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紅瑠神社の狐巫女!

作者: Manary

この小説は、小田桐 赦羅様と璢音様からいただいたリクエストをもとに、執筆いたしました。

たくさんの方に楽しんでいただければ幸いです。


真っ青な空と、金色の陽光。紅い花びらが静かに舞う。

誰かが、紅い花びらをそっと手に取り、目を伏せる。その瞬間、目も眩むほどの白い光が辺りを満たした。


 全てを飲みこんだ光の中で、囁かれた声。


「人間界……どんなところだろう」





十月のはじめ、はらはらと舞う枯れ葉を、あたしは必死でかき集めていた。

ところが、箒で集めても集めても、枯れ葉はあたしを嘲笑うように逃げていく。

「ああもう、イライラするっ!何であたしが、こんなことしなきゃなんないの!?」

 響き渡る声。隣で、同じように箒で履いていた少女が、微かに苦笑する。

「まあまあ。これも、修行だと思って!」

「これのどこが修行なの?ただの雑用じゃな~い!」

「これ、うるさいぞ、琴!もう少し大人しくしていられないのか」

 白い和服に身を包み、真っ白な髭をたくわえた、黒い帽子を被った神主さんが出てきて、あたしを睨みつける。

「はいはい、すみませんね」

「返事は一回じゃ!」

 またもや、お説教タイムが始まりそうなところで、

「神主さん、体によくないので、あまり怒らない方がいいかと……。ことも、あんまり感情を爆発させると、『耳』とか『しっぽ』が出ちゃうかもしれないし、気をつけないと」

「うむ……京架は賢いのう。どこかの誰かさんと違って」

「何それぇっ!」

 今度は、あたしが神主さんを睨みつける。そんなあたしを、一つ年上で巫女友達の清藤しんどう 京架きょうかがおっとりとなだめる。

 相変わらず、神主さんは京架に甘い。まあ、ちょっとはあたしも悪いところはある……かもしれないけど。

「お主らは巫女だろう?もう、掃除はいいから、お社の方に戻りなさい。甘くてほくほくの焼き芋を、ご馳走してやるから」

 神主さんは、箒を物置に置きながら言った。焼き芋という単語に、あたしは即座に反応する。

「焼き芋!?食べる食べるっ」

「琴って、甘いものに目がないよね……」

「京架だって、甘いもの好きじゃん!」

頬を膨らませて言うと、京架はおっとりと笑う。

「うん、好きだよ。だから、早く食べようよ」

 相変わらずのマイペースさ。けど、こういう気取らないところが、あたしは好き。

 あたし達は、神主さんの後を追った。




「……にしても、困ったものじゃなあ」

 ほくほくの焼き芋を食べていると、神主さんが溜息交じりに呟いた。

「何がですか?」

 神主さんが、またふぅっと溜息をつく。

「参杯客が減ってることじゃ」

「それって、『あんなの』を祀ってるからじゃない」

 そう言った瞬間、神主さんの拳があたしの頭をたたいた。

「いったあ!」

「この、馬鹿者!何てことを言うのじゃ!」

「まあまあ。お茶が冷めちゃうよ」

 京架の言葉に、神主さんは仕方なく椅子に戻り、緑茶を一口飲んだ。

 でも、あたしが言ってることは間違ってないと思うな。あれは神様とは、ちょっと違う気がする。

「そういえば、あの方は、外の世界に行きたいと言ってたぞ。連れ出してやってくれ」

「え~またあ!?」

 渋るあたしに、神主さんは

「おいなりさんが食べたいらしいのじゃ。二人とも、頼む。わしはあの方を連れ出すことができないのじゃ」

「そりゃ、わかってるけどさ」

「協力してあげようよ、琴」

 京架がふんわりと微笑む。でも、連れ出すには巫女装束着なきゃいけなくて、面倒なんだよな……。まあ、考えるのも面倒だし、いいか。

「わかったよ」

「おお、そうか!頼んだぞ」

 神主さんが、ほっとしたような表情を浮かべる。

 あたしは、焼き芋を緑茶で流し込んで、立ち上がった。




「何度着ても、着心地悪い!きつい!」

「そう言わないで。よく似合ってるよ?」

 京架はにこにこしながら、自分も巫女装束に着替える。

 白い着物も赤い袴も、きついし着心地悪いし、ショートヘアでどちらかといえば活発なあたしには、驚くほど似合わない。だから、巫女装束なんて、嫌いだ。

 一方、あたしとは正反対に、京架は巫女装束が似合う。

 二つに結んだ茶色の髪も、光に溶けそうなほど白い肌も、柔らかで女の子らしい顔立ちも、穏やかな声も。

 時々、京架は巫女の生まれ変わりだったんじゃないかと思う。


 ここまでくればもうわかると思うけど、あたしこと神宮司じんぐうじ ことと京架は、巫女をやっている。

 理由は色々あるけど、親戚の神主さんが手入れしているこの「紅瑠神社くりゅうじんじゃ」には、一人も巫女がいないので大変……というのも、理由の一つ。

 あたし達と『あいつ』が来てから、誰も来なかったさびれた神社に、ポツリポツリと参杯客が来るようになったけど、最近は全く見かけない。それを、神主さんは酷く気にしているらしかった。


「琴、準備はできた?」

「うん!」

 カラリと木の戸を開け放ち、参杯客が来るのとは逆の、裏の扉から、本堂に入る。

 本堂は、暗くてちょっと湿っていて、不思議な甘い薫りが漂っている。床を踏みしめるたびに、ギイギイと部屋が軋む。本堂の中は案外広く、分かれ道が続いていて、普通の人なら迷ってしまうだろう。けれど、あたし達は迷わず進む。

「いつ来ても辛気臭いところだよね、ここ」

「琴!そんなこと言っちゃ駄目だよ!」

「大丈夫だって、聞こえてやしないよ」

 焦る京架に、軽く笑って言う。すると、どこからか厳かな声が響いた。

 「聞こえておるぞ、馬鹿者。この私をこんなところに閉じ込めているのは、どこのどいつだ」

 本堂を震わすような、力強く、低く、それでいて滑らかな声が、壁に当たって反響する。

「楼流様、あたし達が来たのわかってるなら、出てきてよ~」

「嫌だね。あと少し何だ、面倒がらずにさっさと来い」

 不思議な声が、そっけなく告げる。

「……ケチ」

「何か言ったか!?」

 びりびりと空気を震わすような声が、本堂に轟いた。京架が慌てて

「何も言ってませんよ!私達、ここに来るのがいつも楽しみなんです!ね、琴ちゃん!?」

 ゾクッとするような黒々としたオーラが、あたしの方へ流れていく。しかし、京架の顔はにこやかだ。

 京架の特技は、顔色一つ変えずに人を震え上がらせること。あたしのことを「琴ちゃん」なんて呼んだ時は、要注意。

 内心震え上がりながら、

「う、うん。そうだね~。京架の言う通り!」

と、訳もわからず話を合わせる。

「お稲荷さんはもってきただろう?」

「うん」

「よし、早く来い!」

 闇から聞こえる声に従って、あたし達は進む。奥の部屋に着いた途端、目を開いたのだろう、部屋いっぱいに、翡翠のような大きな緑色の二つの光が、爛々と輝く。

「ふふふ……よく来たな、琴、京架。お稲荷さんはそこに置いておけ」

「はい!」

 京架がお稲荷さんを乗せたお皿を床に置くと、お皿がふわりと浮かびあがり、奥に吸い込まれていった。

「はむ……上手いな。お酢がきいているから、はむはむ……京架が作ったのか?」

「はい、そうです」

 緑色の光に、ほんのり優しさが滲む。しかし、無言で食べ続ける。

 今、あたし達の前でお稲荷さんを食べ続けているのは、「紅瑠神社」の神様である、楼流ろうる様だ。因みに、お狐様で性別は女。いや、メスかな?

 以前は、妖怪なんだか神様なんだか、よくわからなかったけど、今は神様としてこの神社に引きこもっている。

「で、今日は何の用だ。私は外に出たいが、その前に、言うことがあれば言っておけ」

 むむっ、鋭い。

「まあ、大方予想はつく。参杯客が減っているんだろう?」

「……そ、その通り、だけど」

「フン、やっぱりな」

 楼流様は、軽く馬鹿にしたように言う。

「巫女としてのお前らの魅力が足りないんじゃないか?京架はまだいいとして、琴は女らしさの欠片もないしな」

「何だって!あんた、今何て言った!」

「ほう、この私にそんな口をきくとはな」

「うるさいわぁ!あたしだって好きで巫女なんてやってるんじゃないっつーの!」

「こ、琴!落ち着いて」

 いくら京架が宥めようと、あたしの怒りは止められない。あたしは、ギリリッと楼流様を睨みつけた。

「ちょっとは気にしてるわよ、あたしだって!シャンプー変えてみたり、文房具変えてみたり、ファッション雑誌買ってみたり……」

「そ、そうなのか。悪かったな」

 急に気の毒そうな声になる。いきなりそんな態度になると、妙に気持ちが悪い。

「とにかく、参杯客が欲しいなら、もっと巫女を募集して、この神社を綺麗にすればいいだろう。あと、お祭りをやるとか」

「その案は考えたんですけど、神主さんに『紅瑠神社にそんな経費はない』と言われてしまって……」

「あのくそじじい。私への貢物も減らしているくせに……」

 緑色の光が、怒りでギラギラと輝く。楼流様の唸り声のせいで、本堂までがグラグラ揺れた。

「うわっ!楼流様、押さえて、押さえて!外に行ったらお稲荷さん買ってあげるから!」

「そ、そうですよ!そういえば、街のお茶屋さんで狐饅頭が新発売だそうです!黒糖と小豆と栗をたっぷり使った、絶品だそうですよ。それもいかがですか!?」

 あたしも京架も、楼流様をなだめるのに必死だ。ここで暴れられたら、あたし達は間違いなくあの世行き。それだけは絶対、嫌だ!

