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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第5章
28/59

27 決意編

 ボロボロの柘榴が気を失った希を連れ帰った日。

 帰って来た柘榴も、一緒に行った結紀や巻き込まれた友樹も皆怪我が酷かった。痛々しい傷と、持ち帰ったUSB。

 その中に詰まっていた悲しい真実。

 待っていることしか出来なかった蘭は最初こそ笑顔で出迎えたが、それからの日々はどんな顔をすれば

いいのか分からなくなってしまった。

 柘榴と希の笑顔が消えて、居心地が悪い。

 希は未だ目を覚まさずに眠り続けたままだ。怪我は完治しているのに、目を開けない。記憶を取り戻したショックからか、目を覚ますことを拒んでいるのか。それは蘭には分からない。

 柘榴とは毎朝一緒に食堂のカウンターに並んでいるのに、空気が重い。

「…こうも暗いと食欲失くすわね」

「チビ、何とかしろよ」

 蘭の隣に座っていた浅葱は、耐え切れず言った。どうにかしたい気持ちはあるが、どうすればいいのか。無理、と小さく呟いた蘭の言葉に浅葱はため息をつく。

 ここ数日。

 柘榴は作り笑いしかしない。元気がないのは見れば分かる。

 この空気に耐えられない蘭が、浅葱達を無理やり呼んだ。浅葱は始終気まずそうな顔。朝が弱い鴇は食べながら寝そうだからあまり気にしていない。蘇芳は無口で何も言わない。

 そして柘榴は箸が進まず、さっきからぼんやりと食べ続けている。蘭達の声など一切耳に入っていない。この場に希がいないせい、と言うのは一目瞭然だが、あまりにも暗すぎる。

 香代子の判断で、すでに眠ったままの希はすでに飛行船の一室に運ばれている。お見舞いの許可が下りないので、柘榴も蘭も会いに行けない。

 この状況を打破する方法を、誰か教えて欲しい。

 頭を抱えつつ、柘榴の様子を伺いながら蘭は言う。

「柘榴、今日は飛行船に乗って旅立つのよ。いい加減、元気出しなさい」

「…うん」

 頷くけれど、やはりいつもの馬鹿みたいに元気な柘榴ではない。蘭はこれ見よがしにため息をつくことしか出来なかった。


 

 最終チャックも含めて、柘榴と蘭。それから浅葱達を連れて、本部の中を探索することになった。

 空っぽと言う訳ではないが、物が少なくなって寂しい気がしなくもない。

 そんなにいい思い出があるわけでもないのに、こうして離れることになると寂しさを感じてしまう。蘭は無言のままの柘榴の横を歩きながら、そんなことを考える。

「飛行船の中でも訓練だよね。なんか、明日には空の上って実感ないなぁ」

「確かに、鴇の言う通りかもな」

「急がないと、遅れる」

 前を歩く、浅葱達三人の声を聞きながら、蘭は左隣の柘榴を見つめる。どうやったら元気が出るのだろうか。

 柘榴はぼんやりしながら前に進む一方で、全く蘭の視線に気が付いていない様子。

「柘榴…」

「ん、何?」

 名前を呼べば反応して、ぎこちない笑みを浮かべる。蘭では柘榴を元気に出来ない。

 もどかしい。

「…何でも、ないわ」

 蘭が言える励ましの言葉はもう全部言ったつもりだ。そのどれも柘榴の心に届かなかった。これ以上なんて言えばいいか分からず、頭を悩ませる蘭。柘榴はふと足を止めて外を見た。

