35 異変編
十二月二十八日。
小島の近くに着水した飛行船。着水はしたが、その隣は陸なので、簡易階段ですぐに小島の中を探検に行ける。小島、と言っても街があり、観光客が来るくらいは繁盛している、らしい。
希が新しい武器を手に入れたのは一昨日のことで、泣き腫らした希の顔に驚いて柘榴と蘭が大慌てしたのは昨日のこと。昨日は部屋から一歩も出ずに過ごした希は、今日の朝にはいつものように笑っていた。
希が泣いた理由を、蘭は聞いていない。
柘榴は何となく察したように接して、蘭だけが分からない。
そして復活した希は、今日は朝から柘榴と一緒にベッドの上で神経衰弱を繰り返している。
少し静かな部屋の中で、蘭は机に向かい、今までのことを整理しようと頭を捻る。
今日まで戦って来たラティランスの特徴、集めた宝石の種類。戦った場所、その場所の被害状況。蘭の知っている限りの情報を、一冊のノートにまとめた。
昨日書き足したページを捲り、読み直して考える。
一昨日の戦い。鷹のラティランスの戦いで得た宝石は、ペリドットの原石。希の目の前で結晶化してしまった宝石は、柊に渡した。その後、どこにあるかは知らない。いつだって柊に宝石を渡して、その後はいつも教えてもらえない。
飛行船の中にあるのは確実だろうが、どこに隠してあるか気になる。
気になることは、もう一つ。
残りの宝石の、オブシディアン。
あと一つ、オブシディアンを手に入れることが出来たら、戦いが終わるかもしれない。
けど、そうしたら蘭や柘榴、希はどうなるのだろうか。
心のどこかで、ずっと戦いは続いていくと思っていた。けれでも、きっとそうじゃない。宝石は回収されつつあるし、戦いもなくなる。
終わりが、近づいている。
左手を頬杖にしていた蘭は、考えすぎて全く動いていなかった。そっと蘭の後ろからノートを覗き込んだ柘榴は、ノートの文字を見るなり眉間に皺が寄る。
「…読めない」
呆れた顔で振り返れば、柘榴は難しそうな顔でノートを凝視していた。
「柘榴、英語の勉強したら?」
「えー、無理だよ。難しそうじゃんかー」
唸りながら言った柘榴がノートを手に取る前に、蘭の方が先にノートを閉じた。本当は英語とドイツ語を混ぜながら書いていたので、柘榴が読めるはずがない。
それより、と言いながら柘榴の方に向き直る。
「トランプは止めたの?」
「あ、うん。そろそろ蘭ちゃんも暇になったかなー、て。一緒に遊びに行くでしょ?」
「まさか、待っていてくれたわけ?」
それならそう言ってくれればいいのに、柘榴と希はわざわざ今まで声をかけなかったらしい。うん、と肯定しながら柘榴はさも当たり前のように言う。
「だって蘭ちゃん。ずっと真剣な表情しているんだもん。一週間くらいは滞在するらしいけど、どうせなら一緒に行きたいし」
ねえ、とベッドの上でトランプを片付けていた希を振り返った柘榴。蘭と目が合った希は、そうですね、と言って微笑む。
「別に今日じゃなくてもいいのですが、折角ですし。商店街がある、と柊さんが言っていましたよ?」
「私は…今日はいいわよ。二人で行って来たら?」
外に出たい気分ではないから、素っ気なく言い返した。蘭の言葉で柘榴が頬を膨らませる。
「えー。一緒に行こうよ。そしてアイスを食べようよ!」
冗談交じりの柘榴が、蘭の左腕を引っ張って笑う。
「ちょっと!引っ張らないでよ!」
「まあ、まあ」
適当に相槌を打ちながら無理やりドアの方へ引っ張っていく柘榴は、楽しそうに笑っている。いつの間にか自分の鞄を持っているが、蘭は準備も何もしていない。
「せめて、鞄を持たせなさいよ!」
「あ、蘭さんの鞄はこれですよね?」
怒って言った蘭の言葉に返答したのは希で、ベッドの脇に置いてあった蘭の鞄を当たり前のように持つ。鞄を持った希を見て、柘榴がにやりと笑った。
「さーて、行きましょうか!」
「はい。そうしましょう!」
「…なんでこんなことに」
ぼそりと呟いた蘭の声は誰にも届かなかった。潔く諦めて、一緒に行くしかない。
人の話を聞かない柘榴に腕を掴まれたまま、希に鞄を取られたまま、蘭は半強制的に飛行船から降りることになるのだった。
商店街に近づくにつれ柘榴と希のテンションが高くなっていたが、到着した途端に二人とも目を輝かせて立ち止まった。
「わあ!結構繁盛しているじゃん!」
「お店いっぱいですね」
「あそこのお店の焼き鳥食べたいかも!」
「食べすぎ注意ですからね、柘榴さん」
希の注意を軽く聞き流している柘榴の横にいた蘭は、目の前に広がる商店街を見て少し感心した。意外と商店街に人通りが多く、並んでいる店が多い。多くの店が食料関係ではあるが、客層がばらばらで活気に満ちているのは一目で分かった。
「さて、何から買う?蘭ちゃん」
にっこりと笑った柘榴が、蘭の方を振り返って問う。
「私は別に…柘榴と希が何か買いたかったんじゃないの?」
一歩前にいた柘榴と希は、一度顔を見合わせて同時に蘭の方を見る。
「「特には?」」
「あ、そう…」