「ほら、早く外に行こう!ね!?」

「……う」

 微かな声とともに、本堂の揺れが収まる。暗闇の中で、緑色の光が微かに細められる。何とも言えない、不思議な甘い薫りが、風一つない空間で揺らめく。

 少しの沈黙の後、楼流様は

「だったら、早く変化しろ。私が乗り移れないだろう」

「はいはい」

 返事をすると、両手を胸の前で組んで、目を閉じる。瞬間、瞼の裏で白い光がはじけた。

 目を開けると、あたしの周りには蒼白い炎が踊っている。後ろを見れば、毛先だけが少し黒いふさふさした純白のしっぽが揺れていて、頭を触ると柔らかな感触。おそらく、あたしの黒髪には、白い狐耳が生えていることだろう。

変化成功!

 隣を見ると、やはり変化したらしい京架が、目を開けたところだった。京架の周りには、黄金色の光の欠片がキラキラと舞っていて、二つに結んだ髪は、金色がかった狐色に染まっている。

「……やっぱり、京架の方が可愛い。ずるい」

 狐耳に狐のしっぽ、幽霊みたいな炎をまとったあたしは、恨めしい気持ちで京架を見る。

「そうかなあ?私は、琴の方がいいと思うよ?しっぽとか、ふわふわで気持ちよさそうだし」

「こんなの邪魔なだけだよ!」

「おい、お前ら、誰のおかげで変化できるようになったと思ってる?」

「楼流様のせいでしょ!あたしは、巫女と同様妖力が欲しかったわけじゃないし」

「何だと、貴様!」

「ちょっと、喧嘩しちゃ駄目だよ!」

 睨みあうあたしと楼流様。それを一生懸命なだめる京架。ワンパターン過ぎて、見る人によっては飽きる内容だ。当事者のあたし達には関係ないけど。


 さて、ここで一つ問題発生。あたし達は人間だけど、『変化』しました。その理由は何でしょうか?次の選択肢から選びなさい。


1 あたし達は妖怪と人間のハーフだった!

2 あたし達は世界中の人々を守る為に生れてきた、アニメ張りのヒロインだった!

3 あたし達はお狐様の楼流様に取りつかれていた!


 はい、どれだと思いますか?

 正解はだね、どれも完全な正解とは言い難い。しいていえば、3が正解かな?残念ながら、2じゃない。勉強がオール駄目の、伝説劣等性のあたしにも、このくらいはわかる。

 あたし達は、巫女を神主さんに押しつけられた時から、楼流様の世話(?)に当たっていた。

本来なら本堂にこもりっきりの楼流様は、大変我儘なことに、外に出て人間の様子を見るのが好きな困った神様だったのだ。

しかし、普通に外に連れ出せば、一般の人に楼流様の姿を見られてしまう。暗闇の中での楼流様の姿しか知らないからよくわからないけど、それは巨大な白い狐なんだとか。そんな楼流様が街に現れたら、人々は大混乱に陥るだろう。

そこで使われるのが、あたしと京架だった。

 楼流様は、魂を半分に分け、あたしと京架に乗り移る。といっても、あたし達の中に隠れるだけだけど。

 そして、何度も乗り移っているうちに、何故かあたし達に妖力が備わってしまったのだ。神主さんもしきりに首をひねっているし、あたしにも京架にも理由が全くわからない。楼流様は、一緒に理由を考えてくれるほど優しくないから、結局はこのまま過ごすことになった。

 まあ、楼流様が乗り移る時、あたし達が変化していた方が、お互い疲れないから便利だけどね。


「じゃあ、乗り移るぞ」

 言うが早いが、目の前にあった大きな緑の光が、すぅっと消える。そして、体が重くなったような感覚。

「うう、やっぱり楼流様は重い……」

「何だと!私がそんなに重いか!?」

「ち、違うよ、多分!」

 楼流様はあたし達の中に隠れていると、あたしたち以外には、姿は見えず声も聞こえない。けど、あたし達には声は聞こえる。その声は頭に直接響いてくるから、怒鳴られると軽く眩暈がする。

「ほらほら、喧嘩しないで」

 京架が穏やかに言う。髪の狐色と黄金色の光は、妖力を使ってすでに隠している。

 あたしも、ぐっと手に力を込めて合わせると、ほわほわと闇に漂っていた蒼白い炎が、瞬時に消える。頭を触っても、短い髪が揺れるだけ。当然、しっぽも消えている。

「変化は隠せたみたいだね!じゃあ、行こう」

 京架がにこっと笑う。続いて

「さっさと行くぞ。狐饅頭とやらを食べるんだから」

 頭に、低く滑らかな声がこだまする。あたしは京架と、見えない楼流様に向かって、ニッと笑った。

「それじゃあ、出発しますか!」




 街は、秋一色に染まっていた。

 紅葉や銀杏の葉が街をシックに彩り、コンクリートの地面を飾っている。行き交う人はお洒落な服に身を包み、街頭の大型モニターからは人気歌手のニューシングルが流れ、あちこちで季節限定のお菓子やら流行のファッションやらを宣伝している。

 空を見上げれば、太陽は柔らかな日差しを放ちつつ、薄くたなびく雲に半分隠れている。自分や建物の影は、薄く長く伸びて、淋しげで涼しい風が、木々の間を吹き抜けていく。

「見ない間に、人間界も随分変わったものだな」

「そうだねえ……。結構、新しいお店もできたしね」

 他愛もない話をしながら、手入れされた並木道を歩く。

「それにしても……」

「どうかした?」

 突然、京架が遠慮がちに呟いた。白く、柔和な雰囲気の顔には、苦笑いが刻まれている。

「今までは暑かったからいいよ?でも、秋になって寒くなってきたんだし、ちょっとは我慢して、コートを着るべきだと思うわ。琴、巫女装束のままだから、すごく目立ってるよ?」

 そう言う京架は、巫女装束の上からふんわりした薄いピンク色のハーフコートを羽織っている。コートから赤い袴が見えているけど、普通の服に見える。

 一方のあたしは、そのままの巫女装束。確かに、思い切り浮いている。さっきからすれ違う人達に、奇異の目で見られているし。

「だって、暑いんだもん」

「この気候で暑いという馬鹿がどこにいるんだ!あ、ここにいたか」

「うるさいなあ、もうっ!」

 赤い袴の裾をバサバサ揺らして歩いて進んでいく先は、目的のお茶屋さん。素朴で昔風のお店の暖簾をくぐり、戸を開くと、優しい緑茶の香りと甘い和菓子の数々、笑顔で迎えてくれる店主のおばさん。

「いらっしゃい!よく来たねえ、琴ちゃん。京架ちゃんも一緒かい?」

「うん、ほら来たよ」

「じゃあ、二人だね」

 おばさんは陽気に笑うと、注文を頼むお客さんの方へ急ぐ。

 木で作った素材の、温かでこじんまりとした室内。観葉植物として、ところどころに盆栽が並んでいる。いつも通り、あたし達はお気に入りの窓際の席に、向かい合って座る。

 窓から見える街は、色鮮やかで華やか。……けど、このお茶屋さんと比べると、どこか雑然としていて、無機質な気がする。

「ご注文はお決まりですか?」

 テーブルにお水を置き、店員さんがにこやかに言う。若々しくて綺麗な人で、よくここに来るあたし達でも見かけない人だ。多分、新人さんなんだろう。

「秋限定の狐饅頭セットを三つと、お持ち帰り用のお稲荷さんを一つ……だよね?」

 少し自信なさげに、京架が確認してくる。あたしは、

「うん。あと、クリームあんみつも!」

「……え?あの、二名様……ですよね?」

「はい」

 正確には、二名様と一匹様だけどね。

 店員さんは、複雑そうな顔を見せつつも、

「わ、わかりました……」

 小さく頷き、伝票を手に奥の調理室に戻って行く。

「……にしても、お腹空いたぞ。私は我慢の限界だ」

「え~。もうちょっとだから待っててよ」

「無理だ。私は我慢の限界だ。そもそも、京架が歩くのが遅いのが悪い」

「ご、ごめんなさい……」

「京架は悪くないよ!この性悪狐が……」

「あ!?何か言ったかこら!?」

 頭の中に低い声がガンガン響く。京架はこめかみを押さえた。あたしは、周りの人に聞こえないように、しかしはっきりと

「言ったわよ。このババア狐が」

 ピシリと空気が凍るような音が、あたしの頭に響いた。

「貴様……許さんぞ!私はまだ二百十二歳だあああああっ!」

「……え?」

「……楼流様……?」

 ちょ、ちょっと待ってください。今、何歳と言ったのかな?

 二百なんじゅうなん歳とか何とか、言ってなかったかな?

 ……アタシノコノ頭デハ、チョット処理シキレナイネ、オソラク。

 考えるのを放棄して京架に助けを求めてみるも、京架は聞かなかった振りでもするように、にこにこしながら何の変哲もない店内の柱をじっと見ている。

 あたし達の頭を壊すレベルで叫んだ楼流様は、すっきりしたらしい。少し大人しくなった。

 謎の沈黙が、あたし達の間で渦巻いている。

こういう時くらい喋ってよ、楼流様。無言で言葉を発するも、楼流様に無視された。というか、楼流様は今何やってるんだろう。さっきまではお腹が空いたってうるさかったくせに。

