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ゆけむり探検の奇跡③

  ≪人物紹介≫

☆ 那智竜太郎ナチ・リュウタロウ 19歳

  正統なるもり国主の長男、現在浪人、百万両の賞金首であるナチの竜


☆ 如月胡桃キサラギ・クルミ 19歳

  宇都宮国東宮家老の長女、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人


☆ 阿倍蜜柑アベ・ミカン 18歳

  古河国東宮用人の末娘、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人


☆ 大鳥虎之助オオトリ・トラノスケ 22歳

  大鳥国主の三男、めかけの子、現在賞金稼ぎ


☆ 板屋の伊万里イマリ 26歳

  フタラ温泉宿、板屋の女将


☆ 中宮の神楽カグラ 17歳

  二荒ふたら山神社中宮の末娘、巫女


☆ 望月華音モチヅキ・カノン 12年前=14歳

  リュウタロウの世話係、杜の宮の巫女


☆ 望月雷蔵モチヅキ・ライゾウ 12年前=50歳

  カノンの父親、12年前の杜国主、元杜国家老


☆ 那智時継ナチ・トキツグ 18年前=37歳

  リュウタロウの父親、正統なる杜国最後の当主


☆ 那智瑞羽ナチ・ミズハ 18年前=19歳

  リュウタロウの母親、元杜の宮の巫女


☆ 大鳥錬龍オオトリ・レンタツ 27歳

  大鳥国主の長兄、竜の力を継承


☆ 朔心月サク・シンゲツ 62歳

  大鳥国の国家老、軍師


*ここでの歳は満年齢にて記載

*話が進むにつれ改定あり


           【】

 

 ≪フダラク湖≫

「ここは…、水の中…」

クルミは全身の力が抜けていた、ただ水中をゆらゆらとただようう。

 

「わたくしはいったい…」

クルミは視線を移して水面みなもがどこにあるのかさがした、しかしそれらしきものはまったく見えない、自分は夢の中をさまよっているのだと思いつつぼんやりと眺めた。

 

「…そーですわ、先程までミカンと一緒いっしょにお風呂に居ましたのに、なぜこのような夢を…」

クルミはふとわれに返ると、もう一度辺りを見回しミカンを探した、

 「センパーイ、お目覚めですかー」

ミカンは水の中を何かに乗って、自由自在に近付いてきた。

 

「な・なんですの…、あなたがまたがっているものは…」

クルミはおびえながら訊いた。

 

「この子はですねー、なんでも紫竜の妖精ようせいだそうです」

ミカンは誰かに聞かれることを心配してか、手をかざして小声で告げた、

「それをおっしゃるなら紫竜の幼生ようせいですってよ、って突っ込んでいる場合ではありませんでしたわ、ここはいったいどちらなんですのー」

 と自らの発言を取り消したクルミが問う。

 

「うーんとー、この子が言うにはですね、ここは【フダラク湖】の湖底こていだそうです」

ミカンは自身がまたがる紫竜の幼生を指差して言う、

クルミは『ふーっ』とため息をついたのち、てのひらを上に向けると肩の高さまであげ、

「ミカン…、わたくしには今起こっている現象げんしょうが何ひとつ理解できませんの、出来ましたらわたくしにもわかるように説明していただけませんこと…」

首を左右に振りながらミカンに問い直す。

 

