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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第6章
37/59

33 覚悟編01

 クリスマスパーティーが終わった、次の日。

 朝からその片付けに追われていたが、柘榴が正月もパーティーというか新年会をしようと言ったせいで、その多くの飾りは物置に移されることになった。

 クリスマスの飾りだけれどいいのか、と言う問いに柘榴は一言。

『いいの、いいの。取って置けばまた出来るじゃん』

 何とも前向きな理由で、飾りはまとめて物置へ。

 そして、片づけの最中に希が柘榴に頼まれたことが一つ。その頼みごとに頭を悩ませる希は、うーん、と唸りながら誰もいない整備室の椅子に座り、ため息を漏らす。

「…悩みますねぇ」

 誰かに言うわけでもない独り言は、部屋に響く。 

 蘭の誕生日プレゼントを作る、それが今の希の課題。

 明後日には街へ行けるので、その時に一緒にプレゼントを買おう、と提案しようとしていた希だが、柘榴のアイデアの方が楽しそうで、すぐに頷いてしまった。

 一月十一日の蘭の誕生日までに、柘榴の撮った写真を一冊のアルバムにまとめてプレゼントを作る。

 それが柘榴のアイデアで、素敵なアイデアだと思った。

 そのためにさっきからテーブルの上に新品のアルバムと大量の写真を広げて、どの写真をアルバムに貼ろうか悩んでいる。柘榴のデジカメで今日まで撮った写真。基本どんな時でも複数写真を撮る柘榴なので、枚数だけは多い。それに希や蘭が撮った写真も加えれば、すごい数になった。

 アルバムは、柘榴がいずれ使おうと買っていたA4サイズのもの。焦げ茶の紙製の表紙、中の台紙はクラフト台紙で、好きな位置に好きな写真を挟める仕様になっている。

 折角なのでキャッシーからレースやリボンなどを少々譲り受け、デコレーションをする予定。

 表紙も悩むし、写真も悩む。

 蘭にばれないように整備室に来たはいいが、さっきから作業は進まない。

 何か飲みながら考えようかな、と椅子を後ろに押していると整備室のドアが開く。

「…またいる」

「…お邪魔しています」

 言いつつ、慌てて椅子を元に戻す。部屋の中に平然と入って来た友樹に、もう少しで後ろに倒れるところを見られそうだった。もしこの場で倒れたら、また後でからかわれる要因になってしまったかもしれない。それは恥ずかしい、と視線をテーブルに移した希の心境が友樹に伝わるわけがない。

 友樹は仕事の途中で探し物でもしに来たのか、引き出しを探ると希のすぐ傍までやって来た。

「今度は何するわけ?」

 椅子に座るわけでもなく、希の後ろから顔を覗かせた友樹。

 近い、と思う希の顔が徐々に赤くなるが、友樹はテーブルの上の写真を見ているので気が付かない。意識しているのは希だけで、心なしか離れつつ説明を始める。

「一月十一日が蘭さんの誕生日なのですよ。だから、そのために誕生日プレゼントを作ろうと思いまして。柘榴さんはもう少し写真を撮りに行っていて、私は撮ってあった写真からアルバム用を選んで。後で一緒にメッセージを書く予定なのです」

