陸の民と水の民
――敵対する種族同士が結婚して幸せになれると思う?
あたしは確か彼にそう言った。けれど彼はこう答えたのだ。
――ならまず、付き合うところから始めよう。オレがお前を守るから。
そういった顔は本当に優しげで、自身に満ちていて。だからあたしは少しくらいなら、といったんだ。苦労はあるだろうけど、結局あたしも彼が好きだったんだ。
愛、なんて言葉を使うのはまだ照れくさかったけど、でもあたしが彼に抱いていた感情は恋愛感情だったんだと思う。あまりに甘くて、でもとても温かい物語。
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この世界には二つの種族がいる。陸の民と海の民。それぞれがそれぞれの場所で生活し、時々干渉しあったりしてバランスをとっている。
あたしと彼の種族は別。あたしは陸の民だけど、彼は水の民。陸の民と水の民はもともとは仲がとてもよくて、それぞれが特産物をわけあったり、どちらかが危ないときは助け合ったり。本当に、いい種族関係だったんだ。――でも、あの日すべてが壊れてしまった。
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あたしと家族は陸の民の中でも少し海に近いところに住んでいた。だからかわからないけれど、水の民の友達がたくさんいた。幼馴染みたいな子もたくさんいた。
その中でも仲がいい子がいた。リースというその女の子はとても明るくて、だれにでも優しくて、あたしは彼女のことが大好きだった。
「エリス、これからもずっと友達でいようね!」
子供の約束だったけど、あたしはそれに笑顔で頷いた。
「うん!約束だよ、リース!」
だけど、そのころにはもう始まってたんだ。悲しい物語が。
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「王が、陸にいる水の民を虐殺――!?」
その話は、陸の民の王都にいっていた父から聞いた。陸の民をたばねる王が突然軍を動かし、水の民を虐殺したのだという。
「そんな――!」
「もう水の民とは会うな」
信じられない思いでいっぱいだったあたしはすぐに水の民の友達に会いに行こうとしたけれど、父はそれをとめた。
「なんで!?」
父も、水の民には友人がいたはずなのに、なぜそんなことを認めるのかあたしにはわからなかった。
「やつらは私たちのように頭がよくない。世界は陸の民が支配するべきなんだ!」
父の言うことがあたしには信じられなかった。まるで何かに侵されたかのように恍惚とした表情で語る父が不気味でたまらなかった。
その夜、あたしは父の目を盗んでリースに会いにいった。
「リース、リース!」
けれど、あたしが何度海に向かって呼びかけても返事はなかった。海が寒々しく感じられたのは、その時がはじめてだった。
「リース……約束、したよね?」
途方にくれてぽつりと呟くと、突然海が震えた。あたしは驚いて海を見つめた。けれど、いくら待っても何もおきない。そうわかり、うなだれながら海に背を向けようとしたとき。
海から大量の水と共にリースが出てきた。
「リース!なんでこんなことになっちゃったの?リースは」
「黙れ」
戸惑いを隠せず、問いただすあたしをリースは冷たい目で見つめた。あたしはその目の冷たさにに、言葉に息がつまりそうになった。
「お前なんか友達じゃない。二度とわたしの名前を呼ぶな」
あまりに明確な拒絶にあたしは体がすぅっと凍えたのを感じた。何も言えずに固まったあたしを一瞥すると、リースは海に飛び込み、そのまま振り返りもせずに海の底へといってしまった。
「なんで……?」
残されたあたしは呟くしかできなかった。何かがおかしい。その思いだけを抱えて。
父は、このことを知らない。あたしだけがただおかしいという思いを抱えたまま、陸の民と水の民は戦争になってしまった。
戦争といっても正確には侵略だった。陸の民は意味もなく水の民を殺し、水の民は逃げ惑う。それは戦争ではなくて、ただの侵略だった。
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あたしが住んでいた家は海に近すぎるという理由で王都に移された。あたしはそれに素直に従った。王都なら何かわかるかもしれないと、一縷の望みにかけて。
でも、結局なにもわからなかった。王都も何かおかしくて、おかしくないのはあたしだけで。むしろあたしがおかしいんじゃないかと思うほどにおかしかった。
そんな思いに苛まれているころに、あたしは事件にあった。
きっかけは、ある兵の声だった。
「魚人がいるぞ!」
