歪な家族の自覚と向き合い
*
兄とお父さんの会話は、ぼんやりと耳に入っていた。それに対し何かを思うこともなく、ただ、まどろんでいた。
お母さんも書斎に入ってきたあたりから、意識は浮上してきたが、それでも目蓋が重くてしょうがない。
重たい雰囲気が部屋に満ちて、居心地がなんとなく悪いと思いつつ、先ほどの兄と父との会話を思い出す。
兄があんなにも饒舌に話すのを初めて知った気がする。
僕に対しては、笑顔でやさしく、弱腰で。
父に対しても、少々及び腰のイメージを持っていたが、今日のあれは、本当に夢じゃなければ、父に兄が楯突いていた気がする。……僕について。
「父上は、ミコトに対して過保護過ぎませんか」
確かに、そう言っていた。
お父さんは普段忙しいがあまりしゃべらないし……たまに顔を出しては、図書室に新しい本を入れた、と言ってくる。
その時頭をなでられて――
どくり、と。
胸が動いた。
叩かれた。叩いているのは誰か。気づけ気づけと急き立てるのは誰か。
―――お父さんは僕のことをどう思っているんだろう。
それはたびたび頭によぎる思いだった。
一緒に食事をすること。会話と言えない、ただの報告のようなことも。これは父なりのコミュニケーションだったのかもしれない。
父はこんなに不器用な人だったか。
膝にのせて、お前は頭がいいなと頭をなで繰り回した、あの豪快な人とは思えない。
いつから臆病になったのか。
兄が生まれてからか。いいや違う。
僕の態度が変わったからだ。
僕が家族を拒絶したからだ。『バーデ』を拒み、『外』を拒んだ。
お父さんは、僕の意思を尊重してくれていたんだ。
僕はお父さんにどう思われているか、不安だった。
でも、大切にされているんだ。壊れないように、傷つかないように。
目蓋が重くて仕方がない。
それより、まぶしくてたまらない。
目蓋をこじ開け、こちらに視線を向けている両親を真っ直ぐ見た。
お母さんが、泣きそうな顔をしている。
お父さんが、痛そうな顔をしている。
そんな顔を指せているのは誰だ。
「僕が、おかあさんと……おとうさんを、臆病にさせたんだ」
体は寝ぼけているのか、口がうまく回らない。
家族が傷ついてほしくなくて、家族を拒絶したのに、結局家族が自分せいで傷ついている。
「ミコト……?」
「何を、」
戸惑った声が聞こえる。
外は明るく、寝入ってしまってから結構時間が経過しているのがわかる。
ナギは今、どうしているだろうか。
僕の腕を、引っ張てほしい。そばにいてほしい。
僕らは今、歪な家族だった。
だけど、歪にしたのは僕だ。
「原因が僕だった」
「原因……?」
「お母さんが、悪く言われるのも、兄さ、お兄ちゃんが…悪く言われるのも」
「…誰が言った?」
お父さんが厳しい目で訊く。
きっと誰だかわかっているのだろう。
わかっているでしょ?と苦笑いをする。それしかできない。目頭が熱い。
「僕が、原因で……僕のせいで、僕が悪い」
「そんなこと!」
お母さんが声を上げるが、それを遮って、叫ぶ。
「『それ』が嫌だった!」
「「!」」
「僕のせいで、悪口を言われるから!だから…!」
喉が、締まる。考えのまとまらない頭は、想いだけがあふれるように湧いてくる。
溢れ続ける想いとは裏腹に、言葉を発することができなくて。代わりに涙がぼろぼろとこぼれてくる。
目が熱くて、きつく目を閉じて、下を向く。
息がうまく、吸えない。
頭がぼぉっとして、何も考えられなくなって―――――そして、理解した。
僕は、嫌われたくないんだ。捨てられたくないんだ。拒絶しないでほしんだ。
嗚呼、なんて自己中心的な考え何だろう。嫌わないで。嫌わないで。嫌わないで。嫌わないで……!
バンッ!
思考が止まる。
驚きで顔を上げると、お父さんが机をたたいて、立ち上がっていた。
真っ直ぐ、こちらに早足で向かってくる。
動けない。心臓だけがドクドクと急速に脈を打つ。
お父さんが僕の前に来て、目を合わせるようにしゃがんで、肩をつかんだ。
「お前を嫌ったりなんて、しない」
僕とは違う、紺碧が射抜く。
『バーデ』が僕に迫る。
身体を引き寄せられ、顔がお父さんの肩に埋まる。
何を言われたと理解する前に、涙がこぼれて、シャツを濡らす。
喉が締まる。喉が締まる。
「……っ。ック」
お父さんじゃない手が、優しく頭をなでる。
「ミコト、泣きなさい。子供が溜め込んじゃぁ、駄目でしょう……?」
お母さんの、声も泣いていた。
「…う、うわぁあぁぁん!ぁあっつ、っひっく……」
「ごめんねぇ…」
細い、お母さんの腕が、僕とお父さんを抱きしめる。
お父さんの肩が、震えているように感じる。
僕の肩が濡れた。
髪が濡れた。
僕は、『バーデ』で。
お父さんと、お母さんの子で…お兄ちゃんの、弟だ。
散々寝た癖に、ナギのことが気になっていたのに。
僕は気づいたら、また眠ってしまっていた。
危うく、ユキハの影が薄くなって……あれ、すでに薄い?