「うーん、そうですねー、まずこの水の中の世界なんですが、この世界はどーやら神さまの世界みたいですねー」

うで組してうなるミカンが『ピッ』と人差し指を立てた、

「またとんちきなことを…」

ガックリと首を折る、

「えーと、つまりわたし達の世界でいうところの【竜宮城りゅうぐうじょう】みたいなもんなんですよー」

クルミの仕草を気にすることなく、笑顔で断言した。


「あなたは、どうしてそのように御伽話おとぎはなしのようなことに納得なっとくが出来ますの、現実問題として神の国などるわけございませんわ」

『ふんっ』と鼻で笑う、 

「じゃーセンパイは、この世界が何だと思うんですか」

「う…それは、そう・夢ですわ、わたくし達は夢を見ているのですわ」

「うーん…、センパイごめんなさい!」

ミカンはクルミに近付き、クルミのほおを強くつねった。

「いったーい…、急になにをなさいますのー」

強く抓られた頬をさすり、涙ぐむクルミに対して、

「夢じゃないですよねー」

と笑いかけた。


「それに変だと思いませんか、ここは水の中なのに呼吸こきゅうも出来ますし、こうして話も出来るんですよー」

ミカンは爛々《らんらん》と目を輝かせて不思議を楽しむが、クルミは頬をでながら涙目でミカンをにらんでいた。


「これが夢ではないということは認めますわ…、そうしましたらこの現象はいったいどのように解釈かいしゃくをいたせばよろしくって」

渋々とだが現実を理解してく、

「つまりここは竜宮城で八百万やおよろずの神さまが住む世界なんですよ、そしてこの子はなんと次の竜神りゅうじんになる候補こうほだそうです」

おどろいて下さいとばかりに紫竜の幼生を紹介しょうかいした。


「あははは…、ここは竜宮城で、しかも神々の世界で、そしてこちらが竜神候補ですか…」

驚いたと言うよりは、現実逃避げんじつとうひに近い解釈かいしゃくである、

「どうしてこの子が候補かと言いますとー、現在の竜神さんはもう240年もこの土地の守り神をしていまして、もうそろそろ寿命じゅみょうきちゃうみたいなんです」

そう話すミカンの表情が曇る、 

「ひとつ質問をしてもよろしくて」

「はい」

「今のお話というのは、まさか…こちらの竜の幼生さんからお聞きしたとは仰いませんわよね」

クルミは紫竜の幼生とは目を合わせないようにして訊いた。


「聞きましたよ!」

それがどうしたのと言うような口ぶりで応える、

「他にもイロイロと話してくれましたけど…、たとえばこの子が次の竜神になるためには結婚して子供をつくらないとダメだとかー、それとー現在の竜神がおくなりになる時にですねー、わたし達の世界だとフタラ山が大噴火だいふんかしちゃうそうですー」

ミカンは(困りましたねー)と顔で告げた。

 

「なにを暢気のんきに仰っておりますの、一大事じゃございませんか、こんなことをしている場合ではございませんことよ、早く元の世界に戻って皆さんにこのことをお知らせしませんと…」

クルミがミカンをかすが、

「それでミカン…、どうしましたら元の世界に戻れますの…」

とミカンの顔色をうかがった。


「さぁ…」

「さぁって…、そちらの幼生さんに聞いてみては如何いかがですの」

「この子にもよく分からないみたいなんですよ」

「なーんですってー…」

クルミの雄叫おたけびが水中に波紋はもんを立てて広がる、そんな中を大小さまざまな水生生物すいせいせいぶつ関心かんしんなく泳いで行った。

 

           【】

 

 ≪板屋旅館≫

 「リュウノジ!こりゃーどないなっとるんや…」

 トラノスケが大きな長方形の箱をかついで湯殿ゆどのに飛び込んできた、

 「分からない…、昨日はゆけむりだったんだ…」

 リュウタロウは鞘袋さやぶくろに入ったままの太刀を腰帯に手挟たばさんでいた。

 

 「な・なーリュウノジ…、わいはまだねむっとるんかいなー」

 頬を引きつらせて訊くトラノスケの額からは大粒の汗がしたたり落ちた、

 「その意見には賛同さんどうしたいとこだけど…、あれを見てよ」

 リュウタロウは前方を見据みすええたまま、後ろ手にある脱衣所を指差す、トラノスケは恐る恐る指し示された方向を振り向いた。

 

