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宝石少女奇譚  作者: 香山 結月
第2章
11/59

10 再会編01

 夕方。

 希と柘榴が二人旅を終え本部に戻ると、訓練も出来ない蘭は相当機嫌が悪かった。

「で、任務はどうだったのよ」

 訓練室の椅子に座りながら本を読んでいた蘭は、希と柘榴を恨めしそうに睨む。行けなかった恨みは消えてない。

けど、多分心から怒ってはいないのだろう。それだけでも希はホッとした。

「無事解決したよ。だから、これお土産!」

 希の隣にいた笑顔の柘榴が蘭の前に差し出したのは、一つのストラップ。

 青色のトンボ玉のストラップで、一目で気に入った希と柘榴がお揃いを買おうということになった。来られなかった蘭も分も買って帰ろうということで、蘭は青。柘榴は赤、希は緑の色違いのストラップ。

「…なに、これ?」

「お揃いのストラップなのですよ。可愛いですよね」

 ジッとストラップを見つめているから、気にいらなかったのかなと希は不安になった。けれどもその不安は杞憂だったようで、少しずつ輝き始める蘭の瞳。まるで小さな子供がおもちゃをもらった時のように、嬉しそうにトンボ玉を夕焼けに透かし始めた蘭。

 随分気にいった様子に、希も柘榴も嬉しくなって顔を合わせた。

 自分の行動に気が付いた蘭が、慌ててそれを胸ポケットに隠す。

「まあ、礼は言っておくわ」

 顔を赤くしながら、蘭の早口の言葉が続く。

「それで、任務はどうだったのよ」

「あ、忘れていた。柊さんは、ここにいないの?」

「呼んだかい?」

 ドアの近くでタバコを吸って、手を振っていた柊。希達が訓練室に入った時はそんな場所に誰もいなかったはずなのだけれど。いつの間に来たのだろうか。

 希も柘榴も不思議そうな顔をしていたので、ふと気が付いたように柊は言う。

「丁度、エントランスで明日から始まる工事のことを聞きに行ったらさ。柘榴くん達が帰って来たという報告を聞いて、そのままここまで来ただけさ」

 それで、と問われれば言わないわけにはいかない。

「調べた結果ですが、ラティランスが守っていたのは宝石でした。宝石は持ち帰りまして、ラティランスはいなくなりましたので、村に被害はありません」

「宝石はここにあるよ」

 じゃじゃん、と効果音と共に鞄の中から風呂敷を取り出した柘榴。

 三人の近くまでやって来た柊は、広げられた宝石を確認する。じっくりと見たのち、触れることなくもう一度風呂敷を結び直した。

 しっかりと固く包まれた宝石から視線を外し、柊はいつもの笑顔を浮かべた。

「それじゃあ、これは預かるよ」

「どうぞ。全部この中にあると思いますので」

「分かった、長旅で疲れただろう。今日はもう休んでいいぞ」

 宝石を持って柊は颯爽といなくなろうとする。

「ああ、そうそう」

 言い忘れたことがあったのだろうか、柊は柘榴と希を振り返り一言。

「報告書の提出は明日までな」

 ちゃんと書けよ、と言いながら手を振って柊は去った。今度こそ部屋から出て行ってしまった。

「「報告書?」」

 残された希と柘榴は首を傾げ、蘭は大きく溜め息を吐いたのだった。



 次の日の朝。

 いつものように希の寝坊。それに加えエントランスの工事のための遠回りでギリギリの時間に訓練室に到着した。

 すぐに訓練を始めるかと思ったが、報告書の書き方が分からない希と柘榴のために、書き方を蘭と柊が教えることになった。忘れる前に報告書を書きあげて欲しいという柊の望みから。

 ということで希には蘭が、柘榴には柊は書き方を教えていた。

「そう、それで終わりね」

「親切に教えていただき、ありがとうございました」

 希は教えてくれた蘭にお礼を述べる。蘭の教え方がいいのか、希の理解力がいいのか。どちらもかもしれないが、予定の時間の半分の時間で終わってしまった。

 隣り合わせにしていた机を離しながら、蘭の横顔を盗み見る。

 今の蘭は何だか丸くなったと、希は思う。怒っているような顔をするのは日々のことだけれど、時々楽しそうに笑う。少しずつ変わっていく関係が居心地よく、希も自然と笑みが増える。