 柘榴の視線の先に何もない。あるのはグラウンドに着陸している飛行船。

「…蘭ちゃん、来るよ」

 呟いた柘榴の顔が強張った。真剣な眼差しの先に何が見えているのか分からなくて、蘭は首を傾げる。

「何が?」

「おい、チビ!置いてくぞ!」

 気が付けば浅葱達は先に進んでいて、急いで叫び返す。

「ちょっと、待って。今行く――」

 柘榴の腕を掴もうとした。掴もうとした蘭の腕は宙を切り、柘榴は二階の窓に足を掛けると軽く身を投げた。二階から飛び降りた柘榴は、迷うことなく飛行船へと駆け出す。

「柘榴!」

 蘭の呼び止める声は届かない。同時に通信機から聞こえた柊の緊迫した声。

『――ラティランスが現れた。今すぐ飛行船に向かってくれ』

「チビ!ぼさっとするな!」

 咄嗟に返事が出来なかった蘭の腕を、真剣な顔の浅葱が掴んだ。驚いた顔で浅葱を見つめたのは一瞬で、現実に引き戻される。

 蘭には見えなかったラティランスの姿を、柘榴はどうやって感知したのか。

 その答えを出すことはなく、唇を噛みしめた蘭は浅葱の手を振り払った。すでに飛び降りた柘榴の後を追って、二階から飛び降りる。

 見事着地して見せ、その勢いのまま柘榴を追った。

 柘榴に追いつきたいのに、速い。追いつけない。

 必死に走る蘭の通信機から、現状報告が響く。

『ラティランスの数は多いが、一体あたりの大きさは小さい。全員気を抜くなよ』

「ラティランスについて他の情報は?」

 走りながら質問した蘭の言葉に、答えたのは淡々とした柘榴の声。

『蜘蛛の大群。今、飛行船の前に到着したけど…あとどれくらいで接触するかは、ちょっと待って』

 落ち着いて周りを分析しようとしている柘榴。

 柘榴らしくない。

 そう思っているのは蘭だけなのか、呑気な声で鴇が言う。

『げ、俺蜘蛛苦手なんだけど』

『知るか!いい機会だから、克服しろ!』

『無茶言わないでよ、浅葱!』

 通信越しの他愛のない会話。以前は蘭達が交わしていたはずの明るい会話は、今はない。それが悲しくて、辛い。

 すうっと息を吸い込んで、呟く。

「エグマリヌ」

 走りながら出現した短剣を握りしめ、蘭は前を見つめる。

 柘榴は飛行船と蜘蛛の大群の間で一人、立っていた。追いついた、と思った瞬間にまた通信機から柘榴の声が聞こえた。

「我が身に宿りし力、赤く燃える焔は我が化身」

 初めて聞く言葉。近寄ってはいけない空気を感じ、蘭の足は遅くなる。

 一定の距離から柘榴の様子を見守ると、柘榴の言葉に答えるように右手のブレスレットが赤く光り始める。赤い宝石のついたブレスレット、それは蘭がずっと身につけていたピアスのような存在。

「我を燃やせ、グラナート!!!」

 真っ赤な光が、辺りを照らす。あまりの眩しさに顔を背けた。赤い光が一瞬で収まる。そして、柘榴の左手に握られていたのは、右手に持つ日本刀と同じ。焔を纏った、真っ赤な日本刀。

 柘榴の瞳は赤く染まっている。

「柘榴、その力?」

「うん?希ちゃんを助けに行った時に、ドラゴンが与えてくれた力みたいだよ」

「みたいだよ、って」

 なんてことはないような、軽い口調だった。蘭の方など振り返らず、ラティランスである蜘蛛の大群を見て微笑んでいる。

 いつもと違う。

 柘榴はどこか変わってしまった。一歩踏み出したかと思うと、軽く左手を振るって日本刀で一線を引く。日本刀の焔は瞬く間に広がり、飛行船と蜘蛛の間に焔の壁を出現させた。

 三メートル以上の焔の壁は燃え盛り、蘭は言葉を失う。

「っや、やっと追いついた」

「うえ、蜘蛛…」

 息切れする浅葱や顔が青ざめている鴇、それから何も言わない蘇芳が蘭の後ろに到着する。三人の視線の先には、大量の蜘蛛。何十もの黒い生き物がうじゃうじゃ動いている。

 ようやく蘭もラティランスの姿をじっくりと見て、無意識に表情が強張った。

 柘榴の言葉通り、蜘蛛の大群。大きさは二メートルに満たないが、その数が多すぎる。

 多すぎて、その数の終わりが見えない。 

「さて、戦おうか」

 小さくも呟かれた柘榴の言葉を合図に、戦いは幕を開けるのだった。


 何かが、おかしい。

 そう感じたのは、蜘蛛を何体も倒してからのことだった。倒しても倒しても、終わりが見えない。宝石の欠片が地面無数に散らばっていくだけ。

 飛行船と蜘蛛の間の焔の壁の一部、一部だけ焔を掻き消した柘榴が戦闘を開始したのが、つい先ほどのこと。それ以来、浅葱と蘇芳が二人一組で蜘蛛を倒していく。鴇はいちいち悲鳴を上げているが、蘭が守りつつ一応戦力にはなっている。

