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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第5章
25/59

24 過去編01

 小さくて真っ白なUSB。

 本部に帰った柘榴は、訓練室でそれをパソコンに繋いだ。勝手に映像が流れ出し、そこに映ったのは無表情の可子。背景は真っ白で、どこかは分からない場所にいる可子は、ゆっくりと口を開く。

『初めて彼に会った時、まるで王子様のように見えた。一目惚れ、をしたのだと思う』

 表情を変えずに、可子は淡々と述べた。

 その直後。画面は乱れ、何も映さなくなる。

「え、壊れ――?」

『――ずっと夢見てた、運命の出逢いだった』

 た、と最後まで言う前に柘榴の声を遮ったのは可子と似ているのに、どこか楽しそうな明るい女性の声。可子、ではないと言うのはただの直感だ。声の雰囲気が全く違う。

 慌てた柘榴の心配は取り越し苦労で、画面はすぐに明るくなった。




 大学のキャンパスを歩く一人の女性。

 淡い水色のスカートに、真っ白なブラウスを着こなし清楚風に。誰もが振り返る美貌を持つと自負しているので、一人鼻歌を歌いながら笑顔で歩く。

 大学の入学式も終わり、数週間が経った。

 先日髪を染めるついでに、初めてパーマもかけた。ストレートの髪も嫌いじゃないが、少しでも大人っぽくなろうと茶髪に染めて、毛先はカールにしてみた。

「あれ、美来みらい?」

 ヒールをコツコツ音立てながら歩いていた女性、美来は名前を呼ばれて振り返る。

 振り返る時は必ず浮かべる、営業スマイル。働いたことはないけれど、と内心でツッコミを入れつつ、名前を呼んだ男性の名前を呟く。

「終冶」

 数メートル後ろから声を掛けられたので、片手を上げた終冶はすぐさま美来の傍にやって来た。

 終冶は小学校、中学校と一緒だった。幼馴染のような関係。高校は別々になって連絡を取ることがなくなったが、同じ大学に入ったことから時々声を掛けられるようになった。

 あまりに馴れ馴れしかったら距離を置く気でいたが、そうでもないので会えば話す程度に仲が良い。

 いかにも頭の良さそうな顔立ちだけれど、残念ながら好みではない。優しげな笑みを浮かべて、終冶は美来の隣を一緒に歩き出した。

 歩きながらも、自然と周囲を見渡して、とある人物を探す。

 そんな美来に、終冶は不思議そうな表情を浮かべながら問う。

「美来。今日も、歩望を探しているの?」

「え?いや、うん…歩望くんは?」

 答えながらも、行き交う人に視線を巡らす。

「もう帰ったよ」

「…え?」

 驚いて、視線はゆっくりと終冶の方へ移動した。瞬きを繰り返す美来に、終冶は肩を竦めて言う。

「僕らの授業、十分前に終わったから」

「そんなぁ…」

 情けない声が出て、肩から力が抜けた。

 今日の講義はいつもより五分早く終わった。この時間なら歩望を待ち伏せ出来る時間だったはずだ。終冶と歩望が同じ講義を取っているのだと、もっと早く知っていればと今更ながら考えてしまう。

「…それならメールしてよぉ」

「いや、そんなこと美来言ってなかったじゃん」

「…そうだけどさ」

 あーあ、と言いながら歩き出す美来は、一気に身体の力が抜けてしまった。さっきまでの気分は一気に急下降して、何もやる気が起きない。

 美来が探していた人物、歩望は大学生にもなって、携帯を持っていない。

 あからさまに落ち込みながら歩く美来を見て、終冶は不思議そうに尋ねる。

「ここ数日。ずっと歩望を追いかけているよね?」

「う」

「いい加減、その理由を教えてくれない?」

 誰かに相談した方が、歩望を捕まえやすいのも事実。一瞬だけ迷って、美来は静かに言う。

「先週、告白して。その場で振られた」

「…あー。それはご愁傷様。その噂、本当だったんだ」

 後半の言葉は小さくて聞こえなかった。憐れむ終冶の言葉で、一気にその時のことを思い出す。一度話し出したら止められない想いをぶつけるように、美来は早口で言う。

「折角この私が告白したのに、振ったのよ!あり得ない!この美人の私を振るなんて、あり得ない!」

 自分で美人と叫ぶのもおかしな話だけれど、事実なのだから仕方がない。興奮して、途中から叫んでいた美来の声はよく響く。何事かと視線が集まっても、美来は気にしないが終冶は恥ずかしくなったのか、そわそわと言う。

