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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第3章
15/59

14 合宿編02

 戦闘実技が始まる前に、浅葱と蘇芳、柘榴の三人は作戦を考える。

「各自、バラバラに敵を検索。チームAを見つけ次第連絡を取り、合流してから一気に叩く」

「それはいいけど。どこ行けばいいの?」

 林の中にいる訓練生の中から、チームAを見つけるのは相当大変だと思う。そんな柘榴に、浅葱は一枚の地図を手渡す。柘榴はそれを見ながら首を傾げた。

「なにこれ?」

「チームの居場所。お前はここに向かえばいい。チームAなら連絡を、Aじゃなかったらこっちへ向かえ」

 浅葱の説明を聞きながら、柘榴はふと思った。何と言うか、最初会った時から思っていたのだが、誰かに似ている。

 上から目線の話し方といい、身長の高さといい。

「初期の蘭ちゃんに似ているのか…」

 ボソッと呟いた声が聞こえることはなかったが、口に出すと確信に変わる。似ているから、この二人は言いあっているのか、と一人納得した。

「ほら、これ発信機。これをつけていれば、迷子になっても指示が出せる。それから暗視ゴーグル」

 携帯サイズの発信機とゴーグルを受け取って失くさないように、身につける。

『それでは、戦闘実技を開始します。チームA対チームE。チームB対チームD。始め』

 林全体に響き渡ったスピーカーの声。

 女性の声を合図に、浅葱、蘇芳、柘榴は四方に一斉に駆け出す。柘榴が目指すはここから一番近いチームの場所。

「名誉挽回しなくちゃね」

 自分自身に言い聞かせた柘榴は、先を見据えてにやりと笑った。


 暗視ゴーグルのおかげで、林の中を見渡せる。少しでも音がすれば立ち止まり、敵をやり過ごす。おかげで誰にも見つからずに目的地に着けた。

「発見しました、と」

 ばれないのをいいことにギリギリまで近づいた柘榴。テントの裏に回り込み、暗視ゴーグルで帽子に書かれているチームを確認する。

「Aじゃないのか。残念」

 確認出来たのはDという文字。

 Aじゃないなら、戦闘は禁止だと蘭に釘を刺されている。ばれないようにそっと、その場を離れることにしよう。早く敵を倒さねばと、離れようとした柘榴。

「でも、本当によかったよな。例の奴と一緒じゃなくて」

 例の奴、まさかと思うが自分のことかと耳を澄ませる。テントの裏から動かずに、柘榴は座り込んだ。

 少しだけ、少し話を聞いたら別の場所へ移動すればいいともう一度テント傍に座っている三人の少年を見た。

「例の奴、てあれだろ。女子の間で有名な、数年前まで浅葱を抜いてトップにいたやつ。親のコネで軍に入ったんだったっけ?」

「そうそう、あいつが成績よかったのだって。親の力だろう」

「折角いなくなったと思ったのに、なんで帰ってくるんだよ」

「だよな。あいつってさ、目の前で悪口言っても何も反応しなかったんだぜ。それよか、女子が苛めても反応しなかったらしいし」

 少年達の言葉に、柘榴の手に力が入る。

 例の奴、柘榴の勘違いでなければそれは蘭のことだろう。確信はない、ただそう感じただけ。

 仲間を侮辱された、それがこんなにも腹立たしい。笑っている姿を見て、殴りたい気持ちになる。今すぐ、飛び出してしまいたい。

『浅葱だ。敵を見つけた。至急、来てくれ』

 通信機から聞こえた声が、柘榴の飛び出す機会を奪った。ここで飛びだしてはいけないと、言い聞かせる。

『蘇芳、了解』

 蘇芳の声も聞こえて、柘榴が答えないわけにはいかない。

「柘榴、聞こえた。すぐ行く」

 ゆっくりとその場から離れる。見えないところ、音を立てても大丈夫な場所まで移動して、一気に走り出す。ムカつく気持ちを抱えたまま、どうやってこの気持ちを晴らそうか柘榴は唇を噛みしめた。

「蘭ちゃんに何をしていたのよ、あいつら」 

 絶対に許さない。残り数日の間でなく、明日にでもどうにか負かせてやる。意気込んだ柘榴は、頬を膨らませてただひたすらに走ることに専念した。



「こっちだ」

 浅葱と蘇芳と合流して、その指し示した先にAという帽子を被った少年とその周りを守る二人の少年。三人とも銃と木刀を持ち、背中合わせに待ち構えている。

「何か、作戦はあるか?」

 浅葱の言葉に蘇芳は黙ったまま、柘榴はスッと手を挙げて一言。

「真正面から突っ込んで、帽子を奪う」

 そのあまりにも真っ直ぐな意見に、浅葱は呆れている。蘇芳は別に意見はないのか、小声で言う。

「構わない」

「いいのかよ…」

 蘇芳がいいと言ったからか、浅葱もそれ以上反対しないで言う。

「じゃあ、先頭を切るのは――」

「私が行ってもいいよね?」

 有無を言わせぬ勢いのある低い声で尋ねた柘榴に、ため息をついた浅葱が小さく頷いた。

「無理だと思ったら、交代な」

「別に。一人で十分だし」

 木刀を力強く握りしめ、柘榴は隠れていたのにも関わらず、突然立ち上がった。そして、通信機に向かって小さく叫ぶ。

「柘榴、行くよ!」

 その声はまるで楽しそうに、柘榴は叫んでいた。ラティランスと戦うと時とは違う、緊張感が薄い。

 突然立ち上がるのを止められなかった浅葱と蘇芳は、柘榴を止められなかった後悔と、この場にいることを悟られてしまった後悔から直ちにその場から離れる。

 柘榴が声を上げたおかげで、三人の少年がすぐに柘榴を発見した。

「誰だ!」

 拳銃が柘榴に向けられる。柘榴は日本刀を握ったまま、拳銃の存在など無視して駆けだす。

「来た!」

「敵だ!」

 騒ぎだした少年達は、帽子を被った少年を守るように、立ちふさがる。少年達の向けた拳銃の向き、それを予測してギリギリの距離で拳銃を避ける。

「遅い、っつーの!」

 日々ラティランスと戦っている柘榴を舐めてもらったら困る。予測不可能な攻撃なんてざらにあった。拳銃ごときで、柘榴の動きは止められない。

 まして希と蘭との訓練を思い出せば、攻撃を予測出来る。

 遠距離が効かないと悟った少年二人が拳銃を放し、木刀に持ち替える。それこそ柘榴の方が有利になる戦い方だということを理解していない。

 二人の少年が同時に柘榴に向かって走り出した。

「能力を使えなくても…ねえ!」

 呟きながら、足に力を入れて踏み込んだ。柘榴の身体は軽く舞い、少年達の頭上を飛び越える。柘榴の身体能力を知らない少年たちを、内心哀れに思う。人間離れした柘榴の動きに少年達は柘榴の視線を追うので精一杯。

 少年の二人は無視して、柘榴は帽子を被った少年の背後に躍り出た。

「んな!」

 一気に二人も抜かれると思っていなかったのだろうか。驚いた顔で、構えていた拳銃は柘榴に向けた。

 拳銃の銃口が向けられても、臆することなく木刀を伸ばして帽子を奪おうとする柘榴。

「よっし!」

 柘榴が帽子を取るのと、銃声が鳴り響くのは同時だった。

 驚いて発砲した少年は腰を抜かして、その場に座り込む。柘榴の頭目掛けて発射されたはずの弾は、柘榴の頬を掠めていた。

 ほんの一瞬、身体をずらして銃口を避けた。

 何が起こったのか、木刀を構えていた二人の少年は、呆然と立ち尽くしていた。

「呆気ないなー」

 思わず本音が漏れた。もう少し、反応がよくないとラティランスとは戦えないぞ、と言いたくもなる。帽子は柘榴の木刀の先でぶらぶらと揺れ、それを手に取ってにやりと笑いながら言う。

