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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第6章
36/59

32 白銀編02

 次の日。二十四日の午前。

 昨日の夜に分担された役割に分かれて、朝からクリスマスパーティーの準備は始まった。

 二チームに分かれて、柘榴と蘭、それから浅葱はクリスマスパーティーの宣伝を行う。開催される食堂と、それから飛行船の場所に数カ所に貼るポスター作りが主な仕事。午前中にポスターを完成させ、午後から蘭と浅葱はクリスマスツリーの飾りつけ、柘榴はパーティー用の料理を考えるようにキャサリンに命じられている。

 一人五枚のポスター作りと言うノロマがなかなか終わらない蘭と浅葱は、食堂の片隅にあるテーブルで色とりどりのペンと真っ白な紙を広げて、何を書こうか悩みながらポスターを作る。

「…夢だと思いたかったわ」

「チビ、朝からそればっかりだな」

 何度も繰り返した言葉。蘭が乗る気じゃないのは、誰が見ても一目で分かる。浅葱の方は昨日よりは落ち着き、クリスマスパーティーを受け入れた様子でサンタの絵を描き出す。

 地味に上手い絵を見て、蘭はボソッと呟く。

「というか、なんで浅葱は絵が上手いのよ」

「チビが下手なだけだろうが!」

 小さな声だった蘭の言葉に、大きな声で反応する浅葱。

 文字が綺麗な人、と言う理由でポスター作りの担当になった蘭と浅葱は字を書くのは上手い。けれども絵が上手いか、と言うとそうでもなく蘭に至ってはまだ字しか書き終えていない。

 浅葱は真面目にポスターの構成を考えていたらしく、次々と絵を描き加え始めた。

 クリスマスツリーやらプレゼントやら鉛筆で下書きをした後、すぐに黒のボールペンで清書する様を蘭は斜め前の席から眺める。

 蘭よりも絵が上手いのは明白で、少し悔しいが素直に尊敬する。

 浅葱の白紙だった紙がイラストなどで埋まっていくので、蘭は何も言わずに自分の紙を浅葱の紙の下に滑り込ませた。

 夢中で楽しそうに描いていたので、紙の枚数に気が付くこともなく、浅葱は蘭のポスターにも絵を描き始める。

 何もしないのは流石に罪悪感があるので、色塗りだけはしようと蘭も手を動かすことにした。


 静かに仕事をする蘭と浅葱の様子を遠くから見ていた柘榴は、一人カウンターでお茶をすする。

「おい、柘榴。お前はあっちに混ざらねーの?」

「んー?私はもう終わっているからね」

 暇そうに座っていた柘榴に声を掛けたのは結紀。結紀も暇だったのか、柘榴の傍に自分用のコーヒーを持ってカウンターの向かいに座る。

「ポスター作り、だっけ?お前本当にもう終わったわけ?」

 信じていない結紀の言葉に、柘榴は少し頬を膨らませる。

「失礼な。適当に、素早く、終わらせたに決まっているでしょうが」

「あ…そう」

 面倒事は早々に終わらせてしまおう、と朝から集中してさっさと終わらせた。暇すぎたので午後から任されていたことをしようと、柘榴はシャーペン片手に適当に食べたい料理名を書こうとしていたところだ。

「食べたい料理、キャサリンは何でもいいとか言っていたけど。何でも作れるわけじゃねーからな。それから当日は人手が少ないんだから、お前も手伝えよ」

「分かってるよ。それぐらい手伝いますー…こういうイベントって、やっぱり滅多にしないものなの?」

「どうした突然」

 クリスマスパーティー自体はおかしいことではないと思っていたが、開催することに関しては誰もが異常に驚いていたように感じた。それは柘榴の勘違いかもしれないが、一度感じた気持ちは消えない。

