ゆけむり探検の奇跡⑤
≪人物紹介≫
☆ 那智竜太郎 19歳
正統なる杜国主の長男、現在浪人、百万両の賞金首であるナチの竜
☆ 如月胡桃 19歳
宇都宮国東宮家老の長女、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人
☆ 阿倍蜜柑 18歳
古河国東宮用人の末娘、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人
☆ 大鳥虎之助 22歳
大鳥国主の三男、妾の子、現在賞金稼ぎ
☆ 板屋の伊万里 26歳
フタラ温泉宿、板屋の女将
☆ 中宮の神楽 17歳
二荒山神社中宮の末娘、巫女
☆ 望月華音 12年前=14歳
リュウタロウの世話係、杜の宮の巫女
☆ 望月雷蔵 12年前=50歳
カノンの父親、12年前の杜国主、元杜国家老
☆ 那智時継 18年前=37歳
リュウタロウの父親、正統なる杜国最後の当主
☆ 那智瑞羽 18年前=19歳
リュウタロウの母親、元杜の宮の巫女
☆ 大鳥錬龍 27歳
大鳥国主の長兄、竜の力を継承
☆ 朔心月 62歳
大鳥国の国家老、軍師
*ここでの歳は満年齢にて記載
*話が進むにつれ改定あり
【】
≪今から13年前、西国にある杜の宮≫
天に届くかと思われるほど垂直に伸びた大木が2本並んでいる、左右どちらの大木にも注連縄が巻かれているところからも、この大木が神の依り代であることは容易に知ることが出来る。
「こらー、リュウタロウー早く出てきなさーい、今すぐ出てこないとお仕置きだぞー、いーい十数える間に出てきなさい、いーち、にーい、さーん…」
声を張り上げ数を読み上げる少女がいた、年の頃は13・4歳だろうこの少女は長い髪を後ろで1つに束ね、白い小袖に緋袴という、いわゆる巫女の装束を身に着けていた。
「わかったからー、数えるのやめてー」
と言う返事は、遥か上空から返ってきた、巫女装束の少女が見上げた先は高さが百尺(約30m)もあろうかという高野杉である、その天辺をよく見ると小さな人影が見えた。
「この罰当たりー、キミってヤツは性懲りもなくまたご神木に登ったりして、何度言えば分かるのさ」
まるでサルの様に、大木をするすると滑り下りてくる少年に対して、巫女装束の少女が怒鳴りつけた。
少年が下りてきた大木は、注連縄が巻かれた2本の高野杉の1本である、もちろん注連縄が巻かれたこの場所は神域であり、2本の大木の奥には立派なお宮が鎮座していた。
「そんなこと言ってないで、カノンねーちゃんも登ってみなって、スンゲー見晴らしなんだからさー、北には西京のお宮があるし、東のずーっと先にはサクヤのお山が見えるでしょ、そんで西には王の墓があってさー、南には大海原だよー、すっげー気持ち良いんだぜー」
リュウタロウと呼ばれた少年は、東西南北を指差しながら満面の笑みを称える。
カノンと呼ばれた少女はつかつかとリュウタロウに歩み寄ると、
「イッテー、…何すんだよー」
リュウタロウの頭に拳骨を喰らわせた、涙目のリュウタロウは頭を押さえながらカノンを睨む。
「そんな見えすいた嘘をつく前に、言うことがあるでしょう」
カノンは人差し指をリュウタロウへと突き指すと説教した。
「嘘なんかついてねーよ、オレは本当に見えたんだってー」
リュウタロウは殴られた頭を撫でながら、必死に訴えた。
「キミは、私が、こーんなにも優しく言っているのにー、まーだ分からないの・か・し・らー」
カノンは握り拳を自分の顔の前に掲げ、不敵に微笑む、
「分かった、分かりましたー」
リュウタロウは両方の手を広げて目の前に突き出すと、首を左右に大きく振った。
「大切なご神木を、足蹴にしてしまい深く反省してます、どうもすいませんでしたー」