「チームE、奪取しました」

 帽子に付いているであろう盗聴器に向かって、柘榴は悠々と答えた。

『チームA対チームE。勝者、チームE』

 森の中に響き渡った声に、少年達は膝を折って座りこんでは落ち込む。

「無茶苦茶な戦い方だな」

 木の間から出てきた浅葱と蘇芳は、柘榴の戦い方を観察していた。戦いと言う戦いはなかった。ただ、一方的に柘榴が帽子を奪っただけ。

「…何していたの?」

 隠れていた浅葱と蘇芳を気にする様子もなく、柘榴は訊ねる。

 別に手伝って欲しかったわけではない。一人で戦えたのはよかったのだけれど、柘榴の憂さ晴らしには物足りない。

「お前の、観察」

「何も分からないと思うけど…帽子の少年の真横で銃構えていたなら、拳銃でも撃ち落としてくれればよかったのに」

 柘榴の言葉に浅葱は首を傾げる。

「俺らのいた場所、分かっていたわけ?」

「は、そこにいたじゃん」

 柘榴の指し示した場所、先程まで帽子を被っていた少年がいた場所の真横。

 脇目も振らずに走った柘榴だけれど、戦う最中は周りにも気をつけたほうがいいと希に言われていたので、気は配っていた。

『いつまで立ち止まっているの?早く戻りなさいよ』

 通信機から聞こえた蘭の声。その通りだと思った柘榴は、帰ろうと素直に思った。

「今から、帰るよ」

 そう告げても、何やら言いたそうな顔をしている浅葱や蘇芳が動こうとしないので、二人の背中に回りぐいぐい押す。

「立ち止まってないで、ほら。帰る、帰る」

「ちょ、押すな」

「…」

 柘榴に押されて帰らないわけにはいかない。浅葱や蘇芳を引きつれて、さっさと帰ることにした。

 

 柘榴達が戻ると、そこに希の姿はなく、あるのは蘭と鴇の姿だけ。

「あれ、希ちゃんは?」

 あまりにも変わらないというか、争った形跡はないので、焚き木に手を当て温まっている蘭に訊ねた。

「テントの中」

「怪我でもしたの?」

 座らずに、とりあえず希の様子を聞いてみる。鴇が違う違うと、首を横に振る。

「チームAの奴らが来たから、蘭ちゃんが全部意識を奪っちゃっただけ」

 なるほど、と言うと蘭は大きく溜め息をついた。

「全く、訓練がなってないのよ」

「いや、あれは希ちゃんのおかげで、不意打ちだったから」

 鴇の言葉から何が起こったのかが分からない。

 希に聞けばきっと教えてくれるだろうし、気を失った人も気になる。柘榴は座らずにそのままテントに向かって歩き出した。

「希ちゃん…どう?その人達」

 テントに入るなり、横になって気を失っている三人の少年。見ていて可哀想になる。

「大丈夫だと思いますよ。本当に気を失っているだけです」

「一体何が…」

 柘榴の言葉に希は、やってしまいました、と小さく言った。

「柊さんには能力禁止って言われていましたが、聞こえちゃうものは仕方がないかな、と言いますか」

 希は申し訳なさそうな顔をして、少年達の方を見た。

「聞こえちゃった?」

「はい」

 素直に頷いた希に何となく、理解出来たと思った。

 柘榴が自由に焔を操り、蘭は水を操る。焔や水は近くにあることが少ないので、操ることは少ないけれど。希の場合はそうはいかない。

 風はそれこそどこにでもある。希曰く、風にも変化があって、その変化を読み取ればどこにどんな人がいるのか、どんな動きをするのか、そういったことが先読みできるらしい。

「まあ、仕方ないよね。そうだ、希ちゃん」

 柘榴は思い出したように、落ち込んでいる希に向き直る。柘榴の真剣な顔に希は、何かあったのかと佇まいを正した。

「ちょっと、憂さ晴らしに付き合ってくれない?」

「…えっと?」

 全く意味の分からない内容に首を傾げた希。そんな希に、柘榴は今日聞いた蘭の話を希に話すのだった。



 二日目。

 朝から夕方まで高等部で筆記試験を受けることになった柘榴は、時間が過ぎる度に泣きそうになっていた。

「全然、解けないんだけど」

「まあまあ、落ち込まないでください。柘榴さん」

 講義室の後ろで柘榴を真ん中に右には希が、左には蘭が座っていた。一教科、五十分間のテストに、十分の休憩の繰り返し。

「まあ、希の方は柘榴よりはましよね」

 蘭は全く疲れていない様子で希に微笑む。そう言われた希は苦笑いをして、それから少し落ち込んだ。

「柘榴さんよりはマシでも、まだまだなのですよ」

「希ちゃんはいいじゃん。私の学力は中学生で止まっているのに」

 自分で言って悲しくなった。テストの半分も解けられていない事実が痛い。

「数学ⅠA、数学ⅡB、簿記・会計、情報処理、地学、生物、化学に物理、が今日終わったテストよ」

「蘭ちゃんが言うと呪文に聞こえる…」

 嘘ではなく本当に呪文のように聞こえて、柘榴は頭を抱えた。

「残りのテストはなんでしたっけ?」

「中国語と韓国語よ」

「よし、パス!」

 叫ぶと同時に立ち上がった柘榴。驚いた顔の希と蘭が見上げただけでなく、周りの訓練生の視線も集まる。

「柘榴、何言っているのよ」

 呆れた蘭に、希も戸惑いを隠せず柘榴に問う。

「どうするのですか?」

「中国語と韓国語なんて知らないので、私は逃亡します!」

 休憩時間は残り五分、教官が来ると逃げられないので、急いで筆記用具を片付け始める。

「わぁ、柘榴さんのその素直さが羨ましいです」

「と、言いながら希も片づけを始めているじゃない…」

 柘榴の隣で希も嬉しそうに逃げる準備をしている。蘭は少し考えて、時計を確認する。残り時間は四分を切っている。

「今から出ても、廊下で教官に捕まるのではないのかしら?」

 嫌味交じりに言った蘭に、希の方が嬉しそうに笑って言う。

「あ、それは問題ないですよ。ね、柘榴さん」

 希の笑顔は清々しく、柘榴だけでなく希も相当このテストには参っていたようだ。

 希と目が合い、頷き返した柘榴。

 それから、窓の外を見た。

「出口はあっち」

 何事かと訓練生達が見つめる中、柘榴はドヤ顔で外を指差す。

「数秒あれば、十分です」

 希までそう言うので、蘭は二人を止められない。言葉の意図を読み取って、深くため息をつく。

 段々、希の性格が柘榴に似てきている気がしてならない。それか柘榴のサボり癖が希にまで影響している。その言葉を、蘭は飲み込んだ。代わりに、別のことを言うことにする。

「…夕食、作っておきなさいよ」

「任せて!」

「はい!」

 蘭の許可が出たので、柘榴は希の肩を軽く叩いてから、一気に窓を開けた。時刻は夕方で、高等部の生徒と時間が異なっているため、外に生徒の影はない。

 窓に足を掛けて、せーの、と声を合わせた柘榴と希は三階の窓から飛び出した。


「って、ここ三階ぃいい!」

 柘榴と希が飛び降りた窓から、鴇が身を乗り出せば、すでに笑いながら森の方へ歩いて行く柘榴と希の姿。

 鴇の後ろから、柘榴と希の様子を確認した蘭は自分の席に戻る。

「まあ、もった方よね」

「いいのか、それで」

 何故か蘭の近くに座りに来た浅葱に、蘭は嫌そうな顔を浮かべて尋ねる。

「…なんでこっちに来たのよ」

「どこでテストを受けようが自由だろうが!」

 蘇芳や鴇まで蘭の近くにやって来るのと、教官が講義室に入って来たのはほぼ同時だった。



 体育館脇にあるシャワーを浴びてから、柘榴と希は森へ一足先に戻った。

「さて、本日の夕食はカレードリアです!」

 並べられた食材は昨日と似ている。じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、お肉にお米。それから、柘榴の鞄から取り出したのは、様々な香辛料。