「だからね。それ関係ないよね?」

「あれ?そうですか」

 それに対し、隣の机では柊が必死に柘榴に教えているわけであるが、中々進んでいない様子。

 希と蘭が覗きこめば、紙の四分の一しか埋まっていない。柘榴が上手く言葉に出来ないのか、柊の教え方が悪いのか。

 柘榴に呆れていた柊と顔を上げた希の目が合う。

「ああ、そっちは終わったんだね」

「はい。手伝いましょうか?」

 希が力を貸そうかと思うが、蘭も柊も首を横に振った。

「こういうのは、自分でしなきゃダメなのよ」

「そうそう、希くんは休憩でいいよ。終わったら呼ぶから」

 そう言った柊は耳をトントンと叩いた。

 希や柘榴、蘭や柊の耳に付いているのはお揃いの通信機。音声が聞こえるように電源を入れれば、一定範囲内で通信が可能になる。

 電源を入れて、オンにした。

『聞こえているかーい』

「はい、問題ありません」

 右耳から聞こえた柊の声。直接ではなく、通信機を通した連絡に返事をすると共に頷く。

 村から帰って来てから渡された通信機は肌身離さず所持と言われて、部屋にいる時以外は身に付けるように言われた。

 柘榴はまだ時間が掛かりそうなので、希は大人しく身を引くことにした。

「では、昨日渡せなかった方にお土産を渡して来ますね」

 柘榴に引き止められる声を掛けられるが、蘭や柊がいいと言うのだから任せることにする。

 お土産は生ものだから早めに渡した方がいい、と判断して、訓練室まで持って来ていた袋を持って部屋から出て行くことにしよう。

 そんな希の様子を、柘榴がジッと見つめてぼやく。

「希ちゃん、私も…」

「柘榴さんは報告書を書きあげて下さい。残りはキャッシーさんだけですから、すぐに置いてきますね」

 それ以上柘榴の言葉を聞かずに、にっこり笑った希は一人部屋を出ることにした。


 男嫌いで有名なキャッシー。柘榴と蘭は少し苦手意識があるようだけれど、希はそんなことない。むしろ好きの部類に入ると思う。

 少し過剰な対応をされると困るが、希が一人で困っていた時、迷子になった時は必ず助けてくれる。お金がない希のためによく服をくれたりもする。いらない服と言って渡されるが、時々タグが付いたまま渡される。

 凄く優しい人、だと思う。

 それから素直に尊敬出来る人。それが、希にとってのキャッシーの印象。

 そうこう考えているうちに目的地に着いた。二回ほどノックすると、中から声がした。

「はーい、どうぞ」

「失礼します」

 大量の布、その脇を通り過ぎて机に向かっているキャッシーの傍まで行く。そこにふざけた様子はなく、紙に書かれたたくさんの数字と睨めっこして、頭を抱えていた。

「…やっぱり合わないのよね」

「何が、ですか?」

 うーん、と唸りながらキャッシーが指したのは会計簿の最後の欄。

 その前に並べられた数字に軽く目を通した希は、一カ所おかしいなと言う数字を指差した。

「ここって、違いませんか?」

「あら、本当ね。六たす三で、なんで八になるのかしら?」

 そう言いながらキャッシーはすぐに書き直す。

 今度は計算があったらしく、よし、と言ったキャッシーが勢い良く腕を上に伸ばした。

「終わった、終わった。ありがとうね、希ちゃん。助かったわ。私が計算すると合わないまま数時間過ぎちゃうのよね」

 くるりと椅子を回したキャッシーが、嬉しそうに笑って言った。役に立てたことが嬉しくて、希も微笑みながら言う。

「でも、パソコンは得意ですよね?」

「コンピューターなら得意なのよ。でも、それ以外は…ねえ?」

 同意を求められても素直に頷くことが出来ず、苦笑いを浮かべることしか出来なかった。

「あ、コーヒー飲む?ちょっと待ってね」

 思い立ったように立ち上がったキャッシーが、近くにあった椅子に座るように言う。キャッシーは部屋の冷蔵庫から缶コーヒー二つを取り出すと、その一つを椅子に座った希に手渡してくれた。

「ありがとうございます」

「いいの、いいの。柊のだから。さて、何かあったの?」

 そう言いながら、キャッシーは自分の椅子に戻る。そんなキャッシーに、希は持って来たお土産をそっと差し出した。

「旅行のお土産です。生ものなので、早めに召し上がって欲しくてお持ちしました」

「わざわざ、ありがとう。じゃあ、一緒に食べましょうか!」

「いえ、それはキャッシーさんのお土産ですので…」

「いいから、いいから。ほら、缶コーヒーも開けて」

 希の手の中にあった缶コーヒーを奪うと、テンションが上がったキャッシーはそれを勝手に開けて、希に戻す。飲むしかない状況にされた。

「ね、休憩しましょう。どうせ柊だってサボり魔なんだから、真面目な希ちゃんがここで休んでも問題はないわ」

「は、はあ」

 いいのか、と思いつつ希は缶コーヒーに口を付けた。一口含んで、それからそっと缶コーヒーを両手で包み込む。

「…苦いですね」

「あ、ガムシロップ入れる?ブラック以外も缶コーヒー入れとけって言ったのに」

 文句を言いつつもキャッシーは残りの缶コーヒーを一気に飲んだ。

 いつの間にか希と柘榴のお土産の焼き菓子の箱は、ビリビリと紙が破かれテーブルの上に置かれている。その焼き菓子を食べながら、キャッシーが話し出す。

「本部にはだいぶ慣れたみたいね」

「はい。皆さん優しい方ですから」

 本部の人は基本的に優しい。声を掛ければ返してくれる。少し前まで蘭が一緒にいて嫌な視線を向ける人も少なからずいたが、そう言う人は柘榴によって瞬く間に成敗されてしまった。