 何とか言い切った後に友樹を見上げると、数センチの距離で目が合った。

 硬直した希とは対称的に、友樹は自然に距離を取る。希のすぐ傍にいるのは変わらないが、普通に立ったまま一言。

「暇人。勉強は?」

「ふ、冬休みです!もう、意地悪言わないでください!」

「冬休みはないと思うけど?」

「いいんです!」

 呆れた様子の友樹に、頬を膨らませて言い返す。これ以上のこの話を続けるとますますボロが出そうで、希は潔く別の話題に振ることにした。

「それで、友樹さんの誕生日はいつなのですか?」

「俺?なんでそんなこと聞くわけ?」

「知りたいからです。あ、親方さんと陽太さんの誕生日も教えてください」

 ちゃんとプレゼントを渡したいのです、と笑顔で付け加えれば友樹は何故か嫌そうな顔をした。

「二人の誕生日知らない」

「じゃあ、友樹さんは?」

 無言で視線を逸らされる。ジッと無言で見つめ続けると、諦めたように友樹は口を開く。

「…三月三日」

「お雛さまですね!凄く覚えやすいです!」

「だから言いたくなかったんだ」

 肩を落とした友樹を気にせず、希は瞳を輝かせて両手を合わせていた。友樹の誕生日を何度も心の中で繰り返し、しっかりと覚える。

「誕生日プレゼント、ちゃんと渡しますからね」

「はいはい」

 適当な相槌を打ち、希の頭を軽く叩く。もう、と言おうとした途端、整備室のドアが開いた。



「どもー。て、希ちゃんに友樹先輩…何やっているんですか?」

 整備室に二人しかいないことを確認した鴇が訊ねる。

「…誕生日聞いていました」

「聞かれてた」

 希も友樹も素直に答えた。突然ドアが開いて驚いている希は両手で頭を押さえたまま、その傍に立っている友樹はポケットに両手を入れて、また五月蝿いのが来たという表情を鴇に向ける。

 密室で男女二人で仲よく会話していた空気に入るのは、鴇でも後ろめたさを感じる。

 希にも友樹にも聞いたことがないが、二人の関係は傍から見たら恋人同士に見えなくもない。希の方はよく友樹に話しかけているし、友樹の方も希に関してはよく喋る。

 訓練生時代の友樹を知っているからこそ、鴇にはその違いがよく分かる。

 友樹がこんなに話す相手は珍しい。

 もしかしたら二人は付き合っているのかもしれない。

 その事実を確かめようにも陽太は教えてくれないし、本人には聞きにくい。

 一人悶々としていた鴇に、希は問う。

「鴇さん、お茶飲みますか?」

「あ、うん。じゃあ」

 ドアの前で立ち止まったままだった鴇が曖昧に頷く。微笑んだ希がすぐに立ち上がった。思わず頷いてしまったので、部屋に入るしかない。

 邪魔して悪いな、と思いながら軽く下を向いていたら横を誰かが通り過ぎる。

 ドアの方へ向かう友樹の背中に、鴇は思わず声を掛ける。

「あれ?どこ行くんすか?」

「仕事」

 希と話している時よりも素っ気ない一言で済まされた。それでも鴇の方を振り返って言い、じゃあな、と微笑んでいく姿は訓練生時代の友樹からは想像出来ない。あの当時なら、会話なくすれ違っていなくなっていたはずだ。

