生に執着する、日常と神
あれ、なんか書いていたらシリアスパートになった。
マッチャの木がすくすく育っている間に、イゼアはいつも通りの生活をしていた。体を鍛えて、バーデの経済状況や環境問題、外交関係など、過去の資料を読み漁り、わからないところをチェックしていく。
あとでまとめてジャンに聞くのが常である。
微かにかすみ始めて目を瞬かせて、一度伸びをする。パキリと体が鳴る。首を回しながら、はぁ…と息を吐きだす。
開いた窓からは乾いた風が入り、イゼアの頬をなでた。
一度休憩を入れようと、ソファに寝っ転がり、目蓋を閉じる。目を閉じればもちろん視界は黒一色。しかし、この何も見えない状態を『黒』と例えていいものだろうか。
そんなことを思いながら、意識をふっと切り離すように、精神体を想像すると、現実からあっさりと離れていった。
*
ぱちりと目を開けば、草原だった。ここ数年は見慣れた景色。
くるりと振り向けば、すぐそばに兎がいた。兎は野兎のようで、毛並みが茶色い。イゼアと目があってもおびえた様子はなく、じっと見つめて、ふっと視線をそらせば、ひょこひょこと草原の奥に跳んでいった。
イゼアはなれた様子でそれを追いかけていく。三分ほど歩けば、佐鳴が紅茶を飲んでいた。
「紅茶だって飲み過ぎたら、中毒だと思うけど」
「イギリス人はどうなる」
「緑茶にしたら?」
「それだったらほうじ茶のほうが体にいい」
しかも、それは人間の話だ、とこちらを金色の瞳が射抜いた。
確かに、とイゼアがうなずきながら、胡坐をかく。
「今日はなにしにきやがったんだ」
俺様の時間を邪魔するんだったら、まともな理由と要件を持ってこい、と目が雄弁に言っている。
相変わらずの目力だなぁと思いながら、イゼアは佐鳴に訊ねた。
「Xってさ、佐鳴がいたらわかるの?」
「突然だな?」
そう?と首を傾げる。
「Xについて、何も教えてくれねーじゃん。男なのか、女なのかとか」
それに、Xはあくまで世界を移動しただけならば、性別は変わってないはず。年齢も、既にイゼアとは最低でも二十歳近くはなれているだろう。
それを告げると、佐鳴は鼻を鳴らした。
「犯罪神がXに手を加えてなきゃ、性別はそのままだし、年もそうなる」
「曖昧だなぁ…」
「先入観をいれたら、これからさきいろいろ面倒だろう」
そうゆうものか、とイゼアはうなずくが、すぐに次の質問を浴びせる。
「佐鳴と犯罪神はどういった関係だったの?」
「ハァ?」
この質問は予想外だったようで、胡乱気にこちらを見やる。
「どうして担当が佐鳴だったんだろう?」
「偶々だろ」
「俺さ、殺されてから『偶々』って言葉嫌いなんだよね」
「フンッ」
それでも、偶然は日常の中に溢れている。しかし、それがいつかの必然なのか、運命なのか、それを判断することは不可能である。
神に運命というものを尋ねてみてもいいだろうが、結局それもイゼアにとっては先入観のように捉えてしまう。だから、訊かない。
知りたいのは、そのわけだ、原因だ。
「俺は愚行を二度も犯したくないし、巻き込まれたくもないんだよね」
日々、体を鍛え、バーデを見回し、家族をみて、国民を見る。
幸せだと感じる。文化は異なるものの、日本のように平和だから。戦争中に生まれたわけでもない。
しかし、日本で平和だと信じて疑わなかった桐谷伊吹は、あっけなく死んだのだ。平和を享受し、全く疑わず、遠い出来事を他人ごとに捉えて。
たとえば、地震が起きて、何千、何万という人が死んだのに、心のどこかで、他人事で、自分じゃなかったことに感謝し、平和をかみしめ、自分には起こりえないだろうと、希望を持つ。やがてその希望は過信と変わり、盲目へと自分は変化していった。
だからイゼアは今を足掻くのだ。
二度目の人生を後悔しないように、確実にXを復讐するために。
力がなければ、あっという間にこの世界では死んでしまう。
武力がなければ、他国を牽制出来ない。
金がなければ、生きていけない。
技術がなければ、平和な生活も、金も、発展もありはしない。
戦争を何千年も繰り広げたこの世界は、今は大規模の武力衝突はしていないけれども、まるで冷戦をしているかのような感じである。
牽制し、いがみ合っているか、イゼアはカルマの仕事の手伝いをして、それを感じるようになった。