 それこそ希が手を出す暇もなかった。

 希の笑みから悟ったように、キャッシーは微笑んだ。

「うふふ、優しい奴ばっかりじゃないけどね。柘榴ちゃん、強いから」

「そうですね」

 焼き菓子を口に放り込んだキャッシーの言葉に、思わず同意してしまう。

「そうそう、柘榴ちゃんと希ちゃんが来てから、私も過ごしやすくなったし」

「そうなのですか?」

「当たり前じゃない。可愛い女の子が増えたんだから、楽しい毎日に決まっているじゃない!」

 椅子から立ち上がって興奮気味に叫んでいるキャッシーに、から笑いを浮かべた。これ以上テンションを上げないようにしようと思っていたが、そうもいかないらしい。

「それでね、それでね!この服着てくれない!」

「そう言う可愛らしい服は。私にも似合いませんから」

「えぇー」

 遠慮がちに断った希の返答に、不満げに持っていた服をブラブラと揺らして見せる。

 レースやフリルのついた可愛らしい、と言うより可愛すぎる服をこうやって会いに来る度に見せられていると、対応が冷静になってしまうのはどうしようもない。

「あ、そろそろ戻りますね」

「ええー、もうちょっとだけでも!せめてこの服に着替えてでも!」

「帰ります」

 残った缶コーヒーを持ったまま立ち上がる。残りは半分くらい。これくらいなら、後で飲もうとキャッシーから離れる。

 キャッシーは希の服を掴もうとするが、それをさらりとかわして振り返る。

「あ、でも。時間があった時にまたこの部屋に来てもいいですか?」

「もちろん!いつでも来てね」

 落ち込んでいた顔が、明るくなる。その笑顔を確認して、希は部屋から出て行くことにした。



 キャッシーに見送られ、部屋から出る。お土産は渡した。時間はまだあるだろうか、といつも持ち歩いている懐中時計で時間を確認しようとする。

「あれ?」

 懐中時計がない。いつも首から下げているはずの、兄から貰った大切な懐中時計が見当たらない。肌身離さず持ちすぎて、重みを感じなくなった懐中時計がない。

 左手でポケットの中を探るが、やっぱりない。

「う、そ?」

 その場に立ち止まり、慌てて右手に持っていた缶コーヒーを左手に持ち直す。反対側のポケットにも入っていない。他に入れる場所もないし、今朝は確かにその存在を確認した。

 落としたら普通は気が付くはずだ。

 失くしたらどうしよう、泣きそうだ。

 それでも必死に今朝のことを思い出す。いつも通り、柘榴に起こされて遅刻しそうになって、急いで訓練室に向かって、それからはそのまま訓練室で報告書を書いていた。

 考えられるのは、朝の女子寮から訓練室に走った時、それか訓練室からキャッシーのいる部屋に移動した時である。

 後者の確立は低い。ゆっくり歩いて移動したし、特に落とすことはなかった。

 じゃあ、女子寮から訓練室まで走った時だろうか。

 いつもと違ったことはなかったか、必死に思い出す。

 いつものように寝坊して、焦って、走って、エントランスを抜けて。

「エントランス?」

 そう言えば今朝から、エントランスの工事が始まった。朝から騒音で、柘榴と共に遅刻しそうになった。エントランスの壁が剥がれかけているということで、本部以外の人が工事に当たり、その場所にある通信機を本部の整備士の人達が担当していると柊から聞いた気がする。

 そこにあれば、いい。あってほしい。

 急いで方向転換して、エントランスに向かって走る。少しずつ走る速度が速くなる。持っていた缶コーヒーは半分以下なので零すことはないが、蓋を左手で押さえて持ちながら必死に走る。

 何人かの人とすれ違うが、前だけを見ていた希はぶつかる前に避ける。キャッシーの部屋からエントランスまで、数十メートル。廊下を走って、階段を下りてまた数十メートル走れば着くはずだ。

 階段を一段一段下りるのすら煩わしい。コーヒーの中身はお構いなしに、希は手摺に手を掛け、一気に階段を飛び越えようとした。

 踊り場を通らず、下の階に続く階段まで。

 まさか人がいるなんて考えないで。

「ど、退いて下さい!」

 必死だった希が、飛び降りようとした先にいた人物に叫ぶ。地下から階段を上がって来た誰かは、両手で大きめな箱を持っているせいか、こっちの様子に気付いてない。

 すでに手摺から身体を放り投げてしまったため、戻ることなど出来ない。

 少しだけ見えた顔は何事かと驚いていた顔で、希はそのまま激突した。

「っ!」

 激突した人物の持っていた大きな箱の中身が、その場に散らばった音。それから手に持っていたはずの缶コーヒーが床に落ちた音だけがその場に響く。ただ茫然としがみついたまま何も出来なかった。