微妙な雰囲気が巻き起こった時、

「お待たせしました」

 ちょうど、狐饅頭セットやパック入りお稲荷さん、クリームあんみつを持ってきてくれたところだった。

「おお、やっと来たか!」

「美味しそう~!」

 楼流様の完成が頭の中で響き、京架も切れ長の瞳を細めて、嬉しそうに唇をほころばせた。

 もちろんあたしも、頬が緩みきっている。お、美味しそう……。

 三つ並んだ焼き物のお皿の上には、三つのお饅頭が乗っている。

 左から、狐の顔、よもぎ色の木の葉、しっぽに見立てた饅頭が並んでいた。

「へえ、狐饅頭ってこういう形なんだ~」

「可愛いね!でも、琴みたいな耳の形もあったら、もっと可愛いと思うな」

 にっこり笑って、京架が饅頭を手に取る。そうしている間にも、真ん中のお皿の饅頭はすごい勢いで減っていた。

「はむはむはむはむ」

「楼流様……音たてて食べなくても……」

「はむ……む?」

 あたしも、狐の顔の形の饅頭を一口齧る。

 もっちりした皮から、濃厚で上品な味わいのこしあんが口いっぱいに広がる。

「あ……美味しい」

 心を癒すような優しい甘さに、思わず呟く。

「はむ……これは美味しいな。……お稲荷さんには及ばないが」

「私もこの饅頭、好きだな~」

 狐饅頭のおかげで空気も和み、あたし達はお喋りタイムを開始。

 学校のこととか、お菓子のこととか、最近のニュースとか。それらに、楼流様は、以外と優しく耳を傾けてくれる。

 そして、話題は楼流様に移った。

「楼流様は、そうして人間の世界に来たんですか?」


昔の楼流様は、妖界という場所に一族皆で暮らしていたという。

 ところが、何故か人間界に来てしまい、慣れない人間界の空気や電波、化学反応などで、自分の意思とは関係なく暴走してしまったという。

 たまたまそこに通りかかったあたし達に、楼流様は突っ込んできて、乗り移られてしまった。

 もちろん、紅瑠神社のあの神主さんにも相談したけど、なかなか離れてくれず、誰もいない本堂には言ってもらうことで、ようやく解放された。

 それ以来、楼流様は紅瑠神社の神様で、あたしと京架は楼流様の世話係。

 因みに、もともとは紅瑠神社にもちゃんとした神様が本堂に住んでいて、陰陽師代々守ってきたらしい。

 紅月こうづき 聖瑠せいりゅうという陰陽師と精霊の血を引くといわれた、それは美しい神様だったらしい。紅瑠神社という名前は、この女神、聖瑠の名前からきていると言われている。

 平安時代から続く偉大な神社だったそうだが、しかし、ある時陰陽師が途切れてしまった。その間に聖瑠は姿を消し、紅瑠神社に戻ることはなかった。

 長い間神様が不在だった紅瑠神社は、参杯客もほとんど訪れず、ゆっくりと弱体化していったらしい。


「実は、わざわざ来たわけではないのだ」

 紅瑠神社の神話を思い浮かべていると、楼流様が苦々しい声で言った。

「えっ!」

 思わず緑茶の入った湯のみを倒しそうになる。京架も目を丸くする。

 楼流様は小さく唸り、ふっと溜息をついた。誰も手をつけていなかった緑茶が一気に減る。

「私は、人間界に堕ちたのだよ」

「……堕ちた?」

「それは……どういう……」

 あまりに突飛な発言に、あんみつを食べていた手が止まる。京架も、びっくりしたような表情で饅頭を手にしていた。

 頭の中に、乾いた笑い声がむなしく響く。

「我ながら、随分間抜けだったとは思う。こっちに来るまで、私は妖界で家族や友人と普通に暮らして……」

「ちょっと待ったあ!」

 他のお客さんた店員さんに聞こえないように、声を押さえてストップをかける。

「ん、何だ」

「家族いたの!?普通って何!?というか、友人って作り話でしょ。あ、妄想?」

「き……貴様……!」

「楼流様、押さえて、押さえて!琴も黙ってなさい!」

「はぁい」

京架に軽く頭をたたかれ、舌を出す。やれやれといった表情の京架と、長い溜息をつく楼流様。あたしはニヤリと笑った。いつもやられてばっかりじゃ、飽きるじゃない?

楼流様は再び溜息をつくと、

「もう、お前はいいから。取り合えず黙って聞いてくれ」

「ふぬ、ふいよ~」

「琴、あんみつ食べながら言わなくても……」

 あたしに文句のようなことを言いつつ、京架は可笑しそうに口元を緩め、緑茶をすすった。

「……はあ、全く……。まあ、とにかくだ、私はある日散歩に出かけたのだ」

「随分いきなりだね」

「いや、本当に散歩に行ったんだって」

「誰も疑ってませんよ?」

「ならいいんだが……」

 机の上の湯のみの緑茶がまた減る。楼流様は、食べたり飲んだりするペースが速い。

 いつも思うんだけど、楼流様は普通の人には見えないのに、食べちゃってもいいのかなあ……。

 楼流様がまた、口を開く。

「私が言ったところは、花畑だったんだ……。綺麗な紅の花が咲く、花畑。ナイフみたいな緑色の葉と赤い花のコントラストが、鮮やかだった……」

 楼流様の声に、懐かしさや穏やかさが滲む。低く滑らかな声が、微かに震えている。

「そっか、あたしも見てみたいな!」

「無理に決まってるだろ、アホ」

「あ、そっか」

「アホは認めちゃうの……?」

「うん……うん?え?認めないよ!?」

「いや、認めておけ。……見てみたいと言ってくれたことは、少しだけ嬉しいよ……」

 寂しそうな、それでいて優しい口調に、思わずドキッとする。

 今、あたし楼流様はどんな顔をしているの?いつもの苦笑い?暗い表情?それとも……。

 口ごもるあたしの代わりに、京架はいつも通りのおっとりした口調で、楼流様に尋ねる。

「それで、どうしたんですか?」

「ああ……そうだな。すまん。いつも通り、その紅い花は綺麗だった。名前は知らない。あいつなら知っていたかもしれないが……すまん、また話が脱線してしまった」

 珍しく、申し訳なさそうに言う。

「私は一人でその花を見ていたんだ。その時、風が吹いて……真っ白な光が辺りを包んだ。目も眩むほどの光で、何も見えなくなって……。気が付いたら、私は、人間界に堕ちていた……」

 楼流様は、ふっと息をついて言葉を切った。

「それだけ?」

「ん?ああ、それだけだが」

「でも、それだけだと楼流様が何故人間界に来たのか、さっぱりわかりませんよ?」

「いや、私にもさっぱりわからないから」

「……本当に、それだけ?」

「さっきからそう言っているだろう!しつこいなあ……」

「………………」

「………………」

「………………」

 三人の間に、沈黙が舞い降りる。

 京架は目を伏せ店員さんの働く様子を眺め、楼流様は微動だにしない。あたしは、狐饅頭のお皿とあんみつの器をテーブルのは時に押しやり、すっかり冷めきった緑茶を一口すする。

 可哀想な話かもしれないけど、呆気なさすぎて何と言葉をかければいいものやら……。

 何とも微妙な空気が再びあたし達の間に漂った時。

 ふと、視線を感じ、同時に巫女装束の裾が軽く引っ張られた。

 振り返ると、艶やかな黒髪に赤いリボンを結んだ、小学生くらいの女の子が、あたしをじっと見上げていた。

 黒目がちの大きな瞳、薄いピンク色の唇、折れてしまいそうに細くて小さな体。

 ……か、可愛い!この子、すっごく可愛いよ!

「どうかしたの?お母さんとはぐれちゃったのかな?」

 あたしが心の中でキャーキャー騒いでいる一方で、子供の扱いが得意な京架は、穏やかで優しい笑顔を浮かべながら、女の子に尋ねる。

 女の子は、あまり表情を変えず

「そうじゃないです」

 ふわふわのお菓子みたいな、甘い声で答える。

 吸い込まれそうな大きな瞳は、何の感情も見えないけれど、しっかりあたしを映している。

「じゃあ、どうしたの?」

「おい、琴。声が上ずってるぞ、馬鹿」

 楼流様が、あたしの頭の中でひねくれた発言をする。ほっといてよ、もう。

 女の子は、ゆっくりと小首を傾げて、囁いた。


「お姉ちゃん、真っ白で綺麗な狐さんと一緒なんだね。私の狐さんと知り合い……かなあ?」


 ほんのり笑みを浮かべて言う少女の愛らしさに、一瞬、その言葉の意味が理解できなくなる。

 そして、その意味が遅れて頭に到達したとき、あまりのことに愕然とする。横目で京架を確認すると、唇まで真っ青だ。

 この少女の前で大っぴらに話すわけにもいかず、見えない楼流様に向かって念じ、話しかける。

「楼流様、この娘、誰!?」

「知るか馬鹿者!私はこんなガキなんか知らない。せいぜい知っているのは、お前らと神主のじじいくらいだ」

「じゃ、じゃあ、これは一体どうなっているのですか?」

「私が知るわけないだろう!お前らは知りあいじゃないのか」

「あたしは知らないよ!」

「私も……」

「もう、どうなってるんだよ!?そもそも、私の姿が見えるなんて……そんな……」

 どうやら、お互い混乱しているらしい。突然のことに、あたしもどうしたらいいのかわからない。

 すると、少女は

「ねえねえ、聞こえてるよ?私には隠さなくても大丈夫だよ?」

 再びの驚愕なセリフに、ギョッとして京架と顔を見合わせる。

 もう、一体なんなの!?

 この娘、誰!何であたし達の声が聞こえるの?楼流様の姿なんて、あたしも京架も見えないのに……!

 子供の相手が得意な京架ですら、明らかに動揺している。頭の中に、楼流様がぶつぶつ呟く声が聞こえる。

 少女はそんなあたし達に構うことなく、ふんわりした笑顔に、甘い声で囁く。

「狐さん、私はガキじゃないよ~。私の名前は茜崎あかねざき 莉音りおん、十歳!二人のお姉ちゃんと狐さんに、お願いがあるんだ」

 突如現れた少女、茜崎 莉音は、どこまでも純粋に、無邪気に微笑んだ。




「あたしは琴。紅瑠神社って言う名前、聞いたことない?あたしはそこで巫女をやってるの」

「私は京架というの。琴の一つ上で、同じく巫女をやっているわ」

「何が巫女だ。まだまだ見習いのくせに」

 あたしと京架が、取り合えず莉音ちゃんに自己紹介すると、楼流様がわざわざ釘をさしてくる。確かに見習いだけど、酷い。さすがはひねくれの二百歳、ばばあ狐だ。

 しかし、楼流様のひねくれ発言を気にする様子もなく、莉音ちゃんは、

「琴お姉ちゃんに、京架お姉ちゃんね。紅瑠神社の巫女さんだね」

 にこにこしながら、あたし達の言葉を繰り返す。それからじっとあたしの目を見つめ、

「狐さんは、名前がないの?」

「無礼者ぉぉぉっっ!私に名前がないだと?私は楼流、こいつらが巫女をしている神社の神様だ」

「自分で様をつけるって……」

「琴は黙っていろ」

 楼流様の低いうなり声と威圧感に、思わず口をつぐむ。

 莉音ちゃんは、あたし達の様子を見てクスリと笑った。

「仲がいいんだねぇ……」

「そんなことはどうでもいい。莉音とやら、お願いってなんだよ。冗談だったりしたらぶっ飛ばすぞ。あと、この私が見えるのはどういうわけか言ってみろ。それにしてもこの私が……屈辱……!」