本当に気分転換くらいの気持ちで蘭は連れて来られたのだ、と思った。目的もなく。ただ外に出たかっただけの柘榴と希。柘榴と希らしいというか、考えなしというか。何とも言えない感情を、蘭は持て余す。
そんな気持ちを読み取ったように、柘榴は歩き出して言う。
「ぶらぶら歩いて、適当に何か買おうよ。ね、希ちゃん」
「そうですね。あ、アイス売っていますよ?」
希が指したお店。冬だというのに、アイスという旗が掲げられている。季節感がまるでない。
「んじゃ、まずはアイスから!」
行くぞ、と言った柘榴が先陣切って店に向かう。そんな柘榴の後を、希と蘭はゆっくりと歩き出す。
「希もアイス食べるの?」
「ええ、折角ですし。蘭さんも食べますよね?」
「強制的に、でしょ?」
観念したように言えば、微笑んだ希が、そうですね、と言った。
すでに店に到着した柘榴は、店の人に話しかけて笑っている。希と蘭が合流するまで、ほんの数十秒。希が駆け寄って、柘榴と一緒に悩み始めるのはそれからすぐのこと。
平和な時間だな、と思いながら蘭の表情には笑みが浮かんでいた。
「…あ、結紀発見!私、ちょっかいだしてくるから、ちょっとそこらへんぶらぶらしていて!」
適当に商店街を歩いている最中。突然柘榴が叫んで、一目散に駆け出した。人ごみの中、柘榴が見たのは食料を抱えていた結紀。わざわざ声を掛けに行く様子を、随分物好きだなと思いながら蘭は見送った。
「柘榴さん、食料に釣られましたね…」
しっかりと観察していた希の言葉に、よくよく見れば結紀の手にある袋と、肉らしき串。柘榴が食いつかないわけがない、と蘭も納得する。
「柘榴が帰って来るまで、ここらへんで休憩する?」
ずっと歩いていたので、軽い気持ちで蘭が提案した言葉に希が少し悩む。
「実は…さっきの店で欲しいものがあったので買って来てもよろしいですか?」
「いいわよ。柘榴は放っておいて一緒に買いに行くわ」
「いえ、すぐそこですので…蘭さんは柘榴さんが帰って来るまで、ちょっと待っていて下さい!」
言い終わるとすぐにさっと身を翻し希は、人混みに紛れてしまった。待って、と伸ばした右手は途中で止まって宙に浮く。
運悪く目の前に人が通って、希の姿を見失ってしまった。
「…一人で、何すればいいのよ」
ぼそりと呟いて、立ち尽くした蘭。柘榴は未だ同じ場所で結紀と話しているのを目の隅で確認して、辺りを見渡した。
ふと、目が合ったのはすぐ隣にあったの団子屋のおばさん。おそらく会話を聞かれていたのであろう、蘭を見てにっこりと笑った。
「お譲ちゃん、団子食べるかい?」
問われて、一瞬迷う。けれども、団子屋の前には長椅子があり、団子の美味しそうな匂いにつられて、頷いて言う。
「お団子を…三本お願いするわ」
「はいよ。今から美味しいのを焼くから座って待ってな」
そう言われて、蘭は素直に長椅子に移動した。長椅子に腰かけ、柘榴の姿はどこだ、と視線を巡らす。柘榴の姿を見失ってしまったのかもしれない。結紀の姿もない。
まあ、そのうち帰って来るだろうと呑気に考えて、ゆっくり休憩することにした。
「すみません。団子を二つ、それからお茶も二つお願いします」
「はいよ。前のお客さんの分を先に焼いているから、ちょっと待ってもらえるかい?」
「ええ。じゃあ、その子の分のお会計もこれでお願いします」
「おや?知り合いかい?」
「ええ、まあ。先に座っていますね」
団子屋のおばさんと男性の会話は、蘭には届いていなかった。ぼんやりしていた蘭のすぐ傍に、男性が近寄って来たのを気配で感じて顔を上げた。
「隣、失礼するよ」
真っ黒なコート、軽く帽子を被った姿はとてもこの場に不自然に思うのに、周りは誰も気にしない。
実際に会うのはこれが初めてだと言うのに、忘れられそうにないラティランスの関係者。優しげな笑みを浮かべていた男性、終冶は蘭に微笑んでいた。
言葉を失う蘭の隣に、終冶は一人分の距離を置いて座る。
「…な、なんで――」
ここに、と言う前に、終冶は背筋の凍るような冷ややかな笑みを浮かべ、人差し指を口に当てた。
「はじめまして、アクアマリンの適合者の蘭ちゃん。ちょっと、騒がないでね」
終冶の声は一気に低くなり、睨まれた恐怖で一瞬身体が震えた。得体の知れない恐怖、怖い、と言う感情が芽生え、唾を呑み込む。
「まあ、君が大人しく話を聞いてくれれば、僕は何もしないよ。ここでは、ね」
「どういう、ことよ」
声が震えた。
目の前に敵がいると分かっている。でも、まさかこんな人通りの多い場所で、それも蘭が一人でいる時に出くわすなんて想定外過ぎた。
終冶は五年前に人を殺している、だからこそ今蘭が下手に動いて近くの関係ない人を巻き込む危険を犯すことは出来ない。
「そんなに警戒しなくてもいいよ。まあ、確かに僕はオブシディアンの適合者で、簡単にこんな場所くらい破壊出来るけど…今日の目的はそっちじゃない」
普通の音量で、終冶は言い切った。その言葉を聞いているのは蘭だけで、その言葉が真実であると言いたげに、通行人の一人を指差す。