 何がどうなったのか、全く理解出来なかった。

「…いい加減、どいてくれない?」

 下から聞こえた声に、希は慌てて起き上がる。押し倒した人物の、声が近い。凄く恥ずかしい。

「ごめんなさい!」

 飛び起きて、周りに散らばった道具をかき集める。急いでいたのは確かだけれど、こんなことになるなんてこれっぽっちも思わなかった。

 顔を赤く染めながら、急いで床に散らばってしまった道具をかき集める。

 恥ずかし過ぎて、相手の顔を直接見ることが出来ない。

「ラティフィスが何やっているんだよ…」

 小さく聞こえた言葉に、ふと手が止まっていた。

 どこかで同じような台詞を聞いた気がする。気になって、おそるおそる希は後ろを振り返った。

 希と同じように道具をかき集めているのは一人の少年。その後ろ姿を見ながら思い出すのは、町で会った少年。さっき見た顔、声、服装こそ違うが、この人を知っている。

「…前に町で会いましたよね?」

 思わず、少年に声を掛けてしまった。

 希の声が届き、少年の方も手を止め希の方を見る。

 あの時はそれどころではなく、きちんと顔を見られなかったけれど。こうして向きあうと、少年は幼い。同い年か、それ以下に見えた。

 正直いつか会えるかと思っていたが、こんなところで出会うとは思っていなかった。

 ジッと見つめていたせいか、少年はゆっくりと視線を外す。

「そう、だけど…」

 何故かぎこちなく頷いた少年の回答に、嬉しくなった希は近づいて言う。

「その節はありがとうございました!今度会ったら絶対にお礼を言いたくて…て、その前に缶コーヒーが!」

 言いながら少年の作業着に缶コーヒーが滴っている事実にようやく気付く。何故か見事に命中したらしく少年の髪からもコーヒーが滴っている。

「きゃー!ごめんなさい。ごめんなさい!」

 何度も頭を下げて謝る希に、少年は大きなため息をつく。

「別にいいよ。渇くし」

「ですが、ですが!」

 思わず手を伸ばそうとした瞬間。

 伸ばした希の手は、少年が軽く叩き落とした。少年と目が合ったが、すぐに逸らされて少年は残りの道具を拾う。

「あ…えっと…」

 少年の道具を拾わないといけないけれど、伸ばした手を拒否されたのが少し悲しかった。そう思うと、道具を拾うスピードが遅くなる。

 そうこうしているうちに、少年は一人で道具を集め終わってしまった。

「こっち、終わったけど?」

「え…あ、え?」

「持っている道具くれない?」

 さっきからにこりとも笑わない少年は怒っているわけではないけれど、素っ気ない。

「どうぞ…」

「ん」

 やっぱり素っ気ない、と思った希が少年の瞳を見つめようとすれば、すぐに逸らされる。

「じゃあ、俺行くから」

 小さく呟いた少年は拾い集めた箱を持ち、さっさとこの場から離れようとする。その前に、咄嗟に何か言わなければ、と希は口を開いた。

「あの!本部の方、ですよね?」

 組織の人間だと思って、あれから探していたのだけれど一向に見つからなかった。街にいた時は私服だったと思う。少なくとも、作業服ではなかったはずだ。

「…そうだけど。本当にもう、いい?急いでいるから」

 振り返った少年はそれだけ言うと、エントランスの方へ向かってさっさと歩いて行ってしまった。

 今度は引き止めることは出来ず、希はそのまま見送ることしか出来なかった。

「行ってしまわれました」

 少年が去って行く後ろ姿を見送って、希は小さく呟く。

 名前くらい聞きたかった。落ち込んでいる暇はないというのに、一瞬だけ懐中時計を探している途中だということを忘れてしまっていた。

 懐中時計は失くすし、少年には迷惑を掛けるし、悲しくて仕方がない。

 少年はいなくなってしまったが、確認を込めて周りを見渡す。

「…あ」

 一階と地下の間にある踊り場に何か落ちていた。気になって拾いに行くと、先程まで拾っていた道具の中に似たようなものがあった。

 もしかしなくとも、少年の落とした道具の一つだろう。きっと少年は忘れたことに気付かなかったに違いない。

「追いかけたほうが、いいですよね」

 今は少年に迷惑を掛けた罪悪感の方が大きい。迷ったのはほんの一瞬で、希は少年がいなくなった方向へ、希も向かおうとしていたエントランスへ駆け出すのだった。



 エントランスに行くと工事が行われている最中で、何人もの人が行き交う。その中に先程の少年がいないか、目を凝らす。

「いました…」

 立ち入り禁止と書かれた区域のその奥の方にいる。誰かと話しているが、その姿を見間違えるはずがない。声を掛けて呼ぼうにも、名前が分からない。それに騒音が五月蝿くて、きっと聞こえないに違いない。