「なんか、皆クリスマスパーティーをするのは珍しい、みたいな印象だったから」

 皆、と言っても蘭や柊、浅葱や蘇芳、鴇やキャサリン、それから結紀の反応しか知らないけれど。

 うーん、と首を傾げて考え出す柘榴を見て、結紀は遠くを見つめながら静かに言う。

「俺が組織に入ってから、クリスマスパーティーをやろうとした奴はいない」

「そうなの?」

「興味がなかったり、余裕がなかったり。この組織に入っている限り、いつだれが死ぬかなんて分からない状況だからさ。楽しそうな奴なんていなかったしな」

 まるで何かを思い出すような口ぶりの結紀。ふーん、と納得できるような出来ないような気持ちの柘榴は、でも、と明るく言う。

「いつでもさ、楽しまなきゃ損だと思わない?」

「いや、俺に同意を求めるなよ」

「とりあえず、私と希ちゃんはそれはもう楽しみなんだよ。ということで、結紀はプレゼント私にくれるよね!」

「おい、話飛び過ぎだ」

 呆れ顔の結紀が、笑みを零す。

「プレゼント交換をするとか何とか、今朝言ってなかったか?」

「それはそれ。クリスマスパーティーの時は、各自何でもいいからプレゼントを準備してもらって参加してもらう予定だけど。その他に私にプレゼントをくれてもいいんだよ?」

 くれるよね、と切望の眼差しを送るが、結紀が取り合ってくれる様子はなく、はいはい、と流される。

「気が向いたらな」

「絶対それくれないよね」

 別にいいけど、と柘榴もこの話はこれで終わりにすることにした。

 さて、と言いながら紙に文字を書き出しながら言う。

「クリスマスっぽいものと言えば、まず巨大ブッシュ・ド・ノエルでしょ」

「巨大って何だよ…」

「あと、定番のローストチキン、ミートローフ。ピザにサーモンとチーズのサラダ――」

 結紀の独り言は聞き流し、柘榴は次々と紙に書いていく。クリスマス料理、と言うよりも途中から柘榴の食べたい物を次々と書いている様子を、コーヒーを飲みながら結紀は黙って見守ることにするのだった。



 もう一つのチームは、食堂全体の飾りつけ。と言うことで、残りの希と蘇芳、それから鴇が係になった。

 まずはキャッシーのところからテーブルクロスになりそうな布や細かい材料を貰いに行くため、珍しい三人組で廊下を歩く。

「先に整備室行っていてもいいですよ?」

「いやいや、俺らが行くより希ちゃんが一言お願いした方が親方さんは動くから」

 予定としてはこの後整備部の所に行って、あるかもしれないイルミネーションを探しに行く。キャッシーのところは一人で行く、と言ったのだけれど、鴇と蘇芳は希と一緒に行くと行って先には行ってくれない。

「まあ、キャッシーさんの部屋には俺ら入れないけどね」

「入りたくない、の間違い」

 キャッシーの部屋に着くなり、そう言われて背中を押される。

「だから、早く帰って来てね」

「はい。努力します」

 キャッシーの部屋に行くと時間が掛かるのは経験上のことなので、蘇芳と鴇に見送られつつ、意気込んで希は部屋に入って行く。いつも通りに普通にドアをノックして、部屋の中に入った。