 それから、ナスやかぼちゃの夏野菜。

「柘榴さん、本当に野菜持って来たのですね」

「そう言う希ちゃんも、お菓子の原料を持って来たでしょ?」

 希の鞄の中から出てきたのは、ホットケーキミックスやゼラチン、柘榴とは違い桃やリンゴと言った果物。お互いよく詰めたな、と思う。

 柘榴の問いに頷いた希が、悪戯に成功した顔で言う。

「そうですね。後悔はしていませんが、蘭さんにばれないかひやひやしました」

「蘭ちゃんにばれたら…怒られそうだねー。遊びじゃないのよ、とか」

「言いそうですね」

 笑いながら柘榴はカレードリアを、希はサラダと、持って来た材料でお菓子を作り始める。手を動かしながら、柘榴はそう言えば、と尋ねる。

「希ちゃん、もし今日の敵がDなら、まあ、正直Dじゃなくてもいいけどさ。敵をコテンパンに倒す作戦思い付いた?出来るだけ、相手に恐怖を与えられるやつ」

「そうですね…今考えているのは夏にちなんだ幽霊作戦です?」

 にっこり笑った希に、少し考える。

「え、想像出来ないんだけど」

「ふふ…相手の方に思い知らせて差し上げましょうね」

 ここまで黒いオーラを出した希を初めて見た。希が怒っている時のような恐怖を覚え、これほどまでに強い味方はないだろうと、しみじみ実感した。



 そして七時近く。

 残りのテストを終えた蘭、浅葱と蘇芳と鴇。一緒にテントのところまで戻って来た四人は言葉を失い、目の前の現実を疑う。

 テーブルの前で、柘榴と希がにこにこして笑っているだけ。

「柘榴、どうしたのよ、これ?」

 テーブルの上から漂う匂いは美味しそうな匂いだけれど、隠すように覆われた黒い布。柘榴が持って来たとしか思えない。

「じゃじゃーん。キャンプと聞いて、食料は多めに持って来ていました。今日の夕食はカレードリア!」

 ドヤ顔で柘榴が答えて、布を取る。人数分のカレードリア、色とりどりのサラダ。呆れたのは蘭だけでなく。浅葱達も同様。

「え、食糧の中にカレードリアを作れる材料はなかったはずだけど」

「道理で荷物が多いと思った」

 驚きを隠せない鴇の声と、呆れた蘭の言葉はハイタッチをして喜んでいた柘榴と希には届かない。

 はあ、と息を吐いた蘭は柘榴と希に聞こえるようにはっきりと言う。

「希、どうして止めなかったのよ」

 蘭が希を睨む。蘭の言葉を合図に、笑顔の希はテーブルの下から何やら皿を持ち出した。

「じゃじゃーん。スモアというアメリカのお菓子で、クラッカーの中にマシュマロと板チョコが挟んであります!」

 一緒に買出しに行った時に買ったものではない。少なくとも、買う現場を蘭は見ていない。そもそもいつからこんな計画を立てていたのか。

 柘榴と希の暴走を抑えるのは、蘭には無理だと最近思い知らされる。

「冷めないうちに食べましょう。皆さん座って下さい」

 希の声で、それぞれ昨日と同じ位置に座る。

「こうやって楽しく食事だと、自分が何でいるのか忘れそう」

 向かいに座っていた鴇の口から洩れた言葉に、蘭も頷く。蘇芳は表情を変えないからよく分からないが、浅葱はわなわなと震え、柘榴に向かって立ち上がる。

「お前!今なんでここにいるのか、分かっているのか!」

「そりゃ、キャンプ?」

 咄嗟に柘榴から出た言葉に、鴇はスプーンを落としそうになる。蘭は柘榴のすることには慣れて来たに違いない。何も言わずに黙々と食べることに専念出来るようになってしまった。

 バンッとテーブルを叩く浅葱。

「違う!これは卒業をかけた試験なんだ!」

「いやでも、折角だから皆で楽しんだ方がよくない?」

 柘榴がそう言うと、その通りなのかなと感じてしまう。少なくとも、前にここで訓練生としていた時より蘭は居心地がいい。

 柘榴の方に加担することにしようと、蘭は浅葱を睨んだ。

「浅葱、五月蝿いわよ。静かに食事も出来ないの?」

「っ出来るに決まっているだろうが!」

 蘭の言葉にはいつでも言い返す浅葱。これで静かにご飯が食べられると、蘭は穏やかな気持ちになった。

 蘭の隣で自分が言った言葉に座るしかないと気が付いた浅葱が、頭を抱えたのは蘭だけが知らないことだった。


「あの、少しいいですか?」

 希が遠慮しがちに、手を挙げる。全員の視線が集まったところで、希は一つの提案をする。

「今日の戦闘実技は私と柘榴さん、蘭さんの三人で攻めのグループでもいいですか?」

 誰もが顔を合わせるが、反論はない。

「別に俺らはいいけど。希ちゃんは守りの方がいいんじゃない?」

 遠慮がちに鴇が言った言葉を、柘榴は鼻で笑う。

「希ちゃんの弓の凄さは…凄いんだよ!」

「柘榴、それじゃあ伝わらないわよ」

 希も笑っているだけで、それ以上柘榴のフォローはしてくれない。

 浅葱の何か言いたそうな瞳を受けた柘榴は、蘭に助けを求める。柘榴があまりにもお願いする瞳で見つめるので、蘭は仕方がないと両手を上げた。

「いいじゃない。どうせ、このチームの力はそこまで偏ってないし。希がそれを望むなら、そうすればいいわ」

 希の背を押す蘭。蘭の後押しに、柘榴も嬉しくなる。

「やったー、じゃあ決定。変更はなしで」

 柘榴と希があまりにも嬉しそうにはしゃぐのを、蘭は不思議そうに見ていた。そんな三人を、浅葱達も不思議そうに見ていたのだった。



『それでは、戦闘実技を開始します。チームA対チームC。チームD対チームE。始め』

 林全体に響き渡ったスピーカーの声は昨日と一緒。

 昨日と違い。すでに敵の位置をすでに把握しているので、迷うことなく三人一緒に駆け出した柘榴と希、それから蘭。

 話しあいの結果、帽子は蘇芳が付けていた。不機嫌そうな浅葱、無表情な蘇芳、手を振っている鴇に見送られて森の中を駆ける。

「で、どうしてこういうことになったのかしら?」

 目的地に向かいながら、蘭は後ろを振り向かずに柘榴と希に問う。柘榴と希は顔を合わせると、お互い何かが通じ合ったかのように頷いた。

「「秘密」です」

 何かを諦めたかのように、それっきり蘭は何も言わなかった。

 今はまだ蘭には言わない柘榴と希の目的は二つ。一つ目は当初の目的通りに相手チームの帽子を奪うこと。もう一つは希発案の幽霊作戦を成功させること。

 希が柘榴のすぐ脇まで来て、小さな声で柘榴に言う。

「柘榴さん、失敗しそうでしたらすぐに作戦変更しても構いませんからね」

「うん。それで、見つかった?」

 希は頷くと、何かを手渡す。それはただの、木の板。

「それくらいの厚さの板で、大きさなら外すことはないと思います」

 一辺が十センチくらいの板、厚さがあっても小さめなので、ポケットの中に隠しておく。

「よくこんな小さな的に外さず当てられるよね」

「私も最初は不思議に思いましたけど、今はそういうものなのかと思っています」

 希は当たり前のように話すが、本番でも練習でも希の弓は的を外したことがない。例えそれが練習用の弓であっても、弓であるなら希は必ず狙った的を外さないのは、柘榴もずっと見てきた。