 人は変わるもんだな、としみじみ感じていると、希がおぼんに三つのカップを乗せてキッチンから戻って来た。あれ、と首を傾げて鴇を見る。

「友樹さんはどちらに行かれました?」

「仕事だってさ」

「そう…ですか」

 あからさまに落ち込みながら、おぼんをテーブルの上に置く。

 鴇からしたら希の好きな人は友樹のような気がして、でもそれを本人に肯定されるのが怖い。だから、聞けない。まだ、聞かない。

 そもそも希のことは好きだけど、恋愛感情で好きなのか。よく分かっていないのだからどうしようもない。

「あ、鴇さん。コーヒーでよかったですよね?」

「うん。いつもので大丈夫ー」

 希がいつもの笑みを浮かべて、椅子に座った鴇の前にコーヒーを差し出す。

 大丈夫、と笑いつつ、少し別のことを考える。

 本当は希と友樹が二人で話している時、少し心が痛んだ。でもきっとそれは勘違いだ。そうに違いない、と思いテーブルの上の写真を一枚手に取った。



 テーブルの上に散らばっていた写真を、まじまじと眺めている鴇。

 その隣の椅子に座っていた希はまずは紅茶を一口飲み、一息入れてから話しかける。

「鴇さん、気になる写真でもありましたか?」

「…ん?いや、なんか色々な写真があるから思わず見いちゃってた。こんなにいっぱいの写真どうしたの?」

「柘榴さんが大体撮ったものですよ。この本部に来てから、沢山撮っていましたから」

 テーブルの上は懐かしい沢山の写真。五十枚近くある写真の山。それでも、その五倍はあった写真から柘榴が選び出してくれた写真の一部。

 希も全ての写真に目を通したわけじゃないので、鴇同様に写真一枚一枚が興味深い。

 写真の一枚を指差して、笑いながら鴇が言う。

「なんか、この写真の蘭ちゃん不機嫌な顔してる。あ、あとこれとかも」

 鴇の言う通り、写真の四分の一は不機嫌な蘭の写真が多い。その理由は今でもはっきりと覚えているので、微笑ましい気持ちになりながら希は言う。

「最初の頃の蘭さん。写真を撮られるのが嫌いと言って、逃げていましたから」

「それでも撮ったんだ」

「柘榴さんですからね」

 柘榴の名前で、鴇は凄く納得した表情になった。

 最初の頃は無理やり蘭と写真を撮ろうとして、柘榴と希で追い掛け回した。それこそ、蘭が全速力で逃げるので、柘榴が捕まえて撮っていたので不機嫌な蘭が多い。

「これは?お揃いの…ストラップ?」

 笑顔の柘榴と希、それからはにかむ蘭とお揃いのストラップを前に出して記念に撮った写真。楽しそう、と鴇が付け加える。

「お揃いのお土産なんです。だから今でも私はそれを大切に持っています。あ、この写真には鴇さんも写っていますよ」

「本当だ」

 希が持っていた写真を受け取って、嬉しそうに鴇は言った。

 鴇や浅葱、蘇芳が写っている写真はそれだけじゃない。合宿中に六人で撮った写真や本部の中で蘭と浅葱が喧嘩している写真。鴇と蘇芳が整備室で一緒にお茶をしている時の写真。

 一枚一枚が思い出のある写真。

 懐かしくて盛り上がっている途中で、鴇がふと問う。

「それで、この写真どうするの?」

「蘭さんのお誕生日プレゼント用の写真なのです。年が明けたらお誕生ですから、アルバムに気に入った写真を入れて、メッセージを書いて。それをプレゼントするのです」

「へー。楽しそうだね」

「はい、凄く楽しいです。鴇さんも一緒に作られます?」

 唐突に思い付いた名案。手を叩いて笑顔で提案された鴇は、困った顔を浮かべる。

「いやいや、これって柘榴ちゃんと希ちゃんからのプレゼントでしょ?俺が混じったら駄目なんじゃない?」

「そんなことありません!」

 意気込んで否定した希に、鴇が思わず一歩引くように離れた。

「写真は沢山ありますし、皆さんからのプレゼントの方が絶対に蘭さんも喜びます!だから是非手伝って下さい!」

「まあ、出来る範囲なら。皆さん、てことなら、浅葱や蘇芳にも頼んだ方がいい?」

「はい!お願いします!」

 鴇の嬉しい申し出に笑みが零れた希は少し落ち着きを取り戻し、一息呼吸を置いて言う。

「とんとん拍子で話が進みましたが、蘭さんには絶対に言わないで下さいね。当日驚かせたいのです」

「了解、了解」

「ついでに一緒に表紙の飾り付けを手伝ってもらえませんか?ちょっとデコレーションに迷っていて…」

「うわぁ。そこからの作業なんだ…」

 写真を選んで少しメッセージを書くだけだと思っていた作業は案外簡単なものではなかったのだ、と鴇はようやく悟る。

 表紙を飾り付けて、写真を選んで、写真の配置を決めて、メッセージを書いて。頭の中でこれからしなければいけない作業を考える。頑張ろう、と気合を入れて、まずはアルバムの表紙を完成させることにするのだった。



 鴇と二人でアルバムの表紙を作り終え、昼食を食べ終わった後にまた一人で整備室にいた希。

 親方にはきちんと整備室の使用許可を得ているので、完成するまでアルバムと写真を隠してもいい、と言われた。

「明後日には買い物が出来るとして、包装紙はやっぱり買うべきですよね」

 独り言を言いつつ、柊の話を思い出す。

 明後日から一週間ほどは小さな島に滞在する。正月までは陸で過ごせるとして、それからまた飛行船で移動する。一体どこを飛行しているのか。海に着水したり長時間飛行したりと、中々行き先が読めない日々に終わりが見えない。

 それに、とここ最近よく思うことがある。

「平和過ぎます」

 ボソッと呟いて、顔を曇らせる。

 一か月以上ラティランスと戦っていない。飛行船で移動しているから、空中ではラティランスも容易に襲ってこない、と前に柊は言っていた。けど、もし地上で現れたら戦わなくてはいけない。