リュウタロウは背筋を伸ばし姿勢を正すと、深々と頭を下げた。
「私にあやまってどうするのよ、あやまる相手が違うでしょう」
カノンは優しい笑みを浮かべてリュウタロウを諭す、
「どうもすいませんでしたー」
リュウタロウはご神木に向って頭を下げた。
「よろしい、それじゃー帰るわよ、キミが逃げたぶん私もとばっちり受けているんだから、帰ったらみっちりと勉強してもらうからね、今夜は徹夜になるけど覚悟しておきなさいよー」
そう言うカノンはさっさと先を歩いた。
「またよろしくな」
リュウタロウはご神木を『ポンポン』と叩きながら言った、先を歩くカノンは横目にその光景を見ていた、カノンの顔が優しく笑った。
≪杜の国≫
杜の国は山に囲まれた盆地に城を構えており、国の中心は城から放射状に山林まで続く城下町である、国土は多岐に渡っているがその多くは山を切り拓いて造った田畑であり、杜の国の東側を流れるクマソ川沿いに海まで続いていた。
リュウタロウは普段、杜の城の天守閣から一町(109m)ほど南にある朱雀殿で生活していた、
「リュウタロウ、キミは自分の立場というものがまったく理解出来ていないようね、キミは将来この杜の国の主に成るのよ、それはつまり私のご主人様でもあるの、それなのにキミっていうヤツはいつまでたっても自覚に欠けるっていうか、無頓着っていうか、どうしてそうのほほーんとしていられるの」
カノンは薙刀を右手に持ち、襷を掛け鉢巻きを額に巻いていた。
戦国の世が過ぎ90年も経とうというのに、杜の国では剣術・槍術・弓術・柔術・馬術・砲術という武芸を重んじていた、カノンは宝蔵院流槍術をよく学び、リュウタロウは神道無念流剣術を学んでいた。
「あのさー、カノンねーちゃんは焦り過ぎだって、オレはまだ7歳だよー国の主だって言われても、なんも実感もてるわけないっしょー」
朝の稽古を終え、剣術道場から帰ったリュウタロウは昼餉をとると文字の読み書きを習う、それが終わると今度はカノンによる薙刀が相手の剣術稽古となる、少年期のリュウタロウは毎日が多忙な教育を施された。
「何を言ってるのよ、もう7歳でしょう、キミが国主に成るまでにはたったの5年しかないのよ、それなのにまーだこんなことを言っているようでは先が思いやられるわ」
カノンは深いため息をつく、
「たったの5年じゃなくてさー、まだ5年もあるって思えないのかねー、それにオレが元服してすぐに国主にならなくったって、今まで通りにカノンねーちゃんのとーちゃんが国主をしてればいいじゃん」
リュウタロウは床にひっくり返って手足を大きく伸ばす。
「ねぇリュウタロウ、前にも話したと思うけど、私の一家はあくまでも国主を代行しているだけなのよ、この杜の国の主は那智なの、リュウタロウの一族が代々杜の国を治めてきたのよ」
カノンは寝ころがるリュウタロウの脇に座り、リュウタロウの顔を覗き込んで力強く言う、
「なにが那智の一族だよ…、一族なんていったってたった1人じゃん、オレを残してみんな死んじゃったじゃないか、たった1人で那智を名乗って国主になってもみんなに迷惑なだけだよ」
リュウタロウはカノンの視線から逃れようと、うつ伏せになった。
「そんなふうに言わないで…」
うつ伏せで駄々《だだ》をこねるリュウタロウを見つめるカノンは、大粒の涙を止め処め《ど》もなく零した、
「な・なんだよ、なんでカノンねーちゃんがそんなに泣くんだよ、オレはべつにねーちゃんを責めるつもりじゃなくて、みんなの気持ちを考えて言っただけで…」
カノンはあふれ続ける涙をそのままに、リュウタロウの頭を抱きしめた。
「もう何も言わないでいい、分かっているから、キミはそんなことが言いたいんじゃないよね、ごめんね押し付けてばかりで」