 希の弓に関して、絶対に裏切られることはない。

「それでは、私達はそろそろ離れますね」

 頷いた柘榴を確認して、希は蘭に声を掛ける。そろそろチームが近いので、見つかる前に離れる。

 柘榴と希が蘭に伝えた作戦。

 希と蘭が囮になって、敵を誘導する。柘榴が後ろに回り、帽子を奪う。

 と、言うのが表向きの作戦で、実は別の作戦を実行するつもりだという事を、蘭は知らない。

「ちょっと恐怖はあるんだよねー」

 走りながら、希には言えなかった本音を言う。

 幽霊作戦、と希が活き活きしながら語った作戦は、確かに恐怖は与えられるかもしれないが、上手くいくかは自信がない。

 それでも、やってみるかと柘榴は意気込んで、作戦を頭に思い浮かべるのだった。


 数分後、敵のテント近くに到着した柘榴は、人数を確認する。

「…三人か、許容範囲内かなー」

 昨日と違うことと言えば、少年三人だったはずなのに、その中の一人が女子生徒に変わったことぐらい。訓練生達の顔は覚えていないが、何となく少年二人の面影は覚えている。

 間違いない、と確信を持って三人を観察する。

「柘榴さん、お待たせしました」

 声と共に柘榴の後ろにやって来た希は、にっこりと笑っていた。

 トントン、と希が通信機を叩いたのを合図にお互いひとまず蘭に聞こえないように通信機の電源を切る。

「蘭ちゃんは?」

「ええ、予定通りに別の場所で待機していただいてます。蘭さん、お化けが苦手ですから。ちょっと一芝居をしてきました」

 作戦において一番難しいことを難なくこなした希が、恐ろしい。

 蘭がいると面倒だから、作戦中は離れてもらおうと言った柘榴の冗談が、実行させられるとは思わなかった。と言うのが、柘榴の本音である。

「さて。じゃあ、始めますか?」

「ええ、タイムリミットは蘭さんが来るまでの短時間です。さっさと終わらせましょう」

 希が楽しそうに言いながら、三人の方を見た。三人とテントを照らすのは、焚火の光と手持ちの懐中電灯だけ。

「まずは、風ですね」

 フッと笑うように希が言えば、少し強めの風が吹き始める。夏であるにも関わらず、肌を冷やす風。希が起こす、風の力。演出のため、と言って能力を使うのに躊躇いがない希。いざと言う時に潔く行動するのはどう考えても希の方だ。

 これから行うことを考えれば、それは柘榴も同じだが。

「じゃあ、次は私だね」

 今度は柘榴の番。焔を操ることの出来る柘榴だからこその、技。

「焚火の焔は、消えて貰いましょう」

 消えろ、と念じた瞬間。焚火の焔は、一瞬で消えた。

「きゃぁ!何なの!?」

「なんだ!」

「敵か!」

 姿の見えない柘榴と希に、慌て始めた少女と少年達。驚くのはまだ早い。幽霊作戦は始まったばかりなのだから、と思うと口角が自然と上がったまま下がらない。

「もう少し、風強めましょうか?」

「いや、流石に…」

 これ以上の風を起こしたら、テントまで倒してしまうだろう。そこまでしたら哀れで、可哀想にしか思えない。

 そうですか、と少し納得できないような声を出した希。

 希が風を起こさなくても、もう十分怯えている。

「早く、敵を見つけろ!」

「どうせ、変な女の力だ!」

 少年二人の焦った声が聞こえ、その言葉に柘榴の眉間に皺が寄る。

「変な女?」

 変な女呼ばわりされる覚えはない。そもそもそこまで変なことをした覚えのない柘榴は、さっきまで冷静でいられたはずなのにイライラが募っていく。

 可哀想、なんて考えは一瞬でどこかに飛んで行ってしまった。

 能力を使わなければいいんだ。少し祈ったら、自然の力が力を貸してくれただけ。と一人で言い訳を繰り返す。

「柘榴さん?」

「よし、次に行こう。目にものを見せてやる!」

「…柘榴さん、目的は脅かすことだって思ったから。さっき止めてくれたのでは?」

「ふふ」

 希の言葉に同意しないまま、イメージしたのは小さくて、丸くて、焔の光。火の玉が現れると、それらは三人の周りをうようよと動く。不気味に輝く火の玉は、それこそ柘榴のイメージ通りに近すぎず、遠すぎずの距離を保って漂う。

「何だよ、これ!」

「近づくな!」

「もう、やだぁあ!」

 騒いでいる三人。混乱しているのは明白で、笑いが止まらない。

「あはは、ざまー」

「柘榴さんってば」

 スカッとした柘榴に、希が小さくため息をつく。その後に小さな声で、では、と言って立ち上がった。

「ちょっと、行ってきますね」

「はいはーい」

 適当な柘榴の返事を最後まで聞かずに、希の姿は一瞬で消えた。

 希の特殊能力とでも言えばいいのか、瞬間移動。原理はよく分かっていないし、希も滅多に行うことはない。ただ一瞬で別の場所に移動する、と言うことだけははっきりしている。

