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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
小噺
31/59

001 柊と洋子、時々大輔

 洋子、又の名をキャッシーと言う女性は、いわゆる男嫌いである。

 そのせいで各部署を転々と移動している、との噂は有名だった。情報収集の能力が高く、合気道の達人。それ以上に目立つ要因と言うのが、誰もが目を奪われる美貌。金髪の髪をなびかせた姿は幻想的だと、誰かが言っていた。

 まあ、セクハラまたはパワハラをしようとした男が翌日には家の前で半殺しにされた、と言う噂も同じくらい有名な噂である。

 そんな部下を持つことになってしまった柊は、一人で廊下を歩きながらぼやく。

「全く嬉しくない話だよ。本当に」

 突然本部の特別部署に配属された挙句、その下に付く部下が二名。

 一人は先程から頭を悩ませる女性、洋子。美人は好きだが、噂通りの人物だと関わらない方が賢明であると認識していた人物。

 もう一人は、普通にどこにでもいそうな青年、結紀。訓練生の中でもかなりの曲者だと言う噂を聞いたことがある。結紀の方とはまだ仲良くなれる気がしても、もう一人洋子とは仲良くなれる気がしない。

 好きで特別部署、ラティランスと戦うための情報収集係に任命されたわけではない。

 好きで二人と同じ職場になったわけじゃない。上からの命令なのだから逆らえないが、逃げられるなら逃げたいのが本音である。

 持っていた紙を読んだのはつい先程。二人の履歴書に目を通したのも、つい先程。

 肩を落としながらため息をついたのは、もう何度目か分からない。

「適当にばっくれようかな…」

 出来れば洋子には関わらない方向で仕事がしたい。無理な話だろうな、と思いつつ、新しい職場である部屋に向かって歩くしかない。

 今日の夕飯は何だろうか。

 早く休みが欲しい。

 なんて途中から呑気なことを考えながら歩いていた柊の足は、一つのドアの前で止まった。

「ここか」

 真新しいドア、金のドアノブ。深く深呼吸を繰り返してから、そのドアをゆっくり開けた。

 ドアを開けた途端に目に入ったのは、机が三つの小さな部屋。そこまで広い部屋ではないが、エアコン付きでテレビや冷蔵庫まである。

 入口近くの机に結紀が座っていて、柊と目が合った途端に軽く会釈した。洋子の方は机にうつ伏せになったまま、顔を上げることはない。

 誰も何も言わなそうなので、柊は言葉を濁しながら言う。

「ああ、えーと。柊だ。これからよろしくな」

「よろしくお願いします、柊さん。結紀です」

 はきはきと述べた結紀は、すぐに立ち上がって敬礼した。若いな、と思ってしまった自分はもう年であろうか。爽やかな笑顔を浮かべているが、内心何を考えているか分からない。