 蜘蛛の左目に、または右目に埋め込まれた宝石を砕けばすぐに消えてしまうが、随分と数が多くて動きにくい。 

 蘭は戦いながら、近くで戦う柘榴を伺う。

 問答無用で近くの敵から倒して、一撃で数体の蜘蛛が消える。立ち止まることなく戦い続けるのに、横に移動はあっても前に進むことはない。

 柘榴を気にしていたら、蘭の目の前に蜘蛛が襲って来た。思わずバッと短剣を振るったが、避けられて後ろにいた鴇に襲い掛かる。

「ひぃい!…っ蘭ちゃん、よそ見しないでぇええ!」

「あ、ごめん。と言うより、それ以上離れたら死んでも知らないわよ?」

「見捨てないで!」

 数歩離れていた鴇は、慌てて蘭の後ろに戻って来た。蘭が呆然としている間に、臆病な鴇は一歩ずつ下がっていたらしい。戦闘から逃げようとしていた、とも言える。

 折角柘榴と同じ日本刀の武器を持っていると言うのに、鴇は前に出ようとせずに蘭の後ろで蘭が逃した蜘蛛を地味に倒しているだけだ。

 このままずっと、ずっとこの場で戦い続けるには限界がある。

 前に進まなくては、誰かが前に進まなくてはいけない。蘭にも浅葱にも、蜘蛛の大群を突っ切って前に進む力なんてない。せいぜい目の前の敵を一体ずつでも倒していくのが限度である。

 それが出来る人は、蘭の知る限り一人だけしかいない。

 柘榴に行ってもらうしか、ない。

 戦いの最中だけれど、でもだからこそ柘榴と話がしたい。

「鴇、移動するわよ」

「置いてかないで!」

 あまりにも必死な声なので、鴇の左腕を無理やり掴んで、浅葱と蘇芳の方へ移動する。浅葱は近距離になったらダガーで止めを刺し、蘇芳はその後ろで浅葱をサポートしている。

 今の鴇より随分役に立つ二人。

 蘇芳の横に鴇を投げ捨て、蘭は蜘蛛と戦っていた浅葱の横に立った。

「浅葱、少しの間。お願いしてもいいかしら?」

「…明日は嵐か?」

 近くにいた蜘蛛の目を目掛けて短剣を斬りつけ、そのまま浅葱を睨んだ。

「馬鹿言ってないで。話を聞きなさいよ」

 倒した蜘蛛の後ろから、また蜘蛛が湧き出る。背を向けていた蘭が気が付かないので、浅葱が前に飛び出し蜘蛛を倒す。

「んで、何だよ」

「ほんの少しでいいから。時間を稼いで欲しい」

「それくらい簡単だろう」

 馬鹿にするな、と言う顔をされる。

「柘榴も私も、一時戦闘を離脱するけど。本当にいいのね?」

「う」

 浅葱の眉間に少し皺が寄って、それ以上の言葉が発せられない。無茶なお願いをしているのだから、と思い蘭は持っていた短剣を浅葱に押し付ける。

「これ、使って」

「おま!丸腰になる気かよ!」

「そんなわけないでしょう!エグマリヌ!」

 短剣がなくても、蘭には水を操る力がある。突如蘭の周りに無数に現れた水の塊は、銃のように何発も蜘蛛へと放たれる。

 おお、と少し驚いたのは浅葱だけではなかった。後ろにいた蘇芳と鴇も驚く。

「私は大丈夫よ。じゃあ…後は頼むから」

「早く戻れよ」

 小さくも聞こえた浅葱の声に頷いて、蘭は微笑んで一度だけ頷き柘榴目掛けて駆け出した。


 きっと柘榴は今までも、そしてこれからも希を守ろうと戦うのだろう。

 それでもいい。それでもいいけど、と蘭は思いっきり息を吸い込んだ。

「柘榴ぉ!」

 蘭は駆け出すと同時に、柘榴の頭の上に水をイメージする。

 最初の頃は何回も柘榴に声を掛けられたのが、ムカついて水浸しにした。仲間だと意識してからは、馬鹿なことをした柘榴の頭を冷やすために。

 なら今は、柘榴らしく戦ってもらうために。

 日本刀を握って蜘蛛に立ち向かっていた柘榴は、蘭に名前を呼ばれて動きが一瞬止まった。

 体当たりする勢いで迫る蘭は立ち止まることなく、叫ぶ。

「正気に、なりなさい!」

 叫んだ声と同時に、大きな水を柘榴の真上にぶちまけた。



 守らなきゃ、その衝動が柘榴を突き動かしていた。

 託された想いを、願いを叶えられる力がある。

「柘榴ぉ!」

 蘭の叫び声に、柘榴は一瞬だけ反応が止まる。蜘蛛を倒すことに夢中で、でも飛行船から離れたら希にも危険が及ぶのが怖くて、前に勧めなくて、動けなくて。

「正気に、なりなさい!」

 蘭の言っている意味が分からないまま、頭の上に何かの気配を感じて頭を上げた。頭上には大量の水がある、なんて考える間もなく大量の水に襲われた。

「っぶ!」

「いい加減にしなさいよ!」

「へ?」

 呆然とする柘榴に駆け寄った蘭は、その首元を掴んで上目づかいで睨む。怒った顔の意味が分からない柘榴は、ポカンと口を開けた。日本刀を持っていた力が緩み、両手から落ちそうになる。

