表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第3章
14/59

13 合宿編01

 柘榴と希と出逢って、変わっていく蘭の毎日。

 体力作りや勉強を一緒にする日々。ランニングをしたり、剣で戦ってみたり。柘榴の勉強を希と一緒に見たり、教えたりする蘭の日々はいつの間にか日常と化していた。

 今日も訓練室で三人で勉強をしていたわけだが、希は自力で勉強するとして、柘榴は蘭に教えられる立場である。呆れ顔の蘭は柘榴の机の前に椅子を移動し、柘榴はテキストを見つめて動かない。

「年下の人間に教えられて、恥ずかしくないの?」

 目の前でテキストを開き、全く理解出来ないと言わんばかりの顔をしている柘榴に、蘭はふと問いかけた。

「え、あ。聞いてなかった…なんか言った?」

「今、何を考えていたの?」

 じとっと見つめれば、柘榴は目をすぐに逸らした。冷や汗を流す柘榴は、ボソボソと小さく呟く。

「今の夕食は何かな…なんちゃって」

「柘榴!」

「ひゃー、怒らないで今からちゃんと勉強します!」

 大急ぎでシャーペンを動かし始めた柘榴は、時々確認をしないと勉強しない。集中しない柘榴は、いつまで経っても勉強がはかどらない。

 柘榴と蘭の言い合いに、隣にいた希はクスクス笑う。

「希、貴方も柘榴に何か言ってもいいのよ」

「いえいえ、私は見守ります。柘榴さんは、やれば出来る子ですから」

 そう言いながら、希はテキストを解いていた手を止めた。

「それにしても。私達が戦闘に行っていない期間も、そろそろ二か月近くになりますね。ラティランスが出ないのはよいことですが、不思議でなりません。蘭さんもそう思いませんか?」

「まあ、ね」

「不思議です」

 希の言う通り、ここ二か月近く。ラティランスの大きな被害がない。

 小さな被害はあるようだが、蘭達の出る幕ではないのか呼び出しされることはない。戦闘員が戦うだけで事足りるというのが、現状である。

 腕を組み、蘭もそのことを考える。

「怖いのは、期間が空くほど強いラティランスが現れるかもしれないと言う事ね。五年前より、三か月前のラティランスの方が。三か月前のラティランスより、これからのラティランスの方が強くなるなら、どうにかしてこっちも強くならなければ」

 そうしなければ負けてしまう。

 柘榴と希と蘭の力を合わせても太刀打ち出来ないラティランスだって、現れないとは言い切れない。

 そのことは希も感じていたのか。そうですね、と言ったきり俯いて黙った希を見て、蘭は唇を噛みしめた。余計なことを言ってしまったかもしれない。

「大丈夫だよ」

 無言の空気を破ったのは、テキストをしていたはずの柘榴だった。にんまり笑って、軽く言う。

「どんな敵が来ようと私がぶっ飛ばす。だから、問題なし」

 ピースをして笑顔の柘榴を見ていると、なんだか本当に勝てる気がするから不思議だ。柘榴の言葉には不思議な力があるように思えてならない。

 それは希も同じなのか、微笑んで同意する。

「そうですね。何とかなりますよね」

「そうそう、それより私達はいつまで夏服なの?」

 柘榴はそう言って、服を見下ろす。

 真っ白い制服、蘭がずっと愛用している服を、見下ろした。マントを羽織っていても寒さをあまり防げない。寒いので、各自下にインナーを着て寒さを凌ぐ。

 季節はそろそろ十月下旬。にもかかわらず、未だ新しい戦闘服は来ない。

「…いい加減、冬服欲しいわね」

「蘭さんは毎年どうしていたのですか?」

 希に問われて、そうね、と考える。

「下にインナーを数枚着こんだり、組織の共通の服を羽織っていたりしていたわね。戦闘の度にボロボロにしたけど」

「あー、なるほど」

 うんうん、頷く柘榴を見ていると、それはそれでイラッとした。

「随分前から洋子に、冬服を作るように言っているのよ。でも、作ってくれない」

「「洋子?」」

「…キャッシー、よ」

 洋子で通じないので、ため息交じりに訂正すれば納得した柘榴と希。

 キャッシーは最近忙しいようで捕まらない。部屋に行ってもいないこともあれば、部屋でぐっすり寝ていたこともあった。

 早く戦闘服を変えて欲しいのに、変えてもらえない。

 それにしても、と蘭は考える。

 柘榴も希も制服が戦闘服であることにあまり抵抗しなかった。

 それに比べ、蘭は最初の頃この服装を嫌った。この制服は、蘭の通っていた学校の制服と類似し過ぎていたから。もう戻ることはない、以前通っていた学校の制服。大嫌いな場所だったけれど、もしあの時柘榴や希がいたら、その考えは変わったかもしれない場所の制服。

 今なら少しだけ、お揃いでいることが嬉しい。なんてことは口が裂けても言えない。

 それでも本当ならもっと戦いやすい服装の方が好ましいのに、と。

「蘭ちゃん、どうしたの?ぼーっとして」

「何でもないわ」

 考え事をしていた蘭の顔の前にあった柘榴の手を、退ける。

「もう少し勉強したら、休憩にしましょう」

「いえーい!」

「全く…」

 何だがかんだで希は柘榴に甘いのだと思いつつ、蘭はそれ以上考えることを止めた。



 次の日、各自自由に過ごす午前中。

 蘭は一人で廊下を歩いていた。

 以前は蘭を見て怖がった本部の人間も、最近では普通に挨拶してくるので蘭の方が一歩引いてしまいそうになる。

 けれども実際は逃げるなんて、プライドが許さないので軽く挨拶を返す程度の努力をしている。

 変わり始めた、日常。

 蘭の立場は、本部の中で確実に変わっていることをひしひし感じながら、蘭は目的の場所を目指す。

「失礼するわ」

 ノックをしないでそのままドアを開ければ、部屋の中で机に向かっていた人物は蘭の方へ振り返った。

 医務室にいる、先生。香代子は、この本部の医務室で勤める三十過ぎの女性。

 蘭達ラティフィス専用の医務室の先生だ。

 話によれば、二人の子持ちでどちらもまだ小学生らしい。その証拠に、机の上に一枚の写真があり、幸せそうに笑う子供が二人。

 その写真を横目でちらりと見た蘭に、香代子が問う。

「今度はどこを怪我したの?」

「左手」

 かすり傷だけど、と言うとそれは違うと否定されるので今はもう言わなくなった。

 いつものように机近くの椅子に座り、怪我した左手を見せる。

「ひっかき傷?」

「迷い猫よ。ランニング中に見つけて、外に出そうとしたら引っかかれたわ」

 こんなことになるなら、余計な世話など焼かなければよかった。

 少しでも怪我を負って医務室に行かないと希に怒られるので、少しの傷でも医務室に行くようになった蘭は頬を膨らませる。

 以前より感情が豊かになり、迷い猫にさえ手を出した蘭。

 醸し出す雰囲気が優しくなって、接しやすくなった蘭の怪我を消毒しながら、香代子は問う。

「一人でランニングしていたの?」

「そうよ。今は自由時間だから、柘榴はおそらく食堂ね。希は、お茶会だったかしら」

 答えながら柘榴と希を思い浮かべる。

 柘榴のいる場所と言えば食堂と言うのは、間違いないだろう。暇あれば食堂に行く、何かを食べていた柘榴を見かけたのは片手では数えきれない。

 最近は余裕が出てきたからかカメラを片手に本部内を走り回っている、という情報もちらほら聞くことがあったし、何度か写真を撮られたこともある。

 それでも、最後に落ち着く場所は柘榴にとって食堂なのだ。

 希は時々整備部の人とお茶会をしているらしい。今日もその日らしく、楽しそうに話していた。お茶会をした後に勉強を見てもらっていると言っていたので、柘榴は絶対に行きそうにない。