 そのせいでかなりの曲者、と言う噂が流れているのだろうか。

 結紀の視線が目の前の机にいる人物へと注がれる。洋子は未だ動かない。

「えーっと、洋子くんの方もよろしくな」

 一応声を掛けるべきかと思って、明るく声を掛けてみた。柊の声に、洋子がゆっくりと顔を上げる。

 目の前で直接顔を合わせると、確かに納得のいく美人。その顔の眉間に皺が寄り、これでもかと言うほど睨んだ洋子が口を開く。

「話しかないでよ。耳が腐る」

 一瞬で、場の空気が固まった。

 柊の笑顔も固まり、結紀の顔も固まった。結紀に至っては、その顔に怒りを浮かべているように見えなくもない。イラっとしているのだと伺える。

 それっきり洋子はもう一度顔を伏せ、寝てしまった。

 やっぱり厄介だ、と思わずにはいられなかった。



 それから数日。

 仕事はこなす。真面目で早い。それなのに、態度が酷い洋子。

「…どうやったら、洋子くんと仲良くなれるかな?」

「聞かれても答えられませんよ?」

 洋子がいないのをいいことに、柊が結紀に訊ねても答えは見つからない。結紀は何度か会話を試みようとして返り討ちに合っているせいか、苦手意識がある様子。

 結紀の曲者と言う噂は、噂でしかなかった。どちらかと言えば不真面目で、けれども実力はあるから、厄介者にされただけのようだった。

 むしろ柊と似ている所がある。そのせいか、結紀とは意外と馬が合う。

 なので、一緒に仕事をさぼって話す。

「俺、前に『死ね、くたばれ、とっとと消えろ』の三拍子で言われましたから」

「うわー、威力大きいそうだね。それは…」

 あの美女にそこまで言われたら、落ち込むだろう。お互い缶コーヒーを飲みながら、結紀は不思議そうに言う。

「なんで、男嫌いなんですかね?」

「結記くん、聞いて来てくれない?」

「無理。てか、嫌です」

 時々結紀は敬語を外して話す。それは無意識のようで、本人は気付いていない。

「そういうのは柊さんの仕事でしょ?俺の仕事じゃないですし」

「そう言うところ、あっさりしているよね」

 結紀の方も与えられた仕事しか基本的にはしない。

「あ、そろそろあの人帰って来そうなんで。俺は少し席外しますね」

「仕事は…まあ、終わっているよね?」

 柊の質問に無言で首を縦に振り、楽しそうな笑みを浮かべて結紀は軽やかな足取りで部屋を出て行った。結紀が逃げ出す頻度が増えている気がしてならないが、それを止める柊ではない。

