30 菓子編
季節は秋。十一月の終わり。
柘榴が突然ハロウィンをしたいと言い出したのは、いつのことだっただろうか。本来ハロウィンを行う日の前後は、合宿とか希が倒れたりとかで忙しくてすっかり忘れていた。
そもそも蘭にとってイベントなんて頭にないと言う方が正しかったのかもしれない。
柘榴が思い立ったらすぐに騒ぎ出すので、そのうちお菓子を貰いに行こうとか、パーティーをしようとか、何とか言っていた気がする。
あくまでも騒ぐだけ騒ぎ、話は終わったものだと思っていた。
けれども、今朝笑顔の柘榴と希に夕方四時に部屋に戻って来て欲しい、と言われた時に嫌な予感がした。またなんか企んでいるのではないか、と。流石にそれがハロウィンに関係していることだとは予想していなかったのだが。
「「ハッピーハロウィン!!!」」
ドアを開けた途端に二人分の声とクラッカーの鳴った音。予定の時間より十分前にドアを開けたのに、それでも待ち構えていた柘榴と希に言いたいことは沢山ある。
最初の頃なら呆然として何も言えなかったに違いないが、もう慣れた。
「何、しているの?」
呆れつつ言えば、柘榴も希も悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「ハロウィンしようと思って、仮装してお菓子を貰いに行こう!」
「蘭さんの分の衣装もキャッシーさんに用意して貰いましたよ。早く着替えて下さいね」
勝手に参加になっている。蘭はまだ了承もしていないのに、希が差し出しているのは真っ黒な服。
柘榴も希も、いつもの戦闘服じゃない。お揃いの黒いワンピース姿だが、所々に散りばめられたレースや持っている籠に付いているリボン、各自のアクセサリーは、赤と緑。
いつもより短いスカート丈、胸元の開いた黒のワンピース。頭の上には尖った黒の帽子、つま先が少し尖った黒のブーツ。黒いアームウォーマーに、黒い髪飾りまで付けている。
全身黒ずくめの格好で、まるで物語の魔女のように見える。
「着ないわよ。二人で行ってくればいいじゃない」
ドアを閉めて、そのまま奥に進もうとする。仮装して出歩くなんて真似したことがないし、するつもりはない。わざわざ用意したことに対しては申し訳ないと思うが、そんな気分ではない。
だいたい最近は戦闘がないからと言って、緊張感がないのだ。飛行船の中は基本的に平和で穏やか、それが嫌なわけではない。けど、いつ何が起こるか分からないと言うのに、柘榴も希も自由過ぎる。
と、眉間に皺が寄っていた蘭の両腕を誰かが掴んだ。
片腕ずつ、笑顔の柘榴と希が掴んで離さない。睨んでも怯まない。
「…着ない、わよ?」
さっきよりも小さな声で、自身なさげに発せられた声は、おそらく目の前にいる柘榴と希のせいだ。
それはもう楽しそうな笑みで蘭を見つめている。
「ほら、蘭ちゃんもお着替え。お着替え」
「折角、キャッシーさんが作ってくれたのですから着ましょう、ね?」
人の意見を聞き入れてはくれない。
「だから、着な――」
「蘭ちゃん、確保!」
「では、早く着替えましょう」
「人の話を聞きなさいよ!!!」
ドタバタと部屋の中が五月蠅くなる。蘭の抵抗も空しく、柘榴と希は楽しそうに笑う。それから三人でお揃いの服で部屋を出るまで、そう時間は掛からなかった。
「なんで、こんな目に…」
軽く化粧をさせられて、まるで着せ替え人形のような仕打ちを受ける羽目になった。色違いのワンピース、蘭はやっぱり青。
途中から口を挟むことも出来ず、蘭はされるがままになっていた。
