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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第4章
19/59

18 休日編01

 柊から二日間の休暇を貰った柘榴は、一人食堂に向かう。

 リュック片手に、コートを着て、中の服は一応戦闘服。昨日、キャッシーから渡された袋の中に入っていた新しい戦闘服。

 ふくらはぎまである真っ黒のニーハイ。その長さより少しだけ短いロングブーツは黒に近いグレー。ニーハイと同じ色のショートパンツは、結構短い。スカートでないだけ、よしとした。

 上は白のセーラー服のようで襟に赤のラインが入り、何故か短めな裾。スカーフの代わりに赤いリボン。手を上に上げればお腹が出る。

 そのために下には黒のタンクトップを着た。

「冬になるのに、腹だしは寒いと思うんだよ…」

 誰に言うわけでもなく、独り言を呟きながら柘榴は歩く。

 今回の帰省に希も一緒に行こうと誘ったのだけれど、断られてしまったのでしぶしぶ一人で帰ることになった。今日はゆっくり眠っていたい、と言った希を起こさずに、時刻は六時。

 早すぎたかもしれないと思いつつ、食堂を覗く。人はいない。けど、美味しそうな匂いはする。

 自然と顔が綻んで、柘榴は一歩足を踏み入れる。

「おはようございまーす!」

 元気よく食堂のカウンターから奥に叫べば、慌てた声の結紀とキャサリンが言い争う声。

「ちょ、今日早くね」

「いいから、さっさと誰か見に行きなさいよ」

「俺が!?」

「文句を言う前に動きなさい!」

 一体誰だよ、と文句を言いながら結紀がカウンターの方にやって来た。そこにいた柘榴を見るなり、真顔になって何も言わずに戻って行こうとする。慌てて服を掴み、結紀を引きとめる。

「ちょ、挨拶!せめて挨拶ぐらいは返してよ」

「ったく、忙しい時間に来るなよ。まだ、朝ご飯は出来てねーよ」

 言いながら、結紀はお玉を持っていない左手で、柘榴の頭を叩いた。容赦なく叩かれたせいで、擦って痛さを紛らわせるしかない。そもそも頭を叩くのはどうかと思う。

 恨めしそうに結紀を見上げてから、そうだよね、と肩を落とす。

「やっぱり出来てないよね…じゃあさ、キャサリンに今日から明日のお昼までは、ご飯はいらないって伝えておいて。今からちょっと実家に帰るんだ」

 打って変わって嬉しそうに話し出す柘榴の笑顔は絶えない。

「今日の始発で実家に帰って、だらだらと過ごしたら明日の夕方には戻って来るかな?」

「へえー」

「だからさ、キャサリーン!行ってくるね!!!」

「…う、うるせぇ」

 話している途中でカウンターの奥に叫んだ柘榴。そんな柘榴の五月蠅い声に、渋い顔になった結紀は耳を塞ぎながらそっと離れた。

 キャサリンの返事は特になく、包丁のリズミカルな音や鍋の沸騰する音しかしない。

「…聞こえたかな?」

「いや、聞こえてないだろ?て言うか、朝から元気だな」

「まあね。それじゃあ、行って来るよ」

 大きく手を振りながら、柘榴は元気よく食堂から出て行く。結紀は呆れ顔をしながら、柘榴の背中を見送った。

 なかなか食堂の奥に戻ってこない結紀に、キャサリンが怒って騒ぎ出す声が廊下まで響いたのは、それからすぐのこと。その声に、柘榴は思わず笑いながら歩くのだった。



 本部よりタクシーで駅まで行くと、そこから切符を買って三時間。その間に乗り換え三回ともなると、やることが無くて、暇だった。

「暇すぎて、寝過ごすところだったし…」

 大慌てで駅に降りて、乱れていた呼吸を整える。無事に目的の駅に辿り着けたのは、運がよかったとしか言いようがない。

 乗っていた電車が過ぎ去って行く様子を見送ってから、柘榴は見知った駅の改札口を通り抜けた。

「柘榴!」

「おねえ、おかえり!」

 名前を呼ばれて顔を上げれば、目の前にいは母親と苺の姿。苺の方は大きく手を振り、母親の方も笑顔を浮かべていた。その変わらない姿に、柘榴の方も自然と笑みが零れて、手を振り返しながら叫ぶ。

「ただいま!」

「おかえり、おねえ!」 

「いやー、なんか久しぶりって感じだね」

 二人の元に駆け寄れば、帰って来たのだとじわじわ実感が湧いて来る。締まりのない顔で、へらへら笑い出した柘榴に、呆れた様子の苺が言う。

「もう、何か月も帰って来ていないんだから、そんなの当たり前でしょう」

「そうかもねー」

「ねえ、ねえ!ここ数か月は何していたの?どんな感じだったの?」

「苺、柘榴は疲れているんだから。話は家に着いてからにしなさい」

 軽く怒られた苺は、頬を膨らませて不満そうな顔で黙った。ほら、と言いながら母親が柘榴の肩を叩く。

「帰るわよ、柘榴」

「うん」

 母親の言葉に柘榴は大きく頷いた。

 それからは、迎えに来た母親の車に乗って家に帰ることになった。運転手は母親、助手席にはどこか嬉しそうな笑みを浮かべている苺。そして、後部座席にはリュックを持った柘榴。

