ゆけむり探検の奇跡③
≪人物紹介≫
☆ 那智竜太郎 19歳
正統なる杜国主の長男、現在浪人、百万両の賞金首であるナチの竜
☆ 如月胡桃 19歳
宇都宮国東宮家老の長女、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人
☆ 阿倍蜜柑 18歳
古河国東宮用人の末娘、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人
☆ 大鳥虎之助 22歳
大鳥国主の三男、妾の子、現在賞金稼ぎ
☆ 板屋の伊万里 26歳
フタラ温泉宿、板屋の女将
☆ 中宮の神楽 17歳
二荒山神社中宮の末娘、巫女
☆ 望月華音 12年前=14歳
リュウタロウの世話係、杜の宮の巫女
☆ 望月雷蔵 12年前=50歳
カノンの父親、12年前の杜国主、元杜国家老
☆ 那智時継 18年前=37歳
リュウタロウの父親、正統なる杜国最後の当主
☆ 那智瑞羽 18年前=19歳
リュウタロウの母親、元杜の宮の巫女
☆ 大鳥錬龍 27歳
大鳥国主の長兄、竜の力を継承
☆ 朔心月 62歳
大鳥国の国家老、軍師
*ここでの歳は満年齢にて記載
*話が進むにつれ改定あり
【】
≪フダラク湖≫
「ここは…、水の中…」
クルミは全身の力が抜けていた、ただ水中をゆらゆらと漂う。
「わたくしはいったい…」
クルミは視線を移して水面がどこにあるのか探した、しかしそれらしきものはまったく見えない、自分は夢の中をさまよっているのだと思いつつぼんやりと眺めた。
「…そーですわ、先程までミカンと一緒にお風呂に居ましたのに、なぜこのような夢を…」
クルミはふと我に返ると、もう一度辺りを見回しミカンを探した、
「センパーイ、お目覚めですかー」
ミカンは水の中を何かに乗って、自由自在に近付いてきた。
「な・なんですの…、あなたがまたがっているものは…」
クルミは怯えながら訊いた。
「この子はですねー、なんでも紫竜の妖精だそうです」
ミカンは誰かに聞かれることを心配してか、手を翳して小声で告げた、
「それを仰るなら紫竜の幼生ですってよ、って突っ込んでいる場合ではありませんでしたわ、ここはいったいどちらなんですのー」
と自らの発言を取り消したクルミが問う。
「うーんとー、この子が言うにはですね、ここは【フダラク湖】の湖底だそうです」
ミカンは自身がまたがる紫竜の幼生を指差して言う、
クルミは『ふーっ』とため息をついたのち、掌を上に向けると肩の高さまであげ、
「ミカン…、わたくしには今起こっている現象が何ひとつ理解できませんの、出来ましたらわたくしにも解るように説明していただけませんこと…」
首を左右に振りながらミカンに問い直す。
「うーん、そうですねー、まずこの水の中の世界なんですが、この世界はどーやら神さまの世界みたいですねー」
腕組して唸るミカンが『ピッ』と人差し指を立てた、
「またとんちきなことを…」
ガックリと首を折る、
「えーと、つまりわたし達の世界でいうところの【竜宮城】みたいなもんなんですよー」
クルミの仕草を気にすることなく、笑顔で断言した。
「あなたは、どうしてそのように御伽話のようなことに納得が出来ますの、現実問題として神の国など在るわけございませんわ」
『ふんっ』と鼻で笑う、
「じゃーセンパイは、この世界が何だと思うんですか」
「う…それは、そう・夢ですわ、わたくし達は夢を見ているのですわ」
「うーん…、センパイごめんなさい!」
ミカンはクルミに近付き、クルミの頬を強く抓った。
「いったーい…、急になにをなさいますのー」
強く抓られた頬を擦り、涙ぐむクルミに対して、
「夢じゃないですよねー」
と笑いかけた。
「それに変だと思いませんか、ここは水の中なのに呼吸も出来ますし、こうして話も出来るんですよー」
