら蘭しかいないはずだった。蘭の他にもいるなんて事実、聞いたこともない。
「それは、蘭ちゃんの見間違いではないんだな?」
疑っている瞳ではなく、確認するように蘭に尋ねる。
ゆっくりと、首を縦に振った。
「あり得ない。私はこの目で見たわ。他の承認が欲しいなら結紀に確認して。ラティフィスがいるのなら、その身体に宝石を持っているはずよ」
言いながら、蘭は自身の左腕をギュッと抱きしめるようにして、アクアマリンの存在を確認した。
リボンで隠していても、上から触れば肌ではない感触。固い、けど温かいアクアマリンが、隠されている。蘭がラティフィスとなった日から、変わらずに存在している。
パッと手放した剣は、床に落ちることなく青い光となって消えた。
それを見ていた柊は、よし、と言いながら優しげな笑みを蘭に向けた。
「こっちでも何かあるか探ってみるから、今日はもう休め。明日にでも最初の被害区域の情報と一緒に、報告するからさ」
それだけ言って、部屋から出ようとする柊の後を追う気分にはなれない。
ドア付近で振り返った柊に、蘭は先に出ろと言わんばかりの態度で、首を少しだけ前に出す。それで理解したのか、柊は片手を上げてから部屋から出て行った。
一人残された蘭はリボンを取って、左腕のアクアマリンを眺める。
「私の他にも、ラティフィスがいる…」
信じたくない。誰か嘘だと言って欲しいけれど、それを目撃しているのは蘭自身。疑う対象は、自分自身になってしまう。
どうしようもない気持ちを持て余したまま、窓の外の夜空を見上げることしか出来なかった。
五年前の蘭は、戦闘員見習いの【訓練生】と呼ばれる存在だった。
戦闘員養成学校と言うのがあり、十二歳から十七歳までの子供が幼い頃から特訓をする。現在も三十人程のクラスで構成され、五年間であらゆることを学ぶ。
現在、各基地に三十人程しかいない戦闘員。戦闘員を含む、組織に必要な人間を養成するための学校。
その学校が出来たのは、五年前の春のこと。
そこに十一歳から入り、一歳年上の生徒と一緒に訓練を受けていたのが蘭だった。
本来なら十二歳からの学校に、特例で入学した蘭は十分な実力を持っていた。一つ年上の訓練生の中に混じっても上位の成績を維持していた。
誰よりも才能を認められていた蘭が、十二歳になった年のこと。
一枚の紙きれがロッカーの中に入っていた。
『ラティランスと対抗出来る力を手に入れたくないかい?』
よく挑戦状は入れられていたが、紙きれ一枚は珍しい。それもそこらへんに落ちていた紙に、急いで書いたような殴り書き。
最初は悪戯、だと思った。
ぐしゃぐしゃにして、近くのゴミ箱に投げ入れる。
それから一週間近く。毎日訓練が終わり、一人で帰る夕暮れ時。
必ず入っている紙切れ一枚。内容も変わらなければ、紙の大きさも変わらない。不気味だと思っていても、どうしようもない。
相談する相手もいなければ、対処方法も思いつかない。
それは、最初に手紙を見つけて丁度一週間後。
『この場所で待つ』
初めて内容が変わった。そして、もう一枚。同じ紙に書かれた地図。それは学校からそう遠くない場所にある、研究棟を指し示していた。
その場所は、訓練生は立ち入り禁止だったはずだ。
いい加減手紙を止めて欲しかった。もし研究棟に入れなかったとしても、行かないことには始まらない。
それに、ラティランスに対抗できる力という言葉も気になる。
そう思って、蘭は一人で研究棟を目指すことにした。
いつもなら研究棟の入り口にいるはずの門番がいない。
不審に思いつつ、引き返せなかったのは建物の中に人影を見たから。後ろ姿しか見えなかったけれど、あからさまに蘭を見て駆け出した。
真っ黒な服で、いかにも怪しい雰囲気を醸し出した人物を放っておけない。
たった十二歳。だが、学年ではトップクラスの実力を持ち、武術では大人さえも打ち負かす。不審者如きなら、決して負けるなんてことはない。
門番がいないことをいいことに、蘭は臆せず研究棟に足を踏み入れた。