 未だ慣れないらしいし、ようやく思い通りに使えるようになったのは先日のことである。

 瞬間移動をして、戻って来た希の姿に思わずギョッとして問う。

「…希ちゃん、似合うね」

「そうですか?」

 金髪のウィッグを被り、真っ黒の布を纏った姿では顔を見ない限りは希と判断しにくい。

 場の雰囲気作りは完璧で、とどめを刺す役割。わざわざテントまで戻って、幽霊役の支度を完璧にこなしている希に柘榴は尋ねる。

「その姿で脅かすんだよね?」

「ええ、この姿ならばれないと思いませんか?」

「うん、そうだね」

 まさか柘榴が冗談でキャサリンから借りた宴会用の道具が、こんな場面で役に立つとは思わなかった。

 柘榴が同意してくれたのが嬉しい希は微笑んで、では、と言う。

「少し行ってきますね」

「はいはーい」

 柘榴の声を最後まで聞かずに、希の姿はすぐ傍から消えた。柘榴の視線はゆっくりと、三人の方へ移る。取り乱した三人の後ろに浮かび上がる、一人の少女の影。

「ねえ」

「「「うわぁあああ!!!」」」

 突如近くに現れた少女に三人の叫び声が響く。

 金髪の少女、顔を隠すように現れた希は声を掛けただけ。叫び声が上がった途端に、希はまた姿を消し柘榴の横に戻る。

「どうでしょうか?」

「ばっちり」

 そう言って、三人の方を指差す。

「っひく、何なのよぉ…本当にあいつらの仕業なの?」

「俺が知るかよ。それより何だよ、今の」

「お、お前も見たか。一瞬で消えたりなんて、人間に出来ることじゃねーよ」

「じゃあ、本物の幽霊だって言うの!?何とかしてよ!」

 泣き始めた少女に、怯えきっている少年達。一瞬、たった一瞬でもすぐ近くにいた少女の存在に、恐怖に駆られて顔が引きつっている。

 誰だって知らない人間が突然現れて、そして消えたら恐怖だろうな、と冷静に考えてしまう。けれどもやり出したら最後までやってやる。

 幽霊の仕業だと思い込んでくれたのは好都合だ。

「さて、次は柘榴さん。どうぞ」

 それは希も同じ気持ちのようで、ウィッグと黒い布を柘榴に手渡した。

「行きますか」

「行きましょう」

 お互い顔を合わせた柘榴と希は、にっこり笑って小さくハイタッチをした。


 希が瞬時に移動して、三人を挟むように柘榴と真逆の位置に辿り着く。少年達より何メートルも離れた場所、決して見えない、近づけない距離は柘榴から目視出来ない。

 柘榴は黒い布を身に纏い、ウィッグをしっかりと被った。そして、希の合図を待つ。

「…来た」

 ピュンと真っ直ぐに射た希の矢が、三人のすぐ近くに刺さった。それを合図に、柘榴はゆっくりと立ち上がって、三人の前に姿を現した。

「っ!」

 柘榴のわざとらしい足音に反応した少年の一人が、すぐに拳銃を構えた。ここから柘榴がすることは、ほとんどないに等しい。ただ何もせず、近づくだけだ。

「来るなぁああ!」

 少年の一人が恐怖で銃を撃つ。それでも、今の柘榴には届かない。

 拳銃の弾は柘榴に当たる前に、軌道を変えた。正確には、希の風が柘榴を守っていてくれる。

「何だよ!」

「おい、やばくね?」

 異常な光景に気が動転している少年達。それに追い打ちを掛けるように、一本の矢が少年達の真後ろから射られる。

「一体何なんだよ!?」

 何が起こるのか分からない恐怖は、伝染していく。次の矢は、三人の傍を通り過ぎ、そして今度は。

「――っ!」

 柘榴の頭に、一本の矢が突き刺さった。

 流れるのは赤い液体。まるで血のように、滴って地面に落ちる。

「何なんだよ、一体!」

 矢が突き刺さったまま、それでも柘榴は歩くのを止めなかった。一歩、一歩と三人に近寄る。

 腰を抜かした三人に近づき、そして。

「…何、これ?」

 突如乱入した少女の声に、柘榴の動きが止まる。声で聞きか違えるはずがない。蘭が登場するのは想定外で、固まった柘榴の耳元で声が響いたのはほぼ同時だった。

「逃げます」

「…はい」

 冷静な希の声に頷いた瞬間には、あっという間に三人と蘭の前から姿を消した。



 蘭が敵チームの場所に辿り着いた時、そこは異様な光景だった。

 よく分からない頭から血を流す金髪の少女と、それに怯える三人の姿。焚火が消され、テントは崩され、それ以外は何もない空間。何か起こった、と言うことだけは蘭も理解した。

 金髪の少女はすぐさま姿を消し、残った三人は蘭を見て驚いている。

「だから、何よこれ」

 誰に問う訳でもなく、疑問の声が漏れた。

 お化けは怖いが、さっきの少女の消え方は蘭の見覚えのあるものだ。それから一瞬だけでも確認した少女の雰囲気は、間違いなく柘榴のものだった。この件に関して、柘榴と希が関わっていないはずがない、と言わんばかりの空間だ。

 何か企んでいる気がしてはいたが、とんでもないことをやらかしたのではないか。

「「「助けて」くれ!!」」

「…はぁー?」

 それ以上を分析する前に、混乱している三人の叫び声によって遮られる。眉を潜めて三人を睨んでも、それ以上に怯えて群がる三人には効かない。

「私は、仲間を探しに来ただけで関係――」

 ない、と最後まで言う前に訓練生の少女に服を掴まれる。

「幽霊よ!貴方なら何とか出来るでしょ!何とかしてよ!」

「…は?」

 必死さは嫌と言う程伝わったが、蘭の仕事ではない。少女に便乗するように少年達の声も続く。

「そうだ。何とかしてくれよ!」

「今までのことも全部謝るから!」

 目の前にいる三人に何かされた記憶は全くないのだが、次々に叫ばれる言葉に思わず逃げ出したくなる。

 サッと視線を巡らせ、辺りを見渡しても柘榴と希の姿はない。二人に話を聞いた方が早いが、三人が離してくれる気配がない。仕方がないので、ため息まじりに話しだけ聞くことにする。

「で、何があったのよ」

「…さ、さっき。火の玉が出たんだ」

 それは柘榴の仕業としか思えなくて、何も言えないまま蘭は黙ったまま続きを待つ。

「それから金髪の女がこっちに来て」

「どこからともなく矢が飛んできて。その矢が女の頭に当たった後に、突然消えたんだ」

 段々と小さくなって震えながらもまとまりなく話す少年達の説明に、蘭の眉間に皺が寄っていく。矢なんて持っているのは希くらいだろう。それ以外思いつかない。

 それにしてもいつまでも怯えている様子に、蘭の機嫌は悪くなる一方だ。三人はいつの間にか蘭の前に腰を落として座り、始終震えていた。

 一通りの説明を聞いた蘭は、数秒何も言わなかった。

 すうっと息を吸い込み、それから冷たい視線を浴びせながらはっきりと言う。

「馬鹿なことに怯えてんじゃないわよ!」

 声と一緒に、三人の頭を一回ずつ叩いた。痛みに耐えている少年の一人が被っている帽子を無理やり剥ぎ取り、そのまま叫ぶ。

「帽子取ったわよ!」

『チームD対チームE。勝者、チームE』

 すぐに響いた女性の声。その声に、三人が呆気に取られている。蘭の怒声は続く。

「今がどういう状況か理解していないわけ?今は試験中なのよ。幽霊だとかお化けとか、風が吹き荒れたとか火の粉だとか、金髪の女とか関係ないでしょうが!私を巻き込むんじゃないわよ!」

 思いっきり叫んだ蘭の息は乱れ、怒りの表情でしかない。

「私にすがっている暇があるなら、もっと訓練でもしなさいよ!返事は!」

「「「はい」」」

 蘭の勢いに押され、三人はこれでもかと言う程首を縦に振った。

 その様子に満足した蘭は、さっさと背を向け歩き出す。流石にここまで言った蘭に縋り付こうとはしなかった三人は、少しの間動けずに呆然とするしかなかった。



 敵チームから離れて一人になって歩いていた蘭。ブズッとした表情を浮かべたまま自分のテントに戻ろうと歩いている蘭を待ち構えていた柘榴と希の顔を見て、ますます唇を尖らせた。