ミカンは爛々《らんらん》と目を輝かせて不思議を楽しむが、クルミは頬を撫でながら涙目でミカンを睨んでいた。
「これが夢ではないということは認めますわ…、そうしましたらこの現象はいったいどのように解釈をいたせばよろしくって」
渋々とだが現実を理解して訊く、
「つまりここは竜宮城で八百万の神さまが住む世界なんですよ、そしてこの子はなんと次の竜神になる候補だそうです」
驚いて下さいとばかりに紫竜の幼生を紹介した。
「あははは…、ここは竜宮城で、しかも神々の世界で、そしてこちらが竜神候補ですか…」
驚いたと言うよりは、現実逃避に近い解釈である、
「どうしてこの子が候補かと言いますとー、現在の竜神さんはもう240年もこの土地の守り神をしていまして、もうそろそろ寿命が尽きちゃうみたいなんです」
そう話すミカンの表情が曇る、
「ひとつ質問をしてもよろしくて」
「はい」
「今のお話というのは、まさか…こちらの竜の幼生さんからお聞きしたとは仰いませんわよね」
クルミは紫竜の幼生とは目を合わせないようにして訊いた。
「聞きましたよ!」
それがどうしたのと言うような口ぶりで応える、
「他にもイロイロと話してくれましたけど…、たとえばこの子が次の竜神になるためには結婚して子供をつくらないとダメだとかー、それとー現在の竜神がお亡くなりになる時にですねー、わたし達の世界だとフタラ山が大噴火しちゃうそうですー」
ミカンは(困りましたねー)と顔で告げた。
「なにを暢気に仰っておりますの、一大事じゃございませんか、こんなことをしている場合ではございませんことよ、早く元の世界に戻って皆さんにこのことをお知らせしませんと…」
クルミがミカンを急かすが、
「それでミカン…、どうしましたら元の世界に戻れますの…」
とミカンの顔色を窺った。
「さぁ…」
「さぁって…、そちらの幼生さんに聞いてみては如何ですの」
「この子にもよく分からないみたいなんですよ」
「なーんですってー…」
クルミの雄叫びが水中に波紋を立てて広がる、そんな中を大小さまざまな水生生物が関心なく泳いで行った。
【】
≪板屋旅館≫
「リュウノジ!こりゃーどないなっとるんや…」
トラノスケが大きな長方形の箱を担いで湯殿に飛び込んできた、
「分からない…、昨日はゆけむりだったんだ…」
リュウタロウは鞘袋に入ったままの太刀を腰帯に手挟んでいた。
「な・なーリュウノジ…、わいはまだねむっとるんかいなー」
頬を引きつらせて訊くトラノスケの額からは大粒の汗が滴り落ちた、
「その意見には賛同したいとこだけど…、あれを見てよ」
リュウタロウは前方を見据えたまま、後ろ手にある脱衣所を指差す、トラノスケは恐る恐る指し示された方向を振り向いた。
「あれは…、ミカンちゃんの浴衣やないかー!」
「クルミさんのもあった…」
「2人は何処いったんや!」
「分からないよ!」
「むっちゃくっちゃ嫌な予感がしよるやんけー」
トラノスケは身震いをさせると担いでいた箱を『ドスンッ』と置いた、
「おい、いったい何が入ってるんだよ、その箱は…」
トラノスケが置いた箱は床をへこませる程の重量である、
「きまっとるがな、商売道具や!」
視線は前方に向けたまま、引きつった笑顔で応えた。
リュウタロウとトラノスケの視線の先には巨大な紫の竜が居た、湯殿を覆いつくすようにとぐろを巻いた紫竜は瞳を閉じ、静かに眠りについていた。
紫竜の鱗は朝の陽光に照らされ『キラキラ』と神秘的な輝きを放つ、また巨大な手足には鋭く尖った爪が生え、その爪は恐ろしいほど深い紫色で見るものを畏怖させた。
「でか物がー、ミカンちゃんをかえさんかいー!」
トラノスケは長方形の箱の背を叩いた、からくりが施された箱の扉が『バンッ』と開く、すると中から単筒(銃)やら大筒(大砲)、さらには発破(爆薬)に撒菱などあらゆる武器が突き出した、
「うおおおおぉぉぉぉーーー!!」
「バカー、止めろー!!」
