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ゆけむり探検の奇跡②

  ≪人物紹介≫

☆ 那智竜太郎ナチ・リュウタロウ 19歳

  正統なるもり国主の長男、現在浪人、百万両の賞金首であるナチの竜


☆ 如月胡桃キサラギ・クルミ 19歳

  宇都宮国東宮家老の長女、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人


☆ 阿倍蜜柑アベ・ミカン 18歳

  古河国東宮用人の末娘、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人


☆ 大鳥虎之助オオトリ・トラノスケ 22歳

  大鳥国主の三男、めかけの子、現在賞金稼ぎ


☆ 板屋の伊万里イマリ 26歳

  フタラ温泉宿、板屋の女将


☆ 中宮の神楽カグラ 17歳

  二荒ふたら山神社中宮の末娘、巫女


☆ 望月華音モチヅキ・カノン 12年前=14歳

  リュウタロウの世話係、杜の宮の巫女


☆ 望月雷蔵モチヅキ・ライゾウ 12年前=50歳

  カノンの父親、12年前の杜国主、元杜国家老


☆ 那智時継ナチ・トキツグ 18年前=37歳

  リュウタロウの父親、正統なる杜国最後の当主


☆ 那智瑞羽ナチ・ミズハ 18年前=19歳

  リュウタロウの母親、元杜の宮の巫女


☆ 大鳥錬龍オオトリ・レンタツ 27歳

  大鳥国主の長兄、竜の力を継承


☆ 朔心月サク・シンゲツ 62歳

  大鳥国の国家老、軍師


*ここでの歳は満年齢にて記載

*話が進むにつれ改定あり


            【】

 

「あれ、遅かったですねーリュウタロウさん、何かおもしろいものでも有りましたか」

ミカンはほろいなのか、顔が少し赤く目尻めじりが下がっていた、

「ミカン、そんな失礼なことをお聞きしてはいけなくってよ、なにしろリュウタロウさんには覗きのご趣味しゅみが御座いますからねー、おほほほ」

嫌味いやみを言う割には、クルミの機嫌きげんは良かった。


「なんやーリュウノジ、さっきあんなに痛い目みとんのに、性懲しょうこりもなくまーた覗いてきたんかい、しょーのないやっちゃなー」

「んなわけないだろ、それにその言葉トラスケだけには言われたくない!」

リュウタロウは立ったままトラノスケを指差す、

「人の名前を端折はしょるなや!」

トラノスケが『バンッ』と机を叩いた。


「ふーん、トラスケも可愛いですねー、うーでもトラちゃんの方が好いかな」

睨み合うリュウタロウとトラノスケだったが、ミカンが矛先ほこさきを引き受けた、

「どーこがよろしいんですのか…、それよりもトラノスケさん先程のお話ですが、賞金稼ぎの彼方あなたがフタラに参りました理由と言うのは、やはり賞金首を追ってという事ですわよね」

クルミが身を乗りだしてたずねる。


「あーそないな話しとったなー、勿論そのとーりや、わいの獲物えものすごいでー、なんせ賞金額は最高の百万両や!」

トラノスケは自慢じまんげに言い、リュウタロウに向って片目をつむった、

「なにか確かな情報じょうほうをお持ちですの」

目をかがやかせたクルミはさらに身を乗りだす。

というのもクルミとミカンの任務にんむとは、百万両の賞金首であるナチの竜を東宮までまねくことである、しかしクルミとミカンが得ているナチの竜に関する情報は少なく、フタラへ立ち寄ったのは単なるうわさでしかない。

クルミとミカンが乙女おとめ倶楽部くらぶへの帰還きかん申請しんせいしたところ、どういう訳か東宮本営より帰還の許可きょかが取り消された、これにより任務続行になったのだ。


「ここだけの話にしとってな…、わいの情報によるとやな、ナチの竜っちゅーんは単なる人間ちゃうっつーねん、つーのもこのフタラの地では240年ごとにナチの竜が現れるゆーんや」