「エグマリヌ!」

 目の前にいる蘭が声を上げた。蘭の意志によって、柘榴と蘭を守るように水の壁が出現して音が遮断される。蜘蛛の姿が見えなくなる。

 蘭は柘榴を見上げながら、泣き叫ぶ。

「柘榴の馬鹿!何一人で全て背負おうとしてるのよ!」

「らん、ちゃん?」

「希を守りたい気持ちは私にだってあるのよ!私だって、柘榴と希の力になりたいの!一人で頑張らないでよ!無茶しないでよ!力にならせてよ!」

 かっこ悪く泣き叫ぶ蘭。感情を押し殺していた出会った初めの頃の面影は一切なく、ただただ、制御出来ない感情を柘榴にぶつける。

「柘榴が何を考えているのか分からない!分からないけど…仲間外れにしないでよ」

 消えるような蘭の願いが、心に響く。

 同時に心が揺らいで、無意識に上がっていた肩の力が抜けた。

 蘭を仲間外れにしたつもりなんてなかった。

 ただ、希を守りたくて。

 でもどうして、一人で希を守らなきゃだと思い込んでいたんだろうか。

 どうして、誰かを頼ろうと思えなかったのだろうか。

 柘榴の周りには蘭がいる。蘭だけじゃなく、結紀も柊もキャッシーもキャサリンも、最近仲間になった浅葱や蘇芳、鴇も沢山の人がいる。いつだって、誰かに支えられてここまで来たのを忘れかけていた。

 蘭に泣かれて気が付いた。

「…ごめん、ね」

 柘榴はそっと蘭の肩に手を添える。柘榴の謝罪に、蘭は思いっきり首を横に振った。

「っあ、謝るなら。いつもの柘榴に戻りなさいよ。守りは任せて、先頭切って敵を倒すのが柘榴の役目じゃないの?」

「私って、いつもそんなだったっけ?」

「そうよ。柘榴はそうなのよ」

 涙を拭った蘭は、一歩離れて笑みを浮かべる。その顔を見て、柘榴の頬が緩む。

 確かにいつも人の話も聞かずに、前に前に突き進んで来た。いつだって、先頭で戦って来た。

 一人じゃない。

 希を守るために、蘭達と共に戦いたい。

 芽生えた想いを再認識すれば、赤い瞳は自然といつもの色へと戻っていった。



 いつもの瞳の色に戻った柘榴に安心した蘭は、一歩離れた。よかった、と心から思う。

【力が、欲しいか?】

 ふと、聞こえた声に蘭の身体が震える。柘榴の声ではない。

「誰…?」

「蘭ちゃん?」

 水に囲まれた空間には蘭と柘榴しかいないはずなのに、心に響いた声。誰の声だろう、と周りを見渡すがその声の主はいない。

【力を、求めるか?】

 さっきよりはっきりと聞こえた声。今までずっと付けていたピアスが、熱い。

 両耳のピアスを触って目を閉じて声に集中する蘭を、柘榴は黙って見つめる。

【イメージしろ。我が力を、そして言葉を紡げ…】

 声が言葉を教えてくれる。誰かを守る力になるのだと、信じたい。聞こえた言葉を、そのまま繰り返す。

「我が身に宿りし力、全てを飲み込む青き水…」

 蘭の言葉で、ピアスが青い輝きを放ち始める。

「その力を我に示せ…」

 身に付けていたピアスがいつの間にか目の前に現れた。ピアスは青い光となって辺りを照らす。

 先程の声は言った。イメージしろと、蘭の今求める力を。

 蘭の中で必要な力、柘榴と一緒に皆を守れる力。

「エグマリヌ!!!」

 蘭の声に答えるように、二つのピアスは青い一つの光となった。

 青く、淡い光が形を変えて、現れたのは蘭が最も得意としているライフル銃。

 真っ黒な銃は、おおよそ六十センチの全長、そこに弾を装備するのが付いていない。銃の取っ手にアクアマリンが組み込められているのを見て、それが蘭の新しい力なのだと確信した。