「とりあえず、落ち着いて」

「もう一回捕まえて、その理由を吐かせようとしたのに!」

 今までの人生で、告白されたことはあっても告白する立場に立つことは初めてだった。その告白を一瞬で、バッサリと振られてしまった記憶は忘れようにも忘れられない。

 せめてもう一度話したいと思うのに、相手が捕まらないのだから手の打ちようがない。

「歩望のどこが好きなの?やっぱり顔?」

 ふと聞いた終冶の質問に、美来の顔は一気に困った顔に変わった。

「…そうじゃ、ないの」

 言えない。

 出逢った時に王子様みたいで格好良くて、一目惚れしたから。なんて、口が裂けても言えない。

「っもう!私帰る!またね、終冶」

 これ以上の詮索から逃げるように、美来は頬を膨らませたまま駆け出した。



 美来が歩望と出会ったのは、四月初め。大学の入学式の前日のことだった。

 県外の大学にやって来た美来は右も左も分からない状況で、一人頭を抱えて立ち尽くしていた。

「…どうしよう。家が分からない」

 知らない土地で頼る人もいなければ、友人さえいない。

 迷ったのは家が立ち並ぶ住宅街で、夕日が落ち始めている。薄暗くなってきていて、怖くて不安で泣きそうだ。

 おまけに履き慣れない靴のせいで足が痛い。血豆が潰れて、なお痛い。ハンカチを挟んでみたが、痛さは変わらない。

「ううー。どうしよう」

 さっきから道を進めば迷いそうで、なかなか進めない。

 人が通れば道を聞けるのに、こういう時に限って誰も通らない。通ったとしても自転車に乗っていた人だったりすると、声を掛けられずに行ってしまう。

 車は数台見かけても、止められるはずもない。

 だから、その時ぶつかった青年は、美来にとって本当に救いだった。

「っきゃ!」

「げ」

 小道から勢いよく出て来た青年。

 周りを見ていなかった美来も悪いのだけれど、青年の方も美来に気が付かずに衝突した。青年が自転車に乗っていなくてよかった。引かれるところだった。

 真後ろに転びそうになって、右手を掴まれて抱き寄せられる。

「び、くりした」

「わりい、飛び出して。急いでいたから」

 青年の方も焦った声が耳元で聞こえた。

 何が起こったのか分からなくて、少しの間動けなかった。

 抱きしめられているのだと、気が付いたのはそれからすぐのこと。

「離してください!」

「ん?ああ、そっか」

 顔を真っ赤にした美来が叫ぶと、すぐに開放してくれた。

 知らない人に抱きしめられた。転ばせないためとはいえ、道の真ん中で、恥ずかしさでいっぱいになる。その顔を確認しよう、と美来は遠慮がちに顔を上げた。

 あまりに不細工だったら一生の恥とも思っていたのが、青年は美少年と表現するのに値する。

 キリッとした瞳に、シャープな輪郭。テレビなどで見かける芸能人にいそうな顔。髪の毛だって、切りそろえられていて清潔感ある黒髪。美来よりは十センチ以上背が高い。

 思わず見とれていた美来を、青年は不思議そうな顔で見る。

「俺の顔、なんか付いてる?」

「あ、いえ」

 慌てて否定すれば、青年の視線が美来の足元。靴に挟まれたハンカチに移される。

「足、怪我でもしてるの?」

「あ、大丈夫です。その、それよりここがどこか教えてもらえませんか?」

 足の心配より、今は家に帰ることの方が大切。

 必死に見つめてみれば、青年は首を傾げて問う。

「…迷子?」

「え?」

「あ、引っ越してきた人とか?」

「まあ…そうなんですけど」

 段々と小さくなっていった美来の言葉に、青年は笑いもせず真面目な顔で言う。

「家の近くに何があるかは覚えている?店とか、目立つ建物とか」

「えっと…それは分からないけど。大学から、そんなに遠くない場所で…」

「あ、大学の方?だったらそっちまで案内すればいいかな?」

「あ、はい。大学まで帰れれば」

 青年はホッとしたような顔になった。それは美来も同じで、ようやく帰れると思うと安心感が生まれた。じゃあ、と言って青年は歩き出そうとする。

「行きますか」

「あ、はい」

 歩き出そうとした青年に置いて行かれないように、美来は足の痛さを忘れて駆け出した。



 青年は美来を大学まで送ると、早々にいなくなってしまった。それこそ、お礼を言う暇がないくらい、颯爽といなくなった。その時に分かったのは、歩いている途中で見せてくれた学生証から名前と、同じ大学の違う学部の人と言うこと。