すぐに追いかけて、廊下のすぐ角を曲がった先に人影はない。
落ちていたのは一枚の紙きれ。
『その廊下を真っ直ぐ進んだ先にいる』
あからさまに蘭をおびき寄せようとしている内容に、迷ったのは一瞬だった。研究棟の中にいるのは、基本的には研究員だ。戦闘能力は低い。
慎重になりながら、奥へ足を進めた。
それにしても、静かすぎる。
誰にもすれ違わなければ、誰の姿も見当たらない。
まるでこの建物にいるのは蘭一人だけ、という静けさは異常だった。
それでも、目的地まで足は止まることなく一つの扉の前に辿り着く。
【第三研究室】
そう書かれた部屋の前で立ち止まる。いたって普通のドアに、仕掛けなど見当たらない。少しだけ緊張し始める。この先で何が起こるか分からない。
ゆっくりとドアを開ける。
その部屋の中央に置いてあったのは、少し大きな宝石だった。
宝石の周りにあったと思われるガラスは全て割れていて、触ろうと思えば触ることが出来る。そのせいか、床には無数のガラスの破片。
その宝石は両手で抱え込めば持てそうな大きさ。青く澄んだ色に目を奪われる。
戦闘員にのみ許される武器にも同じような宝石が付いていたな、と考える。
「…綺麗」
思わず声が漏れた。
あまりの美しさを放つ宝石、触るつもりはないがもう少し近くで見てみたいと思い部屋の中に足を踏み入れた。手を伸ばせば触れる位置まで来て立ち止まる。
その、瞬間だった。
真後ろ、部屋の外。ドアから何かが飛んできて、蘭の左腕に当たる。かすった程度かと思っていたが、右手で傷口を押さえれば血が止まらない。
「っ!」
振り返った蘭の瞳に、攻撃を仕掛けてきた人物は姿を隠した。
その時の蘭が持っている武器と言えば、護身用であり訓練室から借りていた拳銃が一丁だけ、右手で構えつつ負傷した左手で支える。
ドアから姿が一瞬でも見えたら撃つ。
そう思って構えた途端、真っ黒なマントを羽織った人物が部屋に入り込んだ。
「―っく!」
当てたはずだった。
当てるつもりで撃ったはずの弾は、その人物に当たらなかった。まるで瞬間移動したかのように、左にずれて蘭に近づく。
それでも怯むことなく銃を撃ち、数発の銃声が部屋に響く。
一度もその人物に弾は当たることなく、目の前まで走りこんで来た人物は蘭の左腕を掴んだ。あまりに強い力に振りほどけない。
その人物は蘭の左腕を掴んだままで、後ろへ走る。それに引っ張られる形で、蘭の身体がバランスを崩した。何をするつもりだろうと考える間もなく、左腕。それも怪我をした箇所が、何かに当たった。
「――っ!!!」
声にならない悲鳴が上がった。傷口に宝石が触れたのだと、理解する暇もなく宝石から勢いよく水が溢れ出す。宝石と蘭の周りに、大量の水が現れる。
水の出現を確認した瞬間に、蘭の腕を掴んでいた人物はパッと手を放しドアから逃げた。
追いかけたい、そう思うのに動けない。
一瞬で蘭の身体をその水が包み込んだ。
息が出来ない。
酸素を欲しているのに、身体は水に包まれていて抜け出せない。
【呼べ…我が名は】
意識が朦朧とする中で、微かに聞こえた声。
【早く呼ぶのだ。我が名は】
何度も何度も頭に響く声。気を失う前に、水の中で声にならない声で、その名を呼んだ。
「エグ…マ、リヌ…」
その言葉を言い終わると同時に、蘭は意識を失った。同時に包んでいた水が消え、青い光が集まり出したことを、蘭は知らない。
目を覚ました時、そこはすでに研究棟ではなかった。
ふかふかのベッドの上で、ゆっくりと瞼を上げると見知らぬ天井が瞳に映った。
何が起こったのか思い出す。
誰かに呼び出された研究棟で、何者かに襲われて気を失った。
起き上がろうとすると、両手両足に嵌められた鎖が音を立てた。誰に付けられたのか不明の鎖が重い。
「目を、覚ましたかい?」
目の下に何日徹夜したのかと言いたくなる隈。真っ白な白衣を着た、研究員らしき男性が蘭の顔を覗き込む。
「済まない、本当に済まない」
そう言って、その痩せこけた男性は何度も蘭に謝る。