 居心地の良い車の中で、母親と苺の話し声を聞いていると安心して瞼が重くなっていく。

 知らず知らずに目を閉じた柘榴は、微かな寝息を立てながら車の中で眠るのだった。



 ――夢を見ている。

 幼い子供が二人、金木犀の木がある小さな神社で、階段に腰掛けていた。

 その様子を、まるで客観的に見つめるように柘榴は少し離れた場所で見ている。そんな、夢。

 時刻は夕方。顔のそっくりな男の子と女の子。お互いに答案用紙を見せ合いながら、どうしようと頭を抱えていた。

 それは幼い頃の柘榴と、弟の柚。

 唸っている柘榴に、柚が悲しそうな声で言う。

「お姉ちゃん、この点数は怒られるよ」

「そう言ったって、柚も同じようなものじゃん」

 お互いの答案用紙に書かれているのは、百点満点中八点。

 間違えている個所こそ違うものの、点数は一緒。家に帰って両親に見せることを考えれば、お互い顔を合わせ泣きそうになる。

 怒られるのが怖くて家に帰れないから、情けない声しか柘榴は出せない。

「双子だからって、点数は一緒じゃなくてもいいじゃんか」

「お姉ちゃん、そう思うなら勉強すれば?」

「そういう柚が勉強すればいいじゃん。いっつもいっつも一人でお父さんの仕事に付いて行っちゃってさ」

 そう言いながら、もう答案用紙は見ないでおこうと、ランドセルに押し込んだ。話題を変えなければ、いつものような元気が出ないので、何か言わねばと言葉を紡ぐ。

「休日になる度に、お父さんの仕事に付いて行くのはずるいし。私もたまには一緒に行きたいのに」

「だって、お姉ちゃんと違って部活してないもん」

「あー、ムカつく」

 不貞腐れた顔になった柘榴を見て、柚が意地悪そうに笑って言う。

「じゃあ、ミニバス止めれば?」

「それは無理!身体を動かさないと、ストレス溜まるし。あ、でも一回ぐらいなら、柚!私と代わって部活に行ってよ」

「それこそ、無理だよ!」

 焦り出した柚の顔を見て、柘榴は形勢逆転と言わんばかりに、にやりと笑った。

 ミニバスケットボールをしている柘榴は、土日は基本練習で忙しい。それに対し、柚は部活をしていない。最近はよく父親の仕事に付いて行っている。

 少し意地悪を言っただけなのに、柚は本気にして大慌てだ。

 遊ばれた、と気が付いた柚は怒ったような顔になった後、すぐに悲しそうな顔になり、遠くを見つめながら小さな声で呟く。

「でも…もう、行っちゃ駄目なんだって。折角、仲良くなれたのに」

 段々と小さくなった声を、柘榴は何とか聞き取った。

 柚の横顔がとても悲しそうな顔で、柘榴は思わずその頬を引っ張った。

「い、いひゃい!なんで、つねるの!」

「ムカついたから」

 柚を励まそうと思った、なんてことは言わない。

 柚があまりにも痛がったので、柘榴はそっと頬を離して腕を組んだ。そっぽを向いて、顔を見られまいと顔を隠す。

 柚とは双子のはずで、昔は何でも一緒だったのに。段々年が経つにつれて、離されていく気がして寂しい。前は知らないことなんてなかったのに、といじけているのはきっと柘榴だけだ。

 勝手にイラついて、少し落ち着いた柘榴はふと問いかける。

「…仲良くなった、て誰と?」

「え、え?」

 柚の方を振り向けば、何故か少し顔を赤くして戸惑った顔。その表情は初めて見る顔で、少し驚いた柘榴は思わずその顔を見つめて、問いかける。

「何、その顔?」

「…別に?」

「もしかして、仲良かった子は女の子?」

 言葉数が減り、柘榴の顔を見ないようにしている柚の顔が少しずつ真っ赤に変わっていく。

 面白いことを発見してしまった柘榴は、笑みを浮かべたまま言う。

「へえ、女の子と仲良くなったんだ。ねえ、どんな子?私より可愛い?」

「…言わないよ」

「きっと、可愛い子なんだろうなー。可愛くて、素直で。柚のタイプは大人しい子だったよね」

「…なんで、知っているわけ?」

 思わず言い返した柚の顔で、大方当たってしまったことが分かった。

「ふーん。柚ったら、その子のこと好きになっちゃったんだねえー」

「んな!違う、全然違う!」

 立ち上がって、リンゴのように顔を真っ赤にした柚。あまりにからかいすぎると怒られそうだけれど、それでも止まらない。

 これは面白い、と。

 悪戯を思い付いたように、柘榴はにんまりと笑った。

「そっか、そっかぁー。じゃあ、その子のことお父さんに聞いてみよっと」

「だー!違うって言っているじゃん!話を聞いてよ!」

 顔を真っ赤にした柚が全力で否定している。もう何を言っても遅いのだけれど、柚はそれに気が付かずに否定しようとする。

「よーし、じゃあ。かくれんぼをして柚が私を見つけられたら、この話は聞かなかったことにしてあげる。いつも通り、一分しっかり数えてね!」 

「あー!違うって言っているじゃん。てか、また僕が鬼なの!?」

「ちゃんと数えてよ!」

 勝手にかくれんぼを始める柘榴に、いつも柚は何だかんだ言って付き合ってくれる。柚は神社の方を見て、柘榴に背を向けた。

 座っていた柘榴はゆっくり立ち上がって、音を立てないように柚の傍を離れた。

 それは、あの日。

 ラティランスに初めて襲われるまで、数分前の出来事。

 忘れていた記憶を思い出した瞬間、柘榴の目の前は真っ暗になった。



 車が止まって、母親と苺が柘榴の名前を呼んでいる。何度も名前を呼ばれて、ぼんやりとした頭が段々覚醒していく。

「あ、おねえ。やっと起きた。もう着いたよ」

「あ…うん」

 苺が呆れ顔で、柘榴の肩を揺すっていた。苺が近くにいるのが、不思議な感じ。

「あれ?ここって」

「うちに着いたの。疲れているならベッドで寝なさい、てお母さんも言ってたよ」

 首を軽く動かして、自分の居場所を確認すれば、車は家に着いていた。

 柘榴が枕にしていたリュックを取られ、苺がドアを開けたまま玄関に向かって行ってしまう。開けられたままでは寒い。これでは寝られない。仕方がないので、柘榴も車から降りる。