 次の日に歩望を見つけて、終冶経由で情報収集をし、勢い余って告白したのが一週間前の出来事。 

『ごめん!』

 バッサリと一言で振られた。振られたついでに、一人置き去りにされた。それも一週間前の出来事。

「今日も捕まらなかったなあ」

 落ち込みながら一人で歩く美来は、自宅へ向かう。

 大学から家までは近く、歩いて十五分。住宅街の中にあるアパートは、二階建ての白いアパートで美来のように大学生が多く住んでいる。

 まだ慣れない自室に入って、そのままベッドに飛び込んだ。

「ううー、悔しいな」

 どうしても捕まえて、話をしたいのに。いつだって歩望は忙しそうで、大学から姿を消すのが早い。諦めるか、と言われれば諦めきれないのが、本音。

 ぐー、とお腹の音が鳴りゆっくりと起き上がる。

「…とりあえず、夕飯買いに行こう」

 着替えてないから、そのままの格好でいい。

 大学の教科書などはいらないから必要最低限の荷物を鞄に詰め込んで、近くのスーパーに向かうことにした。


 自転車で、五分の距離のスーパーは大学生の御用達のスーパーだ。

 大抵のものが買えるから、便利で楽。もう十分自転車を漕げば、商店街もあるらしいが、美来は近くて便利なスーパーで十分間に合っているので、商店街まで行くことはない。

 今日もスーパーで買い物を済ませよう。

 自転車を駐車場に停め、周りを軽く見渡す。

 こんな場所でも会えたらいいな、なんて思う。好きな人と言うのは無意識に探してしまうから、もう重症なのだと自覚している。

「あ…」

 偶然でも見つけられたのは、ずっと探していたせいだ。一度見つけたら、目が離せない。

 路地でチラッと見えた歩望。歩望に間違いない、と確信して言えるのが、もう自分でも呆れるくらい。美来はすぐさま自転車を置き去りにして駆けだした。

「歩望くん!」

 勢いよく路地を曲がって叫んでいた。

 もし本人でなかったらもの凄く恥ずかしい人で、知らない人だったら逃げようと思っていた。けれども予想は外れることなく、振り返った青年は心底驚いた顔をした。

「あ」

「…えっと、その」

 名前を呼んだはいいが、それ以降のことは考えていなかった。頭が真っ白になってしまったのは、歩望の隣にもう一人、歩望の左手を握りしめている小さな女の子がいたからだ。

 瞳が大きくて、小っちゃくて可愛い。サラサラの髪の毛を二つに分けて結んで、歩望と顔がそっくりのランドセルを背負った女の子。

 不思議そうな顔で、女の子はジッと美来を見つめていた。

 一人だと思っていたら思わぬ組み合わせ。声が出ないのは美来だけでなく、歩望も同じだった。女の子だけが、次第に目をキラキラ輝かせて歩望を見上げる。

「お兄ちゃんのお友達?」

「え、うん。まあ」

 歩望は困った顔で、それでも否定はしなかった。

「本当!じゃあ、ご挨拶しなくちゃ。初めまして、妹の希です」

 鈴の音のような、声まで可愛らしい、しっかりとした歩望の妹の、希。勢いよく頭を下げた希に丁寧に挨拶をされては美来も挨拶するしかない。

「初めまして、美来です」

 しゃがみ込んで背の高さを合わせて挨拶すれば、希はそれはそれは嬉しそうに笑う。

「うわー、私。お兄ちゃんのお友達に初めて会いました。ねえ、ねえ、お兄ちゃん。一緒にご飯食べようよ。お兄ちゃんのお友達なら問題ないよね?」

 歩望の服を引っ張って、楽しそうに言った突然の提案に、美来も歩望も困ってしまう。

 そんなこと絶対に無理だと思う反面、そんなことが出来たらどんなにいいか、とも思ってしまう。何も言えない美来に変わって、歩望がため息交じりに言う。

「希、美来さんにも都合があるからね。我が儘は駄目だ」

 美来、と名前を呼ばれたのは初めてで。そのくせ覚えていてくれたなんて、嬉しくて堪らない。少し顔が熱くなった美来に、希は上目遣いで問う。

「うぅ。美来さん、駄目ですか?」

「え、えっと…」