リュウタロウが慌てて止めに入るが、雄叫びをあげるトラノスケは、両手に単筒を構えると紫竜に向って連射し、弾は紫竜に命中した、しかし命中したはずの弾は紫竜の体内に吸い込まれると急に威力を失い、体の外へ『ポトリッ』と落下した。
「なんてことをするんだー、中にクルミさんとミカンちゃんが居たらどうするんだよ!」
「しもたー、かーっときて忘れとったー」
「それに、あんな事して竜が暴れ出したらどうするつもりだよ…」
と言うリュウタロウは背中に悪寒を感じた、リュウタロウは全身に鳥肌が立つのを感じながら、恐る恐る振り返った。
紫竜の瞳が薄く開かれリュウタロウを睨んだ。
「うお、目を覚ましよったぞー」
トラノスケは大筒を取り出して構えた、
「だから止めろって言ってるだろー」
リュウタロウが大筒を掴んで銃口を下げる、
「んなら・どないせーゆーねん」
全身にびっしりと汗をかいたトラノスケの目が血走る、
「………」
リュウタロウは瞑目し考える、トラノスケは焦れて小刻みに震えた。
「毒を食らわば皿までも…って言うよね」
目を開いたリュウタロウは薄く笑った、
「リュウノジ…、おのれは・まさかあの竜に食われる気なんかー」
「あのねーボクが毒だって言いたいわけー、でもまーあながち間違ってはないけど…、でもこの場合の毒はクルミさんとミカンちゃんでしょう、彼女たちに関わってさえいなければこんな恐怖体験しなくてもいいんだから」
「悪いやっちゃなー、あーんな別嬪さん掴まえて毒はないやろ、そゆ時は乗り掛かった船やから最後まで付あおかーゆーんや、…まーあとのことは任せときー、さっさと食われてこんかい」
リュウタロウの覚悟を受け止めたトラノスケは、落ち着きを取戻すと憎まれ口をたたいた。
紫竜はのっそりと前足を踏み出して地を掴む、その後も緩慢な動作で上体を持上げた、
「ナチさん、オオトリさんおりますわねー!」
『バタバタ』と廊下を走り来る音と共にイマリの呼びかける声がした。
「今朝はこちらのお風呂が女湯となっております、無体ことをなさいますと承知いたしませんよ」
女子の外湯に入る、リュウタロウとトラノスケを目撃したとの知らせを受けたイマリが、大急ぎでやって来た。
「ちょ・今はまずいよー、トラスケなんとかしろー」
「あほー、なんとか言うたかて今はそれどころちゃうやろー」
「とにかく、ここに入れたら駄目だー」
「ちっ・しゃーない、リュウノジわいが戻るまで持ち堪えよー」
トラノスケは長方形の箱を『バンッ』と叩いた、振り返ると脱衣場へと一目散に走り出した。
「そうしたいのはやまやまだけど…」
リュウタロウは太刀の入った鞘袋の紐を解くと、竜の頭が装飾された太刀の柄が袋から覗いた、
(躊躇っている暇はないか)
鍔と刀身に挟まれた鯉口を切ると、ひと息に太刀を引き抜いた、
「さぞかし名の有る竜神と御見受け致す、不心得は承知でお尋ね申す、某の連れが此方に参ったこと明白、竜神の手の内にあれば即刻解き放ち願いたい」
(願いが届かなければ斬るしかない)
と心の中で決意するリュウタロウは、太刀の切っ先を地面へと寝かせた。
紫竜は四肢を踏ん張り上体を沈めた、頭がリュウタロウの目線と合うまで下げ大きな瞳を開くとじっくりと観察する。
「返答は如何に」
太刀を握るリュウタロウの手に力が篭る。
紫竜の顎がゆっくりと開かれると周辺の大気が吸い込まれた、リュウタロウは大気の流れに抗うように腰を沈めると足の裏で地面を掴む、
(いや、むしろこのままあの口へと飛び込んだ方が良いのか…)
そう逡巡している間に紫竜の顎は閉じられた、紫竜は頭を持上げると上体を反らして後足のみで立ち上がる。
「竜神よ、返答を聞こう」
紫竜が視線を下へ向けリュウタロウを見据える、
その時である、リュウタロウの持つ太刀を中心に大気が赤く染まった、赤く熱を帯びた大気は球状に広がりリュウタロウを包み込む、