 だから迷うことなく、そのライフル銃に手を伸ばす。

 蘭がライフル銃を手に取った瞬間、青い光は治まった。

 これからどうすればいいのか、声が教えてくれる。

【力を溜めて撃て】

 たったそれだけだけど、蘭はどういう意味か理解出来たような気がした。ライフル銃を握りしめる。

 顔を上げれば、柘榴が優しげな笑みを浮かべて蘭を見ていた。蘭の新しい力を確認して、言う。

「蘭ちゃん、これからも一緒に戦ってくれる?」

「当たり前でしょ、馬鹿。希が目覚めるまで、一緒に戦うわよ」

「うん」

 笑顔の柘榴が大きく頷いて、右手を上げた。蘭も笑顔で右手を上げ、どちらかともなくお互いの手を叩いた。



 蘭と柘榴が水の壁の中に消え、浅葱達だけでの戦いが始まった。

 蘇芳の横で何故か一歩下がっている鴇は、心なしか顔が青い。蘇芳は平気そうな顔で、蜘蛛を倒していく。浅葱は誰よりも前に出て、短剣を振るった。

 蘭は少しの間、と言っていた。浅葱に出来るのは、それまでの時間稼ぎ。

『俺、蜘蛛苦手なんだけど…』

「鴇、さっきも聞いた」

 浅葱の言葉に、通信機越しに鴇は叫びながら反論する。

『だって、あんなに足があるんだよ!糸を吐くんだよ!見た目がグロテスクじゃんか!』

 本当に五月蠅くて、浅葱も蘇芳も賛同するつもりも相手をするつもりもない。一時体制を整えるために前で戦っていた浅葱は、蘇芳と鴇のいる近くまで下がる。

 騒ぐ鴇に呆れた蘇芳は、一瞬だけ鴇に冷たい視線を送る。

「鴇、お前のことは忘れない」

「ちょ、それどういう意味!何、俺見捨てられるの!」

「はいはい。分かった、分かった」

「分かった、て何が!!!」

 関係ない会話に口を挟むのはどうかと思ったが、そろそろ蘇芳の怒りの限界らしい。鴇を本気で見捨てそうな雰囲気なので、鴇を蘇芳から離すため無理やり前に連れ出すことにした。