 自分の家、なのに懐かしい。

 玄関から家に入り、入ってすぐの部屋に顔を出す。

「ただいま」

「…おかえり」

 祖父との感動の再会、とはならず。素っ気ない祖父は柘榴の顔を見ると、すぐに点いていたテレビの画面に視線を戻した。

 これはこれで、いつもの変わらない祖父かもしれない。

 でも前と違って、ちゃんと柘榴の顔を見て挨拶をしてくれた。眠たかったはずなのに、眠気が吹き飛ぶ。素直に、嬉しい。

「柘榴、お昼?食べてないの?」

「食べてない。だから、一緒に食べるよ」

 分かった、と母親が小さな声で返した。昼食を作り始めた母親の横に苺もいて、手伝っている。

 柘榴はと言うと、リュックを部屋の端に置き、祖父の近くの椅子に腰かける。

 母親と苺は楽しそうに何やら話しているが、柘榴はテレビと祖父の様子を交互に観察する。前なら居心地の悪かった空間のはずだけれど、案外そんなに悪くない。

 ぼんやりとテレビを見ている祖父に、柘榴はふと問いかける。

「…ねえ、私達のことってテレビに出たりするの?」

「見たことはない。軍の活動は時々テレビに出とるが。お前らのことは、ちっとも写らん」

「ふーん…」

 その声から映っていて欲しかったのだと言うことは、何となく感じられる。そんな小さな変化だけれど、柘榴は嬉しくて堪らない。

 笑顔になって、柘榴は一人で勝手に話し出す。

「最近はね、合宿したんだよ。希ちゃんと蘭ちゃんとね。あ、希ちゃんは知っているよね?」

 話し出した柘榴の言葉を、祖父は黙って聞いていてくれた。時々相づちを入れてくれ、そうしている間に昼食を持って来た母親と苺が加わった。

 ここ数か月の生活を話しながら、久しぶりの家族との食事を楽しむのだった。


 昼食を食べ終えると、柘榴は一人で夢で見た場所へ。

 少し前なら三日と置かずに訪れていた場所を目指す。久しぶりの自転車、久しぶりの神社、久しぶりの金木犀。目的地まで、すぐだった。

「なんか、懐かしいな」

 自転車から降り、神社の階段を上った。

 いつもの癖で、真っ直ぐに金木犀の木へと向かう。金木犀に触れて、木を見上げた。花はもう散ってしまったらしい。花を久しぶり見たかったのだけれど、間に合わなかった。

 少しショック。

 距離を置いて、柘榴は両手を合わせて黙祷。 

 それから以前のように腰を下ろすと、柘榴は首に掛けていたデジカメを見ながら語ることにした。

 柘榴が組織に入ってどんなことがあったか、希や蘭といった沢山の友達が出来たこと。ラティランスと戦っていること。これから飛行船に乗ること。

 語りだしたら止まらない。

 柘榴は思いつくがまま語りだす。

 どれくらいか経って、ふと語るのを止めた。

「そういえば、今日柚の夢を見たよ」

 夢で見て、思い出した。あの日、ラティランスに襲われる前はあんな会話をしていたのだと。

「柚、好きな子いたよね?結局、会えなかったけど…」

 この場でかくれんぼをして、ラティランスに襲われて変わってしまった日常。

「会って、みたかったな」

 少し顔を伏せた柘榴の声に反応したように、金木犀の葉が揺れる。

 風が出て来た。少し寒い。そろそろ帰った方がいいのかもしれない。でもきっと、もうまたここには当分来られないのだと思うと、まだ帰りたくない。

 膝を抱えて、呟く。

「なんで、あの日のことを思い出したのかな?それも、襲われる前の記憶なんて」

 空を見上げれば、空の色が変わり始めている。それでも、続ける。

「いつもは、ラティランスに襲われた時の夢ばかり見てた。最近は、その夢も時々しか見なくなったのに…なんで今になってあんな鮮明に思い出すの?」

 誰に問いかけるわけでもなく、声に出す。

 なにか意味がある気がしてならない。それは、ただの直感。空に向かって、右手を伸ばす。何かを掴めそうで、何も掴めない。

「柚のことが、知りたい」

 金木犀に背を預けたまま呟いた声は、あまりにも小さかった。右手をギュッと握りしめて、それからゆっくりと立ち上がった。

 金木犀の木を見ながら、柘榴ははっきりと告げる。

「柚、また来るよ。きっと、またしばらくは来れないけど。それでもまた、ここに来る。今度は私の友達を連れて来るから、待っていてね」

 金木犀に笑いかけ、柘榴は一歩下がった。それから背を向け顔を上げて、ゆっくりと歩き出す。

 柚のことが知りたい。そのためにも、家に帰るしかない。柚の好きだった子、その子を探すことが出来れば、夢の意味を知ることが出来る気がする。

 と、なると探す場所は家の柚の部屋。きっと今も、あの頃と変わらない部屋。

 神社の鳥居のところまで来て、自転車に跨ると最後に神社の方向を振り返った。

 今度来る時は、希ちゃんでも連れて来よう。今するべきことは、柚のことを知ること。することが決まった柘榴は、家に向かって漕ぎだした。



「ただいま!」

「柘榴、靴は揃えなさい!」

「揃えたよ!?」

 家に帰るなり、母親に怒鳴られて思わず言い返す。すぐに靴を揃えたことを確認して、柘榴は一目散に柚の部屋に駆けこんだ。

 柚の部屋、変わらない。柚の葬式の日。それ以来、母親が掃除をしているのは知っているが、だいたいはそのまま。五年前に柚がいなくなってから、滅多なことがない限りは、というかおそらく一回だけしか入ったことのない部屋。

「おねえ、おにいの部屋でどうしたの?」

 帰って来るなり、柚の部屋に走り去った苺が柘榴を追いかけて、柚の部屋にやって来た。柘榴が電気をつけ、柚の部屋を見回す。

「苺…柚の日記知っている?」

「え?知らないけど?」

「だよね」

「どうしたの?突然」

 意味不明な柘榴の質問に、苺は不思議そうに首を傾げた。元々期待していなかっただけに落ち込むこともなく、柘榴は柚の部屋を片っ端から探す。

 本棚の本を出して、机の引き出しを開けては閉じる。

「おねえ、泥棒みたい」

「そう言うなら、苺も探して」

「おにいって、日記書いていたの?」

「さあ?」

「さあ、って…」

 ドアの付近で柘榴の様子を一部始終見ていた苺は、呆れた返事をしながらも近くのクローゼットを開けた。その中を軽く見渡してから、ふと思い出したように呟く。

「探し物なら、お母さんに聞いてみたら?」

 その提案に、柘榴は手を止めて苺を振り返った。

「あ、その手があったか!ちょっと、聞いて来て!」

「ええー」

 にっこりと笑ってお願いをすれば、苺は不満そうな顔になりつつも、さっさと部屋からいなくなってしまった。何だかんだでいつも苺は柘榴のお願いを聞いてくれる。

 苺が帰ってくるまで、適当に探していると階段を駆け上る音がして、苺が戻って来た。

「お待たせ」

「お、どうだった?」

 ベッドの下を探していた柘榴は顔を上げ、少し息切れしている苺の方を見て問いかけた。頑張って階段を駆け上った苺は、深呼吸を一つして言う。

「多分、本棚の奥。漫画の後ろだって」

「了解っと」

 そう言いながら、さっさと本棚の方へ行く。柚の部屋には漫画が入っている本棚は一つしかない。苺も一緒になって、本棚の漫画を取り出してみると一番下の右側。

 そこに、少し古びた一冊のノートがあった。

 どこにでも売っている、青いノート。その表紙には、【柚】と言う名前と大きな字で【日記】と書いてある。そのノートを取り出した柘榴は、そっと表紙を撫でる。

「…本当に、日記があったんだね」

「うん」

 まさか本当にあるとは思わなかった驚きより、柚に一歩近づけた気がする。その喜びで、自然と笑みが零れる。夢で柚に会った、その意味が分かる気がして柘榴はそっとノートを捲った。

 興味津々の顔をした苺も、柘榴の横に来てノートを覗き込む。

「ねえ、何て書いてあるの?」

「読めばいい?」

「うん」

「じゃあ…『小学六年生になった――』」

 日記の最初から、柚の日記を読み上げる柘榴の声を、苺は隣で黙って聞く。

 日記の内容はたわいない内容ばかり。一日数行の日記、ところどころ抜けた日があり、毎日書かれているわけではない。今日は柘榴と喧嘩をした、とか。今日の給食は嫌いな物が出た、とか。

 一つ一つは短いので柘榴はそれを真剣に読んだ。苺も隣で真剣に耳を傾ける。

 小学六年生から始まった日記は、あっという間に夢で見たあの日に近づいた。


「『今日は、お父さんの仕事場に行った。お父さんはおじさんのところで、たくさんの写真をとった。当分はおじさんのところで仕事みたいです。しゅうじさんやあゆむさんと仲よくなれて嬉しかった』」


 あゆむ、と言う名前を最近どこかで聞いた。それを思い出す前に、とりあえず続きを読む。


「『おじさんの仕事場ですごくかわいい女の子と知り合った。同い年であゆむさんの妹。名前は、希ちゃん。一緒にたくさん遊んで楽しかった。明日も会えるので、すごく楽しみです』」


 希、と言う名前にノートを捲る手が微かに震えた。

 そうだ。前に希が言っていた。歩望は希の兄の名前、どうして忘れていたのか。思い出したらそれは確信に変わって、柘榴は数行分を飛ばして柚が父親の仕事に付いて行った日の文章を探す。

 柚が父親の仕事に付いて行ったのは、そんなに多い回数じゃない。平日は学校で、行くとしたら土日。

 この日の続きは、すぐに見つかった。

「『一週間ぶりに、お父さんの仕事に付いて行った。今日は希ちゃんと探検をした。おじさんがきれいな宝石をたくさん見せてくれた。その中の赤い宝石にさわって、家に帰ってお父さんに怒られた。すごく怒られてこわかった』」

