23 モノローグ翠
「――絶対に、貴方を逃がしはしない!」
柘榴の毅然とした声で、希の意識は覚醒した。横たわっているせいで肌に当たる金属が固くて、冷たい。すぐ傍にいた友樹がいない。
身体が動かないのは、おそらく力を使いすぎたからだ。
長時間も力を使っていた。一瞬で遠距離を移動した。初めて行った行為に、身体がついて行かない。
いや、初めてのことじゃなかった。
柘榴と出会った日。あの時も力を無意識に使って、瞬間移動した。
目を開けて現実を見ろ、と思ったところで逃げ切れる自信もなく。希は何も出来ない。
希を連れ去ろうとしている男には見覚えがあり、希はすぐ傍にいる男、終冶が憎くて堪らない。
覚えている、あの日のこと全て。
目の前にいる終冶は、希の大切な兄の、歩望の命を奪った張本人。
静かに開いた希の瞳に、楽しそうに笑って遠くを見ている終冶の姿が映った。
「なるほどな。ガーネットはあんな風に戦うのか」
独り言を呟きながら、終冶は楽しそうに柘榴の戦う様子を見ている。希が起きた気配に気が付いたのか、ふと振り返った終冶と目が合った。
「やあ、目覚めたかい?」
「…しゅう、じ、さん」
「そんなに睨まないでくれよ」
肩を竦めて言う終冶を睨まずにはいられない。唇を噛みしめて、無言で睨んだままの希に終冶は諭すように言う。
「僕が欲しいのはエメラルドだってことは、君も知っているだろう。抵抗しなければ君の仲間に危害は加えないよ」
「嘘、ですよね」
掠れた声ですぐに言い返した希に、終冶は何故か微笑んだ。何か言わなければ、と言葉を紡ぐ。
「どれだけ望んでも、貴方の願いは叶わない」
「…叶うよ」
静かに終冶は言い返すが、希はさっきよりはっきりと告げる。
「どれだけ望んでも、死んだ人は生き返らな――」
「違う!」
希の声を遮って叫ばれたことに驚いて、一瞬身体がビクッと動いた。
終冶はさっきまでの雰囲気から豹変して、冷たい視線で希を見下ろす。その笑顔が怖くて、恐怖で背中に冷や汗が流れる。
終冶は数歩先で希を見つめ、自分自身に言い聞かすように呟く。
「帰って来るんだ。絶対、必ず。そう、そうじゃなかったら――」
「そうじゃなかったら、貴方はどうするのですか?」
聞き慣れた女性の声が、終冶の言葉の途中で遮った。
驚いたのは希だけじゃない。後ろに気配を感じた終冶が振り返った瞬間、その影はぼやけてなくなった。瞬きを繰り返した間に、希を守るように、終冶の目の前に突如現れたのは懐かしい女性。
終冶は戸惑いを隠せず、一歩ずつ引き下がりながら、その女性の名前を呼ぶ。
「…美来?」
「違います」
バッサリと否定して、女性は希の方を振り向いて微笑んだ。
「お怪我はありませんか?」
「…えっと」
ガラス玉の瞳が、希の姿を映している。
驚きすぎてそれ以上声が出ない希の身体を、ゆっくりと女性は起こした。
希の記憶が正しければ、五年前と変わらない姿。茶髪の髪、パーマをかけていてふわふわの髪が羨ましかった。化粧をあまりしていないのに、人懐っこい笑みで希に接してくれた。
まるで姉のように慕っていた女性、美来の姿そのものだ。目が離せないまま、何とか声を出す。
「どう、して?」
「希様、下で貴方の仲間が待っています。私がこの男を別の場所へ連れて行くので、希様は早く本部へお戻りください。USBは貴方の仲間に渡してありますので」
早口で耳元で囁かれた言葉は、何とか聞き取れた。それから、失礼します、と言って女性の両腕が肩と両足に回ったと思った途端に、ふわりと身体が浮く。
「きゃっ!」
悲鳴を上げた希を気にせず、抱き上げた女性はそのまま終冶の方を向いた。
終冶は言葉を失い、それでも動こうとはしない。何が起こっているのか分からないと言う顔で、ただただ女性を見つめていた。
対称的に女性は落ち着き、真顔で静かに言う。
「貴方の思惑通りにはいきません。希様は返していただきます」
「君に…何が出来ると言うんだ」
少し落ち着きを取り戻した終冶は、余裕そうに言う。そうですね、と呟いた女性は全く終冶の言葉を気にしていない。
「私に出来るのは、時間稼ぎぐらいでしょうか」
「君にそんなことが――」
終冶の言葉の途中で、女性は足を一歩引いた。その反動で希の重心がずれたかと思った次の瞬間には、身体が宙へと放り投げだされる。
「っきゃ――!」
「っ!」
二階から一階の高さを落とされて、受け身すら出来ないと目を瞑ったが、痛さは襲ってこなかった。代わりにさっきと変わらない体勢で、誰かに受け止められた。
ゆっくりと瞳を開くと、少し顔を上げた先に安心した表情を浮かべた友樹の顔があった。
「…友樹、さん?」
「無事か?」
「は、い…」
泣きそうになりながら頷いた。そのまま顔を埋めるように、友樹にしがみつく。
「とりあえず、ここから逃げるから。捕まっとけよ」
一方的に言うと、希の返事も聞かずに友樹は駆け出した。
友樹の傍にいると、怖くて不安で仕方がなかったのが嘘みたいに消えて行く。五月蠅いくらいに心臓がどきどきするし、すごく恥ずかしいのに、それ以上に傍にいられる事実が嬉しい。
泣くまい、と思うのに涙は流れた。友樹も怪我をしている。柘榴と結紀のことも心配なのに、もう大丈夫だと思うと涙が止められず、声を出さずに希は泣いた。
それからゆっくりと意識が遠のいていったのは、すぐのことだった。
希のいなくなった建物で、女性は真っ直ぐに終冶を見つめた。
「希ちゃんを手放したところで、君はどうするつもりだい?僕はまたすぐに彼女を引き戻せるんだよ?」
「そんなこと。させるわけがないじゃないですかっ!」
最後の声と共に、女性の身体は一瞬で終冶の前へ移動した。右手を伸ばし、咄嗟に身を引いた終冶の服を逃がすまいと掴んだ。
その、瞬間。
女性と終冶の姿は、瞬く間にその場から消えていなくなった。