 行きたくないと駄々を捏ねるが、それは無視した。

 蜘蛛の数は相変わらず多いが、蘭から借りた短剣のおかげで戦いやすい。タガー二本で攻撃していた時より、威力がある。

 蘭が戻ったら返さないといけないのが、少し悔しい。

 力が欲しいと切実に思った。

 そんなこと、絶対に蘭には言わない。

 なんて浅葱が考えていると、蘭が出現させた水の壁が一気に崩れた。水の壁の傍で控えていた蜘蛛が飛び跳ね、蘭と柘榴のいる場所を目掛けて動く。

「チビ、蜘蛛が行ったぞ!」

 聞こえているかは分からないが、それでも叫んだ浅葱の声と水が地面に落ちる音が重なった。

 何発もの銃声、それから柘榴の雄叫び。蘭と柘榴を囲むようにいたはずの蜘蛛を、瞬く間に蹴散らした。

『たく、いい加減にして欲しいわね』

 清々した顔の蘭が通信機から聞こえ、ほんの少し安心する。

『本当、ここまで大量の蜘蛛がなんで必要何だか』

 意味が分からない、と続いたのは柘榴の声。その声も吹っ切れたように明るい。背中合わせに武器を構えた蘭と柘榴の姿は、どちらも笑顔を浮かべ武器を構えている。

『雑魚が寄って集って、近づくんじゃないわよ』

『蘭ちゃん、厳しい』

 テンポのよい会話が続きそうなので、口を挟むことにする。

「いいから、さっさと戦えよ」

 素っ気なく言った。はーい、と呑気な柘榴の返事。分かったわよ、と言う短い蘭の返事に、浅葱は呆れながらため息をついた。



「さて、待たせたわね」

 蘭は颯爽と浅葱の横に並び、蜘蛛の大群を見つめた。柘榴も態勢を整えるべく、蘭の真横、浅葱のいる場所とは反対に立ち、蜘蛛を見つめた。

 戦力が上がったからか、蜘蛛たちは様子を伺うように近づかない。

「さて、柘榴。これからどうしたい?」

「勿論、ラスボスを倒すべく突き進むよ」

 にやりと笑った柘榴は、蜘蛛に向けて日本刀を構えた。柘榴の想いに反応して、焔が増す。

 浅葱は呆れた顔になり、蘇芳は何も言わない。

「なんでもいいから、早く終わらせようよ!」

 鴇は相変わらず浅葱の後ろで喚いている。

「じゃあ、飛行船の守りは私と浅葱と鴇が残るわ。蘇芳は柘榴の援護。近距離にも対応出来るように、浅葱のダガー借りて行きなさいよ」

「おいこら。勝手に決めるなよ」

 浅葱が反論する前に、動き出した蘇芳はサッと腰に射してあったダガーをくすねた。

「借りる」

「俺の武器!」

 必死に取り返そうとする浅葱だが、背の高さより高い位置に上げられてダガーを取り返せない。蘭は呆れて言う。

「浅葱は短剣で戦えば、問題ないでしょ?」

「チビの武器だろー、が!」

「そのまま浅葱が使えばいいわ。私はこれで十分」

 蘇芳から武器を取り返そうとしていた浅葱が、蘭を振り返った。得意げな笑みを浮かべ、ライフル銃を見せびらかす。少し考えたのち、分かった、と小さな声で言った。

 浅葱が大人しくなったので、よーし、と柘榴が声を上げた。

「蘇芳、用意は?」

「いつでも」

 今すぐにでも駆け出そうとする柘榴と蘇芳。目の前には蜘蛛の大群。

 いつものように考えなしで駆け出すにしろ、このまま突っ込むのは柘榴と蘇芳には酷な話だろう。希がいれば一直線の道を作れるだろうが、生憎今は希がいない。

 さっきだって水の壁を作れた。今度も上手くいくと信じて、蘭はライフル銃を構え、真正面に狙いを定める。

「エグマリヌ…力を貸しなさい!」

 言い終えると同時に、蘭は銃を撃った。青い光が一直線に蜘蛛の大群を突き破り、蜘蛛が左右に分かれて奥へと続く道が出来る。

 何十メートルも続く道で、二人が通るには十分な道。

「わぁお」

「驚いている暇なんてないわよ。サッサと行きなさい!」

「ありがと!」

「行って来る」

 駆け出した柘榴を追いかけて、蘇芳も後を追った。

 柘榴と蘇芳を追いかける蜘蛛と残った蘭達を襲おうとする蜘蛛たち。さて、と言って蘭は隣にいる浅葱に言う。

「浅葱、左と右。どっちがいい?」

「どっちも変わらねーじゃん」

 蜘蛛は人数が減ったからか、じりじりと近づいて来る。ついでに後ろにいた鴇も、蘭と浅葱の真後ろに来て恐る恐る尋ねる。

「蘭ちゃんは、まさかまさかで遠距離担当に変更?」

「ライフル銃は近距離向きじゃねーだろうな」

「浅葱も鴇も何を言っているのよ。私だって前線で戦うわ!」

 牽制のつもりで、二三発撃つ。それを合図に飛び出してきた一匹の蜘蛛の身体を、蘭はライフル銃で投げ飛ばした。その身体は真上に投げられ、空中で身動きが取れない蜘蛛を狙い撃つ。

 たった一発の弾は見事に蜘蛛の左目の宝石を砕き、宝石の欠片が地面に落ちた。

 あまりにも狙い通りの展開にほくそ笑んで、浅葱と鴇を振り返った。

「どう?」

「蘭ちゃん、力技だよ。それ」

 若干引いている鴇と、目を逸らし蜘蛛の大群を見据える浅葱。力の差を理解した蜘蛛が距離を取るので、さて、と蘭は蜘蛛の大群を見て笑った。

「近寄って来ないのなら、こっちから行くわよ」

 絶好調の蘭はそう言って、もう一度ライフル銃を構えた。



 蜘蛛の大群がどこまで続いているのか分からなかったが、道のある限り柘榴と蘇芳は前に進んだ。

 蘇芳の速さに合わせて走っていた柘榴は、目の前の他の蜘蛛よりも一回り大きな蜘蛛を確認して蘇芳に問う。

「目の前の蜘蛛を、倒してもおっけ?」

 軽く振り返った柘榴と目が合った蘇芳は、確かに首を縦に振った。

「んじゃまあ、お先に」

 トンッと右足に力を入れ、大きく飛び上がった。日本刀を頭の上に振り上げ、クロスするように勢いよく振り下ろす。

「くたばれぇええええ!」

 その蜘蛛は全く動かなかった。柘榴は力任せに黒い宝石の瞳を目掛けて攻撃をすれば、反撃をするまでもなく呆気なく焔に包まれて灰となる。

「…え、呆気ないんですけど」

 灰となった中から、透き通った水色の宝石が出てくる。けれどもあまりに歪な形。柘榴は水色の宝石を拾い、そのまま襲おうとしてきた蜘蛛もついでに左手の日本刀で倒した。

 もう一匹反対から攻撃しようとした蜘蛛は、後方にいた蘇芳の投げたダガーによって倒される。

「お、蘇芳。ナイス」

「別に」

 素っ気ない蘇芳が追いつき、傍に蜘蛛がいなくなったとのでほぼ同時に来た道を振り返った。

 宝石の欠片が散らばっているのは倒してきた蜘蛛の数。一番奥には飛行船と柘榴の作った焔の壁。その手前には蜘蛛がまだ数体残っているが、柘榴と蘇芳の方に寄って来る気配はない。