 「あれは…、ミカンちゃんの浴衣やないかー!」

 「クルミさんのもあった…」

 「2人は何処どこいったんや!」

 「分からないよ!」

 「むっちゃくっちゃ嫌な予感がしよるやんけー」

 トラノスケは身震みぶるいをさせると担いでいた箱を『ドスンッ』と置いた、

 「おい、いったい何が入ってるんだよ、その箱は…」

 トラノスケが置いた箱は床をへこませる程の重量である、

 「きまっとるがな、商売道具や!」

 視線は前方に向けたまま、引きつった笑顔で応えた。

 

 リュウタロウとトラノスケの視線の先には巨大な紫の竜が居た、湯殿をおおいつくすようにとぐろを巻いた紫竜は瞳を閉じ、静かにねむりについていた。

 紫竜のうろこは朝の陽光ようこうらされ『キラキラ』と神秘しんぴ的な輝きを放つ、また巨大な手足にはするどとがったつめえ、その爪は恐ろしいほど深い紫色で見るものを畏怖いふさせた。

 

 「でか物がー、ミカンちゃんをかえさんかいー!」

 トラノスケは長方形の箱の背を叩いた、からくりがほどこされた箱の扉が『バンッ』と開く、すると中から単筒たんづつじゅう)やら大筒(大砲たいほう)、さらには発破はっぱ(爆薬)に撒菱まきびしなどあらゆる武器が突き出した、

 「うおおおおぉぉぉぉーーー!!」

 「バカー、止めろー!!」

 リュウタロウが慌てて止めに入るが、雄叫おたけびをあげるトラノスケは、両手に単筒をかまえると紫竜に向って連射し、たまは紫竜に命中した、しかし命中したはずの弾は紫竜の体内に吸い込まれると急に威力いりょくを失い、体の外へ『ポトリッ』と落下した。

 

 「なんてことをするんだー、中にクルミさんとミカンちゃんが居たらどうするんだよ!」

 「しもたー、かーっときて忘れとったー」

 「それに、あんな事して竜が暴れ出したらどうするつもりだよ…」

 と言うリュウタロウは背中に悪寒おかんを感じた、リュウタロウは全身に鳥肌とりはだが立つのを感じながら、恐る恐る振り返った。

 

 紫竜の瞳がうすく開かれリュウタロウをにらんだ。

 

 「うお、目を覚ましよったぞー」

 トラノスケは大筒を取り出して構えた、

 「だから止めろって言ってるだろー」

 リュウタロウが大筒をつかんで銃口じゅうこうを下げる、

 「んなら・どないせーゆーねん」

 全身にびっしりと汗をかいたトラノスケの目が血走ちばしる、

 「………」

 リュウタロウは瞑目めいもくし考える、トラノスケはれて小刻みに震えた。

 

 「どくらわば皿までも…って言うよね」

 目を開いたリュウタロウは薄く笑った、

 「リュウノジ…、おのれは・まさかあの竜に食われる気なんかー」

 「あのねーボクが毒だって言いたいわけー、でもまーあながち間違ってはないけど…、でもこの場合の毒はクルミさんとミカンちゃんでしょう、彼女たちに関わってさえいなければこんな恐怖きょうふ体験たいけんしなくてもいいんだから」

 「悪いやっちゃなー、あーんな別嬪べっぴんさんつかまえて毒はないやろ、そゆ時は乗り掛かった船やから最後まで付あおかーゆーんや、…まーあとのことはまかせときー、さっさと食われてこんかい」

 リュウタロウの覚悟かくごを受け止めたトラノスケは、落ち着きを取戻すとにくまれ口をたたいた。

 

 紫竜はのっそりと前足を踏み出して地を掴む、その後も緩慢かんまんな動作で上体を持上げた、

 「ナチさん、オオトリさんおりますわねー!」

 『バタバタ』と廊下を走り来る音と共にイマリの呼びかける声がした。

 

 「今朝はこちらのお風呂が女湯となっております、無体むたいことをなさいますと承知しょうちいたしませんよ」

 女子の外湯に入る、リュウタロウとトラノスケを目撃もくげきしたとの知らせを受けたイマリが、大急ぎでやって来た。

 