意味が分からない蘭は、動けないまま聞いていることしか出来なかった。
それから、すぐに別の人物が部屋に入って来た。知らない人。初めて見る。組織の、上層部。胸元のバッチでその階級を判断できる。訓練生である蘭が、そう簡単に謁見出来る人ではない。
そういう意味では、蘭の父親も同じ。
組織の上層に所属し、訓練生育成のためのクラスを設けることが出来る学園長の立場にある父親とは、もう長い間会っていない。
部屋に入って来た男性は、軽く研究員の肩を叩く。
それが合図のように研究員は静かに部屋から出て行った。残されたのは、蘭と見知らぬ男性。近くまで来たその人は、蘭を見下ろしながら冷たい瞳で言い渡す。
「本日付けで、訓練生を卒業。君には明日より、本部にて特別戦闘員に配属される」
その声があまりにも冷たくて、声も出せずに見つめ続けた。
「尚、この件に関しては君の父上にも承認を得ている。詳しいことは明日、別の者が説明しに来るだろう。明日、迎えの者を寄越す。今日はこの部屋で休みたまえ」
要件を言うだけ言って、背を向けた。
「…ま、待ってください!」
掠れた声で呼び止めようにもその声は届かない。両手両足に嵌められた鎖のせいで追いかけようにも追いかけられない。
一人きり、部屋に残された。
「どういう…こと?」
状況に置いてけぼりにされた蘭の言葉は、誰にも聞かれることなく部屋に響いた。
後で詳しい説明をされた。
組織の中でより強い武器を開発する過程で、宝石が人に適合する可能性があるということが分かったこと。その適合者の安全性が確認されるまで、公にはされていなかったこと。
偶然とは言え、蘭はアクアマリンと適合してしまった。
ラティランスに対抗する力の源であるアクアマリンに、蘭以外の人間が適合することはなかった。
その話を聞いた夜は、悲しさで散々泣いた。
蘭が戦闘員になりたかったのは、組織の上層部にいる父親に会いたかったから。母親のいない蘭にとって、父親に会いたくて訓練生になり、戦闘員を目指していたと言っても過言ではない。
多忙な父親に会うには、同じだけ高い地位に行かないといけなかったから。
特別戦闘員と呼ばれる存在になった蘭は、滅多なことがない限り本部から出られない日々を送るように命じられた。その命令は一年も経たない内になかったことにされたが、それでも蘭の世界は本部の中だけだった。
父親に会うことは許されない、と言われた。
本部の外に出たいとは、思えなかった。
ラティランスを倒すことが、蘭の存在意義だと誰もが言った。
それから、約三年の月日が流れる。
『エグマリヌ』
その名を呼べば、蘭だけの武器が現れる。身体能力は一気に上がる。
本部で、一人で訓練する日々。それくらいしか蘭に出来ることはなかった。
上司として蘭の指令役は、まだ若いながらも戦闘員のトップクラスの実力を持つひょろ長い、柊という男性。数少ない、蘭に馴れ馴れしく接する人物。
それからもう三人。柊の部下で蘭の戦闘服を勝手に作った洋子と言う女性と、同じく柊の部下だけれど基本的には食堂で仕事をしている結紀という青年。食堂で働く女装趣味の筋肉質な男、大輔。
蘭が三年間で話すようになったのは、この四人ぐらいである。
それ以外の人は蘭に話しかけることもなければ、蘭から話しかけることもない。
誰もが蘭を遠ざける。
得体の知れないものでも見るような瞳、恐怖、不安。関わらないでおこうという、無関心、無視。
頼る人なんていなかった。
頼ろうと思える人なんていなかった。
誰も蘭には敵わないのだから。蘭より強い存在なんて、ラティランスぐらいしかいないのだから。
「お、こんな場所にいたのか?」
昨日の戦闘から数時間後。次の日の朝、あまり眠れなかった蘭は、それでもいつも通りに起床して、基地の周りを走っていた。
走っていた蘭とすれ違った柊に声を掛けられて、休憩がてら立ち止まる。
「…何か?」
「いやぁー、やっぱりその服は目立っていいなあと思ってだな」