水の民と陸の民が突然の決別をしてから早二年。陸の民のなかでは水の民を魚人と呼ぶようになっていた。
兵の声に反応した王都にいる陸の民はほとんどが明確な拒絶を示し、悲鳴をあげるもの、怒号をあげるもの、逃げ惑うもの……。パニック状態になった。
その中であたしは突然のチャンスに固まっていた。けれど、固まっていたのは一瞬であたしはすぐに声の上がったところへ向かった。
人ごみが激しく、近づくのは困難だった。しかし、あたしは負けたくない一心で人の間を縫うようにして現場に向かった。
人ごみから顔をだしたあたしが見たのは、おそらくまだ三、四歳程度の水の民の女の子を屈強な陸の民の兵が殴ろうとしている瞬間だった。
頭が真っ白になったあたしは思わずその女の子に駆け寄ろうとした。今これを逃したら絶対に後悔する、その思いで。でも、伸ばしたあたしの手が女の子に届くことはなかった。興奮した民衆から一歩出たあたしを訝しげに見る兵に心底怯えながらあたしは震える足を必死に動かして女の子のいる場所へ走ろうとした。
その場所は思ったよりも遥かに遠くて、兵の拳が女の子にぶつかる瞬間を何もせずに見るしかない無力感に震えながら、それでもあたしは足を止めない。
ようやく何かに気づいたのか陸の民の兵の一人があたしの手をつかむ。その手を無理やり振り払ってあたしは駆け寄りながらぎゅっと目をつぶった。鈍い音が耳に鳴るのをただ待つ。
「……?」
いくら待っても聞こえない音を不思議に思ったあたしはおそるおそる目を開けた。その時見たのは女の子を抱きかかえ、兵の拳をあっさりと払った水の民の男の姿だった。
「流石陸の民だな。こんな小さな子供にも平気で手をあげるのか」
鋭い目で兵をにらみつけ、心底嫌そうに吐き捨てる男にあたしはほっと息をついた。ここに水の民がいることよりも、あの女の子が助かったことが何よりも嬉しくて。
「貴様……魚人の分際でよくも僕の体にさわったな!」
理不尽な怒りを抱く兵に、しかし民は同意する。やっちまえ、殺せ、魚人……。しかし男は動じない。ただその様子を鼻で笑うと女の子を腕に抱きかかえる。
怒りに満ちた鋭い眼であたりを見渡すと民衆はすっと静かになった。まるで何かに怯えたかのように。
そして、男の目があたしへ向く。鋭い眼がどこか興味深そうに笑みを帯びる。その眼に一瞬あたしも恐怖を覚えた。しかし、それと同時に胸がかすかにトクンと動いたのを感じた。
「……へぇ」
男がニヤリと笑う。あたしが本能的に身を固くした瞬間、男はあたしの目の前に立っていた。あまりの速さにあたしは驚いて後ろに倒れそうになった。しかし、あたしが倒れる前に男はあたしの手をつかみ引き寄せた。
その行為にまたしても胸がうずいた。だが、周囲はそれが我慢ならなかったのだろう。いっせいに怒号を上げて襲い掛かってきた。
「!」
反応できないあたしは驚いただけだった。しかし、男は不敵にニヤリと笑った。そして―――
ヒュッと耳元で風の音が聞こえたかと思うと視界は大きく変わっていた。あたしはもう驚きの連続で何がなにやらわからなくなっていたけど、周りは違ったようだった。
突っ込んだ先に男とあたしがいないことに気がついた人があたりを見渡し、すぐにあたしたちを見つけた。
「いたぞ!」
男は見付かったのを知ると、さっさと動いた。あたしはそれまで気づかなかったけれど、男は屋根の上に乗っていた。そのまま信じられないほどの跳躍で屋根屋根を跳びまわり、海が目の前になるほどの場所までいってしまった。
勝手に連れ去られているというのに、あたしは怖いとは思わなかった。むしろ、この男に惹かれてすらいた。
海の前で男は止まると、追いかけてくる陸の民を小ばかにするかのように立ち止まる。そして、見せ付けるように海に飛び込んだ。
あたしと女の子を連れたまま。
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海の中はとても綺麗だった。
けれど、あたしにはそんなものを楽しむ余裕はなかった。あたしは陸の民なのだ。海は小さいころに何度か入ったものの、泳ぎは上手くない。水の民に比べたらもう遅すぎる。
そんなあたしが水の民である男に手をつかまれたまま引っ張られたら、それは大変だった。速いのだ。とにかく速いのだ。
この先どうなるのだろうか、という不安はあったがあたしはもうこの男にまかせていた。どうせ自分ではなにもできないのだから。
半ば諦めの気持ちで海を引っ張られること数十秒。そろそろ息が辛くなったところで男は突然急降下した。
眼下にあったのは小さな家のようなもの。
あたしは海の中に家があることに驚いたけれど、特にやることもないので男に連れられたままだった。