 それだけが不安なわけじゃない。

 柘榴と蘭は二つの武器を手にしているのに、希にはそれがないこと。強くなっていく二人に追いつけない、そんな気持ちになると不安で仕方がない。

 写真を眺めつつ、ぼんやりしていると整備室のドアが開く。

「お、希ちゃん。休憩かい?」

 部屋に戻って来た親方。その後ろに友樹や陽太の姿はない。

 不安を心の隅に置き、希は微笑んで言う。

「はい、休憩中です。友樹さんと陽太さんはまだお仕事ですか?」

「もう少ししたら帰って来るぞ」

 親方の言葉に広げてあった写真を片付け始める。散らかしたままではきっと邪魔になる。写真は適当にアルバムに挿み、ハサミやペンは紙袋に入れておく。

 親方は道具を片付けてから、作成途中のアルバムを捲って感心した。

「ほお、よく出来てるな」

 直接目の前で言われると、どうしても照れてしまう。えへへ、と言いながら嬉しくて頬を赤らめた希は、写真の説明をしようと親方の傍に行く。

「えっと、この写真はですね――」

 希が説明をしようとした途端、大きな揺れが飛行船を襲った。

「きゃあ!」

「なんだ!」

 バランスを崩して希は床に倒れこむ。何とか親方は倒れずに済んだが、持っていたアルバムは床に落ちて写真が散らばった。

 揺れは大きくても一回限り。少しだけ揺れが続いているが、徐々に収まっていく。

 写真が、と言う前に希の耳に響いたのは緊迫した柊の声。

『ラティランスだ。全員、空中庭園に集合してくれ!』

 柊の緊迫した声に只事ではないと思い知らされる。空中庭園の場所は知っている。けれども、今まで一度だって入ったことのない場所。

 そこは飛行船の最上階。整備室からは急いで走れば二分で着く場所。

 久しぶりの戦いは、少し怖くて身体が震える。

「っ!親方さん、失礼します!」

「希ちゃん!?」

 恐怖を振り切るように、希は走り出す。親方の心配そうな声に答える時間などなく、勢いよく整備室を後にした。

 一瞬だけ、親方は悲しい表情をしていたような気がした。希を心配する、その表情。

 それでも、それでも。

 生きていたい理由がある。守りたい人がいる。

 そのために、戦う。

 だから、迷うことなく全速力で走った。


 攻撃の余波が続き、小さな揺れが起こる。空中庭園に駆けこんだのは希が最後で、他の五人はすでに揃っていた。各々武器を持ち、頭上を見上げている。

 開かれた空中庭園に足を踏み入れた途端、少し暖かい風が頬を撫でた。

 円形で、沢山の種類の花や植物がある庭園。冬なのに、季節外れの花まで咲いている。

 飛行船の上に存在している場所なのに、まるで別世界のように美しい。色とりどりの花が咲き乱れ、綺麗に整備された庭園の中心には、アンティークなランプが一つ。小さな丸テーブルの上に置かれている。

 いつもは上のガラスは閉じていて、今だけは上のガラスが開かれ状態なので冷たい風が入る。

 広い。

 端から端まで五十メートルくらいありそうな空間。

 入口から小さな細い道が続くので、ゆっくりと進みながら一番入口近くにいた柘榴の隣まで進む。

「柘榴さん」

「希ちゃん、おつ!」

「今、どんな状況ですか?」

 希の姿を見るなり笑顔を向けた柘榴に真面目に問う。その質問に、柘榴は困ったような顔になった。

「見ての通りなんだよね」

 そう言いつつ、柘榴は真上に視線を向け叫ぶ。

「あ、蘭ちゃん!左上空、来るよ!」

『知ってるわよ!』

 通信機の声と二重になって聞こえた。

 蘭と蘇芳は庭園の中心いる。銃片手に空に狙いを定め、空を見つめている。

 浅葱と鴇はさらに奥にいる。浅葱の手には蘭の剣が握られ、鴇は日本刀を握っている。お互い武器を持ってはいるものの構えておらず、ただ真剣な表情を浮かべ空を見上げているだけだ。

 柘榴はもはや武器を持ってすらいない。

 何が来るのか、と希も空を見上げた。

 昼過ぎの空はまだ青い。晴天の空が少し眩しくて片手で影を作り、目を細めてその何かを探す。

 一瞬空が光った気がした。

 それは気のせいではなく、大きな宝石の塊のような物体が、飛行船に落ちて来る。

 まるで光の塊。光って綺麗、なんて口にしたら怒られそうだが、直径一メートルはある塊。遠いから小さい塊に向かって、蘭が銃を連射する。蘇芳は砕けた塊の欠片を飛行船に当たらないように撃ち落とす。