身を乗りだして聞く3人に『ヒソヒソ』と声をひそめて語る、

「なー単なる人間ちゃうやろーって、んなあほな話があるかー」

と、自ら突っ込みを入れた。


「はぁー、まさかとは思いますが、本当にそのような情報だけで参られたのでは御座いませんわよねー」

さげすんだ眼差しを向けるクルミ、

「きっついなークルミちゃんは…、そこまで言われたんやしゃーない・とっときのヤツ教えたろか」

トラノスケが『グイッ』と酒を飲みす、

「じつはなー、わいの生まれは古都ことのナンバなんやけどな、ガキの頃わいは3年ほどサカイにあずけられとったんや」

「サカイと言いますと、まさか12年前の壊滅かいめつ事件が起こりました、あのサカイですの」

「感がええなクルミちゃんは、せや、サカイの町が壊滅した時にわいはあの町におったんや、でもなー運がええことにわいは山に入っとったから、この通りぴんぴんしとる」

トラノスケは両腕を広げて見せる、

「では、実際じっさい惨劇さんげきは見ておりませんの」

「…いんや、見たで、最初から最後まで全部見た…、わいはナチの竜をしっとる」

これまでの笑みを称えた表情から一変して、恐ろしいくらいのするど眼光がんこうを見せた。


「トラちゃん、怖いですよ」

ミカンがトラノスケの肩を突付く、

「あーすまん・すまん、つい昔んこと思い出してなー」

笑顔を向けるとミカンにあやまった、

「そん時わいが見たナチの竜いうんはなー、ちっさいガキや、当時のわいよりも2つ3つ年下やと思う」

「そうしますと、現在では二十歳前後ということになりますわね」

「せやな、ちょうどここにるリュウノジくらいやな…」

トラノスケの視線がリュウタロウをす。


「まさか…、ご冗談ですわよねー、この方にそのような事がお出来になるなど到底とうてい有りませんわ」

クルミは隣に座るリュウタロウへと視線を向けた、

「ボクは…」

リュウタロウは言葉にまり、そのまま沈黙ちんもくした。


「あなたは、ナチの竜とは同姓同名というだけですわよね、町ひとつを壊滅させるようなまねが、あなたに出来るわけ御座いませんわよね…」

クルミは真剣な眼差しを向ける、

「ボクは…なにも…」

リュウタロウもクルミを見つめた。


「あったりまえや、クルミちゃんはせっかちやなー、だれもリュウノジがナチの竜やなんて言ってないでー」

「考えてもみーや、風呂覗いてトラバサミに引っかかるよーなおっちょこちょいが、伝説の賞金首なわけあらへんやろ」

トラノスケは笑いながら手を左右に振った。


「イテテテ・イテテテ、何するんやー」

ミカンがトラノスケのほおをつねった、

「センパイをからかったお仕置いおきです」

ミカンがトラノスケを睨む、

誤解ごかいやでー、わいはクルミちゃんをからかったんやのーて、今のナチの竜はリュウノジくらいのとし格好かっこうやと教えただけや、堪忍かんにんしてーな」

トラノスケが手を合わせておがんだ。


「そういうことだそうですから、トラちゃんを許してください」

ミカンはクルミとリュウタロウに謝った。


「かー、君はほんまにええ子やなー、しゃーない商売抜きでわいの知ってることは全部教えたるわ」

トラノスケはうるんだ瞳でミカンを見つめた。


「なにから話したろか…、そやな・まずサカイの事件をわいがどうして見てたかゆーとな、わいはしっとったんやオオトリの国ともりの国がいくさになるんを…な」

遠い過去を思い出すトラノスケは、悲しい目をしていた、

「ちょっとお待ちになって、オオトリの国と杜の国の戦とはいったいどうゆうことですの」

大権現だいごんげん様が天下統一してから百年、たしか一度も戦は無いはずですよー」

クルミとミカンが交互に言う。


「せや、あの戦は歴史上から抹殺まっさつされた戦なんや、そんでもってすべての責任せきにんを負わされたんが、百万両の賞金首となったナチの竜や!」

「そんなお話、聞いたこと御座いませんわ…」

「誰に言うても信じんやろな、わいもこの目で見んかったら信じられん話や」

「でもおかしいですよね、いくら国と国とが戦になったとしても、町が忽然こつぜんと消え去るなんてことにはなりませんよね」

「あーその通りや、人間どうしの戦で町が消え去るなんてことは有り得へん、人間どうしならな…」

「それは、どういう意味ですの…」

「さっきは、小さな男の子がナチの竜だと言ってましたよ…」

「せやな、なんでわいはあのチビがナチの竜やとおもっとるんやろな…」

少しのあいだ目を閉じる。


「正直なとこ・わいにも分からんのや、戦が始まったと思うたら突然とつぜん雷は落ちるは、突風とっぷうが吹いたと思うたら竜巻たつまきになるしで、なにがなんだか分からんかったんや」

