29 モノローグ蒼
飛行船が着陸した。
街に行くことなく飛行船の中にいた蘭。廊下の奥から真面目な顔で下を向いて、紙を見つめながら歩く希の姿を見つけて声を掛ける。
「希!」
「あ、蘭さん!助かりました」
ぱあっと顔が明るくなった希が顔を上げ、嬉しそうに駆け寄る。
起きたばかりなのだから、走るな、と言いたくなるが、希は元気よく走る。
「具合は大丈夫だったの?健診してもらっていたんじゃないの?」
「異常なしと言われました。特に問題もないから、と。それで自室を探していたのですが、迷子になりまして」
困った表情を浮かべ、首を傾げた希。迷子になるほど複雑な造りにはなっていないはずだが、丁度蘭も暇だったので提案する。
「私でよければ、簡単に案内しましょうか?」
「よろしいのですか?」
「ええ」
微笑んだ蘭。優しい笑みを浮かべながら、一歩踏み出す。
「まずは訓練室よね、それから…」
「えへへ」
蘭の隣を歩く希は心底嬉しそうに、笑っていた。何も面白いことなどない、蘭は首を傾げて問う。
「どうしたのよ?」
「嬉しくて、それから楽しいのです」
希はステップしそうな勢いで、軽い足取りで進む。
「あ、途中でキャッシーさんや整備部の方にも会いに行ってもよろしいですか?」
「いいわよ」
「ありがとうございます」
本当に嬉しそうに、楽しそうに希は表情をコロコロ変える。そんな希の傍にいると、蘭まで楽しくなってしまう。
希が目を覚まして、本当によかった。
希を整備部に預け、蘭は先に自室に戻った。
特に何も考えず、ドアを開けた部屋の中。部屋の真ん中に、突然の先客がいた。
「…よかった。間に合いました」
「可子、で間違いないわよね?」
可子、と会うのは初めてだ。可子は、ただ立っていた。微かに笑みを浮かべているように、見えなくもない。その右腕が取れて機械の中身が見え隠れする。服があると言えども、服もボロボロ。
まるで戦闘後のような、そんな格好。
「なんで――」
「とりあえずドアを閉めてください。それから時間がないので黙って話を聞いていただけませんか?」
一瞬で表情を消した。その瞳は真剣だった。従うのは癪だが、言われた通り静かにドアを閉める。
その途端、可子は音を立てて、床に膝をついて倒れそうになる。
「ちょっと!」
慌てて駆け寄る。駆け寄った蘭の服を引き寄せるように握って、苦痛そうな表情を浮かべて可子は早口で話し出す。
「時間がないのです。エメラルド以外の人間には持ち出せぬように隠していた宝石は、私が小さな村に隠して置いた宝石は、すでに貴女方が回収しました。それは後で歩望様に破壊していただこうと思っていた宝石。でも、それが叶わなかった宝石の欠片です」
フッと一息をついたのも束の間、また可子は口を開く。
「ガーネットの原石を破壊したのは、私です。すでに契約者がいたので、意図も容易く破壊してしまったのです。優作様に頼まれて、でも歩望様にそれを言えなかった。嫌われたく、なかった」
服を掴んでいた力が少し弱まって、顔を伏せた。
そのまま黙った可子に、蘭は恐る恐る問う。
「どうして、私にそんなことを言うの?どうして、貴女は今ここにいるの?」
「…最初に言いました。時間がないのです。私はもうすぐ、消えます――」
段々と小さくなった声を、何とか聞き取った。
「分かるんです。少しずつ、私の力は希様の中にあるエメラルドに奪われています。希様が力を望めば望むほど、私はこのままではいられない…」
だから、と言って可子は蘭からそっと離れる。
「誰かに伝えたかったのです。消える前に、誰かに、私は――」
「…可子?」
掠れた蘭の呟きは、可子の耳には届かなかった。
その代わりに可子はゆっくりと左手をポケットに運ぶ。ポケットの中にあった小刀を取り出すと、迷うことなく自らの身体に突き刺した。
止める暇なんて、なかった。何も出来なかった。
「止めなさい!」
「これ、から、は…本来の、ち、から、で――」
蘭の方へと倒れこんだ可子は、息絶え絶えに言った。瞳の光が失われていく、身体が淡い緑の光を放ち始める。
「しあ、ワ、せ、二――」
動かない身体で、それでも可子は最期まで何かを言おうとした。
可子の身体は砂と化して、蘭の目の前で消えた。
幸せに、と願った可子の想いは、確かに蘭の心に響いた。
それはほんの数分間の、幻のような出来事だった。