カノンは両手でリュウタロウを包み込む、
「おねーちゃん、ボクは…」
カノンの胸に顔をうずめて呟く、
「うん、みんなリュウタロウのことが大好きよ」
リュウタロウの耳元で囁いた、
「うん、ボクも」
リュウタロウはカノンの胸の中で小刻みに震えていた。
≪12年前、杜の国≫
この日、杜の国では新年を祝う祝賀会が催される、年が替わりリュウタロウは数え8歳となり、祝賀会では現国主であるカノンの父親でモチヅキ・ライゾウと共に、賓席に着くことになっていた。
モチヅキ・ライゾウが紋付の白い羽織に、黒の縞模様の袴を身に着けていた、
「リュウタロウ様、皆がいまかいまかと待ち侘びておりますぞう」
にこやかに歩み寄るとリュウタロウを急かした。
「ねー本当にこんなかっこうで出かけるのー」
リュウタロウは純白の小袖に黒の裃を着せられ、さらに寒さ対策として真っ赤な袖なしの羽織を引っ掛けていた、羽織の背には大きく朱雀の模様が金糸にて刺繍されていた、しかもこの羽織は大人用に拵えられた物で、丈が長くリュウタロウの足元まである、どう見ても奇抜な七五三の衣装であった。
「よお似合っておりますぞー」
ライゾウは感歎を挙げた、
「嘘だー、こんな派手で不恰好な衣装で人前に出るヤツなんか居る訳ない、あー絶対に頭の螺子が2・3本飛んでると思われるよー」
人前に出ることへの恥ずかしさもあり、リュウタロウは何かといちゃもんをつけて周りの者を困らせていた。
「そんなことは御座らぬ、拙者は生まれてこのかた、嘘と坊主の頭は結うたことが御座らぬからなー、はーっはっはっは」
ライゾウは大らかに笑った、
「またそうやってごまかすー、オレは見世物じゃないからなー!」
と声を張り上げた。
そこへ白い小袖に緋袴を着た巫女装束のカノンがやって来る、
「リュウタロウ、いい加減にしないと殴るよ!」
駄々をこねるリュウタロウの声は隣部屋で着付けをしていたカノンに届いていた、カノンはリュウタロウへと歩み寄り握りこぶしをつくって威嚇する、
「うわーっ、わかりました、もう何も言いませんってー」
リュウタロウは頭を両手で守りながら謝った。
本日の祝賀会では、カノンと共に杜の宮の巫女6人が豊作と、国家安寧の祈願のために舞を披露する、そのため巫女達は念入りな化粧と着付けを行っている最中だった。
「カノンや、そなたももう十五であろう、そのような振る舞いもそろそろ卒業せねばなるまいなー」
ライゾウが嘆く、
「父上、お言葉ではありますが、国主である父上がいつもリュウタロウを甘やかすから、私はやむなく叱っているのですよ」
とカノンが返す、
「いやな、わしが申しておるのは、そのような半端な身支度で人前に出ていては、乙女の沽券に関わるのではないか」
そう言われたカノンが自身の恰好を見た、小袖の襟は大きく開き白粉は首までしか塗られておらず、緋袴もとりあえず履いただけでずれ下がっていた。
「きゃー…」
と言う悲鳴をあげながらカノンは隣の部屋へと走り去った、
「ふー、助かったー、おっちゃんありがとう」
リュウタロウが笑顔で言う、
「なんのなんの」
とライゾウも笑い返した。
暫くして、巫女装束をきちんと着付け、化粧に髪型も整え、白地の織物に赤い糸で細かく朱雀の模様をあしらった羽織を身に着けたカノンが、リュウタロウ等のもとへと現れた、
「先程はお見苦しいところを」
とお辞儀した。
「父上、リュウタロウを京に連れて行かれるのは早く御座いませんか、リュウタロウは自分が国主になることを、未だ自覚してはおりませぬ」
カノンはリュウタロウの着付けを手直ししながら、ライゾウへと訊いた。
「そなたの気持ち分からなくもない、無論リュウタロウ様が杜の国の国主となれば今までのような自由は無くなる、当然そなたがリュウタロウ様の御傍に仕えられるのも今年限り、十になる年には女子が仕えるわけには参らぬからな」