一人で首を縦に振りながら、頷く柊の視線いる蘭の服装。真っ白な制服姿は、上司命令と言う名目でいつも着ることを義務付けられている。
訓練生が通う名門校の制服はそのまま改良され、蘭の戦闘服となった。
わざわざそれを指摘しに来たのなら、暇人であることは間違いない。
「用がないなら、消えて」
冷ややかなのは声だけじゃなく、表情も含まれる。柊が慌てて否定する。
「用はある!もしこれから暇なら、会いに行かないかい?」
誰に、とは言わなかった。それでも柊は持っていた用紙を眺めながら、楽しそうに提案する。
「柘榴と苺、っていう子の住所は調べた。それから、希って言う女の子にさ。この子で間違いないかい?」
差し出された写真が一枚。そこに映し出された顔は間違いなく、希。
蘭が出逢った少女が微笑んでいる写真を確認して、柊に問いかける。
「どうやって割り出したの?」
「中学校の防犯カメラから。特定したのは俺じゃないけどさ」
「でしょうね」
最後はきっぱりと言い切ったが、言われなくても分かっている事実だ。
柊がこんなことを出来るわけがない。情報収集の得意な洋子が調べてくれたに違いない。他に持っていた用紙も、そっと差し出され受け取る。
「…会いに行って、どうするの?ただの民間人じゃない」
少し手が、声が震えた。戦えるわけがないじゃないか、少女達は今まで普通の人生を送っていたはずだ。
「蘭ちゃんだって、最初は連れてこようとしただろう?」
「あれは!…」
動転していた、とは言えずに口を閉じる。
蘭の気持ちを理解してくれるはずもなく、柊は頭を掻きながら言う。
「まあ、それでもさ。上からの命令なんだよ。気になっているのは上の方。だからさ、蘭ちゃんも会いに行こう」
上、それにはきっと蘭の父親も含まれる。
「行かないわ」
考える間もなく蘭は言い切った。例え蘭が行っても話すことなんてない。
「そんなこと言わないでさ、行こうよ」
しつこい柊を無視して、書類だけを持ち去ろうとした蘭の前に回り込んだ柊によって、行く手を阻まれる。
「柊さん、邪魔」
「上司命令だ。一緒に行くぞ」
口調は変わらないが、内容が命令形である。結局は行く羽目になる。げんなりした蘭の表情は、心底嫌そうな顔になった。
「そうだな。一時間後に出発でいいか?」
「…分かったわ」
小さくも蘭が頷いてくれたので、嬉しそうに笑った柊はトレーニングの邪魔をしないように早々に立ち去る。
柊の姿が見えなくなってから、蘭はトレーニングに戻るわけでもなく、近くの木陰に座り込んで渡された用紙を見た。
ありきたりの年齢と学業評価。柘榴と苺の性格などが書かれているのは、学校の通信簿からそのまま抜き出したもの。希の分はまだない。
それらを眺めて、自分との違いに嫌気が差した。
普通の、少女達にしか思えなかった。
場所は変わって、柘榴の家。
いつも通りに起きるはずだった柘榴は、疲労のせいでいつもより遅く目が覚めた。
完全に遅刻する時間。
「やばい…」
そう思いつつも、ゆっくりと体を起こしカーテンを開けて外を眺める。変わらない景色。変わらない朝。
「まさか、昨日あんな事があったなんて夢みたい」
今更だけれど頬をつねってみた。痛い。今は夢ではないらしい。
制服に着替えてみるが、学校はあるのだろうか。昨日破壊されたわけだし、授業が出来る状態かも分からない。友人達の無事は昨日のうちに確認したので心配はしていないが。
「まあ、いっか。ご飯食べようっと」
深く考えることなく、学校に行ってみればいいや、と柘榴は部屋から出ることにする。すでに九時を回っているので、完全に遅刻になる。
まずは一階のキッチンへ向かう。キッチンに立って、料理をしている母親の姿。
「お母さん、おはよう」
「おはよう、柘榴」
祖父と、それから苺がすでにキッチンにいた。座ってテレビを見ている二人が起きているのを見るのは、正直珍しい。いつもは柘榴の方が早く起きて、家から出て行くのが日常。
「というか、苺も遅刻?」
「おねえ、今日は学校行けないよ」
「マジ?」
テレビから視線を外し、振り返った苺の呆れたような言葉。丁度テレビで、その画面が流される。