「お、おねえ?」

「『お父さんに、もう来てはいけないと言われた。希ちゃんと遊ぶ約束をしていたのに、破ってしまった。宝石をさわることが、悪いことだとは思わなかった。今度希ちゃんに会ったら、謝りたい』」

 読んでいる途中で、数行飛ばしていることに気が付いた苺に声を掛けられても読むことを止めることは出来なかった。

 次は、と急いでページを捲る。

 その続きはなかった。数日分の日記は書いてあったが、その中に柘榴の望んだ内容はない。ただ日々の出来事が綴られていただけ、その後は白紙だけが続く。

 数枚ページを捲っている間、柘榴も苺も無言だった。

 真っ白なページで手を止めて、柘榴は掠れた声で呟く。

「…どういう、こと?なんで、希ちゃんの名前が…」

 驚きを隠せない柘榴とは対称的に、苺はまさか、と言いたげな顔で静かに言う。

「名前が一緒なだけじゃないの?おねえ」

「そうなら、よかった、けど…」

 段々と声が小さくなりながらも柘榴は何とか答える。

 柘榴の中ではすでに、日記の中の【希】が、柘榴の知っている少女としか思えない。【宝石】と言う言葉だって、今の柘榴と関係がないとはどうしても思えなかった。

 きっと柚は五年前から関係していた。

 そして、それは希も同じだと、そう思った。

 駄目だ。意味が分からない。

 唸りながらも必死に考えをまとめようとする柘榴の横で、苺は恐る恐る柘榴に尋ねる。

「…おねえ、日記見てもいい?」

「あー、うん」

 白紙のページを開いたままだったノートを、一度閉じて苺へ渡す。その間に、当時の柚のことを思い出そうとする柘榴の横で、苺は最初からゆっくりと日記に目を通す。

 つまり、五年前。柚は希と出会っていた。柚も宝石を持っていた。それが、今の柘榴とも関係がある?

「あ、おねえ」

「何?」

 名前を呼ばれて、考えが中断する。隣にいた苺は、一枚の写真らしきものをジッと見て何度も瞬きを繰り返していた。

 写真から目を離すことなく、やっぱり、と小さな声を漏らして言葉を続ける。

「おねえの言う通り、希さん、かも…?」

 疑問形でも聞こえた言葉に、柘榴も写真を見ようと身体を少し動かす。苺が凝視していた写真を覗き込んで、思わず驚きの声が出た。

「何、これ?」

「おにいと…希さん、だよね?」

 すぐには頷けなかった。

 苺の持っている写真には、幼い少年と少女がピースをしている普通の写真。少年の方は、間違いなく柚。そして、もう一人の少女は髪を二つに分けて結んでいる、希の面影がある少女。どちらも小学生くらいの顔をしているから、おそらく五年前の写真。

 どうして、と言いたいのにその言葉を飲み込んで苺に問う。

「この写真、どうしたの?」

「…最後のページに、挟まっていたよ」

「そう、なんだ」

 お互いそれ以上何も言えなくなり、写真を見たまま暫く動けなかった。



 結局、その後すぐに母親に夕食が出来たと呼ばれた。

 何か言いたそうな苺が始終柘榴を気にしていたが、柘榴の方は何も言えない。柚のノートと挟まっていた写真を自分の部屋に持って行った後は、それ以上考えまいと、椅子に座ってテレビを見ながらぼんやりしていた。

 夕飯を食べた。お風呂に入った。

 いつも通りの柘榴でいようと思うのに、ついつい五年前のことを考えてしまう。

 五年前、柚は父親の仕事に付いて行くことが多かった。

 写真家の父親。色んな場所に行き、色んな写真を撮っていた父親は、よく柚を色んな場所に連れて行っていた。柚と希が会った時は、叔父のところにいたらしい。

 叔父は、父親の弟に当たる人。三年に一回会えればいい方で、滅多に会っていない。おそらく、ここ五年間は会った記憶がない。大学で教授をしている、父親とはそこそこ仲が良かった、はずだ。

 どうして、叔父の場所に宝石があった。

 どうして、柚は希の兄と知り合った。

 どうして、希は柚の話をしない。

 どうして――

 疑問は浮かぶばかりで尽きない。いつの間にか、部屋に戻った苺や祖父の姿は部屋から消え、お風呂から上がったばかりの母親が、一向に動こうとしないで考え事をしている柘榴を見て首を傾げる。

「柘榴?」

「…」

「柘榴、寝ないの?」

 考えすぎて最初に呼ばれた時は反応できず、二度目に肩を叩かれてハッと顔を上げる。テレビが点いているのに見向きもせず、いつの間にかどこか遠くを見ていた。

 母親と目が合って、何となく視線を外してから柘榴は言う。

「…もう少ししたら、寝るかな?」

「まだ起きているなら、何か飲む?」

「あー、じゃあ。ココア」

「はいはい」

 何故かポンと頭を軽く叩かれ、そのまま母親はココアを作り始める。沸いていたポットのお湯を注ぐと、部屋に甘い匂いが充満する。

 それからすぐに、出来上がったココアを柘榴の目の前に差し出した。

「はい、熱いから気を付けて」

「ありがと」

 お礼を言いながら受け取ったココアは、熱くてすぐには口に運べない。両手で冷まそうと、息を吹きかける柘榴の目の前に、同じように自分用のココアを作った母親は静かに座る。

 母親は、さっきから考え事をしていた柘榴に優しく尋ねる。

「柚の日記、見つけた?」

「…うん」

 素直に答えた柘榴に、母親は質問を重ねる。

「写真、見つけた?」

「知っていたの?」

「写真は一枚しかなかったでしょう。その写真のことなら、知っていたの」

 喰いつくように、驚いた声が出た。持っていたココアが零れそうになり、慌てて目の前のテーブルの上に置く。母親は至って普通の顔で、ココアを飲んでいた。

 ジッと母親の顔を見て、言葉の続きを待つ柘榴。

「見つけたきっかけは些細なことよ。掃除をしていたら、日記を見つけて。そうしたら、柚と女の子が写っていた。その女の子は五年後。柘榴と一緒にやって来た。偶然ってあるのね。何度も写真を見ていたし、柚とお父さんから直接話を聞いたこともあった。希ちゃんに会った時、あ、この子だ、て思ったの」

「…なんで、教えてくれなかったの?」

「あの当時は、柚に内緒って言われていたもの」

 可愛く言った母は、悪戯をした子供のような顔で微笑んだ。

 それから母親は、優しげな笑みを浮かべて言う。

「希ちゃん、面影が全く変わらなかったのね。一度も会ったことがなかったのに、知っている子みたいだった。柘榴と一緒にこの家にやって来た時は、本当に驚いたのよ。顔が同じだし、名前も一緒。本人に確認はしていないけど、勝手に知り合いだと思ったの」