部屋の外に出るまで相当渋ったのだが、無理やり外に出させられて、逃げられないようにと両脇を柘榴と希が歩く。いらない、と言ったのに籠を持たされて蘭は不満そうに歩く。
「帰りたいわ」
ぼそりと呟き、被っていた帽子を深く被り直す。
「いいじゃん、いいじゃん。折角キャサリンが作ってくれた服だよ?」
右隣にいた柘榴は、籠を片手で回しながら嬉々として答えた。
「わざわざ作ったの?」
「はい。キャッシーさんが一からデザインしたそうですよ」
すごいですよね、と左隣を歩く希は楽しそうに歩く。
こんな服を作る暇があるのなら自分の仕事をしろ、とキャッシーに言いたい。後で会ったら文句を言おう、と意気込んでいると廊下の遠くから歩いて来る三人組。
いち早くその姿を確認した希が、嬉しそうな声を上げて手を振った。
「友樹さん、陽太さん、親方さん!」
「どもー、皆さん。お疲れ様でーす」
馴れ馴れしく柘榴も声を掛け、陽太と親方が明るく返事をする。友樹はあまり表情を変えず、軽く会釈だけ。仕事は終わったのか、それぞれ私服姿だ。
私服と言っても親方はグレーのパーカーにダボッとした黒のズボン。陽太はジーンズにラフな薄い黄色のシャツ一枚。友樹もジーンズだが、上は白のワイシャツと黒のジャケット。
陽太の格好が、一番寒そうに見えるが室内だからそこまで関係ない。
三人の前まで、蘭は無理やり連れて行かされた。柘榴と希は満面の笑みを浮かべると、籠を前に差し出してから声を揃えて言う。
「「トリック オア トリート!!!」」
ハロウィンだからと言ってこんな風にお菓子をねだる友人を初めて見た蘭は、ちょっと引きながら一歩下がってその様子を見ていた。
呆れているのは友樹だけで、柘榴と希の行動を予期していたかのように、陽太と親方はすぐにポケットからお菓子を取り出す。
「ほら、どの味がいい?」
「俺のお菓子はチョコレート」
親方はリンゴ、モモ、オレンジの棒キャンディ。陽太は市販のチョコの小袋を差し出して問う。
「私はリンゴ!親方、ありがとうございます!」」
さっさと答えた柘榴は、お礼を述べながらお菓子を受け取る。それから陽太の持っていたチョコを勝手に奪うとどれがいいかな、と選び出す。
「ちょ、柘榴ちゃん!?袋破かないでよ?」
「分かってますって」
軽い口調で、柘榴は陽太に話しかける。希は整備部と元々仲が良かったにしても、柘榴の方は馴れ馴れしいのではないか、と言いたくなるくらい遠慮がない。
横目で二人を見ていた蘭の袖を、希が少し引っ張って言う。
「蘭さん、どちらの味がいいですか?」
希の視線は親方の持っている棒キャンディに釘付けで、どっちも美味しそうですよね、と笑った。少し考えてから、蘭はぼそりと呟く。
「…オレンジ」
「では、私はモモですね」
「はい、どうぞ。希ちゃんはモモ、蘭ちゃんはオレンジな」
親方が差し出してくれた棒キャンディを、希は素直に受け取る。隣にいた蘭も、同じように受け取った。
「ありがとうございます」
「ありがとう…ございます」
すぐにお礼を言った希に続いて、蘭は小声でお礼を言った。
親方が嬉しそうに笑みを浮かべているので、蘭は何となく恥ずかしくなって視線を下げる。その様子を微笑ましく見守った希は、そっと蘭の傍から離れて一人壁際にいた友樹の方へと向かった。
「友樹さん、友樹さん!トリック オア トリートです!」
「はいはい」
満面の笑みで両手を差し出した希に対して、友樹は素っ気なく返事を返す。同時にポケットを探って、取り出したのは苺味のチョコ。銀紙に包まれているチョコを、そっと希の手の上に置いた。