「相手は小学生なんだから、そんなに怒っちゃ駄目ですよ?」

「うっ」

「大丈夫、楼流さん怖くないから」

「何だと!貴様、喧嘩売ってんのかこらあ!」

 あたしの頭の中で、憤る楼流様の声がガンガン響く。うるさい、頭痛い。

 あたしは顔をしかめて、

「楼流様、いくら年寄りだからって、そんなに簡単に怒らなくても……」

「私は年寄りじゃねえっ!」

 二百歳超えが年寄りじゃないという話は、見たことも聞いたこともない。

「楼流様っ、押さえてください!ここ、お店です!お茶屋さんです!」

「う……」

 楼流様は、いまだにぶつぶつ文句を言い続けているけど、ほっておこう。あたしは莉音ちゃんに向き直ると、口を開く。

「それで、お願いって?」

「えっと……」

 莉音ちゃんは辺りを見回して言い淀み、それから、可愛らしく笑った。

「ここじゃない場所で、聞いてもらいたいの」




 莉音ちゃんについていくと、小さな公園が見えてきた。紅瑠神社から近いうえに、林に囲まれた状態だからか、あたしたち以外には誰もいないようだった。

 莉音ちゃんはブランコに座ると、黒いスカートのポケットから、さっきのお茶屋さんの豆大福を取りだした。

「お腹空いちゃったの」

 小さな声で言うと、豆大福を齧る。そんな様子まで、天使のような愛らしさ。本当に可愛いな~。

莉音ちゃんに見とれているあたしとは反対に、京架は優しくも鋭い眼差しで、京架ちゃんに尋ねる。

「莉音ちゃん、ここなら説明してくれるかな?」

「ん……ちょっと待って。うん、いいよ」

 豆大福を飲みこんでこくりと頷く。淡いピンク色の唇を、ゆっくりとほころばせ、微笑む。無邪気で純粋な瞳に、ほんのりと哀しみの色を乗せて。

「どこから話せばいいかな~?取り合えず、私は妖精さんや、精霊さんや、幽霊さんが、たまに見えるんだ~。あ、楼流さんみたいな妖怪さんもね」

 公園の木々が、風に吹かれてざわざわと揺れる。

 秋にしては強い陽光が照らしつけ、ブランコの金具が鈍く光った。

「え……」

 誰が言ったのかもわからない呟きが、秋の風に消える。そんな様子に、莉音ちゃんは寂しそうに、諦めたように笑った。

「えへへ、おかしいよね。でも、本当なんだよ。お父さんもお母さんも、お兄ちゃんも、友達も、みんなおかしいって言ってるの。でも、何でかなぁ……見えるんだ。妖精さんがお花の陰でおしゃべりしてたり、赤い着物姿の精霊さんが森の間で踊っていたり……。そのたびに嘘つきって言われたけど、本当なんだよ……」

 莉音ちゃんは黙っているあたし達を見て、にっこり笑った。でもその目は笑っていなくて、「信じて」とでも言っているような……。

 あたしは楼流様にさんざん乗り移られたせいでもつことになったこの能力を、他の人には、家族にでさえ話していない。京架も同じだ。

 今までごく普通の人間だったあたし達が話しても、どうせ信じてもらえないだろう。信じてもらったところで、気味悪がられる可能性も高い。

 だから、秘密にしようと誓った。その誓いは、今日まで破られていない。

 けれど、もしあたしが、最初からこの能力を持っていたら?

 それを当たり前のように話して、誰からも相手にされなくなったら。

 莉音ちゃんのように、「嘘つき」と呼ばれたら……。

 秋風に巻き込まれたかのように、指先が冷え切って行く。いつもはきつい巫女装束を着ている感覚が、全くない。感覚が麻痺しているのがわかる。

 京架を見ると、青ざめ、唇を震わせていた。あたしと同じことを考えていたのかもしれない。

 同じように力を持っているのに、『普通』に過ごしてきたあたし達が、莉音ちゃんにどんな言葉をかければいいのか、わからなかった。

 長い沈黙に莉音ちゃんの眉が下がり、笑みが消える。その顔には明らかな恐怖が宿っていた。

 言わなきゃいけないことは、わかっている。でも……声が……。

「そんなの、関係ないだろ」

 冷たい風が吹く公園に、低い声が轟く。いや、正確にはあたし達の頭の中に響いた。

「楼流……さん?」

 莉音ちゃんは小首を傾げ、驚いたような顔をした。

「私はあいにく忙しいんだ。信じてくれればいいなとか思って、こいつらはともかく私を試すな。私自身の存在が異レギュラーなんだぞ!馬鹿か、お前」

 聞き様によっては、あまりにも酷い言い方。しかし、楼流様は莉音ちゃんを励まそうとしているだけだった。意地悪でお稲荷さんが好きで怒りっぽいただの妖怪で狐だけど、楼流様は根は優しい。この言い方は、ただ照れているだけなのだ。

 全く、意地悪狐ごときに負けるなんて、あたしも馬鹿だなあ。

 ふうっと息を吐いて、莉音ちゃんの目を真っ直ぐに見つめる。

「あたしも、莉音ちゃんと友達になりたいっ!」

「き、貴様、誰が友達になるなんて言った!」

「えー、いいじゃん。あたしは莉音ちゃんと友達になりたいもーん」

「じゃあ、私も混ぜて欲しいな。妖精が見れるなんて、すごいと思うよ。今度見つけたら、絶対に教えてね」

 京架も、ちょっとだけおかしそうに笑いながら言う。

 莉音ちゃんの大きな瞳が、ゆっくりと潤んで。

 それから、甘いお菓子のようなふんわりした笑顔を浮かべて、

「……有難う」

 小鳥のような声で囁いた。

 ちょっぴりはにかんで笑っている様子が、可愛い。

 思わず頬が緩むのを感じていると、ぶっきらぼうな声が意地悪く、

「おい、全然話が進まないだろう。要件をさっさと話せ。私は神社に帰ってお稲荷さんを食べるのだ」

「相変わらず、食い意地だけは張ってるね」

「あんみつまで注文した貴様に言われる筋合いはない」

「何よ!出かける前もお稲荷さん食べてたくせに」

「あれは別腹だ!貴様が巫女衣装がきついと言っているのは、太ってきたからじゃないか?」

「違うもん!あんたこそ、姿を現さないのは、食べ過ぎてるからじゃないの!?」

「いい加減にしなさい」

 あたしと楼流様がいがみ合っているところに、冷たい空気が流れ込んでくる。

 京架が、穏やかな笑みを浮かべながら、妖怪に勝るとも劣らない冷気を放っていた。端正な顔に浮かぶ『にっこり』が、むしろ恐ろしい。楼流様も黙ってしまった。

 京架はわざとらしく溜息をつくと、長い茶色の髪をかき上げる。

「いつもいつもいつもっ、喧嘩ばかりして。一体、どこの誰と誰が話を止める原因になっているのか、わかっているのかしら」

 しとやかで優美な笑み。しかし、長い睫毛に縁取られた色素の薄い瞳は、いつもの穏やかな気象に似合わず、氷のようだった。

「ご、ごめんなさいっ」

「……悪かったな」

「それでいいわ」

 京架の謎の気迫に押され、頭を下げるあたしと楼流様に、満足げな笑みを向ける。

「ごめんなさいね、莉音ちゃん。お話、続けてもらえるかな?」

「うん、いいよ~!……あれ、何だっけ。妖精さんのお話?それとも、精霊さんとのお喋りのことだったかなあ?」

 無邪気な様子で、小首を傾げる。莉音ちゃんの癖らしい。

 可愛いけど、この不思議ちゃんっぷりはすごい。

 短気でひねくれ者の楼流様は、

「貴様あっ!私は時間がないと……」

「楼流様、私の耳、ちょっとおかしいでしょうかね?」

 京架の凄みのある笑みに、楼流様の憤る声がするするしぼむ。あはは、楼流様って意外と弱い~!

「琴にだけは言われたくない!」

「あ、わかっちゃいました?」

「はいはい、黙りましょうね底の一人と一匹。……ごめんね、莉音ちゃん。役立たずばっかりで。よかったら続き、話してくれるかな?」

 一瞬漂わせた黒いオーラをかき消し、何もなかったかのようにおっとりと微笑む。妹や弟がわんさかいるだけあって、京架は年下思いだ。その優しさは素敵だけど、あたしたちにも、せめて黒いオーラだけは出さないでほしい。

「えっと……どこまで話が進んだのかなあ?」

「……貴様が、お願いがあるって言いやがったところからだ」

「ああ、そっかあ」

 ようやく思い出したらしく、莉音ちゃんはポンと手を打つ。それから、ちょっぴり困ったような笑みを浮かべ、口を開く。

「実はね、楼流さんと同じような狐さんを見つけたの」

 莉音ちゃんが言った意味を正確に理解するのに、たっぷり十分くらいかかっただろうか。

 間抜けな形でポカンと開いた口を動かし、ゆっくりと尋ねる。

「莉音ちゃん、狐見たの?」

「うん」

「楼流様以外で?」

「うん」

「本当に?見間違いとかじゃないよね?」

「うん」

「み、見間違いだったら許さんぞ」

「見間違いじゃないよ~」

「莉音ちゃん、それ、山にいる狐だよね?」

「ううん、その狐さんより、遥かに大きかったもん。けれど、他の人には見えないし、縮こまっていて震えているし。楼流さんみたいな真っ白な毛並みじゃなくて、蒼みがかった銀色の毛並みで、ふさふさしてたの」