「そっか」

 少しだけ冷めたココアを飲んで、柘榴は少し落ち着いた。だから、ずっと気になっていたことを母親にぶつけてみる。

「お母さん、あのね。柚と希ちゃんが知り合いだったのは分かった。けど、もしかしたら…じゃなくて多分、希ちゃんは柚のこと覚えてない、と思う」

「あら、そうなの。まあ、仕方ないでしょ。五年前に少し会っただけだし」

「でも!柚は希ちゃんのこと好きだったんだよ!?」

 思わず声を上げてしまった柘榴とは対称的に、母親は落ち着いて言う。

「じゃあ、柘榴は五年前のこと全て覚えているの?」

「それは――」

 覚えてない、と最後まで言えなかった。

「覚えてないでしょう。確かに柚は希ちゃんのことが好きだった。けど、希ちゃんは同じとは限らないし、過去のことを引きずるのは良くないことだと思う。母親としては、忘れて欲しくはなかったけど…今を生きていてくれて嬉しいの」

「本当に?」

「少なくとも私はね」

 そう言ったきり、母親は口を閉じた。すでに熱くないココアを、一気に飲む。さて、と言いながら立ち上がって、柘榴を見下ろして言う。

「柘榴が柚と希ちゃんの関係を気にしているのなら、それは本人達の問題。下手に首を突っ込むのはどうかと思うけど、もし詳しく知りたいなら叔父さんに聞きなさい」

「叔父さんに?」

「日記にも書いてあったじゃない。柚と希ちゃんは、叔父さんとも会っているみたいだし。五年前のことだから、覚えているかは分からないけど。知りたいなら聞けばいい、でしょ?」

 にやりと笑った顔は、親子だから柘榴と似ている。柘榴は大きく頷いて、分かった、と言った。

「じゃあ、明日会いに行く!それで、知りたかったこと全部聞く!」

「そうしなさい。一応明日連絡しておくから、今日は寝なさいよ」

「うん、そうする」

 元気よく返事をした柘榴。母親と話す前は、もやもやしていた感情がいつの間にか消えていた。

「でも、叔父さんに会うのはすごく久々だよね?」

「そうかもしれないわね。柘榴、叔父さんのことあまり好きじゃなかったでしょ?」

「そう、だっけ?」

 そう言われるとそんな気もするが、どうして好きじゃなったのか思い出せない。

 深く考えることもなく、残ってたココアを飲み干した柘榴もようやく椅子から立ち上がった。表情は明るく、少し眠気が襲って来た柘榴は大きな欠伸を一つ。

「何だか、本当に眠くなってきた」

「寝なさい、寝なさい。どうせ明日はいつも通りに目が覚めるんだから」

「えー、流石にゆっくり寝るよ」

「さあ、どうかしらね。おやすみなさい、柘榴」

 柘榴のココアのカップを持って行った母親は、さっさと柘榴の傍からいなくなる。そんな母親に、ギリギリ聞こえる程度の声で、少しだけ感謝を込めて言う。

「おやすみなさい、お母さん」

「はい、おやすみ」

 柘榴と一瞬だけ目が合った母親は微笑んで、先に自室へ戻ったのだった。



 自分の部屋に戻った柘榴は、部屋に入った途端にベッドの上で点滅している携帯電話を見つけて、手に取って画面を開いた。

 ベッドに座りながら、画面を確認する。

 着信履歴が数回。それも同じ名前の着信に、首を傾げる。

「何故に結紀からこんなに着信があるんだ?」

 数分前にも着信があったので、きっと掛け直せばすぐに電話に出るのかもしれない。ただ、結紀が連絡をしてくる理由は全く分からない。

 数秒掛け直すか考える。

 考えている間にもう一度同じ相手から電話が掛かって来た。

「…もしもし」

『お、やっと出た。お前、一回で電話出ろよな』

 携帯越しに聞こえる声は、今朝と変わらない声である。結紀の明るい声と対照的に、柘榴の低い声は眠気からの声だった。

 無意識に低くなった声に、結紀の方が不思議そうに言う。

『何、お前もしかして寝てた?』

「そうじゃないけど…どうかしたの?」

 結紀からの電話が珍し過ぎて、どんな風に話せばいいのか少し迷った。その迷いが結紀に伝わるはずもない。

『明日、帰って来るんだよな?』

「そう、だけど?」

『明日買い出しに行くから、時間が合えば駅まで迎えに行くけど、どうする?』

 内容が一瞬理解出来なくて間が空く。

「…結紀が、わざわざ迎えに来てくれるの?」

『だから、時間が合えばだって。俺も暇じゃねーの。けど、キャサリンに買い出し頼まれて、ついでに柊さんにお前を迎えに行けたら行ってくれって頼まれたから。迎えいらないなら、行かねーよ」

「迎えいる!お願いします!」

 咄嗟に出た言葉は、さっきと打って変わって明るい声。駅からタクシーに乗ってお金が掛かるより、結紀に迎えに来てもらった方が安く済む。

 ラッキー、と思って思わず笑みが零れた。

「いや、でも悪いね」

『いらないなら、迎え行かないけどな』

「だから、迎えいるって!」

『はいはい。時間は何時頃?俺、夕方から空けとくようにはしてあるけど、電車の時間とかあるだろ?』

「そうだね。あ、でも明日。ちょっと用事があって…」

『じゃあ、時間はっきりしたら連絡しろよ。俺は、もう寝るから』

 言いながら、欠伸が聞こえた。もしかして、と声を押さえて尋ねる。

「わざわざそのために何度も連絡してくれたわけ?」

『そーだよ。今日中じゃないと、明日は忙しいんだ。俺もう寝るから、電車の時間だけは朝までメールしておけよ』

 じゃあな、と言いながら結紀は一方的に電話を切った。

 ツーツーと音が続いた後に、携帯電話を見つめていた柘榴の方も通話の画面を消す。結紀のペースで電話はすぐに終わった。

「明日になったら、帰るんだよね」

 たった少しの会話だったけど、結紀と話して実感が湧いた。

 明日になったら帰る。今だって自分の家にいるはずなのに、柘榴の居場所はもう希や蘭、皆達がいる場所なのだと思ってしまった。

 それにしても、と思いながら柘榴はベッドに横になって、携帯を見ながら笑ってしまう。

「結紀は案外、いい奴だよね」

 誰に言う訳でもなく、率直な感想だった。

 買い出しのついで、柊に頼まれたから。そんな理由で迎えに来てくれる結紀は、いい奴だ。

 さーて、と言いながら起き上がった。今日中に結紀に電車の時間を連絡しなければならないので、急いでリュックの中の時刻表を探す。時刻表は確か財布の中に入れてあったはずだ。