 廊下で何もすることがない蘇芳と鴇は、壁に背を預け黙って耳を澄ませるだけ。

 壁が薄いのか、部屋の中の声は聞こうと思えば聞こえる。

『あっら!希ちゃんじゃないの!もう、可愛い!!!』

『あ、あの。クリスマスのことで―――』

『何、何?クリスマスプレゼントに一緒に過ごす?もちろんいいわよ!』

『え、いや当たってはいるのですが、ちょっと違いまして……ひゃあ!今日は先にお話を――!』

 困った希の声はよく響いていた。


 何とかクリスマスパーティーの説明をして、布やら紙やらを持って部屋から出て来た頃には、希の髪はぼさぼさになってしまった。時間にして二十分は捕まっていた。

「うう、帰りました」

「お疲れ」

「いやー、部屋の外にいてもキャッシーさんは通常運転なんだね」

 最近はキャッシーが希に抱きつく、触るは日常茶飯事で、柘榴や鴇によく『通常運転』の一言で済まされてしまう。

「それでは、整備室行きますか」

 キャッシーのことはいつものことなので、すぐに立ち直る。大量の布と紙を持ったまま希が歩き出してしまうので、蘇芳と鴇は追いかけるしかない。

「って、手伝いに残っていたのに。一人で持って行っちゃうの?」

「…あれ?それで一緒にいてくれたのですか?」

 全く気が付かなかった。それに、持てない量ではないので、これくらいなら大丈夫だと言い張る。

 言い張っても結局は、蘇芳と鴇に希の持っていた布を奪い取られた。おかげで残ったのは三分の一以下。

「あ、ありがとうございます」

「いいよー。気にしないで」

「鴇の言う通り」

 随分軽くなった荷物を抱えながら、三人仲よく整備室に向かう。

「…で、何それ?」

 整備室に入るなり、友樹の呆れた顔で出迎えられた。

「クリスマスパーティーをするのです。その飾りなのですよ?」

 満面の笑みを見せた希に、それから布やら紙を持ってきた蘇芳と鴇も部屋に入る。八畳ほどの部屋に、希を中心にして人が集まる。

「おお、希ちゃん。よく来たな。二日ぶりか?」

「はい。二日ぶりだと思います」

 奥の部屋から出て来た親方、それから陽太。

「うっわー。何か大量だね。お茶飲む、希ちゃん?うわ、鴇もいる」

「うわってなんですか。うわって。というか、陽太さん椅子借りますよ」

 馴染んでいるのは希だけではない。蘇芳も鴇も時々、ここを訪れているのだと前に教えてもらった。何度か一緒にお茶会を繰り返してもいる。

 陽太が普段使っている椅子を奪い、鴇は腰掛ける。椅子は全部で、三つだけれど。近くに組み立て式の椅子が三つ。親方が希達のために用意してくれた椅子。

 親方は自分専用の椅子に腰かけ、友樹は黙って二人分の組み立て式の椅子を持って来てくれた。

「それで、今日の失敗談は?」

「むむ、友樹さん。いつも私が失敗しているように言わないで下さい。確かに、最初の頃は階段から落ちそうになったり、吹き飛んだりしていましたが…」

 でもそれは随分昔のことで、今は失敗と言う失敗はしていない。友樹との仲は随分仲良くなった気がする。お互い冗談も言えるし、そこまで遠慮するような相手でもなくなった気さえする。

 過去を懐かしみながら話し出した希。いつもの様子に、親方も陽太も楽しそうに話を聞く。

「希ちゃん、話がずれてるよ」

「っは、そうでした!」

 鴇に指摘され、ハッと言葉を止める。友樹は顔を隠して笑っている。

 友樹の言葉に惑わされ、大切なことを忘れるところだった。笑っている友樹に少し頬を膨らませるが、それよりも今は大切なことがある。

「親方さん、整備室にイルミネーションありますか?明日の夜にクリスマスパーティーをすることになって、必要なのですが…」

 希の問いに、親方は一生懸命考える。

「確か…最後に積み込んだような?」

「俺が荷物置き場でも見てきましょうか?」

「そうだな。頼むぞ、友樹」

 さっさと取りに出て行ってしまおうとする友樹の背を見て、思わず希も立ち上がる。

「じゃあ、私も一緒に行きます!」

「いや、別に来なくても」

「さっきの話を訂正してもらいますからね。確かに最初の頃は色々失敗していましたけど、最近はですね――」

 友樹を置いて行く勢いで歩き出す希の後から、友樹も急いで部屋を出た。部屋の中では陽太や鴇が騒いでいるようだけれど、希の耳には届いていなかった。




 そうこうしている内にあっという間に時間は流れる。

 二十五日の夜。

 ポスターの宣伝が功をなしたのか、参加しないと夕食なしと言うキャサリンの言葉が効いたのか、飛行船の人のほぼ船員が参加となった。

 パーティーのギリギリまで食堂で料理の支度をしていた柘榴。午後には何故か希が食堂を借りて、小さなケーキを作っていたのだが、いつの間にか来て柘榴が忙しく動き回っている内にその姿は消えてしまった。