「ありがとうございます!」
パッと輝いた表情になった希は、チョコを抱きしめるように握りしめた。嬉しくて堪らないと言わんばかりの表情は、蘭や柘榴に見せる表情とはどことなく違う。その違いを、蘭は上手く説明出来ない。
ふと、目が合った蘭に友樹はチョコを投げた。
それを見事にキャッチした蘭を見て、柘榴が声を上げる。
「いいな!私にもくださーい」
陽太と話していたはずなのに、柘榴は友樹のチョコをしっかり見ていた。間を置かずに友樹はまたチョコを投げた。
「ありがとうございまーす!」
「別に」
素っ気ない一言。お礼を言った柘榴に視線を向けていたのはほんの数秒で、友樹の視線はすぐ隣の希に戻った。眉をひそめながら、言葉を濁して希に問う。
「その服、寒くない?」
「寒い、ですか?そんなことはないですが、あ!似合っていませんか?」
急に問われて慌て出した希の姿は、蘭から見たら誰よりも似合っている。自分の服を見直す希の姿に、友樹は分かっていない、と言いたげな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに着ていたジャケットを差し出す。
「これ、着て」
「え、でも。友樹さんが寒くなりますよ?」
「いいから」
問答無用で友樹はジャケットを押し付ける。着ようか着まいか悩む希に気が付いた陽太は、慌てて叫ぶ。
「希ちゃんは上着なんて着ちゃ駄目だよ!折角の眺めが―っぐ!」
陽太が最後まで言い終わる前に、友樹は持っていたトンカチを見事に陽太の足にぶつけてみせた。一気に不機嫌な顔になった友樹は、陽太の方などさっきまで見ていなかった。それよりトンカチを持っていたことすら気が付かなかったが、それはこの際気にしないことにする。
トンカチの存在より命中率の高さに感心して、蘭は拍手を送りたい気持ちである。
「…陽太さん、言わなきゃいいのに」
「本当にな」
小さな声で柘榴と親方が言った。陽太の言葉の意味をはっきりと理解しているので、友樹に首を絞められつつも笑顔を浮かべている陽太に憐れむような視線を送る。
傍にいる希が慌てて友樹を止めようとしているが、全く効果はない。
蘭は思わず近くに来た柘榴に問う。
「さっきのはどういう意味?」
「さっきのって、陽太さんの言葉?」
そうよ、と言いながら頷けば柘榴は少し悩みながら言う。柘榴の視線の先は未だ騒ぐ友樹と陽太。それから傍にいる希の姿。
「うーん。複雑な男心?」
「何よ。それ」
「蘭ちゃんは気にしない方がいいかもな」
親方にまでよく分からない回答をされ、蘭はそれ以上聞けなかった。それから友樹の怒りが収まることはなく、結局陽太を引きずってそのまま親方と一緒にその場からいなくなるのだった。
整備部の面々から貰ったのは、キャンディとチョコレートが二つ。
それから希は友樹のジャケットを着てブラブラと歩く。
友樹のジャケットは希が着ると大きく、袖から手がギリギリ出るくらいで、ワンピースは半分くらい隠れてしまった。それでも希は嬉しそうな笑みを浮かべ、柘榴に茶化されながら顔を赤くしていた。
あ、と声を上げた柘榴が喫煙室の中を覗き込む。
「柊さん発見!」
室内にいるのは柊一人だけで、煙草を吸ってぼんやりしていた。柘榴がガラス張りのドアを割りそうな勢いで叩けば、驚いて振り返った。
手だけで、出てこい、と合図する柘榴を希と共に見守れば、観念した柊が廊下に出てきた。
「「トリック オア トリート!!!」」
「…本当に、着替えたんだね。冗談だと思ってたんだけどさ」