 がさごそと探すと、すぐに見つかった。

「あった、と」

 奥にあった財布を引っ張り出した瞬間、財布に付けていたストラップが目に入る。

「あ、これ」

 それは赤のトンボ玉のストラップ。希と蘭とお揃いで買ったストラップは、失くさないように財布に付けていた。

「当たり前、になっていたんだよね」

 大切なストラップのはずなのに、そこにあるのが当たり前になっていた。

 財布ごと頭より上に上げ、トンボ玉を光に透かして見る。

「大切にしなきゃな」

 その言葉を噛みしめるように呟いてから、そっと財布を床に置いた。

 大切なものだからこそ、無下にしてはいけない。何度もだって、大切だと認識を繰り返さないと忘れてしまう。それは、誰もがそうだ。

 そんな当たり前のことを、思い出す。

「よーし、さっさと結紀にメールして。今日は寝るぞ!明日は帰るんだから!」

 元気になった柘榴は、一人で盛り上がる。

 結紀に明日夕方三時に迎えに来るように、とメールをしてすぐに布団に入った。今度は眠気が襲ってきて、柘榴は瞬く間に寝てしまうのだった。



 次の日。

 来た時と同じリュックにコート。柘榴は駅まで送ってくれた母親にお礼を言い、車から下りる。

「全く、全然休めてないんじゃないの?」

「うーん。でも帰れただけでもよかったし」

 月曜日ということで苺は学校に行った。少しずつ復旧作業のされている校舎で、変わらずに学校に行っているらしい。

 ちなみに柘榴は休学中。柊の計らいで、仮病扱いである。

 いいことなのか、悪いことなのか。それは気にしないことにした。

「無理しないでよ。と言うよりも、時間があるならメールくらいしなさい」

「いや、面倒だから。メールするなら電話する」

 あっさりと言い返すと、助手席の窓を挟んで母親の小言が続く。

「全く、そういうところ本当にお父さんそっくり。それでいて、電話することも忘れるんでしょ」

 さすが、よく分かっていらっしゃる、と言う言葉は母親が睨んだおかげで飲み込むしかなかった。訓練で疲れていると、電話すら面倒なのだから仕方がない。

 苦笑いをしつつ、まあ、と話を終わらせる。

「適当に連絡するようにする。じゃあ、電車の時間だから行くね」

「気を付けるのよ」

 車の中から手を振ってくれる母親の姿。少し離れた場所まで手を振っていた柘榴は、途中からは振り返らずに改札を抜けた。

 行きはあんなに暇だったのに、帰りはノート片手に座席に座り、ペンを持つ。

 気合いを入れるために買ったホットココアを窓の傍に置いて、まず何を書こうか考える。

「えーと、柚の好きだった女の子が希ちゃんで…」

 柚→希。と書いて、柚の隣に自分の名前も書いておく。柚と柘榴、その上にいるのは父親。

「それで、希ちゃんのお兄さんも柚と知り合いってことだよね」

 思いつくまま、白い紙に名前を書く。

「それから、しゅうじさんと叔父さんも関係している、と」

 書いてみたはいいものの、さっぱり分からない。

「難しいな。じゃあ、希ちゃんに聞きたいことは、と」

 柘榴は思いつくままに書いてみる。

 柚のことを知っているのか。知っているならどうして黙っていたのか。希の兄はどんな人なのか。それから――

 聞かなければいけないことはたくさんあるはずなのに、書きだして見ると上手くいかないものだ。それから三時間、電車の中で必死に頭をひねるのだった。



「おーい、こっち」

 本部の基地に一番近い駅で下りた柘榴は、車の脇に立っている結紀の姿を見つけるとすぐに駆け寄る。見つからなかったらと少し不安になったのは杞憂で、笑みを浮かべて言う。

「もしかして、待たせた?」

「そんなには待ってない。ほら、さっさと乗れよ」

 運転席にさっさと乗り込む結紀に置いて行かれないように、柘榴もさっさと助手席に乗り込む。シートベルトを付けるが否や、すぐに車は発車した。

「さて、買い出し行くぞ。買い出し」

「え、終わってから来たんじゃないの!?」

 慌てた柘榴に、結紀は笑った。

「嘘、嘘。買い出しは終わっているから。メールでも書いてあったけど、四時に大学に行くんだっけ?」

「うん。叔父さん…優二ゆうじさん、て言う人と約束しているからさ。今は大学の教授をしているらしいよ」

「へえー。他人事みたいに言うんだな」

「だって叔父さんとは、もう何年も会ってないし…」

 段々と声が小さくなったのは、会っても喋れるか分からないのだと、今更考えてしまったせいだ。

「まあ、何とかなるか」

「なんか言ったか?」

 柘榴の方は全く見ない結紀が、不思議そうな声で尋ねた。その問いを否定するように、首を軽く振る。

「ううん。それよりさ、四時まで時間あるし、どっか写真を現像出来るところにも行きたいな」

「それは、先に言おうぜ」

 呆れつつも、結紀は迷うことなく車を走らせる。

 車の中は音楽が流れているので、お互い無言になっても気まずくない。街の中を走る車の中で、柘榴はふと数か月前のことを思い出す。

「…ここ」

「お前らが大暴れした近くだな。だいぶ、復旧したんじゃね」

 崩壊した建物、新しいお店。崩壊と再生の街。

 たった数カ月前。

 この風景を見ると随分昔のことのように思える。

 ここで希と結紀と買い物をして、いなくなった希を探していたらラティランスに襲われていて、二人で一緒にそれを倒して。

 あっという間の毎日だ。

 気が付けば、柘榴にとっては戦うことが柘榴の日常になってしまった。それでも結局、いつだって思うことは一つだけ。

「早く、平和な世界が来るといいな」

 ラティランスなんて、怪物が消えて、希や蘭、それから支部の基地にいる皆でわいわい騒いでいられるような日々。

 そんな夢のような日が、いつの日か来るだろうか。

 以前のように学校に行って、休日には遊んで。希はちゃんと兄と再会して、誰もが笑っていられるようなそんな平和は日が来て欲しい。

 柘榴の独り言は、結紀にも聞こえたに違いない。そうだな、と小さな声で同意してくれたのが嬉しくて、柘榴は外を見ながら微笑んだ。


 車を道の端の駐車場に止め、結紀と二人で写真屋に入る。

「お、これよくね?」

「ピントがズレてるから」

 デジカメの写真を現像している隣で、結紀はさっきから五月蝿い。デジカメの画面も椅子も小さいから、何となく結紀との距離が近いが、この際気にしない。

 希が可愛いだの。蘭の顔が怒っているだの。風景画が多いだの。結紀が喋る度に、少しずつ眉間に皺が寄る方が問題である。

「てか、柘榴も結構写っているんだな」

「…まあ、時々希ちゃんが撮っていたからね」

 最初の方こそ柘榴が撮っていたわけだが、途中から希が撮りたいと言いだし、柘榴の写っている写真が格段に増えた。それは柘榴と蘭の訓練中の写真だったり、昼食中だったり。

 日常の写真を二人で見ながら、結紀が一枚の写真を指差す。

「これは?よく撮れてるじゃん」

 楽しそうな結紀が指したのは、合宿の最終日に撮った写真。六人で撮った一枚。

「これね。予想外に綺麗に撮れた写真」

「予想外って…」

「だって浅葱が笑ってくれないんだもん」

「浅葱って、こいつだっけ?」

 写真の中で不貞腐れた顔の少年は一人だけで、結紀はピンポイントで浅葱を指差した。間違ってはいないが、浅葱が誰か分かっていたなかった様子の結紀の顔を見ながら、恐る恐る言う。