 「ちょ・今はまずいよー、トラスケなんとかしろー」

 「あほー、なんとか言うたかて今はそれどころちゃうやろー」

 「とにかく、ここに入れたら駄目だめだー」

 「ちっ・しゃーない、リュウノジわいが戻るまで持ちこたえよー」

 トラノスケは長方形の箱を『バンッ』と叩いた、振り返ると脱衣場へと一目散に走り出した。

 

 「そうしたいのはやまやまだけど…」

 リュウタロウは太刀の入った鞘袋のひもを解くと、竜の頭が装飾された太刀のが袋から覗いた、

 (躊躇ためらっているひまはないか)

 つば刀身とうしんはさまれた鯉口こいくちを切ると、ひと息に太刀を引き抜いた、

 「さぞかし名の有る竜神と御見受おみうけ致す、不心得は承知でおたずね申す、それがしの連れが此方こちらに参ったこと明白めいはく、竜神の手の内にあれば即刻そっこく解き放ち願いたい」

 (願いが届かなければるしかない)

 と心の中で決意するリュウタロウは、太刀の切っ先を地面へとかせた。

 

 紫竜は四肢ししん張り上体をしずめた、頭がリュウタロウの目線と合うまで下げ大きな瞳を開くとじっくりと観察かんさつする。

 「返答は如何いかに」

 太刀をにぎるリュウタロウの手に力がこもる。

 

 紫竜のがくがゆっくりと開かれると周辺の大気が吸い込まれた、リュウタロウは大気の流れにあらがうように腰を沈めると足の裏で地面を掴む、

 (いや、むしろこのままあの口へと飛び込んだ方が良いのか…)

 そう逡巡しゅんじゅんしている間に紫竜の顎は閉じられた、紫竜は頭を持上げると上体を反らして後足のみで立ち上がる。

 

 「竜神よ、返答を聞こう」

 紫竜が視線を下へ向けリュウタロウを見据える、

 その時である、リュウタロウの持つ太刀を中心に大気が赤く染まった、赤く熱を帯びた大気は球状に広がりリュウタロウを包み込む、

 呆気あっけに取られ身動きの取れないリュウタロウの脳裏のうりに言葉がひびいた、

 (赤竜よ…約束の地にて待つ…)

 

 「約束の地…、待たれよ!約束の地とは何処いずこに御座るかー」

 身動きの取れないリュウタロウを見下ろしつつ紫竜は上空へと舞い上がった、あっという間に上空に達し見る見る小さくなる紫竜の姿を何も出来ずに見送った。

 

 「リュウノジー、生きとるかー」

 トラノスケの呼び掛けによってようやく赤い大気の呪縛じゅばくから解放かいほうされた、リュウタロウは太刀をさやおさめるとトラノスケを仰ぎ見た。

 

 「生きとるようやな、そんで竜はどないした」

 「…約束の地で待つ、そう言って飛んでった…」

 「おのれは竜と話が出来るんかい、けったいなやっちゃなー」

 「話したというより、頭の中に浮かんだんだよ」

 「まーえー、それよりミカンちゃんとクルミちゃんは何処どこにおんねん」

 「たぶん、約束の地…」

 「約束の地っちゅーのは何処やん」

 「分からない…」

 (………)

 「どアホー!分からんでどないすんねん、いっぺんしばいたろかー」

 「すまない…」

 「かーもうええわ、分からんことは訊くしかしゃーないな」

 暗い表情でうなれたリュウタロウが顔を上げトラノスケを見た。

 

 「んな期待きたいした顔すな、昨日女将はんが言うとったやろ、二荒ふたら神社の中宮行けて」

 リュウタロウはトラノスケの言葉に表情を明るくした。

 

           【】

 