『昨日、爆発が起こった二カ所目。こちらの映像が、破壊されたこちらの校舎になります。それから近隣の中学校も爆発があったようで、どちらの学校も一ヶ月の閉鎖となる予定です。なお――』
昨日の出来事について報じられるニュース。椅子に座った柘榴も思わず、その画面に見入る。
「爆発?」
「そう、報道されているんだよ。おねえ」
「ふーん…」
実際にその場に居たのなら爆発で収まるものではない、と言える。わざわざそれを、母親や祖父に言うべきか。少し迷う。
いや、言わない。
それ以外の説明が上手く出来ないから、言えない。
「そういえば、希ちゃんはまだ起きていないの?」
座ったはいいが、テーブルに並べられているおかずが少ないので、仕方なくもう一度立ち上がった。冷蔵庫に何かないか探しに行った柘榴は、洗い物をしている母親に問う。
「まだ起きてないわね、一緒に目玉焼き焼いてあげるから。起こしてきたら?」
「そうだね。そうしよう、っと」
目玉焼きが焼けるまで少しの時間があるので、柘榴は迷うことなくキッチンから出て行く。
昨日、気を失った希を客間まで運んだのは柘榴である。客間に寝ているはずだ。
二回ほどノックしても返事がない。そっと襖を開けて部屋の中を伺う。
「まだ、寝ている?」
一人で呟いた柘榴は、部屋の真ん中で丸まっている大きな塊を確認した。毛布に包まって、背中を向けられては起きているのかまでは分からない。
その毛布の隙間、希の首近くの背中。
少し覗かせている、緑の宝石。
「あれ…て?」
見間違い、かもしれない。それでも気になった柘榴は部屋に足を踏み入れる。起こさないようにそっと近づいて、蹲って確認する。
「やっぱり…」
希の背中、ジャージの隙間から見えた。身体に埋め込まれたような深い緑の宝石が、そこには存在していた。
「…うーん、んん?」
寝返りを打った希の瞳が薄っすらと開かれる。目が合う。
「あ、起きた?」
「…おはよう、ございますぅ?」
寝ぼけている希は、自分がどこにいるのか理解していない様子。柘榴にそう言ってから、布団の中に頭まで潜り込んだ。
潜り込んでから、すぐさま布団から飛び上がる。
「あ、あの!おはようございます!その、気持ちよくて、寝すぎてしまって!」
早口で慌てだした希は、何故か正座をして頭を下げて謝る。
「すみません、ごめんなさい!大変ご迷惑をお掛けしました!」
畳に頭がつくまで下げられて、柘榴は呆然とその様子を見ていた。それから、ハッとして希に微笑みかける。
「おはよう、昨日はよく眠れた?」
「はい。その、すごく…」
寝顔を見られてしまった恥ずかしさからか、少しだけ顔を上げた希の顔は少し赤くなっていた。
「朝ご飯が出来たから、一緒に食べない?」
「そんな、そこまでお世話になるわけには――」
「いいから、いいから」
必死に抵抗しようとしている様子だったので、ここは無理やりでも連れて行こうと希の右手を引っ張って立ち上がらせる。
それから朝ご飯を一緒に食べて、苺と共に外に様子を見に行こうという話になったのは一時間後。
蘭がこの家を訪れる、数時間前の出来事だった。
蘭は支度を整え、約束の十五分前にはエントランスで柊を待っていた。
真っ白な制服の上に羽織っているのは、組織支給の上着。前のボタンをしっかり締めて、腕を組んだまま壁に寄りかかっていた。
待ち合わせ時間の丁度にしか来ない柊だけれど、だからと言って蘭までそれに合わせる気はない。
無駄に敷地が広い本部の基地のために、余裕を持って行動した結果がこれである。
関係者専用の男女別の寮、訓練場は武道場からプールまで、ヘリコプターや武器庫まである、この本部は無駄に広いのだ、無駄に。
「あと、五分」
エントランスにある壁時計で時間を確認すれば、もう少しで約束の時間になる。
エントランスでは様々な人が行き来している。この基地で働く人、他の基地からやって来た人、業者の人間や整備や警備担当の人間。
そう言った人たちが蘭の前を通り過ぎる。
