自覚。
*
ナギとミコトは、説教が終わったのか、夫を引きづりながら戻る女性に手を振られ、すっかり高くなった太陽を背に、屋敷に向かっていった。
西鳥を追う気はしなかった。
疲れた体を引きずるミコトに対して、ナギは、どこからそんな元気が出るのかと問いたくなる笑顔で話し始める。
「いろいろわかったね!」
確かに、いろいろわかった。
兄が言いたかったことも分かった。
でも、
「でも、推測は外れまくった……」
結構自信があったのに。
悔しくないけど、悔しい。何に?誰に?どうして?
感情が廻る。頭から身体へ。胸をつく。
暗い表情のミコトに、些細なことだと笑い飛ばすナギ。
「だから、確かめてよかったね!知らないことを知るって、楽しいね!」
「!」
足が自然と止まる。
知らなかったことを知る。それを始めて楽しいと認識したのはいつだったか。
兄が本を読んでくれた。文字を教えてくれた。外を教えてくれた。そう、それは楽しかった。
世界が輝いていた。一つ一つが魅力的に輝き、自分をひきつけてやまない。
しかし、そんな輝く世界は兄と自分に溝ができ、色あせた。
そして何かを埋めるように、自分はひたすら本を読んだ。字の海に漂い、ただただ、貪欲にそれを求めた。
それは、楽しかっただろうか。
否、きっとそれも心の中で観喜していた。兄に与えてもらっていたのを、本が代わりに与えてくれたことに。
歓喜はしても楽しかっただろうか。
楽しいとはどういうことだったか。
高揚感が身体を満たし、その先へと思考をめぐらし、止まることの知らない欲求を追い続ける。
本をひたすら読みふけったとき、世界は輝いていただろうか。高揚感を感じただろうか。
……答えは、否である。
ミコトは自分の性格を微かに把握した。いや、自覚した。
じぶんは今、兄に対して反抗心と嫉妬を持っている。物語で優秀な長男を次男がねたむ話なんて、ありきたりすぎる。
美しい姉を、妹がねたみ、妹はさらに醜くなっていく。
僕は物語の妹みたいに、醜くなってしまうのだろうか。
『ミコトは、きれいだね』
『キレイ?』
いつもはかわいいっていうよね?と兄に問いかけると、もちろん可愛いよと即答された。
『可愛くて、きれいだ。うん、天使みたい』
『テンシ?』
『(この世界に天使っているのかな…というか、この世界の宗教を理解していないんだよね)……うん。ミコトが可愛いのは自然の摂理だけどね』
今思い出せば、兄は僕のことを同情とか、そういうものなしに、溺愛していた。…きっと、いまでも。
『ミコトがきれいなのは、内面がきれいだからだよ。人って言うのは不思議なもので、内面がきれいな人は、どんな人でもきれいなんだよ』
……自分は、いま、汚い感情を持っている。それでも、自分はきれいだろうか。
止まった足が動かない。動かせない。
このまま、帰って、兄の視界に入るのが、とても恐ろしく感じた。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
その言葉が頭の中を埋め尽くす。
「……どうしよう……」
あぁ、喉が締まる、視界が潤む。唾を飲んでもカラカラになる喉。ドキドキと早くなる胸。
「……ミコト?」
止まった僕を不思議そうに見やるナギ。
ナギが近寄ってくる。ナギも汚いと、思うのではないか……。
「うわぁ!」
「!?」
「ミコト、すごくきれいだよ!」
「……何が?」
思考を読み取ったかのように、ナギは僕が求めている言葉を、こともなさげに言った。
「ミコトが!ねぇ、見て!……って自分の髪は見れないか」
「……髪?」
自分の銀髪の何が美しいのか。帽子はすでに脱いでいる。
……兄は、この銀髪を気にいっていたが。
「ミコトの髪が、朱銀色で……うん、なんか『アカツキの神様』!」
「暁?」
背後の太陽を振り返ると、もうすぐで朝市が始まる時間だと思う。微かな赤みを帯びながら、いつもの太陽のように着々と近づいているのがわかる。
銀髪だから、朱が映えるのだろうか。栗色の髪は、艶を帯びている以外変化はない。
でも、
「……ナギはきっと、若葉が似合う」
木漏れ日の下で笑うナギが、想像できた。
「え?」
「きっと、きれいだ」
ナギはまるで突拍子のないことを言われたように、しきりに瞬きをしている。
そんな反応をされると、急に恥ずかしく思えてきた。
ミコトはまた足を動かし始めた。
今度はすんなりと動く。
「帰ろう」
今度はミコトが、ナギの腕を引っ張って、駆け出した。
さっきまで感じていた恐怖は、今はない。
今回はちょい短め。