 何のケーキか聞こうかと思っていたのだが、クリスマスプレゼント。それしか思い浮かばなかった。

 蘭と浅葱は昨日作ったはずのクリスマスツリーが気に入らなかったらしく、朝から食堂で騒ぎながら作り直していた。

 そして、始まったクリスマスパーティー。

「いやー、間にあったね」

 柘榴は色とりどりに飾り付けられた食堂を見渡して、自分自身を褒めたくなる。

 テーブルの上に並べられた数々の料理。真ん中のテーブルにあるのは、メインとも言えるブッシュ・ド・ノエルで、柘榴もそれはもう頑張って盛りつけた。

 それから各テーブルには希の作ったテーブルクロス。蘇芳や鴇、それから整備室の面々が部屋をイルミネーションで飾りつけてくれて、入口には蘭と浅葱作のクリスマスツリー。

「よく頑張った。私、よくやった」

「自画自賛はキモい」

 後ろから頭を叩かれ、カウンターから全体を見渡していた柘榴は後ろを振り返る。

「結紀…人が折角、雰囲気に酔いしろうとしているのに」

「馬鹿言ってないで、早く手伝え。料理を運ぶのはお前の役目だろうが」

 結紀に言われ、しぶしぶ奥に戻るしかない。今もキャサリンが料理を作ってくれているのだから、柘榴が頑張らないわけにはいかない。いかないのだが、

「なんか、クリスマスパーティーに参加出来るか不安なんだけど」

「あー。それな。キャサリンからの伝言だ。プレゼント交換までは忙しいってさ」

「そうだと思ったよ!そうしかないって思いましたとも!」

 ここまで来るとやけになるしかない。沢山の料理、それらを食べられないなんて、そう思いつつも結紀に引っ張られ、柘榴は料理を運ぶしかない。

「私の…ご飯が…」

 柘榴があまりにも悲しそうに言うので、結紀は呆れて真面目にしろと言わんばかりに頭をもう一度叩いた。



 柘榴は料理の方に忙しく、希はキャッシーに捕まっているので、蘭は出来るだけ端。壁の方でグラス片手に、クリスマスパーティーを見ていた。

「これが、クリスマスパーティー…」

 小さい頃から父は多忙の身で、滅多に帰って来ないし。母も医者という職業柄、忙しくてクリスマスと言え、一緒に過ごせなかった。組織に入ってもクリスマスなんて祝う日ではなかったし、こんな風に過ごす日が来るとも思っていなかった。

 こうして誰かとわいわい騒ぐのは何だか落ち着かない。

「お、チビ。何やっているんだ?」

 落ち着かないというのに、皿いっぱいに料理を抱えた浅葱に見つかった。

「浅葱こそ。蘇芳や鴇は?」

「そっち」

 浅葱の指し示す先には整備部、及び鴇や友樹に嬉しそうに話しかける蘇芳の姿。真ん中にいるのは間違いなく希だろう。

「希、モテるわね」

「本人無自覚らしいけどな」

 前に部屋で柘榴と希が誰が好きとか、付き合うとか、話していた気もするが覚えていない。誰かを好きになる、その気持ちは分からなくはない。

「チビ、飯は?」

「食べたわよ。なんか、落ち着かなくて」

「ふーん…」

 興味なさそうな顔をしつつも浅葱は蘭の横で、同じように周りを見渡しながら動こうとはしない。

「…なんで、ここで食べるのよ」

「なんとなく。気にすんな」

 ものすごく気になる。もう少し静かに食べて欲しい。食堂にいる誰もが楽しそうに、美味しそうに食事を楽しみながらお喋りを続ける。

 けれども蘭と浅葱に余計な会話はない。

 グラスに入っていたオレンジジュースはすでに半分以下で、それを口に含んでいると誰かが近づいて来た。少し下を向いていたせいか、真っ赤な大きな靴が目に入ってすぐに顔を上げる。