呆気に取られ身動きの取れないリュウタロウの脳裏に言葉が響いた、
(赤竜よ…約束の地にて待つ…)
「約束の地…、待たれよ!約束の地とは何処に御座るかー」
身動きの取れないリュウタロウを見下ろしつつ紫竜は上空へと舞い上がった、あっという間に上空に達し見る見る小さくなる紫竜の姿を何も出来ずに見送った。
「リュウノジー、生きとるかー」
トラノスケの呼び掛けによってようやく赤い大気の呪縛から解放された、リュウタロウは太刀を鞘に収めるとトラノスケを仰ぎ見た。
「生きとるようやな、そんで竜はどないした」
「…約束の地で待つ、そう言って飛んでった…」
「おのれは竜と話が出来るんかい、けったいなやっちゃなー」
「話したというより、頭の中に浮かんだんだよ」
「まーえー、それよりミカンちゃんとクルミちゃんは何処におんねん」
「たぶん、約束の地…」
「約束の地っちゅーのは何処やん」
「分からない…」
(………)
「どアホー!分からんでどないすんねん、いっぺんしばいたろかー」
「すまない…」
「かーもうええわ、分からんことは訊くしかしゃーないな」
暗い表情でうな垂れたリュウタロウが顔を上げトラノスケを見た。
「んな期待した顔すな、昨日女将はんが言うとったやろ、二荒神社の中宮行けて」
リュウタロウはトラノスケの言葉に表情を明るくした。
【】
≪フタラ温泉街入口≫
「今より1400年も昔のことです、かつてこの地は【フダラク】という呼び名をしていたそうで、現在の【フタラ】という地名はそこからきていると聞きました」
イマリを先頭にトラノスケとリュウタロウが歩く、
「フダラクって何処かで聞いたことあるな…」
小首を傾げるリュウタロウ、
(そうか故郷にある寺の名前だ)
と思い出した瞬間は懐かしさに微笑が、その笑みはすぐに消えた。
「かつてこのフダラクには極楽浄土が在ると信じられていたそうです、修験者や出家の方はもちろん在家の方々も、古来より実にたくさんの方がフタラ山の頂上を目指したと聞きます」
イマリは時折振り返りながら、自らの知っていることを伝えた。
「フタラ山言うたらあのでっかい山なんやろ、あん山の頂に極楽浄土があるんかいな…、わいには極楽いうより、地獄を見るはめになりかねんと思うぞ」
トラノスケはフタラ山を見上げ、山の勾配を見つめた、
「この町の者だけに知らされてきたことなのですが、フタラ山の山頂には紫色の竜神さまが棲んでおりまして、常にフタラの町をお守りしていただいてるのです」
フタラの温泉街を抜けると3人は三叉路を右に向った、一行の脇をダイヤ川が軽快に流れていた、
「昨日もそんなこと言うとったなー」
川の流れを一瞥したトラノスケが応じる。
「そんなとこに登っちゃまずいでしょ…」
浮かない顔のリュウタロウが訊く、
「はい、そこでフタラ山に登られる方は、まず麓の中宮神社でお清めをして、それからお山に入るのが決まりとなっています、本来は更に下った大権現さまに額ずいて、それから本宮へというのがしきたりですが最近は…」
「そーゆーことね」
(神を畏れぬふとどき者が増えた)
と暗黙の了解をした。
「それで、古よりこのフタラにつたわる伝説というのは、フタラ山の山頂におります紫竜さまは数百年に1度下界に降臨いたします、その目的というのが…花嫁探しなのです」
振り返るイマリは申し訳なさそうに言った、
「花嫁探しかいなー、ちょいまち・竜が人間と結婚するなどとはいわんやろなー」
トラノスケがイマリを覗き込んで訊いた。
「それにつきましては、私も単に言い伝えを聞き覚えている程度でして…」
「真相は知らんゆーこっちゃな」
「はい、ですが中宮に行けばもっと詳しいことが分かるはずです」
話している内に神橋が見えてきた、この橋が神橋と言われるのにはひとつ伝説がある。