「一人殺したら、大人しく話を聞いてくれる?」
「止めて!」
小さくも叫んだ蘭の声は終冶に届き、満足そうに頷いた。その余裕の表情が怖くもあり、力の強さを象徴しているようで、深呼吸を繰り返し、負けじと睨む。
脅しだ。
逆らってはいけないと、本能的に感じる。背中や掌に尋常ではない汗が流れ、蘭は終冶を見つめる。
「はいよ。お団子。それから、お兄さんにはお釣りね」
「ありがとうございます」
突然割り込んで来た笑顔のおばさんに、終冶も笑顔で返す。
その横顔はどこにでもいる優しそうな青年の顔なのに、蘭にとっては存在そのものが恐怖の対象でしかない。おばさんがいなくなるとすぐに、終冶は世間話をしに来たという感じの笑みを蘭に向けた。
「お茶を奢るからさ。まあ、団子でも食べながら話を聞いてよ」
そう言って、蘭の方にお茶を置く。
終冶の言葉が信じられない。怪しすぎる。警戒心を解けぬまま見つめる蘭に微笑んで見せた終冶は、団子を口に運び商店街の道を行きかう人達の方を見る。
「…何しに来たの?」
挑発するような蘭の声。団子を食べていた終冶は、蘭の方など見向きもしない。
「ちょっとは世間話でもしないかい?」
「回りくどいことはしない主義なの」
「そう…じゃあ、単刀直入に聞くが。『君は普通の生活に戻りたい』かい?」
終冶の言葉に、蘭は首を傾げる。
「意味が分からないわ」
「ああ、言い方が悪かったかな?君は『その特別な力を失う日々を望む』かな?」
「はぁ?」
眉間に皺を寄せ、不機嫌そのもの蘭は終冶を睨む。終冶はようやく蘭の方を振り返って、もう一度口を開く。
「『君は普通の生活に戻りたい』?」
その質問に答えようとして、蘭は口を閉じて視線を下げた。
そんなこと出来るわけがない。それなのに、終冶ははっきりと蘭に問う。その真意が読めない。蘭の心を読んだかのように、終冶の口角が上がった。
「信じられないかもしれないけど、嘘じゃない。その事実を知っているのはごく一部だけど、確かに君は『普通の生活』に戻れる」
「…そんなことが出来るなら、組織は柘榴や希のような一般人を巻き込んだりしない」
「それは違う」
きっぱりと蘭の主張を否定した終冶。蘭は両手を強く握りしめ、顔を上げる。
「何が言いたいの?貴方は何を知っていると言うの」
強気の蘭に、終冶は嬉しそうな笑みを見せた。
「さて」
無言の空気を破るように、終冶は話し出す。
「納得していないようだから、一から説明をしよう。まず、どこから説明したらいいのかな。宝石が全部でいくつあるかは知っているかい?」
尋ねられた質問に素直に答えるのも癪だが、何も答えないと無知であることを主張するような気がして、蘭はしぶしぶ答える。
「十三…」
「はい、間違い。正解は十二でした」
終冶は軽く言うが、その言葉に目を見張って言い返す。
「十三のはずでしょう。十二の誕生石と貴方の持つオブシディアンを入れて、十三」
「それがそうじゃないんだな。普通おかしいと思わないかい?一つだけ仲間外れみたいな宝石があることなんてさ」
終冶は言いながら、首元に掛けていた一つのネックレスを取り出す。
真っ黒な宝石が光るネックレス。オブシディアンの存在を蘭に見せた終冶は、すぐにそれをしまった。
「僕はね、君達みたいに身体に宝石なんて持っていない。僕のは例外。何故なら、オブシディアンは造られた宝石だから」
「造られた?」
「そうだよ。十二の宝石がオリジナル。それに似せて造られた宝石。それが、オブシディアン。まあ、強さはオリジナルと同等かそれ以上だと思うよ」
言い切った終冶は、お茶を飲んで一息入れる。
「ラティランスは、元々宝石の原石の中に存在する生き物だ。宝石の外に出ることは、本来ならないはずだった。でもそれは五年前、否定された」
「五年前…」
「そう、五年前。ラティランスは血を通して、自らの力を別の生き物に与えることが可能だと、研究者は発見した。最初は、人ではなくモルモットでの発見だ。それに気付いた研究者は、考えてしまったんだ。それがモルモットではなく、人ならどうなるのか」
段々とゆっくりとなった終冶の声。
「研究者は自らの身体で実験した。実験は成功、ラティランスから力を授かった。その研究者はラティランスと心を通わせ、より大きな力を欲した。ただ限界を知りたくて、その力に憑りつかれていった」
まるで当事者のように終冶は語る。蘭は黙って聞いていることしか出来ない。
「最初こそさ、研究者の誰もがラティランスと適合して力を得られることに喜んだ。他の宝石でも試そう、と言う話も出たが、ひとまずはその一つの宝石の研究が続いた。それから研究は一気に進んだ。ラティランスと心を通わせれば、その分大きな力をラティランスは与えてくれる。適合した生き物との、意志疎通が大きな鍵となる。研究者の追求は、果てがなかった」
何故か寂しそうに、終冶は語り続ける。