「こんばんは。サンタさんからプレゼントは如何かな?」

「は?」

 驚いたのは浅葱も同じだったようで、目の前にいるサンタ姿の男性に言葉を失う。

 真っ赤な服。真っ赤な帽子は尖っていて、真っ白な髭と合わせて顔の半分以上を隠している。身長がそれなりに高いので見上げながら、誰だ、と考える。

「プレゼントだよ。プレゼント!よいこにはプレゼント」

「え?」

「あ…えっと」

 呆然とする蘭と浅葱に、サンタは小さなプレゼントを手渡した。

「後で開けてね。それじゃあ、パーティーを楽しんでくれたまえ」

 ふふふ、と笑いながら蘭の目の前からサンタは颯爽といなくなってしまった。他の人にもプレゼントを配っては、食堂の中を移動する。

 食器を持っていた浅葱はそれを近くに置いて、貰ったプレゼントを振ってみる。

「何だろうな」

「開けてみればいいじゃない」

 そう言った蘭の方が先にプレゼントの包みを開く。綺麗な青い紙と白いリボンを丁寧に剥ぎ取り、ポケットに入れると出てきたのは長方形の箱だった。

 その箱をそっと開ける。

「…どうして?」

「なんだよ。万年筆か?」

 微かに震える両手の上にある小さな箱の中には、一本の万年筆が入っていた。小さい頃は何度も見て、欲しいと父親に駄々をこねた覚えがある。

 年季の入った、少し古い品物。

 父親が大切にしていた万年筆。

「…お父、様?」

 小さな小さな声は浅葱に聞こえなかった。

 まさか、と思って急いでさっきのサンタを探す。サンタは他の人にもプレゼントを渡しつつ、出口に向かって歩いていく。

 もしかしたら違うかもしれない。でも、もしかしたら父親かもしれないと思うと足が動かない。

 蘭の様子がいつもと違うので、浅葱が思いっきり蘭の肩を掴んだ。

「っ!」

「サンタのところ、行かなくていいのか?」

「え?」

 まるで蘭の心を見透かしたように浅葱が言った。動揺して平常心じゃいられない蘭。冷や汗が背中を伝って、心なしか青ざめる蘭に浅葱ははっきりと言う。

「お礼言うついで俺は行くけど?お前は?」

「わ、私は…」

 お礼を言い忘れて蘭が焦っていると勝手に勘違いした浅葱。行きたくないわけじゃない、けど怖い。

「でも、なんて声を掛けたら…」

「お礼でいいだろう。行くぞ」

 問答無用で蘭の左手首を掴んだ浅葱が、ぐいぐい前に進む。人ごみをかき分けて、目指すのは心なしか寂しそうな背中。

 賑わっている食堂から出てすぐの場所で、ようやく追いついた。

「あの!サンタさん!」

「…ん?」

 浅葱に呼び止められて、サンタは立ち止まって振り返った。普段は見せない笑みで、浅葱は叫ぶ。

「プレゼント、ありがとうーございました!」

「い、いやー。どういたしまして」

 プレゼントを掲げながら嬉しそうに叫んだ浅葱に、サンタは少し照れた様子で返す。ほら、と浅葱が蘭の方を見た。お礼を言え、と言わんばかりの顔に蘭は言葉が詰まった。

 もう一度しっかりサンタを見たら、自然とこの人が父親だと認識した。

 前に会ったのはもう何年も前だ。話したのは数えるほどしかない。忙しい人だから、仕方がないと思っていた。ずっと蘭の存在を認めて欲しくて、近くに行きたかった。

 ずっとずっと寂しくて、ずっとずっと会いたかった。

 一度唇を噛みしめてから、蘭はサンタを見つめたまま一歩踏み出して呟く。 

「お、お父様」

 何とか出た言葉に、サンタは驚いた顔をしているのが分かった。

 それから観念したように、帽子をと髭を取った。蘭の記憶の中の父親より、随分皺も増えて白髪も増えたようだ。

「ばれてしまったかのぉ」

「分かります。貴方は父親ですから」

 実の父親相手に、なんて会話すればいいのか悩むなんて馬鹿かもしれない。それでも、今は頭が真っ白だ。向き合ってもこれ以上言葉が出てこない。顔を下げた蘭に、父親は優しく問う。

「…友達は出来たかい?」

 ふいに問いかけられた言葉。少し間を置いてから、蘭は笑みを零す。

「は、はい。すごく個性的な人ですけど…大切な友達は出来ました」

 柘榴や希、それから浅葱や蘇芳、鴇に柊。それだけじゃない、沢山の人と仲良くなれた。

 よかった、と確かに父親は言った。

「では、これから仕事があるのでな…いつか、また家族で一緒にどこかに行こう。そうだな、水族館とかいいな」

 水族館、という言葉に思わず蘭は驚いた。小さな頃、一度だけ行ったことのある水族館。交わした約束を、父親も覚えているのだろうか。

 微笑んでいる父親は背を向けて、ゆっくりと歩き出す。

「クリスマスパーティーを楽しみたまえ、諸君」

「はい!」

「…お父様、お体にはお気をつけ下さい」

 敬礼をした浅葱と、深々と頭を下げた蘭。二人の声に、父親は振り向かずに右手を上げて廊下の奥に消えて行く。

 会えてよかった。その想いで心がいっぱいになって、嬉しくて少し恥ずかしい。

 顔を上げて、父親の背中を見送る。今度は自分から、自分の足で会いに行こう、そう思った蘭の顔は自然と笑顔になっていた。



 プレゼント交換は案外呆気なく終わってしまった。

 最初に入口で集めたプレゼントを、八時を合図に一気に渡す。前から順番に流れ作業で自分以外のプレゼントを取ったら他は近くの人に手渡していく。それだけで随分時間は経ったのだけれど、それを合図にしてちらほら人が減って行く。