 邪気のない笑顔で莉音ちゃんは言った。その時、あたしの頭の中で、楼流様が息を飲んだのが聞こえた。

「そんなまさか……あいつなのか?だが、有り得ない。あいつのはずがない。しかし、そんな狐はあいつしか……」

 楼流様の低く滑らかな声に、明らかな混乱と動揺が混じる。根性曲がりの楼流様が、ここまでとりみだしたことは、見たことがない。

「楼流さん、あの狐さんのこと、知ってるの?」

「違う……そんなはずじゃ……。あいつが暴走なんてしたら……」

「楼流様?どうしたんですか?しっかりしてください」

 不安げに尋ねる京架の声も、今の楼流様には届いていないようだった。

 ただ、苦しげな声が頭の中に響く。

「違う、あいつじゃない……あいつのはずがない。違うはずなんだ……」

「……うるさあああああいっ!」

 イラッとしたあたしが叫ぶと、楼流様は黙り、京架と莉音ちゃんもびくっと震えた。

 全く、少しは根性見せなさいよ。

 姿は見えない、あたし達に乗り移っているはずの狐に、ビシッと言ってやる。

「あのねえ、そんなに気になるなら、見に行けばいいでしょう!楼流様は紅瑠神社の神様なんだよ。負けるはずないじゃん!」

 あたしが口を閉ざすと同時に、小さな沈黙が舞い降りて。

 ややあって、いつものふてぶてしい声が聞こえてきた。

「……当たり前だろう。私にかなうものなど、この世界には存在するものか。当たり前のことなんか言って、本当に琴は馬鹿だな」

「うじうじ言ってたくせに!」

「私は、単純なお前と違って、慎重かつ冷静で、どこまでも聡明なのだよ」

 お決まりの、自信過剰で傲慢な話し方。この話し方にはイライラさせられるけど、楼流様には一番ぴったりくる。

「……楼流様は、こうでなくちゃ駄目だよね」

 京架がふっと微笑む。

 楼流様は、威圧感を漂わせる低い声で、莉音ちゃんに問いかけた。

「その狐とやらがいる場所に案内しろ。私が確かめる」

 すると、莉音ちゃんは困ったような顔で小首を傾げた。さらさらの黒髪と赤いリボンが、一緒に揺れる。

「案内してあげたいんだけど……無理だと思うな」

「え、何で」

 思わず声を上げるあたしの目を、大きな黒い瞳がじっとのぞきこむ。そうして、淡いピンク色の唇が微かに開いた。

「だって……その狐さん、あそこにいるんだもん」

 莉音ちゃんの折れそうなほど細く白い指が指し示す場所は、鉄棒の背後にある巨大な銀杏の木。その黄色の葉の中を、迷うことなく指さす。

「え……ええ!あそこなのっ!?」

 あたしと京架の声が盛大にはもる。

 多分、驚いてもいいはずだ。木に登ってじっとしている狐なんて、少なくともあたしは見たことない。

 しかし、京架は別のことに驚いたらしく、

「莉音ちゃん、まさかあの木に登ったの!?」

「うん。あそこ、秋になるととっても綺麗なの。黄色のカーテンに包まれて、ほわほわしてる感じなんだ~」

「だ、駄目だよ莉音ちゃん!そんなことしたら危ないよ。怪我したらそうするの」

「大丈夫、慣れてるから~」

「そんなことに慣れちゃ駄目よ。琴みたいな馬鹿に育っちゃうよ」

「ちょっと、何であたしの名前が出てくるのよ!」

「琴が昔から木のぼりばっかりしてたからよ」

「それと馬鹿は関係ないし!」

「……おい、お前ら。完全に話がそれているぞ」

 楼流様が呆れたように突っ込みを入れる。

「あの木の中にいる狐とやらを見にいってくるんじゃなかったのかよ」

「……あ、そうでした」

「そうだったね」

「えへへ、忘れてた~」

「全く……。じゃあ、琴と京架は、あの木に登れ。そうしないと私が見れない」

 そういえば、楼流様はあたし達に乗り移っているんだっけ。見えないのが普通だから、ついつい忘れてしまう。

「じゃあ、行くよ!京架」

「え……その……」

 あたしが声を張り上げた途端、京架はうつむいてしまった。ピンク色のハーフコートを、困ったようにいじる。

 その様子に、すぐにピンときた。

「そっか!京架、木登りできないんだっけ」

「う……」

「京架お姉ちゃん、できなかったんだ。でも、気にすることないと思うよ~」

 莉音ちゃんの無邪気なフォローに、余計に気を悪くしたようだ。

 京架が怒りださないうちに、さっさと登ってしまおう。

 動きにくい巫女装束のまま、助走をつけて思いっきりジャンプし、一番手近で頑丈そうな見木にぶら下がる。

 後ろで、歓声なのか悲鳴なのかよくわからない声が上がった。楼流様も、驚いたように

「おい、何だそれは!もっとまともな登り方はできんのか!」

「だって、面倒くさいんだもーん。」

 楼流様の抗議を無視して、するする登って行く。

 だいぶ上の方まで来ると、

「それくらいだよ~!葉っぱかきわけて、中入ってみて」

 莉音ちゃんが呼び掛けた。言われた通り、黄色の銀杏の葉をごそごそかき分けて中に進む。

「妖怪の匂いがしない。どうしてだろう……」

「楼流様の鼻が鈍ってるんじゃない。でも、結構銀杏の中って綺麗だね」

 柔らかな黄色の葉が重なり合い、わずかに指しん込んでくる光の中で、ほの暗く輝いている。ギラギラでも、キラキラでもない光。まるで、神秘的なベールのような美しさだった。ここに住んだら、のんびりゆったり、過ごしていけるだろう。落っこちる心配さえなければの話だが。

「おい……あれ、何だ?」

「ん?」

 上を見上げると、青と銀色を混ぜたような、蛍のような淡い光が見えた。いや、蛍よりも大きい。柔らかな光に交じって、ふさふさした細い毛が垣間見える。

 楼流様が低く唸る。

「もしかして、あれか?」

「う~ん、そうかも。行ってみるよ」

 銀杏の葉を軽くかき上げ、巫女装束の袖を肩までまくると、細い枝を掴む。ぐっと力を込め登って行くと、淡い光が徐々に強くなっていく。

 ちょうど同じくらいの高さになった時……唖然とした。

 銀杏の木の枝がゴムのようにねじ曲がり、ベッドのような形になっている。その木の中に敷き詰められているのが黄色の銀杏の葉。

その上で丸くなっているのは……狐だった。

想像していたよりは小さい。そして、しっぽがやたらと長い。

蒼みを帯びた銀色の長い毛が、月光のように輝いている。大きな耳、閉じられた目、小さな息使い。どうやら、この狐は眠っているようだった。

「綺麗……。楼流様、どう?この狐に見覚えある?」

 目の前で眠る狐を見ながら、あたしに乗り移っている狐に尋ねる。

「そんな……。本当に、本当に……」

 低く掠れた声。

 もしかして、楼流様は……。

「れい……しゃ……」

 楼流様が呟いた、その時。

 目の前で眠る大きな狐の耳が、ピクリと動いた。同時に、狐の体が、ゆっくりと起き上がっていく。

「わ……ちょっと、楼流様どうするの!?」

 ……応答なし。どうやら楼流様は、(おそらく)ほうけているらしい。

「楼流様ってば!」

 あたしが声を荒げた瞬間、頭の中に、楼流様とは別の声が聞こえた。

『……楼流?……れは、に……げ……』

 ノイズが多すぎて、上手く聞き取れない。

「楼流様、この声誰!?」

「……何が?聞こえないが」

 楼流様が不思議そうに言う。じゃあ、あたしだけに聞こえている?

『……のう。でん……がこの……を。堕ちて……』

 ノイズ交じりの声は続く。それと一緒に、目の前の狐がゆっくりと立ち上がり、頭をもたげた。

 蒼みを帯びた銀色の毛並みが、更に輝く。立ち上がると、あたしよりも大きく迫力がある。

 楼流様が、息を飲んだのが聞こえた。

 目の前にそびえたつ狐が、目を開く。星のような凛とした銀色の瞳が、じっとこっちを見つめた。


『逃げろ』


 頭の中で、はっきりと「逃げろ」と聞こえた瞬間、銀色の狐が低く唸った。

 あたしの危険信号が赤に変わる。

「逃げろ、琴!」

 楼流様が叫んだ時、狐が勢いよく飛びかかってきた。

 何とか避けるも、ここは銀杏の木の上。足場のないことに気がついた時には、狐もろとも真っ逆さまに落ちていた。

「ぎゃあああああああああああああっっ!!!」

「うるせーよ琴!もっとまともに叫べ!」

「だってだってだって!」

 叫んでいる間も、体は重力に従い落ちていく。相当高い場所から落ちたらしい。

 京架と莉音ちゃんが、恐怖に歪んだ表情で、あたしを見つめる。

「琴、妖力を全開にしろ!」

「え!?」

 切羽詰まったような楼流様が、必死に叫ぶ。

「解放するんだ!そうすれば、少なくとも着地できる!」

「わ、わかった!」

 落ちていく感覚と風を切っていく鋭い音に心が乱れ、集中できない。

 それでも、死ぬわけにはいかない!

 ギュッと目を閉じ、全身に力を込める。

 リミッターをかけていた膨大なエネルギーが全身を回り始める。

「目を開けろ!」

 楼流様の声を合図に目を開くと、まず視界に入ってきたのは陽炎のごとく揺らめく白い炎。

「上出来だ!そのまま、柔らかく着地するイメージを浮かべろ!」

「無理だよそんなの!」

「じゃあ死ぬか!?」

「やりますよっ!」

 長いこと喋っている割には、まだ地面と激突しない。

 大丈夫。きっと、大丈夫。

 大きく息を吸い込むと、頭の中で落ちていく速度が下がり、軽やかに着地する様子を思い浮かべる。

 スピードが落ちる。無事着地。

 スピードが落ちる。無事着地。

 スピードが落ちる。無事着地ぃぃっっ!

 必死で唱えていたその時、ふわりと風に包まれたように感じて、

「って、あれ……?」

 いつの間にかスピードがゆっくりになって、羽が舞い降りるように、軽やかに着地した。

 というか、逆さまに落ちてたよね?何で足で着地?