驚きと戸惑い、それから呆れている柊に返す言葉はない。まさに冗談であって欲しかったのは蘭の本音。
「前置きはいいから、お菓子を頂戴。柊さん!」
「お菓子、お菓子なぁ」
柊は考えるような素振りをして、ポケットの中を探す。とりあえず着ていた服の全てを探って、最後の胸ポケットから何かを取り出した。
「はい」
「えー、ハッカ飴、苦手なのに」
文句を言う柘榴の言葉にから笑いをしつつ、柊は蘭と希にも同じ飴を手渡した。
「ありがとうございます。柘榴さん、好き嫌いは駄目ですよ?」
「そうよ。柘榴」
柊にはお礼は言わず、希の言葉に便乗する。渋い顔をしていた柘榴は、唸りながら言う。
「そんなこと言って。蘭ちゃんは、ハッカ飴食べれるの?」
不意に聞かれた質問に、蘭は明後日の方向を向いて口を閉ざした。
本当は苦手、なんて言えば希になんて言われるか、容易に想像できる。何も言わないことで肯定してしまったもののようなのに、何か言わなければと口を開く。
「た、食べられなくはないわよ」
「蘭ちゃん、声が裏返っているよ」
「二人とも、好き嫌いは駄目ですからね」
頬を膨らませた希に注意されて、柘榴も蘭もしゅんとする。
暇になった柊はそんな三人の様子を守っていたが、煙草を取り出して一言。
「そういえば、訓練室に暇そうな浅葱くん達がいたよ」
「じゃあ、今度は浅葱達だ!」
行くぞ、と言って柘榴が歩き出す。希も楽しそうに歩き出したので蘭も重い足を引きずって歩き出す。正直まだこの格好で歩くことに、少し抵抗がある。
けれども、一人で部屋に帰る途中で誰かに見られることが恥ずかしいので、このまま付いて行くしかない。小さなため息を漏らした蘭達の背中を微笑ましげに見守った柊は、そっと喫煙室へと戻るのだった。
「「トリック オア トリート!!!」」
「うわ、本当に来た」
「魔女?」
「皆似合っているね」
訓練室を開けた途端に叫んだ柘榴と希。その後ろから部屋の中に入って来た蘭達を見て、三者三様の驚き方をされる。自分の椅子に座って呆れ顔の浅葱、その傍の椅子に座っている表情の変化が乏しい蘇芳、それから何故か机に腰かけて楽しそうな顔の鴇。
柘榴と希はさも当たり前のように浅葱の前まで行くと、迷わず手を差し出す。
「「トリック オア トリート!!!」」
「なんで、俺に二回言うんだよ!」
勢いよく立ち上がって反論する浅葱に、首を傾げながら柘榴と希は言う。
「いや、浅葱が一番お菓子くれなそうだから?」
「なんとなく、柘榴さんに倣ってでしょうか?」
「何だよそれ…」
浅葱にねだった意味は特にないらしく、その答えに肩を落とす。
「まあいいじゃん。浅葱、お菓子ちょーだい」
あはは、と笑いながら柘榴が繰り返すので、浅葱は諦めたように机の中を探った。探し物はすぐに見つかり、並べられたお菓子が三つ。
「ほら、好きなの取れよ」
「ありがと!」
「ありがとうございます」
思わずお菓子を凝視してしまった。並べられたお菓子、カボチャ型の手作りクッキー。御丁寧に包装までされているお菓子は市販の物とは思えず、浅葱が作ったのか、凄く気になるけど聞かない。
凄い、凄い。と手に取って騒ぐのは柘榴と希。
「ほら、チビも取れよ」
「…言われなくても」
小さく呟きながら、お菓子を貰う。流石に柘榴や希のように素直に喜べないが、蘭だってお菓子を貰えることは嬉しい。
少し笑みを零した蘭。そのタイミングを見計らってか、近くにいた鴇が身を乗り出して言う。
「んじゃ、これは俺から」
「俺も」
蘇芳と鴇が立ち上がって、浅葱の机の上にお菓子を並べた。蘇芳は市販のよく見かけるスナック菓子で、鴇は何故か缶ジュース。