 クリスマスパーティーと言う名のイベントは大成功したのだと、希は思う。

 誰もが楽しそうに食事し、会話し、溢れていた沢山の笑顔。その笑顔を見れただけで、希も嬉しかった。

 クリスマスパーティーは毎年歩望と過ごしていたが、ここまで大勢で過ごすことはなかったから、終わるのが少し寂しい。

 クリスマスパーティー前半は、何故か色んな人に捕まり動きが取れなかったのだけれど。プレゼント交換が終わったのを合図に、希は食堂を抜けだした。

 楽しい時間は好きだ。

 けど、同じくらい本当は寂しい。

 平気なフリをしていても、いつだってもういない人物を無意識に探してしまう。ここには歩望も、柚も美来もいない。それでも、探してしまう癖が直らない。

「うう、このままではお兄ちゃんに怒られます」

 生きていく、と決めた。

 歩望も、柚も美来も探さない。今を生きて、恥じない生き方をすると決めた。

 大丈夫。もうこの先は、立ち止まらない。記憶を全て取り戻しても、不安だった心は柘榴の前で大泣きしたから、気持ちはもう揺るがない。

 そっと食堂を抜け出した後、向かうは整備室。

 すでに電気が付いているのは、中に人がいるからだろう。部屋に入る前にもう一度、持っている四角い箱の中身を開けて確認する。

 作った時と箱に入れる時、何度も確認した手作りケーキ。

 多分、いやきっと大丈夫だ。味は、自信はないけど、不味くはないはず。午後からキャサリンに頼みこみ、食堂の一部を借りて作ったもの。

 よし、と意気込んで希は希は緊張しつつ整備室のドアを開けた。

「遅い」

 希が呼びだした相手、友樹はすでに椅子に座っていて、少し不機嫌そうな顔。

「すみません。でも、友樹さん。まだ時間じゃないですよね?」

 時間に送れたのかな、と整備室の中にある時計で時間を確認する。九時前。約束は九時のはずなのだけれど、友樹は随分前からそこに座っていたような雰囲気がある。

 何故か少し怒っているような友樹。おそるおそる空いている席に座って、箱はテーブルの上にそっと置いた。

「それで、用件は?」

 希の質問には答えてくれないのに、座った途端に質問をする。

「えっと…お礼でしょうか?」

「お礼?」

 繰り返された言葉。首を傾げた友樹の目の前に、箱を移動する。

「その、最初に会った日も助けていただきましたし、懐中時計も見つけていただきました。それから、終冶さんと会った時にも助けていただいて、これはもうお礼をするしかないと。だから、開けて見てください」

 友樹はゆっくりと箱を開ける。その様子を横でドキドキしながら見守る希。

 本当はさっき言った以外でもお世話になった。勉強を見てもらったり、懐中時計を直してもらっている最中だったりと色々理由はある。

 クリスマスは口実。こんな機会がないと、手作りケーキなんて渡せないと思った。

 箱の中身は真っ白なショートケーキ。直径十センチほどの小さなケーキ。クリスマスケーキ用の苺をキャサリンから分けてもらい、上に苺、中は苺ジャム入りで作った。

「…このために、わざわざ呼び出したわけ?」

 ケーキを見て心底驚いている友樹。ケーキを見ているだけで取り出そうとはしないので、少し不安になって早口で希は言う。

「本当は他の皆さんも呼びたかったのですよ。でも、そこまで大きなケーキは作れなくって。皆さんを呼ぶとなると、どこまで呼べばいいのかも分からなくなって。とりあえず一番お世話になった友樹さんに食べていただこう、と。あ、やっぱり本当はもうご飯沢山食べてしまって、ケーキ入らなかったりしますか!それなら、それで持って帰りますから!」