男がドアをあけた。あたしは、びっくりして水を飲みかけてしまった。ドアの向こうには水がなく、空気が存在していたからだ。
そんなことがありえるのか、と思ったけれどそれを考える前にあたしはその中に入っていた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
女の子がようやく声をだした。あたしは、なんとか吸えた空気に感謝しながら女の子の様子をみていた。男は優しく笑うと女の子の頭をなでた。
「もう陸には上がるなよ。危ないからな」
「うん、ごめんなさい」
しゅんとうなだれる女の子を男はポンと叩くと
「よし、もう大丈夫だ」
声をかけた。女の子は輝くような笑顔で頷いた。そのままトタトタとドア口に駆け寄ると勢いよくドアを開け放ち、海へと入っていった。それを男は見送るとあたしのほうを向いた。
「さて、と」
その顔は女の子に向けていた顔とは違い、険しい。何もかも見透かすような目であたしを見ると一言呟いた。
「おまえはあそこで何をしようとしていた?」
唐突な問いに戸惑うあたしを男は無視して続ける。
「何故手を伸ばした?」
ようやくあたしにも男が言っていることがわかった。男はこう聞いているのだろう。あの女の子が殴られそうになったとき、なぜあたしが民衆から一歩でたか、と。
「水の民は、友達だったから」
あたしはそう答える。ちゃんとした答えになっていないことは承知しているが、それはあたしにとっての事実だったから。
「だから、気づいたら足が動いてた」
それだけだよ、と笑うと男は小さくため息をついた。
「水の民、ね。……あんた変わってるな」
そういってあたしに少し和らいだ笑みを向けた。
「陸の民のくせに水の民、なんてさ」
「……あぁ」
無意識にでた言葉だったから気づかなかった。あたしは少し間の抜けたような顔で頷くと男はクッとのどの奥で笑った。
「悪いな、勝手につれてきちゃって」
「ううん、いいの。……やっと、逃げられたから」
「?」
あたしは小さく付け加える。もう、うんざりだったのだ。
「あんなにおかしいとこにいられないよ」
何がおかしいのか男はまた笑ったが、すぐに笑いを収めると、
「そっか。まぁ来てくれ。オレはヒュノス」
「エリスレイ……エリスよ」
そういってあたしはヒュノスの手をとった。
――これがあたしと彼の出会い。
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そして、彼と出会って早一月が過ぎようとしていた。
「ふざけるな!」
烈火のごとく怒り狂った老人があたしの目の前で怒鳴る。あたしはもうそれだけでびくびくしてしまうが、ヒュノスはそよ風のように受け止める。
「ふざけてなんかない。オレはオレのやりたいようにする」
「お前は自分の立場を考えたことはないのか!?」
老人は怒鳴り散らすとふっと落ち着いて諭すように語り掛ける。
「なあヒュノス。お前は我らにとって最後の希望なんだ。そんなお前がやつらの仲間と結婚なんてありえんぞ」
「エリスはやつらとは違う」
ヒュノスは明らかに不愉快な様子で老人の言葉を否定した。あたしはそれが嬉しくて、でも心配で。
「ヒュノス、敵対する種族同士が結婚して幸せになれると思う?」
そう、聞いたのだ。ヒュノスは明らかに驚いた様子であたしを見つめる。その様子にあたしはまずいことを言ってしまったかと後悔したものの、彼のためにはあたしと会わないほうがいいのではないか、という思いも消せずにただ答えをまった。
「ならまず、つきあうところから始めよう。オレがお前を守るから」
自信に満ちた表情で笑うヒュノスにあたしは惹かれた。認めよう。あたしはヒュノスが好きだった。
「ヒュノスは、それでいいの?」
「あぁ、オレは自分の気に入らないことはしない」
不安であたしがもう一度聞くと、ヒュノスは優しく微笑み――。
そっと、あたしを抱きしめた。
火が出るほど恥ずかしかったけれど、あたしは今までにないほど胸が高鳴るのを感じた。周囲の民たちは毒気を抜かれたように呆然としていたり、顔を赤くしてそっぽを向いていたりした。
「ヒュ、ヒュノス……」
何がなにやらわからず、ただ温かさだけを感じてあたしは小さく呟く。初めて会ったときには考えられなかった。あまりに温かい体温があたしを包む。
ほんの数秒の出来事だったけれど、あたしにとっては何分間もの長さにも感じられた。
「はぁ……。本気なのじゃな、ヒュノス」
老人は諦めたように言うと、肩をすくめ部屋から出て行った。傍付きの人たちも苦笑すると後を追った。
「ヒュノス、まだ会ってから一月たってないのに何でこんなによくしてくれるの?」
二人っきりの空間であたしはそう聞いた。ヒュノスは笑う。とても優しく。