「それですと、サカイの町が壊滅いたしましたのは、自然災害によるものではありませんか」

クルミの問い掛けに、トラノスケは首を振って応える、

「どうしてそう思うんですか」

ミカンが問う、

「あん時の竜巻は2度おこったんや、1度目の竜巻は杜の軍をすべて吹き飛ばしてしまいよったから、もう戦はしまいやとおもうた、そん時や2度目の竜巻がおきたんは…、2本の竜巻がはげしくぶつかりおうた、雷もそりゃもう大地が裂けるくらいに激しく落ちてなー」

話をするトラノスケの表情がくもる、

「はじめは拮抗きっこうしてぶつかりおう2本の竜巻やったが、徐々に1度目の竜巻が2度目の竜巻を圧倒あっとうしていきよった、2度目の竜巻がだんだん細なってこのまんま消えるおもうた時や、杜の軍がそろいで着とった真っ赤な羽織が2度目の竜巻に集まりよった…」

深いため息を付いたトラノスケは、酒を飲み干して空になった猪口を見つめた。


「何千もの羽織を取り込んだ2度目の竜巻がや、一瞬真っ赤な竜神になったように見えてな、そう思うたら赤い竜巻は見る見るでかーなって1度目の竜巻を呑みこみよった、そんで・赤い竜巻はそのままサカイの町を根こそぎ吹き飛ばしてな、消えてしもうたわ」

「なんと申し上げてよいのか分かりませんが、それでも自然災害には変わりが無いのではないですか」

だまりこくるトラノスケに、クルミが再びく。


「杜の軍が吹き飛ばされたあとに残っとったんや…、ちっさいガキが1人で必死に何かをさがしてる姿がな」

トラノスケは、その災害の中に子供が1人で生き残れないことを示していた、

「それが、ナチの竜さんですか」

トラノスケがうなずいた。


「オオトリ軍の連中は半分が行方不明になっとる、でもな…、杜軍のヤツラは全員が木端微塵こっぱみじんに吹き飛んでいたんや、ガキがいくら捜してもだーれも見つけられへんかったわ」

「そんな、かわいそうですよ」

「せやな、わいも同情したわ…、でもな、オオトリかて大打撃だいだげきだったんや、家も無い・おとんも居らんようになったガキ共がぎょうさん居ってん、どっちが悪いかなんて分からん、だがな・わいはナチの竜をゆるす訳にはいかんのや!」

手酌てじゃくで注いだ酒を一気にあおり『ドンッ』と机に置いた。


「そのような事情じじょうがおありでしたの…」

「わたし達の追っているナチの竜さんは、本当はどんな人なんでしょうね」

クルミとミカンはうれいに満ちた表情を浮かべた。


「まーわいの話はここまでや、せっかくの宴席えんせきなんやし楽しくやろかー、リュウノジも辛気しんきくさい顔しとらんと、がんがんめやー」

トラノスケが言い、

「誰が払うと思ってんのー、もう角樽空っぽだよー」

リュウタロウが応える、

「それじゃー次はですねー幻の酒【紫雲海しうんかい】これにしましょう」

ミカンがお品書きから選んだ、

「好いところに目を付けましたわ、それでは女将さんこちらの紫雲海を樽でお願いしますわ」

クルミがにっこり笑って、部屋のすみひかえるイマリへと注文した、

「勘弁してよー」

リュウタロウが泣きながら叫んだ。


「ご注文ありがとう御座います、すぐにご用意いたします…、あの・お客様の会話に立ち入るのは大変たいへん恐縮きょうしゅくなのですが、先程よりお話にあがりましたナチの竜なのですが、ひょっとして当旅籠に出没しゅつぼつ致します紫雲しうん竜のことに御座いますか」