 整備部と蘭は知り合いでもないし、一緒に行きたいとは思わない。自由時間と言えば体力作りか読書で忙しい。

 柘榴は食堂か本部内。希は整備室、または洋子の部屋。

 そうして何故か怪我をすることが一番多い蘭は、怪我の治療をしてもらいつつ、香代子と一緒にお茶をする仲になってしまった。

 それぞれがそれぞれで、自由時間を気ままに過ごす。

「はい、お終い」

「痛い…叩かないでよ」

 絆創膏を貼った場所を叩かれ、顔をしかめる。

 絶対にわざと叩いた。香代子はいつものように悪戯っ子のような笑みを浮かべて、笑うだけ。

 立ち上がった香代子は、ポットに入っているお湯を確認してカップを準備し始める。

「蘭ちゃん、いつものでいいわよね?」

「ええ」

 秋になって肌寒い、と言った次の時から。治療が終わると香代子は紅茶を入れてくれるようになった。

 香代子が入れてくれるお茶が美味しいので、治療をしてもらいに行くのが行きやすくなった、なんて口が裂けても言えない。

 手渡されたカップは熱いので、冷ましながら蘭は口に持って行く。

「あつっ!」

「猫舌なんだから、急がないで飲めばいいのに」

 そう言われても、飲みたいのだから仕方がない。蘭の様子を見ながら、香代子はにやにやして笑う。

「柘榴ちゃんも希ちゃんも、時々ここに来るけど。蘭ちゃんの怪我はわざと?」

「そんなわけないでしょ」

 何を言っているのだ。わざと怪我をする馬鹿がいるわけがないだろう。

 口に出さずに睨んでも、効きはしない。

 嘘よ、嘘、と言った香代子が、穏やかな笑みを浮かべた。

「蘭ちゃんが暇な時、いつでもお茶を飲みに来なさいよ。美味しい紅茶、入れてあげるから。勿論怪我をしていない時もね」

「…覚えておくわ」

 ぶっきらぼうな蘭の言葉を聞き、香代子は苦笑する。怪我をしなきゃ来なかったところが、蘭らしいと言えば蘭らしい。小さな怪我でも来るようになったから、喜ばしいことであるのは香代子の胸の中に留めておく。

『――緊急招集!すぐに訓練室に集合してくれ』

 緊迫した柊の声に、蘭の手が止まる。半分程度になっていた紅茶をゆっくりと置き、通信機に耳を澄ませる。それ以降柊からの声が入らない。何かが起こったのかもしれない。

 立ち上がり、顔色を変えた蘭を見て、香代子は悟ったようで軽く頷く。

「気をつけてね」

「香代子。紅茶をありがとう」

 冷めた紅茶を全て飲み干して、蘭は駆け足で医務室を飛び出した。その背中を見つめながら、香代子は無事に帰ってくること祈った。



 最初に訓練室に着いた蘭は、誰もいない訓練室に違和感を覚える。

 何故今回に限り、訓練室に集合なのだろうか。ラティランスの出撃なら、ヘリコプターのある飛行場か、近くの場所ならエントランスに集合すればいいのに。

 医務室からそう遠くないので、蘭が最初に辿り着いたことは納得するが、呼び出した柊の姿がない。

 訓練室に一歩踏み込み、椅子に座って待つべきか考えていた蘭の後ろから聞こえてきた二人分の足音。

 柘榴と希も大急ぎで走って来て、合流する。

「柘榴さん…口の回りにクリームがついていますよ」

「嘘!ばれる!」

 必死にクリームを取ってももう遅い。蘭もしっかり確認した。呆れて言葉も出ない。食堂でケーキでも食べていたのだろう。

 ドアの前で立ち止まって仕方がないので、訓練室に入り柘榴や希も中を見渡す。

 やっぱり柊はいない。

「あれ、柊さんいないね」

「どうして呼ばれたのでしょうか?」

 クエスチョンマークを浮かべている柘榴と希の言う通りで、柘榴は迷わず椅子に座った。

 蘭が希の方に目を向ければ、希も蘭を見て軽く頷く。

 椅子に座って、呼び出した柊を待つことにしよう。

「で、いつ来るのかしら?」

 数分経っても来ない柊に段々と苛立って来た蘭は、思わず声に出して不満を吐き出す。来ない、もう十分は経過している。

「そのうち来ますよ、蘭さん」

 落ち着いて、と言いたげな希の声に、その通りだと思うが納得できない。

 どうして呼び出した人間がやって来ないのか。

 それから、また数分後。

「お、全員揃っているな」

 悠々と訓練室のドアに現われた柊、その緊張感のない姿を蘭は思いっきり睨みつけた。柘榴や希は、呆れた顔をして柊を見る。

「柊さん。緊急招集ってなに?」

「そう焦るな、柘榴くん。とりあえず、今から配る紙を見てくれるかな」

 緊急と言って呼び出したわりに、緊急そうに見えない態度。それぞれに配られた紙を見て、その表題を見て蘭は固まった。

「【最終試験】…」

 表題に書かれた言葉を掠れた声で読み上げた。

 その用紙の下の方には、訓練生クラスEとはっきり書かれている。

 その意味を蘭だけが知っていた。なんで、どうしてと言う言葉を蘭は飲み込んだまま、その用紙を持った手が僅かに震える。

 無意識に顔が険しくなるが、それは隣に座っている柘榴さえ気づかれない。

 蘭だけが、配られた紙を隅々まで静かに読み始める。

「柊さん、この最終試験って?」

「よし、一から説明するからよく聞けよ」

 そう言った柊は、ホワイトボードに【訓練生】と大きく書く。

「希くんは勿論知っていると思うが、ラティランスと戦う人間は大きく二つに分けられる。ラティフィスと呼ばれる君達三人、それから特別な訓練を受けて武器を持つことが出来る【戦闘員】と呼ばれる人間だ」

 訓練生、その上に戦闘員と付け足す。

「戦闘員になるために、特別な訓練を受ける子供。それを訓練生と言う。十二歳から資格が与えられて、五年間あらゆることを学ぶんだ。クラスは五つ、A~Eに分けられ、毎年行われる試験で合格した者だけが次のクラスに進める制度になっている」

 上にEを、下がるにつれてD・C・B・Aと書いた柊はEを丸で囲む。

「そして今回。訓練生卒業を掛けたクラスEの試験に、君達が参加することになりました」

 パチパチと拍手をする柊に、置いてけぼりの柘榴と希。

「えっと…その理由は何でしょうか?」

 手を上げて希が質問すれば、柊がそれに迷わず答える。

「最近ラティランスも出ないし、自分達の実力を知るのもいいだろう。タイミングよくクラスEの試験があるし、エントリーを頼んだら許可が下りたんだ」

 よかった、よかったと言う柊に、希は戸惑いを隠せない。

 はーい、と手を上げた柘榴が問う。

「柊さん、具体的には何するの?」

「まあ、色々だよ。色々。だから、明日の朝は八時にエントランスに集合だ。試験だが、一週間近く別の場所で過ごすことになるから、準備しといてくれよ。それから、詳しいことはその紙を読んでくれ」