「特別だからだ」
誰もいない空間であたし達はまた触れ合う。温かいぬくもりを感じながら。
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そうしてるうちにまた時間がたつ。
あたしは初めて海の底に着てから一度も陸には戻っていなかった。戻る必要は感じなかったし、なによりあたしはもうどうでもよくなっていたからだ。
陸の民も水の民も。
あたしはヒュノスがいればよかった。それだけで幸せだった。しかし、流石に帰らなければならないときがやってくる。
「何かあったら呼べ」
そういってヒュノスは送りだしてくれた。もちろんほぼ海上までは連れて行ってもらったけれど。同じ距離のはずなのに、ちっとも怖くなかった。苦しさは感じたけれど、恐怖はなかった。
海上にあがって、二月ぶりに陸をふんだ。久しぶりの感覚にあたしは思わず転びそうになる。そのまま王都に行くことにした。今、ここで何が起きているのか知るために。
「あれ?あ、あんた!」
通りゆく人があたしのことをちらちらと見る。何かおかしいだろうか。わからないあたしはきょろきょろと周りを見渡していた。
「あんた、魚人にさらわれた女の子じゃないか!」
一人の夫人が叫んだ言葉にその場は大混乱になった。あとはもうもみくちゃであたしはあれよあれよという間に城までつれていかれた。
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「まずは、危険な目にあわせてしまったことすまなかった」
目の前に座る大臣と名乗った男が横柄な態度で言う。あたしはその態度にぴくりとしながら首を振った。
「聞かせてほしい。魚人どもは海のどこで生活しているのか」
「それは、あたしに白状しろといってるわけ?」
魚人、とこの男は言った。水の民のことを魚人といったのだ。そして彼らがなんとか隠れるために作った海の底まで侵略しようとしているのだ。……許せるわけがない。
「ずいぶんとえらそうだな」
大臣が不機嫌そうに言う。あぁ、むかつく。
「野蛮だって?できそこない?頭が悪い?愚か?それはお前らのことだろう」
もう陸の民なんてどうでもいい。いらない。あたしには必要ない。
「あたしは、陸の民なんて名乗らない。二度とあたしを連れて行かれたなんていうな」
怖くない。呼べばすぐにヒュノスが来てくれるから。だから、大丈夫。
「陸の民なんていらない」
「取り押さえろ、衛兵!」
大臣が怒りをあらわに命令する。衛兵が目をぎらつかせて迫る。でもあたしは怖くない。
「バイバイ、陸の民」
別れを告げると、あたしは一直線に窓へと駆け寄る。ここはすごく高い。おちたら死ぬくらいに高い。けれど。
「ヒュノス!」
きてくれるから。近くにいたのだろう、ヒュノスはあたしの真下にいつのまにかいた。それだけであたしは笑える。笑顔になれる。
「エリス、むちゃするな」
ヒュノスは軽々とあたしを受け止める。周りからここの兵が迫ってくるが、あたしたちはあわてない。あたしはそんなことよりも心配してくれたことが嬉しくて笑う。
「大丈夫。怖くなんてないよ。ヒュノスがいるんだもん!」
「つかまれ」
あたしは彼にしっかりつかまる。二月前と同じ。でも気持ちは全然ちがう。あたしはもう二度と陸には戻らないかもしれない。けれど、名残惜しくはなかった。
風があたしのほほをなでて去る。
そしてそのまま海へと飛び込んだ。兵たちもなにも置き去りにしてあたしたちは駆ける。
****************
完璧なものなんてない。
あたしはもちろん彼にもたくさんの負担はあっただろうけれど、あたしも彼も何も気にしなかった。
陸の民と水の民の問題もたくさんあるけれど、あたしは別にもうよかった。
心から大好きだといえる人に出会えたのだから。
「ヒュノス、会えてよかった」
「オレもだ」
そうしてあたしたちは結婚した。周囲の反対を超えて、なんていうと普通の結婚みたいだけど、最終的にはみんなが認めてくれた。
リースも来てくれた。話しかけてもぷいっとそっぽをむかれてしまったけれど、これからまた仲良くなれるといいな、と思った。
「それでは」
スッと彼とあたしはそっと唇を重ねる。
とても甘い、物語。
甘い、甘い、甘すぎるううううう!!
本当はもっと甘くしようと思ってましたが自分が恥ずかしさで真っ赤になり死にそうだったので割愛。
恋愛かける人ってすごい……。この程度で力尽きた自分。
ついでに読み返すだけの心はありません。それこそ恥ずかしさで死ねます。
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