 段々マイナス思考になった希の顔色は少し赤くなったり青くなったりした。慌ててケーキを奪おうとするが、その前に友樹がケーキを箱から取り出した。

「食べるよ」

「え、いやいや。無理しなくていいですから!食べてくれたらいいな、とは思いましたけど!」

「無理じゃないから」

 はっきりと言った友樹は、希に笑いかける。その笑みで、声が詰まった。

「とりあえず、フォークのついでにコーヒー入れるけど。飲む?」

「飲みます。あ、私が持って来ます」

 真っ赤になった顔を隠すために、希は勢いよく立ち上がった。

 フォークは備え付けのキッチンの引き出しの中。小さなキッチンでお湯を沸かして、先にフォークだけ持ってテーブルに戻る。

 テーブルに肘をついて待っていた友樹。フォークをそっとケーキの脇に置く。

「はい、どうぞ」

「どうも。ついでに、右手を出して」

「右手、ですか?」

 何だろう、と右手を差し出せば、友樹の右手が重なった。心臓が高鳴ったのも束の間、そっと離れた希の手の上に置かれたのは、懐かしい感触。

「…これ」

「直した。時間掛かったけど」

 すごく短い言葉だけど、それだけで十分だ。今となっては、兄の、歩望の形見と言えるのかもしれない。嬉し涙が流れそうだ。

「うう、ありがとうございます」

「ケーキ食べる隣で、泣くなよ」

 そうは言われても嬉しすぎるのだから、仕方がない。ヤカンのお湯が沸くまで、希は懐中時計を抱きしめた。そんな希の横で、友樹はケーキを食べ始めたのだった。



 希の姿が消え、蘭も部屋に帰った。ほぼ全員の姿が消え、後片付けもしないで食堂に残っていたのは柘榴と結紀、キャサリンと柊ぐらいだ。

 残った食べ物をカウンターに集め、それらを思う存分満喫する柘榴。仕事した分、美味しさが倍増する。

「あー、本当に料理食べられてよかった」

 残り物でも、キャサリンの美味しい料理を口いっぱいに頬張る。

「…ハムスターみたいな顔になってんぞ」

「なぬ!」

 カウンター席で隣に座り、美味しそうに食べていた柘榴を観察していた結紀に指摘され、無理やり料理を押し込む。が、喉に突っかかって苦しい。

「はいはい。水飲みなさい」

 わざわざ持って来てくれた水をキャサリンから受け取り、水で流しこむ。

「それにしても、柘榴くんも希くんもよく思いつくよね。ハロウィンとかクリスマスパーティーとか…」

 結紀を挟んで隣に座っていた柊にそう言われつつ、柘榴は他の料理に手を伸ばす。

「いいじゃん。楽しいことは皆で盛り上がった方がいいでしょ?」

「柘榴、その調子で行くと…次もあるのか?」

 よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりの笑みを浮かべた。

「クリスマスが終われば、お正月。おせち、お餅、沢山食べなきゃね」

「食い物ばっかかよ…」

 結紀を筆頭に、キャサリンも柊も同じように呆れている。

「いや、そんな予感はしていたけどね。三日後には街に着くから、多めに食料補充しといたほうがよさそうだな」

 柊の言葉に、柘榴は思わず聞き返す。

「え、本当?やったー!!!」

 料理片手にはしゃぎ始めた柘榴。

「そもそも、連絡回っているはずじゃなかったかしら?」

 柘榴が食べるのを止めないので片づけられないキャサリンは、カウンターに立つ。キャサリンの指し示すは食堂の入り口にある連絡板。名前通りに連絡事項が貼りだされている。

 何度か見かけたことはある。

「基本、見てないから!」

「いばんなよ」

 ドヤ顔の柘榴。必要最低限は希が教えてくれるので、困らない。困ったことがない。

「色々貼っているぞ。基本的なルールとか、伝言板とか、何故か毎月の誕生日の人の名前とか」

 柊の最後の言葉が気になって、思わず連絡板を見に行く。

 あった、確かにその月の誕生日が一覧になっている。十二月もあと少し終わるからか、一月分の一覧まで貼り出されていた。

 十二月の誕生日に結紀の名前が入っていたのだが、すでに過ぎてしまっている。

「あ、蘭ちゃんみっけ」

 一月の誕生日。一月十一日、蘭の誕生日。

 これを見つけてしまっては、見過ごさすわけにはいかない。

「ふふふ、さて。何しようかな」

 連絡板も前で不敵な笑みを浮かべ、笑いだす柘榴を遠くから見守っていた大人三人。

「…また、変なこと考えている顔しているし」

「柘榴ちゃんがいると、本当に毎日飽きないわぁ」

「大輔、結紀くん。俺には無理なんだ。だれか彼女を止めてくれ」

「「無理」よ」

 キャサリンにも結紀にも拒否され、柊はこれ以上柘榴が暴走しないように祈るしかなかった。


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