 詳しく教えてくれない柊に、柘榴は不満げな声を漏らす。

「柊さん、少しくらい説明してくれてもいいじゃん」

「そうだな。じゃあ、キャンプをすると思ってくれって構わないぞ。寝る場所は森の中だからな」

 そう言いながら柊は先程からずっと黙っている蘭の様子を伺う。

 楽しそう、と話し出す柘榴と希。対照的に物静かな蘭。

「ねえ、ねえ。希ちゃん、今からお菓子でも買いに行く?」

「え、でも…」

 チラッと柊の方を確認した希。柊は、仕方がないと言いたげな顔で、頷く。

「少しだけだからな。少し、だぞ。柘榴くん」

「はーい」

 元気よく返事をした柘榴と頷いた希。

 今すぐにでも部屋を出て行こうとした柘榴と希は立ち上がるが、蘭は一人紙を見つめたまま、立ち上がろうとしない。

 不思議そうに蘭を見た柘榴は問いかける。

「蘭ちゃん?」

 呼ばれた声に蘭は顔を上げ、それから数回瞬きを繰り返す。

「柘榴も希も、はしゃぎ過ぎないでよ。これも訓練の一つなんだから」

 呆れた声でそう言って、軽く微笑む蘭。持っていた紙を机の上に置き、それでも立ち上がろうとはしなかった。そのまま、蘭の少し早口の蘭の言葉は続く。

「ちょっと、緊急で呼び出した柊さんをしばきたいから。柘榴と希はエントランスで待っていて、私もすぐ行くわ」

「え、でも」

「柘榴と希は寮に帰ってお財布持ってくるのでしょう。私は寮に戻る必要なないから、このままエントランスに行くわ」

 柊はものすごく逃げ出したい顔をしているが、柘榴と話しながらも蘭が柊を監視しているので逃げるに逃げられない。

「程ほどに、しましょうね。蘭さん」

「分かっているわよ。だから、さっさと部屋から出た方がいいわよ。巻き添えくらいたくなかったら」

 そう言いながら、柊の真上に水が溜まっていく。

 これからどうなるのか予想出来た柘榴と希は、顔を合わせてすぐに部屋を後にした。


 柘榴と希が訓練室から出て行って、足音が完全に消えてから。蘭はようやく水を消した。

「本当に、水浸しにされるかと思ったよ」

「あら、されたかったの?」

 蘭の冗談抜きの声に、柊は首を横に振って否定する。

 柊と二人で話したかったこと。

 でもそれは、柘榴と希に聞かれたくないこと。

 柊は訓練室の前に置いてあった折り畳み式に椅子を広げ座った。それから蘭は、迷いながらも聞きたかったことを尋ねる。

「…どうして、今更私は訓練生に混じらなくてはいけないの?」

 情けない声に、蘭の気分が下がる。

 柊はその質問を予測していたのか。そうだな、と椅子に深く腰掛けた。

「蘭ちゃんは、やっぱりこの試験には反対かい?」

 そう言われれば、本音は行きたくない。

「まあね。でも…」

 でも、と言った後に言葉が続かない。柊は、蘭の言葉を待っている。

「…でも、柘榴と希の顔があまりにも楽しそうだったから。私が行きたくないと言えなかったわ」

 柊の説明を聞いている時、柘榴と希は楽しそうに笑っていた。その笑顔を見ていたら、蘭だけ不参加とは言えなかった。

「蘭ちゃんが行きたくないと言っても、問題はなかったと思うけど?」

「仲間外れはもっと嫌よ」

 結局蘭は柘榴と希と一緒にいたいのだ。

「難しいね。年頃の女の子は…」

 ボソッと呟いた柊の声は蘭まで届かなかった。悩みだした蘭は、どうしようと頭を抱える。

 柊から貰った用紙を眺めていた蘭は気が付いたことがある。

 合宿の参加者名簿。その中で蘭を知らない人はいない、と思う。はっきり記憶していないから、以前のクラスメイトの名前をはっきり覚えているわけではないけれど、わざわざ会いたいとは思わない人達。

 蘭が訓練生として入学した時、十一歳という年齢であったこと。入学試験で上位を叩き出したという結果に、周りは黙っていなかった。

 訓練生の中で噂になった。何を言われても無視をしていたが、それだけで済まなかったのは、それから数日後。決定的になったのは、どこから漏れたのか分からない個人情報だった。

 蘭の父親が、学校の学園長である事実。親の力で入学したとか、贔屓だとか嘘の噂を流された日々。蘭に近づく人なんていなかった。

 蘭の名前は訓練生の中で有名になっていた事実は変えようもない。

 顔を合わせて嫌味を言われるのが蘭だけならいいが、柘榴や希まで何か言われるのは嫌だ。何より、昔浴びた罵声を聞くことになることも。

 会いたくない。

 それが行きたくない理由。

 無意識に固くなっていく顔、閉ざされた唇。耐えるような蘭を見て、出来るだけ優しく、蘭に言い聞かせる。

「蘭ちゃんが心配するようなことにはならない、と思ってエントリーしたんだよ」

 いつの間にか下げていた顔を上げ、柊の言葉に集中する。

「柘榴くんと希くんは、この本部の嫌な空気を変えてくれた。それが無意識の行為だとしても、あの二人なら今回もいい方向へ運んでくれるんじゃないかな?」

「それは、そうかもしれないけど」

 柊の言いたいことは分からなくもない。

「それにさ。これには柘榴くんと希くんの実力を知るための試験でもあるんだ。蘭ちゃんが行こうが行くまいが、二人の参加は決まっていた事実なんだよ」

「本当に、大人の勝手よね」

 そうやって、いつも振り回されるのは蘭の方だ。

 腹を括って、もう行くしかないのだと言い聞かせる。そして、柊と二人で話したかった残りの目的を達成することにした。

「参加するけど…本当に文句は言いたかったわ。勝手に決めるんじゃないわよ」

 上から目線のいつもの蘭に、柊は頭を下げる。

「それは、すまん。本当にすみませんでした」

「それと」

「まだあるの?」

 頭を下げた柊が顔を上げると、ニヤッと笑った蘭の顔が瞳に映る。その表情に不安はなく、悪戯を企む子供の笑み。

「お財布を取りに戻るのが面倒だから、お金を貸して」

 それが本題だったのではないか、と思いつつ柊はポケットの中を探る。蘭は楽しそうに笑った。



 合宿一日目の朝。

 試験の集合時刻より早めに本部を出た蘭達一同。

 コンパクトに荷物をまとめた蘭と希、大きめの鞄を持った柘榴は本部ではなく、ガラスで囲まれた建物の前でタクシーから降りた。

「何、ここ?」

「そんな場所で立ち止まらないで、さっさと行くわよ」

 蘭が迷わず歩き出した建物。建物の周りには果てしなく続く煉瓦の壁。誰も飛び越えることの出来ない、数メートルの高さ。蘭がいる場所からでは、決して中を確認することは出来ない。

 建物の方は、ガラス張りの二階建て。自動ドアの入り口から中に入れば、中にあるのは改札機が数台並んでいるだけ。

「蘭ちゃん、私達って学校に来たんだよね?」

 入口に入るなり、柘榴は立ち止まり呆然とした声で蘭に問う。希も声こそ出さないが、驚いた顔で建物の中を見渡していた。

 さっさと進もうとしていた蘭は立ち止まり、柘榴と希の方に振り返る。

「そうよ。だから、入口まで来たんじゃない」

「「入口!?」ですか!?」

 柘榴と希に同時に言われ、蘭自身がその事実に間違いがないか心の中で確認する。

「ええ、ここは高等部の入り口。この他にも入口があるけど、訓練生のいる養成学校へはここの入口が一番早いのよ」

 さらりと言ってのけた蘭の言葉に、柘榴の口から思わず本音が漏れる。

「普通じゃない…」

 その言葉に、希も軽く頷き苦笑いを浮かべた。蘭の方が不思議そうな顔をして、腕を組んだまま柘榴と希に問いかける。

「この学校、学校と言うよりは学園について、軽く説明した方がいいかしら?」

「うん」

「お願いします」

 頷いた柘榴と希に、まずは、と考えながら言葉を続ける。

「私達が今から行く場所は、訓練生の集う学校。学校自体は、学園と同じ敷地に存在しているわ」

 ポケットから蘭が取り出したのは一枚のカード。

 表に証明写真と名前などの必要事項、それから裏にバーコードが印刷されたカードは、本部から出る時に柊から渡されたものだ。このカードを待つ者しか、中に入ることは出来ない。

 蘭は自分のカードを見せながら、説明を続ける。

「その学園に入るための身分証明がこのカード。カードを持たない人は、学園の中に入ることが出来ないわ。カードの種類によって、入れる場所も限られているの。だから柘榴、カードは絶対に手放さないこと!」

「え、私だけ?」

「それから、学園についてだけど…」

 柘榴の問いは無視して、昨日柊から手渡された用紙を鞄の中から出す。すぐに見つけた目的のページを柘榴と希に見せる。

 そのページに示されていたのは、学園の構内図。

「試練は学園の至る場所で行われるの。学園は、主に五つに分けられて、初等部、中等部、高等部、大学部、そして訓練生の学校がある訓練部に分けられるわ。訓練部は一般には知れ渡っていないから、この森って言うのが敷地になっている…」

 構内図の四分の一を示す森。次のページを捲り、もう一つの図面を見せる。

「森の中は、一般人は立ち入り区域だけれど、実際は射撃場やトレーニングルーム、世間に知られると厄介な施設がこの森の中にあるのよ。基本的に森か、高等部の施設を使って訓練生は日々過ごしているわ」