「突っ込みどころ、そこじゃないだろ!」

 楼流様の声が頭の中で反響する。その時、背中に重みを感じ、京架と莉音ちゃんにギュッとしがみつかれていた。

「もう馬鹿っ!心配したんだからぁ……!」

 泣きそうな顔をして、京架が軽くあたしの頭をたたく。莉音ちゃんも青ざめたまま、

「怖かった……よ」

「……ごめんね」

 安堵のため息とともに、そっと囁く。

「琴お姉ちゃん、狐さんになれたんだね」

 まだ少し顔色が悪い莉音ちゃんが、不思議そうにしっぽを引っ張る。そして、今おかれた状況に気がついた。

 銀色の狐も無事着地していて、無機質な銀色の瞳がこっちの様子をうかがっている。

「京架も、妖力を開放しろ。莉音は怪我をしないように、隠れているんだ。……あいつは、あの時の私と同じく、我を忘れている」

 楼流様の低くなめらかな声が、微かに震えている。

 あたし達の間に緊張がはしる。

「あの狐、何者!?」

「……私の後輩だ。名前は零紗れいしゃ。おそらく、妖界から堕ちてきた」

 楼流様の後輩だと聞き、ドキッとする。

 珍しく張り詰めた表情の京架は、すでに妖力解放の姿で尋ねる。

「私達、どうしたらいいのですか?他の人がやってこないとも限らないし……」

「それなら大丈夫。私、ここで他の人と会ったことないもん。私の秘密基地なの」

 黒目がちの瞳を柔らかく細め、莉音ちゃんはにっこり笑う。はっきり言って窮地の場だったけど、莉音ちゃんの笑顔で少し落ち着いた。

 楼流様は、いつもよりも更に低い声で、

「零紗を捕獲する。どうなるかはわからないが、取り合えず紅瑠神社に連れていくことにしよう。あそこなら神主のじじいがいるだけだから、普通の人間にも被害は及ぶまい」

「わかりました。しかし、方法は?」

 目の前でじっとあたし達を見つめる狐を警戒しながら、京架の素朴な疑問に

「京架は結界を張れ。お前は私の精神エネルギーを受け継いでいるから、念じるだけでオーケーだ。琴は私の身体エネルギーを受け継いでいるから、京架の結界の中で力づくでも捕獲しろ」

「え、無理」

「……やれ。やらないと殺す」

 楼流様の声にドスが加わる。ヤクザ顔負けの迫力だ。声だけなのに。

「わかったよ、やればいいんでしょ、やれば。莉音ちゃんは避難していて」

「うん、わかった。一生懸命応援してるよ!」

 莉音ちゃんは、手を握りしめて一生懸命言う。……可愛いけど、あまり役に立たないような。でも、可愛いからいいか。

 楼流様の声が、始まりの鐘のように強く響く。

「結界と念じろ、京架!」

「了解です!」

 風に乱れる狐色に染まった髪を払いのけ、黄金色の光が舞い散る中、薄い唇を開く。

「結界!」

 京架が叫んだ途端、透き通るような金色の壁が四つ現れ、空からも金色の幕が蓋のように降ってきた。

 試しに金色の壁に触れると、強い電流に攻撃された。これなら、出れないだろう。

「念じるだけでいいって言ったのに……」

 楼流様が不満そうにぼやく。

「いいじゃない、成功したんだから。……さて、あたしの出番だね」

 高鳴る鼓動とは裏腹に、あたしは不敵に笑って見せた。今まで微動だにしなかった狐が、低く体制を取っている。

「がむしゃらでもいいから、拘束しろ。失敗したら殺す」

「だから、何でそこで殺すって単語が出てくるの!?」

 あたしが叫んだのが合図とでもいうように、狐が飛び出す。

「アホーーーーーーーーーーーー!!」

 楼流様の罵声がガンガンこだまする。滅茶苦茶迷惑……。

 うるさい声に顔をしかめていると、狐が前足を上げ、引っ掻こうとする。ぎりぎりでかわし、体制を整える。そのわずかな間に、またしても狐が飛びあがり、体当たりしてきた。

「うっ!」

 正面からまともに食らい、鈍い痛みと共に倒れこむ。その勢いで頭を打ったらしく、目の前で火花が散った。

甲高い悲鳴が上がる。

眩暈と吐き気に襲われ、気が遠くなる。頭を打っただけなのに……。

「おい、琴!大丈夫か!しっかりしろ……」

 頭に直接響いてくる声が、ギリギリのところであたしの気力を引っ張りだした。

 そうよ、負けてらんない。このあたしが、負けてたまるもんですか。

 有りっ丈の力を振り絞って立ち上がる。ぼやける視界の中に、低く唸る銀色の狐の姿だけがはっきりと見えた。

 言葉が通じるかどうかわからない狐相手に、ニヤリと笑ってみせる。

「さっきの体当たりでこのあたしがやられるなんて思ったら、大間違い。やられた分、やり返させてもらうっ!」

 妖力解放で得たエネルギーを脚に流し込み、結界ギリギリまで飛びあがり、狐の胴体を蹴り飛ばした。

 狐の体が金色の壁にぶつかり、悲鳴にも似た咆哮が轟く。

「零紗!」

 泣きそうな声が響く。楼流様の悲痛な叫びに、良心がズキッと痛む。けれど、止まってはいられないから。

 転がる狐の体にとびかかり、力いっぱいしがみついて拘束する。

 低いうなり声を上げ、狐は暴れて逃げようとする。

「楼流様、もたない!拘束続かない!」

「……ちっ!京架、零紗の周りに結界を張れ!」

「はいっ!」

 楼流様の指示が飛び、京架が結界を張る。その途端、狐とあたしに薄い金色の壁が現れる。狐が暴れる隙がないほどの結界だ。

「……有難う、京架」

 ぐいぐい締め付けられる結界と共に、狐を押さえつける。しかし、諦めたように、狐は動かなくなった。銀色の瞳はガラス玉のようで、何も映していない。

「……零紗」

 人形のようになった狐に、楼流様がそっと話しかける。

「なあ、聞こえているんだろ?返事くらいしろよ。それとも、私の声すら判別できないのか?」

 楼流様の声が聞こえているのか、否か。しかし、零紗と呼ばれる狐に変化はない。

 京架と莉音ちゃんもやってきた。

「楼流様、どうですか?」

 京架が心配そうに尋ねるが、楼流様は何も言わなかった。

「あたしに体当たりしてきた時の元気はどこに行ったのよ!」

 あたしが怒鳴ってみても、何も変わらなかった。

 あたしの手に触れている滑らかな毛の感触も、温かさも本物なのに、まるで人形のような……。

 ふいに風が吹き、銀杏の葉が腹莉はらりと舞う。狐の銀色の瞳が、見るでもなくそんな様子を目で追う。

 そんな沈黙の中に、少しあどけなく澄んだ声が響き渡った。

「狐さん」

 決して強くはない、柔らかな声に、狐の顔つきが明らかに変わった。

 鋭い銀色の瞳に、確かな光が宿る。

『洗脳が……終わった……』

 ややノイズ交じりの低い声が脳裏に直接響いた、その瞬間、真っ白な光が辺りを包んだ。

 強烈な輝きに、思わず目を押さえる。


『目を開けなさい』


 突然聞こえてきた、鈴を転がしたような声にハッと目を開ける。

 さっきと同じように白い光が辺りを覆っているけど、もう眩しくはなかった。

 あたしを優しく包み込むような光の中で、紅い花びらが舞い散っていた。

 そして、白い光と紅い花びらの中に、溶け込むように佇む少女。

 艶やかな黒髪を腰のあたりで切りそろえ、切れ長でどこか鋭い瞳に紅い唇。紅の地に白い花が散った着物からわずかにのぞく白い肌が輝いている。

 人とは思えないような美しさを持つ少女が、妖艶な微笑みを浮かべた。

「人間の巫女でありながら、妖狐・楼流から身体エネルギーを受け継いだ娘がいるって話は聞いてたけど、君だったんだね」

 少女の声は、どこまでも鈴のように、白と紅の空間に響く。

 明らかに謎な少女に、あたしは思い切って尋ねた。

「あなたはだれ!ここはどこなの!みんなはどこに……」

「ちゃんといるわよ。場所だって、さっきとほとんど変わってないわ」

 妖艶な微笑を崩すことなく、淡々と答える。

「じゃあ、これは……」

「あたし、君を代表で呼んだんだ」

 少女の凛とした瞳が、あたしの目を捉える。

「……代表?」

「ええ。だって、この耳とか可愛いし」

 そんな声が聞こえたかと思うと、距離を挟んで喋っていたはずの少女が、すぐ傍に来ていた。ギョッとするあたしに構うことなく、変化した時の狐耳を撫でる。

「わあ、ふわふわだね」

「そんなことどうでもいい!代表って何!?」

 少女の手が、止まる。少し考え込むようなしぐさを見せた後、

「う~ん、上手く説明できないな。でもね、これだけは言える。君と、京架ちゃんは、いい巫女さんになる。今日会ったばかりの赤いリボンの女の子も、一緒にやったらいいよ」

「何でそれをっ!」

 あたしと京架のことだけでなく、莉音ちゃんのことも知っている?

「よく、あの男の精神を正常に戻せたわね。この世界のせいで狂い続ける妖怪は、多いのに」

少女の紅い唇が動き、謎の言葉をつづっていく。

「まあ、楼流を正気に戻せた時点で、合格。君達がいるなら、もう一度あそこに戻ってもいいかな」

「……はあ。あそこって何?そもそも、楼流様を知ってるの?」

「そうだね。あたしも人間ではないから」

 突然の言葉に、ドキッとする。

 人間じゃない?そんな……。

 しかし、他の生物には全く見えないのに、この少女は確かに人間とは思えなかった。

「じゃあ、妖怪なの?」

 少女がきょとんとする。

「あたしが妖怪に見える?」

「……見えない」

「よかった。あたしは妖怪じゃないから。もちろん、人間でもないけどね」

 自嘲するように、笑う。

 妖怪でもなく、人間でもなく。じゃあ、一体何?