 どうしようか、と考え込んでいた希に後ろから誰かが声を掛けた。

「君、こんなところでどうしたの?」

 希より随分と背の高い青年。ひょろりとした印象があり、でも顔は人懐っこい犬のような青年が希に問いかける。

 少年と同じ作業着、希の持っている道具を見つけて青年は笑いかけた。

「君、あれだろ。あれ。こんな場所で何してるの?」

 あれあれ言われても分からないのだけれど、一人納得している様子なので今は聞かない。とりあえず話を聞いてくれそうなので、希はゆっくりと説明を始める。

「あの、先程あの方とぶつかってしまいまして。その時にこれを忘れてしまったみたいでしたので…」

 言いながら、拾った道具を青年に見せる。まじまじと道具を見て、うむ、と一人納得した青年。それから青年の視線は立ち入り禁止区域の奥に移り、希の視線も移動する。

 さっきまで誰かと話していた少年は、今は真剣に作業に没頭していた。

 その姿は真剣そのもので、声を掛けづらい。と、思ったのは希だけだったようだ。

「んじゃ、友樹ともきを今呼んで来るから。ちょっと待ってて!」

「え、いえ。渡して貰えれば――」

 いいのです、と言う希の言葉を最後まで聞かずに、笑顔を浮かべた青年は少年を呼びに行く。

 邪魔するのは嫌だったのだけれど、もう遅かった。

 希の立ち位置からでも、遠くにいた少年と青年の姿ははっきり見えた。青年に何度も名前を呼ばれていた少年は一気に不機嫌になり、その顔のまま希の方を見た。

 逃げ笑いを浮かべるしかなかった希は、申し訳ない気持ちがいっぱいで肩を竦めて顔を伏せた。

 怒らせたいわけじゃなかった。

 謝ったらさっさと去った方がいいかもしれない。これ以上関わると、迷惑以外掛けない気さえしてきた。道具を握る手が無意識に強くなる。

「ほら、お前の忘れ物だろ?」

「…ああ」

「友樹ったら、おバカさん」

「おい」

 お茶目な青年の声と怒った少年の声に、希はゆっくりと顔を上げた。

 いつの間にかすぐ目の前にいた少年と青年。眉間に皺が寄っていた少年に、希は持っていた道具を差し出しながら言う。

「すみません。私がぶつかったばかりに…」

「…ああ」

 ごめんなさい、ともう一度謝って頭を下げた。手から道具の重みが消えて、視線を上げる。

 少年は無表情だけれど、怒っている様子はなかった。少年が道具を確認している傍らで、青年の方が呆れたように言う。

「友樹、素直にお礼でも言えよ」

 言われた本人は青年の言葉に一切反応しない。

「はぁ…これだから友樹は。えっと、俺の名前は、陽太ようた。この基地の整備士。よろしく」

 少年の一歩前に出て、青年、陽太が手を差し伸べながら明るく言った。

「希です。よろしくお願いします」

 握手を交わすと、笑顔の陽太がそれで、と言いながら近くにいた少年の腕を引っ張った。

「こっちが友樹。同じ整備士。ほら、お前も握手しろよ」

 無理やり前に出る形になった少年、友樹はものすごく不機嫌そうに眉間に皺を寄せて呟く。

「俺、仕事中だから」

「いやいや、今完全に仕事中断していただろ?」

「今から、仕事」

「ちょ、お前なあ」

 陽太の言葉を無視して、友樹は奥へと戻って行った。友樹と一瞬だけ目が合った気がしたが、それは気のせいかもしれない。

 仕事の邪魔をする気はない。道具を渡せたのだから、それだけで十分だった。

 はぁ、と大きなため息を吐いた陽太は、ごめんね、と小さく言った。

「あいつ、本当に素直じゃないから。希ちゃんは訓練とかじゃないの?」

「はい。休憩中で…あ、あの!ここらへんで懐中時計なんて見かけませんでしたか?」

 もしかしたら知っているかもしれない、という希望を乗せて陽太に聞いてみる。懐中時計、という言葉に陽太は考える素振りを見せるが、きっと知らないのだろう。すぐに顔を横に振った。

「分かんないや、ごめんね」

「いえ、気にしないでください。その…もう一つ伺ってもいいですか?」

 陽太が頷いたので、希は遠慮なく訊ねることにする。

「私のこと、前からご存知でしたか?陽太さんも友樹さんも、私のことを知っているような口ぶりでしたので」

「そりゃあ、君達の存在は有名だからね。食堂で何度か見かけたことがあるよ」

「本当ですか?」

「うん」

 全然気が付かなかった。それなら友樹の存在をもっと早くに知って、町で助けてくれたお礼を言えたのに。変な出会い方をしないで、普通に会えればよかった。

 これ以上落ち込む前に、懐中時計を探そうと希は陽太に向かって微笑みながら言う。

「それでは、私も失礼しますね」

「じゃあ、僕も仕事に戻るよ。懐中時計だっけ?見つけたら連絡したいから、番号教えてもらってもいい?」

「はい。よろしくお願いします」

 少しでも早く見つかるに越したことはない。陽太と番号を交換すると、ふと思い出したように陽太が言う。

「ついでに友樹に番号教えておくわ?あいつ友達少ないから」

「え、あ。はい」

 あいつの携帯って登録件数が少ないんだよな、と言いながら友樹の連絡先も交換する。思わず頷いてしまったが、勝手にいいのかなと思いながらも、陽太は友樹の連絡先を教えてくれた。

「それじゃあ、見つけたら連絡するね」

 笑顔の陽太は手を振りながら仕事に戻って行った。その姿を見送ってから、希もその場から離れた。


「やっぱり…ないです」

 エントランスの端から端まで探しまくった。もうかれこれ数十分。見つからない。もうそろそろ柊から戻って来い、という連絡が入るに決まっている。

 早く、早く見つけたいのに見つからない。

 うう、と思わず目が熱くなった。涙が零れそうになる。泣いてはダメだと思い、目を擦りながらそれでも必死に探す。

『希くん、聞こえるかい?』

「あ、はい。聞こえています」

 蹲っていた希は驚いて立ち上がった。耳に当てていた通信機から聞こえる声に集中する。柊の声は呑気なものではない。

 何かあったに違いない、と言うのは直感だった。

 そしてその嫌な感は、当たってしまう。

『悪いんだけどね、ラティフィスが出たらしい。柘榴くんも向かうから、すぐに行けるかい?』

「はい。どこに向かえばよろしいですか?」

『ヘリのところに。五分以内に行けるかい?』

「はい、大丈夫――」

 時間を確認しようして、いつも胸ポケットに入れていた懐中時計を失くしたのだと思い知らされる。途中で声が聞こえなくなった柊が、何かあったかと問う。

「え、あ。何でもないです。すぐに向かいます」

 エントランスにある時計で時間を確認して、柊との通信を終える。

 懐中時計を探していたい。でも、希の役目はラティランスを倒すこと、それを無視することなんて出来ない。

 希はエントランスをもう一度だけ振り返り、迷いを振り払うように走り出した。



 希がどこかへ駆けだしたのを、友樹は片隅で見た。

 近くにいる作業員達の会話で話題になるくらいの少女である。さっきまで必死に何かを探していたのには、友樹も気が付いていた。

「あれ?希ちゃんいなくなっちゃった」

 近くで作業している陽太もそれに気が付いたようで、きょろきょろと周りを見渡す。

「お前、仕事しろよ」

「している、している。ちゃんとしているよ」

 手が動いていない。止まっている。それを言うと、また五月蠅くなるので友樹はそれ以上言わない。

「あ、そうそう。お前、懐中時計しらない?」

「知らない」

 いきなり何を言いだすのかと、友樹は陽太を無視しようかと思った。けれども陽太がそれを許してくれるはずもなく、口は止まらない。

「なんか、希ちゃんが失くしたらしくて探しているんだけど。見つけたら連絡してあげて」

「連絡先なんて知らないから」

 何を言いだすのかと、友樹は呆れた。

 こいつはいつもこうである。無理なことをよく言う。

「大丈夫、大丈夫。連絡先は教えておいたし、お前にも希ちゃんの連絡先教えておいたから」

 陽太は自分の携帯の送信画面を出し、友樹にそれを見せた。それはメールの送信画面で、あて名は友樹宛て。内容は、知らない番号と知らないアドレス。

「何を勝手にしたんだ」

「いやほら、若い女の子と仲良くなるチャンスなんて滅多にないだろう。これはチャンスかと思って。それにお前、顔はいいわけだし。話してみたら普通の可愛い女の子だったから、思わず?」