 僅かに塊が飛行船の真横を落ちれば、その余波で飛行船が揺れた。

 あまりにも落ちて来るスピードが速いので、その風力が飛行船を揺らす。飛行船に当たれば、壁すら破壊しかねない塊。

 その塊を落とす、空の上にいる生き物の姿を確認する。

「ラティランスは…鳥さん、ですか?」

「うん。上空からね。さすがに攻撃が届かないから、こっちからは打つ手がないの」

 日本刀では何も出来ない、と悟ったように両手を上げお手上げのポーズをした柘榴。 

 なるほど、と納得して空のラティランスをまじまじと観察する。

 頭上高く飛ぶ鳥、鷹だろうか。優雅に空を飛行し、そして遠くから攻撃を仕掛けてくる。確かに、遠すぎるので攻撃は当たりそうもない。

「…スマラクト」

 希の声に応じて、弓が姿を出現する。

 弓を構えて、おおよその距離を測る。多分、五百メートル程上空を飛行している。飛行船の上を円を描くように飛び、羽をばたつかせれば宝石が落ちて来る。

 無言で空を見つめ、迷うことなく射る。

 希の矢は鷹目指して真っ直ぐに進んだ。けど、距離がある。矢は鷹が当たる直前に身体を少し捻ればかわされ、そのまま空の上に消えた。

「希ちゃんの弓でも駄目、か」

「うう、すみません」

 役に立てるかと思ったが、全然役に立てない。

 肩を落とす希に、柘榴がふと思いついたように言う。

「じゃあ、瞬間移動であそこまで行けたりする?」

「…どう、でしょうか?」

 言われて気が付く。その方法もあったのか、と。

 瞬間移動。一瞬で別の場所に移動する、その力を使ったのは、随分と前のことだ。記憶を取り戻すきっかけとなった日から、一度も使っていない。

 では、と言い息を吸い込む。

「スマラクト」

 凛とした希の声が響く。イメージしたのは鷹の近くの傍で、念じただけなのに何も起こらない。柘榴の傍にいるのは変わらず、でも何かが違うと感じて戸惑う。

「っ、スマラクト!」

 さっきより小さく早口で言っても、何も起こらなかった。

 瞬間移動、出来る気がしない。鷹のいる上空まで、行ける気がしない。

「なんで…?」

「希ちゃん?」

「瞬間移動が、出来ない、のですか」

 徐々に小さくなっていく声が震えた。服を握りしめ、どうして、と考えれば考えるほど頭が回らない。

 いつから、その答えが出ない。

 けれども瞬間移動はもう出来ない、その事実だけは確実な気がした。

「そんなに気にすることないよ!ほら、ちょっと上手くいかないだけとか…」

 必死にフォローしようとする柘榴の言葉は全く耳に入らない。

 あ、と声を上げた柘榴が慌てて空を見上げる。

「蘭ちゃん!右上!二発続くよ!」

『はあ!二発って何よ!』

 銃声が鳴り響き、塊は砕かれるもその欠片が飛行船を掠って下へと落下する。

「きゃあ!」

「うわ!」

 大きな揺れ。飛行船が揺れたせいで、希と柘榴の身体が無様に転ぶ。

「…なんで皆さん、転ばないのでしょうか?」

「さあ?私も転んだ人間だから…」

 うつ伏せになった哀れな希と、仰向けに倒れた柘榴は思わずぼやく。その直後、通信機から聞こえたのは蘭の怒声。

『柘榴に、希!ちゃんと踏ん張んなさいよ!』

「…嫌、無理すっよ」

 ボゾッと言い返した柘榴の声は蘭には聞こえなかったようだが、隣にいた希にははっきり聞こえた。笑いを堪えなきゃいけないのに、思わず口元を隠して笑う。

 その様子を見て、柘榴は微笑む。

「さーて、蘭ちゃん。これからどうしましょうかね?」

『こっちは真面目に考えているわよ!この馬鹿!』

 攻撃を受けてばかりで段々イライラしているのは明白で、希も柘榴もそれ以上煽らないように口を閉ざす。静かに立ち上がって、空を見上げた。

『それより、希!』

「は、はい!なんでしょうか?」

 突然の蘭の名指し。口調から怒っているように感じ、慌てて早口で返せば、打って変わって心配そうな声で蘭は言う。

『さっきの攻撃で掠った場所…多分、整備室あたりだったわ』

「え?」

 一瞬言葉が理解出来なくて戸惑う。バッと駆け出し、ガラスの壁にへばりついて下を眺める。整備室があるあたり、よく見たいのにここからでは見えない。

 友樹は、陽太は、親方は。