イマリは申し訳なく問う、

「やっぱりかー、わいが聞きつけたとーりや、ほんで女将はん紫雲竜はいつ出るんや」

勢いよく飛び上がるトラノスケ、

「それが、神出鬼没しんしゅつきぼつでして何時いつというのは言えません、ですが出没するのは決まって外湯でございます、それで変なうわさが流れまして…」

「ナチの竜が、フタラの町で風呂を覗くっちゅーやっちゃなー」

「はい」

「あーー、そーだ・それそれ!」

リュウタロウが奇声きせいをあげた。


「なんですの急に」

「見た・見たんだよ・ソレ!」

「それって、何ですか」

「もしかして、うす紫色のゆけむりのことではないですか」

「そう、ソレです!」

「リュウノジ、いつ見たんや!」

「さっき厠に行ったときだけど、もう居ないよ、空に飛んで行っちゃったから」

今にも飛び出そうとしていたトラノスケだったが、一呼吸おくと席に戻った。

くわしく話せや」


リュウタロウは厠の格子越しに見た光景を一同に告げた、

「今にして思うと、たしかに紫の竜に見えなくもなかったな…」

立ち昇るゆけむりを回想かいそうした、

「ちーと待たんかい、わいがきたいんわそんな雲をつかむよな話やのーてやな、そこになんぞ人影ひとかげや仕掛けはなかったんかーゆーこっちゃ」

「あのねー、ボクは厠の中に居たんだよ、そんなの見えるわけないでしょう」

「どあほー、チビチビと小便しょうべんなんぞれとらんと、尻尾しっぽ掴んでこんかい」

出鱈目でたらめなこと言うなよ、相手は竜なんだよ、そんなことできる訳ないでしょうが」

『うーっ』とうなりながら睨み合うリュウタロウとトラノスケである。


「ですが、リュウタロウさんのお話が真実だとしますと、フタラの町にナチの竜が出たという噂は何も根拠こんきょが御座いませんですわ」

「どうしてですーセンパイ」

「こちらでの目撃もくげき情報が、すべてリュウタロウさんと同じゆけむりのものでしたら、それは単に自然現象によるものでしてよ」

「えー、自然現象なんですかー」

「当然ですわ、そもそも竜などという仮想かそうの生物が、この世に存在するなど断じて有り得ませんですってよ」

クルミが断言する。

「そうですかねー、わたしは居るような気がしますけどー」

ミカンは首を傾げる。


「差し出がましいことを申しまして恐縮きょうしゅくですが…」

とイマリは前置きをし、

「紫の竜神さまというのは、フタラ山の頂上にまう土地の守り神さまだというのが、フタラの町では古くから言い伝えられております」

イマリはクルミの顔をそっと見て、

「このたび、当旅籠にて目撃されましたゆけむりの竜神さまですが、町の人々からは二荒ふたら神社の御祭神である紫竜さまだと信じられております」

と告げた。


「まさか、このご時世にそのような神霊話を信じておられますとは…」

クルミは申し訳なくうつむく、

「でもー、ゆけむりの竜さんがフタラの神様ならば、ナチの竜さんはどこにいるんでしょうねー」

ミカンが確信にふれた、

「そこや!なんでナチの竜の名前が出たかっちゅーこっちゃ」

トラノスケがイマリへと訊く。


「それについては、私もくわしくはお答えできませんが、おそらく二荒神社にまつわる伝承でんしょうが原因かと思います、明日にでも中宮をたずねられたら何か分かるかもしれませんね」