 悪気がないあたりが、性質が悪い。前もこうやって連絡先を勝手に教えられて、こっぴどく怒ったはずなのだが、懲りてないらしい。眉間に皺がよって、声が低くなる。

「後で消す」

「ええー」

 笑っている陽太のことは無視して、友樹は仕事に集中することにした。



 希と柘榴がヘリコプターに乗って、目的地までは数分。襲われたのは、一つの街だった。 

 ラティランスの情報を柊から聞いて、そのまま気になっていたことを希は柘榴に聞いてみた。

「そういえば、報告書は書き終わったのですか?」

『希ちゃん、今それ聞いちゃう?』

 通信機から聞こえる柘榴の声から、何となくどうなったかは理解出来る。落ち込んだ声と、隣でガクッと肩を落とす柘榴。

『終わってないよ。後、四分の三ぐらい…』

『折角私が教えているのに、ちっとも進まないのよ』

 呆れた声の蘭まで会話に加わる。今蘭がどんな顔をしているか、容易に想像出来た。今回も蘭は本部で待機である。柊と二人、訓練室にいるに違いない。

 蘭の小言は続く。

『大体、どうして貴方は理解力がないのよ。馬鹿なのは知っていたわよ。日本語ぐらい書けるでしょうが、普通は』

『いや、なんか…本当にごめんね、蘭ちゃん』

 ラティランスを倒したら、柘榴はまた報告書と向き合わなければいけないに違いない。目の前に座っていた柘榴と目が合った。希が苦笑いをすれば、柘榴も同じような表情を浮かべた。