 柘榴の顔を見れば、瞳を輝かせている子供のよう。

 対して希は落ち着いて、頷きながら黙って蘭の説明を聞く。

「はいはい!訓練生は一般生徒にはどう思われているの?」

「そうね。見つかっても制服はほとんど同じだし、授業時間も違うから滅多に会わないし…別のクラスの人間くらいの認識じゃないかしら?」

 そこまで気にしたことがなかった蘭なので、詳しくは知らない。

「では、学園の生徒はどれくらいなのですか?敷地だけでこれだけ広いとなると…」

 考え出した希より先に、蘭は覚えていた回答を答える。

「初等部、中等部、高等部。それから大学生と訓練生を合わせて、五六七六人。他に教師の数を足せば、学園内の人数は分かるわよ」

 即座に答えた蘭に、柘榴も希も驚きを隠せない。

 言ってしまった後に、ハッとした蘭はすぐに口を閉ざした。柘榴や希には、蘭がこの学園でどういう立場か言ってはいない。

 あまりに詳しすぎるのは不自然ではなかったか、と思いそれ以上なんて言ったらいいか分からなくなる。

 そんな蘭の不安を打ち消したのは、やはり柘榴と希の声。

「流石蘭ちゃん、よく調べているよね」

「私も試験の内容に気を取られて、学園までは調べられませんでしたから。流石です」

 素直に褒められるとは思っていなかったので、拍子抜けしてしまった。

「そろそろ、説明を止めて進んでもいいかしら?」

「はーい」

「分かりました」

 変わらぬ二人の態度に安堵しながら、蘭は先頭切って歩き出した。


 入口を抜け、蘭は真っ直ぐに森の方角へ進む。

 説明に予想外に時間が取られ、急がないと遅れてしまうかもしれない。心なしか歩く速さが早くなる蘭。

 そんな蘭の気持ちを知らず、後ろを歩く柘榴と希は楽しそうに歩く。

「蘭ちゃん、蘭ちゃん!」

 急いでいる蘭を何度も呼ぶから、仕方なく振り返った途端に、不機嫌そうな顔を柘榴のデジカメがしっかりと捕えた。

「ナイス、不機嫌!」

「柘榴……遊びに来たわけじゃないって言っているでしょ!」

 笑顔の柘榴の傍まで数歩下がり、蘭は思いっきり柘榴の足を踏んだ。その痛さに、柘榴は蹲り、涙を浮かべた。

「い、痛い。蘭ちゃん、痛いよ」

「柘榴さん。今のは、自業自得ですよ?」

 希はそう言うが、それなら先に柘榴を止めればいいのに、と思いつつ声には出さない。すると今度は歩き出そうとした蘭の腕を、希が掴んだ。にんまりと、離さないとばかりに笑っている。

「はい、蘭さん。笑って下さい」

「…希、貴方も間違っているわよ」

 引きつった顔の蘭と楽しそうに笑う希。すかさず柘榴が写真を撮る。

「お、いい感じ。でも私も入る!」

 結局、蘭を真ん中にして笑顔の柘榴と希。背景が森なのだが、誰もそれを指摘しない。蘭が逃げ出そうとしても、希がしっかりと腕を絡んでいる。

「ほら、蘭ちゃん。もっと笑って」

「そうですよ。にっこり、が大切です」

「はい、撮れた。もう一枚…」

 周りから無理な注文が飛んでくる。この二人は忘れているのだろうか。どうしてここにいるのかを。

「離しなさい。止めなさい。いい加減に、しなさーい!」

 蘭の怒鳴り声が、森の中に大きく響き渡ったのはそれからすぐだった。


 蘭に怒られ、柘榴はデジカメを取り上げられそうになるのを必死に逃げ、二人の体力が限界になりそうになり、希がデジカメを預かるということで話はまとまった。

 それだけで、すでに数分はかかった。

「そろそろ、お二人とも行けますか?」

 一人平然としていた希の問いに、蘭はなんとか頷いた。無駄な体力を消費したと言っても間違いない。柘榴は蘭から逃げるのに相当必死だったらしく、座ったまま立ち上がれていない。それは蘭も同じ。

「い、行くわ…」

「あ、あと少しだけ待って…」

 息切れ切れで、答える蘭と柘榴。唯一傍観者だった希が、懐中時計で時間を確認する。時間は待ち合わせの十分前を指している。一瞬考えて、希は慌てた様子もなく、一言。

「遅刻しますよ?」

 顔を見合わせた蘭と柘榴。自分たちの休憩を取り遅刻するか、今すぐ走り出して遅刻を免れるか。蘭は間違いなく後者を選ぶ。

「走るわよ!」

「はい」

「うえー、やっぱりー」

 蘭の掛け声で、集合場所に向かって一気に駆け出した。


 集合場所まで走って五分。

 森の中を迷うことなく進んだ蘭に付いて走った柘榴と希と一緒に、森の奥にあるガラス張りの建物を超え、森の中に存在する施設を目指す。

 何年も前に来なくなったと言うのに、身体は自然と覚えていた。そのおかげで、ギリギリ遅刻することなく、集合場所に到着出来た。

 そこは、森の中のキャンプ場。

 クラスEの訓練生だと思われる三十人の男女の視線が蘭に突き刺さる。

 男子生徒の着ている制服は、紺を基準にしたブレザータイプの学生服。数少ない女子生徒は蘭の着ている制服のように白のワンピースのような制服じゃなくて、黒の体操服。

 一応試験と言う名目のため、制服が一般的。けれども試験内容が普通ではないので、特例として女子だけ体操服を着ている様子。

「…はあ」

 誰にも聞こえないように呟いた声。

 居心地の悪い空気に、緊張まで入り混じった空間こそ久しぶりに感じた。最近はそんな空気を感じていなかったから、その差が嫌でも身に染みる。

 戻って来てしまったのだと、蘭は感じた。

 敵意、嫌悪、恐怖、恐れ。向けられる視線は一体どれだろうか。息が詰まりそうになる前に、唾を飲み込んだ。この周りにいる人は全員がライバルであり、敵のような気分になる。誰も信じられない、この空間。どうやって昔は気にせずに過ごしていたのか、思い出せない。

「蘭ちゃん、私達どっちに行くんだっけ?」

 ふと、ギュッと右手を握られ、驚いて振り返る。そこにいたのは笑顔を浮かべている柘榴。

「もう、勝手に進まないで下さいね?」

 今度は左手を希が握る。

 まるで、二人が蘭を引っ張るように勝手に歩きだしてしまう。

 蘭は何も言っていない。二人はまわりの視線なんて気にすることもなく、こんな空気の中でも笑っている。相当可笑しな二人だと、だから蘭は救われたのだと、思い知らされる。

 こんな場所でもいつもと変わらない。変わらない笑みを浮かべられるのは、きっと柘榴と希だから。

「…そっちじゃ、ないわよ」

 そんな二人を見ていたら、蘭だって負けられない。

 蘭の声に柘榴と希が振り返る。その無邪気な笑みを見て、蘭もどうしてか笑ってもいいのかな、と思ってしまった。

「この合宿は三人一組のチームが二組ずつ協力することになっているの。計六人で合宿をして、協調性を高める目的もあるのよ。だから、そのくじ引きに、先に行くのはあっちよ」