と応えた、

「お客さん、お待たせしちゃいましたね、幻の酒【紫雲海】です」

「いやったー、センパイ紫雲海ですってよー、うーんこんな銘酒めいしゅめるなんて感激です、リュウタロウさんいっただきまーす」

仲居から一升(1.8L)角樽を受取ると、さっそくせんを抜いて五合(0.9L)の酒枡さかますにドボドボと注いだ。


「ちょっと待ってよ、きみ達2人で飲み干すつもりかい!」

五合の枡2つに注がれた紫雲海はすっかりと空になった。

「はい、2人で美味しくいただきます」

ミカンが返事をし、

頂戴ちょうだいいたしますわ」

と枡を両手に持つクルミもにっこり笑った。


「しゃーないリュウノジ、わい等も上等の酒を注文しよか」

と言うトラノスケ、

「なにがしょうがないだよ、トラスケはこっちの安い方の酒から選べ」

お品書きを突付きながら言うリュウタロウ、

「んな殺生せっしょうやがなー、せめてこん位にしてーなー」

「どこがせめてだよ、二番目に高いじゃん、それー」

「女将はん、この【華厳けごんの空】を二升(3.6L)分頼むわ」

トラノスケが注文した。


「馬鹿トラ、勝手に注文するなー」

慌てて取り消そうとするリュウタロウに、

「ナチ様、ご注文ありがとうございます」

とイマリが笑顔を向けた、

「…くー、わかりましたよー、もう酒でも肴でも好きな物を注文しろってんだ」

リュウタロウが万歳ばんざいすると一同から歓喜かんきの声が上がった。

その後は板屋の従業員を招いての大宴会となり、れ八つ(深夜2時)をまわってようやく御開きとなった。


            【】

 

翌朝の明け六つ(午前6時)、翌日に秋分をむかえるこの日は朝から快晴で、板屋の外湯からは山間からの日の出をのぞめた。

「う・うえー、気持ちが悪いですわ…」

「センパイは2日酔いですねー、温泉にかって汗を流せばすぐに良くなりますって、さー行きますよー」

「ミカン…、あなただってあんなにも呑んでおりましたのに、どーしてそんなにも元気なんですの」

米神こめかみを人差し指で押さえるクルミ、それを笑顔で引きずっていくミカンがいた。

 

「あれーセンパイ、今日は男湯と女湯が反対はんたいになっていますよー」

外湯の入口に掛かる暖簾のれんが、昨夜とは逆に掛かっていた、

「なわんですってー!そんなけがらわしいところに入るなど、わたくしは断じておことわりですわー」

ミカンに引かれた手を振りほどいて柱へとしがみ付くクルミ、

「いーから・いーから、さー行きますよー」

「およしになってー…」

クルミは浴衣の帯をミカンに引っ張られ肩がはだけると、咄嗟とっさに両手を柱から放し浴衣のえりを掴んだ、そのまま『ズルズル』と無残むざんな姿で引きずられていく。

 

「センパーイ、こっちの方が断然だんぜん広いですよー、それに景色けしきも最高です、うーん気持ちいいですねー」

湯船へと向うミカンは両腕を突き上げて、胸いっぱいに空気を吸う、

「ミカン、本当に殿方がいらしたりはしませんわよねー」

クルミはありったけの手ぬぐいを身体に巻き付けた格好かっこうで浴場の入り口に立ち辺りを見回す、

 「大丈夫ですってー、はやくセンパイもこっちにきてくださいよ、もうすぐ日の出が見れますよー」

ミカンは湯船から手を振ってクルミを呼び東の空を指差した、山の頂を染める真っ赤な帯状の光から、だんだん赤みが薄れてだいだい色へと変わった、山間から抜けた日の光は橙色の鋭い光線を放つ。 

 

「センパイ、…もうすぐあの山の向こうからお日様が見えますよー」

ミカンは湯船に浸かりながら、山のいただきを指差して言う、 

「あはは…、本当ですわねー、わたくしこんなにも陽射ひざしが恐ろしく想えたのは、生まれて初めてですわ」

クルミは身体に巻き付けた手ぬぐいを渋々解くと湯船の端に折りたたんで置いた、ノロノロとした動作で湯船に入ると口元まで湯に浸かっている、

 「きゃはは、センパイおもしろーい」

 ミカンが振り返って笑った。

 

「…冗談じょうだんではありませんのよ…」

クルミは元気なミカンをうらめしそうに見る、そうしているほんのひと時の間に真っ赤な太陽が山頂から顔をのぞかせた、

「ほらーセンパイ、見て見てとっても綺麗きれいですよー」

ミカンは立ち上がって叫ぶ、

「えー、とーっても目にしみますわ…」

実際にクルミの目は涙でにじんでいた。


「あんれー、急に雲が出てきましたねー」

「えぇ…、本当に…」

ミカンはうすれゆく太陽が名残なごりしいのか、湯船から身を乗りだして周りの景色をながめた。

 

「…センパイ、なんか曇ってるのってこのお風呂だけみたいですよー」

ひたいに手をかざしたミカンが言い、

「ミカン…、わたくしなんだか2日酔いのせいか、辺りの景色が紫色に見えましてよー」

ゆっくりと立ち上がりながらため息混じりに言うクルミ、

「センパイもですか、わたしもあちこちに紫陽花あじさいが咲いてるように見えます」

「これはいったい、どーしたことでしょ…」

クルミとミカンは湯船の中をフラフラとただようように歩く、2人の歩いた先には精巧せいこうに作られた竜の置物があり、置物の前へとたどり着いた2人は力尽きたかその場に座り込んだ。 