  ≪フタラ温泉街入口≫

「今より1400年も昔のことです、かつてこの地は【フダラク】という呼び名をしていたそうで、現在の【フタラ】という地名はそこからきていると聞きました」

イマリを先頭にトラノスケとリュウタロウが歩く、

「フダラクって何処どこかで聞いたことあるな…」

小首を傾げるリュウタロウ、

(そうか故郷こきょうにある寺の名前だ)

と思い出した瞬間はなつかしさに微笑ふふえむが、その笑みはすぐに消えた。

 

「かつてこのフダラクには極楽浄土ごくらくじょうどが在ると信じられていたそうです、修験しゅげん者や出家しゅっけの方はもちろん在家ざいけの方々も、古来こらいより実にたくさんの方がフタラ山の頂上ちょうじょうを目指したと聞きます」

イマリは時折ときおり振り返りながら、自らの知っていることを伝えた。


「フタラ山言うたらあのでっかい山なんやろ、あん山のいただきに極楽浄土があるんかいな…、わいには極楽いうより、地獄じごくを見るはめになりかねんと思うぞ」

トラノスケはフタラ山を見上げ、山の勾配こうばいを見つめた、 

「この町の者だけに知らされてきたことなのですが、フタラ山の山頂には紫色の竜神さまがんでおりまして、つねにフタラの町をお守りしていただいてるのです」

フタラの温泉街を抜けると3人は三叉路さんさろを右に向った、一行の脇をダイヤ川が軽快に流れていた、

「昨日もそんなこと言うとったなー」

川の流れを一瞥いちべつしたトラノスケが応じる。


「そんなとこに登っちゃまずいでしょ…」

浮かない顔のリュウタロウが訊く、

「はい、そこでフタラ山に登られる方は、まずふもとの中宮神社でおきよめをして、それからお山に入るのが決まりとなっています、本来はさらに下った大権現だいごんげんさまにぬかずいて、それから本宮へというのがしきたりですが最近は…」

「そーゆーことね」

(神をおそれぬふとどき者が増えた)

暗黙あんもくの了解をした。


「それで、古よりこのフタラにつたわる伝説というのは、フタラ山の山頂におります紫竜さまは数百年に1度下界げかい降臨こうりんいたします、その目的というのが…花嫁はなよめ探しなのです」

振り返るイマリは申し訳なさそうに言った、

「花嫁探しかいなー、ちょいまち・竜が人間と結婚けっこんするなどとはいわんやろなー」

トラノスケがイマリを覗き込んで訊いた。


 「それにつきましては、私も単に言い伝えを聞き覚えている程度でして…」

 「真相しんそうは知らんゆーこっちゃな」

 「はい、ですが中宮に行けばもっとくわしいことが分かるはずです」

 話している内に神橋しんきょうが見えてきた、この橋が神橋と言われるのにはひとつ伝説がある。

かつて位の高い坊主がフタラ山へ登頂し、願掛がんかけを行おうとダイヤ川のほとりに立った、ダイヤ川は激流げきりゅうのため高僧こうそうは渡る方法がなく途方とほうに暮れていた、高僧が一心に祈念きねんしていると対岸に夜叉やしゃ姿の神人が現れた、神人は自らを深砂じんじゃ大王と名乗った。

神人は『なんじの岸に渡さん』と言うと、右手に巻きついた2匹の蛇を放った、赤と青の蛇は両岸に虹のような橋を掛けた、高僧ら一行は手を合わせながら蛇橋を渡り無事対岸に着くことが出来た、という伝説である。