「…貴方達、何やっていたのよ!」

「わぁお、怒ってるー」

「まあ、普通の反応ですよね」

 蘭の怒った顔は見慣れてしまったので、柘榴も希もそこまで反省もせずに苦笑いを浮かべた。その様子に、ますます蘭の怒りは増す。

「大体ねぇ…いつまで柘榴は金髪でいるつもり!その頭の赤い液体は何よ!」

「あ、これはね。蘭ちゃんに見せようと思って。凄いでしょ?ウィッグの間に板とトマト液を入れた袋を挟んで矢も刺さったまんまだよ」

「完熟トマトは少し勿体なかったですけどね」

「いやー、希ちゃんに殺されるんじゃないか、ってひやひやしたよ」

「そんなことしませんよ」

 もう、と言いながら希は軽く頬を膨らませる。

「だってさ。案外頭に矢の振動が響いたし、途中で蘭ちゃんが乱入するし、計画通りにいかなかったんだからね」

「そうですよ。蘭さん、登場早すぎます」

「な、ん、で。私が怒られる立場に立たされるのよ!」

 ですよね、と言う言葉を柘榴も希も内心思った。

 蘭の言い分が正しいので、これ以上ふざけると蘭の機嫌が最大限まで悪くなりそうな気配である。それは目が合った希も感じたようで、正直に話し出す。

「最初は少し驚かそう、と言う計画だったのですが…」

「それで?」

 言葉を濁した希に、蘭が急かすように言った。言いにくそうな希に代わって、恐る恐る柘榴が言う。

「調子に乗って、脅かす度が過ぎちゃった…みたいな?」

「です、ね」

「なんでそんなことのために能力を使ったのよ?」

 震える声で、蘭が言った。全身を震わせているのは怒っているせいで、少し伏せていた顔が上がった途端に久しぶりに心から怒っている表情を見た。

 これは、まずい。

 と本能で感じたが、柘榴と希の弁解を聞く間もなく蘭が叫ぶ。

「ふざけないでよ!能力はそんなことのために使うものじゃないでしょ!脅かすため?訓練生を脅かして、何が楽しいわけ!」

 息を吸う間もなく叫ぶ続けた蘭は、泣きそうな顔をしていた。もっとたくさんのことを言いたいのかもしれないが、それ以上のことを言えずに唇を噛みしめる。

「ごめん」

「ごめんなさい」

 申し訳ない気持ちでいっぱいになり、柘榴と希の口から謝罪の言葉が出たのはほぼ同時だった。それから誰も何も言えない。

 無言の空気になり、それを破ったのは少しだけ冷静さを取り戻した蘭だった。

「…理由を、聞いてないわ。なんでこんな馬鹿なことをしたのよ」

「えっと、だから脅かしたくて?」

「なんで、脅かそうとしたのよ?」

 納得いかない柘榴の回答に、また怒りだしそうになる蘭。肩の力を抜いた柘榴は、ゆっくりと語り出す。

「ちょっとした仕返しのつもりだったの。蘭ちゃんを苛めていたって聞いちゃって、居ても立っても居られなくて」

「…は?」

 柘榴の回答が予想外だったのか、ポカンとした蘭は何度も瞬きを繰り返した。柘榴の言葉をフォローするように、希も必死に言う。

「危害は一切与える気はなかったのですよ?少し驚かして、一切手出ししないように警告のつもりで脅かそうと思っただけでして」

 段々と自信なさげになっていく希は、途中からやり過ぎたと後悔していたのかもしれない。それは柘榴も同じで、今更ながらやり過ぎた後悔が募っていく。

 いつの間にか柘榴と希は顔を下げたまま、何も言えなくなった。

 肩から力が抜け、呆れた蘭が小さな声で言う。

「柘榴と希がいれば、別に昔のことなんかいいのに…」

「え?」

「今、でれた?」

 小さすぎた蘭の本音を拾ってしまった希は驚いた声を出しただけだが、柘榴の方が余計なひと言を言ってしまった。それに気が付いたのは、みるみる蘭の顔が赤くなった様子を見たせいだ。 