缶ジュースを見つめた柘榴が問う。
「お菓子?」
「あ、俺用意するの忘れていたから、冷蔵庫に入れてあったやつを持って来た」
「なるほどね」
「お二人ともありがとうございます」
納得した柘榴と深々とお礼を言った希。
それからすぐに柘榴を中心に会話が盛り上がるので、蘭は適当に相槌を打つ。内容は服装について、可愛いと褒め称えるのは主に鴇。
このまま六人で盛り上がってもいいが、ふと蘭は口を挟むことにした。
「どうして皆、お菓子を用意していたの?」
「はあ?知らねーのか、チビ。こいつらが昨日、食堂で騒いでいたのを」
「昨日?」
浅葱が言った言葉を考える。
知らない。
食堂でハロウィンの話をした覚えはない。そう言えば、昨日は早くシャワーを浴びるために先に席を外したが、その後に話したのかもしれない。それしか思い浮かばないが。
じろりと、柘榴と希の方を見れば、蘭の方を見ないように顔を背けていた。
「いや、ほら。蘭ちゃんに言うと止められるかなって?」
聞かないで、と言わんばかりの態度なので、今度は希に視線を送る。
「お、驚かそうと思ったのですよ?」
柘榴も希も疑問形で答えるので、怒られることを予想していたのかもしれない。
「…別に、怒らないわよ」
ため息交じりに、蘭は呟いた。もう振り回されることには慣れてしまった。これくらいなら怒っても仕方がないことだと、諦めている。諦めた方が早い、とも学んでしまった。
蘭の許可が下りたので、満面の笑みを浮かべた柘榴は手を叩いた。
「じゃあ、クリスマスパーティーもするから。蘭ちゃんも準備をよろしくね」
「ちょっと待ちなさい!準備って何よ!聞いてないわよ!」
「もう決定!希ちゃん、次は医務室だ」
「そうですね。行きましょう!」
「いえーい!」
勝手に決定して、勝手に盛り上がって、勝手に蘭を置いて行こうとする。
「待ちなさいよ!」
そんな二人の後を、蘭は迷うこと追いかけた。
残された浅葱は、蘭達がいなくなってから深く息を吐く。
「普通、ハロウィンなんてするか?」
「と言いつつ、夜中にカボチャのクッキーを作っている浅葱も、普通じゃないけどね」
自分の椅子に座った鴇が呆れながら言えば、浅葱は首を傾げて問う。
「ハロウィンは、カボチャ関係のお菓子じゃないといけないんじゃないのか?」
浅葱の答えに、違う、と否定するのも面倒な蘇芳は口を閉ざし、鴇は無言で笑みを浮かべることしか出来なかった。
「「トリック オア トリート!!!」」
医務室のドアを開けた瞬間に、叫ぶ。もうこれで何度目か、蘭は考えるのは止めた。
「はいはい。そこにあるお菓子を持って行ってね」
香代子は机に向かって、忙しそうにペンを動かす。真剣な表情で、素っ気ない対応。
「…香代子、意外とあっさりね」
今までの人のように構うことなく、こっちを見てもくれない。
「香代ちゃん先生、忙しいの?」
出来るだけ静かに部屋の中に入り込む。お菓子に手を伸ばした柘榴が問えば、香代子の身体が一瞬だけ止まった。次の瞬間にはシャーペンを持ったまま、机を思いっきり叩く音が部屋に響いた。
驚いて身体を震わせたのは蘭だけじゃない。
ゆっくりと香代子の視線が蘭達の方へと向けられた。
「書類を急いで書かないといけなくてね。誰かさん達が、怪我が多いから」
今まで聞いた中で一番低い声。何も言い返せない。誰かさん、とは間違いなく蘭達のこと。
お互いの視線が絡まったのはほんの一瞬で、ほぼ同時に頭を下げる。
「「「失礼しました」」」