 回答にすごく困る。行けるなら行きたいが、歩望の許可がないと行ってはいけないものだろうと、歩望の方に視線を移す。

 困ったような、と言うより悲しそうな顔と声で歩望は小さな声で呟く。

「来てくれた方が助かるな」

 声と表情が合ってない。助かる、と言う風には見えないし、むしろ悲しそうに見えて仕方がない。対称的に希は幸せそうな笑顔を浮かべて、美来の右手を握りしめた。

「美来さん!一緒にご飯食べましょう!」

「…う、うん」

 勢いに呑まれ、ぎこちなくも頷いてしまった。希はもう片方の手で、歩望の手を繋いで歩き出す。

「三人でご飯!ご飯です!」

「はいはい、急がない。急がない」

 歩望と希は穏やかな談笑をしながら、ゆっくりと歩く。その二人の間に、美来が入ってもいいのか、分からない。ただ、歩望の希を見つめる瞳はあまりにも優しくて、初めて見る表情に、少し心が痛かった。


 歩望と希の部屋は、平屋建ての一軒家だった。そこまで広くはないが、二人で暮らすには広すぎる家。

 客間に通された美来は、思わず周りを見渡してしまう。テレビはあるが、コンセントはささっていない。一応電話はあるけれど、パソコンは近くにない。畳は少しボロボロで、目の前のテーブルは六人は座れるくらい大きい。

 美来が突然やって来たために、歩望が急いでテーブルの上を片付けた。小学六年生の教科書と、大学の難しい問題集など。部屋の隅にはランドセルやら、歩望の鞄やら。

 どことなく殺風景の客間。寂しさが漂うような客間から、少し首を伸ばせば台所がよく見える。

 カレーを作ると張り切っていた希と歩望は二人で台所に立っていて、楽しそうな会話は響く。

「あ、希!怪我するといけないから、包丁は持つな!」

「じゃあ、鍋を見てる!」

「火の近くも危険だから、近寄るの禁止!」

 さっきから過保護な歩望に対して、希は始終楽しそうに笑っている。歩望はカレーより希ばかりを見てばかりで、カレーの方が心配になった。

 座っているのも暇だし、と思い立ち上がる。

「あの…」

「ん、どうかした?」

 お玉を持っている歩望の姿は、どうみても主夫で今まで想像も出来なかった一面を垣間見て思わず笑みが零れた。

「よかったら、手伝いますよ?」

「いやいや、お客様だから座っていていいよ」

「さっきから全然進んでいないですよね?」

 カレーを作ると言っていたのに、じゃがいももにんじんも、材料が切り終っていない。鍋は沸騰しているだけで、このままカレーが出来ないような気さえしてくる。

 正直、最初は歩望の家に来られただけで嬉しかった気持ちが勝っていたが、今はお腹が減って仕方がない。料理はどちらかと言えば得意分野で、少しでもいいところを見せたいと言う下心も少なからずある。

 美来の言葉に言い返さない歩望と希が顔を合わせ、美来の立つ場所を空けてくれるまでそう時間は掛からなかった。



 何とか出来上がったカレーを一緒に食べて、何故かトランプをして遊んだ後、歩望と希に家まで送ってもらって帰宅した。二人はそのまま近くの星が綺麗に見える場所まで行くと言い別れたが、無事に帰れたかな、と思いながら昨日は眠ってしまった。

 一人、ぼんやりと大学を歩きながら、美来はまるで昨日のことが夢だったように思ってしまう。

 まさか、あんな形で歩望と仲良くなれるなんて、想像もしていなかった。

「…また、会えないかな」

「誰に?」

 ぼそりと呟いたはずの言葉に返答してくれる人がいるなんて思ってなくて、美来はバッと左を見た。ひょっこりと隣に現れたは歩望で、にこにこと笑顔を浮かべていた。

「あ、歩望くん?」

 驚きすぎて、最初の声が裏返った。

「あ、誰か探している途中だった?ごめんね、少しだけいいかな?」

「う、うん」

 昨日まであれだけ必死に捕まえようとしても捕まらなかった歩望が隣にいる事実に、心臓が五月蠅いくらい高鳴る。顔が熱いままの美来は、歩望を直視出来ない。熱くもないのに右手で顔を仰ぐ美来の横を、歩望は何も気にせず歩く。