「それにしてもすごい流れだねー」

リュウタロウは真っ赤に塗り込められた神橋の欄干らんかんから、身を乗りだしてダイヤ川を覗いた、

「気をつけて下さいね、こちらの神橋は時々蛇の姿になりまして、それにおどろいた人が橋から落ちる事故がありますから…」

イマリはました顔で言う、

「冗談でしょ…」

欄干についた手をそーっと放しながら訊く、

「冗談です」

イマリは笑いながら応えた。


「なにをビビッてんねん、そんなんで彼女等を助けられるんかいな」

「そういうトラスケだって、ぎこちない歩き方してるじゃん」

「よけーなお世話や、わいはそんなんやのーて高いとこが苦手にがてなだけや」

「それはそれで問題あるよ…」

神橋を渡った3人は原生の森林がそびえ立つ林道へと入っていった。


「こちらから一刻(2時間)も歩きますと中宮へと着きまして、そちらがフタラ山への登山口となります」

「ほなら女将はんはここまででえーな、わい等の足なら九つ(正午)までには板屋に戻れるやろ」

「わかりました、では昼餉ひるげを用意してお待ちしております、くれぐれも無理をなさいませんように」

イマリはにっこりと笑い手を振って見送った、リュウタロウは名残なごりしそうにいつまでも振り返っている。


          【】


 ≪二荒ふたら山神社中宮≫

「かーごっついなー、こんなん登るんかいなー」

フタラ山の頂上を仰ぎ見るトラノスケが言う、

「まだ登ると決まったわけじゃないよ、それよりこの湖はなんていうんだろう、み切っていてまるで鏡みたいに周りの風景を映してる…」

リュウタロウはフタラ山のふもとに広がる広大な湖を見ていた、

「アホー、わい等は観光にきたんちゃうでー」

「わかってるよ、ただちょっと気になったから…」

(この湖の気配けはいって、あの紫竜と似ているような…)

「ごちゃごちゃいっとらんと入るでー」

トラノスケは大鳥居をくぐりすたすたと境内けいだいに入った。


「たのもー!」

トラノスケが大声で叫ぶ、

「バカ、そんなたずね方をしたら誤解ごかいされるだろう」

リュウタロウがトラノスケに抗議こうぎをしていると、社務所しゃむしょから巫女みこが姿を見せた、巫女はリュウタロウと目が合うと手招てまねきした、

「来い言うとるぞ」

「そだね」

2人が巫女のもとに行くと、巫女は2人に背を向けて無言で歩き出した、互いに顔を見合わせたリュウタロウとトラノスケは巫女の後にしたがった。


「あのー、ボク達は紫竜のことを訊きたくて着たんですけどー」

草履ぞうりを脱いで社殿しゃでんへと続く廊下に上る巫女へと、遠慮えんりょしつつ訊いたが、巫女は目を合わせることもなく社殿へと向った、

「行けばなんか分かるんやろ」

トラノスケは商売道具が詰まった巨大な長方形の箱を下ろすと、草鞋わらじを脱いで手水舎てみずやで手足を洗った、リュウタロウもそれに従う。


境内にはちらほらと拝礼はいれいおとずれた旅人や地元の民が居たが、静寂せいじゃくに包まれた社殿には、巫女が1人で蝋燭ろうそくを灯し円鏡の前に座っていた、

トラノスケは巫女の後ろにひかれたむしろ胡坐あぐらをかいて座った、リュウタロウも腰から太刀を鞘袋ごと抜いて座し、太刀を左脇に置いた。


少し間があって、巫女は円鏡に向って2度平伏ひれふし、静かに円鏡に向き直ると2度拍手かしわでを打つ、そしてまた深々と平伏した、

リュウタロウも巫女につられてなんとなく頭を下げたが、トラノスケはただじっとその行為を見つめていた。


「お伝えすることは3つあります」

巫女がリュウタロウとトラノスケに向き直ると、表情をほとんど変えずに言った、

「ちょいまち、あんさんはわい等が何しに着たか承知しょうちなんか」

トラノスケの問いに小さくうなずいて応える、

「ボク達が来る前に、誰か使いが着たってことですか」

巫女がリュウタロウに視線を移して軽く首をった、

「今朝、板屋にて起こったことはすべて見ておりました」

と言い、そっと振り返って円鏡を示した、

「そんなまねが出来るんかい…」

巫女がそっと頷く。


「まず1つ目ですが、今朝あなた方がお会いしましたのが当神社の御祭神様である、フタラ山の御神体です」

二荒山神社はその名の通りフタラ山が祭神であり、紫の竜神はフタラ山の神体である、

「2つ目ですが、御神体である紫竜様は240年ごとに転生てんせいされます、と申しましてもこの場合の転生は代替だいがわりとなります」

「その際に、紫竜様は花嫁探しに下界に降臨こうりんなさいます、ですが連れ去る花嫁というのは竜の子孫を招くために連れて行かれるので、実際に紫竜様の花嫁に成るわけではありません」