退散した方がいいと感じたのは蘭だけじゃなかった様子。お菓子と言ったものを持って、逃げるように廊下に飛び出す。
廊下を歩きながら、最初に口を開いたのは肩を落とした柘榴。
「まさか、香代ちゃん先生のお菓子が…」
「そうですね…まさかこんなお菓子とは…」
「と言うより、二人とも。これをお菓子とは呼ばないわよ」
これ、と言いながら横に振る。香代子が用意して、お菓子と称したもの。
「どう見ても栄養ドリンクのこれを、どうしてお菓子と言うのよ」
「いや何となく」
柘榴の言葉に、希も苦笑いを浮かべつつ頷く。
律儀に三色のリボンで結ばれた栄養ドリンク。これはむしろ、今の香代子の方が必要としている気がしてならない。
「…まあ、気を取り直して。次、行こうか?」
「そうですね」
「あと、どこに行くのよ」
だいぶ溜まってきたお菓子。貰うだけ貰って、蘭達は一切お菓子を配っていない。貰うだけでいいのか、今更気になって来るが、柘榴と希は、まだまだ、と意気込んだ。
それから夕食までの時間。飛行船内を探索だ、と宣言した柘榴と希と共に、ぐるぐると歩き回ることになってしまうのだった。
いつもより早く到着した食堂。
夕食の時間にはまだ早いので、人影はない。そんな食堂に堂々と入り、柘榴が先頭切ってカウンターに座った。奥にいるはずの人物の名前を叫べば、出て来たのは結紀。
「本当に来たのかよ…どんだけ貰ったわけ?」
「廊下ですれ違った人にも貰ったから、大量?」
首を傾げた柘榴と同じように、希も蘭もいつもの定位置に座る。柘榴が持っていた籠の中身を見せれば、結紀は、呆れた、と小さく呟いた。
「そんなにお菓子貰ってどうするんだよ」
「今日の夜に、女子会をするの!」
又もやとんでもないことを言い出した柘榴に、蘭は頭を抱えることしか出来ない。
「私、その話は聞いてないわよ」
「だって、今決めたから」
お調子者の柘榴は、いつだって唐突だ。文句の一つでも言いたいのに、その前に美味しそうな匂いがカウンターまで広がった。焼いたカボチャの甘い匂い。
「キャサリンは、奥?」
「そう。今、お前らのためにパンプキンケーキを焼いてる」
「それはとても楽しみですね」
同意を求めて希が嬉しそうに笑いかけるので、思わず蘭も頷いた。パンプキンケーキも楽しみだけれど、柘榴はとりあえず目の前の結紀に右手を差し出した。
「それより、結紀。トリック オア トリート!!!」
「はいはい。どうぞ」
掌に置かれたのは、植物の種。一瞬でそれが何の種か見抜いた柘榴は、不満そうに口を尖らした。
「なんでカボチャの種なの?」
「意外と酒のつまみに丁度いいぞ?加熱してあるから、そのまま食えるしな」
説明をしつつ、蘭と希の掌にも数個置いた結紀は得意そうに言った。
「結紀さん。私達は未成年ですよ」
「そうよ。お酒なんて飲めるわけないじゃない」
少し頬を膨らませて言えば、冗談冗談、と言って結紀は笑った。最初の頃を考えれば、まさかこんな風に仲良くなるとは思わなかったな、と蘭は一人思いながら椅子に深く腰掛け直した。
「はーい!お待たせ、ケーキ焼けたわよ」
明るい声と共に、奥からパンプキンケーキを焼き上げた大輔が出てきた。出来立てのパンプキンケーキはほかほかで、真っ白な湯気を出している。
オレンジ色のカボチャのパンケーキ。ホールケーキほどの大きさ、全部で五枚。
「うわ!美味しそう」
「焼き立てですね!」
「さすが…大輔」
「蘭ちゃん…本名で呼ばないでよ。それより、三人とも私に言う台詞はないのかしら?」