 蘭の視線を追って、見えた白い小さなテント。そこにいる見知った顔が、蘭達を見て手を振っている。

 気の抜けた手の振り方、いつものコック服ではなく、ここの教員と同じ戦闘服。

「蘭ちゃん、ごめん。私、幻でも見ているのかもしれない」

 隣の柘榴の信じたくないと言いたげな声に、蘭も呆れて声が出ない。

 何度か目を擦っても消えない幻に、柘榴は冷めた目でその人物を見る。

「あれは間違いなく、結紀さんですよね?」

 さらりと事実を言った希の言葉に、誰もが同じ人物を見ているのだと確信する。

「なんでいるわけ!?」

 信じられない、と言いながら先にずかずか歩いて行く柘榴。希はクスクス笑いながら、呆れた蘭と一緒に歩いて行く。

 テントに走って行った柘榴は、結紀に突っかかって叫ぶ。

「なんで、いるの!」

「俺、臨時教官」

 即答した結紀の姿を数秒柘榴が見つめる。一通り見てから、柘榴の声がもう一度響く。

「に、似合わない!」

「だよな、俺もそう思う!」

 腹を抱えて笑う二人は場違いそのもので、それを気にせず騒ぐから質が悪い。

 近くまで来て冷ややかな視線を送る蘭や楽しそうに見守る希。その周りにいる人は、慣れていないせいだろう、引いている。

「でもほら、俺かっこよくない?」

「顔と服が、合ってないと思います」

「真顔で言うなよ!」

「あはっははは」

 柘榴の笑い声と結紀の掛け合いはいつまで続くのだろう。

 そんな二人を無視した希は、遊んでいる結紀の隣にいた別の教官に話しかける。

「くじを引けばよろしいのですか?」

「はい。ですが、くじはすでに終わっていて」

 困ったように答えた教官に、希は首を傾げる。蘭の方に疑問を投げかけるような視線を投げられても、答えられるはずがない。

 ある程度笑って満足した結紀が、ようやく蘭と希に向き直る。

「あ、柘榴チームのくじは俺が引いたから。はい、これ持って。そのまま端で待機していれば開会式始まるからさ」

 何とも軽く説明されて、何か言い返そうと思うが上手い言葉が出てこない。柘榴は未だ笑っていて、蹲るのでいい加減にして欲しい。

 とりあえずこの場から立ち去ろうと、柘榴の襟を掴んで引っ張った。


「柘榴、一応確認するわ。昨日の用紙はきちんと読んだ?」

「え?」

 訓練生の集まりから少し離れた木の下で、蘭は思わず尋ねる。問われた柘榴のいかにも目を逸らした様。さっきまであれほど五月蠅かった柘榴は、一気に静かになった。

 蘭を中心に木を背に寄りかかり、希は蘭を挟んだ柘榴に笑いかける。

「柘榴さんは、昨日。荷物整理だけで終わりましたよね」

「ちょ、希ちゃん。それは内緒だって」

「夜遅くまで。一緒に何を持って行くか、話し合っていたではありませんか」

 焦る柘榴の様子に、呆れた。この調子だとこの試験に対して何も知らない、と言っても過言ではなさそうだ。

 蘭に怒られる前に、柘榴はごめんなさいと謝る。

 開会式が始まる前に、基本知識だけでも教えておいた方がいいだろう、と蘭は用紙を鞄から取り出す。

「試験は訓練生が戦闘員になるための最終試験。この結果でどこに飛ばされるか決まるようなものなのよ」

 立って話すのは疲れるので、早々に座り込む。

「試験は六日間、日中は学園の施設を使い各々の能力を計る。夜は実践も交え、森の中での訓練になるわ」

「訓練なら、蘭ちゃん大好きだから嬉しいでしょ?」

「柘榴、私を何だと思っているわけ?」

 訓練が好きではなく、強くなるために欠かさないだけなのだが。柘榴にはそれを間違って解釈されている気がしてならない。

「柘榴、さっき結紀から貰ったくじにはなんて書いてあったの?」

「えっとね、E」

「もう一組、そのEのカードを持っている三人組があの中にいるはずよ。それが、今回私達が組むチームの仲間」

 そう言って蘭の指し示した先、訓練生が綺麗に整列している様子。一人一人の距離感がいかにも整っている感じが、いかにも組織らしい。

 柘榴や希もその様子を見て、おお、と感嘆の声を漏らす。

 開会式が始まるので、蘭達も立ち上がってその様子を見ていることにした。


 長い開式の言葉、合宿における注意点、最後にくじ引きの結果が発表される。

「チームAは―――」

 次々と名前が呼ばれていく。その中に蘭達の名前はない。結局、呼ばれたのは最後のチーム。

「チームE。浅葱あさぎ蘇芳すおうとき、蘭、柘榴、希」

「どなたでしょうか?」

「いやいや、希ちゃん。私を見ても分からないからね」

 柘榴や希が、その三人を探す。普通、名前を呼ばれただけでは分からないだろう。それに後ろ姿から、それを見つけられるとは思わない。

 呼ばれた名前を知っていた蘭は、思わず声が漏れた。

「あいつらか」

 何かを知っている蘭の声に、柘榴と希は首を傾げる。

「蘭さんのお知り合いの方ですか?」

 お知り合い、になるのだろうか。そもそも、柘榴や希は蘭が訓練生であったことを知らない。話したことがなかった気がする。柘榴や希の過去を蘭が知らないように、お互いのことをよく知らない。

 隠していたわけではないが、タイミングがなかった。

「昔、一緒に訓練していた連中よ」

「え、てことは蘭ちゃんここにいたことあるの?」

 驚いている柘榴の質問に、首を縦に振って肯定する。

「だから、詳しかったのですね。納得しました」

「じゃあ、昔の話聞かせて!ね、ね」

 無邪気に騒ぐ柘榴は眩しい。でも、蘭が話せることなどあまりない。訓練生の時に過ごしていた時間は、あまりにも味気ない時間だったから。

「…いつか、話すわ」

 今はまだ、心の準備が出来ていない。それでもいつか、話してみたい。聞いて欲しい。柘榴と希の様子が気になって、横を見た。いつか、なんて曖昧な言葉で誤魔化されたと思っているだろうか。

「それじゃ、蘭ちゃんが話したくなったら。きっと話してね」

「そうですね。私も楽しみにしています」

 向けられた笑みに、蘭は言葉が詰まった。

 無理やり聞き出そうとしないこの空気が、今の蘭にとっては居心地よくて、それでも話せば親身になって聞いてくれると分かっている。

 それ事実が、何よりも嬉しい。

 盛り上がっていた蘭達。いつの間にか開会式は終わり、それぞれがチームごとに集まり始める。

 そうして、蘭達の方へやって来た三人組。

 数年前と雰囲気の変わらない、かつてのクラスメイトを見て、少し懐かしく感じた。

「こんな場所で何やっているんだよ、チビ」

 チビ、蘭のことをそう呼んだ人間は一人しかいない。

 いつも蘭の一つ下の成績で、一番ライバル意識を持たれ、何かと声を掛けて口喧嘩をしていた相手。

「浅葱…」

「呼び捨てにすんじゃねーよ、チービ」

 名前を聞くまで存在を忘れていた相手だが、そうして以前のように呼ばれると一瞬で記憶が蘇る。

 訓練生にあるまじき暴言と茶髪。変わらずに突っかかって来る態度で、蘭が睨めば睨み返す少年。子供っぽいと言うか、年齢に対して幼く見える容姿は変わらない。

「身長、伸びてないのね」

「これでも少しは伸びたっつーの!」

 浅葱は顔を真っ赤にして叫ぶ。昔から身長だけは同じだったと言うのに、変わらず蘭と同じ身長に思わず憐みの言葉が出てしまった。

「浅葱、落ち着け」

「そうそう、折角女の子と組めるんだから仲良くしようよ」

 浅葱の後ろから出てきた背の高い少年、蘇芳。それからいかにも軽そうな少年、鴇。

 蘇芳は基本的に口数が少ない。平凡な見た目で、あまり表情を変えないと言うか、隣にいる鴇や浅葱の方が感情豊かなので比べるとどうしても無表情に見えてしまう。

 対して鴇の方は、何故か前髪をヘアピンで止め、両耳には金のピアスが光っていた。どう見ても、真面目には見えない格好である。

 浅葱、蘇芳、鴇。

 蘭が訓練生としてこの場所にいた時も一緒に行動していた記憶がある。三人セットは相変わらずのようだ。

 初めてみる三人に、柘榴と希は顔を合わせ誰が誰だろうと首を傾げる。

「えーと、どちらが蘇芳さんで、どちらが鴇さんですか?」

「はいはーい。俺が鴇。こっちが、蘇芳」

 蘭と浅葱が睨みあう傍らで、柘榴と希は勝手に挨拶を済ましてしまう。

 説明するのが面倒だったので有難い。今の蘭の相手は目の前にいる浅葱。

「貴方たち、何時まで経っても変わらないのね」

「はあ、そんなことねーし。今ならお前より強いし」

 蘭が言えば、浅葱は必ずと言っていいほど言い返す。それは逆の場合でも同じ。こんなやり取りも数年ぶりのはずなのに、テンポよく会話は成立してしまう。

「浅葱が一緒だと、足を引っ張らないか心配だわ」

「それはこっちの台詞だ。お前こそ、あれから身体が鈍ったんじゃねーの」

「浅葱だけには負けないわね」

「チビのくせに生意気言ってんじゃねーよ」

 言い始めれば止まらない。睨みあい、顔を背ける。周りが見えなくなっていた蘭と浅葱。

 いつの間にか周りのチームはそれぞれのキャンプ地に移動し始めていて、残るは蘭達のチームだけだ。

「ほら、蘭ちゃん。行くよ」

「浅葱、置いてく」

 柘榴と蘇芳の言葉に振り返れば、すでに荷物を背負った四人がこっちを見ていた。

 それも数メートル先まで歩き始めていたので、浅葱と顔を合わせると蘭は勢いよく駆け出すのだった。


「一日目の午前中は、キャンプの準備。午後からは射撃場にて射撃テスト。二日目と三日目は、高等部で筆記試験。四日目は水泳、柔道、空手、剣道のテスト。五日目はルール無用の個人トーナメント」