「研究者はいつの間にか、ラティランスの力の源である原石を壊せば、力全てを手に入れられると思い込んでしまった。だから、自ら原石を破壊した。そしたらどうだい。ラティランスは原石の中ではなく、その人自身の中へと住処を移動した。そして、中からその研究者を喰らい、この世界へと姿を現した」
「…そん、な」
「その犠牲となった宝石が、君の持つアクアマリンだった」
終冶の瞳に驚いて目を開いている蘭の姿が映った。
「うそ…よ」
蘭の困惑を悟ったのか、終冶は、そうだな、と言葉を置いてから言う。
「アクアマリンは、他の二人ほど大きな力を持っていない。実はアクアマリンのラティランスはすでに一度粉々に破壊されているからだ、て言ったら君は信じるかい?」
信じない、と言いたいのに言える雰囲気ではない。終冶の言うことが真実だと言う証拠はない。ないけれど、一度に与えられた情報に困惑を隠せない。
「五年前、僕のラティランスは暴走したアクアマリンは破壊した。それしか方法がなかったからね。暴走したままでは被害が大きくなっただろうし。それに僕は僕で自分のラティランスの力を知りたかったから、手伝ってあげたんだ」
手伝ってあげた、と言う単語に違和感を覚える。
「まあ、そのせいで多くの人間を殺したことには罪悪感はあるけど、仕方ないでしょ?」
「仕方、ない?」
蘭の脳裏に浮かんだのは五年前の災害。仕方ない、と言う言葉で片付けられる問題ではない。
「だって、原石が破壊しなければラティランスを倒せない。関係者は生かしておくわけにはいかない」
「殺す必要なんてないでしょ?柘榴の弟や父親、希のお兄さんだって…沢山の人が死ぬ必要なんてなかったはずよ」
声が震える。身体が震える。終冶の考えは理解出来ない、したくない。
「そうかな?いずれ喰われる存在を、早めに処分するのは当たり前の判断。秘密を知る人間は、いない方がいい。僕達は正しい選択をした」
「正しくなんかない!」
小声ではっきりと言い返した蘭に、終冶の方が眉を潜める。意味が分からないと言いたげな表情になる。
殺すとこで全てが片付くと言う終冶は、どこか狂っているように思えてならない。沢山の犠牲があった、それすら気にも留めない終冶はおかしい。
首を傾げて、終冶は言う。
「本契約した人間はもう戻れないんだ。解決策は殺すしかないし、それ以外の方法なんて僕は知らない。君みたいに抜け殻のラティランスの力を借りている人間ならまだしも、または僕のように特別ならまだしも、希ちゃんと柘榴ちゃんは一刻も早く死ぬしかないと思うな」
「ふざけないで!」
目の前の終冶に恐怖を感じるのに、蘭はそれでも震える身体を立たせ終冶を見下ろして睨む。
「柘榴や希を殺させない!そんなこと、私がさせない!」
「そんなに怒鳴らないでよ。それより座りな、注目を浴びているからさ」
そう言われて周りを見れば、確かに何人か蘭を振り返っている。唇を噛みしめ、今度は二人分の距離を置いて、椅子に座る。
もう終冶の話なんて聞きたくないのに、勝手に話し出す。
「世界のために、平和のためにはそれがいいはずだろう?今日まではある人との約束で手出しをしないで生かしていたけど、もうその必要はない。あの人も、十分な情報は得たと言った。用済みってことだよ」
「あの人?」
繰り返した言葉に、終冶は少し考える素振りを見せた。それからすぐに、蘭を見て笑う。
「あの人は凄い人だよ。五年前に僕を正しい道に導いて、色々なことを教えてくれた。それから僕が破壊したはずの原石は、数年経てはある程度の力を取り戻す、と。だから時を待って、君を適合させた」
「貴方が…私を?」
声が掠れる。終冶は頷く。
「僕が君を選んで、アクアマリンの場所まで導いた。君ならやってくれると信じていたよ。一度は全ての宝石を破壊したつもりだったんだけど、オリジナルのラティランスはオリジナルでしか正常な状態の原石に戻せない。それを破壊する役割もオリジナルにしか与えられていない。徐々に力を取り戻したラティランスは、その後は近くにいた生物にでも力を与えて、結局また暴走した」
「それが今日まで倒したラティランス…」
そうだよ、と終冶が一呼吸を置く。
「まあ、でも。突然ガーネットとエメラルドの本契約者が現れたことで、事情が変わった。その力も上手く利用して他の原石を元の原石に戻せるんだって、あの人は言った。本当にその通りだったよ」
だからさ、と言って終冶が立ち上がる。目の前にやって来て、蘭を見下ろす。
「後は君の力で二人を殺せばいい。そうしたら僕が君を元の生活に戻してあげる」
そう言って終冶は蘭に右手を差し出した。蘭なら手を取るだろうと確信している、その顔を見て蘭は問う。
「どうやって、私を元に戻すの?」
「それは簡単。君の持つ宝石を僕が力ずくで砕く。そうすれば、君はこの戦いから解放される」
終冶の言う通りなら、蘭はいつだって戦いから抜けられた。でも、それでも蘭は柘榴と希がいたから今日まで戦って来た。その日々を思い出せば、終冶の誘いに対する答えは一つ。
「嫌よ」
「…」
「柘榴と希がいない世界なんて、私はいらないわ。そんな未来はお断りよ」