柘榴と希、蘭の顔を楽しそうに見渡して、今日だけで何回も繰り返した言葉を待っているキャサリン。言わないとくれないのだろう。柘榴と希が、せーの、と声を出す。
「「トリック オア トリート!!!」」
「…トリック オア トリート?」
ようやく蘭も、その言葉を言った。柘榴や希のようにはっきりと言うことは出来なかったが、それでも大輔は満足そうにパンプキンケーキを切り分けていく。
六分の一の大きさを一つ一つ盛り付けて、生クリームまで盛られた皿は、まるでお店のような出来栄えに見える。
「はい、どうぞ。召し上がれ」
「やったー!」
「いただきます」
「柘榴、落ち着きなさいよ」
そう言いつつ、蘭もケーキを口に運ぶ。甘すぎず、南瓜の甘さが十分口の中に広がる。美味しい。
「「美味しい!」」
柘榴と希が声を揃えて言う。蘭も同じことを思ったが、先に言われると言いにくい。それを見抜いた大輔は、蘭の方を見て問いかける。
「蘭ちゃん、お味はどう?」
言わないといけない、雰囲気。少しだけ間を置いて、それから言う。
「美味しいわよ?」
「そう、それならよかったわ」
疑問形だった蘭の答えに満足したようで、大輔は嬉しそうに笑ってお茶を配り始める。
夕食前だと言うことも忘れて、蘭達三人は思う存分食べる。大輔のパンプキンケーキを満喫して、幸せな時間を過ごすのだった。
「それで、大体回ったのかしら?」
最後まで食べていた希が食べ終わったのを見計らって、大輔が問いかける。途中姿を消した結紀はいつの間にか戻って来て、空いていた椅子に座っていた。
「そうですね。大体は回りました。あ、でもキャッシーさんは見つかりませんでした」
「そうそう、キャッシーだけはまだなんだよね」
柘榴が頷く。
「キャッシーさんは、お忙しいのでしょうか?」
「いや、そんなことないだろう。ほら、話をしていると…」
途中まで喋った結紀が、食堂の入口を指差す。全員の視線が入口に集まった。
カメラを構えたキャッシーは確かにいた。多少、いや随分と息が荒いのは蘭の気のせいではない。
「柘榴ちゃん、希ちゃん、蘭ちゃん!もう、可愛い!!!」
そのまま、猪の如く突進する勢いでカウンターまでやって来る。いつもなら間違いなく希に抱き付くだろうと思っていた柘榴がお茶を口に含んだ瞬間、洋子は後ろから勢いを止めることなく抱き付いた。
「っんぐ!」
「あ、柘榴、大丈夫か?」
「んご、っほ…うえーい」
洋子の攻撃でむせた柘榴は、苦しそうに首を縦に振り無事を示す。それからお茶を飲み、落ち着いたところで柘榴はバッと振り返って叫ぶ。
「ちょ、なんで今日は私なの!?離れて、キャッシー!」
「だって、希ちゃんったらジャケット着ているんだもん」
「えへへ」
何故か照れたように顔を赤らめる希。その姿を見た洋子はすぐさま柘榴から離れると、カメラを構えて瞬く間に写真を撮る。
「可愛い!可愛いわよ、希ちゃん!もっとこっち向いて!」
「アイドルか」
「もう、この際ジャケットありでいい!少しはだけていれば、もっといい!」
「変態ね」
一度目の柘榴のツッコミは無視された。二度目の蘭の冷たい言葉も聞いちゃいない。
希の写真を何十枚も撮り、満足した洋子は柘榴や蘭の写真まで撮り始める。カメラ目線で写真を撮らせた柘榴とは違い、蘭は一切カメラを見ていないのに、洋子は嬉しそうに写真を撮り続けた。
さて、と満足するまで写真を撮った洋子は、いつの間にかいなくなった結紀が座っていた椅子に腰かける。大輔と結紀は夕食作りをしているようなので、食堂にいるのは四人だけ。
「それで、私には魔法の言葉を言ってくれないのかしら?」