「何も言ってないわよ!」

 恥ずかしくなった蘭が大声を上げながら、先に歩き出す。その様子があからさますぎて、隣にいた希と小さな声を出して笑い出す。

 笑い声が聞こえて、振り返った蘭の顔は少し赤いまま不貞腐れていた。

「早く帰るわよ!」

「はい!」

「あ、そうだ蘭ちゃん」

 先に歩いていた蘭の右横に並んで、明るい声で柘榴は言う。

「私達、蘭ちゃんのことが大好きだからね!」

「は、はあ!?」

「そうですよ、蘭さんのこと。友達じゃなくて、親友だと思っていますから」

柘榴の言葉に便乗して、楽しそうに言った希は蘭の左横で微笑んだ。

「な、し、しん、ゆうとか!」

 これでもかと言う程顔を赤くした蘭。

 大好きとか親友とか、ちょっとした心で顔を赤くする蘭が可愛くて、柘榴の頬は緩む。希も嬉しそうに微笑んでいる。

 蘭の方は喜んでいいのか、怒ればいいのか、よく分からないような表情に変わってしまった。

「さて、手でも繋いで帰る?」

「繋がないわよ、この馬鹿!」

「あ、じゃあ。競争でもしますか?誰が一番先にテントに辿り着くか?」

「「無理」よ」

 とても軽く提案して見せた希に、柘榴と蘭の呆れた声が重なった。それから誰からともなく笑い出し、穏やかな空気に変わったのだった。



 四日目の夜。

 三日目の筆記試験と残りの戦闘実技。それから四日目の水泳、柔道、空手、剣道のテストを終えた柘榴は、夕食を口に運びながらボソッと呟く。

「まさか、私があんなに弱いとは…」

「柘榴の場合は、ルール知らずでしょうが」

 柘榴特製のオムライスを食べながら、蘭は言う。

 選択式の四日目は剣道だけ柘榴も参加した。無鉄砲に突っ込んで一回戦で敗退する結果になってしまったので、夕食時まで落ち込む。

「だってさ、ルール知らなくても出来る気がしたんだよ」

「まあ、柘榴ちゃんの努力は認めるとしても、希ちゃんは見事に全部棄権だったね」

「運動は苦手なのですよ」

 頬を少し赤くした希はスプーンをくわえたまま、鴇の言葉に答える。

「弓道があったら、よかったのですが」

「それは希しか出来ないわ」

 蘭の冷めた声。柘榴も思わず頷いてしまいそうになる。

「でも、希ちゃんはいいじゃん。筆記でそこそこ採れたんだからさ」

 元気づけようとした柘榴。

「蘭はともかく、赤い方は得点なしだからな」

 浅葱に赤い方と呼ばれて落ち込んでいるんじゃない。得点なしと言われて、自分の無能さに膝を抱えて落ち込む。

「…柘榴、落ち込んでないで。今日の戦闘実技が終わったら、残すは明日の個人トーナメントと、最終日の戦闘員対戦闘実技テストだけになるわ」

 そう言われても、復活しない柘榴。

「その、戦闘員対戦闘実技について詳しく教えていただいてもいいですか?」

 話題を変えようとした希の質問に、蘭が頷く。

「戦闘員対戦闘実技テスト。今までの戦闘実技と違って、各チームが戦う相手がすでに戦場で戦っている相手である。ただそれだけよ」

「明日までに溜まった得点によって、各チームに当てられる戦闘員が変わるけどな」

 蘭と浅葱に説明してもらい、希は成程と相づちを打つ。

「相手が戦闘員って、普通あり?」

 ようやく復活した柘榴が言う。

「仕方ないでしょ。それがこの試験の恒例行事なのよ」

「一応戦闘員って言っても卒業した先輩達ね。それに今回は、場所固定がないし、戦いやすいよ」

 鴇にそう言われても、どうもしっくりこない。浅葱が鴇に変わって、話し出す。

「俺らの実力で負けるとは思わないが――」

「当たり前でしょ。何馬鹿なことを言っているのよ」

 浅葱の言葉を途中で遮り、蘭は馬鹿にしたように笑う。本当にいつも通りの光景である。浅葱と蘭をこのままにしておくと、言いあいが始まる。

 その前に希が話を繋ぐ。

「どなたが帽子を被りますか?それによって戦い方も変わりませんか?」

「鴇、でいいと思う」

 珍しく蘇芳が発現する。滅多に話さないだけに、話すとそれは重要な気がする。

「逃げ足速いし」

「ちょ、俺が役立たずみたいな会話止めてくれる!」

 鴇が蘇芳に詰め寄っても、蘇芳の方が大きいのでビクともしない。浅葱もそれに便乗するように、一言。

「だな、逃げ足速いし」

「そうね、問題ないわ」

 こう言う時だけ団結する蘭と浅葱に、柘榴は思わずにやけてしまう。やっぱり似ている。

「でも、考えれば妥当だと思いますよ。柘榴さん、浅葱さんが攻め担当で、その援護を蘭さんと私が。帽子の守りは蘇芳さんと鴇さんでよろしいのではないですか?」

「蘇芳が帽子でもいいじゃん!」

「俺、嫌。足速いのは鴇の方」

 帽子をどうしても被りたくはないらしい蘇芳。これはこれで珍しい。今日まで特に反論はなかったはずだ。

「蘇芳、友樹先輩がいないからって拗ねるなよ」

 浅葱が蘇芳を励ますかのように、背中を軽く叩きた。友樹、という名前は聞いたことがある。希も微かに顔色を変えた。

「たしか、せい――」

「ああ!柘榴さん、ストップ、ストップです!!!」

 慌てて柘榴の口を閉じさせる希。何事かと周の視線が集まっているが、気にせずに柘榴の耳にだけ聞こえるように希が囁く。

「友樹さんのことは話しちゃダメです。蘭さんにはまだ紹介すらしてないのですよ」

「え、紹介してないの?」

「紹介したのは、親方さんと陽太さんだけです」

 蘭に秘密にしていたことがあると、知られた後が面倒だから。ここで名前を出すのはよくないということらしい。

 こそこそと内緒話をする柘榴と希に、不審そうな顔を向ける面々。

「何、隠し事でもあるの?」

「ないです!」

 咄嗟に敬語で答えた柘榴。あからさまに何か隠していますという態度に、蘭は不機嫌な顔になる。そんな蘭に、希がこっそりと言う。

「後で、蘭さんには説明します。それでもいいですか?」

「…分かったわよ」

 渋々納得した蘭にホッとする。流石に希の隠し事だったので柘榴からは言えない。

 希が整備部のことを話すことは、滅多になかった。だからすぐに名前に反応出来なかったわけだが、なんで話してはいけないのか、柘榴もものすごく気になる。

「さーて、じゃあこの後どうする?」

「特にすることないなら、今日はもう休んで。夜の戦闘実技に備えよーぜ」

 柘榴達の話を気にする素振りもなく、鴇と浅葱が言った。誰も特に言いたいこともなく、解散と言う雰囲気になったところで、ふと、大切なことを思い出す。

「はいはーい!一つだけ、私からお願いしてもいい?」

 柘榴のお願い、どうしようもないことのような予感がしたのか。蘭と浅葱は顔をしかめるが何も言わない。

「どうかしましたか?柘榴さん」

「皆で記念写真撮りましょう!」

 デジカメを顔の前に出し、楽しそうに笑った柘榴。

 いつ撮ろうか、タイミングを今まで計っていた。きっとこのメンバーで写真を撮るなら今しかない。

「馬鹿馬鹿しい。記念写真なんて――」

「蘭ちゃん、親友だよね?」

 うっと、蘭が言葉を詰める。親友という言葉、意外と使える。蘭の右隣で腕を絡めた希から、蘭はもう逃げ出せない。

「それじゃ、俺は後ろっと」

 ノリのいい鴇も楽しそうに希の後ろに移動し、蘇芳も重い腰を上げ移動してくれる。

「お前ら、今は試験中だろ!」

「じゃあ、浅葱だけ写らなきゃいいじゃない」

「写るわぁああ!」

 蘭の後ろに、文句を言いつつ移動してくれる。蘭との言いあいは止まらないが、それはそれでよしとしよう。デジカメをセットして、柘榴も蘭の傍に座る。

「よし、皆にっこりね」

「はい!ピースとかしますか?」

「いいね。皆でピースとか」

「…」

「って、浅葱!押さないで!」

「押してねーよ!」

 わいわい、騒いでいるうちにデジカメの点滅が速くなる。

「撮るよ!」

 柘榴の掛け声で、シャッターが自動で押される。大切な思い出が増えていくのだった。


 