かつて位の高い坊主がフタラ山へ登頂し、願掛けを行おうとダイヤ川のほとりに立った、ダイヤ川は激流のため高僧は渡る方法がなく途方に暮れていた、高僧が一心に祈念していると対岸に夜叉姿の神人が現れた、神人は自らを深砂大王と名乗った。
神人は『汝を彼の岸に渡さん』と言うと、右手に巻きついた2匹の蛇を放った、赤と青の蛇は両岸に虹のような橋を掛けた、高僧ら一行は手を合わせながら蛇橋を渡り無事対岸に着くことが出来た、という伝説である。
「それにしてもすごい流れだねー」
リュウタロウは真っ赤に塗り込められた神橋の欄干から、身を乗りだしてダイヤ川を覗いた、
「気をつけて下さいね、こちらの神橋は時々蛇の姿になりまして、それに驚いた人が橋から落ちる事故がありますから…」
イマリは澄ました顔で言う、
「冗談でしょ…」
欄干についた手をそーっと放しながら訊く、
「冗談です」
イマリは笑いながら応えた。
「なにをビビッてんねん、そんなんで彼女等を助けられるんかいな」
「そういうトラスケだって、ぎこちない歩き方してるじゃん」
「よけーなお世話や、わいはそんなんやのーて高いとこが苦手なだけや」
「それはそれで問題あるよ…」
神橋を渡った3人は原生の森林がそびえ立つ林道へと入っていった。
「こちらから一刻(2時間)も歩きますと中宮へと着きまして、そちらがフタラ山への登山口となります」
「ほなら女将はんはここまででえーな、わい等の足なら九つ(正午)までには板屋に戻れるやろ」
「わかりました、では昼餉を用意してお待ちしております、くれぐれも無理をなさいませんように」
イマリはにっこりと笑い手を振って見送った、リュウタロウは名残惜しそうにいつまでも振り返っている。
【】
≪二荒山神社中宮≫
「かーごっついなー、こんなん登るんかいなー」
フタラ山の頂上を仰ぎ見るトラノスケが言う、
「まだ登ると決まったわけじゃないよ、それよりこの湖はなんていうんだろう、澄み切っていてまるで鏡みたいに周りの風景を映してる…」
リュウタロウはフタラ山の麓に広がる広大な湖を見ていた、
「アホー、わい等は観光にきたんちゃうでー」
「わかってるよ、ただちょっと気になったから…」
(この湖の気配って、あの紫竜と似ているような…)
「ごちゃごちゃいっとらんと入るでー」
トラノスケは大鳥居をくぐりすたすたと境内に入った。
「たのもー!」
トラノスケが大声で叫ぶ、
「バカ、そんな尋ね方をしたら誤解されるだろう」
リュウタロウがトラノスケに抗議をしていると、社務所から巫女が姿を見せた、巫女はリュウタロウと目が合うと手招きした、
「来い言うとるぞ」
「そだね」
2人が巫女のもとに行くと、巫女は2人に背を向けて無言で歩き出した、互いに顔を見合わせたリュウタロウとトラノスケは巫女の後に従った。
「あのー、ボク達は紫竜のことを訊きたくて着たんですけどー」
草履を脱いで社殿へと続く廊下に上る巫女へと、遠慮しつつ訊いたが、巫女は目を合わせることもなく社殿へと向った、
「行けばなんか分かるんやろ」
トラノスケは商売道具が詰まった巨大な長方形の箱を下ろすと、草鞋を脱いで手水舎で手足を洗った、リュウタロウもそれに従う。
境内にはちらほらと拝礼に訪れた旅人や地元の民が居たが、静寂に包まれた社殿には、巫女が1人で蝋燭を灯し円鏡の前に座っていた、
トラノスケは巫女の後ろにひかれた筵に胡坐をかいて座った、リュウタロウも腰から太刀を鞘袋ごと抜いて座し、太刀を左脇に置いた。
少し間があって、巫女は円鏡に向って2度平伏し、静かに円鏡に向き直ると2度拍手を打つ、そしてまた深々と平伏した、
リュウタロウも巫女につられてなんとなく頭を下げたが、トラノスケはただじっとその行為を見つめていた。
「お伝えすることは3つあります」
巫女がリュウタロウとトラノスケに向き直ると、表情をほとんど変えずに言った、
「ちょいまち、あんさんはわい等が何しに着たか承知なんか」