「まさかと思うけど、浅葱達の顔覚えてないの?」

「組織の人間全員なんて覚えられるかよ。俺が覚えているのは、基本関わる奴とキャサリンの気に入った奴。わざわざ仲良くなる理由なんてないだろ?」

「ふーん」

 何となく納得できない柘榴は、とりあえず確定ボタンを押す。結紀が言う。

「一応、お前らと関わりがある奴の名前は覚えているけどな」

「結紀のことだから、誰とでも仲がいいのかと思ってた」

「なんだそれ。まあ、誰とでも喋れるけどさ。組織の中の階級もあるわけだし、浅葱達にとっては俺なんか話しかけにくい人間になるんじゃないか?」

 階級、どうもその階級というのが良く分からない。

「えっと、結紀が下?」

「何でだよ。俺が上」

「あ、逆だったのか」

 少し興味が薄れたので、他の写真を見ながら柘榴は言う。結紀の視線も、画面に戻る。

「大変だね、組織の人間は」

「お前もだろ」

 結紀は真面目に言っているのだろうが、柘榴は驚きの顔で返す。

「いやいや、私は違うから。組織にいても、絶対に家に帰るもの」

「いつになるか分からないけどな」

「きっとすぐだよ」

 それは柘榴の祈りでもあった。早く帰りたい、と言う祈り。

 戦いが終わり、平和だった日常を取り戻すことは、実家に帰ってますます強くなった気持ち。

 すぐに言い返した柘榴は口角を上げ、ニヤリと笑ってみせた。そんな横顔を見た結紀が、そうか、と小さく呟く。

「それに、夢だってあるしね。戦い続けるつもりはないの」

「夢?」

「うん。まあ、教えてあげないけど」

「おい」

 思わず入ったツッコミは、笑って流す。

 小さい頃からずっと抱えた夢。誰にも話していない。柘榴と柚だけの夢。希と蘭にさえ話していない夢を、結紀に話すつもりはない。

 写真もあらかた選び終わったので、会計ボタンを押した。

「さーて、終わりっと。現像が終わったら、次は大学ね」

「あー、はいはい」

 夢の話はもうお終いだと悟った結紀は、諦めたような顔で先に立ち上がった。その後すぐに椅子から立ち上がって、カウンターにお金と出来上がった写真を取りに行く。

 現像された写真は全て柘榴のお気に入り。それらを見ながら、嬉しさいっぱいの顔で柘榴は車へと戻った。結紀の方が車に先に乗っていて、テンションの高い柘榴に若干引く。

「見て見て!やっぱこれ、いい出来じゃない?ねえ、ねえ!」

 嬉しさのあまり写真を見せびらかそうとする柘榴。すぐに発車しようと思っていた結紀は、アクセルを踏む直前にそれを止めた。

「柘榴、運転の邪魔するなよ」

「ねえ、どう?どう!?」

「聞けよ!人の話を!」

「えへへ」

 結紀に怒られても懲りず、柘榴は気が済むまで写真を眺めることにした。 



 約束は午後四時。

 場所は大学。それも数日前にラティランスを倒した学園内に存在する大学だった、と言うのは今朝知ったことで、柘榴は驚いた。

 高校と違い、大学へ入るのはそこまで複雑な認証は必要じゃない。入口で来賓用のカードを貰い、柘榴は初めて大学の敷地の中に入る。

「…でかいなあ」

 車の中からでも、その広さは分かる。

 綺麗な建物が何棟もあるし、途中でグラウンドや体育館などもあった。本部より広いのではないだろうか。

「で、大学着いたけど?」

「じゃあ、結紀も行こうよ。車に乗ってないでさ」

「ええー」

「いいから、いいから。案内よろしくね」

「…マジか」

 駐車場に車を停めて、待っていようとした結紀を半分無理やり車から降ろした。柘榴に右腕を引っ張られる結紀は、諦めるような顔で一歩後ろを歩きながら言う。

「叔父さんって、どこの学部だよ?」

「工学部」

「俺、全く知らない人だよな」

「いいじゃん。もしかしたら組織に関係がある人かもしれないでしょ?文句言わないでよ」

 口を尖らせながら言う柘榴。本当は、と小さく言葉を続ける。

「もしかしたら、じゃなくて絶対関係あったと思うから。だから、一人で行きたくないんだけど」

「なら、その人のことキャッシーに聞いた方がいいかもしれないな」

 結紀が立ち止まってしまったので、必然的に柘榴も止まる。ポケットから携帯電話を取り出した結紀が道の真ん中でメールを作成し始めたので、行き交う人の邪魔になる。

 平日の夕方。ちらほら大学生がいるが、人が多いわけもない。

 ふらふらと道の脇に寄った結紀の姿に、柘榴は大きなため息一つ。

「もう、約束の時間なんだけど?」

「少しくらい平気だろ?」

「えー」

 文句を言っても聞かない結紀は、携帯に集中し始める。

「…置いてくよー」

「おー、すぐ追いつくから。先に行ってろ。工学部なら、もう少し歩けばすぐだ」

「…結局、一人か」

 小さな柘榴の声は、風に消えてしまう。柚の葬式以来、顔を合わせていない。一人で会うのが心細いから一緒に来てもらおうと思っていたのに、と言う言葉を飲み込む。

 仕方がない、と柘榴は自分に言い聞かす。

「じゃあ、先に行くからね!すぐに来てよね」

「はいはい。あ、電話だ。もしもし――」

 おそらくキャッシーから電話があったのだろう。電話し始めた結紀を無理やり連れて行くわけにも行かず、柘榴は頬を膨らませながら背を向けて歩き出した。


 結紀の言う通り、工学部はすぐに見つけられた。

 ただ学科が複数あるらしく、結局近くにいた人に場所を聞いて、何とか約束の時間の数分前に目的の部屋へとたどり着くことが出来たと言う方が正しい。

「ここ、か」

 部屋の前でうろうろしているわけにも行かず、緊張した顔で二回ほどノックする。

「あ、あれ?」

 ノックしても返事がない。仕方がないのでもう一度ノックしてみるが、反応は同じだった。少し考えて、それからゆっくりドアを開けた。

「すみませーん…」

 部屋の中は整理されていて、八つの机とその上にはパソコンが整備されていた。その他に水道やら冷蔵庫やらが置いてあり、生活感漂う部屋の奥の机に一人の男性が座っていた。

 パソコンの画面に集中し、耳にはヘッドフォンを付けているせいか柘榴の声が届いていない。

 鼻歌を歌いながら、楽しそうにパソコンのキーボードを叩いている男性。ビン底眼鏡に、汚れた白衣。ボサボサの長い髪の毛、埃まみれの格好。髭を生やして、どこか怪しそうな雰囲気の男性が、久しぶりに会った叔父だ。