 数分も経たない内に、洋子は部屋に戻って来た。いつも通り眉間に皺を寄せたままで、柊の方など見向きもしない。

 無言の空気も嫌なので、とりあえず話しかけてみる。

「洋子くんって、なんで男嫌いなの?」

 結紀と話していた内容が、思わず口から零れてしまった。言ってから後悔の冷や汗が流れ始める。

 まずい、と感じたのは洋子の手が止まって、思いっきり睨まれたからだ。いつも睨まれているが、その比ではない。鬼の形相、と言わんばかりに柊を睨む。

「…関係、ないじゃない」

 苦々しく言い、唇を噛みしめたかと思うと、顔を伏せ力任せに机を叩いた。

「ご、ごめん。でも、いい加減仲良くしたいと言うか。何と言うか…」

 段々と小さくなっていった言葉。

「…男なんて、信用出来るはずがないでしょ」

 消えるような小さな小さな声だった。聞き返す前に洋子は立ち上がり、それ以上何も発せずに部屋を飛び出した。力任せにドアを閉めた音だけが、部屋に響く。

 『死ね、くたばれ、消えろ』のどれかを言われることが多いし、悪態をつくことも多いけれども、さっきの一言だけは本心だろうと言うことがよく分かった。

 男なんて、と言う声がまだ耳に残っている。

 女になることは叶わないが、女っぽい格好は出来るのか。なんて考えながら、柊は一人きりで部屋の中をぐるぐると回り出すのだった。


「…で、実践してみたんだが」

「ちょ、柊、さん。俺、を。笑い殺す気、ですか」

 結紀がいつものように朝一番にドアを開けたら先客がいた。

 見慣れない人だな、と笑顔を浮かべようとしてそれが誰か気が付き、それから結紀はずっと笑い続ける。腹筋が痛い、と言いながらも笑うのを止めない。

 結紀が笑いを止められないのも無理はない。

 ドアの真正面で、ドヤ顔で、スカートを穿いて化粧までしている柊。

 女装、と一言で言ってしまえばそう言うことだ。

 どうしてこうなった、と言う言葉を飲み込んだ結紀は、腹を抱えつつ尋ねる。

「な、なんでそんなこと、してるんすか?」

「洋子くんと仲良くなろうと思って」

「普通なれないでしょ!?」

「えー、そうかな?可愛いだろう」

「可愛く…ねーよ!有り得ねー!」

 再び笑い始めた結紀に向かって、柊は頬を膨らませ不満そうな顔をして見せた。自分ではそこそこ似合っている、と思うだけにここまで笑われると不本意な結果である。

 そうしている内に、洋子が来る時間になった。

 どうよ、と言いながらポーズを決めていた柊とそれを見て笑う結紀の姿に、洋子はドアを開けた瞬間に言葉を失った。

「…は?」

 ポカンと口を開け、意味が分からないと表情で柊を見つめる。

「おはよう、洋子くん。どう?似合う?」

 ドアの前で驚いて固まったままの洋子に、笑顔を浮かべて近寄る。何も言わないので、柊は得意げに話し出す。

「いやー、女装って難しいね。化粧とか初めてしたよ」

「…な、なんで女装してるのよ!馬鹿なの!!頭、おかしいの!!」

「可愛いだろう?」

「可愛くないわよ!というか、似合わな過ぎ…て」

 口元を押さえて、必死に笑いを堪えようとしている。笑いを耐えようとする声が漏れ、別のポーズを取ったのが合図だったように、洋子は声を上げて笑い出す。

「あは、っはは。もう、なんで兄と一緒のことを、はは」

 お腹痛いわ、と少し涙目になりながらも言う。

 初めて洋子の笑った顔を見た。それが嬉しくて、柊は調子に乗ってもう一歩近づく。

「ちょっと、その格好で。ちか、近づかないで」

「ほら、可愛い。可愛い」

「可愛くないっつーの!」

 やり過ぎた、と気が付いたのは、瞬く間に投げ飛ばされた後のこと。

 投げ飛ばした本人が心配そうな顔で見下ろしていたのを最後に、柊の意識は遠くへ飛んでしまったのだった。



 洋子が男嫌いになったのは、中学生の頃にしつこくストーカーされたことが原因だったそうだ。あまりにもしつこく、当時は精神的にも病んでしまうほどで男性恐怖症になったらしい。警察も動いてくれず、頼りになったのは母親だけ。

 別居中の父親も、血の繋がった兄でさえ恐怖の対象で、話をするのも顔を合わせるのも駄目なくらい、酷かったのだと言った。

 そんな時、兄の大輔が女装をして洋子の前に現れたらしい。

 驚きと困惑、そして柊がしたように笑わせてくれたのだそうだ。おかげで少しずつ男性恐怖症を克服していったが、それでも男は好きになれなかった。

 そう言って、洋子は申し訳なさそうな顔で柊に説明してくれた。

 洋子に投げ飛ばされたために医務室に運ばれた柊は、ベッドの上でその話を聞いた。

 投げ飛ばしてごめんなさい、と洋子はもう一度頭を下げて謝った。



 柊の女装騒動から二年。

 洋子はあの日から少しずつ柊に心を開いてくれるようになった。悪態は減らない、寧ろ扱いは酷くなったが、よく話すようになった。

 結紀は洋子によくこき使われるようになり、たまに楽しそうな顔を見せる。

 蘭、と言う少女が仲間に加わったのは、この時期。

 歳が離れているし、難しい年頃なので仲良くなるのは洋子より時間が掛かりそうだ、と柊は頭を悩ませる日々が続く。

 そんな、あの日。

 洋子の兄、大輔が本部にやって来た。

「あら、貴方がキャッシーと仲良くなった上司さん?」

 初めて食堂で会った時の衝撃は半端ない。化粧をしっかりして、スカートをはいて、がっしりとした筋肉のある、男。間違いなく、男である。

 顔を合わせたことは、ない、と思う。

「…どちら様でしたっけ?」

 カウンターの奥から顔を覗かせ、席を探していた柊に声を掛けた男性は、にっこりと笑って言う。

「あら?聞いてないかしら、キャッシーこと洋子の兄の大輔よ。でも、名前では呼ばないでね。キャサリンって呼んで」

 語尾にハートマークが付きそうな言葉に、柊が一瞬気を失いそうになる。ついでに持っていた夕飯も落としそうになった。

 洋子に兄がいたことは知っている。その兄が、そろそろ本部に来ることも洋子から聞いていた。けど、聞いてない。

 未だ女装をしている兄だとは、聞いていない。

「あら、キャサリン。今日からだったかしら?」

「キャッシー!少し久しぶり?貴方ますます綺麗になったわね」

 柊と一緒に食堂に入り、遅れて登場した洋子が近くまで来た。会話の内容だけ聞けば、女同士の会話に聞こえないわけでもない。が、なんかおかしい。

 声の高さが、おかしい。

 見た目が、どこかおかしい。

 呆然としたまま会話に入れず、暫くの間、兄妹の話をただ黙って聞いていることしか出来なかった。


 それからキャサリンのお願いで結紀を食堂に飛ばすまで、あと一年。

 柘榴と希と出会うまで、あと二年。

 出逢いは、まだまだ終わらない。 

 

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