イゼアは自分がいかに生に執着しているのか自覚はしている。
前世で当たり前だった生活を、今の世界に望んでいる。それはいくら願っても叶わない。
この生活を嫌っているわけじゃない。身近な自然も、生き甲斐と思える仕事も、暖かな家族も。むしろ愛おしく、守りたいものである。
前世では、手に入れることは難しく、失われ、儚いものとなってしまった。
だからこそ、イゼアは、安全と平穏を欲した。
前世では慢心し、他人ごとになり、視野を狭めた。同じ誤りを繰り返すのはただの愚者である。
毎日、心の隅にはXと犯罪神がいる。
「犯罪神になった理由は?原因は?その影響が俺に来ないとどれくらいの確率でいえるんだ?」
「……」
金の瞳は瞬きをせず、イゼアの紺碧を見つめ続ける。
ふと、ドライアイにならないのかとくだらない考えが浮かんだ。神だから、ないか。
「俺は、小心者で、臆病で、意地汚いくらい、生に執着してるんだ」
だから、教えてよ。
佐鳴は、息を吐きだした。
どこからともなく、ナイフを取り出す。そして、それを手首に当て、すっと滑らかに引いた。
そこからは、血がまるで出たくてたまらなかったように、とめどもなくあふれ出てきた。
ポタリ、ポタリと指に流れ、地面に降り注いでいく。
その様子を言葉なく見つめていたイゼアは、佐鳴の一言で、びくりと身体を震わせた。
「神、だから」
「神だから死なない、神だから、問題ない」
「神を構成しているものは結局なんなのか、何のためにいるのか。神が干渉することで歪む世界に、神の存在意義はあるのか?」
淡々と言う佐鳴に、イゼアの背筋が粟立った。
神は神々(こうごう)しいとも違う、近寄りがたく、深く、重い雰囲気を醸し出していた。
佐鳴が手首をなでれば、そこは何もなかったように、滑らかな肌になっていた。
「お前が見ているのは、あくまで幻かもしれない。人間はあくまで脳ですべてを感受する。お前の脳に信号が送られて、見えている景色、人、香り、味、触覚なのかもしれない。お前はお前という人間の肉体に入っているのではなく、脳という単体で、どこかの研究室の、水溶液の中に浮かんでいるかもしれない」
ゾクリとまた背筋が粟立つ。
言われて気づく、そんな可能性があるのかと。じゃあ自分はなんなのか。
「生まれたときの、全ての始まりを知らないお前たちは、それでも生きていると信じていかなくちゃいけない。それを当たり前と享受して、生きていく」
「……」
「神は、違う」
「…え」
喉が張り付いてしまったように、本当にかすれた声しか出なかった。急に佐鳴の気配が薄らいでしまったように、消えてしまったように感じた、目の前にいるのに。
「神は何のためにいるのか、何かを必要としているわけでも、必要とされているわけでもない。だから、人を見て、世界を見て、お前たちと変わらないように生きている」
紅茶を飲んでも、体に吸収されているわけじゃない。それがなくても生きていける。
何もしていなかったら、何も変わらず、ただ永久の時間を過ごし続ける。
神にだって、それは空恐ろしく、空虚だった。
「ぬくもりを求めるんだ」
「単体で生きてはいけないお前たちは、当たり前のようにつながりを持つけれど、必要のない神だって、つながりを求めるんだ」
イゼアは固まっている身体を、意識して動かす。胡坐をかいていた足を立て、ゆっくりとまっすぐ立ち上がる。
佐鳴との身長差がこんなにもあったのか、と驚き、想像する。前世の自分は、たしか彼より小さかったものの、そこまで視線の高さが違ったわけではないから。
目を閉じて。ふっと開けてみれば、同じぐらいの高さに目があった。金と黒の瞳が交わる。
声を出そうとして、やめる。一度唾を飲んで、息を吐きだし、そして言う。
「神だって、つながりが必要なんだろ。恐怖から逃げるために」
孤独で心が死んでしまわないように、空虚で心が死んでしまわないように。
「俺も神だからって思ってたけど、改めるわ。佐鳴が佐鳴だから、寂しくて、怖いんだよ。佐鳴だから、傲慢で、俺様で、さ」
「……」
「佐鳴だから、こそ、俺の担当になった。佐鳴は、犯罪神と、つながってたんだろう?」
それがどんな関係であれ。
金の瞳が、肯定した。
神様の外見設定してなかった…はず!
とりあえず、イケメン(瞳は金色)