 どうしようかなー、と少し考えた柘榴は通信機に呼びかける。

「蘭ちゃん、聞こえますか?」

『何、柘榴?』

 通信機越しでも、未だ戦っている様子は伝わった。息遣いが荒い蘭とは違い、柘榴は呑気に言う。

「残りの蜘蛛はグラウンド半分程度です。頑張ってね」

『今、何やっているのよ!』

「蜘蛛の後ろから、この惨状を客観的に観察中」

『だったら、後ろから倒して手伝いなさいよ!』

 全く持ってその通りなのだが、今日は力を使いすぎてちょっと疲れた。少し休憩したい、と言う言葉を言わずにまずは蘇芳の方を見た。少しだけ、疲れた表情を浮かべた蘇芳は、それでも蘭達がいる方向をジッと見つめている。

「…蘇芳、行く?」

「行く」

 柘榴が聞けばすぐに返された返答。

 おそらく浅葱と鴇が心配なんだろうな、と思いながら左手に宝石を持ち替えて柘榴は一歩踏み出した。



 蜘蛛の全てを倒すと、残されたのは地面一面に散らばる宝石の欠片。

「疲れたわね」

「チビに同じ」

「俺、当分蜘蛛見たくない」

 座り込んだ蘭と浅葱と鴇。柘榴と蘇芳は平気そうに蘭達を見下ろす。

「大丈夫?」

「なんで、元気なのよ。柘榴」

 何というか、大きな怪我こそないものの体力だけは極端に奪われた戦いだった。立つ気力はもうない蘭を見ながら、柘榴のお腹がぐぅ、と鳴った。

「…あー、お腹減ったね」

「なんでそれだけで済むのよ」

 あり得ない、とぼやく蘭の肩から力が抜けてしまった。へらへら笑っている柘榴に、それ以上何も言えない。

「おーい、お疲れさん!」

 飛行船の方から悠々と歩いて来る柊。今まで一切音沙汰なしで、戦闘にも参加していないだけに殺気が湧く。思いっきり睨みながら、蘭は柊に向かって言う。

「柊さん、今日は相当疲れているのよ?何しに来たの?」

「いやいや、最後のお仕事忘れているみたいだからさ」

 その言葉に全員が首を傾げる。

「最後の仕事?」

 柘榴が問いかければ、柊がうんうんと頷く。嫌な予感しかしない。柊の言葉を聞きたくない。

 にこにこと笑みを浮かべている柊は近くに散らばっている宝石の欠片を一つ拾い、それを蘭達に見せた。その先の言葉を予想出来て、頭が痛い。

「散らばっている宝石の欠片を全て回収すること。これが終わるまで、飛行船の出発が出来ないからさ」

「それしかないわよね」

 最悪だ、と言わんばかりの蘭の言葉と他の皆の驚きと不満の声はその場に響き渡るのだった。


 それから始まった宝石拾い。

 何体倒したか分からないほど大量の蜘蛛の大群。一体に付き、宝石の欠片が一つ。

 柊は柘榴が手に入れた宝石を早々に持ってその場からいなくなったので、残された五人で宝石の欠片を拾うしかない。とりあえず近くに落ちている宝石から集めつつ、蘭はため息をついた。