 無事であればそれでいい。

 確かめたいのに確かめられない。

「…皆さん」

『…だから、さっさと無事か見に行ってきなさい』

 突然の優しい声に、希の視線は蘭の方へ移る。希の方など見向きもしないで言葉は続く。

『今はまだ、ラティランスが攻撃してきても私達で押さえられる。それに、行かせるつもりがないなら、報告なんてしないわよ』

「だってさ、希ちゃん」

 いつの間にか後ろにいた柘榴が、希の肩を叩いて笑った。

「…いい、のですか?」

『行くなら、さっさと行けよ』

『いいよー。希ちゃん行っておいで』

『行け』

『だ、そうよ』

 浅葱、鴇、蘇芳、蘭。誰もが止めはしない。言い方は素っ気なかったり、優しかったりするけど、誰もが希の行動を止めはしない。

「ほら、希ちゃん。行ってらっしゃい」

「っす、すぐに戻ります!」

 最後の柘榴の言葉の途中で、希は勢いよく駆け出していた。

 目の前の敵のことなんて考えられない。ただただ、整備室にいるかもしれない三人の安否を心配して、泣きそうな気持ちを抱えて、空中庭園から姿を消すのだった。


『もう少ししたら帰って来るぞ』

 そう言った親方。ついさっき交わした会話を思い出しながら、懸命に走る。

 整備室に三人がいる可能性が高いと言えど、それが事実かはまだ分からない。無事だと信じたいのに、焦って転びそうになって、不安が消えない。

 無事でいて。もう大切な人を失いたくない。

 願うことはそれだけ。

 整備室のドアを力任せに開ける。

「っ!」

 倒れた椅子や棚。散らばっている工具や割れたカップ。倒れた状態の親方が部屋の真ん中にいて、その顔が真っ青に見えた。

「親方さん!」

 悲鳴に近い声が出て、希は泣きそうになりながら駆け寄る。大きな怪我はないように見えるが下手に動かしてはいけない気がして、傍に近寄って何度も何度も呼びかける。

「目を覚まして下さい!親方さん!」

「…ってぇ、希ちゃん?どうした?」

 親方の瞳に、今にも泣き出しそうな希の顔が映った。

「本当によかった、です。もしも…もしも目を覚まさなかったら、て」

 段々と小さくなっていった声。起き上がった親方が、微かに震えていた希を見て言いにくそうに言う。

「心配掛けて、悪かったな」

「そんなこと、ありません…それで、友樹さんと陽太さんはまだ帰って来ていなかったのですよね?」

 部屋に親方しかいなかったから、友樹と陽太はまだ帰って来てなかったのだと思って微笑んで問う。

 その質問に親方の表情が曇った。

「…いや、あいつらなら奥の部屋に」

 そう言って、奥の部屋を指差す。奥の部屋に続くドアは何かの重みで上の部分に隙間ができ、微かに冷たい風が隙間から漏れる。

「――っ友樹さん!陽太さん!」

 一目散に立ち上がり、何度も何度もドアを叩く。押したら開くはずのドアが開かない。奥の部屋がどうなっているのか、分からない。

 叩きすぎて手が痛い。それでも叩いていた希の耳に微かに声が聞こえた気がして、ふと手を止まった。

「…友樹さん?」

「…無事。だから、叫ばなくても聞こえる」

 今にも消えそうな声。それでも声が聞こえると言うことは、生きている証。

 安心すると同時に足の力が抜け、その場に座り込む。

「友樹!陽太はどうした」

 いつの間にか希の後ろにいた親方が、大きな声で奥の部屋に叫ぶ。

「気を失っているだけです。ちょっと、大きな棚が倒れて、陽太がそれに当たって意識を失いました。大丈夫です」

 焦るように早口言い切り、深呼吸を繰り返す友樹。

 大丈夫、だとは思えない。話し方がいつもと違う。少し息苦しそうな印象を受けて、希は意を決して言う。

「今、私がドアを壊します」

「…無理、だろ」

 決めつけるように友樹が言った。どうして、と口を開く前に、友樹が話し出す。

「奥の部屋って、元々狭いじゃないですか。せいぜい四畳半の部屋の壁に棚が三つあるだけ。飛行船の外側の方の壁にあった棚が二つとも倒れて、そのうち一つがドアを押さえているんです。もう一つの棚はまだ完全に倒れていないから、その隙間にいる間は平気ですけど。また揺れたりしたら、棚の下敷きになりそうなんですよ」