ライゾウはゆっくりと穏やかに話した。
「…わかっております」
リュウタロウの襟を直す、カノンの指先に力がこもる、
「へーなんだー、そっかそっかー、カノンのお目付け役もあと1年で終わりかー、それはめでたいめでたい、うん・うん、これでやっとカノンの拳骨におびえないですむぞー、そしたらカノンだってこれからは自分のための時間が出来て良かったじゃん、お互いに好きなことやれて、めでたし・めでたし」
とリュウタロウが陽気に言う。
「ばか、私はちっとも嬉しくなんかないわよ、私は…、キミがこれから背負わなければならない責任が、ほんの少しでも軽くなって欲しいと………」
カノンはリュウタロウに背を向けた、リュウタロウはカノンの肩に手を伸ばしかけるが、こぶしを握り引っ込めた。
「のうカノンや、我等杜の国の民にとって那智とはどのような存在であるか、忘れたわけではあるまい」
ライゾウは穏やかだがずっしりと重い声音で言う。
「心得ております…」
カノンは顔を伏せたまま頷く、
「我が国において那智は象徴にして、国の守り神である、リュウタロウ様は唯一残された我等の希望であり、また命を賭して御仕え致す主なのだ、いつまでも今のままという訳にはいかぬのだ」
ライゾウは静かに説いた。
「父上、ですがリュウタロウはまだ8歳なのです、このように小さな子には荷が重過ぎます、それにこの子はまだ竜神の御加護を戴いてはおりまぬ、なのに国主に据えるというのはあまりにも時期早々、やはり元服を迎えるまでお待ちください」
カノンは目に涙を湛えたまま、必死にくいさがる。
「よもや気付いてないと申すか、巫女であるそなたが気付かぬとは何事じゃあ、リュウタロウ様はとうに朱雀様の御加護を御請けになっておられるぞ、何故そなたが知らぬのだ」
ライゾウは語気を荒く言った、
「そんな…、そんなはずはないわ、私はいままでリュウタロウを誰よりも近くで見守ってきました、その私が気付かないなんてこと…」
カノンは振り返ってリュウタロウを見た。
「ごめん、オレは、カノンに知られるのが怖くて…、カノンの前では竜神の力を隠してきた…」
リュウタロウはうつむき加減に応えた。
「それじゃー本当に、キミは朱雀様の御力を受け継いだの…」
カノンの問い掛けに、リュウタロウはそっと頷いて応えた。
「どうして、私に知られるのが怖かったの…」
うつむくリュウタロウの顔を覗き込む、
「ボクは、もう普通じゃないから…、カノンにボクが普通じゃないと思われるのが怖かった、カノンはいつもボクを普通に叱って普通に優しくしてくれるのに、ボクが普通じゃないと分かったら、もういつものように接してくれなくなると思ったんだ、だからそれが怖くて…」
今まで我慢してきた想いを吐き出した。
「バカ、リュウタロウ…キミは本当に大バカ者だ、どうして私がキミと普段通りに接しなくなるのぉ、私はキミのすべてを見てきたのよ、これから先もそれは変わらない、キミがどこへ行こうと、キミが何者に成ろうとも、私はキミを見続けるわ、絶対に何があっても変わらない、忘れないでリュウタロウ、私はキミを愛しているわ」
カノンは両手でリュウタロウの肩を掴む。
「ごめん、カノン…ごめんなさい、ボクは1人になりたくない、どこにもいかないで、ずっとそばに居て、お願いカノン、ずっとずっとボクのそばにいてー」
「うん、ずっとそばに居るわ、安心して」
カノンはそっとリュウタロウの頭を抱きしめた。
「父上、国の掟は分かります、でもリュウタロウは私に守らせて下さい」
リュウタロウを強く抱きしめるカノンは、ライゾウへと決意に満ちた鋭い視線を向ける。