 歩きながら柘榴が用紙に書かれた日程を読み上げる。

 浅葱たちを先頭に後ろを歩く蘭は、柘榴の読み上げた内容に付け加える。

「ちなみに、四日目のテストは選択制よ。でも、一試合でも勝てば得点が加算されるから、全員参加みたいなものだけれど」

「その加算された得点が最終日に影響されるのでしたっけ?」

「そうよ」

 理解している希と違い、歩きながら用紙を必死に捲る柘榴が問う。

「それって、六日目の戦闘員対戦闘実技テストのこと?」

「ええ、その他に得点されるのは、一日目から五日目の夜に行われる戦闘実技ね」

 蘭の説明に柘榴の頭は回らない。疑問が増えるばかりだった。

「戦闘実技ってどういうものなの?」

 それは、と答えようとした蘭の言葉を遮り、前を歩いていたはずの鴇が後ろまで下がって会話に加わる。

「夜、九時以降からね。各チームのリーダーを決めて、リーダーの帽子を取ったチームが勝ちというゲームみたいなものだよ。決まったチームの帽子を被っているリーダーを探し出して、先に帽子を取ったチームが勝ちになる。リーダーはテントから遠くまで離れるのは禁止、決着が着くまで、その日は眠れない」

 やんなるよね、と言いながらちゃかり希の横を歩く鴇。

「なんで、こっち来たのよ」

「いや、だってさ。あの、蘭ちゃんが他人に対して心開いているのは興味深いじゃんか。という事で、大変そうなので説明のお手伝いを」

 浅葱の近くにいた鴇。そう言えば、こいつもこいつで、毎回毎回挨拶して来たな、と思い出す。浅葱が喧嘩腰で挨拶して来たのに、鴇は笑顔を絶やさない。

 対して浅葱と一緒に前を歩いている蘇芳は、蘭に対してだけでなく誰に対してもあまり会話をしない。挨拶だけはかろうじてしていたが。浅葱と鴇以外と話をしていた記憶が蘭にはない。

 ぼんやり考えていた蘭はいつの間にか一歩後ろに下がっていて、鴇が柘榴と希に小型の機械を見せていた。

「戦闘実技は夜にこの森の中で行われるんだけど。帽子はこれね。発信機と盗聴器が帽子の中に入っているから。これを通じて、教官達に合否を知らせる仕組みになっているわけ」

 ふむふむ、と頷いた柘榴に、帽子が渡る。

「もしもーし、聞こえますか?」

「柘榴さん、通信機ではないので聞こえないのではないでしょうか?」

 希の言葉に、柘榴は慌てて帽子を鴇に戻す。恥ずかしくなった様子を希が口を隠して笑っている。

 緊張感のない会話だ。蘭も柘榴をからかいたくなる。

「今の声、きっと結紀にも聞こえていたわね」

 蘭の言葉に一瞬顔を固まらせるが、それはほんの一瞬だった。瞳を閉じ、深く息を吸い込んだ柘榴。

「さて、そろそろ目的地に着くんじゃないかい、諸君」

「無視しましたね、柘榴さん」

 蘭の言葉を綺麗に流した柘榴は、前の二人に叫ぶ。

「浅葱と蘇芳、そろそろ着く?」

 柘榴に呼ばれた浅葱は心底嫌そうな顔で、蘇芳の方は無表情で振り返った。

「勝手に名前を呼ぶんじゃねーよ」

「いいじゃん、どうせ年下でしょ!」

 見た目で判断した柘榴には悪いが、蘭は浅葱達の年齢を知っている。

「同い年よ、貴方達」

 ボゾッと呟いた声は柘榴に届いたようで、少し顔を引きつらせた。

「同い年だから、呼び捨て問題なし!」

 笑って言い切った柘榴。浅葱はそれ以上呆れて何も言わなかったし、蘇芳の方はやはり無表情が変わらない。

 鴇だけが少しだけ頬を膨らます。

「浅葱は年下に見られても構わないけど、俺と蘇芳は心外だな」

「ふざけんな、鴇!」

 柘榴に言ったはずの言葉は、数歩先を歩く浅葱にしっかり届いていたようだ。

 騒ぎながら進む一行はそれから数分して、ようやく目的の場所に辿り着くのだった。


 午後から射撃テストという事で、急いでテントを張った蘭達は急いで射撃場に向かった。柘榴と希があまりにも役に立たないので、蘭が指示を出していた。

 叫ぶだけで疲れた。体力を奪われた。

「蘭ちゃん、疲れているねー」

「誰のせいよ、誰の!」

 射撃場に到着するなり、笑っていた柘榴の足を思いっきり踏んだ。痛がって蹲る柘榴を見下ろす、蘭の冷ややかな瞳。

「それより蘭さん、少しよろしいですか?」

 蘭の隣に立って周りを見渡した希は、射撃場に入るなり渡された物体を眺めて首を傾げる。

「これはどうやって扱うのですか?」

 手に持ったまま、どうしようも出来ない一丁の拳銃。予想していなかったことではないが、やっぱりか、と蘭は肩を落とす。

「希…それから柘榴。貴方達、拳銃を撃ったことは?」

「「ない!」です」

 笑顔で言われると、説明するのが面倒になる。柘榴は拳銃を持ったまま、首を傾げ色んな角度から銃を眺めている。

 この二人に拳銃を持たせるのは、間違っている。

 蘭は頭に手を当て、どうするべきなのかと眉間に皺を寄せた。

「とりあえず、時間がないから基本しか教えないわよ。それでいいかしら?」

「うん!」「はい!」

 満面の笑みを浮かべた柘榴と希。

 自分達のテストまでの間、蘭の必死の指導は空しく。結局、的に当てることすら出来なかったのは言うまでも無い。

 おそらく、明日からもそうなるのだろう。

 先の思いやられる試験の始まりに、蘭はため息しか出なかった。


 射撃テストを満点で終えたのは蘭だけだった。

 基地内でシャワーを借り、さっさとテントに戻ろうとしたはずなのにいつの間にか柘榴と希のペースで歩く。浅葱達は先にテントの方に戻ったので、この調子でゆっくり歩くとまだまだテントまで時間は掛かりそうだ。

「やっぱり、出来なかったね」

「そうですね」

「でも、確か最初の頃だっけ?希ちゃんは、拳銃を持ってなかったっけ?」

「あれは柊さんから借りていただけで、撃ったことはなかったですから」

「そうなんだ。何となく撃てる気がしたんだけどな」

「柘榴も希も、もっと練習すればいいじゃない」

 柘榴の左側を歩きながら、蘭は軽い気持ちで柘榴に提案してみた。その言葉に、柘榴の方が唸りながら言う。

「そりゃ、蘭ちゃんみたいに真ん中命中はかっこいいと思うけど…拳銃は苦手だな」

 右手を見ながら柘榴はそっと呟いた言葉は続く。

「拳銃は倒した感触がない。倒した相手のことを忘れてしまいそうだから…」

 柘榴の言葉に、希も思うことがあるのか。そうですね、と希が小さく同意した。柘榴の右側を歩く希の表情を蘭からの位置では確認できない。

 ただゆっくりと重みのある希の声が、届く。

「私は…拳銃が少し怖い、と思いました。拳銃って、あの一発で人の命を奪う物ですよね。それは、怖いです」

 二度繰り返された希の言葉に、蘭は何も言えなかった。

 今まで怖いなんて思ったことはない。戦いに必要だから、負けないために必要な力だと思っていた。柘榴も希もそれぞれ、きちんと考えている。

 自分のことはどうだろうか、と考え始める蘭も黙れば無言の空気になった。ただ、三人分の足音が響くだけの空間になる。

 すぐにそれに耐えられなくなった柘榴が、明るい声で話し出す。

「でも、柊さんも酷いよね。力がないと、私達無能じゃん」

 ねえ、と疑問形で問いかける柘榴が蘭に同意を求めるが、蘭は意味が分からないと言わんばかりの視線を向けて言い返す。

「それは柘榴だけでしょ?私と希を一緒にしないでよ」

「そんなこと言わないで!」

「柘榴さんは木刀を渡されましたよね?それじゃあ、駄目なのですか?」

 素朴な希の問いに、柘榴はうーんと唸りながら言う。

「でも、グラナードの方がしっくりするもん。希ちゃんだって、渡された弓より自分の武器の方がいいでしょ?」

「まあ、否定はしません」

 あっさりと認めた希。でも、と言葉を続ける。

「私はよく本部で弓を使用していましたし、柘榴さんも木刀で練習していたではありませんか?」

「それでも、なの!」

 柘榴の文句は尽きない。

「『合宿中は基本、能力禁止だからな』とか、柊さん酷い!」

 途中で柊の物真似を挟んだ柘榴に、希がきっぱりと一言。

「あまり似ていませんでしたね」

「そこに注目しないで!うぅ…あ、そうだ。蘭ちゃんは何を貰ったの?」

「別に貰ってはいないわよ。ただ――」

 突然話が振られて驚きつつも、律儀に蘭は答えることにした。

「柘榴が木刀で、希が弓と矢を支給されたように。私の場合は、訓練生全員に共通で配られる支給の武器の小刀と、ゴム玉入り拳銃よ。希望すれば、木刀を所持出来るわ」

「その武器で戦闘実技を行うのですね」

「そういうこと」

 お互いの武器に関して話をしていると、いつの間にかテント近くまで戻って来た。少し離れた場所から、誰かが呼ぶ声。このあからさまに嬉しそうな声は、蘭が知る限り一人だけ。