 話題を変えるように、柘榴が明るく問いかける。

『そういえばさ、希ちゃんは何していたの?帰って来なかったから、どうしたのかと思ったんだ』

「私ですか?お土産を渡して、それから探し物がありまして…」

 柘榴や蘭にも相談してみようか。でも柘榴のことだから、詳しく話したら報告書そっちのけで探してくれそうな気もする。

 むしろ、報告書から逃げるために探し出すかもしれない。

『見つかったの?その探し物は』

「はい、大丈夫です」

 実際は見つかっていないのだけれど、そういうことにしておこう。蘭だけならまだしも、柘榴に知られると報告書が当分終わらない、というのは希の予想でしかないけれど。

『…君達、関係ないこと話していないで。戦闘に集中してくれるかい?』

 通信機から聞こえた柊の声に、柘榴と同時に返事をする。

 目的地が近くなり、家や建物が燃えていた。人の影はここからでは見えない。

「酷いです」

 ラティランスが暴れ、街が破壊されている。

『柘榴くん、希くん。もう一度確認しておくが、その場所はすでに市民は避難済みだ。今は戦闘員が押さえているが、着き次第ラティランスを倒してくれ』

「今回のラティランスって、窮奇きゅうきと言う怪物なのですか?」

『そうらしい。戦闘員が攻撃しても、針で防御されてしまう。ハリネズミの毛が生えた牛の姿、のようだ』

『ハリネズミだったら、可愛い印象なのにね』

 柘榴の呑気な感想に、蘭と柊が溜め息をついている。希は溜め息こそ出ないが、柘榴らしさに思わずにクスリと笑ってしまった。

『油断のないようにな。着くぞ』

 緊張感ある柊の声と同時に、柘榴がドアを開けた。突風が柘榴の髪を巻き上げる。

『ラティフィス柘榴、行くよ!』

「ラティフィス希、行きます」

 柘榴に続いて、希もヘリコプターから飛び降りた。何度も練習した成果か、無事着地して数メートル先にいるラティランス、窮奇に向かって走り出す。

「行こう!希ちゃん。グラナート!」

「はい!スマラクト」

 お互いの武器は瞬く間に手の中に現れた。ラティランス、巨大な窮奇にどう立ち向かうべきか、希は考えながら駆けだした。


 柘榴と希が来ると、すでに連絡がついていたのか。戦闘員が撤退する。

 本部の人とは違い、支部の組織のメンバーは接する機会がないからこそ、希と柘榴の姿を見ると、瞬く間に戦闘から離脱する。

 戦闘員と入れ替わるように街に、ラティランスに立ち向かう。

『とりあえず、攻撃でいいかな!』

 真正面から攻撃を仕掛ける柘榴の声。数十メートル離れた場所で弓を構えた希は、窮奇の姿を見つめて考える。

「そう、ですね。無茶はしないでください」

『分かってるよ』

 柘榴が駆け出した途端に、窮奇が動く。何十本もある針、黒く尖った針の一つが、柘榴目掛けて発射された。

『んな!』

 驚いた柘榴が咄嗟に足を止め、日本刀を構えた。

 希は咄嗟に針を打ち落そうと矢を引いた。針と矢が空中でぶつかり、爆発する。

「柘榴さん!」

『無事だから、慌てないで。希』

 通信機から聞こえたのは蘭の声。爆風のせいで柘榴の様子が分からない。

『うん、無事。ちょっと、びっくりしたけど、針が飛ぶんだね。一旦、体制を整えようか』

 落ち着いている柘榴の声がすぐに聞こえ、よかった、と安堵の声が漏れた。柘榴はすでに建物の物陰に隠れ、目が合った希に無事を知らせるように片手を上げて見せた。 

 柘榴の無事を確認し、希も窮奇に見つかる前に急いで物陰に隠れる。

 窮奇はその場から動こうとはせず、顔だけをゆっくりと回して敵の姿を探していた。そのまま窮奇の動向を気にしつつ、柘榴が通信を続ける。

『それよりも、なんで蘭ちゃんは私の無事が分かるのさ?』

『近くにいるからね。今だって柘榴くんの隣や希くんの後ろに』

 蘭の代わりに柊の得意げな声が聞こえた。不思議に思って振り返った先には、寮で見かけた球体の姿。建物の影から、ひっそりと希を見ているように見えなくもない。

 思わず近寄り、球体を確認する。

 球体の真ん中にカメラらしきものが備え付けられているので、思わず手で覆ってみる。

『あ!希くん、隠さないでくれよ』

「本当にこれで見ているのですね…」

『こいつらは至るところにいるわよ。って、柘榴!なんで蹴ろうとするのよ!』

『だって、邪魔なんだもん』

 どうやら球体を蹴ろうとした柘榴。それから少し間が空いて、柘榴が呟く。

『…こいつらで攻撃出来ないかな?』

『ちょ、柘榴くん!そいつら意外と高いんだからね!』

 必死に止めようとする柊の声に、希は思わず笑う。今が戦いの最中だということを忘れそうになるぐらい、さっきから呑気な会話ばかりだ。

「ですが、針が飛んで来るのは厄介ですね。それでは柘榴さんは前線に行きにくいですし」

『えー、行くよ?』

 呑気な柘榴の声。危機感を感じていない柘榴に、冷たい蘭の一言。

『この馬鹿』

『酷っ!』

「流石に私もそれは止めますよ、柘榴さん」

『希ちゃんまで!?』

 意味が分からない、と通信機から柘榴が騒ぐ声が聞こえる。

 騒ぐ柘榴と蘭の言い合いを聞き流しながら、希は物陰から窮奇の様子を伺った。

 窮奇はようやく動き出し、ゆっくりと前に進みながら柘榴と希を探す。あまり顔を出さないようにして、観察を続ける。

 柘榴に向かって発射された針の抜けたはずの場所には新たな針が備わっている。

「いつの間に…」

 もっと集中して見ていればよかったと、今更ながら後悔する。

 希が矢を射たところで、針によって攻撃は防御されてしまうだろう。針を無視して瞳の宝石を攻撃してみようか、と考えて止めた。

 希の矢でも、針と相撃ちになってしまう。

 柘榴が全ての針を引き受けるより、今回は希が針を失くした方がいい。そう判断した希は、息を思いっきり吸い込んでから、吐く。

 少し身体が震えたのは、きっと気のせいだと思い込む。

「…柘榴さん、少しだけ。試してみてもよろしいですか?」

 何だってやってみなければ分からない。いつもいつも柘榴に頼ってばかりで、怪我をさせてばかりで、そんなのは嫌だ。だから、自分の出来ることをしたい。

 柘榴と蘭と、それから希。

 三人の中で誰が一番強いか、と問われれば全員柘榴だと言うだろう。そんな柘榴に希が勝てるとしたら、それは風の力を応用した速さ。それが希の作戦の鍵。

 必要なのは何よりも速いこと。針から逃げるだけの速さ。針の修復が早ければ、また別の作戦を考えればいい。

『希ちゃん、一人で無茶はしない?』

「大丈夫です!私が囮になって針を失くしますので、柘榴さんはタイミングを見計らって仕留めてくださいね!」

『…なんか、不安なんだけど?』

「無茶はしませんし、ただ針を避けるだけですから!」

 最後の言葉と共に、希はバッと窮奇の前に躍り出た。

 窮奇は突然の希の登場に、迷わず針を発射する。

 その針が希に届く、その前に。

 グッと足に力を入れ、右に飛んだ。左で地面に当たった針はそのまま爆発するが、気にする暇もなく希は駆け出す。