はっきりと告げた蘭に、終冶は差し出した右手をそっと戻した。いつの間にか身体の震えは止まり、心を占めるのは怒り。我慢していた感情は収まらない。
「へえ、平和な世の中より友達の命を選ぶのかい?」
「そうよ。親友の死の上にしかない平和なんて、私はいらない。望まない!」
段々と荒くなった息。両者どちらも譲らない雰囲気に、最初に肩の力を抜いたのは終冶だった。
そうか、と言いながら終冶は一歩後ろに下がる。その表情には影が差し、不気味な笑みを浮かべる。
「ねえ、さっきも言ったけど。もう二人は用済みなんだよ。それでも君が渋るなら、僕は強制的にでも戦わなければならない。君が邪魔をするなら、君も含めて、僕は殺すよ?」
冷たい瞳、真っ直ぐに見つめられて恐怖が増す。それでも、蘭は逃げない。
「そんなこと私がさせない」
負けじと睨む。そんな強気な蘭に、終冶は心底嬉しそうに笑い声を上げた。
「楽しくなってきたね。計画通りにいかない方が、やっぱり何倍も楽しい。じゃあ、君が心変わりしてくれると期待して、少し時間をあげる。十二月三十一日。午後三時。今年が終わるその前に全ての決着を着けよう」
ポケットから取り出したメモを、終冶は蘭に差し出した。
その紙に書かれたのは、小さな地図。
「その場所だったら、周りに被害を出さなくて済むよ。僕は君がこっち側に来てくれるのを祈っているからさ」
優しげな笑みを浮かべた終冶。差し出されたメモを受け取る手が震えた。
「そのメモ、ちゃんと二人に渡してね。君は一緒に戦ってもいいし、こちら側に来てもいい。でも、二人を殺す僕の目的は変わらないし、来なければ飛行船ごと壊しちゃうから。僕にとって君がいようがいまいが、そのアクアマリンの力を使って最終的に宝石を消し去りたいだけだからね」
じゃあね、と言って終冶は足取り軽く歩いていく。
追いかける勇気はなかった。もっと聞きたいこともあったが、追いかけることを許さない背中。
蘭は紙きれを握り、締めることしか出来なかった。
結紀を見つけて追いかけた後、柘榴はそのまま美味しそうな食べ物の匂いにつられて商店街を散策してしまった。戻らなければ、と途中で気付いて結紀と別れて、おそらく先程通ったはずの道を歩いていると運よく希と出会った。
「あ、希ちゃん!どうしたの?」
「柘榴さんこそ…」
少し驚いている希の手には紙袋があった。いつの間にか買い物を済ませている希に、柘榴は問う。
「何か買ったの?」
「可愛いレターセットがありまして。それから、これ」
言いながら紙袋から取り出したのは、可愛らしいラッピングセット。黒と白のストライプ柄のビニール袋の下の方にはレースの模様があり、黒いレースのリボンもセットになっている。
「可愛い!けど、それを見ているとキャッシー思い出すよ」
「柘榴さんもですか?私もそう思ったんですけど、これ以外にいいのがなくて…」
落ち込み始めた希を見て、柘榴は慌てて言う。
「いやいや、悪いとは思っていないから!むしろそれでいいと思うよ!」
「そう、ですか?」
「そうそう。とりあえずさ、蘭ちゃんと合流しない?その話はまた後で」
「はい」
ラッピングセットを紙袋にしまい、柘榴は希と一緒に歩き出す。希が道を覚えているので、柘榴はついていくように隣を歩く。
歩きながら、柘榴は問う。
「そう言えば、今ってアルバムはキャッシーのところだっけ?」
「はい。そこなら見つからないかな、と思って預かってもらっています」
希の判断は正しいと思う。キャッシーの部屋なら、蘭は滅多に行かない。
「鴇さんを通して、浅葱さんや蘇芳さんにも伝えてありますから。きっと書いてくれていると思いますよ」
「いやいや、あの三人は滅多なことがない限り、キャッシーの部屋に向かわないと思うよ」
男が嫌いなキャッシーが部屋に入れるとも思えないし、と言う言葉は敢えて言わない。それでも誕生日が近付いたら無理やりでも書かせるしかない、と思った。
「希ちゃんは、さ…」
「はい?」
聞いてもいいことか、少し迷ってから口を開く。
「友樹さんと、何かあったでしょ?」
「…別に」
少し空いた間。あからさまな態度。それ以外ないだろうな、と予想していただけに、余計な口を出していいのか、と思いつつも言う。
「…どうしても言いたくないならいいけど。一人で溜め込まない方がいいよ」
「それは分かっているのですけど…ちょっとした喧嘩で、謝らないとだとは思うのですけど」
喧嘩、と言うイメージが希には似合わない。怒りはするが言い争う様子を見たことがない気がして、柘榴は素直に思ったことを言う。
「珍しいよね。希ちゃんは、誰とでもいつでも仲良しなイメージがあるし、滅多な事じゃないと怒らないじゃんか。怒るとしても、本当に正しいと思ったことを通す時だけな気がしていたから。何だか、珍しい」
柘榴の言葉に、希は考え始めて視線を下げながら歩いてしまう。
間違ったことを言ったかと、柘榴は不安になった。前を向いていると、前方から歩いて来る、見知った顔ぶれを見つけて声を上げる。