「柘榴ちゃーん、希ちゃーん、蘭ちゃーん」

 笑顔の鴇が三人の姿を見つけ、大きく手を振っている。奥ではすでに夕食の用意をしている浅葱と蘇芳の姿。美味しそうな匂いはここまで届く。

「遅い、チビ」

「二位に言われたくないわ」

 二位、という言葉に浅葱は持っていたお玉を持ったまま、蘭に突っかかる。エプロンを付けたままなのは、気が付いていないのか。わざとではないだろうと思う。

 蘭と浅葱の無言の睨み合いが静かに始まった。


 蘭と浅葱の言い争いを気にせずに、柘榴と希は他二人の手伝いをする。

「お二人とも上位おめでとうございます」

 笑顔の希は夕食の支度をしている鴇に笑いかける。

「ありがとー。なんか俺、久しぶりに女の子に褒められて嬉しくて死にそう」

 一人喜びを隠せない鴇は、包丁を持った手が止まる。

「あ、サラダ作るのを手伝いますね」

「うん、ありがとー。俺、マジで今が一番幸せかも」

 最後の言葉は希にまで聞こえなかった。鴇の隣で野菜を切り始めた希は手際よく、他の野菜を切っていく。

 柘榴の方もカレーを混ぜている蘇芳の横で、そのカレーを覗き込む。

「もうちょっと、強火がいいよ」

「…俺、説明書通りに作っているだけ」

 何とも模範解答の答えに、柘榴の目が光り、手が動く。

 すぐに味見をした柘榴は、一言。

「普通だけど、これはこれで仕方がないかなー…」

 文句の言いたげな柘榴に、蘇芳はそっとその場を離れることにした。カレーのことは柘榴に任せた蘇芳は、鴇と希の手伝いに混ざる。

「あれ、蘇芳。カレーは?」

「俺、邪魔者」

 蘇芳の視線の先で、ブツブツ言いながらカレーを仕上げる柘榴。

「柘榴さん、いつも食堂でつまみ食いをしていますから。食べ物に関しては誰よりも五月蠅いのですよ」

「つまみ食い自体はいいことじゃないよね…」

 鴇の言うことはその通りなので、希もまあ、と答えを濁しながらそれでも言葉を続ける。

「つまみ食いは賛成し兼ねますが、でも舌は確かだと聞きました」

 鴇と蘇芳は、その話を聞いて少し驚いている。

 柘榴のカレーが完成するまでに、希と鴇と蘇芳でサラダを仕上げ、蘭と浅葱の睨み合いが続いた。

 

 円を組むように座った面々。

「今日の試験で何点得点入ったの?」

 カレーを食べ終えた柘榴は問う。その質問に、蘭は一瞬だけ考えて答える。

「鴇と蘇芳は同着三位で。浅葱は二位。そして私が一位だから、合計百二十五点」

「最高点が三十三点で、順位が下がるにつれ一点ずつ下がるのでしたっけ?」

「ほうだよぉ」

 もぐもぐカレーを食べ続ける鴇が頷く。

「口にあるのを食べてから答えろよ」

「んだでさー」

 最早何が言いたいのか伝わらない。

 浅葱に指摘されて、鴇はごっくんとカレーをのみ込んだ。

 すでに食べ終わった柘榴は暇そうにしている。蘇芳は静かにカレーを口に運び、希はにこにこしながらゆっくり食事を続ける。

 ふと、柘榴が何かを閃いた顔をした。

「キャンプ恒例のトークターイム!」

 あまりのテンションの高さに、浅葱が引いている。

 蘭と浅葱は食事を終えた組なので、無条件で柘榴の会話に付き合わされる予感が、蘭の中に生まれる。

「…お前の知り合い、おかしくね?」

「知り合いじゃなくて、友達。仲間」

 隣に座っていた浅葱を思わず睨み返す。うっ、と言葉を詰まらせた浅葱。

 浅葱の傍に座っていた鴇と蘇芳にも聞こえていたらしい。蘇芳は冷静にカレーを食べるが、鴇は笑いを耐えている。

「浅葱、怒られた―」

「うるせーよ!」

 小声で会話をする浅葱と鴇。蘭は気にせず、柘榴に問いかける。

「トークタイムは何を話すの?柘榴」

「ぶっちゃけ、言い出したはいいけど。何を聞けばいいのか、分かりません!」

「貴方ねえ…」

 いい笑顔の柘榴に、呆れた蘭は頭を抱えた。柘榴はこういう人間だ。

「じゃあ、俺から質問してもいーい?」

「変な質問じゃないならいいよ?」

 柘榴同様にテンションが高い鴇の言葉に、柘榴がどうぞ、と言う。

「なんで他の女子みたいに、運動服じゃないの?その恰好動きにくくない?」

「これ、戦闘服だよ?」

 へ、と変な声を出した鴇は納得していない様子なので、蘭は呆れた声で説明を付け加える。

「一応戦闘服用に作られた服だから、いざと言う時のために着ているの。言っておくけど、今貴方達が着ている制服より素材も機能もいいのよ」

「そんな風には見えないけどな」

 ボソッと呟いた浅葱の言葉に、確かに、と鴇が言った。

 そう思われても仕方がない。

「他の質問ないわけ?」

 喧嘩腰で蘭が浅葱と鴇に言えば、その前に希が立ち上がりながら言う。

「あ、そろそろ皆さん食べ終わったようなので、片付けますね」

「あ、手伝うよ」

 本当に調子の良い柘榴は、自ら始めたことを忘れて希を手伝っていなくなってしまう。残ったのは質問をしても答える気のない蘭と、居心地の悪さを感じた浅葱と鴇。何を考えているか分からない蘇芳。

 座っていてもやることがない蘭は、ため息をついてから柘榴と希の手伝いをするために立ち上がることにしたのだった。



 片づけも終わり、時刻は八時前。

 もう一度集まった蘭達は、さて、とこれから行われる戦闘実技について話し合うことにした。

「それで、どなたが帽子を被りますか?」

 希の質問に全員が周りを見渡す。代表して鴇が最初に口を開いた。

「希ちゃんでいいんじゃない。基本帽子役はテントから動いちゃいけないし。浅葱と蘭ちゃんは、守るより攻める派でしょ?俺と蘇芳で希ちゃんを守っていればいいから。柘榴ちゃんは攻めでいい?」

 柘榴が答える前に、蘭が鴇の意見を変える。

「柘榴は近距離専門だから攻めでいいけど、私は守りにいるわ。代わりに蘇芳行って」

 蘭が守りに行くと言うのを予測していなかったのか、驚いた顔をした浅葱と鴇。蘇芳は驚いているのかもしれないが、表情を変えないからよく分からない。

「は、チビ。攻めじゃねーの?いつもなら迷わずそっちだろ」

 浅葱が言った言葉に、蘭は不機嫌な顔になる。

「何年前の話しているのよ。私なら距離関係なく対応出来るし、敵を見つけ次第誰よりも早く倒せるわよ」

 確かに昔の蘭なら、守るより攻めていた。

 誰かを守るなんて性に合わないし、何より攻めるなら一人で勝手に行動出来たから。

 でも、今だからこそ各自の能力を知っていれば、柘榴や希だけじゃなく浅葱達の力も蘭は知っている。

「それに、浅葱と柘榴が近距離担当なら遠距離担当も必要でしょう。私より、蘇芳の方が銃を撃つスピードは速いじゃない。遠距離と近距離の両方対応出来る私と鴇なら、どこから敵が来ても対応しやすいわ」