「なんや、連れてかれた花嫁いうんは竜の子孫を釣るためのえさゆーことかいな」

トラノスケの言に巫女の眉根まゆねゆがむが、すぐに元の無表情に戻ると、

「それでは最後に伝承でんしょうをお伝えします」

「紫竜様がめでたく御結婚なさいますと、天はおおいに喜び祝言のいかずち数多あまたおくり、大地はおおいに喜び歓喜かんきげ地の底から震え、山々はおおいに喜びいただきから無数の松明たいまつを放つ、川や湖はおおいに喜び天に向かい幾筋いくすじものにじを掛ける、婚儀こんぎとどこおりなく済むと天は七色に光輝く、となっております」

言い終わると巫女は目を閉じた。


「な・なー、わいにはおっとろしー映像が浮かんだんやけど、気のせーかいな…」

巫女は閉じた目を細く開いて、トラノスケとリュウタロウをゆっくりと見た、

「そちらの刀を見せていただけますか」

リュウタロウの脇に置いた太刀を指し示した、

「これは…」

リュウタロウは逡巡しゅんじゅんするが、太刀を掴むと巫女へと差し出した。


両手で受取った巫女が円鏡へと向き直り、太刀を両手で高くかか瞑目めいもくする、清とした静寂の時が流れた、

「あなたには、もう一箇所訪れなければならない場所があります」

巫女はリュウタロウへと向き直ると太刀を返した、

「ダイヤ川の下流に大渓谷だいけいこくがあります、そちらには大滝が御座いまして、その滝壺たきつぼには巨石が沈んでおります、そちらに参られたのちまたこちらにいらして下さい」

そう話した巫女は肩の荷が下りたか、少しだけ表情がやわらいだ。


「ほならわいはどないすんねん、ちゅーかミカンちゃんはこん山のてっぺんにおんのやろー、やったらわいはこのまま登らしてもらうさかい手続きしてーな」

蚊帳かやの外にされたトラノスケがからむ、

「通行手形は発効はっこう出来ますが…」

巫女は困ったように眉根を歪める、

「なんぞ問題あるんか」

と食い下がる、

「たぶん、道が開かれないと思います」

巫女の言葉の真意がつかめないトラノスケは、ポカンと口を開けた、

「手形があんのに、どないして道が開かんのや!」

「おそらく、この先紫竜様の婚儀が終わるまでは、誰一人として御山に入ることは出来ないでしょう、ただ・招かれた方となら話は別ですが」

と言う巫女はチラリとリュウタロウへ視線を向けた。


「ふーん、リュウノジが招かれたきゃくゆーことやな、そいたらリュウノジは竜の末裔まつえいゆーんやな」

巫女はこっくりとうなずいた、

「まーええ、これ以上は詮索せんさくせん、せやけどひとつだけ確認させてんか、ミカンちゃんとクルミちゃんは無事なんやろな」

巫女は初めて微笑を浮かべて頷いた。


「ちゅーこっちゃ、ほならちゃちゃっと戻って大渓谷に行くでー」

言うなりトラノスケは立ち上がり社殿を後にした、リュウタロウは何か問いたそうに巫女を見つめたが、頭を下げると立ち上がった、

「わたくし中宮の【カグラ】と申します、以後お見知りおきを」

立ち上がり背を向けたリュウタロウに、巫女は名を告げ平伏した、

「あ・ボクは」

慌てて振り返り、名乗ろうとするリュウタロウに対してカグラは軽く首を振った。



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