トラノスケの問いに小さく頷いて応える、
「ボク達が来る前に、誰か使いが着たってことですか」
巫女がリュウタロウに視線を移して軽く首を振った、
「今朝、板屋にて起こったことはすべて見ておりました」
と言い、そっと振り返って円鏡を示した、
「そんなまねが出来るんかい…」
巫女がそっと頷く。
「まず1つ目ですが、今朝あなた方がお会いしましたのが当神社の御祭神様である、フタラ山の御神体です」
二荒山神社はその名の通りフタラ山が祭神であり、紫の竜神はフタラ山の神体である、
「2つ目ですが、御神体である紫竜様は240年ごとに転生されます、と申しましてもこの場合の転生は代替わりとなります」
「その際に、紫竜様は花嫁探しに下界に降臨なさいます、ですが連れ去る花嫁というのは竜の子孫を招くために連れて行かれるので、実際に紫竜様の花嫁に成るわけではありません」
「なんや、連れてかれた花嫁いうんは竜の子孫を釣るための餌ゆーことかいな」
トラノスケの言に巫女の眉根が歪むが、すぐに元の無表情に戻ると、
「それでは最後に伝承をお伝えします」
「紫竜様がめでたく御結婚なさいますと、天はおおいに喜び祝言の雷を数多に贈り、大地はおおいに喜び歓喜を挙げ地の底から震え、山々はおおいに喜び頂から無数の松明を放つ、川や湖はおおいに喜び天に向かい幾筋もの虹を掛ける、婚儀が滞りなく済むと天は七色に光輝く、となっております」
言い終わると巫女は目を閉じた。
「な・なー、わいにはおっとろしー映像が浮かんだんやけど、気のせーかいな…」
巫女は閉じた目を細く開いて、トラノスケとリュウタロウをゆっくりと見た、
「そちらの刀を見せていただけますか」
リュウタロウの脇に置いた太刀を指し示した、
「これは…」
リュウタロウは逡巡するが、太刀を掴むと巫女へと差し出した。
両手で受取った巫女が円鏡へと向き直り、太刀を両手で高く掲げ瞑目する、清とした静寂の時が流れた、
「あなたには、もう一箇所訪れなければならない場所があります」
巫女はリュウタロウへと向き直ると太刀を返した、
「ダイヤ川の下流に大渓谷があります、そちらには大滝が御座いまして、その滝壺には巨石が沈んでおります、そちらに参られたのちまたこちらにいらして下さい」
そう話した巫女は肩の荷が下りたか、少しだけ表情が和らいだ。
「ほならわいはどないすんねん、ちゅーかミカンちゃんはこん山のてっぺんにおんのやろー、やったらわいはこのまま登らしてもらうさかい手続きしてーな」
蚊帳の外にされたトラノスケが絡む、
「通行手形は発効出来ますが…」
巫女は困ったように眉根を歪める、
「なんぞ問題あるんか」
と食い下がる、
「たぶん、道が開かれないと思います」
巫女の言葉の真意がつかめないトラノスケは、ポカンと口を開けた、
「手形があんのに、どないして道が開かんのや!」
「おそらく、この先紫竜様の婚儀が終わるまでは、誰一人として御山に入ることは出来ないでしょう、ただ・招かれた方となら話は別ですが」
と言う巫女はチラリとリュウタロウへ視線を向けた。
「ふーん、リュウノジが招かれた客ゆーことやな、そいたらリュウノジは竜の末裔ゆーんやな」
巫女はこっくりと頷いた、
「まーええ、これ以上は詮索せん、せやけどひとつだけ確認させてんか、ミカンちゃんとクルミちゃんは無事なんやろな」
巫女は初めて微笑を浮かべて頷いた。
「ちゅーこっちゃ、ほならちゃちゃっと戻って大渓谷に行くでー」
言うなりトラノスケは立ち上がり社殿を後にした、リュウタロウは何か問いたそうに巫女を見つめたが、頭を下げると立ち上がった、
「わたくし中宮の【カグラ】と申します、以後お見知りおきを」
立ち上がり背を向けたリュウタロウに、巫女は名を告げ平伏した、
「あ・ボクは」
慌てて振り返り、名乗ろうとするリュウタロウに対してカグラは軽く首を振った。