 数歩歩いてから、あのさ、と小さな声が聞こえた。

「希のことなんだけど。出来たら、他の人に言わないでくれる?」

「え?…それは、構わないけど」

 突然のお願いに、虚を衝かれて段々と声が小さくなった。元々希のことを言いふらすつもりはなかったし、終冶だって知らないかもしれない好きな人の秘密を誰かにばらすことはしない。

 けど、と言った後。あまり間を置かずに言う。

「その、どうして他の人に言っちゃいけないの?」

「妹がいるってばれて、誰かが希に会いたがるのなんて、俺が嫌だもん」

 頬を膨らませている歩望は、何故か不貞腐れている。昨日から何となく感じていたが、歩望の希への愛情が少し普通ではない気がする。もしあの場で歩望の名前を呼んで呼び止めなければ、希がいなければ、今の状況はなかったのだろう。歩望一人だけなら、きっとまた逃げられていたに違いない。

 それからもう一つ、と思い美来は気になっていたことを尋ねる。

「昨日、ご両親がいなかったけど。出張、とか?」

「あ、違う違う。うちはどっちも他界。だから俺は毎日バイトで生計を立てつつ、希を育てる義務があるわけ」

 あっさりと答えてくれたが、その内容が衝撃的過ぎて咄嗟に何も言えなかった。

「…ごめん」

「なんで謝るの?別に隠していたわけじゃないし、あまり人に言わないだけだから気にしないでよ」

 歩望は本当に気にしていないのか、笑顔を浮かべている。反対に美来の気持ちは一気に下がってしまった。余計なことを言ってしまった後悔に襲われ、落ち込む。

 美来の気持ちに気が付かない歩望は、ふと思い出したように話題を変えた。

「そう言えば、俺も美来さんに聞きたいことがあったんだ?」

「…何?」

「前に『付き合って欲しい』って言われて、俺その場で『ごめん』て言っていなくなったと思うんだけど。あの時、どこに付き合って欲しかったの?」

 歩望の言葉に足が止まる。引きつった口角のまま、ゆっくりと言う。

「えっと…どういう意味?」

「あれ?違ったっけ?付き合って欲しいって言われたけど、俺その日バイトがあって。ごめん、って叫びながら走った記憶があるんだけど。違った?別の人だったかな?」

 あれ、と首を傾げる歩望は、立ち止まった美来には気が付かないで一人で歩く。

 美来はと言うと、頭を抱えて歩望の言っている意味を考えてみることにした。

 確かに、付き合って下さい、と言った。その後に、ごめん、と断られた。

 告白と受け取るのが、普通じゃないのか。違うのか。

 事実としては、美来の告白は歩望に伝わっていない。告白したことに気が付いていない。あの日の精一杯の告白は、無効。

「…嘘、でしょう?」

 あり得ない、と声が漏れる。あれだけ悩んでいたのが馬鹿馬鹿しいじゃないか。

 バッと顔を上げれば、未だに違った人だったかのなか、と考えている歩望の後ろ姿。悩んでいる歩望は本当に何にも分かっていない。呆れてものが言えなくなったのは少しの時間で、それからため息を漏らした。