 声を掛けようかと迷ったのは一瞬で、呆れた顔で柘榴は部屋に入った。

 足音を立てながら部屋に入っても叔父は気付かない。

 すぐ横まで行き、少し大きめな声で柘榴は言う。

「叔父さん!こんにちわ!」

「っうお!…柘榴、だっけ?久しぶりだなぁ…」

 椅子から落ちそうになった叔父はとても驚いた顔をした後に、柘榴を見て笑ってみせた。叔父の笑った顔は、少しだけ父親の顔を思い出す。

 ちょっと待て、と言いながら叔父はパソコンをいじってから柘榴の方に向き直った。

「よし、それで何で来たんだ?」

「えっと…五年前のことを聞きたくて、なんですけど」

「ああ、電話でそんな話を聞いたような?まあ、そこら辺に座ってくれ。立っていたら疲れるだろう」

 勧められたのは奥に隠れていた椅子で、その半分は本で埋まっていた。ギリギリ一人が座れる椅子に、柘榴はそっと腰を落として座る。

 座っていた椅子を近くまで持って来た叔父は、笑みを絶やさずに言う。

「それにしても、大きくなったな。元気にしていたか?」

「まあ、そうですね」

「ちゃんと勉強はしているのか?」

「それなりに、ですかね」

 実際はラティランスと戦っています、と素直に言えずに曖昧に答えた。世間話をされるとボロをだしそうで、すぐに本題に入る。

「それで、その。五年前、お父さんと柚が、叔父さんのところに来ましたよね?」

 覚えているかは分からないと思っていたが、叔父は、ああ、と頷いた。

「来たな。でも、二人とも僕の学生と仲が良くて、僕はあまり関わっていないんだ」

 申し訳なさそうに言い、それに、と言葉を続ける。

「兄貴と柚が仲が良かった三人とも今は連絡が取れない状態で、五年前のことは詳しく話せない」

「そう、ですか…」

 ショックを隠せない柘榴に、もう一度、悪いな、と声を掛けた叔父。でも、と小さく呟く。

「三人の写真はあるんだ。昔の写真だけど、見る?」

「是非!」

 即答した柘榴の様子を見て、叔父は軽く微笑んだ。それから立ち上がって、棚から出したのは一冊の古いアルバム。

「あった、あった!」

 嬉しそうな声を上げ、アルバムを広げたまま叔父は元の位置に戻って来た。柘榴に差し出して、開いたページにあった写真を指差して言う。

終冶しゅうじと歩望。歩望の方は、兄貴と意気投合していた奴だ。それからこっちの女の子が、美来みらい

「終冶、歩望、美来…さん?」

「ああ、その三人が仲が良かった奴ら」

「じゃあ、幼いこの二人は柚と…希ちゃんですよね?」

 写真の中の後ろの三人が、右から終冶と歩望と美来。その前にいる幼い男の子と女の子が、柚と希。もう見間違えることはなかった。

 少し悲しい視線を向けた柘榴には気付かない叔父は、明るく言う。

「そうそう。柚と仲が良かった女の子の名前はそんな名前だったな」

「…この写真は、貰ってもいいですか?」

「いいよ」

 叔父の許可が降りると、タイミング良く叔父の携帯が鳴った。

「ああ、済まない」

「いえ、そろそろお邪魔します。お話が聞けてよかったです」

 立ち上がって礼を言う。写真を忘れずに手に持って、柘榴はドアへと向かった。

 電話をし始めた叔父は誰かと喋り始める。それでもドアから出ようとする柘榴の方を振り向いて、口パクで何かを笑って言った。

「『―――』」

 それは小さな声で、耳を澄ましていて何とか聞き取れた言葉。笑いながら言ったその言葉は、柘榴の心に深く突き刺さり、背筋が凍り動けなくなった。

 


「…やべえ。名前しか聞いてないから、学科も聞いておくんだったな」

 キャッシーからの電話と言うより、柊からの電話だったが、電話が終わった頃には柘榴の姿はなかった。工学部と言っても様々な学科があり、学科の中でも教授ごとに色々分かれている。見つけるのは困難に違いない。

 探そうと思えば、探せないこともないが面倒だ。

「まあ、いっか。適当に時間潰して、柘榴を待つか」

 ポケットに両手を突っ込んだまま、結紀は一人でブラブラ歩く。見渡す限り学生。それも自分より年下の学生で、少し居心地の悪さを感じながらも食堂を探して歩くことにした。

 歩きながら、考える。

 柘榴の叔父なのだから、結紀が会う必要はない。優二と言う名で、すでにキャッシーが個人情報を探っている。組織に関係があるかも、と柘榴が言う人物なのだから情報が全くないはずがない。

 何故こんな場所に、とも思うがそれ以上にさっきの柊との電話の方が結紀にとっては重要。

「なんでこう、厄介ごとが増えるかな」

 帰ったらキャサリンが仕事を増やして待っている、なんてことは聞きたくなかった。

「あー、だりい。面倒、帰りたくな――」

「きゃあ!」

「――うわ、わりい!」

 い、と最後まで言い終わる前に、誰かにぶつかった。前を見ないで上を見ながら歩いていたのは結紀の方で、前を見ていなかったせいで女子大生が倒れた音と何かが地面に散らばった音がした。

「あー、いや。本当にごめん」

「いえいえ、気にせずに」

 そう言いながら、目の前の女子大生は地面に落ちていたペンを拾い出す。慌てて結紀もペンを拾いながら、ぶつかった女子大生を観察する。

 茶髪でパーマのかかった肩までの髪。あまり化粧をしていない顔は、人懐っこい子犬のよう。サングラスのせいで、目元は確認できないのが残念。

 白いレースのワンピースに、淡い緑のジャケットを合わせた服装。

 こういう清楚な雰囲気の子を、美人と言うのだと結紀は口には出さずに納得する。けれども、あまりにもサングラスが似合っていない。

「拾い終わりましたか?」

「あ、ああ」

 観察していたせいで、ペンを拾い終わった女子大生と目が合う。お互いしゃがんだ状態で、結紀は拾ったペンを女子大生に差し出す。サングラス越しでも、笑ったのだと言うことは分かった。

 女子大生が結紀の差し出したペンと一緒に、その手を握った。そのまま右手を軽く握られただけなのに、普通の女子大生とは思えない程力強く引っ張られて、その口を結紀の耳に寄せて囁いた。

「気をつけて」

「え?」

 驚いた結紀を気にせず、真剣な声で女子大生は続ける。

「結晶化する可能性が低いとは言え、力を使い続ければ戻れなくなる。特にガーネットは、無茶な戦いをすればするほど呑み込まれているのよ。そのことを、決して忘れないで」

 サングラスで目元がよく見えないにもかかわらず、真剣な眼差しだった。

 呆然とする結紀を置いて、女子大生は手を離してゆっくりと立ち上がる。その表情に笑みを浮かべ、軽い口調で言う。

「それじゃあ、またどこかで」

 そう言ったきり一人で歩き出す女子大生。その後ろ姿を追いかけようと右手を伸ばしたのに、その手は宙を切り、目の前にいたはずの姿は忽然と消えてなくなった。

 その消え方は、希の瞬間移動する時とよく似ている。

「…どうなっているんだよ」

 その問いに答えてくれる人など、結紀の傍には誰一人もいないのだった。



 叔父と別れて、ムカムカした気持ちを抱えたまま柘榴は一心不乱に歩いた。

 行く当てもなく、歩きながら叔父の言葉を思い出す。

『殺されたのが、柚くんでよかったね』

 その言葉を、初めて聞いたわけではないと思い出す。

 柚の葬式で、叔父は同じような言葉を柘榴に囁かなかっただろうか。

「だから、私は叔父さんが好きじゃなかったんだ」

 言葉にすれば納得する。昨日の母親との会話を思い出し、ずっと会わなかった理由がようやくはっきりした。嫌な記憶過ぎて、忘れていた。

 叔父のことは嫌い。

 無意識にずっと会わないように避けていた。

 そう、だったのだ。

 もうこれから先も会うことはないだろう。少なくとも柘榴の方から会いに行こうとは思わない。

「はあ…結紀、どこにいるんだろう」

 すっかり忘れていた存在を探して、携帯で連絡を取ったのはそれからすぐだった。


 これは、柘榴が希と出逢う二時間前の出来事。


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