 五日日。

 チームごとに集まって、初日に集まっていた集合場所に全員が集まる。

 結局、柘榴と希の全く役立たずに立たない現実だけをお披露目してしまった数日間。初日より不審そうに見られているのは、もう仕方がないと諦める。

 とりあえず、説明が始まるまで柘榴は傍にいる希と話す。

「希ちゃん、緊張するね」

「そうですね。せめて個人トーナメントでは上位に入れるといいのですが…」

「一位は譲らないよ」

 どうでもいい話をしていると、黙って傍にいた蘭が呆れて言う。

「どうして貴方達が上位狙いなのよ。柘榴も希も成績残せていないでしょう」

「むしろ、勝てると思っているのが心外だな」

 蘭の近くに来た浅葱にまで言われて、柘榴はムッと頬を膨らませた。蘭と浅葱はそのまま二人でどっちが強いか言い争い始めてしまう。

「まあ、まあ。蘭ちゃんも浅葱も、一位は俺かもしれないよ」

「それはないな」

「蘇芳!?」

「だな」

「鴇には無理よ」

「ちょっと、浅葱に蘭ちゃんまで酷くない!?」

 鴇の冗談に、即答した面々。その穏やかな光景に希は軽く笑い、柘榴も笑った。その視線の奥、最初に来た時のように設置されたテント。訓練生が何かを貰っている。

「ねえ、希ちゃん。あそこでは何を配っているの?」

 何か知っているだろう、と希に言った言葉に、返って来たのは別の声。

「あそこは防弾ジョッキや拳銃の弾の補充。ま、柘榴には関係ないな」

「うお!結紀…いつから後ろにいた?」

 柘榴の真後ろからひょっこり顔を出した結紀は、その手に箱を持って柘榴と希に差し出す。蘭を含む四人は一歩離れた場所で言い合って、誰も結紀の存在に気が付いていない。

「これは、何ですか?」

「個人トーナメントのくじ引きだよ。一枚引いてね」

「あ、はい」

 にこにこしながら希に対応する結紀。どう見ても、柘榴との接し方の温度差があるのだが、それを気にせずに真っ直ぐ手を上げた。

「私も引く!」

「柘榴は希ちゃんの後な。ところで、君達…」

 ちょいちょい、と結紀が近くにしゃがむように合図する。何事だろうと三人で固まって、微笑んでいる結紀の両手が柘榴と希の頭の上に置かれた。

 途端にゴンッと言う音が響いた。

「って!」

「っつ!」

 お互いの頭がぶつかり、柘榴と希は蹲ってぶつかった箇所を擦る。蹲った柘榴と希の傍にしゃがみ込んだままの結紀は周りに聞こえないように、小声で文句を言い始める。

「能力禁止を忘れていたわけじゃないよね。この試験中は使っちゃ駄目だって、柊さんに言われていたでしょーが」

 そう言いながら結紀の凸ピンが痛い。それも一回じゃなくて。数回連続だった。

「痛い、痛い!なんで私だけぇえ!」

「柘榴に至っては、トマトを無駄にした罪が問われているんだよ」

「わぁお、探偵か」

「トマトの染みが犯行現場に残っていたんだ。トマトを持参する馬鹿は、お前ぐらいしかいねーんだよ」

 最後にもう一回デコピン。確かにトマトは鞄に詰めて持って来た。

「トマトだけじゃなく、ナスとかぼちゃとトウモロコシと色々持って来ましたー」

「私はホットケーキミックスや桃などの果物持って来ました」

「柘榴も希ちゃんも、能力使ったこと反省してないよな」

 もういいや、と言って結紀は立ち上がる。箱の中からくじを一枚引くと、それを柘榴に投げる。

「そろそろ移動始まるし、その番号を呼ばれたら移動しろよ」

 それだけ言って結紀は他の訓練生のところに行く。

 試験中は見かけることはあっても、話すのは久しぶりだ。

「柘榴も希も、何やったのよ」

 見下ろされた蘭に言われて、頭を掻く。希の方はあからさまに蘭から視線を外した。

 開き直った柘榴はフッと笑って、蘭に微笑む。

「食糧自給についての話を少々」

「それにしてはいい音が響いていたわよ。と言うより話の内容は聞こえたけど?」

 無言の空気になって、何も言い訳できずに柘榴は勢いよく立ち上がった。

「さぁあ、個人トーナメント頑張ろう!」

「えいえい、おーですね」

 便乗した希と一緒に、この話はお終いと無理やり話を打ち切った。


「それでは、これより個人トーナメントを行います。一から十六番まではここで待機、それ以降の番号は移動するので教官の指示に従ってください」

 宣言された言葉に、柘榴はくじの番号を確認する。

「三十三番か、希ちゃんと蘭ちゃんは」

「私は十九番です」

「二十二番」

「それじゃあ、移動しますか」

 すでに移動し始めている訓練生の最後尾を柘榴達も付いて行く。蘭達の前を歩く浅葱達の姿に、蘭は眉を潜めた。

「浅葱達も後半組なのよね?」

「そうみたいですね、何番か聞いてきたらいかがですか?」

「そうね」

 迷うことなく蘭は浅葱の方へ向かった。その抵抗の無さに、希が嬉しそうに笑いながら言う。

「蘭さん、楽しそうですね」

「そうだね。最初の日は顔が強張っていたから心配していたんだ。もう大丈夫みたい」

 浅葱達に話しかける蘭は、満面の笑みを浮かべているわけではないが、それでも突っかかった態度ではなく、本来の自然な表情で接する。

「今日はお祝いも込めて、残りの材料全て使ってパーティーですかね」

「いいですね。荷物を減らしたいですし」

 穏やかな会話をしながら、浅葱に追いついた蘭を目で追う。蘭は無防備に歩いていた浅葱の頭目掛けて、思いっきり右手を振り下ろす。

「って!何するんだ、チビ!」

「何番だった?」

「普通に聞けよ!」

 すぐ近くで蘭と浅葱の言いあいが始まり、蘇芳や鴇の表情が柔らかくなる。

「蘭ちゃん何番だった?」

 笑顔で鴇が訊ねれば、蘭は一歩引いてしまった。

「え、なんで鴇に教えなきゃいけないのよ」

「酷っ!」

「で、チビ何番だ」

「二十二番、浅葱は?」

「二十五番だ。案外早く戦うことになるかもな」

 浅葱の質問にはあっさり答えた蘭に、蘇芳が鴇の肩を優しく叩いた。

 柘榴はその様子を希と一緒に見ていて、後ろから口を押さえて笑う。

「蘭ちゃんと浅葱は、何だかんだで仲がいいよね」

「そうですね」

 保護者のような気持ちで見守る柘榴の言葉に、希も頷く。蘭が振り返って手を振る。

「ほら、柘榴と希も、早く―――」

 こっちへ、と言う言葉が続かなかった。

 振り返った蘭の顔が一瞬で凍りつき、その瞳が柘榴達の後ろを捕えていた。柘榴と希もすぐさま振り返る。

「…ラティランス」

 口元を押さえた希が小さく呟いた。信じられないのは、柘榴も同じ。

 いつからいたのか。少なくとも柘榴達が森の中にいた時はその姿を見ていない。森の中、木の高さよりも大きくてその頭を覗かせた。

 亀、の頭が見えた。

 それから、口から何かが飛んできた。

「んな!」

「スマラクト!」

 咄嗟に叫んだ希の声がその場に響く。その途端に希の風が吹き荒れ、飛んできた何かを当たる前に横にずらした。柘榴の横ギリギリに飛んできたのは、縦横一メートル近くはある、巨大なコンクリートの塊。当たりはしなかったが、その塊は地面に埋まるように存在していた。

 攻撃されたのは明白で、亀の頭がゆっくりとこっちに来るように動き出す。

「行くよ!」

「はい!」

 柘榴は誰よりも早く駆け出していた。希もその後に続いて走り出すのだった。


 一歩出遅れた蘭、その背中に浅葱が叫ぶ。

「チビ!」

 浅葱の声に、一瞬だけ蘭が立ち止まり振り返って叫ぶ。

「浅葱達は、訓練生の避難。及び、ここから逃げることに専念しなさい!いいわね!」

 蘭に何かを浅葱が叫んでいた。その声を聞く間もなく、踵を返して今度こそ駆け出した。

 走りながら、蘭は思う。

 この場所は蘭にとって思い出のある場所じゃない。悪口も言われた、意地悪もされた、お気に入りの場所だなんて口が裂けても言えない。

 でも、たった数日過ごしただけでその認識が変わった。

 柘榴と希と一緒にここに来て、浅葱達と言い争って。毎日が楽しかった。

 この場所を破壊させるなんて、絶対に許さない。

 そのために、蘭は柘榴と希の背中を追いかけた。



 柘榴達がいなくなった途端に、周りは一気に騒がしくなる。騒ぐ者、逃げる者。

 突如現れたラティランスに浅葱も驚きを隠せなかった。訓練生の間は、ラティランスに会う事なんてない。戦闘員になって、ようやく戦いの場に出ることが出来る。

 ラティランスは怪物だと、いつも誰かが言っていた。それでも、自分の目でその姿を目視しなければ、恐怖を感じることはなかった。

 あれが、ラティランス。倒すべき、敵。

「訓練生はすぐに避難!」

「急げ、止まるな!」

 教官の指示が飛び交う。それでも、浅葱は動けなかった。

 誰よりも強く、上を目指していたのは戦うためだ。

 ラティランス相手でも、逃げるのではなく正面から戦える強さが欲しかった。誰かに守られるために、守ってもらうためにここにいるんじゃない。

「何が…逃げろだよ」

 数年前まで一緒に競い合っていた女の子は、一人で先に進み、いつの間にかいなくなってしまった。折角強くなって、また再会出来たと言うのに、戦いが始まった途端に動けなかったのは浅葱の方。

「浅葱?」

 蘇芳や鴇は、動こうとしない浅葱とその瞳が見ているラティランスを交互に見る。

 蘇芳や鴇が浅葱と過ごした時間は長い。それこそ訓練生になる前から、三人で過ごす時間があったのだから、浅葱の考えていることは手に取るように伝わってしまう。

「っくっそ!」

 考えるより先に浅葱の身体が動いた。邪魔するつもりも、足を引っ張るつもりもない。ただ、力になりたいと言う感情だけで走り出す。

「「浅葱!」」

 後ろで蘇芳と鴇が叫ぶ。戦闘員の方も何やら騒いでいたが、耳に入って来なかった。

 浅葱が駆け出す。蘇芳と鴇もその後を追う。

 訓練生の三人を誰も止めることはなかった。



 追いついた蘭を確認して、希の風が背中を押せば、移動するスピードが加速する。

『お前ら、すぐに集合場所に戻れるか!』

「今向かっているっつーの!」

 大慌ての結紀の声に、柘榴が叫び返せば、その声の大きさに希や蘭が通信機を耳から遠ざける。

『柊だけど、通信に割り込むぞ』

「『『柊さん!』』」

 久しぶりに聞こえた声。そのやる気の無い声が、数日振りで懐かしい。

「柊さん、柊さん!今日も仕事サボってたの?」

『柘榴くんの中の僕の印象は酷いよね、相変わらず…』

『無駄話はいいから、柊さんの用件は何よ』

 怒りの蘭の声に、柘榴の背筋が凍る。

『現状報告といこうか。結紀くん、報告を』

『あ、はい。数名の教官の攻撃でラティランスを押さえていますが、あまり効き目は期待できません。訓練生は避難途中。ラティランスの形態は、どでかい亀』

「亀さん…ねえ。可愛かったら、よかったのに」

『柘榴、無駄なこと言うと斬るわよ』

 後ろから感じた殺気に、これ以上何も言うまいと顔が強張る。

『緊張感、ないですよね。柘榴さんは』

『希もよ』

 その一言で、希も黙ってしまった。

『報告続けますが、亀の甲羅が頑丈で歯が立ちません。ラティフィスでも小さなかすり程度しか――』

「あれ、ラティフィスって私達じゃない?」

『あー、もう柘榴喋んな!報告が終わらねーだろうが!』

 思わず口から出てしまった言葉に、結紀の我慢も限界だったのか怒られた。

『もう、報告はいいよ。戦闘は蘭ちゃん達に任せるから。それより戦いの前にどうしても言いたいことがあったんだけど』

 柊の声が真剣そのものなので、誰もが声を潜めた。

『柘榴くんや希くん以外にも、蘭ちゃんに友達がいるみたいでおじさん安心しちゃった。話は色々聞いたけど、いやー楽しそうで何よりだ』

 今までの話の中で、一番気の抜ける話に、蘭が転びそうになった。希の方は、不思議そうに問う。

『どうやって話を聞いていたのですか?』

『基本的には戦闘実技の時の会話とか。結紀くんの撮ったビデオとか』

「…ビデオの存在は初めて知ったんだけど」

 結紀が全く何も反応しない。蘭の怒りの矛先が、結紀に向かったようなので柘榴が助ける。

「じゃあ、帰ったら皆で鑑賞会だね。大好きな蘭ちゃんと一緒に」

『ば、馬鹿言わないで!戦闘に集中しなさいよ!』

 蘭の声に照れが入っているのは、聞いていて誰でも分かっただろう。否定はしなかった。希は何も言わずとも、にこにこ笑っている。

 緊張はいつもないけど、それでも決意を込めて宣言する。

「それでは、そろそろ戦いましょうか。ラティフィス柘榴、行くよ!」

 勢いよく亀の前に踊り出た柘榴達一向。戦う教官、逃げている訓練生。それから、木の物陰に隠れていた結紀の姿を確認できた。

 希と蘭も柘榴の横に並んだ。全ての準備は整った。

 息を思いっきり吸い込んで、腹から思いっきり声を張り上げた。

「グラナート!」

 真っ赤な焔を纏った日本刀を構えた柘榴は、楽しそうに笑った。





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