『希ちゃん!』

 通信機から驚いた柘榴の声、それから慌てて物陰から顔を出した柘榴を横目で確認した希は、思わず叫んでいた。

「柘榴さんは来ちゃ駄目ですからね!」

 通信機なしでも聞こえる大きな声で叫んだ声は、飛び出そうとした柘榴にしっかり届いた。その声のせいで、柘榴は出るタイミングを失う。

 弓を持ったままでは走りくいので、弓を手放せば緑の光となって消えた。

 攻撃を避けつつ、窮奇をよく見る。

 発射された針はすぐに元に戻るわけではないらしい。一カ所だけ不自然に針がなくなっているのを確認し、無意識に口角が上がった。

 針のスピードは速くないわけでない。でも、希の方が絶対速い。止まったら、当てられる。

 まだどのくらいで修復されるのか、分かっていない。柘榴が一撃で決められるように、もっともっと針を減らす囮になるのはきっと希の役目。そう、思えた。

 何度も何度も針の攻撃を避けながら、時々隙を見て武器を出す。

「スマラクト!」

 走りながら叫んで弓を構える。どこでもいい。当たればそれでいい。

 適当に何度か弓を引く。矢は突き刺さるが、それが致命傷になることはない。だから、倒すには希の力では足りない。

 いつの間にか発射された数本の針が真っ直ぐに降り注ぐ。

 もう一度弓を手放し、右足を思いっきり踏み込んだ。針をギリギリでかわし、そのまま建物と建物の間に滑り込む。

「はあ、はあ…」

 息絶え絶えで、それでも立ち止まるわけにはいかない。

 そのまま建物の間を駆け抜けながら、近くにあった避難階段を駆け上る。その間に、通信機で状況を確認する。

「蘭さん、針は減りましたか!」

『ええ、だいぶね。希こそ、大丈夫なの?』

「ええ、柘榴さんは?」

『柘榴なら、希と同じように前に出ようとして呆気なく吹っ飛ばされたわ』

『ちょ、違う!油断しただけだもん!そしたら、ビルの隙間に挟まって、っ!』

 必死に抜け出そうとしている柘榴の声に、蘭のため息が聞こえた。柘榴を助けに行きたいが、標的にされると厄介なので希がこのまま囮になる。

 希は冷静に、蘭に問う。

「針の修復速度と、それから残りの針の数は!」

『修復はしていない。針の数は残り…八』

「…確認、しました」

 建物の屋上、四階建ての高さから窮奇を見下ろして確認する。残り、八。希を探している窮奇は、うろうろと周りを見渡している。

「柘榴さん、今日は私が一人で倒しちゃいますからね」

『ああ!もうちょっとで抜けるから待って!』

「待てません」

 柘榴にきっぱりと言い返す。口では倒すと言ったけれど、気を抜くと力が入らなそうになりそうだ。どうしてだろか、頭がぼんやりする。

 両手で顔を叩き、気合を入れた。

「では…行き、ます!」

『タンマ!』

 叫んだ柘榴の声を無視して、希は勢いよくビルの柵を乗り込んだ。

 希の姿を見つけた窮奇が犬のような声で吠えて、針を発射される。その針を風で避けて、少しでも怪我をしないように風を身に纏う。

 落ちていく中、三回爆発。

「八…七、六」

 その回数を数えながら、希は見事に着地した。その瞬間に針が襲うが、同時に左に避けて爆発から逃れる。

「五」

 左に避けた希を追うように続く針。何としてでも希を仕留めようとする針から逃れながら、攻撃をしかけようと窮奇に近づく。

「四、三…二」

 真っ直ぐに希に向かって来た最後の針を避けるため、一気に窮奇の真上に飛んだ。

「一」

 最後の針は、希のいた地面を爆発させた。空中に飛んだ希は、弓を構えて矢に力を込める。窮奇の黒い瞳、その奥に虹色の輝きが光る瞳に希の姿が映った。

 まるで笑っているような不気味な顔に見えた。

 矢を射る。距離が近い代わりに、力を込められなかった矢が離れた途端、それを遮ったのは窮奇の尻尾。尻尾があるなんて、予想外してなかった。今まで気が付かなかった。

 咄嗟の出来事に、希の判断が遅れる。

 窮奇の尻尾が矢に触れると同時に爆発して、希の身体が爆発に巻き込まれて宙に舞う。

「っ!」

 気付かぬうちに、身体は悲鳴を上げていた。窮奇に止めはさせなかった。


「柘榴さんを、待てばよかったかも…」

 本当に小さく漏れた希の声は爆音に掻き消され、身体から力が抜けつつ地面に落ちていく。力が残っていない。意識を失いそうになる。

 宙に舞った身体が地面に叩き付けられるかと目を瞑ったが、痛みはやって来なかった。

「全く、希ちゃんは…」

 誰かに抱き留められ、聞こえた声に安心する。

「柘榴さん…」

 呆れ顔の柘榴に抱えられているのだと気付くのに数秒。いつもの希だったら降ろして欲しいと騒いだかもしれないが、生憎そんな気力もなく軽く笑うことしか出来なかった。

 柘榴は優しく希を地面に座らせ、視線を合わせる。

「希ちゃんは――無茶、し過ぎぃいいい!」

「い、いひゃいですぅ」

 希の頬を思いっきり引っ張って、柘榴は笑っていた。

 痛がっている希の顔を見た柘榴は、満足そうな顔に変わりようやく頬を離す。

「無茶しない、って言ったのにするから」

「…すみません」

 頬を擦りながら謝る希から視線を外し、立ち上がった柘榴は窮奇を見据えた。

 全ての針を失くした窮奇は怒り狂い、その場で凄まじい叫び声を上げていた。針がなくなって怒っているだけじゃない。いつの間にか窮奇の尻尾が灰となって、半分以上なくなっている。

 きっと希が爆風に巻き込まれていた間。その間に、柘榴は攻撃をしていたに違いない。

「あとは、私の役目だからね」

「お願い、します」

 正直、これ以上一歩も動けない希は、軽く微笑むのが精いっぱいだった。

 柘榴はそっと希から離れて、一歩一歩怒り狂う窮奇に近づく。

「さーて、温存された私の本気、見せてあげる」

 戦いたくて仕方がなかった柘榴が、日本刀を力一杯握る。その様子を、希はただ見ていることしか出来ない。

 柘榴の感情の高ぶりに比例するように、日本刀に纏う炎の威力は増していく。

 今の柘榴はどんな感情なのだろうか、希には全く分からない。ただ赤く燃え上がる炎を見て、綺麗だと思うことしか出来ない。

「一気に終わらせるから――」

 凛とした声が響いた瞬間に、真剣な眼差しの柘榴は駆け出す。

 戦いの行方は明白で、柘榴は思いっきり日本刀を振り上げた。


 少し離れた場所で戦っていた柘榴が、灰となるまで窮奇を燃やし尽くす。その様子をぼんやりとした頭で見ていた希。

 燃えていく、消えていく。

 ああ、終わったんだ、と安心した途端に、希の身体は地面へと倒れた。

 柘榴が必死に名前を呼んでいた気がするが、答える気力すらない。全身を襲う疲労。瞼は自然と閉じ、開けられない。

 本部に帰ったら、懐中時計を探して。そして、それから――

 それ以上のことを考える前に、希の意識は途切れたのだった。








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