「なんでこんなことを…」

「まあまあ、これが終わればご飯が待っているんだからさ」

「それで喜ぶのは柘榴だけよ」

 宝石を拾いながらくだらない言い合いをする元気は残っている。それは浅葱達も同じようで、浅葱が呆れた声で話し出す。

「鴇、いい加減に蜘蛛に慣れろよ」

「本当に」

 ため息交じりに言われて、鴇は突然立ち上がって言い返す。

「無理!絶対に無理!蘭ちゃんや柘榴ちゃんだって、ちょっとくらい怖かったでしょ!?」

 突然話を振られ、蘭も柘榴も驚いた。手を止めて振り返った先にいる鴇は同意を求めるような顔をしているが、生憎同意する人はこの場にいない。

「鴇、私達に同意を求めないでよ」

「蜘蛛は田舎だとどこにでもいるからね」

 素っ気なく言い、お互い宝石を拾うのを再開する。

「鴇は蜘蛛を怖がり過ぎなのよ」

「だよね。なんでそんなに怖いんだか」

「ちょっと!皆して俺の扱い酷くない!?女の子なら、可愛く『きゃー、蜘蛛怖い』とか言ってくれてもいいじゃんか」

 騒ぎ始めた鴇に、蘭は呆れた。

 柘榴は、うーん、と悩みながら言う。

「私、よく見てなかったんだけど。鴇はどんな風に怖がっていたの?」

 その質問に一瞬誰もが、口を閉ざし、蘭が一言。

「女の子みたいだったわよ」

「蘭ちゃん!?蘭ちゃんだって、怖いものあったら、可愛く叫ぶでしょ!?」

 気が動転しているのか、よく分からないことを言い始める鴇に、浅葱は手を止めて言う。

「チビがそれ言ったら、気持ち悪いだろ」

「ちょっと、どういう意味よ。あんたが言っても気持ち悪いわよ」

「なんで、俺が言うんだよ!ぜってー、言わねえに決まっているだろうが!」

「浅葱が、『きゃー、蜘蛛怖い』って言ったら…」

 柘榴はそれを想像する。思わず蘭や蘇芳、鴇も想像してしまった。

「大丈夫、浅葱ならきっと可愛いよ」 

 フォローになっていない、柘榴の言葉。続けて、口を押さえて笑いを耐えながら鴇は言う。

「やばい、俺。浅葱が蘭ちゃんの背に隠れるイメージしか、出来ない」

「蜘蛛を見た途端気絶してしまう、とか」

 蘇芳の真面目に考えた回答は実際にありそうで、蘭はなるほど、と思いつつ口を開いた。

「逃げ出すって言うのもあるわよ」

 最後に蘭がそう言えば、何故か全員が納得したように頷いた。

 勝手に想像されたあげく、何故か浅葱が蜘蛛苦手設定を繰り広げられた。いよいよ黙っていられなくなったのか、浅葱の身体がわなわな震え始める。

「お前等なぁあああ!!!」

 浅葱の怒りが誰か一人にでも絞られる前に、蘭達は一斉に四方に散らばった。

「おい!お前ら全員待ちやがれ!」

 まずは鴇に狙いが定められたようで、追いかけられた鴇は必死に逃げる。

「なんで俺!」

「お前が一番ムカつくんだよ!」

 そんな理由で追いかけられた鴇は憐れむべきかもしれないが、標的にならなかった蘭や柘榴、蘇芳は途中で走るのを止める。

 蘭の近くに戻って来た柘榴は腰を下ろし、宝石を拾いながら呟く。

「蘭ちゃん、あのね」

「何?」

「今日は本当にありがとう。何だか心が軽くなったから」

 はにかみながら柘榴は言った。少し驚き、蘭は微笑む。

「別に大したことはしてないわよ」

 それに、と少し頭を下げて言葉を続ける。

「きっと私も…柘榴と希がいなかったら、こんな風に強い力を手に入れられなかったわ。誰も守れなかった。柘榴と希がいてくれて、本当に良かったと思っているの。お互い様だわ」

 それが本心だ。

 こんな時でなければ、きっと言わない台詞。

 顔を上げ視線が合えば、お互い笑った。

 そんな穏やかな空気が流れる空間から少し離れた場所で、一人真面目に拾っていたはずの蘇芳は思い出したように立ち上がって、未だ追いかけっこをしている浅葱と鴇の方に身体を向けた。

「浅葱!」

 蘇芳が叫ぶことは滅多にないので、浅葱よりも先に何故か鴇の方が驚いて立ち止まった。その後に浅葱が急ブレーキをかけたが止まらず、鴇に激突して一緒に転ぶ。

 見事に倒れた浅葱と鴇に向かって、蘇芳は悪びれもなく叫ぶ。

「ダガー、壊した!」

「は…はぁあああ!?」

「それだけ!」

「…それだけ、じゃねーよ!!!」

 鴇を踏みつけて起き上がった浅葱は、怒りながら今度は蘇芳の方に向かって走り出す。蘇芳は浅葱が来る前に、一目散に逃げ出した。このままじゃ、一向に作業が終わる気がしない。

「この野郎!!!待て、蘇芳!!!」

「…待たない」

「俺の武器返せ!!!」

 追いかけっこが終わらない。

 最初は無視していたが、段々と怒りがこみ上げて来た蘭は、すうっと息を吸った。

「全員、さっさと仕事をしなさいよ!」

 堪忍袋が切れた蘭の怒声は、飛行船の中まで響くほど大きかったのだった。

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