 これでも納得出来ないかと言いたそうな顔で、理由を話した蘭。いつになく口が動く。

「…というか、今日はよく喋るな。チビ」

 折角人が真面目に話しているのに、浅葱の言葉にムカついた。睨むだけで押さえておくのが精一杯だ。

 蘭の睨みに慣れている柘榴は、気にせず蘭の提案に賛成の声を上げる。

「了解!蘭ちゃんが言うなら、それでいいよ」

「私も構いません」

 柘榴と希は武器を握りしめて、やる気満々である。鴇と蘇芳も、特に異論はない様子。浅葱だけ何とも言えない表情で蘭を見つめるが、無視する。

「それじゃあ、九時まで時間あるし。各自休憩して、十分前に集合で」

 鴇が話を締めたのをきっかけに、浅葱と蘇芳は立ち上がる。

 置いて行かれると思った鴇もいなくなってしまえば、残るはいつもの柘榴と希、それに蘭。座ったまま、蘭は二人に向き直る。

「それで、さっきの作戦で本当に問題はない?」

 浅葱達がテントに入ったのを確認してから、もう一度訊ねる。浅葱達がいて話せないことはないか、一応確認しておきたかった。

「そういえば、柘榴さん。暗闇ですが大丈夫ですか?」

「うん、何があるのか分からなければ怖いけど。いるのは訓練生って分かっているわけだし」

 話から察するに、柘榴は暗闇が苦手なのだろうか。

「一応言っておくわ。三人分の暗視ゴーグルがあるからそれを使えば暗闇の移動は楽になるわ」

「それに私達にはこれがありますよ」

 希が軽く叩いたのは耳に付けている通信機。訓練生は持っていないが、蘭達はいつラティランスが現われるか分からないのだから、外すわけにはいかない。

 確かに合宿に行くにあたって、柊に通信機を使ってはいけない、とは言われていない。

「敵が私達と同じように人数を割くかは分かりませんから、通信機を使えば人数を把握出来ます」

「頭いい、希ちゃん」

 感心する柘榴に、少し照れたように笑う希。希の言う通り、これを使わない手はないのかもしれない。

「それに整備部の方にお願いして予備の通信機も貰って来ましたから、六人で連絡が取れます」

 希がポケットから出した予備の通信機が三つ、いつからこんなものを用意していたのか。それよりもあっさり整備部から貰っていいのか、疑問に思う。

「いつの間に…」

 柘榴が予備を見つめていたが、希はそれを蘭に渡した。渡してくれということだろう。蘭は受け取ると、確認の意味を込めて希に訊ねる。

「いつからこんなことを考えていたのかしら?」

「日程表に、軽く戦闘実技について説明がありましたから。柘榴さん、くれぐれも相手に大怪我をさせてはいけませんよ。大怪我をさせたら反則になります」

 蘭の質問を軽く流し、希は意地悪そうに笑った。柘榴は、はい、と頷く。

 さて、と言って立ち上がった希。

「そろそろ私達も休憩しましょうか」

 希が最初に立ちあがる。

 どこにいるか分からない敵を探すのだから、運が悪ければ勝負がつかない可能性だってある。寝られるうちに寝た方がいい。

 柘榴と希は全然眠くないのか、楽しそうに後ろで話しながら、三人はテントに向かって歩いた。


 それから気がつけば、時間は九時前になる。

 蘭は軽く目を閉じていただけで、柘榴も楽しみで寝られなかったのだとして、それはいい。問題は希、いつの間にか熟睡していた。

「希ちゃん、起きて!」

「…はい、大丈夫ですぅ」

 柘榴に引っ張られてテントから連れ出された希は眠たくて、何度も目を擦る。蘭が叱っても頭で理解出来ないようなので、柘榴が何とか皆の前に連れだした。鴇が心配そうに希の様子を見ている。

 浅葱や蘇芳もすぐにやって来た。

「チビ、あいつ大丈夫か?」

 浅葱に訊ねられても。頷くことは出来ない。何度か一緒の部屋で起きたことはあるが、希は時間が立たないと目を覚まさないのはもう諦めている。

「何とかなるわよ。それよりこれ通信機、連絡取りあえるでしょ」

 希から渡された予備の通信機を浅葱達に見せる。得意げに言ってしまったのは、きっと希の意地悪そうに笑った顔を思い出したからだ。

「…どこから手に入れたんだよ」

 浅葱は一瞬驚いてから、ポケットから何やら四角い機械を取り出す。蘭が訊ねる前に、浅葱が説明を始める。

「戦闘実技のことは代々語り継がれているからな。何人かの訓練生に発信機は付けてある」

 傍にいる蘇芳の方を見れば、黙って頷く。浅葱達もこの訓練のために前もって仕組んだに違いない。

画面で点滅するのは発信機。それを頼りに進めば、迷うことはない。

「どこのチームも発信機を使って来るから、こっちの居場所もばれていると思う。数人に仕掛けた発信機も運が良ければ、引っ掛かる」

 手渡された機械の画面、点が集まっている四カ所を見つめる。これは便利だ。敵が見つからないという心配はないし、やって来る敵を見つけられる。

「浅葱、そろそろ時間になる!」

 希は座って、今にも眠たそうではあるが、一応起きているらしい。

 鴇の掛け声に浅葱と蘇芳、それに柘榴が頷いた。今日戦うのはAチーム。帽子を先に奪えば勝ちになる。

 柘榴の代わりに希の傍に行き、鴇と一応の確認。

「私は近くに敵が来れば、希の傍を離れることもあるわ。その時はお願い」

「まさか、お願いされる日が来るとは思わなかったけど、了解」

 鴇の装備は木刀と銃。希一人ぐらいなら、鴇にだって守れるだろう。

 それに対して、小刀、銃を所持している浅葱と同じく銃を二丁持つ蘇芳。木刀のみで戦う柘榴。三人で作戦会議をして、作戦を確認しているようだ。

『それでは、戦闘実技を開始します。チームA対チームE。チームB対チームD。始め』

 林全体に響き渡ったスピーカーの声。

 それを合図に、浅葱、蘇芳、柘榴は四方に駆け出した。



 残された蘭と希、そして鴇。スピーカーの声で目覚めた希が、空へ腕を伸ばす。

「んんー、おはようございます」

「九時過ぎているわよ」

 蘭の言葉に、あら、と小さく呟いて楽しそうに笑う。焚き木を囲んで、希と蘭は座り、鴇はそんな二人の姿を立ちながらすぐ傍で見守る。

「蘭ちゃんも、笑うんだね?」

 鴇にそう言われて、文句があるのかと睨んでやる。鴇はすぐにお手上げというポーズを取った。

「当たり前じゃないですか?それより、私達はやることないのですか?」

「ないわ。敵が来るまで大人しく待っていればいいのよ」

 暇ですね、と言って希は空を見上げた。林の中でも空が見える。星を見上げる希を真似して蘭も空を見上げた。星空を見上げる、なんてことが久しぶりなことのように思える。

「蘭さんと鴇さんは、星座の神話を知っていますか?」

 突然の質問に蘭と鴇は希を見た。それから蘭はポカンとしている鴇と目が合い、ずっと空を見上げている希に言う。

「星の名前は知っているわ。位置とかなら、だけれど」

 段々声が小さくなっていったのは、その知識はあくまで基本的知識として頭に入れているだけで、興味があったから知っているわけではないからだ。

 希はただただ楽しそうな笑みを浮かべ、ゆっくりと話し出す。

「あの空の高いところに、ペガサス座がありますが、ギリシア神話では―」

 希はとても楽しそうに語り出す。あっちにある星はこんな神話が、そっちにある星はこんな神話がと説明をしている希は楽しそうで蘭は止めることが出来ない。

 少し間が空いた隙に、蘭は尊敬する眼差しで希を見て言う。

「…すごく、詳しいのね」

「はい、星を見るのが好きで沢山調べましたから。迷惑でしたか?」

「ううん。じゃあ、あの星座は?」

「あの星座は―」

 今が戦闘実技であるのを忘れるほど、穏やかな空間で希は話すのを止めない。

 蘭も鴇も星座の神話のことなんてこれっぽっちも知らないけれど、希があまりにも楽しそうに話しているのを止める気にはならなかった。

 いつもはお喋りの鴇も空を見上げて、黙って希の声に耳を傾けていた。

 チームAの人間が蘭達に近寄って来るまで、数分前の出来事だった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