向けられる視線は、本当に様々だ。
蘭の立場を知らない人にとっては、場違いな子供、邪険そうな瞳や興味本位の瞳。蘭を知っている組織の戦闘員、それかこの基地に所属する人間にとっては、嫌悪、恐怖、恐れの対象でしかない。
今だって、傍を通った近くの戦闘員の顔がしかめたのを見逃さなかった。
「別に、好きでここにいるわけじゃないわよ」
誰も近くに寄りはしないことをいいことに、蘭はこっそりと本音を漏らした。決して蘭の近くには近づかない。この基地での暗黙のルール。
「お、蘭ちゃん。今日も時間より早く来たのか?」
そのルールを破るとしたら、それは大半が柊だ。相変わらずのだらしなさ、馴れ馴れしさは健在である。
「時間通りね。行くわよ」
「…一応、俺が上司なんだけどね」
柊のため息交じりの声は無視して、蘭は先にエントランスを出る。
空は青い。太陽は熱く、蘭を照らす。
まずはヘリコプターのある場所まで、歩かなければいけない。
ヘリコプターに乗って、着いた先は昨日と同じ区域。近くに着陸したヘリコプターから降りて、不機嫌な蘭は柘榴の家を目指す。その後ろに、一歩下がって柊。
「で、次はどっちなの?」
「そう言うなら、後ろを歩けばいいのに」
小さく聞こえた言葉に振り返って睨めば、から笑いをした柊が言う。
「左、です」
「そう」
さっきから同じ会話の繰り返しである。柘榴の家の近くにヘリコプターが着陸出来る場所がなかったため、少し離れた場所に離陸した。
それから到着した一軒家。
「ここ?」
「みたいだね。さーて、なんて言おうか――」
柊に考える時間など与えることなく、蘭は迷わずインターホンを押す。
『はーい。どちら様ですか?』
聞こえた声に、柊は諦めるしかない。押してしまったものは取り消せないし、蘭はそのまま柊の後ろに回り込んだ。
顔を引きつらせている柊を、話せと言わんばかりに睨む。小さくため息をついた柊は、ゆっくりと話す。
「…すみません。怪しい者ではないのですが、柘榴さんと苺さんのお宅で間違いないでしょうか?」
自ら怪しい者でないと言うあたりが、反って怪しい。
『はい。そうですが…娘にどのような要件ですか?』
「昨日の出来事についてお話を伺いたいのです。娘さん達に会わせて頂けませんか?」
少し間が空いて、それから玄関のドアが開いた。
エプロンを付けたまま、優しそうな雰囲気を醸し出した女性は、柘榴の母親。見た目が年相応。少し髪の毛を茶色に染めた癖のある髪の毛は、肩まで伸びている。
柊と蘭をじっくり見定めてから、母親は微笑んだ。
「どうぞ。中でお待ちください」
家の中に入れる様子に、警戒心は全くない。柊が先に入り、仕方なく蘭もその後に続く。蘭を見ながら、母親は蘭にも笑いかけた。
「あら、可愛らしいお客様ね。いくつ?」
驚いた蘭の顔を覗き込んで、母親が問いかければ蘭はたじろぎながらも答えた。
「十五」
「なら柘榴の方が、年が近いのかしらね。うちの子も貴方みたいに、しっかりした子になって欲しいわ」
言いながら蘭から離れたので、ホッとする。蘭に近づく人はなかなかいなかったので、突然近づいてくる人には驚く。
蘭の気持ちを知るはずのない母親に案内されたのは、こじんまりとした和室。
お茶を出されて、待つこと数分。
無駄に大きな音が廊下に響き、勢いよく開いた襖から不機嫌そのものの柘榴が入って来た。
「何の用ですか?」
部屋に入って襖を閉じる。襖を閉める音が五月蠅い。そこから動こうとせずに、柘榴は蘭だけを睨んだ。柊のことは全く眼中にない様子。
睨み返した蘭と柘榴の空気に入れない柊が、両手を上げて無罪を主張する。
「座って話をしないかい?」
提案された言葉は、柘榴の耳に届く。
その声でようやく柊の存在を確認した柘榴は、首を傾げながら問いかける。
「誰ですか?」
「うん、まあ。説明もしたいから、座ってくれるかい?蘭ちゃんも、睨んでないで落ち着いてよ」
「落ち着いているわ」
柘榴が来てから、初めて蘭は声を出した。息をゆっくりと吐いた柘榴は、意を決したように蘭と柊の前にどっしりと腰を下ろして正座した。