「あ…希ちゃん、仲直りする予定はあるんだよね?」
「え?」
「整備部の人、いるよ」
わざと名前は出さなかったが、柘榴の一言で希の足が止まった。その不安そうな瞳に、友樹の姿が映った。一気に泣き出しそうな顔になった希と友樹の目が合う。
居ても立っても居られない気持ちになったのは、希。
一歩、下がったかと思うと、希は持っていた紙袋を振り返った柘榴に押し付けた。
「わ、私!買い忘れたものがあるので、買ってきます。きっと蘭さんはすぐそこにいるので!」
「ちょ、希ちゃん」
柘榴が頷く前に、希はやって来た道を引き返して駆け出した。驚いている柘榴の横を、友樹が追い越して希を追いかける。いかにも修羅場、柘榴が入れない空気。
柘榴以外に驚いていたのは、友樹と一緒にいた陽太。柘榴と目が合って、口パクで、何があったの、と問われても答えられない。肩をすくめて、同時に首を傾げた。
柘榴が無関係であることは間違いない。それなら、今の希は友樹に任せて、柘榴は陽太の方へと足を踏み出した。
人ごみをかき分けて希は走る。
どこに行きたいかなんて、分からないのに商店街を抜けて知らない道を走っていた。
「止まれ!」
人通りがなくなった道で、聞き慣れた声。その声で少しだけ足を止めそうになる。もう少し、心の準備が欲しい。今はまだ、友樹に合わせる顔が分からない。
だから立ち止まれないはずなのに、その声で速度が落ちた。
その瞬間、石につまずいて転びそうになる。
「っ!」
声にならない声が出て、頭からコンクリートに激突するかと思い目を閉じた。けれども後ろから服を引っ張られ、転ぶ前に後ろから抱き留められる。
「止まれ、よ」
耳元で声が聞こえて、希は逃げようとじたばたするが腰に手が回されては逃げられない。恥ずかしさで、泣きそう。
「離してく――」
「ごめん」
希の言葉を遮り、友樹の真剣な声が聞こえた。動きが止まる。友樹が謝る。
「ごめん、八つ当たりして。ごめん」
何度も何度も謝る友樹の声で冷静になっていく。切実な声が心に響き、希は小さな声で言った。
「私こそ、ごめんなさい。だから、離してもらってもいいですか?」
そっと離れた友樹。座ったまま、希が振り返れば申し訳なさそうに落ち込んだ友樹の顔を見た。最初に出会ったころは無表情が多かったのに、今はこうして感情豊かになった友樹。
好きだな、と思った。
どれだけ考えても、その想いだけは間違えない。
気持ちを伝えられなくてもいい。ただ、傍にいられれば幸せだ。だから笑って、右手を差し出した。
「友樹さん、仲直りがしたいです」
「…俺も」
希の右手に友樹の右手が重なり、希は嬉しく笑う。幸せそうに、嬉しそうに笑った希の顔を見て、友樹も微笑んだ。
「帰ろう」
「はい」
素直に頷いた希。先に立ち上がった友樹と二人、商店街に戻ろうと歩き出す。歩きながら、隣を歩く友樹に言う。
「友樹さん、私は結局のところ。いつだって自分の身を顧みず行動してしまうと思うのですよ」
「うん」
小さくも頷いた友樹に、希は前を向いたまま話す。
「でも、私は帰って来ます。絶対に、大好きな人達がいる場所に」
真っ直ぐに前を見据え、告げた。その想いはもう揺るがない。
「…分かった。だから、死ぬなよ」
絶対に、と言いながら希の右手を友樹が握った。驚くが振りほどきたいとは思わない。
希の歩く速度に合わせる友樹は隣を見ないで歩く。だから希は友樹を見つめるのを止めて、視線をそっと下げた。
残される絶望、なんて分かってはいるけど身体は動く。もう失わないために、希はこれからも戦って、皆を守りたい。
例えこれから辛いことがあっても、生きていたい。友樹の隣に帰って来たい。
希はほんの少しだけ、握り返す力を強めた。
「蘭ちゃん?」
名前を呼ばれ、顔を上げれば不思議そうに蘭を見下ろす柘榴。隣に希の姿はない。
正直、今の蘭に笑いかける元気がない。終冶との話が衝撃的過ぎて、誰かに話したいのに、柘榴と希には話すことが妨げられる。
「…遅かったわね」
何とか、声を出す。お茶はすでに冷めてしまって、温かかったお団子も冷めてしまった。
「あ、お団子残ってる。食べていい?」
「ええ」
柘榴は蘭の隣に座って、美味しそうにお団子を頬張る。
「希は?」
食べている最中の柘榴に問えば、団子を食べ終えてから、勝手に蘭のお茶を飲み干して言う。
「多分、すぐ戻って来るんじゃないかい?」
「そう」
もっと食べようと立ち上がった柘榴は、団子を買いに席を離れる。
さっきまで確かに終冶がいた証拠に、置きっぱなしの団子の串とお茶。それを見れば、夢ではないと言う実感がわく。
柘榴と希の未来のこと、なんて言って話せばいいのか、分からない。
「蘭ちゃんもお団子食べる?」
注文している柘榴の声に、蘭は首を横に振った。食べる元気もない。
どうしようもない気持ちを抱えた蘭の横で、団子を食べ始める柘榴。希が来るまで、美味しそうに団子を頬張っていた。希は少し時間が経ってからやって来た。すぐ近くで柘榴と希が談笑していても、その中に入ることが出来ない。