 もう、何でもいいや。歩望のことが好きで、傍にいられれば今はそれが一番いい。告白は、もう少ししてからまたしよう。

 そう思うと自然と笑みが零れ、右足が前に出て歩望の横に駆け寄った。

「歩望くん。迷惑じゃなかったら、またご飯食べに行ったりしてもいい?」

「うん?それはいいけど。結局、あれは美来さんだったの?」

「それは忘れて!大した用じゃなかったから」

「ふーん。まあ、いいけど。あ!希のことは取らないでよ」

 あまりにも真面目な声で言った歩望の言葉に、笑いがこみ上げる。本当に、希が好きで好きで堪らない気持ちは、昨日だけでも十分伝わった。

「取るわけ、ないでしょ?」

「いや、女だからと言って希を取られる可能性もあるので。俺は相当美来さんを警戒しています」

 何故か敬語で言う歩望は真面目なので、可笑しくて仕方がない。笑いを堪えようとする美来は、結局それが出来なくて右手を口に当てて笑いを耐えるしかない。

 歩望は意味が分からないと言わんばかりの表情になった。

 好きな人と過ごす、穏やかな朝の出来事だった。



 季節は流れて、五月の初め。

 時々歩望の家で希と一緒にご飯を食べるようになる回数が増えた頃。

 講義が終わって、講義室から出ると待ち伏せしていたと思われる歩望に引き止められた。

「美来さん、今日の放課後暇?」

「え、うん」

 何だろう、と首を傾げる。

「一緒に買い物に行かない?」

 軽く誘われた内容に、本来なら好きな人からの誘いで喜ばないはずがない。ないのだけれど、歩望と希と過ごす日々が増え、学んだことから思わず確認してしまう。

「希ちゃんの、誕生日でも近い?」

「凄いね、美来さん。エスパー?」

 素直に感心されても嬉しくない。

 分かっている、歩望が未来を誘うとしたら希に関係していることだと、分かっているだろうと自分に言い聞かせる。

 考え込んだ美来を見て、歩望は申し訳なさそうに言う。

「無理ならいいよ?」

「行く!」

 行かないわけない。もしかしなくてもデートなのだから、行くに決まっている。

 あまりに元気よく手を上げて主張した美来に、歩望は驚き、よかった、と笑った。

「それじゃあ、時間も勿体ないし。行きますか」

「うん!」

 先に歩き出した歩望の横を、美来も笑顔で歩き出した。


「去年は、何をあげたの?」

 雑貨屋で二人、真剣に悩んで動かない歩望に問いかければ、視線はそのまま動かずに答える。

「実用価値も踏まえて、ポーチを」

「無難だね」

 それでも相当悩んだのだろう。今だって希のことを考えて、必死に色々考えている。

 美来も店内を見回りながら、いいのはないか探す。そこで見つけた、アンティークの雑貨。

「あ、可愛い」

 片手に納まる懐中時計。不思議の国のアリスをモチーフにした時計。短針の先は王冠の形。

 思わず見とれていた美来の背後から、歩望が覗き込む。

「何かいいのあった?」

「え、あ…」

 自分の趣味に走っていた。希のことを考えてなかった。

 けれども、歩望は美来の持っていた懐中時計を見て、なるほど、と頷く。

「それ、いいかも」

「いいのかな?」

 小学生に持たせるものがこれでいいのか、と思うが歩望は嬉しそうに笑った。

「携帯とか持たせてやれないから、せめて腕時計は持たせてやりたかったんだよ。でも腕につけて、学校で没収されたら意味がないから。隠せる方がいい」

「あ、そうなのね」

 そこまで考えているのか、と呆れる。時計を没収する学校はあるのか、と考えても答えは出ない。

 懐中時計を手渡せば、気に入ったようで迷わずレジに向かった。

 その動きの早いこと。

 希には絶対に勝てない、やっぱり負けているのだと、こういう瞬間に思い知らされる。勝ち負けを競っているわけではないが、少しでも近い存在になりたい気持ちは変わらない。

 満足出来る買い物をした歩望が戻って来て、それから用事は済んだので帰る話になった。本音はもう少し一緒にいたい、なんて言えるわけもない。

 一刻も早く希のいる家に帰りたい歩望を、引き止めることなんて美来には出来ないのだから。

 でも、と思い美来は恐る恐る尋ねてみる。

「…私も希ちゃんに誕生日プレゼント渡してもいい?」

 聞かなくてもいいことなのかもしれないが、一応聞いてみた。歩望は少し驚き、それから苦渋の表情で一言。

「俺より、希を喜ばせるものじゃないのなら」

「難しい注文過ぎない?」

 段々歩望に対する対応が、慣れてきた。本当に歩望は希のことが大好きだ。

 でも、美来もその気持ちは分かる気がした。可愛くて素直、見た目が可愛いと言うよりだけでなく、性格が少し天然気味で可愛い。放っておけない妹、と言う感じ。

 じゃあ、と美来は言う。

「手芸屋さんに寄らせて」

 何度か手芸屋で見つけ、きっと似合うだろうと思っていたリボン。

 歩望のプレゼントには足元にも及ばない。けど、とても気になっていた。いつも希が髪を結んでいるので、似合うだろう。場所を移動して店に入るなり、美来は迷うことなくそのリボンを手に取った。