 だから無理、と。

 無理、と言う言葉だけは希に言って、その前の説明は親方に向けての言葉だった。

 希も親方も、何も言えなくて言葉を失う。何かを悟ったように、友樹は全てを諦めているように語った。

「…風が、入っているのは外壁が壊れているからですか?」

「そう。その衝撃で棚がドアの方に倒れた」

 震える声で尋ねた希に、さも当たり前のように友樹は言った。

 今の状況が信じられない。

 さっきから微かに揺れる振動すら友樹と陽太の命に関わることだと、本当は考えたくもない。

「それ、でも――」

「希ちゃん?」

「それでも、私は」

 助けたい、と言う言葉を呑み込んだ瞬間、また飛行船が揺れる。

「友樹さん!」

「友樹!」

「…だから、大丈夫だって」

 少し間が空いてから、友樹の返事が帰って来た。

 もう嫌だ、と思った。

 守るって決めたのに。また、何も出来ない。

 無力を受け止めないといけない。それが出来ない。

 もしも一瞬でその場に行けたらすぐに助けられるのに。そんな力はない。

 悔しくて、悲しくて、自然と流れた涙は頬を伝い床に落ちる。

「…希ちゃん」

 親方が呼びかけても、この場から動けない。時間の問題だって分かっているのに、どうにかしたいのに、その答えが出ない。

 静まり返った部屋。希の泣き声が静かに響く。

「親方、そいつ連れて部屋から出てください」

 小さく聞こえた友樹の声に、親方はそっと希の肩を叩く。顔を上げられず首を振った希に、困ったように親方は言う。

「とりあえず、助けを呼ぼう、な」

 諭すように親方が言った。

 嫌だ、と駄々を捏ねる子供のように泣きわめくことは出来ない。希に出来るのは、ラティランスと戦うこと。そのための弓と、風の力があること。

 風の力、希を守るその力を思い出し、辺りを見渡す。

 探した物、ロープはすぐ近くにあった。希は唇を噛みしめ、涙を止めるように顔を上げる。

「親方さん、この部屋の上に非常口、ありましたよね?」

「ああ。確か、あった気もするが…」

 涙目で、それでもはっきりと言った希の言葉に、親方は戸惑ったように言った。

 そっと通信機に手を伸ばす。始終柘榴と蘭が言い合う声が聞こえていた通信機に割り込んで、希は通信機で聞いているであろう人物の名前を呼ぶ。

「…柊さん。聞こえていますよね?」

『ああ、どうかしたのか?』

 希からの通信に、若干驚いた声の柊。本来なら希は天空空間で戦っている。だけど、今は整備室の中。なかなか帰って来ない希を心配する柘榴や蘭の声を無視して、希ははっきりと告げる。

「整備室の真上に非常口ありましたよね?」

『あるが…』

「使えますよね?」

 ああ、と肯定した柊の言葉に、希は、分かりました、と小さく返す。

 それ以上何かを問われるのも嫌で、希は通信機の音量を下げる。他の人の声を聞くと決心が鈍りそうで、それでも思いつく限りの最善策が一つしかない気がして、希はゆっくりと立ち上がる。

 しゃがんでいた親方を見下ろして、希は微笑む。

「親方さんはここにいてください」

「…何を、するつもりだ?」

 親方が希のことを心から心配している。それは痛いほど分かる心情で、それを分かっても、もう希の心は変わらない。

 開かないドアを見つめて、口を開く。

「友樹さんと陽太さんを助けます」

「そんなことは――」

「親方さん。私、これでもラティフィスなのですよ」

 作り笑いして言えば、親方は言葉を失い、顔を苦しそうに歪めた。

 誰の意見も今は受け入れるつもりはない。ただただ信じる道を進むために、言葉を続ける。

「私は大切な人達を、命を掛けて守りたいのです。今までも、これからも。例えそれが、自分の命を賭けることになったとしても」

 いつも服の下に隠し、首からぶら下げている懐中時計を握りしめる。

 ラティランスの戦いに巻き込み、巻き込まれた大切な人達を失いたくない。今から希が行う行動が成功するかも、失敗するかも分からない。それでも行動しなければ後悔する、そう思ったら身体は自然と動く。

 近くに落ちていたロープを拾い、部屋から出る途中に、一度だけ振り返って笑う。

「いってきます」

 最後にそれだけ言って、希はゆっくりとドアを閉めた。


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