飛行船に戻るまで蘭の心が晴れることは、決してなかった。
少し、具合が悪いから。そう言って柘榴と希とは別れた。
余程顔色が悪かったのか、本部に着くなり心配されたのだけれど。そこは意地で引き離させてもらった。
どうするべきか、それは分かっている。先程聞いた話を柘榴や希に伝えなければいけない。一人で抱えられる問題じゃない。誰かに聞いてほしい。
「…でも、どんな風に話せば、いいのよ」
誰もいない廊下で、膝を抱えて考える。
三日なんてあっという間に来てしまう。その前に、今日中には話をしないといけないのに、上手く説明出来る自信がない。
「お、チビ。何やっているだ?」
こういう時に限って、知り合いに出会うのは運が悪いとしか言いようがない。顔を上げる。
「…浅葱」
「…いつもより、睨みが弱いが具合悪いのか?」
睨み具合で、蘭の体調を把握しているのかと思うといらいらする。蘭を見下ろした浅葱はそれでも心配そうな表情を浮かべるので、怒る気は失せた。
浅葱でよかったのかもしれない。浅葱は関係者だけれど、柘榴や希と立場が違う。
「本当に具合が悪いなら、医務室連れて行くけど?」
蘭が言い返すこともなく黙るので、本気で心配し始めた浅葱がしゃがむ。
ふと、蘭は口を開く。
「浅葱、もしも…もしも、誰かが死ねば平和になるって言われたら、どうする?」
突然の蘭の質問。意味の分からない質問に、浅葱は首を傾げた。
「なんだそれ?誰かに変なことでも吹き込まれたか?」
「いいから答えてよ」
弱々しい蘭の声に、浅葱は真面目な顔で考え始めた。
浅葱に何を期待しているのだろう、と目を伏せる。
終冶と別れてから色々考えた。終冶の言う通り、平和のために犠牲は仕方がないのか。蘭の主張は間違っていなかったのか。
何も、分からない。
「俺は…そう簡単には誰かが死ねばいいとは思わない」
浅葱ははっきりと言った。顔を上げた蘭と目が合った浅葱は少し悲しそうに言う。
「誰かの犠牲の上での平和なんて、虚しいだろ?それにさ、誰かが死ねばまた別の誰かが悲しむ、そうやって連鎖するなら、最後まで足掻いた方がいい」
せめて自分が納得するまで。そう言いきった浅葱が蘭から視線を外した。
浅葱の言葉で、迷っていた心が少し晴れる。
足掻きたい。例え絶望しかない未来でも、足掻いて柘榴と希を助けたくて、守りたい。その願いは消えないし、消すことなんて出来ない。
目頭が熱くなって、泣き出しそうな顔を隠す。
「て、それが答えでいいのかも分かんねーけどさ。チビは悩むより誰かに吐き出せよ。落ち込むなんてらしくねーし」
清々しいくらい勝手に言ってのける浅葱が立ち上がる。
終冶の言葉に、惑わされていたのかもしれない。全て鵜呑みにする必要はない。
本当にそれしか方法がないのか、考えたい。
一人じゃなく、皆でその方法を考えたい。
「まあ、話相手は沢山いるだろ?赤いのとか、緑のとか。俺だっているじゃねーかよ…」
少し顔を赤くして喋り続けている浅葱の言葉は蘭には届かず、ゆっくりと立ち上がった。立ち上がった瞬間に、気合を入れて両頬を思いっきり叩く。
パンッと音が響き、浅葱がギョッとして蘭を見た。
「…まずは、あの男を止めなきゃね」
「お、おぅ?」
未だ全く理解していない浅葱が戸惑いつつ、頷く。
終冶を止める、それが最初に終わらせるべきこと。それが蘭の進むべき道。
それから、柘榴と希が元に戻る方法を考える。最期まで、絶対に希望を捨てたくない。浅葱の言う通り、最後まで足掻きたい。
そう思ったら、蘭は迷わず浅葱の腕を掴んだ。
「それじゃあ、一緒に来てもらうわよ」
「は、え?今の話で、なんでそうなるわけ?」
「いいから、行くの!」
言い返せば、浅葱は大人しく黙った。かと思うと歩きながら、ぼそりと呟く。
「勝手だな…おい」
呆れながら浅葱が言った。その言葉を聞き流した蘭の背中を見ながら、浅葱は微笑んでいたのを蘭は知らない。
まずは柊に真実と嘘をはっきりさせるために、浅葱と一緒に向かったのは洋子の仕事場。その部屋で、蘭と浅葱、柊と洋子は椅子に座っていた。
広がるのは静寂と言う名の空間。
終冶との話を一文字一句、出来るだけ忠実に語り終わった蘭は、ゆっくりと息を吐く。
「…これで、あの男の話は終わりよ」
一人で溜めこんだ話を誰かに聞いてもらうだけで、随分心は軽くなる。
「嘘、みたいだな」
浅葱の顔には信じられないという表情。
「ハッピーエンドまでは、程遠いのね」
洋子は悲しそうに言い、膝の上で両手を強く握った。それで、と言って蘭は今まで黙って話を聞いてた柊を見つめる。
「ここまでの話を踏まえて、柊さんに聞きたいことがあるの。アクアマリンは組織が持っているのよね?」
「…そうだな」
「じゃあ、ガーネットとエメラルドの原石はあるの?」
蘭の質問に口を閉ざした柊の心情を、勝手に解釈する。ない、のだと。
「終冶の目的は原石の破壊。組織はラティランスを倒せとは命じたけど、原石を壊せとは言わない。じゃあ、集めて何がしたいの?その目的は?それに、どうして私達は飛行船に乗せられたの?」
