変わり始める
*
出迎えたイゼアは、二人を、正確には、ミコトがつかんだナギの腕をじっと見つめて固まった。
疑問符を浮かべる二人に呼ばれたときには、いつものイゼアで、帽子のかぶっていない頭をわしわしと撫でて、「お帰り」といった。
いつもより早く起きていたが、いつもより遅めの朝食を五人で取る。
ナギとミコトの外出を知った両親は、目を見開いて、主にミコトを見る。ユキハは安心したように。カルマは驚いた以外表情を変えなかったが、「イゼア、ミコト、後で話があるから、書斎に来い」と言った。
イゼアは一瞬、食事をする動きを止め、ミコトは手からぽとりとパンを落とした。
二人の行動を視界に収めたカルマは、自分は子供におびえられる要素があるのか、それとも父親として何かダメなところが……とうだうだ考えはじめ、眉間にしわを寄せながら、食事を続ける。
ユキハは夫の考えが手に取るようにわかるわ……と苦笑しながら、ミコトとナギ、そしてイゼアの話に耳を傾けていた。
「それで、はじめは全く見つけれなくて……」
「まぁ、それじゃあ朝早くに起きたのに見つけれなかったの?」
ユキハに話しかけられたことに緊張するナギ。イゼアはともかく、領主の妻に当たるユキハに話しかけられれば、いやでもこうなる。
自分はここまで町の人に緊張されないが、部下やカルマが街に出ると、尊敬の眼差しと、(女性の)黄色い悲鳴やざわめき、畏敬の視線も感じることをイゼアは思い出した。
これが貫録の違い、いや子供と大人の違いか、カリスマ性の違いかと、いろいろ自分を見直しながら食事を続けるイゼア。
ユキハは、息子が何を考えているのかわかるようになってきたと喜びながらも、変なところでそっくりな親子に、思わず笑ってしまった。
父と兄のそっくりな表情を見ながら、固まってしまったナギの代わりに、ユキハに答えるミコト。
「海の香りって言うものを初めて嗅いだんだ」
本に使われている言葉の意味を、僕はちゃんとわかってなかったと吐露するミコトに、今までと何か様子が違う次男坊に、カルマ、ユキハ、イゼアが注視する。
そんな三人の視線に気づかず、見たこと感じたこと思ったことを、まるで三年前のミコトの表情で嬉々と語るミコトに、イゼアは言わずもがな、夫婦は顔を見合わせて笑い合った。
食事が終わった後、カルマの書斎にイゼアとミコトは一緒に向かう。
朝から動き続けているミコトは、腹を満たしたことで、うとうととしながら、危なっかし気に歩く。
弟を気遣うように、歩調を合わせてゆっくりと歩くイゼアだが、抱き上げていいかな?いいだろ!と自問自答をして、転びかけたミコトを軽々と掬い上げ、両腕で抱き直した。
急激な高低の変化に、さすがのミコトも驚き、眠たげな眼をイゼアに向けて、ちょっと眉をひそめて、顔を伏せる。
弟の行動にショックを受けるイゼア。
(思い出せ、ミコトは自分でナギの腕をつかんでいた。あって数日しかたってないナギが命と仲良くなれたのなら、俺とミコトの仲を修復するのなんて、更に簡単なはず……いや、ミコトは自分にコンプレックスを抱いているとするならば、また話は違うだろう)
表情こど変化はないが、水面下では、イゼアは頭をかきむしって叫んでいた。
両手が開いていて、なおかつ誰もいなかったら、実際にやっていたかもしれない。
「……実際に見た西鳥はどうだった?」
静かに問いかけるイゼアに、抱き上げられたことに微かな抵抗を見せていたミコトが、諦めて体を預けて、口も語りながらも答える。
「…お、兄ちゃんが……五分五分だって言っていた意味がわかった」
自分が想像した西鳥と現実の西鳥の乖離に、いささかショックだったと言う。実際はかなりショックだったが。
イゼアは、久々に『お兄ちゃん』と呼ばれたことで、涙が出そうになりながら、「そうか」と冷静に返す。
「……外は、どうだった?」
かなり抽象的なことを聞きながら、意識して、ゆっくりとした歩調を、更に緩める。
ほぼ振動がないミコトは、イゼアの心音が聞こえる。
廊下に優しく入る日の光で、そこは温かく、そして静かな空間だった。屋敷で働くメイドの声が、遠くから聞こえる。
「……いつも、こんな音が僕の周りの音だった」
「音?」
「でも、海の音がした。夜と朝の匂いは違った。風が潮の匂いを運んだ。土の匂いが、庭の匂いとは違った」
この箱庭にいたら。ナギと出会わなければ。兄が自分の背中を押さなければ。ナギが自分の腕を引っ張らなければ。
こんな体験はしなかったのだと漠然と察したミコトの口から、ポロリと一言こぼれ出た。
「…ありがとぅ……」
目は合わなかったし、歩みも止まらなかった。
しかし。
兄の服をつかむ手に、弟を抱きかかえる腕に、力が微かにこもったことを二人は気づいた。
四つも下の弟に話しかけるには、いささかそっけなさすぎる言い方。
四つも上の兄に話しかけるには、いささかぶっきらぼうな言い方。
目を見て、自分に笑いかけて、前みたいに話がしたい。
紺碧が、
蘇芳が、見たい。
どちらがそう思ったのか、どちらも思ったのか。
しばらく会話がなかった。
続く沈黙に、気まずいとおもう余力もなく、ミコトは睡魔に襲われていた。
ミコトとイゼアの心音がまるで重なり合ったように感じる。
ミコトはまどろみながら思う。すでに夢殿に旅立っているかもしれない。
屋敷の中で、自分を包む音は、微かなざわめきと母やエイダの声と、本をめくる音。中にいても、外の音は窓越しに聞こえるが、あんなにも違った。
自分が窓から眺めていた外は、文字の海と同じだとわかった。所詮、自分の目で見ていても、それは幻のようで。
あるのだろうと、そうであるだろうと。何の根拠もなく示されたことに満足していた自分。
それがひどく、恥ずかしい。
あぁ、あぁ。
背中を押してくれて、
「……ぁりが…ぅ」
寝言が漏れた。
完全に寝入ってしまったミコトは、急に重くなり、イゼアは思わず歩みを止める。
九歳で、五歳の子供を、しかも寝ている子供を抱き上げ続けるのは、いささか辛い。
しかし、
「天使みたい……」
本音が漏れた。
背中に見えない羽根があるのか、それとも鍛えているからだろうか。
イゼアには全く重さを感じず、むしろずっと抱きしめていたいと思いながら、父の書斎へ、また足を動かし始めた。
(ミコトならずっと抱きしめていられるし、筋トレになるかも。いや、でもミコトが軽すぎるのかもしれない。いやいや食事をしっかりとってるし……)
前みたいに、ずっと『お兄ちゃん』と背中を追い掛け回してくれたら、いいのになぁ。
口に出したのか、それとも心の中の声か。
イゼアの本音であることには変わりはない。
次回はお兄ちゃんとカルマさんです。久々だね!
いや、そうでもないかな?