 

            【】

 

「ふぁぁぁああ…眠たい」

リュウタロウは大きな欠伸あくびをしながら厠へと歩いていた、

「しっかし飲んだよなー、いったい何升空けたんだか…、それにしてもミカンちゃんにはまいった、飲めば飲むほどいがめていくんだもん、こっちがつぶれちゃうよ、…潰されてたやつもいたな」

 昨晩の光景を思い出して笑った。

 

「しかしイマリさんは美しいなー、あれで独身なら誰も放っておくわけないからなー、はかない夢にうつつを抜かすのは良くないね…ははは」

ひとり言と共にかわいた笑い声をあげた。

 

妄想もうそうを振り払うようにかぶりを振った、

(彼女たちはこれからどーすんのかな、とりあえずフタラにはナチの竜は居ないとわかったことだし、あまり長居ながいはしそうにないよね…)

あごに手を当てて無精髭ぶしょうひげでた。

 

(ちょっと気になるんだよな、この宿には俺を引き寄せる何かがあったんはずだけど…)

リュウタロウは自身の腰元こしもとに視線を落とす、

「いけね、ドラゴンブレードを部屋に置いたままだ…、って宿の中でしたまま歩くわけにもいかないか」

「えっ…」

リュウタロウが腰を落として素早く身構みがまえた、ゆっくりと周囲に注意をはらう。

 

「うわっ、また出たー!」

 リュウタロウの視線の先にはうす紫色のゆけむりが立ち込めていた、そして今朝のゆけむりは昨夜のものとはうって変わっており、すでに像を結んだゆけむりは生物としての実体を持つほどに鮮明であった。

 

 ≪上弦の間≫

 「おい、トラスケ起きろ!」

 リュウタロウが昨夜の宴席へと駆け込んだ。

 

 「なんや騒々《そうぞう》しい、でかい声出すなや頭にひびいてかなわん」

 座布団に頭を押付けるトラノスケである。

 

昨夜の宴会でリュウタロウから飲み放題・食い放題の許しを得た、暮れ五つ半(午後9時)から九つ(午前0時)までの間、

 「トラちゃん、今日は徹底てってい的に飲みましよー」

 とミカンに言われると、

 「もっちろんや!まかしときー、ミカンちゃんがつぶれた時はわいがおぶって運んであげるさかい、心配せんで飲みーや」

 と応えたトラノスケ、

 「よーし、それなら飲み比べをしましょう、誰が最後まで残っていられるか勝負です!」

 と言うミカンは、イマリに一升(1.8L)ますを4つ頼んだ、

 「よっしゃー乗った、負けへんでーわいは底無しやさかいなー」

 と満面の笑みを返したトラノスケであったが九つを待たずして真っ先に脱落だつらくした、酔い潰れたトラノスケはそのまま部屋の隅に寝かされ現在にいたる。

 

 「出たんだよ、いいから早く起きろ!」

 リュウタロウはトラノスケが下敷きにした座布団を引っ張り、トラノスケを転がした、

 「なにが出たっちゅーねん、頼むからもう少し寝かせてんかー」

 転がされながらも座布団を抱きかかえていた、

 「紫竜だよ、昨日話したゆけむりの竜が出たんだってば」

 トラノスケが抱えた座布団を引っ張りながら告げる。

 

 「それを先に言わんかボケー!」

 トラノスケは座布団を振り解くと『ガバッ』と立ち上がり、一目散に廊下へと飛び出した、

 (………)

 座布団を引っ張っていたリュウタロウは、勢いよくひっくり返った。

 

 「リュウノジ、場所は何処どこや!」

 「昨日と同じ外湯だよ」

 「よっしゃ、先にいっとれ、わいは獲物えものを取ってくるさかい、それまで逃がさんよう見張っとれよー」

 そう言うと、トラノスケは廊下を右に曲がり自身の部屋へと走った。

 

 「おいおい、獲物って何を持ってくる気だよ…」

 トラノスケの後姿を眺めた。

 


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