「これ、希ちゃんが付けたら可愛いでしょう」

「希がモテることをお兄ちゃんは望みません」

 これしきのことで反対されるとは思わなかったが、これ以上のプレゼントは思い浮かばない。歩望の言葉は聞き流すことにして、美来は迷わずレジに持って行く。

「え、本当に買うの?」

「希ちゃんが可愛くなって嬉しくないの?」

「嬉しいけどさ、兄としては複雑なんだよ!」

 その心は分かりたくないな、と思いつつプレゼント用に包装してもらう。歩望は小さく不満を漏らすが、きっと美来が何を買っても同じなんだと思った。

 知らない一面を少しずつ知っていって、そんな一面も好きなのだと再確認した。そんな一日だった。



 そして五月五日。ゴールデンウイークでこどもの日、希の十二歳の誕生日。

 その日の日中は、美来と希の二人でお出かけ。

「では、行ってきます」

「…ずるい」

 玄関先で、部屋着姿の歩望は、不貞腐れながら言う。

 美来の手を繋ぎ、希は今か今かとそわそわしている。

「ほら、私がちゃんと希ちゃんは見ておくから」

「…美来さん、ずるい」

 希に聞こえない小声で、美来にそれを言われても困る。そもそもこのお出かけを提案したのは歩望だ。家で誕生日会の準備をしたいから希を連れ出してくれ、なんて言われて断れなかった。好きな人のお願いには、弱い。

 自分で提案したくせに、しょげている。希はと言うと美来とのお出かけが楽しみらしく、歩望のことなど気にもせず嬉しそうな顔を絶やさない。

「お兄ちゃん、バイト頑張ってね」

「うん、そうだね」

 ものすごく棒読みの返事。バイトなんて嘘で、朝からケーキを焼くと言っていた。飾りつけも一人でするらしい。

 希馬鹿、と言いたくなってくる今日この頃。

 そんな歩望を置き去りにして、美来は希と一緒に家を出発したのだった。


「それで、希ちゃんはどこか行きたい場所があるの?」

 いつものことだけれど、外に出るときは手を繋ぐ希。街を二人で歩きながら聞けば、首を横に振る。

「ありません。美来さんと一緒に、ブラブラするだけで楽しいのです」

 そんなことを言われたら可愛くて抱きしめたくなるが、それをすると歩望の思考が感染したことを認めてしまうことになってしまう。

 流石に歩望みたいにはなりたくない。

「欲しいものは?」

「えっと…お兄ちゃんの誕生日プレゼントが欲しいです」

 遠慮がちに言われて思い出す。

「五月、十日だっけ?」

「はい!美来さんもご存じなのですね」

 終冶から情報収集していたことは言えない。

 でも彼女でもない美来がプレゼントを渡すのは迷惑かもしれないと思って、買えないでいた。

「何をあげたいのかな?」

「何が、いいでしょうか?」

 兄妹そろって真剣に悩む姿。美来にだって姉妹がいるが、ここまで真剣にプレゼントを悩んだこともなければ、渡したこともない。

 歩望と希のようにお互い想い合っている様子は、正直羨ましい。

「ちなみに去年は?」

「手作りのお菓子を!」

 それはそれで歩望は心底喜んだのだろう、と容易に想像出来た。

 と言うより希から何を貰っても喜ばない歩望ではないだろう。

 歩望が使えて、喜びそうで、尚且つ残るものは何かないか、少し考える。

 そう言えば、歩望は希に懐中時計をプレゼントするが、歩望だって時計を持っていなかったはず。腕時計を付けているところを見たことがない。

「腕時計…」

 ボソッと呟いた言葉は希に届いたらしい。

 目をキラキラさせて、美来を見つめていた。

「腕時計、いいですね。お兄ちゃんにピッタリのを探します」

 希は腕時計でいいらしい。

 とりあえず探すものも出来たことで、二人で買い物を楽しむことにした。


 小学六年生の女の子と二人で買い物なんて、どうなることやらと思っていたが。本当の妹と買い物行くのとあまり変わらなかった。

 途中から希の服を選ぶのが楽しくて、と言うより希は何でも着こなしてしまうのが楽しくて。思わず着せ替え人形みたいにさせていた。歩望にばれたら、きっと羨ましがるに違いない。

 歩望の誕生日プレゼントの腕時計は早々に気に入ったのを見つけて、少し高価だからと美来が半分以上出した。

 夕日が沈まない明るいうちに歩望の待つ家に帰ると、三人で一緒に歩望の作ったケーキを食べた。希は心から幸せそうな顔でろうそくを吹き消し、何故かそれからトランプ大会が開催されてしまった。