十分に撮影が出来て満足した洋子が首を傾げながら尋ねた。
「あ、そうだった」
「あまりに、写真を撮られ過ぎて忘れていました…」
冷めきったお茶を飲みながら、希が言った。柘榴も忘れていた様子に、蘭は呆れる。
「言えばいいんでしょ。言えば」
さっさと終わらせようと、蘭は素っ気なく言った。蘭が柘榴に視線を送る。それを受けて、柘榴と希がせーのと声を上げる。
「「「トリック オア トリート!!!」」」
初めて三人の声が揃った。蘭だけ少し小さく棒読みだったが、洋子には関係ない。待っていましたと言わんばかりの顔で、口を開く。
「悪戯希望で!」
目を輝かせた洋子に即答されて、蘭は頭を抱える。
「どうしよう、希ちゃん。悪戯は考えてないや」
「そうですね…どうしましょうか?」
真面目に考え始めた柘榴と希に、洋子はとても嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「何でもいいわよ、どんな悪戯でもされちゃうわよ!」
嬉々として答える洋子。カウンターの奥からそれを見た結紀の顔は、若干引いている。
「…そこまで言うと、変態みたいだな」
その声は聞きとれなくてもおかしくないくらい小さな声だった。にもかかわらず、洋子は結紀を睨んでバッサリと言う。
「死ね、消えろ、結紀はこの場から消えろ」
「なんで、二回言ったわけ!」
洋子の温度差は激しい。カウンターの上に置いてあった調味料を投げつけて結紀を退散させる。後で誰が割れた調味料の入れ物を片付けるかは、今は考えない。
はあ、と深いため息を漏らした洋子は、眉間に皺を寄せた。
「本当に結紀見ていると…イラつくわ」
「キャッシーさん、結紀さん以外の男性でもあまり好きではないですよね」
まあね、と言いつつ、洋子は言葉を続ける。
「一番嫌いなのは柊だけどね」
「へえ、そうなんだ。どうして?」
気になっているのは柘榴も同じ。
「色々あるのよ、色々」
そっと呟いた洋子は誰もいない空間をぼんやり見つめる。それ以上聞くなと言う雰囲気を読み取り、誰も何も言わない。
「それより、ほらほら、悪戯頂戴!」
「そうですね…えいっ」
隣に座っていた希がまずは洋子のおでこに、一回デコピン。それを見た柘榴も、立ち上がって洋子の傍に行く。
「じゃあ、私も。やあ!」
「希ちゃんより、痛いわよ…」
同じ場所に二度デコピンされた洋子は両手で擦り、痛さを紛らわそうとする。涙目で蘭を見ながら、問いかける。
「蘭ちゃんも?」
「そうね…そう言う感じの悪戯がいいのよね?」
「いや、でも痛くない悪戯がいいなぁ」
洋子のお願いを聞くつもりはない。ゆっくりと椅子から降り、洋子の方に近づく。歩きながら、蘭の顔には笑みが浮かんだ。
「歯を食いしばりなさい。洋子…エグマリヌ」
蘭の声に答えて、短剣が現れる。
「ええ!ちょっと蘭ちゃん。その目は本気でしょ!本気は止めて!」
「待ちなさい、洋子!」
蘭の意図に気が付いた洋子は、身の危険を察知して逃げ出す。思いっきり頭を叩いてやろう、と蘭は洋子を追いかける。本気で追いかけたら蘭の方が早いが、少し遊んで追い回す。
「お菓子渡すから!追いかけないで!」
「お菓子はいらないから、叩かれなさいよ!」
何故か始まった、蘭と洋子の鬼ごっこ。
蘭が洋子を追いかけ回すのを、希は笑いながら見守って。
結紀が持って来た夕食を食べるのに夢中の柘榴が、蘭の分まで手を出して。
それを見た蘭の怒りが、柘榴の方へ向るのは数分後。
いつもの騒がしい日々が、今日も終わるのだ。