 あたしの頭じゃ推測不可能のようだった。

「妖怪でも人間でもないなら、何?」

 あたしの問いかけに、一瞬迷うように目を伏せ、少女は再び微笑んだ。

「あたしもよくわからない。けど、この世界で一番聡明で、残酷で、愚かな生き物よ」

 鈴の音のような声が、微かに震える。

 あたしが、それを何とか否定しようとした時、再び目が眩むような光に包まれた。

「あ……もう、タイムリミットか。残念」

 少女の姿は見えない。声だけが頼りなのに、それすらも遠のいていき、雑音が混じる。

「待って!まだ、聞きたいごとが……」

 闇雲に手を伸ばす。あたしの手は当然、届かない。けれど、ノイズ混じりの少女の声が返ってきた。


『また、会おうね』


 その声を聞いた途端、体中の力が抜け、意識が途切れた。




「……こと。琴!しっかりして!」

 甘く優しい声が、耳元で聞こえる。ついで、透き通るような声が叫ぶ。

「琴お姉ちゃん!」

 柔らかな美声が、子守歌のようにあたしの眠気を増幅させる。

 もう少しだけ……寝たい……。

「起きろおおおおおおおっっ!」

 鼓膜が切れそうなほどの大音量の叫びに、あたしの眠気は吹っ飛んだ。

「うわああああああああああああっっ!?」

 慌てて飛び起きると、目の前であたしを睨みつける一人の美人がいた。

「……あれ。あたし、どうなったんだっけ」

 腕を組み、ぼんやりする頭を懸命に働かせる。確か、さっきまで紅い着物の女の子と喋ってたんだよね……。

 どうやらあたしは、ベンチで寝ていたらしい。戻ってきたのだろう。

 傍らには、安堵したような表情の京架と莉音ちゃんがいた。

「……そういえば、楼流様とあの銀色の狐は!?」

 慌てて叫んでも、いつものように低く滑らかな声が頭に響いてはこなかった。そしてふと、見知らぬ男女に目がとまる。

「あ、あんた達、誰よ!楼流様と銀色狐はどこ!」

 見知らぬ男女が顔を見合わせ、ニヤリと笑う。

「まあ、オレのことは知らなくてもしょうがないかな。一応、その銀色狐とやらなんだけど」

 背の高い男は、悪戯っぽく笑いながら言った。

 ふざけんなとののしろうとした時、男の頭に目がとまり、驚愕する。

 灰色のパーカーと黒いジーンズという、ラフな服装から伸びるしなやかな手足。短い髪は艶やかな銀色で、同じく銀色の瞳は野性的な鋭さを感じさせる。二十歳前後と思わしき容姿だ。

そして……その銀色の髪には、微かに蒼みがかった銀色の狐耳。因みに、耳と同じ色のしっぽも生えている。

 あまりの現象に呆然とするあたしに、銀髪の男は

「そんなに驚かなくてもいいと思うけど。君だって、白い狐耳に白いしっぽがあるじゃないか。……しっぽは若干、黒いけど」

「そんな細かいこと、どうでもいいだろ。このアホが」

 青年を罵倒するつり目の美人の声に、あたしはさっき以上にギョッとした。威圧感のある、低く滑らかな声。

「……何で、楼流様の声が?しかも、普通に聞こえてくる……」

 助けを求めるように京架を見ると、微かに苦笑している。一方、莉音ちゃんは、無邪気で純粋な満面の笑み。

 あたしは、尊大な目つきで睨んでくる女性をじっと見た。

 流れるような見事な白髪と、その髪に負けないくらい真っ白な肌。作り物のような整い過ぎた顔立ち。その中で、特に際立つ翡翠のような緑色の双眼。

 冷たい秋の風に青いフレアスカートを揺らす女性は、やはり青年と同じように、真っ白な耳としっぽがあった。

「……もしかして、楼流様?」

「ああ、そうだ。よくわかったな」

「冗談で言ったんだけど……」

 あでやかに笑う白髪の美人に、あたしはがっくり肩を落とす。

「じゃあ、そこの銀髪は……」

「ご察しの通り、先ほど止めていただいた零紗です」

 零紗と名乗る青年が、楽しそうに言う。

 疑問があり過ぎて、何から尋ねたらいいか、わからないんだけど。

 現実逃避するように銀杏の木をしばらく眺め、溜息をつく。結局、現実逃避したって何にも始まらないから。

 あたしは半分諦めながら、四人に笑みを向けた。

「よかったら、説明してくれる?」



「……というわけなの。わかった?」

 何度聞き、答え、考えては再び聞くという作業を繰り返したかわからない。それほど質疑応答をして、ようやくあたしは頭の中を整理することができた。

 この四人の説明係曰く、あの白い光が消えた後、あたしは何故か気絶していたらしい。

 一方、楼流様と零紗さんが、狐から人間(もどき?)に姿を変えるのを見ていたそうだ。

 楼流様は何度か京架に取りついてもとに戻ろうとしたけど、失敗したらしい。

 そうして、今に至る。

「つまり、楼流様と零紗さんはそのコスプレみたいな恰好から戻れないと」

「巫女装束+狐耳にしっぽのコスプレの極みみたいな貴様に、言われる覚えはない」

「え、それ褒め言葉?」

「罵倒しているのがわからんのか、この万年ボンクラ野郎!」

 楼流様は迫力のある緑の瞳で、こちらを睨む。

 それをなだめつつ説明するのは、もちろん京架。

「まあまあ。……でも、琴の言う通りよ。楼流様と零紗さんは、戻れなくなったみたい」

 予想していたとはいえ、頬が引きつるのを感じた。

 楼流様はまだいい。今までどおり、紅瑠神社にこもっていればいいだけの話だ。

 しかし、零紗さんは元の世界に帰れない。そもそも、二人の姿が元に戻らないのが大きな問題だ。

 あたしは、みんなに言われるほど馬鹿じゃないと思うけど、数学のプリントを並べられた時みたいに頭が痛くなった。

 京架も顔をしかめ、考え込んでいる。

 当のご本人達(特に零紗さんが)かなりどうでもよさそうに世間話をしているのが、妙に腹立つ。というか、零紗さんは自分がどうなるか、心配じゃないの?

 その時、涼やかであどけない声が耳を打った。

「ねえ、思ったんだけどね」

 優しい声の主に、みんなの目が集まる。

 莉音ちゃんはほんのりと頬を染め、さらさらの黒髪を風になびかせながら、囁いた。

「楼流さんと一緒に、零紗さんも神様やったらどうかなあ?そうすれば、一緒にいられるでしょう?」

 莉音ちゃんの声が、秋の風に溶けていく。舞い散る銀杏の葉が、陽光に柔らかく輝いた。




 涼しい秋の風に、落ち葉が踊る秋の午後。

 紅瑠神社に、明るい声が響き渡る。


「ふう……今日も、結構来たね~」

 ハンカチで汗をぬぐい、一息つく。火照った頬に、冷たい風が心地よい。

「でも、それはいい兆候よね。今まで全然人が来なかったんだから」

 あたしの隣でお守りやお札の売り上げをチェックしながら、京架は笑った。

 赤い鳥居の方に目を向けると、巫女装束姿の莉音ちゃんと、黒い袴姿の楼流様と零紗さんが、新たに来た参杯客を向かいいれたところだった。

 あの事件から一ヶ月、もうすぐ冬の始まる頃。あたしは今日も紅瑠神社で巫女をやっていた。

 特に変わったことのない毎日。平和で優しい日常。

 けれど、その中で確実に変わったことがある。

 あの後、紅瑠神社に戻り、神主さんに事情を説明した。

 あの時の神主さんの顔は、カメラで撮っておけばよかったと思うほど面白かった。

 しかし、普段なら厳格な神主さんだけど、神様が増えることには問題ないと思ったのか、零紗さんを向かいいれることにした。因みに、莉音ちゃんも巫女になった。

 まあ、それくらいならあまり変わったとは言わない。紅瑠神社のおんぼろ加減は相変わらずだから。

 決定的だったのは、参杯客が増えたことだ。

 三ヶ月に一人か二人繰れば儲けもの、という貧弱な神社だったのが、一日にし五人に格上げされた。

 楼流様が外に出たいと言ってきかず、まあいいかと外に出したところ、たまたま参杯客が訪れたのがきっかけだ。もちろん楼流様にはふさふさの白い狐耳にしっぽがある。参杯客に見られた時は、寿命が縮まる思いだった。