「もう、十時とか」

 今から帰るとなると真っ暗だろうな、なんて考えながら洗い物をする美来。

 トランプに飽きた希は、畳の上でゴロゴロと懐中時計を眺めている。その顔が楽しそうで、幸せそうで、嬉しそうで美来も嬉しくなる。

「美来さん、片付けまでしてもらってありがとね」

「いえいえ、楽しかったから」

 美来の拭き終わった食器を片付ける歩望にお礼を言われて、笑顔で返す。

 本当ならいつも通り九時前に帰ってもよかった。けど何となく帰りたくなくて、このままこの場所にいたくてダラダラと過ごしていたのは美来の方。

「美来さん!」

 懐中時計を首から下げた希が、後ろから抱き付いて美来を見上げた。

「どうしたの?」

「今日は泊まって!」

「え?」

「川の字で寝るの!」

 一瞬固まってしまった。いや、それは流石に、と言う前に歩望が軽く言う。

「別に泊まって行ってもいいよ。今日の俺は、希の願いを全部叶えたいし」

 後半部分の本音になんて返せばいいのか、分からない。

 少しだけ迷って、持っていた食器を置いてから希と視線を合わせて言う。

「でも、お泊りする準備もしてないし。今日は無理かなー?」

「ううん、駄目」

 満面の笑みで即答された。美来に抱き付いて離れてくれそうにない。

「あのね。これから星を見に行って、美来さんのお家に寄って。銭湯行って帰って来るの!」

「わぁお。希、凄い計画だな」

 何故か乗り気な歩望は、本当に希の願いを叶える気であるらしい。少しの抵抗を込めて、一応言ってみる。

「今から出掛けたら、寝るのが遅くなっちゃうよ?」

 美来の言い分に顔を合わせた歩望と希。にっこり笑って、それから声を揃えてはっきりと言う。

「「今日だけ夜更かしオッケー」」

 断ることは出来ないのだと、悟った瞬間だった。


「本当に、川の字で寝るのね」

「うん」

 あり得ないだろう、と思っていた。けれども希の願いは歩望の中で絶対のようで、結局一緒に星を見に行き、家にも寄って、銭湯に行ってから帰って来ることになった。

 客間で二人分の布団を敷いて、美来の布団の方に希が入り込んだ。真ん中は希だけど、これは微妙に川の字でない気がする。

 それは歩望も同じようで、ブスッとした顔で希に言う。

「希、お兄ちゃんと一緒に寝ないの?」

「うん」

 笑顔で頷いた希に、歩望は枕に伏せてあからさまに落ち込む。

 見ていて楽しいのだけれど、可愛そうにも見えてきた。

 から笑いを浮かべる美来の方を振り向いた希が、あのね、と小さな声で言った。

「美来さん、私ね。今日はすごく楽しかったの。今日だけじゃなくて、美来さんが一緒にいてくれて、楽しくて仕方がないの」

「それは私もだよ」

 歩望と出会って、希と出会って。二人との出会いから毎日が充実しているとひしひしと感じている。寝っ転がっていた突然希は起き上がり、ごそごそと鞄の中の何かを探し始める。

「どうかしたの?」

「うん、ううん」

 希の答えが答えになっていない。希が起き上がったので、何となく起き上がった美来と同じように、歩望も起き上がる。

 途中から希の行動を悟ったようで、ポンと手を叩くと美来の方を見て笑った。

「美来さん。両手を前に出して、水をすくうように」

「え?」

 何事かと思いつつも、言われた通りに手を出してみる。

 悪戯っ子のような笑みを浮かべた。そんな歩望の横に、後ろに何かを隠した希が座る。その顔も、悪戯っ子のようだ。美来だけが、この先の展開が読めない。

 希はそっと美来の手の上に、何かを置いた。

「美来さんに、プレゼントなのです!」

「へ?」

 思いっきり変な声が出てしまった。

 美来の両手の上に、小さな包装紙。赤いリボンで包装されたプレゼント。

 驚いている美来を見て、せーの、と言って声を揃えた歩望と希。

「「いつも、ありがとう」」

 同時に言われた言葉。

 大したことなんてしていないのに、歩望のことが好きで追いかけて来たようなものなのに。こんな風にプレゼントを貰えるなんて思っていなかった。嬉しくて、感動して少しだけ泣きそうになる。

「私も、ありがとう」

 消えそうなくらい小さな声だったけど、どうしてもお礼を言いたかった。

 歩望のことが好き。

 希のことも好き。

 この上なく幸せなで、嬉しくて嬉しくて美来は笑った。



 袋の中に入っていたのは、キラキラした小さなアクセサリー。

 不思議の国のアリスのウサギがモチーフで、小さな緑の宝石が付いたネックレス。

 歩望と希から貰った、最初で最後のプレゼントだった。

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