「さて、君にも話を聞きたいが、君の妹さんは家にいないのかい?」
「苺は――」
蘭の方を見向きもしない柘榴が言葉を続ける前に、襖の方から声が聞こえた。
『聞こえませんね』
『希さん、近いです!押し過ぎです!』
『え、そうですか?』
部屋の外から聞こえるのは二人の声。その声が聞こえた柘榴が、途中で言葉を止めて立ち上がる。
柘榴が勢いよく開けた襖から、倒れこんだのは二人の少女。
柘榴の妹である、苺。それから、その下で苺に潰されている少女、希。
「何しているの?」
呆れた柘榴が問いかければ、困った顔で柘榴を見上げた苺。
「…い、痛いですぅ」
「あぁ!希さん、ごめんなさい!」
「苺、早くどいてあげて…」
頭から倒れこんでいた希が、苺が退けたので起き上がる。その額には赤い痕、畳に思いっきりぶつけたようである。
さっきまでの柘榴の警戒心や敵対心はなく、ただただ心配してしゃがみ込んだ柘榴の姿と苺の姿。頭を擦っている希は、座り込んで立とうとはしない。
「なんで、貴方もいるのよ…」
蘭の問いかけの視線の先には、少し痛みが和らいだ希の姿。
「あー、よし。話を戻そう。まずは自己紹介をしないかい?君達、座りなおそうか?」
座ったままの状態で、柊がポンッと手を叩いて提案した。襖の近くで集まっていた柘榴と希、それから苺は顔を見合わせて、小さく頷いて立ち上がった。
「よし、苺と希ちゃんはさっさと部屋から出る」
「でもでも、私は聞きたいことが――」
「希さん、おねえの言うことを聞きましょうよ」
どんなに苺が部屋から希を引っ張り出そうとしても、希は部屋から出て行こうとしない。頭を悩ました柘榴が、腕を組んでいる。
「いや、出来たら二人にも話を聞きたいんだけど」
頭を掻いている柊の言葉は蘭にしか聞こえていない。言い争いは収まりそうにない。
「だから、一旦ね。一旦部屋の外で待っていて、ね」
「いえ、気になることは自分で聞きます」
「意外と頑固ですね。希さん」
すでに希を引っ張ることを止めた苺、何とかして部屋から出そうとする柘榴、必死に抵抗する希。
「話が進まないじゃない」
イライラした蘭の機嫌が最高潮に達していた。柊に無理やり連れて来られ、挙句勝手に言い争う柘榴達。
柊の隣で、空気が数度下がったように冷えてきた。
一人、真っ黒なオーラを出しているような雰囲気の蘭がゆっくりと立ち上がった。柊が止められるはずもなく、三人の少女に近づきながら呟いた。
「エグマリヌ」
青い光が瞬時に集まり、右手に剣を現すと同時に、蘭は思いっきり足を踏み出した。
「いい加減にしなさいっ!」
「「え?」」「はい?」
蘭の声に柘榴が振り返ると、剣を振り上げた姿。その姿を誰よりも早く確認した希だけが、咄嗟に動いていた。
柘榴を思いっきり押して、剣先にいた人物が変わる。
「希ちゃん!」「希さん!」
押し倒されて身体が傾いたままの柘榴と、口に手を当てた苺が叫ぶ。
「蘭ちゃん!」
流石にまずい事態だと思った柊が止める暇もない。蘭だけが、ギリギリの寸止めをする、予定だった。希に当たる前に剣を止める、つもりだった。
「「――っ!」」
剣を振り下ろした蘭の瞳の視線と、蘭を見返した希の視線が重なる。
緑の光が希を包み込む。
目に見えない何かに阻まれて、蘭の意志と反して剣が動かなくなる。希は目を見開いて、腰を抜かしてしまった。柘榴は尻餅をついたまま、座り込んでその様子を見ていた。
唇を噛みしめた蘭が一気に数歩の距離を置く。光が消えて呆然としている希に慌てて柘榴が駆け寄れば、希には怪我一つない。
「大丈夫なの!」
「え、はい」
柘榴に支えられた希は、返事をしたきり黙りこくってしまう。
「君が、ラティフィス…」
片足だけを立たせた柊、中途半端な状態で言った言葉に首を傾げた柘榴。
「らてぃ、ふぃす?」
ラティランスという単語なら聞いたことがある柘榴が繰り返す。柊が頷いて、部屋の空気が、一気に重苦しいものに変わった瞬間だった。