知らなくてはいけない。宝石のこと、組織のことを。
蘭だけじゃなく、真剣な表情の浅葱と不安そうな顔の洋子の視線も柊に集まる。
腕を組んで考え込んでいた柊はゆっくりと話し出す。
「まず、宝石の原石を集めている理由だが―」
「本当にいいの?」
話し出そうとする柊を見つめていた洋子が口を挟む。目が合った柊が微笑んで、諭すように静かに言う。
「もう全て知るべきなんだ」
「…そう」
二人の会話。柊も洋子も何もかも知っていたのだと理解する。今は隠し事をしていた柊と洋子を責める暇はない。話に集中しようと、無意識に背筋を伸ばした蘭。それは隣に座っていた浅葱も同じ。
もう一度、今度は蘭の目を見ながら柊は話し出す。
「宝石の原石は全て組織が保管し、それを保護するのが目的だ」
「破壊、しないの?」
「大きな力を求めるのが人間の性。上の連中は誰もそれを望んでいない」
上、組織を作っている人達。
「そして、飛行船に乗っていたのはある場所を探し出すためだ」
「ある場所、ですか?」
今度は浅葱が、蘭の言おうとした言葉を繰り返す。そうだ、と柊は頷く。
「原石の力が最も発揮される場所。宝石は空から降り注いだと誰かが言った。だから、空を旅しながらその場所を探していた」
「見つけたの?」
小さくも首を横に振って、否定される。
「現在の場所は比較的、力が発揮されやすい場所だと研究者が言っていた。だが、宝石の力は未知数で、もしかしたらもっと別の場所があるのかもしれない」
柊の瞳は真っ直ぐに蘭、浅葱を見つめた。
「あの男の…終冶の話は真実なの?」
「ああ、それに嘘偽りはない」
「どうして――」
どうして、と呟いて蘭は唇を噛みしめた。嘘だって言って欲しかった。
宝石はね、と洋子が語り出したので蘭は仕方なく顔を上げて話を聞く。
「宝石は、いつどこから現れたか定かではないのよ。人はその力を手放したくないと考える。だから、この組織が原石を集めているの」
認めたくない、これが現実。
じゃあ、と蘭はどうしても聞かなければならないことを、口に出す。
「三日後に終冶と戦って。私達が勝ったら、柘榴と希はどうなるの?」
答えを聞かなくても理解してしまう、悲しそうな柊の顔。洋子の表情も全てを物語っているのに、聞かずにはいられない。
「ラティランスに喰われる前にその身を消し去る方がいいかもしれないな」
「本気で、言っているの?」
嫌だ、そんなことしないで、と叫ぶことは出来なかった。
「そう、だな。終冶くんの話の通り、君は元に戻れる。が、柘榴くんと希くんにはそれが出来ない。蘭ちゃんがその力を手放し、別の人間が二人を殺すことも選択肢の一つだ。おそらく終冶くんもその選択肢を含め、君に真実を話したんだろう」
「なんで、そんなことを言うのよ…」
そんな選択肢はなかった。そして、柊にそんなことを言って欲しくなかった。
ポタリ、ポタリと涙が頬を伝うのを止められない。椅子を倒して立ち上がり、柊の胸倉を掴んで叫ぶ。
「なんとかしなさいよ!柘榴と希は仲間で!大切な…親友なのよ」
涙腺が緩む。泣いている蘭に真っ直ぐに見つめられた柊は顔色を変えずに、ただ悲しそうな顔をしただけだった。これ以上柊に言っても仕方がないのに。柊にだって出来ないことはあると分かっているのに。言わずにはいられない。
浅葱が柊から蘭を離そうと肩を引く。
目の前にいた柊が蘭の手を離させて、静かに立ち上がる。
「この件に関しては俺に任せてくれ。他の四人にも話をしておくから。蘭ちゃんと浅葱くんはとりあえず三日後の戦いに備えておいてくれ。それから、さっきの話は他言無用で。誰にも話してはならない」
これは命令だ、と言って洋子の部屋から出て行った。
柊がいなくなった途端に、足から力が抜けて座り込んだ。床に涙が落ちるが、拭えない。顔を上げられない。浅葱が背中を支えるように手を添えているが、それを振り払う気力が今はない。
立ち上がった洋子は、蘭の傍まで寄って膝を付くと、蘭をそっと抱きしめた。
「ねえ、蘭ちゃん。あの人もね、頑張っているのよ。蘭ちゃん達が、この組織の中で普通の生活が出来るように。そして、いつか必ず元の平和な世界が来るために」
洋子があの人というのは、柊のこと。その声が、優しく蘭に降り注ぐ。
「…知っているわ」
柊という男が、どれだけ蘭達のことを気に掛けてくれているか。最初に会った時から、恐れることなく接してくれた上司だから。
柊が陰で頑張っていることは知っている。
蘭達のことを何より信頼して、信じて来てくれた人だと、分かっている。だからこそ、この局面で頼ろうと思えたのだ。
裏切ることのない、柊のことを。
「チビ、さっきも言ったけどな」
真横から聞こえる浅葱の声。
「お前は一人じゃない。だから一緒に足掻いてやろうぜ。絶対に、最後まで」
浅葱の言葉に、小さく頷く。
諦めたくない。柘榴や希と一緒に過ごす幸せな未来を。
だけど今だけは、と蘭は静かに泣いた。