 しかし、その人は楼流様がコスプレでもしていると思ったのか、怯えるどころか感激してしまい、それがたちまち広まって参杯客が増えたというわけだ。

 今では、あたしも妖力解放(蒼い炎だけ消してある)状態で、京架と莉音ちゃんもどこからか買ってきた狐耳をしっぽを装着している。

 目まぐるしく変わっていくようで、しかし穏やかな時間をぼーっとしながら思い出していると、流下を立てている湯のみと、栗むし羊羹が目の前に置かれた。

 神主さんが穏やかな笑みを浮かべて、立っていた。

「お疲れ様。今日は大変だったからのう、少し休憩にしよう」

 神主さんにしては珍しく気がきく。何気ない言葉とお茶菓子のおかげで、ちょっぴり頬が緩むのを感じた。

「有難うございます!」

 京架も何気に嬉しそうだ。

 神主さんは、鳥居のところで参杯客を見送る三人の元へ行く。

 早速、羊羹に楊枝を突き刺し、口に入れた。

 甘く上品な味わいと、ほっくりした栗が絶妙。疲れた体の最高の薬だ。

「美味しい!」

 思わず叫ぶと、京架がクスリと笑う。

「うん、美味しいね。でも、琴みたいに幸せそうに食べているのを見ると、こっちも嬉しくなっちゃうなあ」

 いつものおっとりした優しい笑みで、囁く。

 やっぱり、京架の笑顔は落ち着くな。……怒った時は怖いけど。

 接客業(?)に当たっていた三人も、神主さんと一緒に戻ってきた。

「ご苦労様です」

「そっちもお疲れ様。オレは居候の身だし、そんなに疲れてないよ」

 零紗さんは爽やかな笑顔で首を振る。しかし、あたしからすると、居候の身と疲労は関係ない……と思う。

 まあ、零紗さんなりの遠慮なんだろう。

 一方、遠慮の「え」の字もない楼流様は、相変わらずのふてぶてしい態度で不満を述べる。

「何でお稲荷さんがないんだよ」

「文句言うなら食べなくてもよいのじゃ」

「私は紅瑠神社の神なのに、その態度はどうなんだ?」

「……楼流様よりも、零紗様の方がよっぽど素晴らしい」

「何だとこのくそじじいっ!」

 楼流様が啖呵を切り、神主さんがお茶をすすりつつ応戦する。

「羊羹って、溶かして川に流すと、綺麗な夜空になるんじゃないかなあ?栗も入ってるから星みたいだしね。七夕の日にやれば、織姫様と彦星様にも会えるかなあ……?」

 羊羹に楊枝をさしながら、不思議ちゃん全開でにっこりするのは莉音ちゃん。羊羹が何故夜空になるのかはよくわからないけど、純粋で無邪気な様子は妖精並みに可愛い。

 時々罵声が飛び交う以外は、とても和やかな休憩時間。あたしが洋館もお茶もすっかり寛恕くした時、零紗さんがピクリと狐耳を揺らした。そして、スッと立ち上がる。

「どうした、零紗」

「……さて、何でしょうかね」

 銀色の瞳をギラリと光らせ、意味深な笑みを浮かべる。

「私はお前の先輩だぞ。少しは敬え」

「あたしは、こんなのが先輩な零紗さんの方が可哀想」

「私も零紗さんが可哀想だと思うの~」

「お、琴ちゃんと莉音ちゃんはよくわかってくれてるね」

 楼流様のこめかみに青筋が浮かび、翡翠のような瞳がつり上がる。

「き~さ~ま~ら~!いい加減にしやがれ!」

「落ち着いてください!」

「本当に騒がしいのう」

 京架と神主さんがそろって溜息をつく。

 ワイワイ騒ぐいっこうに、零紗さんはニヤリと笑みを浮かべ、

「ちょっと用事があってね。すぐ戻るよ」

 しっぽを揺らし、軽やかな動きで去っていった。

 あたし達は顔を見合わせ、お互いはてなマークが浮かんでいるのを確認する。

 零紗さんは、お茶と羊羹を残してまで、どこに行ったのかな……。




 紅瑠神社から近くの森にひっそりと咲く紅い花と、紅い着物姿の少女。少女の姿を確認すると、零紗は一人、笑みを浮かべた。

「やっぱり、君だったのか」

 風に揺れる黒髪を、透き通るように白い手がかきあげる。凛とした切れ長の瞳が、零紗の姿を捉える。紅い着物姿の少女は、妖艶に微笑んだ。

「こんにちは、狐さん。紅瑠神社は順調?」

「ああ、そうだね。それなりに人は来てるよ」

「そう、よかったわね。それで、あたしに何か用?」

 少女の瞳が鋭さを帯びる。しかし、彼はひるむどころか、銀色の瞳は更に輝いた。

「オレがこっちの世界で自分を失う瞬間、君は、助けようとしてくれたんじゃないか?」

 零紗の言葉を、少女は肯定も否定もしなかった。零紗は落ち着き払って続ける。

「オレが、こっちに堕ちた時、声が聞こえたんだよね。それと、君の気配も」

「……結局、あなたは暴走してしまったわ」

 以前の事件を思い出し、零紗は苦笑を浮かべる。

「うん、まあね。でも、あの時の君の気配は『異常』だった」

 少女の方が、微かに揺れる。風が吹き、艶やかな前髪が少女の表情を隠す。

 紅い花びらが舞いあがり、炎のように揺らめいた。

 やや間があり、少女が口を開く。

「妖怪ではないけれど、人間でもない。しかし、それらに『限りなく』近い」

 少女が、また肩を震わす。

「……あなたは、あたしの正体を確かめに来たの?」

「それが半分。それから、これからのことについて」

「これからのこと?」

少女が首を傾げると、零紗はニヤリと笑った。

「君、いつになったら帰ってくるの?」

少女の目が驚いたように見開かれる。

「何で、それを……」

「オレは、君の正体が大体のところわかっているからね」

 少女は困ったように目をそらす。

 風が吹くたび、紅い花びらが幻想的に揺らめく。

 ふいに、零紗は一面の紅い花に、そっと触れていった。

「これ、オレが落ちる瞬間まで見てた花だ。間違いない。これは、もともとは妖界の花なんだろう?」

 唐突な零紗の言葉にも、もう、少女は驚かなかった。

「正解よ。あたしが持ち込んだの。名前は朱月草」

「……シュヅキソウ?」

 少女はこくりと頷き、優雅に微笑んだ。

「さっきの質問に戻るけど、あたしが戻るかどうかは、あなた達次第ね」

「オレ達次第?」

「そう。あたしは、あなた達に望みをかけるわ」

 少女の妖艶な微笑に、零紗も爽やかな笑みを返す。

「君が帰ってくるのも、そう遠くはないはずだよ」

 零紗が宣言するとと、少女は嬉しそうに、そして可愛らしい声で囁く。

「その時を楽しみにしてるわ」




「遅い!零紗はどこいってるんだ」

 楼流様が綺麗な顔に不満そうな表情を浮かべる。

「まあ、確かに遅いですね」

「零紗さん大丈夫かなあ?」

 京架と莉音ちゃんも、ちょっぴり不安げだ。

 そこへ、飄々とした様子の零紗さん本人が返ってきた。

「遅いぞ!」

「ああ、うん。ごめんごめん」

 零紗さんが手を合わせて謝る。

 それから、何故かあたしの顔を見ると、真顔になった。

「な、何ですか」

「嫌、何でもないけど……紅の着物の女の子に、心当たりはある?」

 唐突な発言にドキッとする。同時に、気絶している間に出逢った、大人びた少女の姿が頭に浮かんだ。

「おい、何言ってんだよ」

 楼流様が零紗さんの頭をぽかりと殴る。

「いてっ!」

「……楼流様って相変わらず凶暴だなあ」

「でも、琴は今、何かを隠してるでしょう?」

 京架があたしの狐耳をつっつきながら、楽しそうに言う。

「な、何も隠してないよ!」

「ほら、慌ててる。白状しちゃいなさい」

 妙に大人っぽい、澄んだまなざしを向けられて、弱ってしまった。京架の「お姉さんの顔」には昔から弱い。

「え、なに隠してるんだよ!」

「楼流様には関係ありません」

「関係なくないよたぶん!」

「楼流、そこでたぶんはどうかと……」

「秘密って、宝箱の中の宝石みたいだね。琴お姉ちゃんの秘密はどの宝石なの?」

 京架だけでなく、(一応?)神様の二人に純真無垢な莉音ちゃんにまで聞かれると、さすがに折れそう……。

 危なくなってきたところで、ちょうどよく神主さんの声がとんできた。

「おーい、もう休憩時間は終わりじゃよ!そこで遊んでないで、さっさと働かんかい!」

「は~い!」

 助かった……。神主さん、珍しく親切だ。有難う。

 勢いよく駆けだすと、残念そうな声が聞こえてくる。続いて、追いかけてくる足音。

「ちょっと、待って!午後の勧誘係やポスター配りは、私と莉音ちゃんも一緒なのよ!」

「知ってる知ってる!ポスター取りに行ってくるよ!」

 大声で叫ぶと、京架が諦めたように、いつものおっとりした笑みを浮かべた。莉音ちゃんは楽しそうに手を振っている。

 零紗さんが楼流様をつっついて何か言うと、珍しく優しい笑みを浮かべていた。

 それぞれの笑顔を目に焼き付け、ポスターを取りに走りだす。

 本当は、あの女の子のことを言っておよかったけど、「夢の中のこと」にされて終わりになってしまいそうだったから、言わなかった。何となく、あの少女は「夢の中のこと」ではないような気がして。

 それに、莉音ちゃんの言うように、秘密があることが嬉しかった。

 口にしたら消えてしまうかもしれない、シャボン玉のような秘密。透明に、あるいは虹色に輝いて、くるくる踊る秘密。

 そんな秘密を胸に抱えてみたかったのかもしれない。

 そんなことを考えつつ、山と積まれたポスターを両手で抱えて外に出る。

さらさらと優しい風が吹き、あたしの髪や巫女装束を揺らしていく。

 ふいに空を仰ぐと、真っ青な空と真っ白な雲を背景に、紅の花びらが揺れていた。

 あれは、あの少女と会った時の花!

 目をごしごしこすってもう一度空を見上げると、もう紅い花びらはなかった。

 紅い花は消えてしまったけど、あたしの脳裏にはしっかり焼きついた。少女のことも、おそらく忘れないだろう。何だか、元気をもらえたような気がする。

「よし!今日も頑張るぞ!」

 青空に届きそうなくらいの叫びと共に、地面をけった。

 もしかしたら、今からそう遠くない未来、あの少女に会えるかもしれない。

 そんな、謎めいた予感がする。

 名前も知らない少女のことだし、確証はない。それでも、直感が「会えるよ」と告げている。

 それなら、自分のことを信じてみよう。

 あの少女と、もう一度会いたいから。色々聞きたいことがあるから。

 でも、今はみんなと仕事をしながら、その思いは宝箱にしまっておこう。

 色々と考えているうちに、自然と笑みがこぼれる。

 キラキラした、秘密とわくわくするような予感で胸をいっぱいにして、あたしはみんなのところに駆けていった。


「紅瑠神社の狐巫女!」、いかがでしたか?

かなりの駄文ですし、長くなってしまいました。

ここでこの小説の謎について、読者様に質問です。


琴が出会い、零紗が喋っていたあの少女は誰なのでしょうか?

何故、楼流様達は元に戻れなくなったのでしょう?

小説の最初に出てきた人は、いったい誰なのでしょうか?


作者なりの答えはありますが、ぜひ、解釈ということで感想で教えてください!

もちろん、それ以外の感想も大歓迎です!

因みに、謎の少女はこの話の中で若干何者なのか語られています。

(零紗との対話以外でも)

楼流様達の方は、予想してくれると嬉しいです。

最後に、リクエストしてくださった赦羅様、璢音様、有難うございました。リクエストがなければ、この小説は生まれていなかったでしょう。

非力ではありますが、少しでも楽しんでいただけたら、嬉しく思います。

そして、この章でつを読んでくださった皆様、本当に有難うございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 見ず知らずの奴ですが、初めまして。狐好きの正体不明です。 タイトルにホイホイされました。 自分は古来日本文化に興味が有る為、楽しみながら読めますた。面白かったです。 えー、初めて…
[良い点] なんかどんどん描写が上手くなってきてるなぁ… ↑上から目線だけどw あとはmanary特有?のギャグシーンが入ってるからシリアスにもなりすぎず読めたし。 なによりみんなに萌え要素があってよ…
2012/10/06 17:30 退会済み
管理
[良い点] 情景や描写が細かい所ですかね。特に「紅い花」については花弁が舞うシーンが多かったように思えます。それにより、全体的なイメージが紅へと統一されていました。それほど重要な花なんでしょうね。 […
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